『日本国憲法の心を描く』

           日本国憲法を絵画にする

 1970年、私は戦後生まれです。

当たり前のことですが、生まれたときから今の日本国憲法のある日本で育ってき
ました。言うまでもないことですがその間、日本国土で戦争が起きたことはありま
せん。憲法のおかげなのか、あるいは様々な情勢の作用によるタマタマなのか、
その辺りはよく分りません。
 
 ただ、日本史上いや、人類史上まれにみる戦争のない時代がこの日本には60
年以上続いていることは事実です。
 
 しかしその間、私たちの社会や生活の根底にあるはずの憲法に、正面から向き
合ったことがどれほどあったでしょうか。いや、そもそも向き合っているという自覚
をもてる性質のものでもないのかもしれません。
 
 戦争のない平和な時間が長ければ長いほど、人は本当の幸せ、真実というもの
を忘れ見失ってしまうのでしょうか。当たり前に慣れてしまう怖さがあるのではな
いでしょうか。
 
 しかし60年を過ぎ、本当の幸せや平和とは何なのか、人間にとって普遍的な理
想とは何なのか。日本国憲法の中にはその秘密、ヒントがあるのではないでしょ
うか。その辺りを探ってみたいと考えました。
 
 私は、今の日本国憲法を肯定することも否定することもできません。
法律家でも憲法学者でもない、ただの宙ぶらりんなある意味で俯瞰的な絵描き
の眼で感じる憲法を、一条一条描いてみると何か新たな発見があるのではない
かと考えています。
 
 私の絵を通じて、観る人に日常に対する新たな側面を見つけていただければ嬉
しく思います。
 
 私は、人の営みの原点、原風景を描きたいのです。

 二年ほど前から知り合いの弁護士さんの勧めで、「日本国憲法の心を描く」というテーマで憲法前文から一条一条、全百三条を絵画にするという試みに挑戦しています。これは原点主義とでも言いましょうか、私の制作姿勢にとって、大変意味のある仕事であると考えています。ひとりの絵描きとして、絵を描くという“仕事”を通して、社会に対していかに関わっていられるのか、という漠然とした絵描きの思考のなかに、何らかの答えを導いていけるのではとも考えております。ここに書きましたものは、私なりの「日本国憲法の心を描く」という試みに対峙する考え方を文章にまとめたものです。
 
                                          2009年 4月    弓手研平

              〜日本国憲法前文、第二段落より〜

 憲法前文第二段落に、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とあります。
 このことに関して、’07年秋に取材しましたブータンの家族総出での
収穫期の風景にイメージを重ねたものです。
 昨今、世界の中で本当に幸せな国と言われるブータンですが、ブータン国民はただ毎々に当たり前に農耕民族としての人間の営みを繰り返してきました。しかしその当たり前の営み、深い欲を持たず、ただ生きる為、子孫に平和に生を継ぐことこそが崇高な理想であると、全国民が生まれた時から教えられる国であるブータンは、むしろ世界から尊敬されるようになってきています。
 このことは、我々日本人にも深く共感でき、また守り続けてきたことでもあるはずです。危うく現代人が忘れつつある、人間の普遍の思想でもあると思います。
 大地に逆らわず、人間が相互に協力し合って、自然の恩恵に浴すること。これを子孫に確実に伝えられることは、実は国際社会においても、名誉ある地位に居ることではないでしょうか。

「秋色収穫図(憲法前文三部作その一)」  150号 2008年

ブータン人の心で日本国憲法の心を描く

 ヒマラヤの懐深くに、世界一幸せな国と言われるブータン王国があります。経済的には貧しいかもしれませんが、ブータンの人々には欲深さがありません。美しい山や川、なにより家族が幸せに暮らせることこそ守るべきものであると国民は考えています。

 美しい川を汚さなければ、いつでも美味しい水が飲めるではないかと考える国。そんな桃源郷のようなブータンという幸せな国を旅して忘れられない言葉があります。ブータンの道はまだまだ旅人には不便なガタガタ道なのですが、『この道を整えれば、人や車の行き来は活発になり経済は発展するでしょう。しかし家族はバラバラになってしまいます。』と、日本語を話す若きブータン人ガイドは言っていました。

 国民総生産ならぬ国民総幸福という新しい概念をこの国は発信しています。それは、財産を欲望で割ると幸福の度合が測れるという考え方です。ブータンの人々にとって財産とは美しい国土であり、また家族が共に暮らす家であり田畑でしょうか。それを、家族が最低限食べていければいいという僅かな欲望で割れば、その度合いは世界一幸せに暮らせていることになるのだそうです。

 そんな価値観、ブータン人の心で世界を見渡してみると、金銭至上主義の蔓延する世の中では、欲望はバブルのごとく膨れ上がり、幸福の手応え、実感というものは益々小さくなっているように感じます。

 姿顔立ちが私たち日本人に極めてよく似た農耕国ブータンの人々と触れ合う旅をして、最も印象的だったのは人々の純真無垢な笑顔表情です。スレたところもコビたところもなく、今現在が幸せであるという気持ちが控えめにも凛として伝わってくる。むしろ彼彼女らは、日本人以上に日本人らしいのではないかと私には感じられました。

 私たち日本人に限りなく近いDNAを持つというブータン人の暮らしや価値観のなかに、日本人にとって、いや人として、真に普遍の価値観があるのではないかと、私は考えています。

 ある意味では、ブータンに負けず劣らず、平和を60年以上も保っている今の日本の根底にある日本国憲法というものを、この時代に生きる一人の絵描きの視点思考ではありますが、ちょっぴりブータン人の心で俯瞰しながら描き解いてみる。そんな試みを通して、憲法そのものの中にあるべき普遍、日本国憲法の「心」とでも言えるものを感じて頂ければ、ひとりの絵描きとしてたいへん幸せなことです。

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