GREEキャリア > Zeel社長 尾関茂雄氏インタビュー(前編)
プランを練るのなら、自分でやってしまおう
- 田中:
僕は当時から尾関さんと親交がありましたけど、突然サイバーエージェントに入ると聞いて、「そもそも普通に就職先があったんだな」とビックリしたんですよね。しかも、入社したという噂を聞いたとたんに辞めていたりして。そして、ネットエイジに入ってからは何をやってたんですか?
- 尾関:
ちょうど何か新しく事業を作ろうということになっていて、ビジネス立案をやっていました。だけど、実際やってみるとビジネスプラン書くのって面倒くさいんですよね。そんな面倒なことやるんだったら、自分でやった方がいいなと思っちゃって。
ちょうどその頃、ビットバレーでいろいろ応援してくれる人が増えてきていて、「自分でやったら?」とよく言われたんですよね。そのタイミングも重なって、「じゃあやりまーす」と、懸賞サイトを運営するアクシブドットコム(現・株式会社ECナビ)を起業した。
- 田中:
会社自体は、ネットエイジから出資を受けてるんですか?
- 尾関:
現物出資はね。ネットエイジでプランを考えてた時間もあったし、その分はちょっと現物出資しましょうと。起業にあたっては自分もお金をかき集めましたよ。当初資本金は1200万円でした。自分の分は500万円で、1年間頑張れば返せるかなというくらいの額でしょう。
- 田中:
はじめに、何のビジネスをやるか、決めてから会社を作ったんですか?
- 尾関:
いや、何も考えてなかった。とりあえずアイデアはいっぱいあったからね、作ってからやってみようと。インターネットを使ってコンシューマー系サービスをやりたいという気持ちはありましたけどね。
- 田中:
そこからはどうなったんですか?
- 尾関:
出資の話が来て、入れていくうちに大きくなり、赤字で大変になり……。なんとか増資することで乗り切りました。
- 田中:
そもそも尾関さんは、社長業という意味では何をしていたのでしょう? 皆をマネジメントするのが仕事なんですか。
- 尾関:
その時その時で、やってることは違いますよね。一番初めはサービス作りをやっていたし、その後は人事を担当したり。広告営業はあまりやりませんでしたね。
- 田中:
そういえば、その頃尾関さんがテレビに出てたのを覚えていますよ。どこかに営業へ行った際のドキュメント番組だったと思います。
- 尾関:
懐かしいですね。大企業のコンサルティングもやっていたんですよね。
- 田中:
じゃあ、そんなに苦労もせずに、お金も集まり人も集まり──という感じだったのではないですか?
- 尾関:
最後のファイナンスは結構苦労しました。計画性がなかったから、潰れる一歩手前で……。とりあえず目先のことで精一杯。
- 田中:
でも、人は集まってきましたよね。学生時代の友達だったそうですが、それまで築いた友達づきあいの結晶が会社になった感じはありました? すぐに何十人になっていましたが。
- 尾関:
時代に合っていたので、興味持つ人がたくさんいたんでしょうね。今は選択肢がたくさんありますけど、僕らが二十代前半だった頃はベンチャーそのものがすごく少なかったから。
- 田中:
その頃は、毎日何を考えて仕事してたんですか?
- 尾関:
どうやったら発展するか、自分で勝手にいろいろ考えていましたよ。
- 田中:
会社の方針は、尾関さんが決めて徹底させるんですか?
- 尾関:
いや、そんなことはなかった。みんなで話して、議論するという感じですね。最初は方向性も何もありませんでしたから。ひたすらユーザーを増やすことと広告を増やすこと、とりあえずそれをやるしかないから。
- 田中:
そのあとに、アクシブドットコムを売る話が持ち上がったんですね。2001年9月11日にサイバーエージェントの子会社化していますが、それまでの経緯を聞かせてください。
- 尾関:
ちょうどその頃、いろんな会社から出資、買収、事業提携の申し出がありました。サイバーエージェントよりも、もっといい評価をしてくれたりとか、会社全体を売却したりという話などいろいろあったんですが、事業的に伸びる可能性があること、社員の皆がちゃんと残れる選択肢がベストだろうと思いまして。それで、サイバーエージェントと手を組みました。
- 田中:
その時は、単純に外部の提携先がほしかったからなのか。それとも会社の成長が悩ましかったりとか。
- 尾関:
最初は資本傘下といった位置づけで、それで事業が発展すればいいかなと考えていたんですよね。
- 田中:
でも後にアクシブドットコムの経営から離れましたよね。あれはどういう事情があったんですか?
- 尾関:
独立路線も狙っていたんだけど、その方向性が皆と食い違ってきて。「じゃあ好きにやったら」と他の人に任せていたら、「もっと自分達でやりたい」と言ってきたので、自分は身を引きました。
情熱を傾けられるものを探した日々
- 田中:
そういう時は寂しいものですよね。会社を完全に売却して次にくるヤマは……、会社を完全に離れてから何もしない日があったんでしたっけ?
- 尾関:
会社にいるときも最後のほうは結構、何もしてませんでしたけどね。週に1回くらいしか行ってなかったし。
- 田中:
その間何してたんでしょう。その後、旅行に行っていましたよね。そこで再びモラトリアム期間に入ったんですね。
- 尾関:
いろいろ考え事してましたね。ずっと何もしないで考えいてたのはその時くらいですよ。生きる意味や、仕事とは何か、自分の存在とは……といったことをぼんやり考えていました。
- 田中:
そういうことを考えだしたのは、なぜですか?
- 尾関:
やっぱり、何のために生きてるのかがよくわからなかったから。
- 田中:
ある程度お金があっても満たされないものがあったと……。
- 尾関:
そこまで会社に情熱がなかったのかもしれないけど、「そんなに成長してどうするんだ」と思ってしまった。周りにいる人とやってることは一緒なんじゃないかとか、1億だろうが100億だろうが一緒じゃないの? という考えに囚われたまま、なかなか出口が見えなくなって。
- 田中:
適当に暮らしていけばそんなにお金に困らないし、何のために仕事するんだっけ、ということなんですか?
- 尾関:
お金のことは、あまり考えてなかったかもしれない。
- 田中:
では、改めてもう一回仕事について考えることになったんですか
- 尾関:
情熱を持ってやれることを探していたのかな。何かをしたいけれど、それが何かわからなかったんです。
- 田中:
逆にそういうふうな立場になって改めて「これまで自分は情熱を持ってやっていたのかなぁ」とか、「もっと情熱を傾けられるものがあるのかなぁ」と考え始めたんですか?
- 尾関:
そういうところはあるでしょうね。
- 田中:
それで新しい会社、Zeelを作り始めたのはいつですか?
- 尾関:
会社辞めてから大学院に通い始めて、3カ月後にはZeel作ってましたね。大学院で学ぶことって、大企業の経営には役立つのでしょうが、ベンチャー経営には役立ちそうもなく……。勉強がもともと好きじゃないんだなと悟ったし、好きなことしかやりたくない。
ちょうど大学院の同期の子が会社をやりたいと言っていて、「じゃあやったら」と背中を押したら「社長をやってくれ」と……。
- 田中:
でちょうどいいタイミングがきたんですね。早稲田大学の願書は友人から「勉強してみれば」と送られてきたものだったとか。そういう意味ではある種、願書が送られてくるっていうのも縁だし、早稲田に入ってみると会社を作りたいという人がいたというのも縁だし。いろいろ活動してるからこそ、縁も生まれていったのではないでしょうか。
- 尾関:
そうですね。だから、人生何があるか分からないんですよ。楽しくやっていれば、何かありますよ。
- 田中:
穴を掘り続けていれば、何か起きるかもしれませんね。とにかく掘らないと何も起こらない。
- 尾関:
そうですね。まあ、掘らなくても何か起きることもあるけど。掘りたい人は掘ってればいい。掘りたくない人は掘らなくていい。のんびりしててもいいんじゃないかな。掘るのも、掘らないのも、結局リスクは自分が負うだけの話ですからね。
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