Record 01 : 「カラーに口紅」 コニー・フランシス (2004.1.5)
 ナイアガラ・ファンの一部で有名なハナシとして“カラーに口紅ばなし”がありますが、それに関しての訂正があります。

 『オール・アバウト・ナイアガラ』の年代記にある「カラーに口紅を聞いてポップスに目ざめた」は本当のハナシですが、その年が1959年ではなく《1960年》の間違いでした。ここに訂正致します。

 “私の”年代の覚え方の基本は、「小学校六年生=1960年」なんです。六年の“六”と60年の“6”が同じ、ということで、それを基点として前後を計算しています。「アレが小学校五年のことだったか・・・六年のことだったか・・・」程度の記憶だったんですね。

 ビルボードでは“59年”のヒット曲、となっているのでそれも勘違いのモトになっていたと思われます。当時は、アメリカでヒットしてから早くても三ヶ月後、大体“半年遅れ”ぐらいで日本でヒットする、という構造でした。『ミュージック・ライフ』を見ていたら「カラーに口紅」が日本でヒットしたのは59年の“冬”とありました。となると“59年の夏”にヒットしているはずはないので、あれは《60年の夏》だったようです。

 ま、たかが一年の記憶違いぐらい、9歳や10歳のことだから・・・とも思いますが・・・「歴史の捏造」だけはしたくないですからね。要因となりそうな事柄も、判明したらどしどし訂正して行きたいと考えております。

 この「カラーに口紅」がポップスの入り口になったことは確かですが、この時期はまだまだ《漫画・相撲・野球》が私にとっての三種の神器の時代でした。(この頃のコドモの殆どがこうだったと思います)

 昭和33年、長嶋巨人入団。東京タワーが出来る。若ノ花が横綱になって“栃若時代”。「週刊ベースボール創刊」。翌昭和34年には「少年マガジン」「少年サンデー」創刊。因みに「週刊文春」も同じ昭和34年。(この33年と34年が記憶では混同されているのも“一年のズレ”が起きる原因とも考えられますね)

 私の本格的な“ポップス時代”が始るのはもう少し先のことです。

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