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LOOKERS INTERVIEW No.006 (1/2)



Zちゃん/バン・ロッホ 井口真吾氏

84年に漫画雑誌「ガロ」に登場して以来、Zちゃんとその仲間や彼の住む世界を、漫画、絵本、イラスト、美術、など様々な形で表現し続けてきた。最近では、Zちゃんの友達で、お腹にチャックのついたクマのバンロッホのお話も絵本やグッズとして独立して展開され、その世界はパラレルに進行中である。
バンロッホ http://www.vanrogh.com/
LOAPS:若い頃の活動や、デビュー作「Zちゃん」について聞かせていただけますか?
最初は詩を書いたり絵を描いたり色々やってました。もともと考えるのが好きで、それを表現しなきゃいけない時には、いわゆるパフォーマンスもやりました。パレードをしながらチューリップの球根を配るというパフォーマンスです。今思うと恥ずかしいけど、当時は勢いがあったから一生懸命やっていましたね。

色んな事をやっていたのですが、描いた漫画を雑誌の「ガロ」(※)に拾っていただいて、84年から「Zちゃん」という漫画を描き始めました。僕はニューウェーブにトんじゃったタイプなので、新しいものに対する好奇心がすごく強かったんです、若い高校生の時の様なエネルギ−で走って面白いものを取り入れていったのが、Zちゃんなんです。

Zちゃんは帽子がトンガッていてマスクをしてますが、トンガるというのはモダン、マスクは自分を隠すというメタファーを込めました、それが80年代にハマりやすかったんですね。当時はまだノストラダムスの大予言が話題になっていて世界が世紀末に向かっているような感じで、バブルが始まる前の変なエネルギーが高まっていて、世界はまだ次は何か次は何か、という動き方をしてて、まだ新しいものがどんどん生まれていくという幻想があった時代なんですよ。



漫画を書き始めて1年後くらいに展覧会をしないかという話を頂いて、Zちゃんをテーマにしよう思って「Z」についていろいろ調べたんですね。「Z」は古代ローマ数字の「2000」を意味してたんです。その時書いていた小説「最後の花」のナンシーというキャラクターが絶望して倒れて、ナンシーの「N」が横に倒れて「Z」になるというエピソードがあったり、その時僕は26歳だったんですが、Zという字もアルファベットの26番目だったんですよ。「1984」ていうジョージ・オーウェルの本があったし、あと、84年にはマッキントッシュが生まれてマウスがコンピューターの中を行き来するようになりましたよね。Zちゃんの世界にも現実世界「ローズヘブン」と仮想世界「ロータスへブン」を行き来するネズミが登場するんです。色んな要素が絡んできて、どんどん自分が「Zちゃん」の世界に入っていきましたね。それは不思議な体験でした。どちらの世界が本当の世界なのかわからなくなるぐらいでしたから。
LOAPS:若かった頃はどんな生活をしながら創作活動をされていましたか?
超貧乏でした。ほとんど一年間、一銭も収入がなかった時もありましたね。「ガロ」もノーギャラでしたし。それ以外に仕事もバイトもしなかったんですよ。全部で2週間くらい働いたかな。印刷屋さんで一週間、デザイン事務所で一週間とかね。その頃はスクリーントーン代も高いなぁと思ってた。Gペンも買えないインクも買えない。昔はね、ほんとは●●したこともある(大反省)。そのギリギリの時、何を●ってなら捕まっていいかと考えたら、本と画材だった。でも悪いことするとちゃんと罰が当たることも知った。
お金が百円しかなくても、紙は買うのよ。その時に、僕は生きれるんだなって気持ちになれた。あと鉛筆とか、花を買ってました。毎日食い物もないんだけど。落ち込んで、生きなきゃという時に花を買うというのが象徴的なんですけど、削って削って残ったものが画材と花だった。その時に、ちょっと何かが分かった気がしました。それは、お金を無くして良かった事ですね。
LOAPS:その時代って日本が最も華やかだった時代ですよね?
そうですね、街を歩くとみんな新品の服を着ていて、電車に乗ってると後ろの学生が株で500万儲かったなんて話をしてました、今も似てる感じがありますね。


LOAPS:その10年位はどうやって生活してたんですか?
もっと長かったですよ、17年位かな(笑)。100円のカレーのパックを買って、レタスを買って、それが結構美味しくていつも食べてましたね。
その時はガロしか自分にはなかったから、時間もあったし、好奇心旺盛でパーティーとかに呼ばれたらよく行ってましたね。あとは近所を散歩したりね、ニートではなかったつもりなんだけど・・・。
一年間家賃を払えなかった事もあって、その時は親に言いましたねぇ。もう30歳過ぎてるんだから親も悲しいですよ、申し訳ない・・・。家賃分仕送りを貰ってたんですが、それを食費に回してしまって、家賃が払えなかったんですね。親にはずーっと帰って来いと言われてましたね。僕が少し稼いだときに言わなくなりました。お金がちょっと儲かる直前は凄かったです。僕が40才過ぎた頃で父親がもう80才前ですから、その父親が体震わせ力振り絞りながら、「お前は本当に生きて行くつもりがあるのか?!」と。普段話さない父親が言ったんですよ。これはヤバいと初めて思いました。。
LOAPS:漫画「Zちゃん」から絵本「バンロッホ」への経緯を聞かせていただけますか?
1992年にまず8年間分描きためた「Zちゃん」の漫画の本を出版したんです。自分の8年間にあったことや思ったことをZちゃんの世界に織り込みながら、連続する一つの物語になっています。その後も漫画を続けて描いていたんですが、描いていくうちに1コマにかかる時間がどんどん長くなってしまって、これはもう締め切りに間に合わないやと思っちゃって、大変だから1コマを1ページにするような絵で見せた方が良いんじゃないか?と思いはじめました。ストーリーも、徐々にガロに掲載されている社会の中で葛藤するような青春漫画ではなくなってきて、ズレを感じ始めました。やることはやったし、漫画では食っていけないって分りました。スピードも追いつかないし、やっぱり僕は漫画家じゃないのかも、というのがありましたね。



そうしているうちに、表参道の360°ギャラリーで展覧会をしていた時に作品を見たビリケン出版の社長さんから絵本を出さないかというお誘いを頂きまして、1999年に「Zちゃん」の絵本を出版することができました。Zちゃんの一連の活動をZプランと名付けていまして、第一期が1984年から2000年までで、何があっても這ってでもZちゃんを続けようとする活動だった。1984年に始まって、色々な世紀末現象を取り込みながら2000年をクリアしたいな、と。2000年まで続けることによって作品がどんなふうに変化してゆくのかもとても興味がありましたしね。そしてスタートから16年後の2000年にまだZちゃんのパワーや可能性が残っていれば、今度は第二期として3000年をイメージしながら活動していこうかと思っていました。ほとんど誇大妄想狂の世界ですね(笑)。でも本当は自分なりに生きるサバイバルのために描いていたのかもしれないですね。1999年の7の月、ノストラダムスの大予言の月ですけど、絵本版の「Zちゃん」を出版できたというので、なんとか上手くいきましたね。世紀末の波を乗り切った感じがしました。2000年をなんとかクリア出来そうだと。
その勢いでバンロッホの絵本も2000年半ばから準備に取りかかりました。

LOAPS:熊のキャラクター、バンロッホはどうやって生まれましたか?
ある日、テディーベア美術館みたいなものに行ったんですよ。もともとすごく好きで、アンティークの熊さんって面白いなと。僕も含めて、なんでこんなにファンが多いんだろう。テディーベアなら今までキャラクターに関しての説明が長過ぎた部分がすっきり伝わるかも、これは楽だなって(笑)。



その頃、そろそろ世間に受けなきゃ、とすごく強く思ってて。でも、自分の作品の中に受ける要素があるかと見てみると、微妙すぎる(笑)。95年頃のZちゃんの漫画の中に「見えない世界」という文章だけで構成されたパートがあるんです。その中で、夢を見る装置として、熊の着ぐるみなんだけど、その中に入ってチャンネルを合わせると、仮想現実世界の「ロータスへブン」に行ってテディーベアとしてZちゃん達に会えるという話があります。そのテディーベアの名前が「バンロッホ」です。紫色の帽子をかぶった小人がリボ払いの通信販売で買ったという設定でした。チャックがついたテディーベアは見たことが無いし、おもしろいかもと思いました。

注)月刊漫画ガロ:1964〜2002年頃まで青林堂が刊行していた雑誌。漫画界の異才を多数輩出。原稿料がなかった事でも有名。

注)最後の花:SWITCHに2年程連載していた井口氏の小説、全ての望みを叶える事ができる花を求めてアルファベット順に世代交代をしてゆく物語。

注)ジョージ・オーウェル:1903年生まれのイギリス人小説家 代表作に「動物農場」「1984年」があり、「1984年」では全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖が描かれている。





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