(1996年8月13日)
1972年12月。ベルウッドからリリースされたファースト・アルバム『大瀧詠一』の歌詞カードには“PRODUCED BY EIICHI OHTAKI”という文字列が見られます。これは今考えて見ると、ミュージシャンが自らをプロデュースし更にそれを“クレジット”した、日本に於るミュージシャン・プロデューサーの第一号だったようです。 (自ら“クレジットした”というのがミソですね) この直後に〈はっぴいえんど〉が解散。私はプロデューサーの道を歩みはじめたわけですが、自分以外の“プロデュース第一号”は伊藤銀次率いるごまのはえでした。 彼等は72年、シングル「留子ちゃん」でベルウッドからレコード・デビュー、「アルバムのプロデュースは大瀧に依頼したい」というメンバーからの申し出があり、当時ベルウッド・ディレクターの三浦光紀氏(現フォノグラム役員)と共に大阪へ飛び、初対面のその日に意気投合し、銀次君の“こ綺麗な”アパートへ招待されたのでした。(後日談では、グループ内では細野にするか大瀧にするかの会合が開かれたとのことです) |
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