今日は実家を朝六時に出発。
母と一緒にまずは父の見舞い。
そしてJRで赤羽から渋谷、渋谷から東横線で大倉山に行き
タクシーで妹の墓のあるお寺へ行った。

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大倉山駅前のファミリーマートで虫除けスプレーを買って
ふんだんに吹き付けたのが功を奏し、蚊に食われずにすんだ。
そして何よりも助かったのは早い時間に行ったので
暑い思いもせずにすんだ。

1992年6月6日、4人乗りシングルエンジンのセスナの事故のため
富士山頂上付近で亡くなった妹。

兄の私が言うのもなんだが、優秀な妹だった。
小学校の頃から優等生で、高校は都立の名門・竹早高校、
大学は立教大学の法学部を優秀な成績で卒業した。
大学時代にはディベートで、あのオウム教の上祐氏とも
張り合ったという。

私の影響もあり英会話とスペイン語も勉強し、
大学時代にアラバマ州モービルに短期留学もしている。

そして就職先は山一証券が内定していたが
私の「朝7時から夜11時の16時間勤務の会社よりか
航空会社も面白いんじゃない?」という言葉を聞いてか
キャセイパシフィック航空に就職した。

それが飛行機事故で亡くなることに繋がるとは…
いまでも心が痛い。

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ユーミンが好きだった妹。
大学の同級生の話では特に「卒業写真」が好きだったという。
ユーミンの「ひこうき雲」を聴いていると詩の内容が妹とダブって
19年たったいまでも涙が出てくる。

私の家内とも仲良くしていたし、私の息子もことのほか可愛がってくれた。

今日は母と妹の話を長くしていたが
「ママ、将来旅行がとっても好きになるはずよ。
私が世界中連れて行ってあげるわ」と
妹は母に何度も言っていたという。

兄としてしてあげられることは墓参りぐらいしかないのが辛いところだが、
母が生きている間、妹に代わって母親を旅行に連れていってあげることで
妹の供養にしたい。