Record 04 : ポップス元年 1962 (2004.1.23)
 中学二年の1962年、二度目の転校を経験したのですが、この写真は引っ越しして間もない、初登校の前日だったような記憶があります。

 机の右端にある野球選手の写真は、西鉄ライオンズの“豊田泰光”選手です。なぜ豊田さんを飾ったのか・・・不明です。ただ、小学校時代の机を見ると、長嶋・王の他に《杉浦・野村》のバッテリーの写真も飾ってあり、基本は“野球ファン”であった、ということの証明ともいえると思います。(豊田選手は、昨今の例でいうなら西武の“辻選手”のような存在でしたので、シブ好みであることのプレゼンテーションの意味もあったのか、と・・・)

 左下にある《貯金箱》ですが、ここに書かれてある絵は“お相撲”です。

 やはり、ここに至っても《野球と相撲》がまだ関心事であったことの現れとも思われますが、以前ほどの熱はこの時点ではなくなっています。(後述)

 左上のカバンですが、ここにナゼか《速球》と書いてあります・・・。これが何の意味なのか全く不明です・・・。

 左大臣・右大臣に“相撲・野球”を配して、その中心にいるのが、これまたナゼか《考える人》なんですねぇ・・・。

 この時から“考える人”を、始めていた、ということでしょうか・・・。

 この前年の中学一年生の時に、自分のイノチでもあった《野球ゲーム》《相撲ゲーム》を母親によって“焼かれる”という事件がありました。あまりにゲームに熱中して遊んでばかりいるムスコの姿を見かねた母親が、「中学生になったのだから、少しは勉強しなさい!」という思いからだったのでしょう。この頃から、それまでの野球熱・相撲熱が次第に失せて行きましたが、結果的には次なる熱中のネタとなる《ポップス》が占拠する下地を作っていたと、今にして思えば、いえるようです。

 『技術家庭』の教科書が一番前に置いてありますが、新しく始る科目なので、その期待感を現していたと思われます。(しかし、二番目にキライな科目となってしまいました・・・)

 立てて置いた教科書群の左横が“英語の辞書”群です。三省堂、岩波、更には“英英辞典”“類例辞典”等も揃えていて、一番トクイな科目でした。

 この“英語好き”が《ポップス元年》の最大の引き金となりました。

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