小笠原諸島のカタマイマイ
絶滅と保全
「私たちはどこから来たのか、何者なのか、そしてどこへ行こうとしているのか?」 これは著名な画家ゴーギャンがタヒチで自殺未遂の直前に描いた絵に記された言葉です。彼の魂を捕らえて放さなかったこの謎は、ゴーギャンのみならず私たちすべての人間にとって、最も根源的で最も大きな謎のひとつといえるでしょう。そしてこの謎を解く鍵が「進化」なのです。 カタマイマイは進化が過去も今も進行中であることを私たちに示してくれる稀有な例です。私たちは、この生きた進化の教科書を通して、生物進化の本質にせまることができるでしょう。ハワイ、グァム、タヒチなど太平洋の大部分の島々では開発や移入種により陸貝がほぼ全滅してしまっていることを考えると、小笠原のカタマイマイの存在は奇跡とさえいえます。 1.太平洋の島々で起きたカタツムリの悲劇 ●ヤマヒタチオビ ゴーギャンはタヒチを未だ文明に毒されていない地上の楽園と考えました。太平洋の島々には、そのようにまだ開発が進んでいない、生き物にとって楽園のような地、というイメージがあります。しかし実はこれは誤りです。ほとんどの島が、森林の伐採、ヤギなどの放牧、外来種の捕食により、生態系が破壊され、様々な生物で絶滅が起きています。特にカタツムリでは環境の変化や移入種による影響が著しく、太平洋地域に分布していたと考えられる4000種の陸貝のうち、約半分がすでに絶滅したと考えられています(Lydeard et al 2004)。なかでも最も深刻な影響をあたえたのが、フロリダから移入されたヤマヒタチオビ(Euglandina rosea)というカタツムリを食べる肉食性のカタツムリです。この貝は、アフリカマイマイという農業害虫の駆除のために、「農薬を使わない自然にやさしい害虫駆除」として多くの島で導入されたものですが、実際にはアフリカマイマイの駆除には効果が上がらず、代わりに各島の土着のカタツムリをすべて食べつくし多数の貴重な固有種を絶滅させてしまいました。その特に悲劇的な例が、タヒチののポリネシアマイマイとハワイの固有陸産貝類の絶滅です。 |
ポリネシアマイマイ属(Partula) |
ポリネシアマイマイ科(Partula, Ena, Samoana)は、パラオからマルケサスまでの島々だけに123種分布していました。このグループは変異が著しく、島で顕著な適応放散を遂げたグループだったため、ダーウィンフィンチと並ぶ、生物進化の最高の研究材料として重視され、多くのすぐれた研究が行われてきました。特にタヒチを中心とする
ソサエティ諸島は、ポリネシアマイマイ属(Partula)の分布の中心地で、かつては61種も生息していました。有力な捕食者がいなかったため、個体数も非常に多く、まさにタヒチはカタツムリの楽園でもありました。ところが1970年代に導入されたヤマヒタチオビの捕食のために、ほとんどの島で絶滅し、現在は野外ではたったの5種しか生息していません。特にモーレア島では、ヤマヒタチオビの捕食による絶滅過程がつぶさに観察されました。この島には7種のポリネシアマイマイが分布し、1977年の段階では、おびただしい数の個体が生息していました。ところが10年後の1987年には、ポリネシアマイマイは野外では一匹も見られなくなり、野外での絶滅が確認されました。カタツムリにとって楽園は、人間の軽率な試みによって、この世の地獄と化したのです ハワイは、海洋島としては島の歴史が古く、面積が非常に大きいことから、多数の陸産貝類が島の中で分化し、これも進化の謎を解くためのすぐれた研究材料として重視され、古くから研究が行われてきました。ところが、開発のほか、人為的に移入されたネズミとアリ、そしてここでもアフリカマイマイの天敵として導入されたヤマヒタチオビの捕食により、これら固有のカタツムリの多くは絶滅してしまいました。ハワイ大学のCowie氏によると、752種もいたハワイのカタツムリの実に90%が、すでに絶滅したそうです。 |
ヤマヒタチオビ |
ニューギニアヤリガタウズムシ |
2.歴史は繰り返す:カタマイマイに起きた悲劇 80年代後半から90年代初めにかけて行われた、冨山清升氏と黒住耐二氏による精力的な調査の結果、小笠原の陸産貝類は、明治以来の開拓のため多くの種が絶滅してしまったことが明らかになりました(冨山1989,1994,2002;黒住1988)。しかしカタマイマイだけはほとんどの種が危機を乗り越え、絶滅せずに生きながらえてきました。 小笠原でカタマイマイ類が明治以降の開拓の影響は蒙ったものの、太平洋のほかの島々のカタツムリのような悲劇的な末路を辿らなかったのは、明治の開拓が終わってから自然植生が回復したこと、そしてヤマヒタチオビの導入が父島の一部を除き本格的には行われなかったという幸運にめぐまれたからでしょう。 ところが、皮肉なことにカタマイマイは、自然保護の気運の高まってきた最近10年程度のうちに、逆に劇的に数を減らしてしまいました。特に父島では、悲しむべきことに今や壊滅状態です。少なくとも1980年代後半の時点では、島の広い範囲に高密度でカタマイマイ類が生息していたのに、2004年の時点では、島の北半分からは完全に姿が消えてしまいました。コハクアナカタマイマイは絶滅、キノボリカタマイマイとカタマイマイも絶滅寸前、他の2種のカタマイマイ類も、ごく限られた地域にわずかに生き残っているのみです。いったいなぜ、こんなことが起きてしまったのでしょうか? 大河内勇氏、大林隆司氏、佐藤大樹氏による調査の結果、父島のカタマイマイ類の激減を引き起こした主犯は、人為的に持ち込まれたニューギニアヤリガタリクウズムシであることが明らかになりました(大河内・他, 2003)。ニューギニアヤリガタウズムシの捕食の影響はすさまじく、父島では今後10年程度のうちにすべての種が絶滅する可能性すらあります。また母島でも物資などにまぎれて侵入した別の貝食性のウズムシ類の捕食によって、陸産貝類の減少が引き起こされたことがわかってきました(Okochi et al, 2004)。小笠原で生態系が最も良好な状態で保たれていると信じられている兄島でも、明らかにカタマイマイ類の分布の縮小と個体数の減少がみられ、ウズムシによる捕食の影響が危惧されます。加えて兄島では増加したネズミによる食害の影響が深刻化しており、兄島のカタマイマイ類の将来も決して楽観できるものではありません。母島では、ウズムシ類の捕食により、石門や島の中央部などで地域的、一時的な減少はあったものの、現在多くのカタマイマイ類はかなり良い状態で個体群が保たれていますが、それはウズムシとカタツムリの間に非常に微妙なバランスがあるらしいことと(詳しくはOkochi et al 2004を参照)、父島からのより強力なウズムシの侵入が起きていないためであり、ちょっとした環境の変化でバランスが崩れて一気に絶滅が進むかもしれないし、また父母両島の往来や物資の移動を考えれば、将来母島で父島と同じことが起こる可能性は、きわめて高いと言わざるを得ません。 |
観光客用に駐車場をつくるため切り開かれた森のあとに、無数に散らばるカタマイマイの死骸(母島南進線南端)。 |
玉石を撒き散らしたようなカタマイマイの死骸の山。こちらはウズムシの捕食のため(母島石門)。 |
ウズムシ類の除去はほとんど不可能とされ、またニューギニアヤリガタリクウズムシのような強力な種類は、いったん侵入をを許したが最後、もはや手の打ちようのない事態になってしまうことは父島や他の太平洋の島々の事例をみれば明らかです。従って、まだウズムシの侵入していない地域を厳重に保護するとともに、ウズムシの新たな侵入を防ぎ、またすでにウズムシの捕食にさらされている個体群は、安全な生息地に移して隔離するという方法をとる以外に、カタマイマイの絶滅を回避する方法はないと思われます。現在、こうした絶滅を最小限に食い止めるための研究が行われていますが、難題も多く楽観できる状況ではありません。 かつて、おびただしい数のカタマイマイに遭遇し、唖然とした記憶のある夜明山を先年訪れた際、ただ1匹のカタツムリさえ見ることができないことに慄然とする思いでした。一度失われたものは二度と元に戻ることはありません。このかけがえのない生き物たちを、なんとか救い出す手立てを考えなければならないと思っています。 |
コガネカタマイマイ Mandarina aureola |
謝 辞 |
このサイトで紹介したカタマイマイの研究に関しては以下の方々に多大なるご助力をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。(順不同、敬称略) |
文化庁天然記念物課、東京都教育庁、環境省南関東自然保護事務所、 小笠原支庁自然公園係、
小笠原総合事務所国有林課、小笠原村教育委員会、小笠原自然文化研究所、速水格、冨山清升、大河内勇、大林隆司、 千葉勇人、築館宏文、築館恵子、坂入祐子、原眞麻子、棚部一成、安井隆弥、 延島冬生、北野茂夫、佐藤敏之、坂下智宏、城本太郎、玉田恒、千喜良登、堀越和夫、鈴木創、佐々木哲朗、小野剛、大路樹生、富岡伸夫、河田雅圭、占部城太郎、北里洋、加瀬友喜、大関栄作、Angus Davison、Bryan C. Clarke、Diogo Thomaz、Annie Guiller、Robert H. Cowie、Joris Koene、自然環境研究センター、日本自然保護協会、ニッセイ財団、KAIZIN、小笠原村診療所 |