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もやもやが晴れました。

 投稿者:匿名  投稿日:2011年 6月 8日(水)12時51分10秒
返信・引用
  私は山口県在住の現在は創価学会ですが、貴君の論説を何回も読み、気分が晴れました。
牧口氏は何を諌暁したのかという疑問は昔からあったのですが、結論として、何もされなかったということがよく分かりました。

脱会に関しましては親親戚の関係上、今は無理でございますが、一度日蓮正宗寺院を訪問してみたいと考えております。ありがとうございました。

 

Re: 敗北者の論理

 投稿者:ロム男  投稿日:2011年 6月 8日(水)12時03分32秒
返信・引用
  > No.880[元記事へ]

れいなさんへのお返事です。

> 敗北者とは、


敗北者とは、一切の詰問に返答できず、己の無知故に行き詰まり、挙げ句の果てに、他人に助けを求め、さも己の投稿であるように偽装投稿してもらう、卑怯者の事を言う。


さて、一方的に掲示板を閉鎖した卑怯者の為に、今後は、当掲示板で痴論を破すことにする。

法太…いや、れいな君、心してかかって来なさい。(苦笑)

しかし毎度毎度の事だが、ホケコと云う、得体の知れない奴らには、男のプライドと云うものが無いのか?
 

毎度お馴染み

 投稿者:よりみち  投稿日:2011年 6月 8日(水)06時51分40秒
返信・引用
  勝利の自己申告、ご苦労様(笑)  

敗北者の論理

 投稿者:れいな  投稿日:2011年 6月 8日(水)04時47分50秒
返信・引用
  敗北者とは、

①詭弁を使い何とか逃げようとする。

②敗北した後で言い訳を考える。

③後の祭りということを知らぬ。

④一人でわめき倒し、醜態をさらに炙り出す。

尚、勝者は、

①詭弁を使わず。

②勝利する前に敗者に弁明の機会を与える。

■■■■■■■■■■

今夜の22:00時まで待つ。

以下の回答無き場合、貴殿は敗北、遁走したものとみなす。

①「石黒英彦氏訪問記」における牧口氏の国家諌暁の第一義とは何か?

質問はこれだけだ。

くだらん定義論など、どっちでもよい。一行でよい、回答せよ。

回答無き場合、貴殿は敗北、遁走したものとする。

尚、敗者の常であるが、敗北後にブツブツと文句を言う。それは無しとせよ。

そこで貴殿に一度だけ弁明の機会を与えるとする。回答期限は本日夜10時である。

回答出来ぬ場合、敗北を認めたこととする。

http://6730.teacup.com/tasakuikeda/bbs/716

以上、



 

Re: はじめまして

 投稿者:れいな  投稿日:2011年 6月 8日(水)04時38分21秒
返信・引用
  > No.878[元記事へ]

味浪賢太郎さんへのお返事です。

ありがとうございます、お待ち申し上げます。
 

はじめまして

 投稿者:味浪賢太郎  投稿日:2011年 6月 8日(水)00時41分40秒
返信・引用
  初めて書き込みいたします。めでたく脱会させていただきましたので歓喜と希望が湧いてこちらの掲示板を利用させていただきました。ようやく踏ん切りが付きました。創価学会それは私の人生を随分左右し、蹂躙し、無駄な荷物になった存在でした。詳しく書けば長くなるので掲示板では省略しますが池田大作という男やそれを中心とした全体主義や暗黙の忠誠を毅然とクソと呼べる今は私の人生で最高の幸せと感じています。詳しくは管理人様へメールします。あまりに過激であまりに酷い学会での信仰生活の体験を管理人様だけに教えて差し上げます。
 

御注意!

 投稿者:れいな  投稿日:2011年 6月 7日(火)23時58分51秒
返信・引用
  串投稿は全て削除。投稿者の編集機能はありません。
誤字にはくれぐれもご注意ください。

 

創価教育学会初代会長、牧口常三郎氏は国家諌暁したのか?

 投稿者:れいな  投稿日:2011年 6月 7日(火)23時42分21秒
返信・引用
     ① ロム男氏は、『第四回 大善生活実証録』に収録されている「石黒英彦氏訪問記」をもって「国家諌暁の証」とされているが、そもそもこれは、当時の学会青年部長・神尾氏、幹事・片山氏、そして同じく幹事の辻氏が昭和16年11月初旬に石黒氏宅を訪問し、その内容を報告書としてまとめ上げたものであり、牧口氏が石黒英彦氏に面会し諌暁したものではない。これを以てロム男氏は「牧口氏、国家諌暁の証」としている。

画像 ① 参照されたし
画像 ② 参照されたし

② 次に、ではこの三名が「何を第一義」として訪問したのであろうか? それは「今夕訪問の目的は大善生活の提唱」と書かれているよう、日蓮正宗の信徒として諌暁したものではない。日蓮正宗における諌暁とは「大聖人の仏法を以て相手の邪義を破折し、折伏すること」は当然である。

画像 ② 参照されたし

③ 摧尊入卑

まさしく当時の創価教育学会は、大聖人の仏法に価値論を含む新興宗教さながらである「大善生活」を大聖人の仏法の中に組み入れることを最大の目的としていたのである。これは摧尊入卑ということであり、大謗法ということだ。

④ ロム男君は「諌暁とは・・(大善生活・価値論)・・も広義の意味で諌暁である」と述べられているが、それならば、ほんみち(天理本道)も「神政実現の教義」を旗印とし国家を諌暁したこととなる。どこが違うのであろう。日蓮正宗信徒の諌暁とは大聖人の仏法を広めることである。これを石黒英彦氏訪問目的の第一義とすべきである。

【総論】

① 確かに牧口氏は国家諌暁を叫ばれたのは事実である。しかしそれを具体的行動とした証拠はどこにも見当たらない。あれば「いつ、どこで、どのような諌暁を誰にされたのか」後学のためにご教示願いたい。

②『大善生活』という邪義を摧尊入卑した初代牧口氏の謗法は明らかであり、結局治安維持法により特高警察に不敬罪で逮捕され、獄死したのである。掛け声とは裏腹に、一人の閣僚、役人をも折伏出来ず、気が付けば殆どの会員が脱会し、創価教育学会は崩壊寸前状態となった。明らかに「大罰故の死」を蒙ったということだ。

③ 現在の創価学会の文献、また公式サイトを検索しても、牧口氏の具体的な行動を示す情報は得られない。なぜか? 諌暁など一切していないからであり、また牧口常三郎の行動に興味を持つ会員が増えることを恐れているからである。特に東南アジア、米国などの会員に牧口研究が深く入り込むと、「戦争を賛美、大東亜共栄圏賛美、天皇賛美の実態」が世界に広く知れ渡り、「世界平和の教団」という表向きの顔にドロが付くからに他ならない。

以上、



【参考資料】

【学会員側資料 価値[再]創造より抜粋】

① 牧口先生の失業の法華経誹謗の罪は深く、仏勅(ぶっちょく)のほどはきびしかったのでありましょう
(中略)
 ちょうど、牧口先生のなくなったころ、私は二百万遍の題目も近くなって、不可思議の境涯を、御本仏の慈悲によって体得したのであった。その後、取り調べと唱題と、読めなかった法華経が読めるようになった法悦とで毎日暮らしたのであった
(1951年 戸田城聖『創価学会の歴史と確信』)

② 戸田城聖 戦争では勝ちたかった。負けるとは思っていなかった。私の今もっている信念は、当時はなかった。私には教学もなかったし、勉強もしてなかったからなんだ。初代会長は勝つと言っていた。教線が延びたのは日本の戦勝と一致していたし、学会の弾圧と敗戦への方向が一致し、初代会長の獄死と共に本土空襲がはじまったので、その結び付きは考えた。
(『宗教と信仰の心理学』 P36)

③ 牧口先生は<失敗会長>であられて、<判っていないのに会長に成ればどう成るか>という見本が眼前にある。牧口先生は生命論も十界論も一度も説いていない。牧口先生が正宗の信仰の会長として失敗会長であられた事は、石田が勝手に気づいたものではない。戸田先生に教えられて判った事である。先生は石田には『(牧口)先生の行き方――仏法へ価値論が入ってしまう事。価値論での信仰生活指導を指す――でやれば、仏法ではなくなる。ここに戦前の失敗が在った。価値論は九重の劣たから捨てた。だから(戸田は)生命論と十界論から説くのだ』と明示しておられたし、幹部一般に対しては『戦前は、一つには組織が無いために潰(つぶ)れた。もう一つには教学が無くて潰れた』と表現して教えておられた。弟子として露骨(ろこつ)に師を<失敗会長>とは表現できないから、大勢に対してはこういう言い方で教えておられた。(石田次男 『内外一致の妙法――この在るべからざるもの』)


④ 仏法でないもの(社会科学)信仰者の生活指導原理に持ち込んだこと……これが当時の学会の致命傷だったのです。俗諦(ぞくたい)で信心の指導をすれば、必ず六道輪廻してしまう――だから創価教育学会は跡形も無く消え去っただけであります。このことが、入獄以前からの戸田先生の密かなる悩みでありました。当時それを表立てて表明できない弟子の苦悩……察すべきであります。
(石田次男 『内外一致の妙法――この在るべからざるもの』)
http://renoir.dreamlog.jp/archives/51320299.html#



【法華講員側資料・創価学会SGIを本音で語ろうより抜粋】

「牧口氏は所属寺院の歓喜寮主管堀米泰栄師と議論し、
『もう貴僧の指導は受けない』と席を蹴(け)って退去し、本山宿坊理境坊住職の落合慈仁師とも別れ、牧口氏に率いられる創価教育学会はここで日蓮正宗と縁が切れ」(竹尾清澄著『畑毛日記』)
とあるように、宗門から離れて学会独自の路線を指向したところに、「空転」の極みがあったといえよう。

しかし、弾圧による組織の壊滅という辛酸(しんさん)を味わった戸田氏は、出獄後、日淳上人のもとを訪れ

「申し訳ありませんでした。二年間、牢で勉強して自分の間違っていたことが、わかりました。(中略) これからは何もかも、お任せいたしますので、よろしく頼みます」(法照寺御住職・石井栄純尊師が六十五世日淳上人の奥様から伺ったお話)と、深く懺悔(ざんげ)の姿を示したという。

その後の戸田氏はこうした反省を踏まえ、信仰的に「空転」していた創価学会を日蓮正宗の信徒団体として軌道修正し、多くの学会員を成仏に導いていったのである。

しかるに今日、宗門から破門され、会員には「魂の独立」などと言葉を濁して、日蓮大聖人の御法魂たる戒壇の大御本尊と御法主上人から会員を遠ざける池田大作---これでは戸田氏の苦労も全て水の泡であり、池田が頻繁(ひんぱん)に口にする「師弟不二」も空々しく響くばかりではないか。
http://circleplayer.com/ad28005/thread/1100096163884


 

何だ、この顔!

 投稿者:れいな  投稿日:2011年 6月 7日(火)10時35分57秒
返信・引用
  まるで蝋人形だ!!!

http://blog.goo.ne.jp/gakkaia-z/e/c28a7fc244b7d8a42a50c7e950d0934c

 

発砲:聖教新聞販売店2階窓枠に銃弾 福岡

 投稿者:れいな  投稿日:2011年 6月 7日(火)10時23分24秒
返信・引用
   5日午後10時55分ごろ、福岡県直方市溝堀の聖教新聞直方販売店の男性店長(41)から「2階のトイレのガラス窓が割れている」と110番があった。福岡県警直方署の調べによると、ガラス窓(縦約65センチ、横約90センチ)が縦5センチ、横2センチにわたって割れ、窓のサッシ枠に銃弾のようなものが刺さっていた。発砲による器物損壊事件として調べている。

 調べでは、建物は2階建て店舗兼住宅で、銃弾はほぼ水平の状態で2階窓のサッシ枠に刺さっていた。販売店の脇には、遠賀川に沿った高さ約5メートルの土手があり、そこから撃った可能性もある。販売店を狙ったかどうかを含めて調べている。

 また5日午前9時ごろに2階トイレを使った時には異常はなかったという。発見当時は店長ら家族4人がいたが、けが人はいない。発砲音などは聞こえなかったという。同署によると、店長ら家族に目立ったトラブルなどはなく、店長も「身に覚えがない」と話しているという。

 現場はJR直方駅の南東約1.5キロで、遠賀川と彦山川に挟まれた住宅街。

 福岡県内は今年に入って発砲事件が7件と相次いでいる。

 

これが日蓮正宗の模倣「創価学会の勤行だ!」

 投稿者:金まんこ大作  投稿日:2011年 6月 6日(月)14時44分26秒
返信・引用
            「方便品・自我偈の読誦と唱題」

            初めに御本尊に向かい(鈴)、題目三唱します。

  諸天供養(朝のみ)
            御本尊に向かって、諸天善神に法味を送る題目を三唱します。
         諸天善神の守護に感謝し、威光勢力が増すよう、
                                題目の法味を送ります。
                            と心の中で祈念の後、題目三唱します。

  方便品(鈴)、自我偈(鈴)、唱題(鈴)の後、題目三唱します。

一、御本尊への報恩感謝
        一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊に南無し奉り、
                                                報恩感謝申し上げます。
        末法の御本仏・日蓮大聖人に南無し奉り、
                                                報恩感謝申し上げます。
        日興上人に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。
        日目上人に報恩感謝申し上げます。
                            と祈念の後、題目三唱します。

一、広宣流布祈念
        広宣流布大願成就と、創価学会万代の興隆を
                                                御祈念申し上げます。
        創価学会初代、二代、三代の会長を広布の指導者と
          仰ぎ、その死身弘法の御徳に報恩感謝申し上げます。
                            と祈念の後、題目三唱します。

一、諸願祈念ならびに回向
        自身の人間革命と宿命転換を祈り、
              種々の願いが成就しますよう御祈念申し上げます。
                            (種々の祈念はここで行います)

        先祖代々ならびに会員・友人の諸精霊追善供養のために。
                            (回向の中で鈴を打ちます)
                            と祈念の後、題目三唱します。次に

     世界の平和と一切衆生の幸福のために。
                            と祈念の後(鈴)、題目三唱して終わります。
 

「池田大作」と「五つのお墓」の物語

 投稿者:銭形平次  投稿日:2011年 6月 4日(土)16時06分33秒
返信・引用
   創価学会の池田大作名誉会長が公の場から姿を消して1年が過ぎた。この大震災に際しても音沙汰なく、健康危機説の真実味は増すばかりだ。すでに水面下では大権力者の墳墓に関する話題が取り沙汰されているという。実は彼にゆかりの墓が5つもあったのである。

「池田先生の体調がおもわしくないんだ。先生の身にもしものことがあった場合、レーニンのように、ご遺体をミイラ化し、会員が永遠に祀れるようにしたい。八王子の地にレーニン廟のような〝池田廟〟を作り、聖地にできればいいんだが」
 創価学会のドン、池田大作名誉会長(83)をミイラ化する……発言の主は、こう大真面目で語ったという。平成15年5月頃、ある元学会幹部が副会長クラスの人物から聞かされた話である。その元幹部が言う。
「この時期、池田名誉会長がーカ月ほど公の場から姿を消したことがあり、体調不良説が流れました。その頃、ある大幹部からこの話をされたのです。部外者から見れば荒唐無稽かもしれませんが、彼は真剣そのものの面持ちでした」
 その池田名誉会長に1年前から健康不安説が流れているのは、各種報道でご承知の通りだ。
 ある古参信者は、
「公の場に1年も出てこないため、〝脳梗塞の後遺症で車椅子状態。発語障害があり、認知症も進んで大幹部の顔も分らなくなっている〟と噂されています。いよいよXデーが近いとか……」
 無理もない。東日本大震災という天災が発生したに、もかかわらず、陣頭指揮をとるどころか、何ら肉声メッセージさえ発信できていないのが現状である。今回の大震災で、御大の〝当事者能力喪失〟が明るみに出てしまったのだ。
 公明党の事実上のオーナーであり、日本の政治に大きな影響力を及ぼす池田名誉会長の健康問題である。世間の関心が教団の後継間題に向かうのは当然だが、もう一つ重要なのが、万一、この大権力者が身罷った場合、どこにどう埋葬されるのか、という点。池田氏のお墓の話である。

異宗徒の墓

 池田家にまつわる墓は全国で5カ所あるとされる。そのうち一番最初に作られた墓から話を始めよう。
 東京都大田区大森。マンションや商店が並ぶ一角にその寺はあった。
 平安時代に開創され、1100年以上の歴史を持つ密厳院。境内には、あの〝八百屋お七〟を祀ったお七地蔵なども安置されている。ちなみに大森は池田氏の生誕の地でもある。当地で海苔製造業を営んでいた父・子之吉(ねのきち)氏が昭和30年にこの密厳院にお墓を建立した。
「子之吉さんは、昭和20年、にビルマで戦死した長男の喜一氏を供養するためにうちに墓を建てられたのです」
 というのは、住職の喜田啓照氏である。なお、池田氏は10人きょうだいの五男坊だ。「その翌年、子之吉さんもお亡くなりになり、このお墓に納骨されました。ですから、ここにはお二方のお骨が納められています。子之吉さんの死後は次男の増雄さんがお墓を継がれた。その増雄さんも逝去され、今ではお墓の所有者はその息子さんになっています」 ここが池田家のそもそものお墓であるが、奇妙な点がある。実はここは真言宗智山派の寺院。池田氏らが日頃、邪教としている異宗徒の墓地なのだ。
「このお墓の存在によって、浮かび上がってくる事実があります」
 というのは、学会問題に通暁し、『池田大作金脈の研究』(第三書館)などの著書があるジャーナリストの野田峯雄氏だ。
「つまり、会員には〝親兄弟や友人を折伏して入信させろ〟と大号令をかけながら、自分は父親の子之吉さんさえ折伏できなかったということです」
 野田氏によれば、池田父子の間には宗教を巡って激しい相克があったらしい。
 池田氏が創価学会の第3代会長に就任した後の昭和40年代、この大森のお墓を巡ってある〝異変〟が起きた。
「まだ存命だった増雄さんが来られ、〝弟がああいう立場なので……〟と、お父さまと長兄の遺骨を分骨したい旨の申し出をされました。本堂で分骨したことを今でも覚えています」(前出・喜田住職)
 池田氏の意向で、分骨が実施されたようなのである。
「この時、二人の骨は、学会が土地を提供し、日蓮正宗が開発・運営している東京・八王子の高尾墓園に移されました。子之吉氏の法名も『浄徳清道信士』から、『種田院法子日実居士』に替えられた。喜一さんの戒名もしかりです。要するに父親も長兄も池田氏によって、二つの全く異なった宗派の法名を持ち続けるという、実に奇妙なホトケさんにされてしまったのです」
 と、前出の野田氏。それにしても、なぜ彼はこのようなことをしたのか。
「推測になりますが、本人にしてみれば、〝自分が家族も折伏できず、まとめられなかった〟といわれることは我慢ならない。お骨をそのままにしておくと、この事実が残るので、容認できなかった、ということではないでしょうか」(同)
 いずれにせよ異教の宗派のお墓であるから、池田名誉会長が死後、ここに永眠することはまずあり得ない。 次に建てられた池田家の墓は、野田氏が語った、八王子市の高尾墓園である。
 この墓園がオープンしたのは昭和38年。3000坪ほどの広大な土地を創価学会が日蓮正宗の総本山、大石寺に寄進した。ただ造成は日蓮正宗が行い、その後の経営も総本山が行っている。墓園を管理する常修寺の関係者が語る。
「この墓園には学会の初代会長、牧口常三郎氏や2代会長の戸田城聖氏らのお墓もあります。池田大作さんはその区画の周辺を学会用に押さえました。池田家の墓も牧口、戸田家のすぐ下に設置したのです」
 前述したようにここには、池田氏の父、子之吉氏と長兄の喜一氏が分骨され、後には母、一(いち)さんや昭和59年に29歳の若さで急死した池田氏の次男、城久氏のお骨も納められている。池田氏もここに埋葬されていい筈だが、そうもいかない事情がある。なにせ、高尾墓園は日蓮正宗が運営している。本来、日蓮正宗の一信徒団体に過ぎなかった創価学会。それが巨大化し、〝池田教〟へと変貌する中で、宗門と激しい〝戦争〟を繰り広げたことはご存じの通りだ。その結果、平成3年、池田氏率いる創価学会は日蓮正宗から破門されてしまった。池田氏にしてみれば、その憎き仇敵の運営するお墓に入れる筈がないのである。
 3つ目に紹介するお墓は古都、鎌倉の「鎌倉霊園」にある。昭和30年代に西武鉄道が開発したものだ。この地に、昭和49年、前述の増雄氏が年老いた母親、一さんと自分のためにお墓を用意した。なお、この鎌倉霊園は無宗派の墓苑である。
「増雄さんは老齢の母の面倒を見て、一緒に暮らしていました。その母親が昭和51年9月に亡くなり、鎌倉霊園で供養しようとした。この時、割って入ってきたのが、池田さんです。すでに学会の3代会長となっていた彼にしてみれば、母親を無宗派の霊園に埋葬ざれては周りに示しがつかず、たまったものではない。だから、葬儀の喪主は増雄さんでしたが、実質的には創価学会に取り仕切らせました。まだ蜜月関係だった日蓮正宗のお寺で、品川にある妙光寺において葬儀は営まれた。そして一さんの死の翌年、彼は、日蓮正宗総本山の大石寺に墓を建立。結局、一さんのお骨はその大石寺と高尾墓園、鎌倉霊園の3カ所に分骨されたのです」(学会ウォッチャー)
 ともあれ、この増雄氏が建立した鎌倉霊園の墓も無宗派だけに、池田名誉会長の墳墓としての適格性を欠いている。
 次にご紹介するのは、いわずと知れた日蓮正宗のお膝元。前述した総本山大石寺にあるお墓である。 富士山を望む、緑豊かな墓地にある池田家の墓は一際、豪壮なものである。「建立は昭和52年9月6日。これは池田氏の母親、一さんの命日です。したがって母親のお骨を分骨するために建立されたお墓ということが窺えます」
 と語るのは、日蓮正宗の宗務院渉外部の担当者だ。
「墓石には、他に子之吉氏、喜一氏の名前も刻まれていますが、納骨されているかどうかは分りません。ただ、名前の記されている次男の城久氏はここに分骨されていると思います。池田氏は破門される直前まで総本山に参詣していました。その際にお墓参りもしていたでしょう。今もお墓はいつも綺麗に掃除され、樒(しきみ)もよく取り替えられていますよ」
 本来、「学会VS宗門」戦争がなければ、こここそが大本命。ご本人も入るつもりで建てた墓だったと思われる。しかし、破門された今となっては、この墓に埋葬されることは100%ないと断言できる。
 最後に紹介するお墓は、奈良・生駒の山間の町にある。日蓮正宗・法雲寺。ここに池田氏が墓を建立したのは、昭和58年のことだ。
「法雲寺の住職だった故・石川秀頴(しゅうえい)氏と池田さんは非常に親しい間柄だった。そうした関係から、池田さんが石川さんのお寺に約1000万円ものお金をかけ、墓を建てたと聞いています」(前出の学会ウォッチャー)
 現在、墓には誰の骨も入っていないという。いずれにせよ、ここも日蓮正宗のお墓である以上、池田名誉会長が埋葬されることはあるまい。
 こう見ると、池田氏は5つも縁(ゆかり)の墓地がありながら、そのいずれにも居場所がないことになる。大教祖様にすれば何とも寂しい限りで、哀れにすら感じられる。

〝聖地〟新設

 では、池田氏にもしものことがあった場合、本人や家族はどこに埋葬することを望んでいるのだろうか。
 ジャーナリストの乙骨正生氏の見立てを聞こう。
「私は、破門される前の池田大作氏が大石寺に登山したように、あるいはムスリムがメッカを巡礼するように、会員が巡拝するための新たな〝聖地〟を作ると思います。〝これが現代のご本仏である池田先生のご灰骨である〟として聖地を新設すれば、拝観料という形で金儲けもしゃすい」
 では、それはどこに作られるのか。
「まず八王子が候補に挙げられるでしょう。八王子には大規模な会議など各種イベントを行う東京牧口記念会館がある。創価大学のキャンパスもあります。敷地は広大にあり、どこにでも作れます。また本部がある新宿区信濃町も考えられる。ここは全国の会員が〝信濃町詣で〟をしています。現在、学会はこの信濃町に壮大な新総本部を建設中。この中に〝池田記念堂〟のような部屋を作る可能性もある。そこに金の骨壷や池田像などを置けば、信濃町詣での信者も増えるでしょう」
 もっと変則的な展開があるのではないかと予想するのは、元学会広報部副部長の小川頼宣氏である。
「学会には北海道から九州まで全国13カ所に学会墓苑があります。池田氏が亡くなった場合、まず信濃町の本部にお骨を置いて、そこで一周忌の盛大な回忌法要を行うでしょう。その後、本骨は高尾墓園など首都圏に置きながら、七回忌あたりから全国の学会墓苑に徐々にお骨を分骨していくというショーを始めると思います。各地に分骨しないと、彼と共に眠れると思って墓苑を購入した会員から〝騙された〟という不満が出かねませんから」 むろん、現時点でこれだと断定はできないが、いずれの予測も説得力があり、あり得そうである。
 そんな中、最も現実性がないと思われるのが冒頭でお伝えした「ミイラ化による池田廟建設」だ。しかし元公明党委員長の矢野絢也氏も学会幹部から同じ相談を受けたと証言する。「私が公明党書記長をしていた70年代に、ある幹部から〝池田先生が亡くなられた後、ミイラにできないか。レーニン廟みたいなものを作りたいんだ〟と相談を受けたのです。当時は学会上層部で真剣に検討もされていた。ただ日本では法律的に不可能であることがはっきりし、そのまま立ち消えになりましたが」
 スターリン、毛沢東、金日成……。冒頭の証言も併せれば、こうした独裁者が抱いた野望が、特異な宗教団体の基底でも何十年も保持され、燻(くすぶ)り続けてきたといえよう。しかも厚労省によると、現在の死体解剖保存法の下では、遺族が了承し、指定病院が行えば、遺体を標本化できるという。それを病院などの医療施設以外に安置することも、当該の都道府県知事等が許可すれば間題ないというのだ。名誉会長ミイラ化には実現性が出てきたわけである。
 さて名誉会長の健康状況やお墓の間題について、当の創価学会の広報室は、
「この種の質問にはお答えしておりません」
 と言うのみ。権勢をほしいままにした大権力者、池田大作名誉会長は自身の墓をどこにしようと考えているのか。教団の後継間題や行く末とも密接に絡むだけに、今後も注視を要するのである。

『週刊新潮』平成23年6月9日号
 

創価学会と公明党の関係

 投稿者:れいな  投稿日:2011年 5月19日(木)08時26分46秒
返信・引用
  参考になる動画です。

http://www.youtube.com/watch?v=YdNyDEdyiII&feature=player_embedded

 

(無題)

 投稿者:高幡まんじゅう  投稿日:2011年 5月15日(日)22時00分12秒
返信・引用
  創価学会のくせに高幡不動の境内でまんじゅう売るな!

関東三大不動尊として有名な、東京都日野市の高幡不動尊。
高幡まんじゅう「松盛堂」のオーナーは、公明党の市議会議員で創価学会員!
お不動さんはお前らにとって邪教のはずだろう!
http://www.e-giin.net/minegishi/
http://www.syoseido.co.jp/

 

大作、哀れな末路

 投稿者:れいな  投稿日:2011年 5月11日(水)10時06分0秒
返信・引用
  http://www.youtube.com/watch?v=Lh8xucQxBZc&NR=..

創価学会で一番重要な記念日とは? それは毎年恒例の5月3日だ。

この日は池田氏の会長就任の日である。

何を差し置いてもこの日は顔を出す池田大作氏。

それがだ、本年は顔を出すことができず、4月28日に大阪天王寺区の関西本部で本部幹部会を開催し、この5月3日の替えたのだ。・・もちろんこの日も池田氏は欠席している。

人間落ち目になると哀れなものである。

池田が生涯を掛けた天下取りの公明党は衆院選でボロ負け。小選挙区で候補者全員が落選した。委員長の太田まで落選。また今回の地方選でも議席を一つ失った。

本年2月の週刊新潮では、元朝日新聞の記者、星浩氏が閣僚の面前で「池田氏は脳こうそくで車いす」と報じている。
http://www.j-cast.com/2011/02/03087249.html

80歳をはるかに超えた池田氏、人生の最後で敗北した。

哀れなものだ、金で買った勲章は300以上という。棺桶に入れてあの世へ旅立ちするのであろうか。
http://www.j-cast.com/2011/02/03087249.html
 

成り立ちとターゲットは酷似!? 「宗教とヤクザ」の知られざる“関わり方”

 投稿者:サイゾー読者  投稿日:2011年 3月31日(木)13時41分21秒
返信・引用
  サイゾー 3月23日(水)23時12分配信

──宗教団体と裏社会のつながりは、昔から存外深いものだといわれてきた。両者はどのように互いを利用し合ってきたのか? これまでに起こった主な事件とそのパターンを振り返るとともに、実は意外とよく似ているその成り立ちや、これからの日本社会における両者の関わり方の変化を考える。

 2010年5月、武闘派で鳴らした山口組系二次団体・後藤組の元組長・後藤忠政氏の自伝『憚りながら』(宝島社)が出版された。08年に除籍処分を受けて引退し、09年4月には出家した後藤元組長が、生い立ちから今に至るまでを大いに語る──といった体裁の同書だったが、刊行と同時に週刊誌各誌などで取り上げられ話題を呼んだのは、創価学会と同組の付き合いについて語った個所だった。

 1970年代に学会が静岡県富士宮市に大規模な霊苑を建設するに当たり、地元住民や自治体とトラブルになり、その鎮火に向けて後藤組が介入したのは事件当時から話題となっていた。またその後、東京都・信濃町の学会施設で後藤組幹部による発砲事件があったことから、両者の間でなんらかのトラブルがあったという顛末も取り沙汰された(詳細は下の年表を参照)。その舞台裏を、詳細にとはいかないまでも元組長自らが口を開いて語ったことは、十分耳目を集める“事件”だった。しかも同書の中で後藤元組長は、「他人様から到底、褒められるような人物じゃないから、自分で自分を褒める本をせっせと作っては、学会の信者に買わせてな」と、明確に池田大作批判を繰り広げている。

 すでに広く知られていることではあるが、宗教団体が必ずしも本来の目的であるはずの「人々を幸福に導く」ためだけに存在していないのが、現代日本である(他国でも同様かもしれないが)。創価学会と後藤組のつながりのような根深さでなくとも、第二次世界大戦終戦後の新宗教創設ラッシュの時代から、宗教団体と裏社会は関わりを持ち続けてきた。本稿では、その理由と手口を検証し、両者の付き合い方の今後の有り様を考察しようと思う。


■宗教と裏社会がつながる3つのパターンはこれだ!


 まず、右の年表で紹介しているように、報道されてきた事件などを振り返ってみると、裏社会の勢力と宗教団体が結びつく時には、以下の3つのパターンがあるといえる。

[1]土地の購入に際し、地元のヤクザの協力を得る
[2]教団内の勢力争い等、内紛の解決のために外部の力を借りる
[3]マネーロンダリングの手段として、裏社会の勢力が宗教法人を偽装する

 ひとつずつ見てみよう。[1]はまさに前述の『憚りながら』で描かれたような事例を指す。宗教法人の施設建設には常に地元住民の反対が付き物。住民にとっては得体の知れない迷惑な存在であり、行政にとっても税収が期待できないため、決して歓迎はされない。現在も、「幸福の科学」関連法人である学校法人・幸福の科学学園が2013年開校を目指して滋賀県大津市に新たに用地を購入し、地元の困惑と反発を招いているのがいい事例だろう。また、不動産業者の中にはヤクザの企業舎弟も伝統的に存在し、そうした業者から土地を買うケースもあるとされる。オウム真理教の富士宮施設設立時にも、同様の疑惑が取り沙汰されている(販売したと報じられた後藤組系の不動産業者はこれを否定)。

 [2]については、表沙汰になっている事例は少ない。『新宗教マネー 課税されない「巨大賽銭箱」の秘密』(宝島社新書)などの著書を持つジャーナリストの山田直樹氏は、ひとつの事件を挙げてこう説明する。

「そうした事件で一番生臭かったのは、世界救世教のケースでしょう。1955年に教祖の岡田茂吉が亡くなって以降内紛が続き、ひとつの派が裏社会の人間に頼んで対立する派の人物を拉致する事件もありました。その後は事態を収めるために、右翼の大物を代表に招聘していますね。宗教に限らず、トラブルが起こっている団体に近づき、そこに介入してアガリを取るのが裏社会の商売。一方で、真のカルトには近づかない。それは単純に、面倒くさいからです」

 そして、宗教と裏社会と金をめぐる疑惑として挙げられやすいのが[3]だ。宗教法人は、その本体で行う宗教活動と公益事業(学校や病院、博物館の運営など)に関しては非課税、収益事業に関しても法人税率は22%と優遇されている(一般企業は40%前後)。「寄付に名前は書いていない」といわれるように、信者からの寄付やお布施として一度教団に納められてしまえば、その金の内実はわからなくなり、非課税のまま処理されることとなる。それをヤクザが隠れみのとして利用し、資金の洗浄を行っている、というのは以前から言われ続けてきたことだ。

「法人格の売買はできないので、宗教法人を手に入れようと思ったら、その法人の役員になるしかない。宗教法人は役員が最低3人いればいいから、小規模なところを狙って接触し、総会を開いた形にして役員になり、所轄庁(各都道府県自治体。2県にまたがる場合は文科省)に届ければそれでOK。宗教法人の売買と言われるのは、その法人の役員としての権利の売買、ということです。役員変更をしたらその公告をしなきゃいけなかったりして、面倒臭くはありますが」(前出・山田氏)

過疎化の進む地域では、“限界寺院”や“限界神社”などと称される、檀家や信徒がほとんどおらず後継者もいない伝統宗教の団体が増えている。こうした団体も買収のターゲットになるのかもしれない。


■ルーツが同じなら、 滅ぶ時も同じ!?


 トラブルのあるところヤクザあり、というのが宗教と裏社会が近年つながりを形成してきた主な理由のようだが、「そもそも宗教と裏社会は、構成する人間の社会階層が近かった」と言うのは宗教学者の島田裕巳氏だ。

「例えば日蓮宗は創価学会の大本になった宗派だけど、芸能人には日蓮宗が多い。なぜかというと、江戸時代から日蓮宗は庶民宗教で、さほど社会的階層が高くない人々が入り込みやすかったから。芸能や建設という、利権が絡みやすい職業に就いている人が多かったのも、結びつきを強める一因になったはずです。さらに遡れば、かつては寺院でも僧兵が武力を持って戦ったり人を脅したりしていたわけで、似たようなことをやっていたともいえる(笑)。実際、オウムの時もそうでしたが、シノギとは関係なく特定の信仰を持つ裏社会の人間もいます」

 前出の山田氏も、これに同意する。

「創価学会では、信者の中にヤクザの構成員がいたりしますね。罪を犯した信者が刑務所で受刑者を折伏してくることもあると聞きます」

 新宗教に限らず、既成宗教の歴史まで遡ってみても裏社会との相似が見えるという指摘は、宗教の“聖性”のみを信じていれば驚きだが、神社仏閣の縁日にテキ屋の屋台が並ぶのを見ると、両者が古くから浅からぬ関係を築いてきたことがよくわかる。

 そしてまた両者は、現在衰退の道をたどりつつあるという点でも類似している。ヤクザは今、社会的に追いつめられて行き場をなくしつつある。宗教もまた、法人数こそ減ってはいないが、全法人を合わせた信者数は加速度的に減少している。両者が絡んだ事件も、表沙汰になるものは近年ほとんどない。

「80年代の創価学会がまさにそうですが、宗教団体による土地の取得に際してヤクザが絡んでくることがこれまでは多かった。ですが、宗教団体のほうに入ってくるお金が減っているためか、大きい建設物を建てようという教団が、今やほとんどありません。既成宗教の中にはもともと土地を持っていて、その不動産収入で食べていけるところもあるけれど、比較的新しい新宗教ではそれは望めない。そうすると信者頼みにならざるを得ないけれど、信者もお金がない。そして人数も減っている。それに、霊感商法などへの取り締まりも厳しくなり、あこぎなマネはできない。締め付けが厳しくなってるのは裏社会側も同じですし、あえてそこに絡むメリットはないんじゃないでしょうか。また、公益法人改革の流れが宗教法人にまで及ぶかどうか、という今のタイミングで裏社会絡みの事件が起きたりすると、宗教法人課税の流れになりかねないのでは、という恐れもあり、大規模な宗教団体では注意を払っているはずです」(前出・島田氏)

“不安の時代”に突入した今、現世利益を追求する宗教は、その役目を果たせなくなったという見方もできるだろう。戦後の復興を裏から支えたといわれるヤクザも、同様に力を失い始めている。こればかりは、両者が神にすがっても巻き返しようがなさそうだ。

(取材・文/松井哲朗)

 

乙骨 正生 vs 創価学会

 投稿者:れいな  投稿日:2011年 3月24日(木)16時05分27秒
返信・引用
  創価学会は仏敵、乙骨氏に一連の訴訟で全面敗訴確定!!

本日結審した。

 

熊本・3歳女児 清水 心ちゃん 殺害

 投稿者:文春読者  投稿日:2011年 3月10日(木)10時39分38秒
返信・引用
  祖父母 独占インタビュー「わが孫 山口芳寛 は
なぜ殺人者に変貌したのか」
▼父親と確執「おじいちゃん子だったのに」
▼「モンハン」と「ロリコン本」親友の急死で… ▼母、祖父母は熱心な学会員

「週刊文春」3月17日号
 

創価学会における統一地方選挙の意味――総県長会議資料から

 投稿者:「フォーラム」ファン  投稿日:2011年 3月 9日(水)12時18分29秒
返信・引用
  乙骨 正生 ジャーナリスト

 統一地方選は「再建第二弾」の戦い

 今年は4年に一度の統一地方選挙が実施される。名古屋市の河村市長や鹿児島県阿久根市の竹原市長と議会との対立に象徴されるように、地方議会の混乱・紊乱(びんらん)は深刻だが、その一方で、本来、私たちの生活に多大な影響を与える地方公共団体の行政を監視すべき議会の多くが形骸化していることもまた事実である。私たち国民・市民は、自らの生活や居住地域を守り良くするためにも、地方公共団体の首長や地方議会の議員を選ぶ統一地方選挙にもっと強い関心を持たなくてはならない。
 しかし多くの国民・市民は、首長の言動や地方議会の実態に無関心であり、統一地方選への関心も薄い。そんな国民・市民の無関心を尻目に統一地方選に重大な関心を持ち、早くも組織あげての選挙闘争に突入しているのが創価学会・公明党だ。
 山口那津男公明党代表は、1月9日付「公明新聞」掲載のインタビューにおいて、4月に行われる統一地方選の重要性を次のように強調している。
「統一地方選は、昨年の参院選に続く公明党再建〝第二弾〟の重要な戦いです。完全勝利を果たし、地に足の着いたネットワーク政党・公明党の中核の基盤をさらに強固にしていきたい」
 平成19年参院選・21年衆院選で公明党は惨敗。昨平成22年参院選でも議席数・得票数とも改選時を下回る敗北を喫したにもかかわらず、山口代表は、昨夏の参院選を「再建」すなわち勝利の「第一弾」だったと位置づけている。
 創価学会もまた敗北だった昨夏の参院選を、激戦区の埼玉選挙区で公明党候補が当選し、選挙区候補3人が全員当選したことをもって、反転攻勢の勝利だったと詭弁を弄している。それだけに4月の統一地方選を反転攻勢の第二弾と位置づけ、今年に入るや機関紙「聖教新聞」でたびたび統一地方選に触れるなど、早くも「完全勝利」を目指して学会員の士気を煽り立てることに腐心している。
 例えば1月31日付「聖教新聞」掲載の一世界広布の勝利の並木道」と題する首脳幹部座談会では、原田稔会長が地方議会こそ「公明党の原点」であるとして、次のように統一地方選を重視する姿勢を見せている。
「原田 国民の声を聴き、国民が求めることを地道に実現してきたのが公明党である。地方議会こそ『大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく』との立党精神を持つ公明党の原点だ」
 2月中旬、統一地方選の全国遊説を開始するにあたって公明党は重点政策を発表。「住民のため」「地域のため」の「議会改革」などを掲げている。政務調査費の不正使用で目黒区の区議団全員が総辞職した公明党が、「住民のため」の議会改革」とは笑わせるが、創価学会もまた原田会長が前出の座談会記事で、以下のように「国民のための政治」の実現を強調している。
「原田 ゆえに地方選挙は、円本全体の政治をよりよくする。きわめて大きな意味を持つ。市町村議会から国会まで、公明党の全議員は全力で戦い、『国民のための政治』を断固、遂行してもらいたい」((1月31日付「聖教新聞」)
 あたかも「国民」や「住民」のための政治を実現することを目的に、政治活動・選挙活動に挺身するかのようにアピールする創価学会と公明党。しかしその実態はいかなるものなのか――。
 筆者の手許にはいまから8年前の平成15年統一地方選前後の創価学会の内部資料がある。そこには統一地方選に向けての闘争方針や選挙戦術、幹部の心構え、さらには選挙闘争に取り組む-大義名分」などが赤裸々に示されている。以下、同資料に基づき統、地方選に臨む創価学会と公明党の本音と実態を検証してみたい。
 まずは統一地方選の年である平成15年の年明け早々、1月9日開催の創価学会全国総県長会議における秋谷栄之助会長(当時)の発言から。
「地方統一選挙については、前半は告示まで85日、投票日まで94日。いよいよ、三カ月を切るところにきた。それぞれが重点区、超重点区を抱えながらの戦いを進めているところもある。(池田大作)先生のご指導に明快だが、昨日の本部幹部会でも『絶対の確信に勝る力はない』、そして『団結するものは強い』とあった。私どもはこの2点を根幹として、また『法華経に勝る兵法なし』という信心での戦いを根本にしながら、断固、完全勝利を勝ち取って参りたい」
 ここで秋谷会長は、池田名誉会長の指導を根幹に信心の戦いで「完全勝利」を目指すとして、お得意の「法華経に勝る兵法なし」との日蓮聖人の遺文を引用している。まさに宗教活動の一環として選挙活動を展開していることが分かる。
 以下、秋谷会長は、統一地方選の闘争における幹部の心構え、姿勢などに言及しているのだが、同月26日に東京都立川市の創価学会施設・立川文化会館で開催された第2総東京(三多摩地域)支部長会では、統一地方選における公明党の当面の敵である共産党を引き合いに出して、敵愾心・ライバル意識を煽りつつ、より露骨に選挙闘争への挺身を指示している。
「共産は昨年の西東京の公明の活躍で怖くなった。危機感をもっている.昨年暮れに分析した結果創価学会にやられた。3600票も負けたのかと。ヒモにしていた所(赤旗読者等)にねらい打ちして創価学会が入ってきた!共産は今3/7迄にやりきれと前倒ししている。しかし共産は、また、叩けばいいんだ。
 4月までの戦いについて、全体像を持っておくことが大事です。2つある。
 1、首都圏中心の完全勝利と
 2、第2総東京全市の大勝利です。
 4月27日まであるのではなく、神奈川、埼玉を考え、ると告示までは68日、4月上旬は、責任区等への全面協力体制で応援になることを考えると3月中(3月末まで)にやりきることが大事です。このことを地区部長等にも理解してもらうことが大事。皆を戦いに勝利させたい、と様々な手を打って下さっている、(池田大作)先生は皆が喜ぶ姿を楽しみにしている」
 ここで秋谷会長は、平成14年12月に実施された東京都・西東京市議選の結果、共産党が公明党に3600票の差をつけられたため、平成15年の統一地方選では共産党が巻き返しに全力を挙げているとして、末端組織にまで首都圏全体と三多摩全市で勝利するための活動に挺身することを徹底するよう促している。

 選挙闘争の目的は「広宣流布」

 この会合から2週間後の2月6日開催の総県長会議では、「折々の指導」と題する池田名誉会長の次のような指導が伝達された。その内容は選挙闘争を勝ち抜くための檄文そのものである。
「戦いはやると決めたら徹底してやるんだ。これが戦(いくさ)である。ただ、口先で『やっています』とかは戦いではない。徹底して戦い、攻撃精神を忘れたら、それは畜生にも等しい。弱気を侮り、強気を恐れる。正義の人間はその逆である。幹部は皆の起爆剤になってやるんだ。皆をその気にさせるのが幹部である。徹して戦おう」
「永遠の指導者」(創価学会会則)である池田氏の檄に続いて行われた指導で秋谷会長は、「いよいよこの2月3月、勝負を決する戦いだ」として、選挙闘争の基本姿勢に言及。「戦いは勢い」「先手必勝」「勝利への執念」「信心の団結」などを訴えたが、注目されるのは「何のための戦いか」と題してなされた選挙闘争の目的に関する指導である。そこでは池田名誉会長の「随筆 新・人間革命」を引用しつつこう選挙闘争の目的を強調した。
「いろいろ乱戦模様になってくる。私どもはその根底に、常に〝何のための戦いか〟という大義名分を掲げながら戦っていかなければならない。先生は『随筆 新・人間革命』や『長編詩』で、それぞれの方面・県に勇気と力を与えてくださっている。そして、戦いの明確な大義名分を掲げてくださっている。それを常に読みながら、そこからエネルギーを受けながら、勝利への前進をしてまいりたい。
 本年の初頭に『創価大勝の出発』と題して、『随筆 新・人間革命』を頂いた。その中で先生は、次のようにしたためておられる。
『私は、七十歳から書き始めたこの随筆の第一回に、わが人生を展望し、八十歳までの目標を、『世界広布の基盤完成なる哉』と記した。
 光陰矢の如しで、それから、はや五年が過ぎ、七十代の折り返し地点に立った。私は、自らの目標を果たすために、わが同志のために、力の限り、生命の限りと、決意している。(中略)
 この日本に、仏法の人間主義を基調とした、民衆の大平和勢力を、なんとしてもつくり上げねばならぬ。
 いかなる攻撃の嵐、また、嫉妬と中傷の波浪があろうとも、断固として築き上げねばならぬ。それが永遠に勝利しゆく不壊の道であるからだ。ゆえに私は、今年もまた、断固として厳然と戦い抜く決心である』
 私どもはこうした数々のご指導を頂き、決戦に臨むわけである。これからは、いろいろな形で戦い難い条件、あるいはさまざまな難問・悪条件が出てくることは当然である。しかし、それをすべて反転・攻勢に切り替え、攻めに攻めて攻め抜く――この精神、折伏精神をそれぞれが発揮し、断じて勝利を勝ち取ってまいりたい」
 池田氏の言う「世界広布の基盤完成」や「仏法の人聞主義を基調とした、民衆の大平和勢力」の構築とは、端的に言えば創価学会の勢力拡大、創価学会組織の基盤整備を行うことを意味する。なんのことはない創価学会の利益のために戦うことが、創価学会の政治闘争・選挙闘争の大義名分だというのである。ここには「国民のため」との概念はない。

 公明党は創価学会の下部組織

 選挙闘争の勝利=公明党の議席獲得が創価学会の利益拡大のためである以上、公明党の議員は創価学会の指示・命令に忠実な人物でなければならない。矢野絢也元公明党委員長は、創価学会の依頼で国税当局の創価学会に対する税務調査に政治的圧力をかけた事実を明らかにし、公明党が創価学会と池田氏を守るための番犬としての役割を果たしていると述べているが、平成15年4月の統一地方選をさかのぼること9ヵ月前の14年7月4日の総県長会議での秋谷発言もまた、そうした実態を端的に示すものといえる。
「統一選の支援については、今、各地で候補の選定が進んでいる。具体的には党が勝利のために進めるわけだが、県議、市議の候補は、ともかく寝ないで駆けずり回るぐらいでなければならない。全ての戦いはそこから始まる。したがって、『一日、どことどこを回ったか』、それを候補は地元の総県長に報告する。候補が先行して戦い、党が真剣にならなければいけない。学会員ばかり一生懸命やっているのでは、順番が逆になってしまう」  公明党候補は、日々の活動報告を創価学会の総県長に提出することが義務付けられているのである。公明党が創価学会の下部組織であることをこの発言は端的に裏付けている。 さらに告示まで残すところーカ月となった平成15年3月6日の総県長会議。同会議では次のような池田名誉会長の「ご伝言」が披露された。
「皆、ご苦労様。祈り、最高の名指揮で勝ちまくってくれ。皆、勝ちまくって集まろう。4月の末に勝って、愉快に会おう」
 総県長会に参加している全国47都道府県の創価学会組織の幹部らにとって、この「ご伝言」は「必勝」の厳命に他ならない。そこに秋谷会長がこう追い討ちをかける。
「咋日は、先生から本部幹部会におきまして、大事な勝利への魂の指導を頂きました。いよいよ残された日数、全力をあげてそれぞれの方面、県における指揮をとっていただくことになります」
 その上で、秋谷会長は選挙戦最終盤に向かって、これまでの戦いを総括し、次のように今後の留意点に言及する。「私も超重点区を廻らせて頂いております。その中で、若干、気づいた点、全体に共通する点について申し上げたい。本当なら全選挙区にお邪魔すればいいのですが、時間的にその余裕がありませんので」
 まず秋谷会長は、選挙は毎回、流動的であり様相が異なるとして、国政選挙や前回統一地方選での手法に拘泥するなと指示。また公明党が自公連立与党となったことで、単に地方の問題だけで投票行動に影響が出るのではなく、国際情勢や国政の課題が選挙の結果に影響を及ぼすと注意。その上で次のように強気の闘争を指示している。
「こういう中での戦いであると考える以上に、この3月という月は波乱万丈の中の戦いとなる。その中をどう嵐を乗り切っていくか、突っ切っていくか。その中でなおかつ〝攻めの戦い〟をする。これが大きな勝負の観点である」
「選挙区ごとにどこを攻めれば勝てるのか、どこを攻めれば票が取れるのか。そこを一つ一つ、地域の幹部が的確に指導をし、激励をしていく。それが今度の戦いの中では極めて大事なことである。漠然とお願いしただけでは、吹き飛ばされてしまう選挙だと思います」「これからの38日間というのは、有権者の心、気持ちが毎日のように変化する。今、決めていても、1週間先になると変わっている。告示になるとまた、変わる。どんどん人の心は動いていく。これがいろんな風が吹き荒れる様相である。したがって、いろんな競り合いもあるが、最後まで執念、粘り、食い下がる、攻め込む、それをやりきった所が勝つ。そういう戦いである」
 まるで候補の後援会における選挙活動の決起集会か勉強会という様相だが、これが公益法人として税制上の優遇措置を受けている宗教法人の会長が、固定資産税を免除されている宗教施設で行っている指導の中身である。

 「広布の1000万」の足がかり

 こうした組織あげての選挙闘争の結果、平成15年統一地方選では公明党候補2121名全員が当選。池田名誉会長の会長就任記念日である5月3日の翌5月4日開催の総県長会議には、公明党の神崎代表が出席。次のように謝辞を述べた。
「全国の皆様の支援に心から感謝申し上げる。このたびの統一地方選において、2121名全員が勝利を飾った。2121とはまさに、21世紀にふさわしい。完全勝利を達成し、晴れやかに『5・3』を迎えることができたのも、絶大なる支援のたまものである。なかんずく、今回の大勝利は、(池田大作)先生と奥様の激励にほかならない。今回、公明に最大のご支援を賜った先生、奥様に最大の感謝を申し上げたい。
 本日は、学会本部並びに全国のリーダーの皆さまに、真っ先に心からの御礼を申し上げるために馳せ参じた。浜四津、草川、太田、北側、白浜、井上、森本、木庭、藤井、以上です。冬柴はイラク中東歴訪のため欠席。全員で御礼申し上げる」
 投票に行ったかどうかも分からない池田氏とその夫人に最大限の感謝の意を表する神崎代表。公明党が「池田私党」といわれるのも当然だろう。この後神崎代表は、平成15年4月の統一地方選前半の県議選で18議席増、後半の市区町村選で議席定数が452議席減の中で22議席を増やしたことをもって大勝利と強調。その一方で共産党が新たに6県で空白になったとして「共産対決に決着がついた」と豪語。筆者の名前まで出して次のように共産党をくさしている。「共産党は、昨年、創立80周年を迎え、新本部を建てたものの、ボロボロである。志位が委員長になって、票が逃げる。のみならず、〝おっこつまっさお〟(乙骨正生)まで一緒。志位と私は、出身高校、大学も一緒。先輩、後輩の間柄。先輩として『科学の目で原因をよく見なさい。学会批判は止めなければ、創立90周年は迎えられない』と言いたい。悲しいことに、科学の目は節穴。公明党の大勝利にヤキもちを焼き、策謀を仕掛けてくる。そうした党略を打ち砕いていく」
 創価学会に批判的な、言論を行っている筆者と共産党を結びつけ、野卑な物言いで共産党を攻撃する神崎代表。「おっこつまっさお」とは、筆者が公明党の勝利で青くなっているとでもいいたかったのだろうか。とんだお笑い草だが、「ヤキもち」だの「策謀」だのと十年一日のような主張には呆れるばかりである。この後、神崎代表は、翌平成16年に行われる参院選で1000万票の獲得を目指す決意を披瀝し、挨拶を終えている。
 同様に秋谷会長も、平成16年参院選での1000万票の獲得に言及。創価学会が統一地方選と参院選を連動させて1000万票獲得の闘争スケジュールを策定していた事実を次のように明かしている。
「私たちは2004年7月を目標に、一千万を目指して種々の戦いの組立てを進めてきた。その上で、2002年の9月から2003年の4月末までを『第一期』として、この統一選の勝利、しっかりとした基盤をつくるという戦いを見事にやりきった。初期の目的を達することができた。続いてこの5月から12月末までを『第二期』とし、更なる完全勝利と一千万への連動の戦いをしてまいりたい。そして年明けて、1月から7月のなかで、一千万を達成していく。このように一歩一歩、磐石な体制をつくりながら前進していくわけである」
 平成16年7月実施の参院選で、公明党比例区1000万票の獲得を目標に平成14年9月から15年4月の統一地方選までを「第一期」、そして15年5月から12月までを「第二期」、そして16年1月から7月をいわば第三期として1000万票を獲得するとの闘争スケジュールを策定していた創価学会。この1000万票を創価学会では「目指せ広布の1000万」と呼称していた。
 もっとも平成16年7月に実施された参院選挙で、公明党は連立与党の自民党との間で強力な選挙協力を展開。選挙区の自民党候補が「比例は公明」と連呼する異常な事態が出現したが、結局、公明党は比例区で1000万票を大きく下回る862万票しか獲得できなかった。その後、創価学会・公明党は国政選挙に連敗。平成21年衆院選では小選挙区候補全員が落選し、自公政権は崩壊。咋年の参院選では比例区票も763万票会へと減少したことはご承知の通り。
 創価学会が、統一地方選を「広布の1000万」を達成する基盤を作るための闘争と位置づけていたことを示す、平成15年5月の総県長会議での発言を含む一連の秋谷発言は、創価学会が「国民のため」でも「住民のため」でもなく、自らの勢力拡大のための熾烈な選挙活動を、恒常的に行っていることを赤裸々に示している。
 現在、創価学会は、目前に迫った統一地方選に向けて組織あげての熾烈な選挙闘争を展開し、公明党が「国民のための政治」を実現するなどと喧伝し、得票の上積みを図っている。だが実際には、ここで紹介した平成15年統一地方選前後の創価学会内部資料が示すように、創価学会の選挙闘争は、創価学会を守り、創価学会の勢力を拡大するための闘争に他ならない。
 全国の国民・有権者は、そうした宗教団体に名を借りた政治集団としかいいようがない創価学会と公明党の詐術的な選挙闘争に厳しい審判を下す必要がある。

「フォーラム21」平成23年3月号

 

【新】永久保存:みんなで閲覧しよう東村山市議録

 投稿者:  投稿日:2011年 2月15日(火)10時03分8秒
返信・引用
  第16号 平成5年 6月10日(6月定例会)
http://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/gikai/gikaijoho/kensaku/h5_honkaigi/405_06100016.html

 

末端会員がこれではね

 投稿者:加藤  投稿日:2011年 1月30日(日)02時53分22秒
返信・引用
  辻栄晃(ツジエアキラ)

元彼女が、ガンのために、子宮全摘(子を産めなくなる)の手術をするのを知りながら、手術直前に別れを告げた。
原因は、元彼女が通院の為参加をあきらめたハイキング(男女混合、一泊旅行)に彼が参加、連絡不通になった事から。

「結婚相手失格」と言われた。
子宮を失う痛み…将来への不安、女として自信を持てない辛さ、恋愛の不自由さ、傷痕。
しかも最後には、以前からあまり元彼女のことを好きではなかったと言った。
 

イヤガラセしてます

 投稿者:中田  投稿日:2011年 1月20日(木)20時34分27秒
返信・引用
  嫌がらせ行為がエスカレート
創価学会批判者に対する恫喝が狙いか

私は昨日の朝は『在日特権を許さない市民の会』が全国一斉に開催した講演会で名古屋会場の講師として招かれていたので、タクシーを呼んで会場に向かいました。パンクさせられたタイヤだけをとりあえず携帯カメラで撮って紹介しました。

 現場に残って警察官を呼んで現場検証に立ち会った『草莽愛知実行委員会』の古川氏から後で連絡があって、犯人は2本のタイヤをパンクさせ、3本目にこのように「せんまい通し」が途中から折れて突き刺さったまま残されていたと知りました。

 一本だけでなく四本全てをパンクさせるつもりだったのでしょう。犯人側の異常な執念を感じます。ガソリンの給油口をこじ開け、異物を混入させて車を使い物にならないように狙った形跡もはっきりと残されていました。

 更に拡声器の線が鋭利な刃物で切られており、これは明らかに街宣車に対する攻撃であり、嫌がらせのレベルを超えたものと言わねばなりません。

 創価学会を批判する我々に加えられてきた、このような嫌がらせ行為は最近エスカレートする一方であり、直接的な個人への暴力行為も考えられる事態となってきました。

 ここで嫌がらせ行為を整理しておきます。

?ブログへの異常なまでの張り付きとコメントの投稿。東村山市の朝木明代さん殺害事件、万引き冤罪事件を取り上げると、洪水のごとくコメントが書き込まれました。一つのスレッドへ150回も同じ人が書き込んでいたこともありました。



http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52168861.html

 

<訃報>

 投稿者:きんまんこ  投稿日:2011年 1月 6日(木)10時54分10秒
返信・引用
  <訃報>渡部通子さん78歳=元公明党参院議員
毎日新聞 1月4日(火)19時8分配信

 渡部通子さん78歳(わたなべ・みちこ=元公明党参院議員)12月23日、胃がんのため死去。葬儀は親族で済ませた。喪主は夫一郎(いちろう)さん。

 69年に衆院旧東京1区から初当選。77年には参院兵庫地方区で当選した。当選回数は衆参各1回。 .最終更新:1月4日(火)19時8分
 

(無題)

 投稿者:高幡まんじゅう  投稿日:2011年 1月 1日(土)17時19分7秒
返信・引用
  高幡まんじゅう「松盛堂」のオーナーで、東京都日野市の公明党の市議会議員
みねぎし弘行のHPである。

■ 日蓮正宗「C作戦」発動から20年 2010年12月29日(水)
日蓮正宗の前法主・阿部日顕が創価学会を切り捨てるためのC作戦
(=創価学会分離作戦)なるものを謀議し、実行に移してから20年がすぎた。
1990年、日蓮正宗は宗門の規約を一方的に変更し、同年12月27日、
池田名誉会長を法華講総講頭から一方的に罷免。翌91年には解散勧告書を
送りつけ、11月28日には破門通告書を送付し、学会を破門するに至った。
その結果、日蓮正宗は“弱小教団”へと転落し、現在にいたる。
自業自得といえばそれまでだが、明年11月28日は、その破門通告から
20年の節目となる。

これが政教分離を求められる政治家のHPとは、呆れてものも言えない。
違憲政治結社・公明党の面目躍如とはこのことだ。
http://www.e-giin.net/minegishi/
 

携おん♪

 投稿者:大嶋智子  投稿日:2010年12月 9日(木)23時38分25秒
返信・引用
  最新ヒット曲最速無料配信中!

着うたなら携おん♪⇒http://ergasia.org/

http://ergasia.org/

 

12月10日 フライデー

 投稿者:暴力団幹部  投稿日:2010年11月30日(火)15時57分28秒
返信・引用 編集済
  創価学会が暴力団に5億円の金を用意!
http://ameblo.jp/torushinohe/entry-10719415200.html
 

池田センセ、大変です、またばれました!!!

 投稿者:れいな  投稿日:2010年11月25日(木)11時35分9秒
返信・引用
  http://www.c-player.com/ac56004/thread/1100099064688  

(無題)

 投稿者:れいな  投稿日:2010年10月19日(火)12時19分0秒
返信・引用
  > > http://www.seikyoonline.jp/news/top/1192758_2118.html


この写真ですが、友人に見せましたら「おそらく老人性チホ症ではないか? 目の焦点があっていなし、何かしらポカ~ンとした表情はこの種の病症の特徴だね」、と言っておりました。

そう言われればそのように見えますね。

この種の病気の特徴は、ズ~~ッとこのような症状が続き死にいたるとのことでした。

センセ、長生きして下さいね!!死んだらあなたの大嫌いな寺の金儲けの道具、塔婆してあげますからね。

http://www.youtube.com/watch?v=NbUblqKyohA
 

新たにコミュを開設しました

 投稿者:21世紀  投稿日:2010年10月 4日(月)12時23分32秒
返信・引用
  反創価学会
http://www.c-player.com/ad84370/message
日蓮正宗より破門され、新興宗教と化した創価学会、教祖のXディが現実に近づいている昨今、そろそろ正信に目覚める時です。多数の参加お待ちしています。
 

首相動静

 投稿者:れいな  投稿日:2010年 9月26日(日)23時57分31秒
返信・引用
  【午前】10時45分、東京都青梅市の青梅慶友病院で視察。職員らと意見交換。内閣府の阿久津政務官、民主党の竹田光明衆院議員同席。

 【午後】0時、報道各社のインタビュー。51分、東京都八王子市の日本料理店「すき焼やまもと」着。阿久津政務官と昼食。1時52分、同市の東京富士美術館。53分、同美術館内の貴賓室で休憩。館長らと懇談。2時7分、特別展「ポーランドの至宝」を鑑賞。38分、貴賓室で休憩。館長らと懇談。3時57分、東京・横網の両国国技館。58分、理事長室で日本相撲協会の放駒理事長と懇談。4時19分、応接室で休憩。5時8分、大相撲秋場所を観戦。表彰式で優勝した横綱白鵬関に表彰状と内閣総理大臣杯を授与。6時、公邸。27分、寺田首相補佐官。30分、仙谷官房長官、古川官房副長官加わる。7時36分、古川、寺田両氏残る。8時7分、古川、寺田両氏出る。

http://www.asahi.com/politics/update/0926/TKY201009260171.html

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総理が創価学会系の美術館に 公明党と連携憶測も(09/26 17:41)

菅総理大臣は26日、公明党の支持団体・創価学会が関係する美術館に突然、
立ち寄りました。公明党との連携も取りざたされるなか、憶測を呼びそうです。

菅総理は東京・青梅市内の病院を視察した後、
突然、創価学会の池田名誉会長が
創立した八王子市内にある美術館を訪れました。
美術館では、「ポーランドの至宝」と題した特別展で、
レンブラントの絵画などを約40分ほど鑑賞して館長らと懇談しました。
美術館には26日になって訪問の連絡があったということです。
周辺は「前々から行きたいと言っていた」と説明していますが、
衆参ねじれの国会を控え、公明党との連携をにらんだ行動なのか憶測を呼びそうです。

http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/200926015.html
 

法太郎氏、エセ謀略サイト「冨士宗学研究」を破す

 投稿者:れいな  投稿日:2010年 9月14日(火)13時43分42秒
返信・引用
  日蓮正宗を詐称する謀略サイト・富士宗学研究についての新たな展開
http://www.c-player.com/ac56076/thread/1100097317947

法華講を詐称する・富士宗学研究の完全虚言を破す
http://www.c-player.com/ac56076/thread/1100097319361
 

監視カメラ

 投稿者:監視カメラ  投稿日:2010年 7月14日(水)09時52分2秒
返信・引用
  監視カメラ,http://www.joinspy.com
防犯カメラ,http://www.joinspy.com
小型監視カメラ,http://www.joinspy.com/category-262-b0.html
小型ビデオカメラ,http://www.joinspy.com/category-238-b0.html

http://www.joinspy.com

 

邪教「冨士宗学研究」への最終通知書

 投稿者:れいな  投稿日:2010年 7月12日(月)23時11分22秒
返信・引用
  貴様のブログにおいて、次のような罵詈雑言をまるで夏のドブネズミかゴキブリのようにコッソリと掲載しておる馬鹿ものがいるので一言申しておく。

■■■■■■■■■■■■■■■
本年六月十日附け拙稿「黒川和雄氏に質す」、同じく六月二十五日附け拙稿「黒川和雄一派に答える」に対して黒川和雄氏は反論不能で遁走し、また宗教団体「有志の会」宗務院組織許可捏造疑惑や法華講(米国ロス)妙法寺支部初代講頭詐称疑惑に関しても、逃げ回っている許りで真摯に対応されていない。
http://fujimonryu.blog40.fc2.com/blog-entry-79.html

■■■■■■■■■■■■■■■

貴様がいつ、どこで当方に質問しておるのか当方は全く存じない。それを以て「反論不能」「遁走」と称しておるが、貴様のような流行らんブログは、そもそもマイナーな存在であり、熟読・コメントしておるのは阿呆な創価学会員のみであるということをまずは言っておく。異流義には異流義が群がるものである。
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/4176

さて、次は貴様に対する質問であるが、当方回答するには何の躊躇もない。「全て回答してあげる」と約束するものである。

但し、回答には回答するに値するルールというものがある。貴様はそれを受け入れることが出来るか? まずはそれからだ。7月15日24時まで待つので返事せよ。回答が喉から手が出るほど欲しいのであれば、フェアーにすることだ。よってここにて若干、調整する事とする。

①貴様は自分の所属寺院、実名、電話番号を公開しておらぬ。自らの書き込みでこれを公開せよ。

②貴様の盟友という「こきち」に申し伝えよ。「こきちとやらよ、貴様は当方の実名、所属寺院、携帯番号を知っているにも拘らず、まるで夜中に徘徊するゴキブリの如く、影に回って徘徊しておった。当方に文句があるならば、なぜ直接連絡をしなかったのであるのか? 貴様の所属寺院、実名、電話番号を明確にせよ」

管理人である貴様にも上のことを申し伝える。当方が恐ろしいか、電話をする事さえ怖かったのか?

再度確認する。貴様の回答期限は7月15日24時だ。

恐らく何の開示も出来ぬであろう。今までのごとく屁理屈を抜かし遁走するであろうことは間違いないと断言しておくゾ!

その時は当方、貴様に対しホームページ上で「勝利宣言」をし、貴様らの恥を天下に明示する事とする。

敗者の常であるが、負けた後で「あぁだ、こぅだった」と必ず弁解するのが「敗者の敗者たる所以、邪義の邪義たる所以」だ。恐らく弁解のオンパレードになるであろうな<笑

これはお前らに対する「最終通知」である。

尚、ブログ上で「れいな氏の個人情報は書くが、自分の個人情報を開示するのは怖い、度胸がない、屁理屈だけのクレーマー、ヘタレ馬鹿」というのであれば、メールをよこせ。

anierrr@yahoo.co.jp


恐らくそれも出来ぬというヘタレだろう。当方の電話番号をアップする。
186-090-9626-7585

電話せよ。

ネットでは散々文句を言うが、行動が伴わない、身元がバレルのが怖い、これが「敗者の論理」である。

以上申し伝える。
平成22年7月12日
 

ドブネズミか? ゴキブリか? 冨士宗学研究の邪義を破す!

 投稿者:れいな  投稿日:2010年 7月 9日(金)15時41分44秒
返信・引用
  某ブログにおいて、「日蓮正宗創価学会という団体はない」との阿呆な反論をし、人の揚げ足を取り、サークルメンバーを罵倒している人物がいるが、学会破門以前は誰もが「日蓮正宗創価学会」と通称呼んでいたのである。
アメリカにいた当方も、座談会では新来者に対し、このように創価学会を紹介していた。

We are the member of Nichiren Shoshu Soka Gakka of America called NSA.The Soka Gakkai is the lay organization of Nichiren Shoshu・・。

これに対し逐一、人の揚げ足を取る馬鹿ものがいるということだ。

また当方が:

「日向定善寺とはホームページにあるように、

「昭和31年8月30日吉辰日向郷(現在の日向市)定善寺において日蓮正宗帰一奉告法要が第六十五世日淳上人猊下大導師のもと奉修された」とある。
http://www16.ocn.ne.jp/~jouzenji/kiitu/jokiyou2/jokyoku2-1.html


すなわちその前までは邪宗・日蓮系の寺院だったということだ。」

ということに対し、文句を付けている輩がいる。では聞くが、

①日向定善寺・帰一以前は本門戒壇の大御本尊を大聖人御出生の本懐としておったのか?

②また、「すなわちその前までは邪宗・日蓮系の寺院だった」なる暴言は、こうした宗史を無視する邪見であり」と言っているが、

それではなぜ、定善寺ホームページにこのようにわざわざ記されているのか?
http://www16.ocn.ne.jp/~jouzenji/kiitu/jokyoku4/jokyoku4.html

「日蓮正宗へ帰一するにあたり定善寺及び末寺において“創価学会”を全面的に受け入れる事が檀家の不安を大きくし、又“創価学会”の檀家に対する圧力が帰一の翌年の昭和33年8月1日“デモ行進”となりました。

その根本原因を明らかにせねばならない。また完璧に総本山と同じ教義・信仰であるならば、離檀者は皆無だったはずである。離檀者が存在したのか、しなかったのか、それを明らかにせよ。

③昭和32年9月6日の「聖教新聞」紙上において、時の掘米日淳上人は、このように仰せである。

「六百有余年富士門流との交流が疎遠になっていたが、時来たって正宗に復したことは・・・」

とある。「疎遠」とはどういう意味であるのか? それを明らかにせよ。

④同じく昭和32年9月6日の聖教新聞紙上において、学会の小泉理事長は、

「時に長い間、はからずとも、邪法とともに今日まで参らせました7ヶ寺の御住職は・・」とある。「邪法とともに・・」とはどういう意味であるのか、明らかにせよ。

⑤同じく、昭和32年9月6日の聖教新聞紙上において、時の御住職であられた小原日悦師は「今まで間違っていた。一人になっても折伏を」と談話を掲載されている。「今まで間違っていた」とは、何が間違っていたのであろうか、明らかにせよ。

以上、その他、当時の資料は多々手元にあるが必要あらば、追って開示することとする。

尚、我々はどこまで行っても、本門戒壇の大御本尊を中心に、日如上人猊下のもと、信行学に励む、ただそれだけである。

その他、この馬鹿どもは、三派合同に対し、『大石寺もそうであったので、れいな氏の言うことは「魔説である」』などと言っているが、大石寺は創価学会の強力な折伏により、独立法人を勝ち取ったのか?
そうではないであろう!と一言申しておく。

保田妙本寺しかり、富士門流ではあるが、万年救護本尊を信仰の根本としており、その形木本尊を現在信徒に買わせているのである。

定善寺を始めとする日向7ヶ寺は、その誤りに気づかれ、うれしくも日蓮正宗に帰一され、現在信行学と励んでおられるのである、誠に尊い姿ではあるまいか!

頑張れ、日向7ヶ寺AAO!

最後に、屁理屈をのたまうことは誰でもできる。創価学会しかり、邪義とは、もっともらしく登場するものである。
貴殿らのでっち上げにマンマと乗る法華講員は阿呆を除き皆無であろう。

もう少し物事は「立体的に」考えることだ、と申しておく。
貴様らは、宗門史に疎い馬鹿者の戯言であり、一笑に付す。

以上、
 

創価学会名誉会長 池田大作氏 重篤

 投稿者:緊急情報  投稿日:2010年 6月20日(日)14時58分42秒
返信・引用
  先週池田大作氏が本部幹部会に出席しなかったことが一部の報道機関で暴露された。池田大作死亡説なるものは過去に数回流れているが、どれも単なる憶測にすぎなかった。しかし今回の池田氏重病説は学会内部関係者からの情報の為、非常に信ぴょう性が高い。

病名は明らかにされていないが、情報筋によれば、各種内臓器官が不全、前頭葉辺りの機能も完全マヒしているということだ。

現在創価学会は世界140ヶ国の国々に会員を持ち、池田氏は任意団体SGI(Soka Gakkai Internatinal)の会長として世界の著名人とも多数会談した実績がる。

池田氏の死後、一体誰がこの巨大宗教組織の頂点に立つのか? 三男の池田尊弘氏か? 伝統的に世襲の禁止を唱ってきた創価学会の今後・・・目が離せない。大幹部は既に池田氏の死後を考え権力闘争に走ってきた。

はたして創価学会の将来はどうなるのか?
 

BMI技術を悪用した悪質な嫌がらせ・詐欺・殺人(自殺偽装)

 投稿者:トヨオキ  投稿日:2010年 6月19日(土)22時35分59秒
返信・引用
  ○創価学会によるBMI技術(ブレイン-マシンインターフェイス)・生体間情報通信技術を悪用した悪質な行為が世界レベルで行われています。

 1.BMI技術による個人情報の盗聴
 2.BMI技術による演出と功徳・仏罰といった言葉を巧みに用いて金銭の搾取をする詐欺行為
 3.BMI技術による精神的・肉体的な追込み工作、身体操作による殺人(自殺偽装)

上記の特殊工作(現実によるイタズラ行為・BMI技術による虚構の織り交ぜ)のターゲットになると必ず不可解ないたずら・誹謗中傷などの仄めかし等を経験します。被害にあったらまずは自分を見失わず、普段の生活を守ることが大事だと思います。
また、世界を震撼させることになるであろうこの事件は近い将来必ず解決するはずです。
まずは政界から公明党を締め出し、学会の資金源を断ち、解体することが解決策だと思われます。
池田大作はあと何年生きられるかわかりません。大至急に国会証人喚問が実現されることを切に願います。
 

憚りながら

 投稿者:キンマンコ大作  投稿日:2010年 5月25日(火)12時20分8秒
返信・引用
   国家に入り込んだ宗教

 それともうひとつ、創価学会、いや「池田教」が、この日本という国家を乗っ取ろうとしていることが、見過ごせないんだよ。
 日蓮正宗という宗教を利用して、人を集めて、会員にして、その学会員から莫大なカネを上納させて、さ。日本では信教の自由が認められているから、キリスト教だろうが、日蓮正宗だろうが、わけの分からん新興宗教だろうが、宗教を持つこと自体は構わんよ。けど、それ以上のこと、公明党を作って政治に入り込んだり、創価大学作って、〝優秀な人材〟を官僚にしたり、法曹界を牛耳るために人を送り込んだりしちゃいかんだろう。
 外務省には、池田にノーベル平和賞を取らせるためだけに働く、学会員の組織があるらしいじゃないか。法務省にも、池田を守るための組織ってものがあるんだろ?だいたい神崎(武法・元衆議院議員、公明党常任顧問。元検事。09年に政界引退)にしろ、浜四津(敏子・参議院議員、元弁護士)にしろ、もともとはあの山崎の弟子だしな。
 どんな宗教信じるかは勝手だ。しかし、その宗教のために国会や官僚組織に入り込むというのは、筋が違うんじゃねえか。特定の宗教の利益を目的とする人間が、国家権力の中枢にいるのはまずいよ。あいつら(学会)が何を信じようと勝手だ。また池田個人がどんな考えを持っていようと構わん。だけど、その宗教の理屈を国に持ち込む、さらにはそれで牛耳ろうとするのは、少なくとも自由主義国家じゃ許されることじゃねえだろ。そもそもこんな組織(創価学会)が、「自公連立政権」だとか書って、国家の中枢でデカイ面してきたこと自体が、間違いなんだよ。
 でも、誰かが言ってたな。「公明党はいずれ自然に消滅するだろう」って。なぜって、党員も学会員もじいさん、ばあさん、貧しい人が多い。新しい血が入らないんだ。10年、20年経てば年寄りは死んでいくし、貧しい人には上納する金なんかない。かといって、ここまで悪事がバレてたら、今さら「折伏」されて、学会員になろうっていう者もいないだろう。「公明党の最大の支持層がこれじゃあ、消滅していくしかない」って。これには納得したなあ。
 池田や学会、公明党がガタガタ言ってくるんなら、いつでも相手になってやるよ。なんなら民主党も、学会と反目になって『黒い手帳』とかいう本を出した矢野さんと俺を、国会で証人喚問したらどうだ。
 もっとも、それまでに民主党も、学会票欲しさに、公明党とくっついちゃうかもしれないけどな。実際、小沢(一郎・民主党幹事長)さんも昔は、学会と仲良しだったわけだから(小沢は新進党時代、公明党と連立政権を組み、当時の市川雄一・公明党書記長とは「一・一ライン」と称されるほどの密接な関係を持っていた)。
 過去、創価学会とはいろいろあったが、今回、池田大作にはあらためてモノを言っておくよ。
この国の将来を憂うひとりの元極道としてな。
 

憚りながら

 投稿者:キンマンコ大作  投稿日:2010年 5月25日(火)12時18分30秒
返信・引用
  後藤忠政/著

宝島社

2010年5月



第4章 創価学会との攻防




 富士宮の小佐野賢治

 創価学会は、もともと日蓮正宗の信徒の集まりで、かつては富士宮の大石寺が本山だったから、地元で揉め事を扱っていた俺とは、自然と関わり合いも出てくるわな。
 初めて接点を持ったのは俺が三十二、三(歳)ぐらいの時(1975~76年)で、まだ川内組の枝だった頃だ。その5、6年ほど前(69~70年)から、学会は大石寺周辺の土地という土地を買い漁って、境内を拡張して大本堂(正本堂)を建てたり(72年建立〉、その近くにバカでかい墓地(現在の「創価学会富士桜自然墓地公園」、80年完成)を作ったりしていた。何しろあの当時、大石寺絡みの土地売買や建設工事で、富士宮に流れ込んだ金は莫大だったんだ。
 大本堂で300億円、富士桜(自然墓地公園)で200億円、その周りの土地を買うのに数百億円といった具合に、全部で1000億近くになったんじゃないか。もちろん、この学会の建設ラッシュで地元は潤ったが、俺たちにとっても昭和40年代、50年代の富士宮での最大の利権だった。それこそ、ヤクザ、堅気問わず、富士宮中の悪という悪が、その利権に群がって丁々発止を繰り広げたんだ。
 そんななか、富士桜の造成を一手に引き受けていたのが、地元じゃ有名な「日原」という男だった。

 日原博は富士宮市で建設・造園業「日原造園」を営む傍ら、1967(昭和42)年から富士宮市議、79(昭和54)年から静岡県議を務め、自民党富士宮支部支部長を兼ねる実力者だった。

 日原は地元じゃ、「影の市長」とか、「富士宮の小佐野賢治」とか呼ばれてさ。ちょっとした有名人だったんだよ。後で、この富士桜で儲けた金を隠してて、脱税で挙げられるんだけどな。その後も東名(高速道路)なんかに食い込んで、ボロ儲けしていた。バブルの時に手を広げ過ぎてパンクしちまったが、今でも再起を目指して頑張ってるそうだ。バイタリティーのある男だよ。
 俺は初め、その日原から頼まれて、用心棒みたいなことをやっていた。何しろ当時は〝学会利権〟にありつこうと、色んな悪い奴が次から次へと集まってきたから。ただ当時はまだ、俺もチンピラみたいなもんだったから、今から考えたら鼻くそみたいな小遣いで、日原のために動いてやったんだ。
 ところが、日原が、富士桜の儲けを独り占めするもんだから、他の業者から散々、反発を買ったんだよ。やり過ぎたんだ。墓石でもさ、台湾か中国で買ってくれば1000円か2000円程度のものを5000円で売って、据え付けたら1万円ぐらいになって、それが何万基もあるんだから。そんなこんなで日原は怪文書を撒かれたり、告発されたりしてたんだが、日原の悪口と一緒に、ウチの組の悪口を書いたビラを、ご丁寧にも新聞に折り込んで撒いたMという男がいた。それに怒ったウチの若い衆が、相手ん家にブルドーザーで突っ込んだんだ。

 1977(昭和52)年11月21日、後藤組幹部が富士宮市内のM宅に12トン用の大型ブルドーザーで突入し、ブロック塀を10メートルにわたって破壊。その後、Mに日本刀で斬りつけ、左腕や背中などに2カ月の怪我を負わせ、翌日、殺人未遂の容疑で逮捕された。

 後から聞いた話だと、相手もなかなか腹の据わった奴だったらしいよ。「いつでも来い」とか言って、自分も日本刀持って寝てたらしいから。この事件でウチの若い衆は(懲役)6年食らったんだけど、実は日原の後ろにはあの「山崎正友」がいたんだ。日原と山崎は、それこそ二人三脚で富士桜を進めていたわけだ。

 山崎正友は当時、創価学会の顧問弁護士で、池田大作・創価学会会長(当時。現在は名誉会長)の。〝お庭番〟であると同時に、「宮本顕治・共産党委員長宅盗聴事件」など、過去に創価学会が行なった数々のダーティーワークの指揮官でもあった。

 学会は、大本堂を造る時からデタラメなことをしてたんだ。大本堂を造る際に、市道を勝手に(市の許可なく)潰したり、農地を不正に取得したりしてな。それが(富士宮市)議会で問題になったり、道路法違反で池田大作が告発されたりしたんだよ。けど、この告発の黒幕が実は日原で、山崎は日原を懐柔するために日原と組んだんだ。それからは、何をするにも山崎と日原は二人三脚だった。
 ところがだんだん、学会と日原のこれまでやってきた悪事がバレてきて、富士宮の中でも左翼の連中を中心に「日原造園、創価学会と市政の疑惑を正す市民会議」とかいうのができたりして、(創価学会に対する)反対運動が起こった。デモが起こるぐらいに盛り上がったんだが、その時に山崎から(反対運動が)「何とかならんか」という相談があった。そういう裏の話は当時、あの男(山崎)がすべて仕切っていて、池田ともサシで話し合えるぐらいの実力は持ってたんだ。実際、俺にも「親分のことは池田会長に伝えてあります。池田会長も『くれぐれもよろしく』と言ってました」と言ってたんだから。

 創価学会への内容証明郵便

 一方の俺も、その頃には多少は力が付いてたから、もう日原なんか相手にしないで、山崎と直で話をしてたんだ。そのうち(富士宮市)議会に、「百条委員会」なんかができて、山崎を証人喚問に呼べだの、池田の名誉市民(称号)を取り消せだのという話になって、いよいよ学会がのっぴきならない状況になってきた。

 百条委員会とは、地方自治法100条に基づく特別調査委員会で、関係者の証人喚問、強制調査、さらには証言拒否や偽証には禁錮や罰金刑を科せる、という強力な権限を持つ。富士宮市議会では1980(昭和55)年末から、この百条委員会設置に向けた動きが始まった。

 この間(80年)、山崎は学会を破門(除名)になって失脚するんだけど、山崎が作った俺とのパイプは生きていて、今度は地元の公明党の連中を通じて(百条委員会を)「何とかして欲しい」という相談があったんだ。それで(百条委員会設置)賛成派の連中に〝話〟をしたわけだ。

 富士宮市議会での百条委員会は1981(昭和56)年3月、いったん設置されたものの、公明党など反対派の猛烈な切り崩しによって同年12月、何ら機能しないまま終結した。
 一方、山崎は日蓮正宗と学会に生じた対立の影響などで80(昭和55)年、学会を除名される。81年には学会を恐喝したとして逮捕・起訴され、その後、懲役3年の実刑判決を受けた。出所後は週刊誌上で学会批判を展開していたが、2008(平成20)年に死去した。

 ところが、だ。あいつら(学会)の依頼で協力してやったのに、その後(百条委員会が終結した後)は知らんぷりだ。それどころか、俺が今まで山崎から相談を受けて、学会のために協力してきたことを、「それは山崎とあんた(後藤)が勝手にやったことであって、ウチ(学会)は一切知りません」という態度になった。市議、県議といった地元の公明党関係者も、みんな。
 それは話が違うだろう、と。山崎はあくまで学会とのパイプ役、池田の使いとして来てたんだ。べつに俺は山崎に使われてたわけじゃない。あくまで大石寺、池田のために協力してやったんだ。〝あんまり他人様になっちゃいかんぜ〟という話だよ。
 それで地元の学会や公明党の連中に話をしても埒が明かんから、神奈川の「伏木」(和雄・元衆議院議員・元公明党副委員長)という人間に話をしようとした。ところが、こいつが逃げを打って、門前払いを食らわせた。ならばしょうがないと、竹入(義勝・元衆議院議員。当時は公明党委員長)さんと、矢野(絢也・元衆議院議員、当時は公明党書記長)さん宛に内容証明(郵更)を出したんだ。

『実録 創価学会=七つの大罪』(吉良陽一著、新日本出版社)などによると、後藤が出した内容証明郵便には、このように記されていたという。〈昭和五五年一二月、富士宮市議会における百条問題は学会にとって大変な出来事でした。斉藤滋与史氏(編注:元自民党衆議院議員、後に静岡県知事)にしろ、杉山憲夫氏(同:当時は自民党県議、元自民党衆議院議員)にしろ、百条問題調査打ち切りに関しては多少なりの力添えはあったにしろ、現実はそのような甘いものではなかった。四方八方に手を尽くしてもどうにもならなかった学会側は、以前の富士桜墓地霊園(公園)造成の時と同じ様に、今度は百条委員会調査打切り、池田大作先生の名誉市民剥奪を叫ぶ市民会議解散、山崎正友元弁護士の証人喚問阻止を、土橋(昌訓〉公明党富士宮支部長、公明党元代議士・高橋繁、公明党稲田(圭佑〉市議の三氏が、学会側の代理人として私の元に依頼してきたのです。私はこの問題解決のため全力を尽くし解決いたしました。
 百条委員会に関しては中心人物、河原崎(澄雄)市議を自宅に呼び、説得に説得を重ねました。私は常に物事に対処する時は、自分の生命を賭け、明日を考えずにその一事、一事、に全力をぶつけてカ一杯生きています。ですからこの件にしても、もしこれが刑法ニ二三条に於ける処の強要罪になったとしても、信念を持ち行動して来ました。
 また、市民会議の代表者である川村、黒田の両氏を喫茶店『ミミ』に呼び、市民会議を解散するよう得々と説得いたしましたし、山崎弁護士に対しては、私自身かなり強い態度で接して私の真意を伝えました。
 この件に関して私と学会は一心同体のはずです。先にも書いた様に、富士桜自然墓地霊園造成問題に関係して、私の若い者が学会のために六年もの刑を受け今だに受刑中です。それを知り、あえて私に百条委調査打切り、市民会議解散、山崎正友の証人喚問阻止を依頼して来た事実は拭う事の出来ない事実であり、私の信念五分、学会側の依頼五分を言うのも判って頂けると思います。(中略)
 しかるに学会側は、そんな私の心を踏みにじる問題を投げつけてきたのです。私は地位も名誉もないが仁義は守り、その上での意地があります。(中略)学会の指導者はおのれだけの権力志向を欲望に生き、口先きだけの勤行を唱えているにすぎない。私は池田大作氏の真の声を聞きたい〉

確かほかにも、こんな内容のことを書いたと思うよ。「俺は決してあんたら(学会)に刃を向けようというんじゃない。ただ、今まで俺や若い衆らがやってきたことを、虫ケラを踏み潰すような形で抹殺するようなことはしないでいただきたい」とか、「あんたたちは宗教人として、俺たちも任侠に生きる人間として、仮にも看板上げているからには信義は守ってくれよ」とか……。
 けれど、しばらく待っても返事が来んから、念のため、同じものをもう一回出した。それでも返事は来なかった。つまり池田は俺の内容証明を無視したというわけだ。

 元公明党都議との密会ビデオ

 ところが、最初の内容証明を出して(83年3月)から3カ月後ぐらいに、富士宮署に突然、「後藤組壊滅対策本部子できたんだ(同年6月設置)。当時はまだ、山一戦争も始まってなかったし、地元では、それまで散々大暴れしてたのに、そんなもんができたことは一度もなかったんだ。
 この対策本部ができてからというもの、ウチの若い衆が片っ端からパクられていった。それこそションベンしても屁をひってもしょっ引かれて、1年足らずの間に60人以上がブチ込まれたんだ。ガサ(家宅捜査)の時は決まって、(静岡県警)本部から、わざわざ本部長がヘリに乗って飛んできて、(後藤組の)事務所の上グルグル回って伊、本部長自ら、(家宅捜索を)指揮してたんだよ。
 その時、思ったね。ああ、そうか、お前ら(学会)はいざとなるとこんな汚い手使ってきやがるんだな、と。そりゃ、国会だったら公明党使って、警察庁に圧力かけりゃあいい話だし、池田のお膝元の(東京)都議会でも、公明党は昔から与党だったしな。予算握ってるもんで、警視庁に圧力かけるのも造作はないわ。
 けど、これには本当に頭にきた。「じゃあ、池田先生に直接、ものを言いに行くしかないわな」と思ったよ。
 そうこうしているうちに、若い衆が、池田が東京女子医大に入院したという話を聞きつけて、俺より先に「池田先生」に会いに行ったらしいわ(笑)。ところが、それを知った池田が急に退院しちゃったもんで、若い衆は(東京都新宿区)信濃町の学会本部(創価学会文化会館)まで出かけて行ったんだ。

 1985(昭和60)年11月12日、新宿区信濃町の創価学会文化会館で、後藤組系幹部ら3人が発砲。銃刀法違反で現行犯逮捕された。

 これには池田もビビッただろうな。そりゃそうだわ、行く先々で〝パン〟って音が、するんだから(笑)。それで慌てて、俺んところに池田の使いのもんが飛んできて、詫びを入れてきたんだ。この人間は山崎と違ってまだ生きてるし、俺はべつにこの使いのもんが心底憎いとか、嫌いというわけじゃないから、本人の名誉のためにも「X」とでもしておこうか(笑)。
 このXが、山崎の後の、俺と学会との〝窓口〟になったわけだ。「陸軍中野学校の出身」とか言って、山崎がいなくなった後はこのXが〝裏〟の仕事を担当してたんだ。このXを通じて池田が詫びを入れてきたことで、その後はまた学会に協力してやることになったんだ。

 1991(平成3)年11月、日蓮正宗は池田大作・創価学会名誉会長を破門し、これ以降、宗門と学会は激しく対立。翌92年4月には学会と対立する大石寺「妙遠坊」で発砲事件が発生。同年5月には大石寺「奉天寮」に火炎瓶が投げつけられるという事件が発生した。

 俺は山崎より、このXのほうと波長が合った。山崎というのは、組織(学会)に対して誠実じゃなかった。自分の懐に金を入れることばかり考えてさ。海産物業とか変な商売を従兄弟にやらせて、20億か、30億の損を出して倒産しちゃったんだよ。それを帳消しにするため、今度は学会を脅かして、金を出させようとして恐喝でパクられて……。
 それに比べたら、後から窓口役になったXは実に組織に忠実だったよ。私利私欲じゃなしに、俺とのトラブルを含め、学会の抱えているさまざまな問題を何とか収めようという姿勢だった。だからこそ、俺もまた学会に協力してやろうという気になったんだ。あんたたちが、この「X」のことを誰と想像しようが勝手だが、俺自身はXを悪い人間とは思っていない。一番の悪はやっぱり裏で、山崎だの、Xだのに〝汚れ仕事〟させといて、表では善意に満ち溢れた教祖サマ面してる、池田大作だろうな。

 この「X」という人物の名前はもちろんのこと、素性についても、後藤は一切語ろうとしないが、過去の創価学会関係者の証言、さらにはこれまでのメディアの報道から判断すると、この「X」が、藤井富雄=元公明党東京都議会議員であることは、もはや疑いようのない事実だ。
 藤井は、定年制(66歳以上は原則として再度立候補できない制度)を導入した公明党の中で、例外的に都議を11期まで務めた重鎮で、初代「公明」代表にも就いた。2005年に引退した後は、公明党最高顧問を務め、現在も公明党が設立した財団法人「公明文化協会」の理事を務めている。
 この藤井と後藤との関係をめぐっては、東京都港区内で2人が〝密会〟した様子を収めたビデオの存在が、メディアなどでたびたび取り沙汰された。『月刊現代』04年2月号に掲載されたジャーナリスト魚住昭のレポート「野中広務『権力二十年戦争』――創価学会を『折伏』させた胆力の光と影」によると、ビデオの内容は次のようなものだったという。

〈「野中(編注:広務・元自民党衆議院議員)さんが会いたいというので久しぶりに会ったんだが、とんでもない話だった。『公明』代表の藤井富雄さんが暴力団の後藤組の組長と会ったところをビデオに撮られたらしい。そのテープを自民党側に届けた者がいるということなんだが……」
 藤井は創価学会名誉会長・池田大作の側近といわれる東京都議で、後に野中とともに自公連立の牽引車となる人物である。当時は新進党に合流していない旧公明党参院議員と地方議員を束ねる「公明」代表をつとめていた。
 その藤井が山口組きっての武闘派として知られる後藤組(本拠・静岡県富士宮市)の組長・後藤忠政と密会している場面を隠し撮りしたビデオテープがあるというのである。(中略)
 住専国会で新進党切り崩しの材料になった「密会ビデオ」。その存在が永田町の一部で密かに取りざたされるようになったのは、これより三ヵ月前の九五年一二月ごろのことである。
 当時、自民党の組織広報本部長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井が「命を狙われている」という噂が流れた。まもなくその噂を裏付けるように亀井付きのSPが増員され、亀井の車はつねに警視庁の警備車両二台にはさまれて移動する騒ぎになった。村上正邦の元側近が語る。
「騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。亀井さんが入手したそのビデオのなかで、藤井さんは反学会活動をしている亀井さんら四人の名前を挙げ『この人たちはためにならない』という意味のことを言ったというんです。受け取りようでは後藤組長に四人への襲撃を依頼したという意味にもとれる。それで亀井さんと村上、警察関係者、弁護士、私も加わって対策会議が開かれたんです」
 会議にはビデオの実物は出されなかったが、登場人物二人のやりとりを筆記した書面があった。その場の話ではビデオの映像はかなり画質が悪いうえに雑音が混じっていて声が聞き取りにくかったが、専門家に鑑定してもらった結果、登場人物は藤井と後藤にほぼ間違いないと分かったという〉

 池田大作の見苦しさ

 そのビデオが撮影されたのは、俺の知り合いで、Xとも懇意にしていた六本木の会社社長の事務所だ。俺はその時、ビデオを撮られていたことは知らなかったが、後になってそう聞いた。Xとどんな会話をしたかなんて、そんなことは憶えちゃいない。当時はXとしょっちゅう〝密会〟してたもんでな(笑)。その後、知り合いの社長がそのビデオをどうしたかについても知らない。ただ、最終的には亀井(静香・現金融・郵政改革担当大臣、国民新党代表)が持っていったと聞いているが……。

 だが、その後、藤井の周辺で不審な事件が起こる。再び前出の魚住のレポートから引く。〈「密会ビデオ」騒ぎが起きてから二年近くたった九七年十月二十九日午前二時すぎ、東京都新宿区にある藤井宅の南隣の家の鉄製門扉が爆破された。近くに電池やリード線、タイマーなどの部品が落ちており、時限式爆弾によるものと警視庁は断定した。
 その後の調べで爆発物は魔法瓶のようなステンレス製容器に火薬を詰めたものと判明。使用された電池の形態などから、過激派による犯行の可能性は低いというのが警視庁の見方である〉

 俺が今回、初めて創価学会との経緯を話したのには、2つほど理由がある。ひとつは、あいつら(学会)のやっていることが、俺が付き合っていた30年前と同じ、いやそれ以上に悪くなっているからだ。学会、いや、池田大作のために、それまで散々働いてきた連中や、俺みたいに協力してきた人間を、用済みになったと思ったら、簡単に切り捨てるようなやり方が許せんのだよ。
 山崎にしたってそうだ。最後には私利私欲に走ってしまったが、それまでは池田のために〝汚れ役〟に徹していたのは紛れもない事実だ。にもかかわらず学会は、悪事がバレそうになったら、山崎ひとりに押し付けた。
 俺が昔、(池田に対する)内容証明を出した竹入さんにしろ、矢野さんにしろ、また然り、だ。それまで散々、池田のために尽くしてきたのに、ちょっとカをつけた途端に切り捨てられたんだから。そりゃ、竹入さんや矢野さんが〝居直る〟のは無理もない話だよ。

 竹入義勝は1967(昭和42)年の衆院選で初当選した直後に、公明党委員長に就任。以降、8期にわたって衆院議員を務めるとともに、19年間、同党の委員長を務めた。  しかし政界引退(90年)後の98年、『朝日新聞』に掲載された「55年体制回顧録」で、公明党と創価学会が政教一致の関係であったことを明らかにし、公明党からは除名処分を受け、学会からは永久追放となった。以降、竹入は、学会の機関紙『聖教新聞』等で、学会幹部らから徹底した誹諺中傷を受けている。
 矢野絢也も67(昭和42)年の衆院選で初当選し、竹入の委員長就任と同時に、公明党書記長に就いた。以降、9期にわたって衆議院議員を務めたが86年、竹入の退任にともない、公明党委員長に就任(89年に辞任)。93年に政界を引退し、政治評論家に転身後は、公明党.学会批判を強めていた。
 ところが2005(平成17)年5月、伏木和雄(元衆議員議員・元同党副委員長、前出)、黒柳明(元参議院議員・元同党副委員長)、大川清幸(元参議院議員)ら3人の公明党元議員が矢野に対し、政治評論家としての活動を辞めるように迫るとともに、矢野を脅迫し、自宅から一00冊近くの手帳を奪い去るという事件が起こった。
 この事件を報じた『週刊現代』(05年8月6日号/13日号)の記事に対し、伏木ら3人は名誉を傷つけられたとして、矢野と、同誌の版元である講談社を提訴。一審の東京地裁は07年12月、「強奪の事実は認められない」として、矢野と講談社に660万円の支払いを命じたが、二審の東京高裁は、伏木ら3人の元公明党議員が「矢野に対し、多数の創価学会員や公明党員が危害を加えるかもしれないなどと脅迫して、手帳などを提出させた上、妻の部屋まで捜索してプライバシーを侵害した」などと認定。一審判決を破棄し、伏木ら3人に対し、矢野に計300万円の慰謝料を支払うよう命じた。3人は即日上告したが、最高裁は09年9月1日、3人の上告を棄却し、矢野の逆転勝訴となった高裁判決が確定した。
 またこの間、矢野は、独裁国家建設を目指す池田の野望や、学会の違法活動の実態を告発した『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』(講談社)を上梓。さらには08年6月、民主党や国民新党の呼びかけに応じ、国会内で講演し、証人や参考人として、国会で証言することについて前向きな姿勢を示した。

 逆に言えば、自分の手下に次から次へと居直られるような池田大作という男は、たいした人物じゃないってことだ。他人様から到底、褒められるような人物じゃないから、自分で自分を褒める本をせっせと作っては、学会の信者に買わせてな。ああいう見苦しい生き方もないもんだ。
 そんな池田が裏で何をしてたかといったら、山崎やXをパイブ役にして、俺たちヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺たちがちょっとでも、もの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、今度は頬かむりだ。竹入さんにも、矢野さんにも、俺にした仕打ちとまったく同じことをしてるんだよ。だから、俺もこうして公の場で居直らせてもらったわけだ。

 国家に入り込んだ宗教

 それともうひとつ、創価学会、いや「池田教」が、この日本という国家を乗っ取ろうとしていることが、見過ごせないんだよ。
 日蓮正宗という宗教を利用して、人を集めて、会員にして、その学会員から莫大なカネを上納させて、さ。日本では信教の自由が認められているから、キリスト教だろうが、日蓮正宗だろうが、わけの分からん新興宗教だろうが、宗教を持つこと自体は構わんよ。けど、それ以上のこと、公明党を作って政治に入り込んだり、創価大学作って、〝優秀な人材〟を官僚にしたり、法曹界を牛耳るために人を送り込んだりしちゃいかんだろう。
 外務省には、池田にノーベル平和賞を取らせるためだけに働く、学会員の組織があるらしいじゃないか。法務省にも、池田を守るための組織ってものがあるんだろ?だいたい神崎(武法・元衆議院議員、公明党常任顧問。元検事。09年に政界引退)にしろ、浜四津(敏子・参議院議員、元弁護士)にしろ、もともとはあの山崎の弟子だしな。
 どんな宗教信じるかは勝手だ。しかし、その宗教のために国会や官僚組織に入り込むというのは、筋が違うんじゃねえか。特定の宗教の利益を目的とする人間が、国家権力の中枢にいるのはまずいよ。あいつら(学会)が何を信じようと勝手だ。また池田個人がどんな考えを持っていようと構わん。だけど、その宗教の理屈を国に持ち込
 

創価学会と後藤組

 投稿者:トヨオキ  投稿日:2010年 5月23日(日)18時14分17秒
返信・引用
  創価学会と後藤組 (4)

 反対運動を潰すために暴力団を利用(前篇)

今回の後藤忠政氏が書いた本の中には創価学会との攻防が描かれています。
 創価学会は暴力団後藤組を操り、自分達に邪魔な存在に暴力的な脅しをかけてきました。
 1960年代末から70年代にかけて、静岡県富士宮市において創価学会は土地の買占めを行なっていました。

 この創価学会の強引な買占めに対して地元住民から激しい反対運動が盛り上がったわけですが、この反対運動に対して、創価学会が行なったのが暴力団後藤組を使っての脅しだったと言う訳です。

 これまでもこの件については幾度も週刊誌などが報じてきたことですが、今回後藤忠政氏が創価学会から依頼されて、このような地元の反対派に対して反対活動を諦めさせようとしていたことを改めて認めたことです。

 この件に対して創価学会はこの問題を後に創価学会と袂を分かち創価学会と対立関係になった故山崎正友創価学会顧問弁護士が勝手に後藤組に依頼してやったことで自分達は知らないなどと言うキャンペーンを始めた。

 故山崎弁護士が1980年に創価学会を辞めた後も、公明党の議員が後藤忠政氏とこの反対派の件で何度も話し合っていたことも明らかにされています。

 政治家が暴力団の葬儀や結婚式に出ただけで社会的には許されないという一般常識があるのに、公明党の議員は暴力団と密談を繰り返してきたという事実が明白となりました。

 池田大作などはこの問題は全て故山崎顧問弁護士一人のせいにして、自分を含め幹部はあくまでも潔白であるなどと信者を騙し続けてきましたが、これが見事に嘘であることが暴露されました。

 尤も創価学会の信者は池田大作によってマインドコントロールされて、正常な考える力を既に喪失しているので、今回もまた創価学会は信者に対しては「ヤクザがかってなことを書いている」などと言って誤魔化そうとするでしょう。

 今回の著で後藤忠政氏がヤクザという生き方をしてきた自分が、どうしても許せないとして「憚りながら」という言葉を使ってまで社会に対して残しておきたかった事実が正にこの点であったと思います。

 創価学会の池田大作と言う人物がいかにヤクザ以下であるかがこれでハッキリしました。ヤクザ者からもその人間性を云々される宗教家というのも、これまた不思議な方といわねばなりません。

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/
 

フライデー最新号 創価学会と後藤組

 投稿者:れいな  投稿日:2010年 5月14日(金)15時15分24秒
返信・引用
  山口組屈指の武闘派として恐れられた大幹部が初めての自叙伝を上梓!


一宗教法人が、実は暴力団組織の力を利用し、国政を左右するほどまでに勢力を伸ばしていたとなれば、その法人格は即刻、剥奪されて然るべきだろう。創価学会が犯した大罪を、あの元組長が激白した――。

 全国827万世帯に信者を持つと言われる巨大宗教団体・創価学会に、大スキャンダルが持ち上がった。同団体のさまざまな活動において、名誉会長の池田大作氏(82)の了解のもと、ヤクザの協力を仰いでいたとする証言が飛び出したのだ。
 その当事者として名乗り出たのは、一昨年まで日本最大の極道組織・山口組の2次団体、後藤組(本部=静岡県富士宮市)を率いていた後藤忠政氏(67、本名・忠正)である。後藤氏はこのほど、自身初の自叙伝『憚りながら』(宝島社刊=5月15日発売)を上梓。同書は、山口組きっての武闘派と言われた後藤氏が半生を振り返りつつ、関与を取り沙汰された事件や政財界の人脈、裏社会から見続けた世間のありようなどをモノローグ形式で語ったもので、日本の裏面史を辿るうえでも興味深い内容となっている。
 問題の箇所は「創価学会との攻防」と題した章だ。後藤氏によれば、創価学会との関係が生まれたのは75~76年頃のこと。創価学会はもともと日蓮正宗の信徒たいせきじの集まりで、かつては富士宮市の大石寺を本山としており、後藤組とは本拠が同じという共通項があった。
 創価学会が後藤氏の力を必要としたのは、'69~'70年頃から大石寺周辺の土地を買い占め、大本堂建立や「創価学会富士桜自然墓地公園」造成といった総額1000億円に及ぶ大規模事業を進めていたためである。つまり、巨大利権にまつわるトラブル処理のため、後藤組を用心棒として使ったうえ、ダーティーワークも任せていたというわけだ。当時の創価学会の顧問弁護士で、学会と後藤氏を繋ぐパイプ役でもあった山崎正友氏(故人)が、後年に創価学会を追放されてから著した『懺悔の告発』によれば、最後まで学会に抵抗した人物に対して、後藤組組員はその自宅にブルドーザーで突っ込み、日本刀で片腕を切り落としたとある。
 さらに、創価学会自体のやり方も強引そのもので、後藤氏いわくく学会は、大本堂を造る時からデタラメなことをしていたんだ。大本堂を造る際に、市道を勝手に(市の許可なく)潰したり、農地を不正に取得したりしてな〉といったもの。こうした行状から創価学会に対する反対運動が起き、後藤氏は前述の山崎氏からこう持ちかけられたという。
〈山崎から「何とかならんか」という相談があった。そういう裏の話は当時、あの男(山崎)がすべて仕切っていて、池田ともサシで話し合えるぐらいの実力は持ってたんだ。実際、俺にも「親分のことは池田会長に伝えてあります。池田会長も『くれぐれもよろしく』と言ってました」と言ってたんだから〉
 しかし、後藤組が介入してもなお、反対運動は鎮静化せず、富士宮市議会では'80年末から、関係者の証人喚問、強制調査、さらには証言拒否や偽証には禁錮や罰金刑を科せる「百条委員会」の設置に向けた動きが始まった。議会には山崎氏の証人喚問、池田氏に与えていた名誉市民称号の取り消しを求める声も噴出。窮地に陥った学会は、再び後藤組を頼った。〈この間('80年)、山崎は学会を破門(除名)になって失脚するんだけど、山崎が作った俺とのパイプは生きていて、今度は地元の公明党の連中を通じて(百条委員会を)「何とかして欲しい」という相談があったんだ。それで(百条委員会設置)賛成派の連中に〝話〟をしたわけだ〉
 結果は創価学会の思惑通りに。百条委員会は81年春に設置されたものの、公明党などの猛烈な切り崩しにより、何ら機能しないまま同年末に解体されたのだ。
 だが、その直後、創価学会と後藤氏の縁はいったん切れる。後藤氏によれば、学会が後藤組を切り捨てようとしたためで、憤激した後藤氏は竹入義勝.公明党委員長、矢野絢也・公明党書記長(肩書はいずれも当時)に、二度にわたって内容証明を送付した。しかし、学会が黙殺したうえ、'83年6月に突然、富士宮署に「後藤組潰滅対策本部」が設置された『とから、後藤氏はこれを学会の差し金~見て激怒。'85年11月には後藤組系幹部らが創価学会文化会館(東京・信濃町)に発砲し、逮捕される事件が発生する。この件について、後藤氏は、
〈これには池田もビビッただろうな。子りゃそうだわ、行く先々で〝パン〟って音がするんだから(笑)。それで慌てて、俺んところに池田の使いが飛んできて、詫びを入れてきたんだ〉
 という。これがキッカケで、創価学会と後藤氏は再び協力関係に。新たな窓口は、後藤氏のもとへ謝罪に訪れた前述の〝池田の使い〟で、後藤氏はこの人物葬「X」と呼称し、前述の山崎氏が学会から追放された後は〈このXが〝裏〟の仕事を担当していたんだ〉と述べている。
  同書は注釈として、後藤氏が「X」の正体を一切語ろうとしないとしたうえで、これまでの報道などから、この人物が池田氏の側近中の側近と言われた〈藤井富雄・元公明党東京都議会議員であることは、もはや疑いようのない事実だ〉と付記している。さらに、次の二つの事実荊記載。一つは'91 年に日蓮正宗が創価学会を破門し、対立が激化すると、日蓮正稟の総本山・大石寺で発砲事件などが発生したこと。もう一つは、95年辺月頃、藤井氏と後藤氏が映った〝密会ビデオ〟の存在が政界で噂され、これを材料に、与党の自民党が住専国会で新進党を切り崩したとされることだ。
 後藤氏自身は前述の大石寺を巡る事件には何も触れておらず、密会ビデオについても、事実関係こそ認めているものの、
〈どんな会話をしたかなんて、そんなことは憶えちゃいない。当時はXとしょっちゅう〝密会〟してたもんでな(笑)〉
 としか答えていない。
 自分自身もしくは旧後藤組関係者を守ろうとしているのか、このような調子で事件の核心部分となると言を避けている印象が拭えないのは確かだ。だが、それを割り引いても、学会と後藤氏が緊密な関係にあったことは十分に窺い知れる。
 後藤氏が今になって創価学会との関係を明かした理由は、義憤にあるという。
「創価学会は人を利用するだけ利用して、用済みとなれば簡単に切り捨ててきた」、
「〝池田教〟が国家権力の中枢に入り込み、日本を乗っ取ろうとしている」と糾弾したうえで、
〈一番の悪はやっぱり裏で、山崎だの、Xだのに〝汚れ仕事〟をさせといて、表では善意に満ち溢れた教祖サマ面してる、池田大作だろうな〉
 と、痛烈に批判しているのだ。
 創価学会が後藤氏の弁をどのように受け止めるかは、同書が発売される5月15日以降の反応を待つしかない。だが、後藤氏は、創価学会と挟を分かち、現在は反学会の立場で論陣を張る前述の矢野絢也氏を引き合いに出し、こうも述べる。
〈池田や学会、公明党がガタガタ言ってくるんなら、いつでも相手になってやるよ。なんなら民主党も、学会と反目になって『黒い手帖』とかいう本を出した矢野さんと俺を、国会で証人喚問したらどうだ〉
 創価学会の出方が大いに注目される。

「フライデー」平成22年5月28日号
 

ネット解約殺人事件 母は熱心な学会員

 投稿者:情報屋  投稿日:2010年 4月27日(火)11時48分28秒
返信・引用
  引きこもりのわが子に襲われない3カ条

 長男・高之(30)に命を奪われた岩瀬一美さん(58)の兄は、力なく言葉を紡ぐ。最後に弟と話したのは事件の一日前でした。インターネットのことで長男が激しく怒っていて、家の中がゴタゴタしていると。その時点で『殺して火をつけてやる」と脅されたらしく、次男や三男は夜まで家に近寄らなかったそうです。ただ、それまで家庭内暴力は一切なかったんです。引さこもっていても、悪いことをしていなければまだマシだと思っていました……」

 愛知県豊川市の一軒家で惨劇が起きたのは、四月十七日午前時過ぎ。引き金は、前日十六日に家族が断行したインターネットの解約だった。
「止めたのは誰だ!」
 十数年にわたって引きこもり生活を続けてきた一家の長男・高之は〝犯行予告〟通り、包丁を手に家族に襲い掛かり、自宅に火を放った。一家七人のうち父の一美さん、三男の長女・金丸友美ちゃん(1)が死亡。母親(58)と三男の内縁の妻(27)は一ヶ月の重傷、三男(22)も二週間の怪我を負った。出勤していた新聞配達貝の次男(24)のみが難を逃れている。
 岩瀬家の内情は、今年四月に入り、加速度的に危険水域へと達していた。
 十二日以降、一家からの一一〇番通報が計七回。さらに家族が直接、豊川警察署を相談に二度、訪れている。発端は、高之がネットの競売などで作った二百万円を越える借金だ。 四月に一度、家族がネットを解約したが、高之は自力で再接続を行っていた。「家族間の言い争いが起きると通報があった。警祭官が駆けつけると、家族はこのままでは生活が出来ないと訴え、長男は俺の勝手だと怒る。双方の話を聞くうちに、長男は『もう寝る』と言って二階の自室に上がっていく。その繰り返しで、家族は『(高之は)警察が来るとおとなしくなる』と話していた」(豊川署幹部)
 高之は二、三年前から深刻な「買い物依存症」に陥っていた。ネットショッピングを重ね、部屋には未開封のままの段ポール箱が堆く積まれていたヒいう。「父親のクレジットカードの履歴を見ると、買い物が百六十万円分、キャッシングで七十万円分が未決済で残っていた。購人品は写真集などの書籍類や、Tシャツ、衣類などパラパラ。商品の段ポールは二階の隣にある母親の寝室にも積み上げられており、寝床しかスペースが残されていない状況だった」(捜査関係者)
 家計が逼迫し、家族が行動を起こすまで、岩瀬家は色白で小柄な引きこもりの高之が君臨する〝王国〟だった。
「事件直前、長男は父親の身分証を取り上げ、父親名義の銀行口座を新たに作ろうとしていた。それまでも親の通帳を管理し、二、三十万円の収人のうち、給料の中から父に五万円、母に四万円を渡し、残りは自由にしていたようだ」(同前)
 歪んだ家族関係はいかにして形成されたのか。
 両親は三十三年前に現場の一戸建てを新築。一美さんはガス会社に勤務し、「雨の日も嵐の日も休まずに自転車で通勤していた」(近所の住民)。母親は肥料などの容器を作る会社で働いた。

八年前の「強盗事件」

「長男が小さい頃は、普通の家族にしか見えませんでした。お母さんが創価学会の熱心な信者で、最近はお父さんがベビーカーを押して歩く姿がとても幸せそうだった」(別の住民)
 高之は中学卒業後、製菓工場で働くも、約一年で退職。以降、外界との接触を断っている。前出の一美さんの兄が語る。「長男には、製菓会社を辞めてから、何でもいいから働かなきゃダメだと話したことはありますが、ウンウンと頷くだけでした。食事もバラバラになり、本人は部屋でインターネットをやっていたようです。父親には『お前が定年になったらどうするんだ』という話もしたが、『俺から言うと怒るんだ』と言うばかりで……」 いつしか親子関係は逆転し、静かに悲劇の土壌が出来上がっていく。
 家庭内を支配した高之も中学校まては、主体性のない目立たね存在。地元の同級生たちは「ほんど印象にない」と口を揃える。
 高之と同じコンピューター部に所属していた同級生の一人は二う回顧する。コンピューター部は僕たちがいた時に創設された部で、らよっとしたプログラミングをしたり、小説を書いたりするんです。岩瀬君は部活には顔を出していましたが、積極的に何かする子ではなかった。彼は進学せずに就職したので卒業式で会ったのが最後で、その後、引きこもりになったという噂は聞いていました」
 そんな高之の存在を久しぶりに認識させる、〝事件〟が起きたのは、八年前の夏のこと。岩瀬家に刃物を持った強盗が押し入り、高之を負傷させたのだ。
 当時、高之が助けを求めて駆け込んだ飲食店の経営者家族が振り返る。「当時の店長が警察に通報し、その子の手当てをしたんだけど、犯人は捕まらなかったので、後で狂言じゃないかと噂になりました」
 近隣住民の一人は自宅内で刃物を持った男と高之が揉み合う姿を目撃しているというが。「長男がちゃんと警察に話をできなかったようで、当時、聞き込みに来た警察も「被害者なのに黙秘権使ってるだよ』、『どうなってるだか全然わからん』とぼやいてました」(周辺住民)
 実際は狂言と確定したわけではなく事件は未解決扱い。真相は不明のままだ。
 時を経て一家殺傷の加害者に転じてしまった高之。「逮捕直後は動揺も見受けられた。犯行に至った動機を『インターネットを止められた』、『家族を殺そうと思った』などととメモに自筆したが、書き殴ったような文字で、横線で消しては何度か書き直していた」(別の榎査関係者)
 後の供述によれば、最初に襲われたのは、二階の部屋で孫と寝ていた母親だった。高之は、祖母の隣で眠る一歳の赤子にも躊躇なく凶刃を振り下ろした。「背中から胸に貫通しており、額にも傷があった、その後、一階で寝ている父親と三男夫婦をそれぞれの部屋で襲っているが、どちらから刺したか覚えていないと話している」(同前)
 二階の自室に戻った高之は、布団に火を付け、その上にライターを放り棄てる。引きこもり生活の終焉を意味する増悪の焔は、たちまち未明の春空に黒煙を立ち昇らせた――。 岩瀬家の悲劇は不可避だったのだろうか。
 引きこもり問題に詳しい法政大学教授の尾木直樹氏はこう説く。「ネットに依存する引きこもり青年からネットを絶つことは、空気や酸素を奪うに等しく、絶対にやってはいけないことなんです」
 高之の家族は、豊川署や県の消費者トラブルの窓口に救いの手を求め、そこでインターネットを解約するようアドバイスされたことが判明しているが、彼らは引きこもりの専門家ではない。これは極めて危険な行為だったのだ。「本来であれば、ここまで事態が深刻化する前に、専門家でチームを組んで対策にあたらなければいけません。また、家族は『引きこもりの親の会』などネットワークに関わることが必要でした。他にも同じ境遇の仲間がいることを知り、立ち向かう元気を得る。家族が変われば、やがて本人も変わってくるんです」(同)
 現在、引きこもりは全国に百万人以上、存在するという。

『週刊文春』平成22年4月29日号
 

【速報】またか! やはり創価家族だった!★殺人:ネット解約され家族5人刺す…父と1歳児死亡 愛知★

 投稿者:れいな  投稿日:2010年 4月21日(水)14時54分11秒
返信・引用 編集済
  17日午前2時15分ごろ、愛知県豊川市伊奈町前山、会社員、岩瀬一美さん(58)方の近所の住民から「刺された女性が助けを求めて来た」と110番があった。県警豊川署員が駆けつけると、岩瀬さん方は出火しており、岩瀬さんと孫の金丸友美ちゃん(1)が刺されて死亡しているのを発見。他に家族3人も刺されて負傷していた。同署は近くの葬儀場敷地にいた無職の長男、高之容疑者(30)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕、殺人容疑に切り替えて調べている。

 同署によると、高之容疑者は調べに対し、岩瀬さんがインターネットの契約を解約したことに腹を立て、台所にあった包丁で家族を刺し、2階の自室の布団にライターで火をつけたと供述。「殺してやろうと思い、5人を刺した。家も燃えてしまえと思った」と殺人容疑などを認めているという。

 他に刺されたのは、岩瀬さんの妻正子さん(58)▽三男文彦さん(22)▽近所に助けを求めた文彦さんの内縁の妻、金丸有香さん(27)の3人。正子さんと有香さんは腹や首を刺され、重体とみられる。文彦さんは2週間のけが。木造2階建ての岩瀬さん方は半焼した。

 岩瀬さん方は7人家族で他に次男(24)がいるが、外出していた。友美ちゃんは文彦さんと有香さんの長女で、左肩と左腕、額の3カ所に刺し傷があった。現場付近で凶器とみられる包丁も見つかった。現行犯の逮捕容疑は岩瀬さんを刺殺しようとした疑い。

 住民によると、高之容疑者は十数年前から自宅に引きこもりの状態だった。同署によると、13日と15日にも高之容疑者と家族間でトラブルがあり、自宅からの110番で署員が駆け付ける騒ぎがあった。現場はJR東海道線西小坂井駅の南東約100メートルの住宅街。【山口知、丸林康樹】
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100417k0000e040001000c.html
 

「校長室」「校舎階段でも情を通じた「創価学会員」の桃色校長

 投稿者:情報通信  投稿日:2010年 4月19日(月)17時21分28秒
返信・引用 編集済
  東京都江戸川区のある小学校で、校長先生が児童の卒業式を目前にして突然、更迭された。熱心な創価学会員だったというこの校長、PTAの幹部である人妻と、なんと校内のあちこちで肉体関係を結んでいたのだ。

 それはいかにも唐突な、季節はずれの人事異動だった。江戸川区内に73ある区立小学校のひとつ、A小学校。その校長が交代すると都教育庁が発令したのは3月1日。3月24日の卒業式は目前というタイミングでのことである。
 前任の戸田堅一校長(59)=仮名=は、この発令をもって「区教育委員会付」となった。名目だけの待命ポストで、紛うかたなき左遷人事だ。
 ある江戸川区議が話す。「『なぜこんな時期に?』と都教育庁に問い合わせたら、『別に何も……』との答え。戸田校長は熱心な学会員だという噂をかねてから耳にしていたので、今にして思えば、公明党や学会の強い影響下にある都が事実関係を隠そうとしたのかって。そんな風にも疑ってしまいますね」
 できることなら事実関係を永遠に封印してしまいたい。都教委や区教委の関係者はみな、そう思ったに違いない。戸田校長のしでかしたことは、それほどまでに破廉恥きわまりないものだった。
 戸田校長は後述するように、小学校における国語教育の大家として知られる存在だったという。都で教職を得て、江戸川区の区立小で副校長をつとめ、01年に別の小学校で校長に就任。07年4月、A小学校に着任した。
 戸田校長、56歳。ここでの仕事を勤め上げれば無事定年、となるはずだったが、人の生きるところ、どこに落とし穴が潜んでいるかわかったものではない。
 着任当時、PTAの幹部をつとめていた森脇沙知代さん(仮名)。年のころ40代後半の彼女との出会いが、戸田校長の人生の歯車を決定的に狂わせてしまうのだ。
 PTAは言うまでもなく、学校の運営に密接に関与している。運動会や卒業式といった行事があればこれを手伝い、保護者の親睦会などを主催し、通学路の安全にも目を光らせる。校長とは必然的に年がら年中、顔を突き合わせる仲で、
「戸田さんはそうした付き合いから森脇さんに想いを寄せたと言います」
 とは、一連の経緯を知る関係者。
「そこで森脇さんに言い寄り、あろうことか肉体関係にまで持ち込んでしまったわけですよ」
 森脇さんの子供は07年4月に6年生になり、08年3月に卒業した。「その卒業式の直後、新年度が始まる前の3月29日昼に2人は関係しました。東京都内のホテルで密会したのです」(同)
 戸田校長には妻があり、成人した3人の子供もいる。つまり「W不倫」であった。
 卒業式の後、まるで別れを惜しむかのように交わした〝愛〟。それは2人だけの卒業式のつもりだったか。
 だが、卒業してさようなら、といかなかったのは何たる皮肉。2人の仲は暴走し、新たなステージヘと突き進んでしまうのである。
 08年4月、森脇さんは、わが子の卒業をもってPTA幹部を退任する。が、
「戸田校長さんは森脇さんを学校に呼び出し、そこでコトに及びます」
 とは、先の関係者。
「5月5日のことです。GWの連休中で、学校は休みでした。それをいいことに戸田さんは校長室で性行為をしたのです」
 凡百のアダルト作品ならば、息づかいも荒々しい校長が、抗(あらが)う元PTA幹部の人妻を押し倒し……などといった描写を喜んでするのだろう。が、
「校長室にベッドはありません。校庭に背を向ける形で執務机があり、その手前に応接用のテーブルが置かれ、左右にソファがあるだけ。ドアは廊下側と、隣接する職員室との間の2カ所。でも学校が休みなら誰も入ってくる心配はないから、ソファでエッチしたんじゃないですか」(A小の保護者)

匿名の電話から

 還暦目前にして色に迷った校長は、味をしめたのだろう、すぐに次なる一手を試している。
 選んだ場所はPTA会議室――。しかも、
「通常の勤務時間中のことでした」(前出関係者)
 すなわち校内に教職員と何百人もの児童らがいる昼日なか、わが校長は肉欲にふけっていたというわけだ。嬌声を押し殺したのか、はたまた校庭を走り回る児童の歓声がすべての〝音〟をかき消したのか。いずれにせよ、あきれた話というしかあるまい。
 いよいよ見境のなくなった校長は、さらに禁じ手を繰り出した。昨年4月、森脇さんをA小の臨時職員にするのである。
 臨時職員の中には、校長の裁量で雇えるものがあるという。そのことに乗じて戸田校長は、障害をもった児童らの介助役として森脇さんを採用した。
 要は公費で愛人を囲ったに等しいが、相手が校内に常駐するとなると、もはや校長はやりたい放題。以降、
「階段や屋上の出入口でもしていた」(同)
 というから凄まじい。
 地位も名誉もある初老の校長が、おそらくは体を横たえもせずに校舎内で励むという図。これには非日常的なアレやコレやの案出にしのぎを削るアダルト業界とて、さすがに口あんぐりといったところか。
 色ボケ校長。その妄想たるや恐るべし。
 この間、校長は校内のみならず、錦糸町のホテルで何度も愛人と交歓し、時に人目もはばからず路上でキスすることもあったという。
 だが、再び巡ってきた春は長くは続かなかった。
 昨年7月、森脇さんは臨時職員を退職する。郊外のホテルから休日の校長室へ、そして平日の会議室から屋上の出入口へとエスカレートの一途を辿ってきた校長の豪胆かつ奔放な欲望は、これで小休止を余儀なくされる。ほどなく……、
「『校長との関係をどうしたらいいのか』という相談の電話が何度か寄せられるようになったのです」
 と言うのは、区教委の並木正・指導室長だ。
「それは当初、名前を名乗らない匿名の電話でしたが、2月になって実名での電話があり、直接お会いして話を聴き取りました。その内容を校長本人に確認したところ『間違いありません』と認めたので、都教委に報告したという運びです。教職員が保護者と性行為をもつことは、同意の有無を間わず処分の対象となる。このため校長は当面、自宅謹慎となりました」
 そして3月29日、ついに戸田校長は懲戒免職処分に。
 かくして己が性欲に翻弄された聖職者は、齢59にして手痛い〝教育〟を受けたのである。
 それにしてもなぜ、森脇さんは校長との関係を区教委に相談するに至ったのか。
 校長は事情聴取の際、
「関係が冷えたのは自覚していた。そんなにしつこくしたつもりはない」
 と語ったというから、裏を返せば、距離を置かれ始めたところ「少々しつこくした」せいで嫌われた、ということなのかも知れない。
 そんな戸田校長の評判は、と言えば、これが「いい先生だった」という声ばかり。「娘のことで担任の先生に相談に伺った時、たまたまいらした校長が、数分間でしたけれど同席して話を聞いてくださり、色々とアドバイスもしていただけました。身長は160㌢ちょっと、四角い顔に銀縁眼鏡、白髪交じりのにこやかな普通のおじさんといった印象で、とても色気を感じさせるような人ではありませんでしたよ」(ある保護者)

『聞き流していた』

 先述した通り、戸田校長は国語教育の専門家で、全国の国語教育関係者が集まる研究会の役員でもあった。
「理論面も実践面も優れた教育者で、子供の指導、現場の先生の育成、その両方に手腕を発揮されていました。会合にはいつもスーツ姿で現れ、ちょっとした宴会で酒を飲んだって冗談のひとつもいわない。まさに実直を絵に描いたような人格者でした。今回のことは本当に信じられない気持ちです」(研究会幹部)
 一方の森脇さんも、ある児童の母親によると、
「細身で身長は150紬・くらいと小柄。外見は年相応といった感じで、お見かけする時はたいてい黒や紺などのスーツを着て、化粧も地味めな、本当に普通の方でした。PTAをお辞めになってからも毎朝のように校門前や通学路に立って挨拶運動をなさっていたので、『アレ?』と思いながらも、律儀で熱心な方だなあと感心していました」
 さて、戸田校長の自宅を訪ねたところ、家人は不在だった。近所の住人は、
「戸田さんの家が建ったのは10年ちょっと前。敷地は15坪ほどで、3000万円以上の借金をしたと聞いたね。新築直後は奥さんもホテルでベッドメイキングの仕事をしてたみたいだが、5、6年前からは別のところで住み始めてるよ」
 と言うのである。
「つまりは別居ですな。だから、戸田さんがいなけりゃ、誰も家にはおらんかもね。夫婦とも学会員で、奥さんは『聖教新聞をとってくれ』とか、選挙の時には『公明党に投票して』とか、ずいぶんと活動なさっていましたよ。でも、普通の近所付き合いはなかったからさ。戸田さんが学校の先生だということ以外、あの家のことはよく知らんよ」
 別の住人も、
「奥さんはごみ出しの時に顔を合わせると会釈してくださる穏やかな感じの人だった。旦那さんは先生だって?学会の会合に熱心に出てるとは聞いてたけれど、日ごろの交流は全然なかったもんでねえ」
 窺い知れるのは、学会の活動にのみ傾倒した、いたって内向きな生活ぶり。
 次に森脇さんの自宅に赴いてみると、ご本人は玄関の扉越しに、
「戸田先生は好い人でした。それ以外、お話しできることはありません」
 と言うばかり。戸田校長との関係について訊けば、
「学校に協力しているだけなのに、どうしてそんなこと訊かれなきゃいけないんですか」 そう怒声を発したきり、呼び鈴を押しても応答がなくなってしまったのである。
 だが、会社役員を務める森脇さんの夫は会社で取材に応じ、こう呻いた。
「A小学校の校長の不祥事すら、私は知りませんでした。すべては初めて聞いた話なので、ただ事実を確かめたい気持ちです。妻は時おり校長の話をしていましたけれど、私は大抵、適当に聞き流していたので、何を話していたかあまり憶えていません。妻が私の知らないところで何をしているかも全然分かりません。妻を愛していて心から信じている、というわけではないのですが、妻を疑いたくもない。でも、本当だとすれば、事実として受け止めるしかありません」
 教育評論家の尾木直樹氏は言う。
「校長とPTA幹部の不適切な関係とは前代未聞。それぞれの家庭はもちろん、学校、児童、PTAに与えた衝撃は計り知れませんが、校長本人も定年間近にして2000万円以上の退職金をフイにした。教育史に刻まれる、あまりに愚かで恥ずべき事件です」
 戸田校長、穴があったら入りたかろう。

『週刊新潮』平成22年4月8日号
 

旧国鉄職員救済訴訟に公明党、与党に歩み寄り

 投稿者:れいな  投稿日:2010年 4月16日(金)14時23分25秒
返信・引用
  数年前の国鉄解体にともない、失業した旧国鉄職員救済訴訟に野党公明党が賛同しました。

どうしても与党になりたいのでしょうね。

また民主党の小沢一郎が、参院選の大敗を予期し、公明党との連立を思案に入れたようです。

どうなるのか政局の動きに注目だ。
 

矢野絢也氏 「リベラルタイム出版社」に勝訴 ③

 投稿者:日本皇国社  投稿日:2010年 3月 9日(火)17時12分54秒
返信・引用
  > No.829[元記事へ]

日本皇国社さんへのお返事です。

> なお、弁護士全員が創価学会員であることを付け加える。
 

矢野絢也氏 「リベラルタイム出版社」に勝訴!②

 投稿者:日本皇国社  投稿日:2010年 3月 9日(火)17時11分53秒
返信・引用
  > No.828[元記事へ]

なお、弁護士全員が創価学会員であることを付け加える。
 

矢野絢也氏 「リベラルタイム出版社」に勝訴!

 投稿者:日本皇国社  投稿日:2010年 3月 9日(火)17時10分6秒
返信・引用 編集済
  平成22年3月3日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官 市川俊彦平成
21年(ネ)第3724号損害賠償等請求控訴,同年(ネ)第5212号同附帯控訴事件(原審・東京地方裁判所平成19年(ワ)第15496号)
口頭弁論終結日・平成22年1月25日

判決
東京都中央区銀座2丁目11番8号
 控訴人兼附帯被控訴人 株式会社リベラルタイム出版社
 代表者代表取締役  渡邊美喜男
 同訴訟代理人弁護士 新堀富士夫
 同         海野秀樹
 同         小川治彦
 同         新名広宣
東京都新宿区
 被控訴人兼附帯控訴人 矢野絢也
 同訴訟代理人弁護士  弘中惇一郎
 同          弘中絵里
 同          品川潤
 同          大木勇
 同          川端和治
 同          久保田康史
 同          河津博史
 同          山縣敦彦
 主文
 1 本件控訴及ぴ附帯控訴をいずれも棄却する。
 2 控訴費用は控訴人兼附帯被控訴人の負担とし,附帯控訴費用は被控訴人兼附帯控訴   人の負担とする。

事実及び理由
第1 控訴及び附帯控訴の趣旨
 1 控訴の趣旨
(1)原判決中,控訴人兼附帯被控訴人(控訴人)敗訴部分を取り消す。
(2)被控訴人兼附帯控訴人(被控訴人)の請求を棄却する。
 2 附帯控訴の趣旨
 原判決を次のとおり変更する。
(1)控訴人は,被控訴人に対し,2200万円及びこれに対する平成19年2月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2)控訴人は,控訴人が発行する月刊誌「リベラルタイム」(本件雑誌)に,別紙記載の謝罪広告を,「謝罪広告」の4文字は3号の活字,その他の部分は10ポイントの活字で,1回掲載せよ。
第2 事案の概要等
 1 本件は,被控訴人が,控訴人に対し,控訴人が発行する本件雑誌に掲載された原判決別紙2の1から2の4の記事によって名誉を毀損されたとして,損害の賠償及び本件雑誌に謝罪広告の掲載を求める事案である。
 2 原審は,被控訴人の請求のうち,控訴人に対して220万円及びこれに対する原判決別紙2の4の記事(本件記事4)が掲載された本件雑誌の発行日である平成19年2月3日から支払済みまでの遅延損害金の支払を求める部分を認容し,その余の請求をいずれも棄却した。
 当裁判所も,被控訴人の請求は,原判決が認容する限度で認容すべきであるが,その余の請求はいずれも失当として棄却すべきものと判断した。
 3 前提事実,主たる争点及びこれに関する当事者の主張は,以下のとおり,当審における当事者の主張を加えるほかは,原判決の事実及び理由の「第2事案の概要」1及び2(原判決2頁16行目から5頁2行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(控訴人の主張)
(1)公的人物に関する記事については,当該記事において摘示された事実が真実であること,あるいは真実であると信ずるについて相当な理由があることの完全な証明まで必要とするものではなく,疑念,疑惑を抱くについて合理的な根拠があれば真実性・相当性が認められるべきである。
(2)原判決別紙2の1の記事(本件記事1)のうち,武井一族がその資産を海外に移転し,香港に居住していた長男に贈与することで課税を免れる租税回避行為を行ったことは事実であり,当時の東京国税局職員が作成したスキーム図(乙2)及び土井,宮澤,山口の各陳述書によると,被控訴人がこのような租税回避に関与していた疑いが濃いことが認められるから,本件記事1は真実であり,少なくとも真実と信ずるについて相当な根拠が存在するというべきである。
(3)原判決別紙2の2の記事(本件記事2),同2の3の記事(本件記事3)及び本件記事4は,いずれもダイア建設株式会社(ダイア建設)から被控訴人宅に多額の現金が運び込まれた事実を摘示し,そのことに疑問を呈示しているにすぎず,ダイア建設から被控訴人宅に多額の現金が運び込まれた事実については,現金を運んだ運転手本人の証言があるから,この事実は真実であり,仮にそうでないとしても真実であると信ずるについて相当の理由がある。
(被控訴人の主張〉
 控訴人は,本件雑誌のほぼ毎号にわた被控訴人が当時世間をにぎわしていた犯罪や不祥事とあたかも関係しているかのようにこじつけた記事を掲載し,その見、出しを新聞広告に掲載するなどして執拗な人身攻撃キャンペーンを続けており,本件記事1から4も,そのような人身攻撃キャンペーンの一環として本件雑誌に掲載されたものである。その違法性は重大であって,これによって被控訴人が被った精神的苦痛は甚大である。
 したがって,本件記事1から4によって被控訴人が被った損害は,弁護士費用も含めると2200万円を下回らないというべきであり,また,これに加えて被控訴人の名誉を回復するためには,控訴人に対し,本件雑誌に被控訴人が求める謝罪広告を掲載させる必要がある。
第3 当裁判所の判断
 1 当裁判所の判断は,原判決6頁16行目及び9頁19行目の各「を裏で繰り,そ」をいずれも削り,7頁16行目「カロリナ株」の次に「等」を加えるほかは,原判決の事実及ぴ理由の「第3 当裁判所の判断」1から4(原判決5頁4行目から11頁11行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
 2 控訴人は,本件記事1から4が被控訴人の社会的評価を低下させるものではないと主張するが,前記引用に係る原判決が認定するとおり,上記各記事が被控訴人の社会的評価を低下させるものであることは明らかであって,控訴人の上記主張は採用できない。また,控訴人は,公的人物に関する記事については,当該記事において摘示された事実が真実であること,あるいは真実であると信ずるについて相当な理由があることの完全な証明まで必要とするものではなく,疑念,疑惑を抱くについて合理的な根拠があれば真実性・相当性が認められるべきであるとも主張する。しかし,本件において控訴人が本件記事1から4で摘示した事実が真実であることの証明はされておらず,控訴人がこれを真実と考えたとして挙げる根拠あるいは証拠も,その信憑性を確認することのできない薄弱なものであって,上記のような主張の当否を論ずるまでもなく,上記各記事の違法性,控訴人の有責性は明らかである。 したがって,控訴人は,本件記事1から4により,被控訴人の名誉を毀損したことによる損害を賠償すべきである。
 3 被控訴人は,控訴人が被控訴人に対する執拗な人身攻撃キャンペーンを続けており,本件記事1から4も,そのような人身攻盤キャンペーンの一環として本件雑誌に掲載されたものであるとして,被控訴人の被った精神的苦痛の甚大さと謝罪広告掲載の必要性を主張する。
 確かに,控訴人が本件雑誌に繰り返し被控訴人の社会的評価に関わる記事を掲載し,その記事の見出しを新聞広告等に掲載していることが認められはするが,本件記事1から4以外の記事は本件訴訟の対象とはされていないから,そのような記事の存在を理由として賠償額の評価をしたり,謝罪広告の必要性の有無を判断することは相当ではない。
 そして,本件記事1から4の内容や被控訴人の社会的な立場などにかんがみると,被控訴人が控訴人の本件行為によって被った精神的な苦痛を200万円と評価し,別個に弁護士費用相当の損害として20万円を認め,被控訴人が被った損害を回復させるために謝罪広告を掲載させるまでの必要は認められないとした原判決の判断は相当というべきである。
第4 結論
 よって,主文のとおり判決する。
   東京高等裁判所第1民事部

 裁判長裁判官   一宮なほみ
    裁判官   田川直之
    裁判官   石垣陽介



謝罪広告

 株式会社リベラルタイム出版社は、「リベラルタイムj2006年11月号「矢野絢也氏(公明党元委員長)「武富士・巨額資金」の海外移転に関与か!?」と題する記事において、故・武井保雄氏の課税逃れの操作に矢野絢也氏が関与したなどと虚偽の事実を記載し、さらに、「リベラルタイム」2006年5月号「矢野絢也氏(公明党元委員長)宅に運び込まれた数億円の札束」と題する記事、同2006年9月号「兜町を賑わす急騰銘柄の背後に矢野絢也氏(公明党元委員長)の影」と題する記事及び同2007年3月号「業績伸ばすITベンチャー企業と矢野絢也氏の「深い」関係」と題する記事において,1994年ごろ矢野絢也氏の自宅に数億円の現金入り紙袋が運び込まれたなどと虚偽の事実を記載しました。
 当社の記事は、公然と虚偽の事実を摘示して矢野絢也氏の名誉を著しく毀損するものであり、多大の迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。当社の記事は事実無根であることを認め、ここに謹んで謝罪いたします.

 平成  年  月  日

 矢 野 絢 也 殿

 東京都中央区銀座2丁目11番8号 株式会社りベラルタイム出版社
 代表取締役 渡 邊 美 喜 男


これは正本である。 平成22年3月3日  東京高等裁判所第1民事部
    裁判所書記官 市 川 俊 彦

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ヤラセ顕彰

 投稿者:メッシュ  投稿日:2010年 3月 4日(木)17時49分37秒
返信・引用
  創価学会にとっては、何よりの慶事に違いない。何しろ、このところ池田大作名誉会長(83)が海の向こうから称えられる〝顕彰ラッシュ〟が続いているのだ。が、その内実を見ると、疑問符の方もラッシュで……。

 それにしてもその顕彰ラッシュは凄まじい勢い。例えば米国からのものに限ってざっと聖教新聞で拾ってみても、今年2月だけで、
〈アメリカマサチューセッツ州ド院議会池田SGI会長に顕彰状〉(23日)
〈アメリカニューヨークの行政機関 SGl会長に顕彰状〉(17日)
〈アメリカ下院議員 SGI会長を顕彰〉(2日)
 という具合。中でも極めつきは、昨年2月4日付の同紙1面トップ記事。何でも、目下、あのトヨタのリコール問題で注目を集めている米連邦下院議会が、何故かキング牧師の誕生日(1月15日)を記念して、池田センセイに『議会顕彰』を贈ったそうなのだ。
 記事では、発議者だというハンク・ジョンソン連邦下院議員が読み上げる形で、
〈米国下院議会は(中略)池田大作SGI会長を『平和と正義の使者』と命名します〉
 と証書も紹介。これを読む限り、連邦議会が正式な議決を経て発行した証書と思えてしまうではないか。

300の大台

 ところが、だ。
「これにはいろいろカラクリがあるんです」
 と、学会と対立する宗門系の新聞『慧妙』関係者がこう明かす。
「まず、聖教新聞で紹介している証書の翻訳がおかしい。正確に訳すと、顕彰しているのは議会ではなく議員個人。証書の署名も議員ひとりだし、授与式も、議事堂にある議員の個人オフィスで行われている」
 実はそのジョンソン議員、
「アメリカSGlの熱心な会員。ネット上の百科事典にも明記され、かつてワシントン・ポスト紙でも30年来の会員だと報じられた」(同)
 というから、要は、学会員が〝うちのセンセイはエライ!〟と宣言したという手前味噌的なものらしい。
「その種の証書はいわば感謝状のようなもので、下院議員が勝手に乱発することで有名。議会で〝誰々を賞賛する〟と発言するだけで議事録に残りますから。日本と違い米下院議員は党から選挙資金を貰えず任期も2年と短いので、選挙のために有力な支援者にそうした感謝状を乱発するんです」(ニューヨーク市立大の霍見芳浩教授)
 ちなみに、2年前の池田氏の誕生日(1月2日)には、同議員の発意で連邦議事堂に星条旗が掲揚されたそうだが、「議員に十数㌦払えば誰でもやってもらえる」(同)
 学会広報室は、「米国に確認しないと答えられない」
 と言うのみだが、ジャーナリストの乙骨正生氏は、
「海外の大学からの名誉博上などの称号も多く、その数は現在280近い。このままいけば300の大台も時間の問題でしょう。とりわけ今年は会長就任50周年で、5月は学会創立80周年という節日の年。そのタイミングで大台達成を目指しているのでは」
 果たしてどれだけ有難味があるのか、疑問符も大台に乗りそうなのだ。

「週刊新潮」平成22年3月11日号
 

クルクルパァーのれいなでは、笑い話だろう!

 投稿者:黒田大輔  投稿日:2010年 3月 3日(水)23時21分47秒
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よほど恐れているのか!

れいなのオッサン 大分いらだっているようだのう!

何せ奉安堂の板本尊、本物であると証明出来んので苛立っているのだろう。

君たちの宗派の板本尊、二箇相承、日興跡条々事がニセモノであることは

すでに世間の常識である。


奉安堂の板本尊 相貌確認したのか?

首題はコピー

不動・愛染は他筆 (日蓮ではない)

腰書きは他筆      (日蓮ではない)

戒壇本尊はパッチワーク本尊

一般ではニセ本尊と言う。


お前は客寄せの「お肉牙」を喧伝しているが、それは創作された伝説だ。

アホのお前に言っておくが、

日蓮正宗三大偽物を本物のように見せるのに、日量の資料を使うとはよほどマヌケ。

日蓮から日興に血脈されたと、アホのお前は信じているのか?
 

矢野絢也氏 財界にっぽんと和解

 投稿者:れいな  投稿日:2010年 2月23日(火)15時03分45秒
返信・引用 編集済
  月刊誌「財界にっぽん」に掲載された「矢野絢也に詐取疑惑が発覚!? 同窓生怒りの激白『矢野は母校への寄付金を懐に入れた』」と題する記事で名誉を毀損されたとして、矢野絢也元代議士が発行元の株式会社財界にっぽんと筆者の坂口義弘氏を相手に損害賠償を求めた裁判で、東京地方裁判所(廣谷章雄裁判長)は矢野元議員の全ての請求を棄却。矢野元議員全面敗訴の判決(8月26日)を言い渡していたが、本年2月19日の高裁控訴審判決で「本件記事内容につき、裁判上真実性を確定できる根拠がないことを確認する」とし、双方納得の上で和解した。

尚、被控訴人弁護団全員が創価学会員であるのも摩訶不思議なことである。

また本件に関し一般学会員は「仏敵矢野絢也が敗訴した!」と大喜びしていたが、これまた「黒い手帳裁判」(学会敗訴)に続き、創価学会は仏敵矢野絢也氏に大恥を食らわされた形となった。

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