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2008-09-09

Perfumeのダンスはなぜ物足りないか

id:y_arimさんからリクエストがあったので、ダンスについて書きます。


y_arim id:aurelianoにはこれにしっかり応答していただきたい。

はてなブックマーク - Walk Out to the World Tower / 2008年09月07日


ぼくはダンスというものをそれほどよく知っているわけではない。ダンスはとても難しい。ダンスというもののことを一生懸命考えていた時期はあったし、ダンスを一年間ほど習っていたこともあった。ダンスについてとても詳しい人から真剣に話を聞いたこともあった。ダンスの現場に長く着いていたこともあった。

それでもダンスのことはやっぱりよく分からなかった。と言うのはダンスはとてもエモーショナルで感覚的なものなので、系統立てたり論理立てたりして理解することが難しいからだ(それが不可能ということではない)。分かったと思ったら、するりと両手からこぼれ落ちる。そういうとらえがたい陽炎のようなところがダンスにはある。

それでも理解しようと思う。それはぼくのスタイルだからだ。なんでも理解しようとするのがぼくの流儀だ(たとえそれが不可能であっても)。だから、ダンスについて知ってる限りのことをここでは書こう。


ダンスとは何か?

ダンスにおいて(そしておそらく音楽においても)最も重要なのはリズムである。音楽の三要素はメロディ、ハーモニー、リズムらしいが、その中でも最も大切なのはリズムではないか。かつてマイルス・デイビスは、晩年になるほどリズムへのこだわりを強くしていったらしいけれども、そこら辺にリズムの重要性というのが窺い知れるように思う。

そしてダンスについてもこれは大いに言えることだと思う。ダンスで最も大切なのはリズムなのだ。


ダンスを習っていた時、最初に教わったのは「音楽を身体に入れる」ということだった。音楽――取り分けリズムを身体に入れること、自分自身がリズムに成るということ、それがダンスだと教わった。

それから次に教わったのは、ダンスのリズムというのは裏を打つのがだいじだということだった。拍と拍のあいだの裏を打つこと。「1 and 2 and 3 and 4」の「and」の部分を意識すること。そうすると、ダンスが格段に格好良くなるのだということだった。


と、ここまでは教わった。しかしこの裏を打つとなぜ格好良くなるかというのは、あまりよく理解できなかった。ぼくのダンスへの理解は、そこのところでちょっと詰まってしまった。それは、ぼく自身がとてもリズムを取るのが苦手だということもあった。ぼくはリズム感がちっともなかったのだ。

おかげでぼくのダンサーとしての能力はほとんど成長しなかった。それは自分自身でもよく分かっていたのだけれど、どうすれば成長できるかという、その手がかりさえつかめなかった。

それは簡単に言えばダンスに向いてなかったということもあるだろうし、あるいはぼくのこの「理解しよう」というアプローチが良くなかったのも知れない。もう少し感覚的に、心の鎧を脱ぎ捨てて、直感的にアプローチできれば良かったかなとも思っている。


それでもぼくは、これ以降も折に触れてダンスのことを考えてきた。踊ること自体はもうしなくなったけれども、考えることならずっと続けてきた。ダンスを習ったその後で、実際にまたダンスのことを考えさせられる、その現場に長く触れ合う機会もあったからだ。そこでぼくは、ぼくなりのやり方で、ぼくにできるアプローチで、ダンスというものをじっくりと考えてきた。


そうした中で、非常に基本的なことなのだけれど(だから言うまでもないかも知れないが)ダンスにはいくつかの欠くことのできない重要なファクターがあるなというのは、自分の中でだんだんと整理がついてきた。「ダンスとはこういうことをいうのではないか」と、自分の中で幾分かは理解が進んだところもあった。またダンスを見てきた中で、感動したり魅了されたりする場面にも何度か遭遇して、それがぼくのアプローチを手助けしてくれたりもした。


それらのことを、ここでは書いてみようと思う。もちろん、これが全てではないし、整理されてなかったり統合されてないかも知れないが、今のぼくにできる精一杯のアプローチで、ぼくが考え至ったその「ダンスとはこういうことをいうのではないか」について、ここでは書いてみたい。


ダンスとは動きと静止である

ダンスというのは、当たり前のことかも知れないけれども、「動き」と「静止」とから成り立っている。そして、多くの人の陥る弊害というのが、「静止」の部分をないがしろにしてしまうということだ。ここの部分がすっぽり抜け落ちた人というのは意外に多い。それは初心者のみならず、かなりの上級者であってもまま見られる現象だ。

だけれども、ぼくはこれはすぐに見て分かるようになった。静止をないがしろにしている人は、総じてダメである。ピタッと止まれない人、ピタッと決まれない人は、残りの全てが完璧でも、それだけで台無しになる。画竜点睛を欠く。仏作って魂入れずというやつだ。とにかく静止がダメだとダンスの魅力は大きくそこなわれてしまうのである。


静止とは、具体的にこういうことを言う。


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リンク:YouTube - Tony Tee


静止がだいじだというのは世阿弥も言っている。「せぬ所が面白き」というやつだ。だけどそれ以上に参考になる言葉があって、誰が言ったのかは忘れたが、書道家で、こんなふうに言っている人がいた。

「書道というのは墨で『黒』を描くように考える人が多いけれども、実は黒を描くことで描かなかった半紙の『白』を描いてもいるのです」

「墨で書いた部分も重要だが、墨で塗られなかった半紙の余白も、これに劣らずだいじなのだ」

これは本当にその通りだなと思った。そしてダンスもまさしくそうなのだ。ダンスは、動いている時の「描いた黒」もだいじなのだが、止まっている時の「描き残した白」も、それに劣らずだいじなのである。



ダンスとはリズムである

ダンスとはリズムのことで、これは基本中の基本だ。それについて、面白いことがあった。

前に、音楽に詳しい友人と話していた時に、ぼくは先生から習ったこの「ダンスとはリズムである」という考えを自慢げに話して聞かせていたことがあった。するとその友人から、とても面白い言葉が聞けたのである。

彼はなんでも、ぼくの話を聞いて「宇多田ヒカルがなんですごいのかが分かった」と言うのだ。

彼は、かつて宇多田ヒカルの「Automatic」のPVを初めて見た時に、彼女にいっぺんに魅せられてしまったという経験があった。それも、彼女の音楽と言うよりは、その動きに魅せられたと言うのだ。


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リンク:YouTube - 宇多田ヒカル「Automatic」


しかし彼は、なぜ自分がその動きに魅せられたのか、当時はちっとも分からなかったらしい。それが見栄えの良いちゃんとしたダンスであるならまだしも、ただ身体をくねくねくねらせているようにしか見えない。しかしそのくねらせ方に、なんとも言えず魅了されてしまう。思わず引き込まれてしまう。彼は、自分自身で長いあいだ、そのことの理由を突き止められずにいたのだそうだ。

ところが、ぼくの話を聞いた瞬間に、積年の疑問が氷解したと言うのである。全ての謎が、一気に解けたと言うのだ。

「それはリズムだったんです」と彼は言った。彼は、宇多田ヒカルのそのくねくねした動きの中に、彼女の奏でるリズムを感じ取っていたのだ。だから、彼女に魅せられたのだということだった。それはとてもダンスには見えなかったけれど、ぼくの話を聞いた瞬間に「ああ、あれはダンスだったのだ」ということに、初めて思い至ったのだということだった。

そうして彼は、それを気付かせてくれたぼくにたいそう感謝していたけれど、ぼくの方こそ彼に感謝だった。彼からその話を聞かされなければ、たとえ「ダンスとはリズムのことだ」と知っていても、宇多田ヒカルが「Automatic」で素晴らしいダンスを披露しているということには、とてもじゃないけど気付けなかっただろうから。


ダンスとは緩急である

ダンスというのはリズムなんだけれど、ダンスが上手く見えるコツというのを、先生が一つ教えてくれたことがある。それは「緩急」をつけることだった。同じリズムを取るのでも、機械的にたんたんと平均的に取るのではなく、拍と拍のあいだに緩急をつけると良い、その中に波を持たせるととても格好良く見えるし、気持ちが良いのだということだった。

具体的に言うと、最初はゆっくりで、だんだん速くなって、やがて急スピードになって、最後はピタッと止まる――という感じが良いのだそうである。最初は「あ、ちょっと拍から遅れそう?」と思わせておいて、そこから急速に加速して、最後の最後でピタッと間に合う。そこでは、最高速から急激に静止するという劇的な変化もある。そのことが、何かしらトリッキーな、あるいはドラマチックな感覚を、見る者の心に呼び覚まし、魅力的に感じさせるというのだ。


これを聞いた時は、なるほどこれはダンスに限らず、スポーツの世界でも同じことがいえるなと感じた。

例えばぼくは野球が好きなのだけれど、世界最高のピッチャーである大リーググレッグ・マダックスは、まさにこうした動きの体現者なのだ。彼のピッチングフォームは、最初はとてもゆっくりなのに、途中から急激に速くなって、最後はピタッと絵のように決まる。

あるいはNBAマイケル・ジョーダンのドリブルにもそういうところがあった。マイケルのドリブルも、最初はゆっくりなリズムなのに、途中から加速度がつくことで相手ディフェンダーを置いてけぼりにする。しかもそこから急激に止まることによって、相手の身体を完全に振り切ってしまう。

さらにはNFLジェリー・ライスにも同じことが言えた。彼は走りの中で巧み緩急をつけ、ほとんど同じスピードで走っているにも関わらず、相手ディフェンダーを置き去りにするという神業のような芸当の持ち主であった。彼は、同じリズムの中でも巧みに緩急をつけることによって、相手ディフェンダーを幻惑することができたのだった。


緩急には、そういう人の意表をついた面白さというものがある。目に見えて面白いと言うよりは、感覚的に面白い。表層意識と言うよりは、深層心理に訴えかける――そんな力を持っているのである。

そういう意味で、この人の緩急は絶品である。この人のダンスは、結局何もかも素晴らしいのだけれど、特にそのゆっくりとした動きの素晴らしさは、他の追随を許さないものがある。


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リンク:YouTube - Fred Astaire


ダンスとはディテールである

これもまた基本中の基本なんだけど、ダンスの良し悪しというのは実にディティールに現れる。具体的に言うと、それは手足先や指に現れるのである。

手を伸ばした時に、ちょっとでも肘が曲がっているともう興醒めだ。手を開いた時に、ちょっとでも指が曲がっているともうそれだけでガッカリしてしまうのである。

これは体操やバレエなどでも本当にしつこくくり返し言われることなのだけれど、あんまりしつこく言われ過ぎて、もう何がなんだか分からなくなる人もよく見かける。それくらい、ダンスにとって手足先に神経を行き届かせることは本当に大切なことなのだ。

そして、手足先に神経を行き届かせるといえば、やはりバレエである。もちろん、この人はすご過ぎるというのはあるけれども、全てのダンサーが見習うべき意識や姿勢というものが、このダンスからは感じられる。


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リンク:YouTube - Sylvie Guillem in Kitri’s Act I Solo (rehearsal)


ダンスとは表情である

最後に、ダンスというならこの人に触れないわけにいかないのはマイケル・ジャクソンである。マイケルは、ぼくにとっていつだって最高のダンサーである。そして「スリラー」は、ぼくにとっては永遠に最高のダンス作品であり続ける。この作品を何度見たか知れないし、また何度見ても飽きることがない。見る度に魅了されるし、見る度に新しい発見がある。

くり返し見てきた中で、ぼくは「なんでマイケルのダンスはこうまでぼくを魅了するのだろう?」というのをずっと考えていた。「マイケルのダンスの魅力の神髄というのは、一体どこら辺にあるのだろう?」ということを、いつでも考えてきたのである。

そうした中で、ぼくがこのビデオの中で最も魅了され、また最も興奮させられるところがあるということに、やがて気付いた。それは映画館から出てきたマイケルが、ゾンビたちに囲まれ自らもゾンビに変身してしまった直後の、音楽が再び奏で始められるシーンである。


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リンク:YouTube - Michael Jackson

もちろんここは、このビデオの中でも最も大きな場面転換だし、音楽も最高に盛り上がる山場だというのはあるのだけれど、それでもぼくは、とにかくマイケルのその動きに惹きつけられないわけにはいかなかった。

その動きの中でも、ぼくが最も惹かれていたのはマイケルの顔だった。もっと言えば、顔の表情だった。

特殊なメイクを施されているが、その上からでも、彼の表情というのはよく分かる。このシークエンスのマイケルの顔は、とにかくすごいのだ。簡単に言えば、顔がダンスしているのである。目が、口が、表情が、そして顔全体が、動きと静止をくり返しながら、リズムに乗って、緩急をつけているのだ。

注目してほしいのは、まず口である。リズムに合わせ、ビートを刻んでいるのがよく分かる。見る者に、律動への大いなる欲情を催させる、生命の原初的なリビドーを感じさせる拍の刻みだ。

またその開く大きさも、小さくと大きくを、見事に使い分けている。さらには動き方も、ゆっくりの時もあれば素早い時もあり、変幻自在だ。

そして、口だけではない。目が、首が、そして表情が、想像を絶するほどの豊かなハーモニーで、それはオーケストラにも匹敵するほどの圧倒的な迫力で、見る者の目に、心に、そして深層心理に迫ってくるのだ。


高画質の完全版も一応貼っておきます。ここでは8:27辺りからが件のシークエンスです。

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リンク:Michael Jackson - Thriller‐ニコニコ動画(夏)



振り返ってPerfumeのダンスはどうなのか?

さて、そんなふうにダンスを構成するさまざまな要素を鑑みた上で、あらためてPerfumeのこの動画を見てみる。


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リンク:Perfume - SEVENTH HEAVEN‐ニコニコ動画(夏)


そうすれば、もうお分かり頂けるのではないだろうか。彼女たちには、まずほとんど静止するということがないのである。本来は静止すべきところで、ことごとく身体が流れてしまっている。もちろん、この曲の時は疲労していたということも考えられるが、それにしたって流れ過ぎだ。ぼくは、彼女たちには技量が足りないだけでなく、止めようとする意識も足りないように見えて仕方ない。彼女たちからは、動きを止めようと言う確固たる意志というものがこれっぽっちも伝わってこない。そこのところが、まずなんと言っても物足りない。


それから、リズムというのも残念ながら感じられない。宇多田ヒカルの「Automatic」のような、ダンスでないにもかかわらず思わず惹きつけられるような、そういう人の動きの原初的な楽しさといったものが、この動画からは感得できないのである。

具体的に言うと、彼女たちの身体にはリズムが入ってないのだ。ただ時間に合わせ、決められた動きをなぞっているに過ぎない。彼女たちは音楽を感じていない。彼女たちはリズムを感じていないのだ。それがぼくが、この動きは誰にでもできるといったことの意味である。彼女たちは、全然リズムそのものに成り切れていないのである。


さらには、緩急というものもまるでない。但しこれは、上に挙げたものの中では比較的難しい要素なので、アイドルである彼女たちにそれを求めるのは酷だという意見もあるかも知れないが、それにしたってなさ過ぎる。

ここでぼくが疑ってしまうのは、彼女たちには果たして、「自分たちの動きで見る者を楽しませよう」という、そのマインドが本当にあるのかということだ。ぼくが一番気になるのは、実はそこのところなのである。そういうマインドがあれば、リズムや緩急は、たとえ機械的な動きであろうとダンスのあいだからこぼれ落ちてしまうものだ。しかしこの動画には、それがない。


しかも彼女たちのダンスは、手足に神経が行き届いてもいないし、顔の表情だって、ありきたりな、どこかで見たような顔ばっかりだ。

一体、彼女たちはこれまで何を習ってきたのだろう?

エンターテインメントというものを、どのように考えているのだろう?

このようなありきたりな、どこかで見たことのあるような顔しかできないのなら、早晩飽きられてしまうのは必定である。そういうことへの危機感というものが、彼女たちにはないのだろうか? 誰かがそれを、教えてはくれなかったのだろうか?


いや、それより以前に何度も言うようだが、彼女たちには表現することへの喜びというものはないのだろうか? 人をワクワクさせてやろう、驚かせてやろう、魅了してやろうという気概がないのか?

確かに彼女たちはアイドルかも知れないが、それにしたって「表現者」、あるいは「エンターテイナー」であることには変わりない。しかし彼女たちには、エンターテイナーなら誰でも持っていなければならないはずの、「表現欲」というものがまるでない。「感じられない」のではなく、「ない」のである。上に貼ったPVのように、彼女たちの表現したものの中からは、それがすっぽりと抜け落ちているのだ。それが、ぼくがPerfumeを物足りなく思ってしまう一番の理由である。


まとめ

最後に断っておきたいのは、ぼくはPerfumeのことがけっして嫌いなわけではないということである。彼女たちがブスだとも言ってないし、彼女たちの音楽が聞く価値のないものだとは少しも言っていない。

ただ、ダンスは下手くそだと言っているのである。その上、ダンスを良く見せようという気持ちも感じられない。

だから、彼女たちのダンスは見る価値がないものと断定したのだ。センスか、マインドか、パッションか、そのどれか一つでもあれば、これほど物足りないものにはならなかっただろう。しかし残念ながら、彼女たちのダンスには、そのどれもが欠けているのである。


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