Record 06 : ヒテレツ・ベイビー (2004.1.29)
 転校して、一番最初に話しかけて来てくれたのは“商店”の子で、《パラキン・コンプリート》というカバー・ポップス・ファンでした。(ミコちゃんも殆ど持ってました)

 1962年当時はまだまだ“洋楽”ファンは少数派でした。昨今の50年代・60年代ポップスうんぬん論で、後追いの人が一番誤解しやすいところが“ここ”ですね。この二年後に“ビートルズ”が(日本でも)登場するワケですが、その時代でも洋楽ファンはまだまだ少数派で、ワカモノの殆どは“橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦”の御三家ファンでした。(次に三田明が加わって“四天王”などと呼ばれましたが・・・)

 (ここで大きくハナシは逸れますが、川本三郎さんが「(セクシー・アイドルは)モンローだ、バルドーだ、などといっていたが、本当は新東宝の“三原葉子”だった!」と書いてます。談志師匠も「デズニーだとか何とか気どってるけど、日本は“手塚治虫”だったんだよ!」と発言してます)

 アメリカン・ポップスも“日本人歌手”によるカバー・ヒットの方が有名で、オリジナル・シンガーはあまり知られていなかった、というのが実情です。

 飯田久彦さんの「ルイジアナ・ママ」などは、本国ではシングル・リリースさえされておらず、ジーン・ピットニー本人が昨今のテレビ番組で「この曲、“日本”でだけヒットしてるんだよねぇ。なんでだろ?」的な発言をしていました。

 竹内まりやさんがアルバム一曲目に取り上げた「悲しき片想い」はミコちゃんの歌、と皆が思っていました。(『LONGTIME FAVORITES』が“歴史的”な構成にもなっている、というのは、この曲を一曲目にして尚且つ“日本語”で歌い始めている、というところを評価してのことです。“事実”に添っている、正しい歴史認識です。日本の“昨今の”流れのガール・ポップの原点はミコちゃんの『悲しき片想い』です。ピーナッツの『悲しき16才』は“前史”として存在します。ミコちゃんがエルヴィス、ピーナッツがビル・ヘイリー、その構図と同じです)

 この『ルイジアナ』『片想い』共、1962年初頭のヒットでした。ですから“パラキン・コンプリート”という彼のようなカバー・ポップス・ファンという存在は“自然”だったんですね。(この時期に一番ヒットしていたのは橋幸夫の『江梨子』でした)

 しかし、レコードも高価でしたから、現在のようにミンナがレコード(CD)を持っているというような状況ではありませんでした。中学二年生でレコードを“沢山”持っている、という存在は、例え日本の曲のファンであっても“全国的なパーセンテージ”でいうと、まだまだ少数派だったのです。(彼が“商店の子”というのがミソでしたネ、今思うと)(経済力を持っている“オトナ”は別ですヨ。飽く迄も“1960年代前半の中学生”が今回のテーマです)

 ただ、レコードを持っている・いない、に係らず、曲そのものは皆知ってるんですね。ここが現在と全く“逆”といえるのではないでしょうか。昨今のCDの“枚数”はこの時代に比べて桁が二つほど増えているにも係らず、あまり巷に流れているような気がしないのですが・・・。

 ま、それはそれとして。今回の本題はコレではありません。

 新しい学校に通い始めてから数ヶ月後、“春の遠足”というのがありました。その時、クラス内で回って来たものがあり、(皆で歌おう)『歌詞集』風なガリ版刷りの紙でした。

 ナント!そこには『スーダラ節』もあり、「ほほぉーー、なかなかわかっているヤツも(このクラスに)いるのか・・・」と思いました。その中に中尾ミエ・バージョンの『可愛いベビー』がありました。(この当時は“ベイビー”ではなく《ベビー》だったんですね。今でも“ベビー用品”といってますよね。“ベイビー用品”とはなってないでしょう。時代の名残ですナ)

 歌詞カードの歌い出しは



 ♪ 可愛いベイビー と呼ぶのは 愛しているからかしら



 までは良かったのですが、次に“驚愕の歌詞”が書かれてありました。



 ♪ ヒテレツ・ベイビー わたしのベイビー



 ハッキリと“ヒ・テ・レ・ツ”と書かれてあるではありませんか!

 なんですか?この“ヒテレツ”とは??

 Pretty little =ヒテレツ

 なるほど。(“空耳アワー”か!)

 確か、ミンナで歌った、という記憶がないので、この“企て”は実行されなかったように思うのですが、それにしてもクラス全員が大声で“ヒ・テ・レ・ツ・ベイビィー!”と歌っている光景を考えると・・・。

 遠足終了後、この歌詞カードの制作者をつきとめて会話を交わしました。

 その人物は、

 千葉信行

 という名前の人でした。

 (コアなナイアガラ・ファンなら、布谷文夫の『冷たい女』でこういう“字”を見た事があると思います・・・)

 これから“五年後”、この千葉君の先輩バンドの練習を見に行った時に、《東京R&Bファイブ》なるグループのリード・ボーカル“布谷文夫”氏と出会うことになるとは・・・この時点では知る由もありません。

 彼とはこのような《キテレツな出会い》をしてしまったのでした・・・。

 (それにしても、コレも“コニー・フランシス”絡み、なんですよネ)



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