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Help Japan, 日本がんばれ日本2011
謹啓
ご多用中恐縮ですが、お捨てになられる前に数行お読みになっていただき、ご判断下さいますようお願い申し上げます。
私どもは、登録しております日本のNPO=非営利団体、ハートと申します。
援助、救援のボランティア事業をしておりますが、私どもの考えに対し、多くの方々よりご支援をいただいております。
我が国が直面した今回の惨事および不可抗力は、深い悲しみと悲惨、不幸をもたらし、分かっているだけでも1万1千人以上の方達が亡くなり、多くの方々が行方不明になっております。
考えること:
A. もし、このような地震、津波あるいは原発事故が、私たちの地域で起きたら、どうしま すか?
B. もし、このようなことが今から1年後、5年後、10年後、20年後に起きたら、どう しますか?
C. 誰がこのような災害を知ることができますか? 誰が予測できますか? どのよう にして備えますか?
知ることができたとしたら、どうしますか?
D. もし、あなたがその地域に住んでいたとしたら、原発事故に対してあなたは最初にどうしますか?
E.どのようにして援助されますか?
不可抗力:
誰かを非難したり、軽蔑したりすることはできません。
今回の災害は、自然によるものであり、武器や建物、人、技術をもってしても、誰もとめることの出来ないものでした。将来、関東地方で起きるかもしれませんし、あなたの住んでいる地域で起きるかもしれません。
誰にも分かりません。
愛する私たちの国は、三回にわたり被害を受けました。
その一つ一つが、どれををとってみても、大きなものです。
原発事故に遭い、三回も被害を受けた地域もあります。もし、地震だけでしたら、被害を受けた土地、家、病院等を修復し、通常の状態に戻すことも出来たでしょうが、すぐに巨大な津波が起き、私たちの土地、木、家、病院、学校、空港等を襲いました。
すべてのことが、一日もたたないうちに、美しい晴れ渡った金曜日から悲しい嘆きの金曜日へと変わり、過ぎ去っていってしまいました。
一週間もたたないうちに、三番目の強大な被害が襲ってきました。
原発事故による放射能です。
原子力発電所から半径20キロから30キロの地域では、放射能汚染により、きれいな水も、きれいな空気も失われてしまいました。
何をすべきか:
何千人もの人々が亡くなられました。何万人もの人々が、更なる食料、水、薬、避難所を求めており、今後はインフラ整備、学校、病院、市役所、家が必要になってきます。
海から、亡くなった人達の私たちに対する(家族を助けてください。
私たちの国を助けてください。
この国を救ってください。援助をお願いします)という声が聞こえてくるようです。
写真:
多くの言葉や手紙よりも、あなたがご覧になる写真のほうが多くを物語っています。写真をご覧になってください。被災地の方達に、あなたが出来ると思われることを考え、実行してください。今は、私たち皆が心配しているということを示すことが一番重要なことであると思います。
1円:あなたにとって1円はたいした金額でないかもしれませんが、しかし、もし400人の人達が1人1円を寄付すれば、壊滅的被害を受けた地域の1人の人にお弁当を差し上げることが出来ます。
これらの地域を再建しましょう。自分には関係ない、誰か他の人がやるだろうとお考えかもしれませんが、もし皆がそう考えたとしたら、誰も寄付しないでしょう。
家を持っていた人も家をなくし、家族がいた人も家族を皆亡くしてしまったかもしれませんが、私たちには国があり、私たちの次の世代の人々を救うためにも、この国を救わなければならないと思います。
お願い:
この手紙は、お送りするのに、封筒や切手代、紙などで1通約85円かかります。この手紙をお送りし、もしあなたから何の反応もない場合、85円の費用を私どもが負担することになります。私どもは、この手紙の費用を会員の方達からお借りしました。
私どもは、その方達にお借りした費用をお返しし、壊滅的被害を受けた地域に対し、お金、食料、薬、きれいな水を寄付して、援助させていただきたいと願っております。もし、あなたがご自分でできる援助を本当にお出来になるのでしたら、下記の書式をお使いになり、どちらの郵便局からでも結構ですので、お出来になる範囲で援助をよろしくお願いいたします。
お金以外のもの、例えば衣類、パソコン、テレビ等を寄付される場合は、120jobs@gmail.com にEメールをお送り下さい。
私どもからご返事を差し上げ、無料で引き取りにお伺いさせていただきます。
クレジットカードや銀行振り込みをご希望の場合は、Eメールでお知らせ下さい。
詳細をお送りいたします。私どものウェブサイトは、会員の方からのご好意により、 www.japan.jalss.com あり、www.youtube.ne.jp ら転送され、現在工事中ですが、ご覧になる事ができます。 皆様の多大なるご援助とご配慮に改めて御礼申し上げます。
人間だけが、他者が本当に必要としているものを感じることができるのだと思います。
NPO法人ハート私は、日本の一部である事を誇りに思います。私は、自分の国、日本を誇りに思います。次の世代を救い、決して消えることのないインクで歴史にあなたの名前を書きとどめましょう。
謹白
2011/4/7 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110408/k10015173161000.html
この地震で東北地方では、これまでにあわせて82人がけがをして、手当てを受けています。
NHKが東北各地の警察や消防などに問いあわせたところ、東北各県のけが人は午前3時半現在、▽宮城県で30人、▽岩手県で28人、▽福島県が9人、▽山形県が8人、▽青森県が5人、▽秋田県が2人の合わせて82人となっています。このうち、震度6強を観測した宮城県栗原市の消防本部によりますと、栗原市では物が落ちて頭を打ったり、ガラスを踏んだりして4人が病院に運ばれました。けがの程度はいずれも軽いということです。岩手県では、震度6弱を観測した一関市で12人が病院で手当てを受けたほか、同じく震度6弱を観測した奥州市でも11人がけがをしたという通報があったということです。福島県では、震度5強を観測した伊達市の住宅で、40代の男性が避難しようとした際、階段から落ちて足の骨を折るなどのけがをしたということです。また青森県八戸市では、80歳の女性が地震で避難している途中に階段で転倒してけがをしたほか、86歳の女性が停電して暗くなった家の中で転んでけがをしました。いずれも骨折の可能性があるということです
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島3県から県外に避難した被災者が3万人近くに上ることが毎日新聞の集計で分かった。全都道府県が避難者受け入れの準備を整えたことも判明。死者7653人となった戦後最悪の自然災害は、避難でも異例の事態を引き起こしている。19日は、東京電力福島第1原発がある福島県双葉町の住民約1200人が「さいたまスーパーアリーナ」(さいたま市中央区)に避難し、町役場の機能も移転した。
双葉町は避難指示対象の原発から半径20キロ圏内に全域が入る。この日の避難者は人口約6800人の約5分の1。井戸川克隆町長や全職員の約9割にあたる約80人も同行した。だが、避難所として使えるのは今月末まで。埼玉県は県立学校元校舎や民間賃貸住宅などの利用を検討する。
被災地から県外への避難者については、毎日新聞が各地の自治体に取材した結果、岩手、宮城、福島3県から受け入れた避難者は39都府県で計2万7946人に上る。このほか487世帯が避難しており、合わせると3万人近くになる。
最も多くの避難者を受け入れたのは新潟県で1万1694人。被災者たちは、体育館など74施設や民間宿泊施設に身を寄せている。避難先は青森から鹿児島県まで全国に及んでおり、東北や関東の自治体は体育館など公営施設を用意し、そのほかは空いている公営住宅などを準備した。
今後の受け入れ準備も進む。秋田県は2万4000人、山形県は2万9000人、神奈川県は最終的に6万5000人を受け入れるなど、全都道府県が取り組む姿勢を見せた。
ただし、原発事故の沈静化の見通しが立たず、被災地の復興にも時間がかかることから、避難先での被災者のケアや住宅探しなどが今後の課題になりそうだ。
19日は福島県南相馬市と飯舘村の住民計約1070人も新潟、栃木の両県の避難所に入った。原発から30キロ圏で屋内退避指示が出ている地域の住民を対象に、国と県が希望者を対象に実施している県外退避支援計画に基づく最初の例となった。
東日本大震災:女川原発に330人避難 東北電力受け入れ
東京電力福島第1原発事故で原発への不信が広がる中、宮城県女川町では、東北電力女川原発の敷地内の体育館に被災者約330人が身を寄せている。
11日の地震発生直後、高台にある女川原発に地元住民約40人が助けを求めて駆け付けた。原発は避難所に指定されていないが「人命優先」と受け入れを決断。女川原発の相沢利之広報課長は「情報が広がり、駆け込み寺のように次々と住民が集まってきた」と話す。
カキの養殖業を営む阿部金治郎さん(68)も原発に避難した。「めちゃくちゃ揺れた。揺れから20分もたたずに波が押し寄せてきた」と振り返る。
「小高い神社へ」と懸命に石段を上ったが、波は神社の鳥居をなぎ倒した。雪が吹き付ける中、山に登って高台で一夜を過ごした。
翌朝、山を下りると集落は崩壊していた。途方に暮れていると「原発で被災者を受け入れている」とのうわさを聞き、がれきや漂流物であふれた道を約1時間歩いて原発にたどり着いたという。
福島原発の事故は女川原発の避難所で知った。阿部さんは「不安がっても仕方がない。出て行ったら凍え死んでしまうんだから」と話した。
女川原発では11日の地震で自動停止。1号機タービン建屋から出火、1~3号機の燃料プールの水が床にあふれるなどした。
from and written on http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110318k0000m040085000c.html?inb=yt
From Yahoo.co.jp courtsey 2011/04/04 courtsey to mainichi.jp http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110404k0000e040011000c.html
福島第1原発:
30キロ圏内で消防署員待機 緊急時に備え 政府が地域住民に自主避難を促している福島第1原発の半径20~30キロ圏内で、地元消防署員が小さな出張所に身を寄せて活動を続けている。管内7万人余りの大半は既に避難したが、復旧作業が続く原発で緊急事態があれば、救急搬送に駆けつけなければならない。隊員らは、万全の放射線防護対策を施して、最前線にとどまっている。【伊藤直孝、渡辺暢】 「靴の裏までお願いします」。
第1原発から西約20キロの山あいにある富岡消防署川内出張所(福島県川内村)。周囲に赤茶けたスギ林が広がり、春の雰囲気には遠い。入り口で白い放射線防護服とガーゼマスクを身につけた男性隊員から全身スクリーニング(放射線量調査)を受けた。靴裏に付いた土の汚染まで調べて、大気中の放射線測定値を大幅に超えると入室できない。
二重のガラス戸は一方ずつ開けて入室する。外気を入れないためだ。 所内に入ると、普段4人しか勤務していない約15畳の事務室に、防護服に身を包んだ隊員十数人が動き回っていた。双葉広域消防本部は20キロ圏内の避難指示が出た3月12日、原発の北約9キロにある浪江町から、川内出張所に本部を移転した。現在は93人が勤務し、30人ずつ2交代で当直をこなす。地元にとどまる住民の安否確認をする機会も多い。非番の隊員は、出張所に隣接するコミュニティーセンターで宿泊して緊急時に備える。
川内村の放射線測定値は1時間あたり0.46マイクロシーベルト(4月3日現在)で他の30キロ圏に比べて高くはない。だが、防護策は徹底し、門馬幸治副署長(56)は「外で活動する時間が長く、防護を万全にして隊員の被ばく線量を少しでも低く抑える必要がある」と説明する。 「1F(第1原発)でけが人が出ました」 3月14日午後0時半、第1原発から通報が入った。「何が起こっているのか」。不安を抱えながら、放射線防護服を身にまとった救急隊員6人が顔の全面を覆う防毒マスクを装着し、救急車2台に乗り込んだ。地面が隆起し亀裂も目立つ。津波や地震の爪痕が残る第1原発敷地内で、作業員ら6人を搬送した。3号機の水素爆発を知ったのはすべて終わってからだった。
本部移転を決めた消防本部トップの秋元正・前消防長(60)は「管内には高齢者など災害弱者が残っている。消防が踏みとどまることで住民に安心感を与えられる。また被ばく者の搬送のノウハウは、どの消防本部よりもある」と話す。震災対応の陣頭指揮を執り、3月末に出張所で定年を迎えた。
隊員の家族は、避難所で離れて生活している。門馬副署長は「いつまでこの体制が続くかは東電さんの活動次第だが……」と不安ものぞかせるが、「私たちは粛々と対応するだけ」と言う。消防本部は避難指示区域が変わらない限り現在の体制を維持する方針だ。
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110404k0000m010149000c.html
東日本大震災から一夜明けた3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、決断は揺るがなかった。「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」。機内の隣で班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員会委員長が伝えた。原発の安全性をチェックする機関の最高責任者だ。
第1原発は地震で自動停止したものの、原子炉内の圧力が異常に上昇した。東電は格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、圧力を下げる作業(ベント)を前夜から迫られていた。班目委員長は「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」と振り返る。だが、着手は遅れた。
首相は官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。
1号機でようやくベントが始まったのは午前10時17分。しかし間に合わず、午後3時半すぎに原子炉建屋が水素爆発で吹き飛ぶ。「原発崩壊」の始まりだった。致命傷ともいえる対応の遅れは、なぜ起きたのか。