『小林信彦さんと私』では、以前のペンネームの中原弓彦的世界といいますか、芸能評論的なものを中心に紹介しましたが、小林さんのレパートリーは、言うまでもなく、アレだけではありません。(作家は“レパートリー”とは言わないのか?“出し物”?でもないし)
アレだけで小林さんを理解するということは、〈はっぴいえんど〉や『ロンバケ』もなしで、70年代中期の作品だけでナイアガラを理解することと同じですからね。
『東京のロビンソン・クルーソー』(74)にも小林さんの生まれ育った“下町”のことを書いた文章がありましたが、そのテーマを追求したのが『私説東京繁盛記』でした。(中央公論/84・8)写真は“アラーキー”こと荒木経惟。彼が撮るのは“ヘヤー”だけではないのです。(我々の世代にとってのアラーキーは、こういうタイプのものを撮る写真家という印象が強い)
それが92年8月に筑摩書房から“新版私説東京繁盛記”となって改訂され、更に続編的な『私説東京放浪記』が10月に出版されました。
その“下町”をテーマにした“決定版”ともいえるものが今回の作品です。江戸から九代続いた老舗の和菓子屋を、十代目の小林信彦さんが潰す(跡を継がない)という“実話”が中心なのですが、描かれているのは“(近代に於る)下町”がどういうものだったのか、ということです。(「いわゆる“べらんめえ言葉”は職人や河岸の言葉である。商人はあんな言葉は使わない。品物を売ってお金をいただく商人が、喧嘩口調でものを言うはずがない。生まれてから二十歳で両国を離れるまで、ぼくは“べらんめえ言葉”を耳にしたことは一度もない」という文章は、落語や“江戸弁”を誤解している人への“釘さし”ですね)
この本は成瀬巳喜男の映画を見ているように読める本ですが、今週号(96・10・3号)の「週刊文春」のコラムでも、川本三郎さんの『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』を取り上げているのはこの流れからだと思います。(川本さんの『ETV特集』での成瀬研究は“保存版”にしています)
更に娼婦が主人公の映画『リービング・ラスベガス』と『AV女優』(VZでお馴染みのヴィレッジ・センターの出版(^_^))から、話は“コギャル”にまで及ぶ所が小林さんの小林さんたる由縁夏腹ハウンドドッグです。
「『荷風と東京』でつくづく思ったのは東京における私娼の多さである。コギャルが援助交際を求めてけしからんと識者は言うが、彼女たちは(世が世であれば)公娼・私娼で稼ぐ人たちで、たまたま中学や高校に行っているだけなのだ」はけだし名言ですナ。(この“けだし名言”という言葉は、70年代中期に山下・銀次・大瀧の間で流行したものです)
ヴィレッジ・センターの家頁にはこの小林さんの、『AV女優』に関してだけの文章をピックアップして載せています。
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