台湾の日本統治時代(1895―1945年)に日本語で初中等教育を受けた世代の台湾人が日本語で語り合う交流団体「友愛グループ」が、20年目を迎えた。今年3月には、福岡市の女声合唱団の呼び掛けに応え、台北市で合同合唱会を開くなど活動は盛んだ。一方で、会員の平均年齢76歳と高齢化が進み、次世代にどう活動を継承していくのかが大きな課題となっている。 (台北・佐伯浩之)
「『骨折り損のくたびれもうけ』とはどのような意味ですか」。毎月第3土曜日の午後、台北市の飲食店で開かれる定例勉強会。会員150人(日本人36人を含む)のうち、毎回約80人が出席、日本語スピーチやことわざなどを学ぶ。
代表を務める翻訳業張文芳さん(81)が日本語テキスト作成や会費徴収などの事務作業を一手に引き受ける。「毎月の準備が大変だが、参加者は勉強する意欲があふれている」と満足そうだ。
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日本統治が終わった終戦後、台湾では、国共内戦に敗れて逃れてきた蒋介石率いる国民党が独裁体制を築く。北京語を“国語”として強制し、日本文化を禁じた。
その中、ある事件が起こる。作家川端康成の妻が訪れた際、通訳を担当した台湾人が日本語訳を間違え、同行した小説家北条誠の怒りを買ったのだ。「日本語を正しく話そう」との北条の言葉を聞いた台湾人7人が非合法で「友愛日本語クラブ」を発足したのが友愛クラブの前身だ。
「『このままでは日本語が廃れる』と考えた末、(友愛日本語クラブの)設立を決断したと思う」と語るのはグループ運営委員の廖継思(りょうけいし)さん(87)。日本の大学を卒業し、日本企業に勤めた経歴を持つ。台湾に戻り、北京語を覚えるのに苦労したという。「日本人として教育を受け、日本の書物で勉強した者が、日本語で物を考えるのは当たり前でしょう」と廖さんは語る。
「会員には、子どもの頃、北京語教育を受けた人はほとんどいないんです」と張さん。“外来政権”に支配され続けた歴史に翻弄(ほんろう)された戦前生まれの台湾人たちにとって、自分たちの心情や考え方を率直に表現できる手段が日本語だったのだ。
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例会には、活動を聞いた日本人留学生たちが参加することもある。グループ会員の執筆業、吉岡生信さん(40)は「日本人でもあまり知らない故事成語を学ぶこともあり、レベルが高い」と舌を巻く。
発足時の友愛日本語クラブ会則には「次世代に美しい正しい日本語を伝える」とある。だが、例会に若者の姿は少ない。日本のアニメを楽しみ、日本の流行歌を口ずさむ「哈日(ハーリー)族」と呼ばれる若者たちがいて、町中に日本文化があふれているにもかかわらずだ。
「うわべだけの日本語と文化を知るだけでは、本当の日本文化は分からない」。張さんは、そう語る一方で、台湾と日本の結び付きがいっそう深まることを願っている。
「もっと日本語を学ぶ人が増えるかもしれないし、グループの活動を幅広く台湾人に理解してもらうよう努力したい」
=2011/06/06付 西日本新聞朝刊=