ご自身の役をどのように演じていますか。
首藤さんには会えなかったんですが、首藤さんが文章で書いた「我々は人が嫌がるところにカメラを向けたり、目を背けたくなるような瞬間もカメラで撮ったり、記事で書いて、神戸新聞として発行していた。こういう時に自分が血だらけになったとしても、あれだけ普段は取材して記事として出しているのに、今こそ、どんなに大変でも記事を出さなくて、何が記者やねん」という一節を元にやっています。演じる上で「とにかく新聞は出さなきゃいけないんや」というのが核になっています。
このドラマに対する思いは?
阪神大震災の時、ちょうど仕事をしていて阪神大震災と聞いて大変なことが起こっているなと思ったのですが、家に帰って、父から「お前、おじいちゃんとおばあちゃんの家、覚えているか?」と聞かれて、テレビをバチッとつけられ、「今はこれや」と全壊した家を見せられて、「そうだ、うちの実家はまさに神戸だったんだ」と思い出し、ニュース映像の前で愕然とした思い出があります。
二年前に三宮に行くことがあって、その時の三宮の風景を見て、ここまで復興したのかと思ったら胸が熱くなりました。今回のドラマの中で記者全員が言っているセリフなんですが、「忘れちゃいけないこと」だと三宮の復興した姿を見ながら胸に刻みました。
ドラマの中の印象に残っているシーン
首藤さんはちょうど震災の日、たまたま休みで、早い時間から酒を飲んでこたつで寝ていた明け方に震災が来たんです。両膝で落ちてきた食器棚を受け、お酒を飲んでいたから、ものすごい出血で、膝下全部が血だらけになったんですが、それでも神戸新聞に出社し、京都に行って新聞作るんやといって、ものすごい思いで京都新聞に向かいます。そこで、京都新聞に入っていくシーンで、神戸からたった数十キロしか離れていない京都新聞の編集局内はまるっきりきれいだったというシーンが印象的です。京都新聞の人たちも、地震が自分たちが想像していたものを遙かに超える大きさだったんだというリアクションが心に残るシーンです。