Record 07 : クレイジー・キャッツ (2004.2.1)
 《昭和23年生まれ》の男の子は、6才の時に「お富さん」を歌って親から叱られ、中学一年の時に「スーダラ節」を歌って又々親に叱られたという“世代”に属しています。

 前回に登場した“ヒテレツ千葉”君は「Want to be 橋幸夫!」という当時から《歌手志望》の人でした。実際、この一年後、中学卒業と同時に上京!片っ端からオーディション番組に出まくりました。その模様は、ひと月に三枚以上は送られて来る葉書に、逐一その様子が書かれてありました。(ワタシは物持ちがいいので、まだ持ってます)

 彼の“橋幸夫マニア”ぶりはクラスで有名で、80年代に行われたクラス会に私は一度だけ出席したことがあるのですが、皆から「千葉!“江梨子”を歌え!」と声がかかってました。

 つまり彼は“和モノ好き”なんですね。故に《ヒテレツ》となったようです。

 そういう“橋マニア”の彼と“ポップス・マニア”のワタシとは音楽的な接点は無いように思われたのですが、たった一つだけあったのです。

 それが“クレイジー・キャッツ”で、千葉君はクレイジーの全曲集のソノ・シートを持っていたのです。

 上にあるジャケットのものではなく“ケイ・ブンシャ”の“ハイ・シート”という裏表が貼り合わせてある分厚いモノでした。(初期のソノ・シートは、薄く、片面でした)

 当時も“著作権”というものは当然あって、ソノ・シートでは“オリジナル・ヒット”は聞けないケースが殆どでした。《ソノ・シート専門歌手》もいましたからネ。(ラジ関時代では“ブルドック滝”が話題になりました)

 ところが!渡辺プロ(音楽出版)のものだけは“オリジナル音源”だったんです。(原盤権を持っていたんですね)

 これを二人で聞きまくり、踊りまくりました。

 こういうことがあって彼は私の家に遊びに来るようになったのですが、クレイジー・キャッツという存在がなければ友人関係にはなっていなかったのではないか、という気がします。

 後年、植木さんや谷さん、クレイジーの皆さんと一緒に仕事をすることになろうとは・・・。何が未来に待っているのか・・・、ワカランもんですナぁ、人生というのは。


 P.S.

 当時のワタシは《音楽》方面に進むことは全く考えていなかったようです。そのへんの事情は《ナイアガラ学芸会》を復活・加筆しましたので御参照下さい。

BACK