2011年6月6日11時17分
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世界一の速さで国土を縦横に、と突っ走ってきた中国の高速鉄道がアクセルを緩めた。「調和」を意味する胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席の政治スローガンを名乗る「和諧(わかい)号」。その減速から、中国社会の悩みが読み取れる。
■VIP運賃、庶民が敬遠
中国鉄道省は、7月のダイヤ改定に合わせて高速鉄道の最高速度を、基本的に300キロに引き下げる。盛光祖鉄道相は「安全に余裕が生まれ、運賃も多様にできる」と話す。
「380キロで開業、いずれ400キロ超」(同省前運輸局長)としてきた北京―上海間(1318キロ、6月末開業)は、250キロの列車も走らせる。速度ごとに運賃を変える。安い切符を用意する工夫だ。「豪華VIP個室」はとりやめた。
高速鉄道の建設には在来線の数倍はコストがかかり、運賃は3倍程度。客足は遠のき、庶民には不満が募る。そんな現実が減速に向かわせた。
たとえば、広州―武漢の2等席は、高速鉄道490元(約6千円)前後に対して快速は140元。混雑が激しい旧正月などでも、まずは安い切符から売れる。「1等車両に客1人」という高速鉄道の写真がネットで出回り、貴族列車との批判が集中したこともある。
在来線のダイヤに影響を与えながら突っ走る「和諧号」には、「弱者に優しい胡政権のイメージを損なう」(政府系シンクタンク研究員)との声が出る。
借金もかさむ。中国の鉄道事業の負債は約2兆元(約24兆円)。高速鉄道の建設とともに2007年末からほぼ3倍に急増し、資産の5割を超える規模に達し、来年には7割を超すとの試算もある。盛鉄道相は「受け入れられる範囲内」と言うが、経営を心配する声が強まる。
趙堅・北京交通大教授は「技術的にスピードが出せるということと、営業に適した速度は違う。中国の鉄道も、技術至上主義から人々の生活水準や経営を考えるようになった」と話す。
趙氏は、英仏が開発した超音速旅客機になぞらえて「中国にコンコルドはいらない」と指摘する。高い運賃や環境問題に事故が加わって商業運航を終えたコンコルドの意味は、調和。くしくも「和諧号」と同じだ。
■旗振り役、汚職で失脚
中国の高速鉄道は、国威発揚の期待も受けて「世界一」を追い求めてきた。試験走行で時速486キロを記録、500キロ超を目指していた。過去5年間で約2兆元を鉄道に投じ、08年の金融危機後の景気浮揚を担う主な公共事業でもあった。
東北新幹線「はやて」や独ICEなど自国の技術を提供した日欧の企業は、安全重視の速度にするよう促した。だが、中国側は「独自技術で高速化した」(鉄道省)として、350キロにこだわったという。
分岐点は、鉄道相を務めた劉志軍氏(58)の失脚だった。2月末、「重大な規律違反の疑い」(中国共産党中央規律検査委員会)で解任された。公式には「調査中」(温家宝(ウェン・チアパオ)首相)だが、中国紙によると、山西省の業者などから高速鉄道の入札にからんで20億元(約250億円)の賄賂を得ていたという。
鉄道省トップとして、「世界一」の旗を8年近く振ってきた劉氏には一転、内部の会議で批判が噴出したという。「末端まで汚職だらけ」との声とともに、「安全を後回しにして建設を急がされた」との指摘もあったとされる。「公には言えない不安が出たのではないか」(日本企業関係者)との見方もちらつく。
■騒音訴える住民、環境保護省も「待った」
山東省の中核都市・済南と青島とを結ぶ高速鉄道の運行に4月末、環境保護省が待ったをかけた。警告してきた環境保護法違反を是正しなければ、裁判所に強制執行を要請するという。
数年前から、住民が騒音問題を訴えてきた。
沿線にあたる●博市(●は沺の田のうえに巛)のアパート通済花園6号楼に住む陳久斌さんは憤る。「環境評価で線路から26メートル以内は立ち退かせろとある。うちは21メートル。何の措置もない」。貨物や普通列車と混在して走る線路を高速化で拡幅した結果、立ち退き指定の範囲に入った。新しい家に引っ越す補償金を引き出したいというのが本音だ。隣に住む宗麗さんも「振動で建物にひびが入るし、アパートの価値が下がってしまった」と嘆く。
住民が声をあげる事例が増えており、環境NGO緑家園の汪永晨代表は「高速鉄道を含む公共事業はもっと人々の声を聞くべきだ。建設コストの増加やペースの減速は当然だ」と話す。住民の権利意識の高まりも減速の要因になりそうだ。(北京=吉岡桂子)
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〈中国の高速鉄道〉 2005年から建設を始め、10年末の営業距離8358キロは、日本の新幹線網の3倍を超えて世界一。12年に1.3万キロ、20年には1.8万キロに延ばす計画だ。車両の技術は日、独、仏、カナダから導入した。営業運転での時速350キロも世界一。ラオス、カザフスタン、米国など海外への売り込みにも力を入れている。