バンコクはよかとねというタイトルにしようと思ったら
大学時代のことを想い出した。

一つ、ひとりで見るのもよかチンチン
二つ、振ってみるのもよかチンチン
三つ、見つめてみるのもよかチンチン

大学の軽音楽部の二級上の先輩がいつも宴会で唄っていた
「よか音頭」がなつかしい。

大学の軽音楽部には色んな先輩がいた。

このブログを見て、コメントまでくれた望月先輩。
望月先輩は、やたら歌が上手かった。
渋く、かつ甘い声にはいつも女性ファンが沢山いて
コンサートで花束をもらう数がいつもナンバーワン。

この人は一番怖い先輩で、私が一年の時
一年生の中で一人でも挨拶の声が小さい奴がいたりすると
屋上に集合させられて、全体責任を取らされた。
全員正座で目をつぶり、
周りを幹部(3年生)が囲む。

そして一人ずつ「オマエ、何で呼ばれたか分かってるか?」
と聞くのが望月さんの役目。

「ハイ、挨拶の声が小さい一年坊がいたからです」

「分かってるじゃないか。で、これからどうするんだ?」

「ハイ、全員で改めます」


「もっと大きい声で言え!」と言いながらスリッパでバシーン!!

「ハイ、全員で改めます」

「ヨシ、次は戸谷」

先輩は同じことを聞き、一年生はみんな同じように答える。

「ヨシ、田中」

声が大きくてもバシーン!!

「ヨシ、鈴木」

ここで歯をくいしばったが、先輩はスリッパで自分の手を叩いた。

当時の私は特技があって合コンの話を持ってくるのに長けていた。
で、たいがい5対5とか7対7なんだが、部のカナメである望月さんは
私が最初にメンバーに選ぶ先輩だった。
それもあって結構仲良くしていただいたわけだ。

他の一年はほっぺたを赤くしていたが私は一度も殴られたことがない。
他の先輩にも上村さんという四国出身で少林寺拳法に長け
体育会や応援団からも一目置かれていた人がいた。
なにかあると「オマエ、援団行くか?援団は人が足りないらしいぞ」とドスの利いた声で言った。

みんな震え上がったが、私は上村さんとも仲良くしていた。
上村さんはランボールギーニ・ミウラを運転する凄い三年生だった。

で、他にも色んな人がいたが「ヨカ音頭」を唄い笑いを取るのは菊田さんだった。

バンコクにいて、なぜか大学の頃のことが懐かしい。