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若者が消えた町 津波でキャンパス移転

2011年06月07日

写真

学生たちが写ったインスタント写真を前に思い出を話す柳本光江さん=岩手県大船渡市、葛谷晋吾撮影

 笑い声であふれた海辺の食堂、下宿の明かり――。岩手県大船渡市三陸町にある北里大学のキャンパスが、震災の影響で神奈川へ移転し、多くの若者が去った。町の人たちはにぎやかだった震災前を懐かしみ、学生が戻る日を待ちわびている。

 市北東部の吉浜湾から500メートルほど山を登ると広い敷地に4階建ての校舎が見えてくる。北里大三陸キャンパス(海洋生命科学部)。1972年に開設しアワビ養殖や水産加工などの実習を特色に食品業にたずさわる人材を育ててきた。

 震災で女子学生が1人、行方不明のまま。校舎は無事だったが、学生の下宿などに被害があった。同大は安全のため、4月末までにキャンパスを相模原市に移した。約600人の学生が去ると町は一変した。

 海に近い食堂「GOHAN(ゴハン)」。壁一面に来店した学生たちのインスタント写真をはっている。「みっちゃん」と慕われる店主柳本光江さん(56)が9年前の開店時から撮り続けた。

 テーブル二つにイス10脚。定食はすべて800円。研究で遅くなる学生のため、当初夜9時だった閉店を1時間延ばした。恋愛相談に乗ったあるカップルは結婚して子どもの写真を送ってくれた。

 「寂しくなったよね。戻ってきてくれるといいけどねえ」。「営業中」の看板を新調し、静まりかえった食堂で再会を待っている。

 中嶋喜枝子さん(83)が約40年間営んできた下宿3棟からは明かりが消えた。「騒がしくて近所迷惑を心配したこともあったけど、これでは静かすぎ」。3年ほど前のリフォームで、学生に合わせてフローリングに改修したばかり。1人1万数千円の家賃収入がなくなり、ローンが残る。

 震災前の2月末現在で同市三陸町の人口は7263人。約8%が北里大の学生だった。高齢化が進む地域では貴重な働き手でもあった。ホタテとワカメの養殖をしていた女性(54)は、同キャンパスの学生アルバイトを雇い、ホタテをロープでつなぐ作業を手伝ってもらっていた。2食つきで5千円。「水からカゴをあげるのは重労働で助かった」。先輩から後輩へと引き継がれていた。地域貢献で週2回、ボランティアで小中高生に勉強を教えてくれるグループもあった。

 移転は5年間の予定だが、同大は集中実習などで一時的にでも三陸キャンパスで授業をできないか検討している。

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