「英語の勉強のため」で押しに押しまくりました。調べて見ると、このマシンの発売は1961年(私が購入した前年)だったようで、値段が“1万9千8百円”とありました。
現在では中学生どころか、小学生でも“録音機”(例えばラジカセ)を持っていますから、テープレコーダーが高価だったとは想像しにくいかもしれませんが、この年の公務員の初任給が“1万5千7百円”とモノの本にあります。母親は10年以上のキャリアがあったとはいえ、地方公務員ですからね、かなり悩んでましたよ、これの購入は。
ま、“一人息子”ですし、あんなに遊びほうけていた子供がようやく「勉強する!」と言い出したワケですから、一応“教師”という立場もあって許可したのだと思います。(“英語”が良かったんですね。これが数学や地理ではテープ・レコーダーと関連づけるのはムズカシイですから)
もちろん!
コレを“何に”利用したのかはいうまでもなく、とにかくラジオから音楽を録音するためでした。(今でいうならエア・チェック)コレをしたいがために買ってもらったワケですからね!
小学六年の時に我が家に“電蓄”が来た、と前に書きましたが、その電蓄を作ってくれた先生が放課後に《ラジオの作り方》などを教えてくれたりしていて、放送部の顧問ということもあり、よく放送室に入り浸っておりました。そこで見た(大きくて重い)テープ・レコーダーをいつかは手に入れたい・・・と、その頃から思っていたのです。
どこからこのテープ・レコーダー情報を手に入れたのか・・・の記憶はありません。少年雑誌からなのか・・・。
これと“同じ”テープレコーダーは細野氏が持っておりました!(他に、知り合いでコレを持っていた人と出会ったことがありません。細野さんだけでした)細野宅へ行った時に、当時使っていた5号のテープ、リールがあり、「同じだぁ・・・」と懐かしい思いにかられました。
後の1981年、CBS“ソニー”さんと縁が出来て、当時の小沢社長と会食した際に、このテープ・レコーダーの話をしたところ、小沢さんは60年代初期はソニー本社の営業部にいてこのマシンの売り出しに汗を流していた、と非常に懐かしそうに語っていました。(実は私、このテープ・レコーダーの番号を“TC−123(後継機)”と勘違いしていて、『ロンバケ』のレコード番号との附合ドラマを作り上げていたのですが・・・111、だったと知って少しザンネンでした・・・)
ま、どちらにせよ、“ソニーさん”とは1962年からのオツキアイ、ということになります。
ただ、母親からの交換条件として、しばらくは“お小遣い減額”を言い渡されまして・・・(母親本人も緊縮財政を強いられたようです)。よって1962年の“レコード”はあまり持っていないんです。レコード・コレクションは“1963年”から始ります。
しかし、“個人所有”のテープレコーダーがありますからね。片っ端から録音しまくりましたよ。当時のヒット曲を全部覚えているのはこのテープ・レコーダーのおかげなんです。この頃は、録音して“歌詞を聞き取る”、何度も聞きますから覚えます、覚えたら消す、これの繰り返しでした。(テープも数本あり、“どうしても”というものは消さずに取っておくこともありましたが高価でしたからねぇ、これも。ラジオ局やレコード会社ですら“使いまわし”をしていた時代ですから)
『カラーに口紅』からポップスへの興味→電蓄(ステレオ)→ソノ・シート→テープ・レコーダー
これで《ポップス元年 1962》がスタートする要因が取り揃いました。