「誰でも恐れていることと、願っていることをやすやすと信じる」
フランスの詩人 ラ・フォンテーヌの言葉です。

インターネットというコミュニケーションツールは、時代だけでなく
赤裸々な人間性を映し出す鏡でもあると私は思います。

自分にとって「魅惑的」で気になる存在がいるからこそ、心がわきあがり
言葉(文字)で表現したくのではないでしょうか。
そして、お互いが影響し合う事で「なにか」が見えてきます。

主に創価学会系ネットワークでのやりとりを通じて、
阿部日(あべひ)ケ~ンが係わってきた人々のネット上の連携行動や
書き込みなどを元に、私が感じた事を書き連ねていきたいと思い
公開ブログをつくってみました。

なおブログのコメント欄はありません。
こちらの記事を見て阿部日ケ~ンと対話や討論をしてみたいという人は
10年間お世話になっている「富士宮ボーイ掲示板」へどうぞ。
http://fboybbs.dip.jp
「富士宮ボーイ掲示板」はアクセスipが表示される掲示板ですので、
ネット上で自分のホストを漏らしたくない人は書き込みはされないように
ご注意ください。

# by abehi-ken | 2012-12-31 23:59 | Trackback
雲仙普賢岳が噴火し、大火砕流が発生して20年の追悼式が
6月3日に行われたという報道がありました。

※普賢岳は1990年11月17日、198年ぶりに噴火。
96年6月の終息宣言まで、火砕流が9432回、土石流も
32回発生した。住民避難は最大時約1万人、期間は
最長6年に及んだ。
(朝日新聞)
あらためて犠牲になられた方々に追悼の意を表します。

しかしその大災害を嘲笑うかのように、自分たちの宗派の正当性
を主張し信徒の宣揚に用いた不謹慎極まりない宗派があったこと
は、いまや世間ではあまり知られていません。

あえて記しておきましょう。日蓮正宗です。

※ 永く歴史にとどめなければならないことは、池田大作の
スピーチが、雲仙・普賢岳の噴火をもたらしたことである。
すなわち、平成二年十一月十六日本部幹部会において池田大作は、
あの不遜極まりないスピーチをもって、日蓮正宗の御法主上人を
誹謗した。しかるに、その翌日、十一月十七日に、雲仙の普賢岳
が噴火を開始したのである。それは、翌年のあの悲惨な
大噴火の不気味なプロロークであった。
これは偶然の一致であろうか。否、仏法に偶然はない。

(大白法 平成5年9月9日 ~)

(ある日蓮正宗寺院の公式サイト魚拓)
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大白法とは日蓮正宗の公式機関紙であり、この記事は
日蓮正宗の公式見解となって今でも信徒内でまことしやかに
語り継がれています。その最新の例が以下です。

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その絶頂期である80年代から、平成3年
(1991年)を境に日本に再び三災七難が起き始めました。
(略)
ま、ざっと20年をふりかえるとこんな事が起きました。
政権交代は、まさに政変、自界反逆難であり、尖閣諸島
問題・外国人参政権問題は他国侵逼難に当たる。
その他天災人災は押して図るべし。

(ある日蓮正宗門徒のブログ~魚拓)
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実は日蓮大聖人の御書には「噴火」を直接指し示す文言は
ありません。大まかにいえば三災の中に入れる事ができる
と思います。
しかしよくよく御書を読み返してみると

「世 皆正に背(そむき)人悉(ことごと)く悪に帰す。」
だから
「魔来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる」
(立正安国論)と書かれているのです。

「魔」や「鬼」とは仏法においては架空の生物をさすものでは
ありません。 むしろ人間の「心理状態」をさしているのです。
日本では「悪い考えが起きる事」を「魔が差した」という表現が
使われているように、ネガティブな人間の心の変化を「魔」と
表現しているのです。
「鬼」も同様に、人に危害を加えるといった「荒ぶる心」が
起きる事を指しています。

簡単にいうと、「万民の心が正邪の判断を見失いその結果、
災害等がおこると世の混乱が連鎖する」という意味になります。
集団パニックの原理ですね。

ある人が特定の人間を批判したから災害が起こるなどというのは
明らかにおかしい。この理屈がまかり通るなら、毎日、日本で噴火
が起こらなければならなくなります。 物騒ですね(笑)

よく「正しい情報で冷静に判断をしよう」と言われますがまさに
「正邪を見極める根本原理」こそが「正法」なのであって、
なにも特定の宗教団体の中にだけ存在するものばかりでは
ありません。

しかし日蓮正宗では20年前の噴火や今回のような大災害や
社会を揺るがす事件が何度起こっても「創価学会が元凶なんだ」と
わめくばかりで、実際に民衆に対して復興の手をさしのべる事をしよう
とはいっさいしません。
さらに被災地の門徒にたいしても厳しい注文を押しつけているのです。

紹介したリンク先をみれば解るように、坊主から門徒までが、
ある宗派だけを攻撃すれば地震も災害起こらず政治・経済・事件事故
すらない「お花畑」が涌現するかのように事実を曲げ吹聴して世の中
を混乱させようとしている偏狭なカルト(宗派)が 日蓮正宗 なのです。

画像は島原のフェリー乗り場に展示してあった当時の惨状をしめす
物品です。目を覆いたくなるような写真も展示されていました
悲しみや苦難を乗り越えて復興した人々を嘲笑う宗派を見過ごす
傍観者になるつもりは私にはありません。
機会が訪れるその都度、語っていくつもりです。

exciteブログに公開する前から「富士宮ボーイ掲示板」を通じて
ネットでありがちな「違法行為」や「違法行為助長」を指摘することが
たびたびありました。

というのは、過去に一部の日蓮正宗門徒のネット上の違法行為や
恫喝的行為をみつけては、指摘してきましたし、実際に私が指摘した人が
創価学会や関係者に民事訴訟を起こされて敗訴したいきさつを
リアルタイムで知っていますし、関わった事もあるからです。
たとえそれが創価学会員であっても「日本」の法律に抵触するような行為
を見逃していては道義に反する事になっていけないと考えるに至りました。

意外に知られていないのが「著作権違反」とその「助長行為」です。
たいてい指摘しているのは同じ人であることが多いです。
つまり常習的にやっているのですから困ったものです。

今回の警告は
「創価の森の小さな家」というブログ運営者の菊川広幸(偽名)さんあて。
菊川さんの最新の記事です

菊川広幸さんがこの記事にタグを埋め込んだYOUTUBEの動画は
海援隊の「思えば遠くへきたもんだ」をBGMに使った自作のPVです。

YOUTUBEでは楽曲の著作権は「包括契約」といって、自分で造った動画の
中で第三者の造った音楽を演奏したり歌ったりした時に発生する
「著作権料」は動画投稿者個人に請求されません。
アップロードされた側のYOUTUBEがJASRAC著作権料を支払うことで、
使用者は許諾をとったという事になっているのです。

カラオケと同じですね。

その事を示す報道記事が以下です。

※これにより、JASRAC管理楽曲をユーザーが自ら歌唱・演奏した動画を、
YouTubeで合法的に公開できるようになった。
YouTubeとJASRACが利用許諾契約、演奏動画の投稿が可能に


『自ら歌唱・演奏した』 と明確に限定されていますよね。

ところがこの「包括的な利用許諾契約」を曲解して、自分の造った動画で
ならCDアルバムからでもテレビからでも楽曲は素材として問題なく
使えると勘違いしている人が意外に多いのです。

YOUTUBEでありがちな 自作スライドショーにCD等のアルバムからのBGM
は歌っている訳でも演奏している訳でもないので「違法動画」です。
そしてその動画を不特定多数の他人が視聴できるようにアップロードしてお
くことは「送信可能化権」を侵害した事になります。

ここまでは「アップロードした側」の責任です。

では、アップロードされた「違法動画」をブログのパーツとして
タグを埋め込んで視聴できるようにする事は問題ないのでしょうか。

実は「ほう助」にあたる可能性がある。 とされています。
つまり全く「問題なし」という訳ではないのです。

※つまり、YouTubeの違法動画にリンクを張り、結果的にその動画への
アクセスが実際に増えた場合は「自動公衆送信権侵害のほう助」にあたり、
故意などの主観的な要件が具備されるならば、違法と考えられる、という
見解だ。

違法コンテンツへのリンクは違法?(ITメディアニュース)

何度も菊川広幸(偽名)さんには指摘してきましたが
最近は「 ◇この記事は、後日消去します」というやり口で違法行為助長の
痕跡を消す手段を執っています。

世間のルールを率先して破るような行為を平然とやっているのはやめま
しょう。創価学会員かどうか以前の問題ではないでしょうか。
まじめに考えてください。




”増税路線容易になるか?ペテンで信任を得た菅政権”に
後日のマスコミ論調を「もっと読む」欄に追加しました。
私が推測したよりももっと巧妙かつ欺瞞的だったようです。

もう一つは「東京電力」の情報を使った電力消費メーターの
ブログパーツを追加しました。
そろそろ暑くなってきて、昨晩は73%超えていました。
メーターを動かすにはスクリプトを許可しなければいけません。
もし「ゼロ」を示されているようでしたら、ブラウザのセキュリティー
設定で一時的に「許可」にされることをお勧めします。
提供元はパソコンリサイクル屋さんのようです。
関西でももこのようなサービスしてくれないでしょうか。
# by abehi-ken | 2011-06-05 14:48 | 政治 | Trackback
※傍目(岡目)八目 とは、囲碁に端を発する言葉で、対戦者同士よりも
 先に八目先の手(八手先の手)読めるという意から転じて
 第三者のほうが当事者よりも物事を判断する事ができる とされる。
 (参考:デジタル大辞林)
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先日NHKの「クローズアップ現代」で,
「中国天才少女あらわる~見直される“将棋”~」
という番組を拝見しました。

日本の将棋は「取った駒」を自分の駒として使える独自ルールがある事で、
同じようなチェスよりも次の一手の選択肢が膨大な数に増えるのだそうです。
天文学的選択指の中からお互いが最善の一手を読み解いて対戦するわけ
ですが、思考力を鍛えるために、お隣中国では学校の授業で将棋を取り
入れているという報道でした。私も時々囲碁や将棋の番組を見て、
解ったような顔をしている事がありますが解説をしている人もさること
ながら、対戦終了後に棋士たちが「打ってきた手(棋譜)」を再現して
お互いで検討するんですよね。
私はあそこまで「記憶力があるのか」と感動すら覚えます。
出した手が良かったのか悪かったのかは相手にも左右されるのでさておい
て、知恵を絞りあって対戦をしているのですから覚えていて当然なのかも
しれません。
(当然、私は場当たり的なので無理です(笑)

さて、創価学会系のブログで有名な「小野不一」さんのブログに以下の
ような記事がありました。

認知そのものにバイアス(歪み)が掛かっている(認知バイアス)。
信念・価値観・政治信条・宗教はバイアスそのものといってよい。色の
ついたメガネを外さない限り、歪みは自覚されない。自由に思想する人
のみが、物事をあるがままに見つめることができる。

(参照リンク)2011/5/30付 「「頭が割れる」羽目」
http://megalodon.jp/2011-0531-1034-43/d.hatena.ne.jp/sokaodo/20110530/p1


自分の所属しているはずの組織を、批判するためには距離を
おかなければいけないという持論を持っておられる方は、けっこう
ネット上ではお見受けします。

小野さんはネット古本屋を営んでいるので、いろんな知識を学会系
以外の書籍から引用してこられたりするのですが、以前は古い学会指導
を元に指導者論等を発表されていたりしました。
でもどうやら地元の組織に対して不信を抱かれるに至るなにかがあるようで
、最近は「組織批判」の為の一手を、雑学本などから引用をされて話題を
展開するケースが顕著になってきました。

私はイスラムの根本原理は戒律(ルール)が厳しく、基本的にキリスト教等
と変わらない「施し(共栄)」の宗教なのだと理解していますが、それは
私が確固とした信仰を持っているから「頭が割れる」ほど悩まずにすんで
います。

上記のブログ内で示された書籍も基本的に著者が「宗教心」というものに
理解を持ち合わせていなければ理解不能になって当たり前なのです。

創価学会を友人知人などに説明する上でも同じことですよね。
なかなか理解してもらうのは骨が折れます(笑)

バイアスというのは本来(偏り)と訳されて「歪み」と表現されているのは
彼の心を反映しているのだとおもえます。心理学上でいうバイアス(偏り)
が是か非かという論争ありません。いわばジャンル分けと同じなのですから。

では小野さんをはじめ、組織批判者がけっこう口にする「思考の中立性」は
(“ニュートラルな立場”とも言われますね)、ある「偏り」があれば成立
できないのでしょうか?