Archive for the ‘世見’ Category
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<世見> 2011/06/06 聖徳太子
昨日は残念ながら聖徳太子のお話が中途半端なところで終ってしまいました。
でもネ。
昨日見えた人が聖徳太子なら本当にあの有名な肖像画とかなり違っていました。
顔立ちが濃い人でしたよ。眉が太く、体つきががっちりとして、首があんまりなかったようにも見えました。
実はその時、二人の方を思い出していましたので、ご報告しておきます。
一人目は目黒祐樹さんと二人目は評論家の寺島実郎さんです。
どことなく二人をミックスしたようなお顔立ちでした。
中国の武将のような三国志のドラマの関羽のような、そんな人だったのですが、皆様の夢を壊したかもしれませんネ。それと、いつの時代なのか分からなかったのですが、顔に入れ墨をした人達がいたような画面も前に見たように思います。
日本の神話が古事記であり日本書記だとしたら、私達は永遠に不思議な世界とはご縁が深き生き物かも知れませんネ。中国の三国時代(220)が始まる頃、卑弥呼、魏に使者を送る(239)と書かれた暦を見せられると、
ロマンと云うより、何があの頃起きたのか不思議な世界の方に教えて欲しくなります。
「人の世は変われども 人の心の変わらぬものなし」
こんな事を思ってしまいます。
お釈迦様が生まれた頃の日本はまだまだ赤ちゃん。キリスト様が処刑されたとされる年の約20年後に、
後漢光武帝から倭奴国が金印を賜った下りは前に教えてもらったようにも思う。
ただネ。聖徳太子のお顔が見方によったらローマ人?のようにも思えたから、不思議です。
もしかすると大昔、ローマ皇帝の使者が中国に行く時のお土産?の女性と、その頃の中国のトップとの間にお子様が出来ていたらどうだろうかなァ~て考えてしまいます。倭国大乱が起きている頃のローマ皇帝って、いたのかなァ。
今日もわけも分からない事を書いてしまいました。 -
<世見> 2011/06/05
私がお逢いする不思議な世界の皆様はどなたもお名前を言われないので、私がお名前を付けさせて頂いています。
いつも風呂敷包みを脇に抱えて来られる方は「風呂敷おじさん」、
ブルーグレーの目をした太めのおばちゃまは「ブルーグレーのおばちゃま」、
中国四千年の歴史と云う前振りがお好きなので「中国四千年のおじちゃま」と呼ばせて頂いています。
未だ数名の方がおられますが皆様、個性がありお話の仕方も違いますが、日本語でお話をしてくれています。
私が体験する事を今は何一つ証明出来ませんが、いつの日にかどなたかとご一緒してお話が聞けたらどんなに楽しいかと思うようになっています。
ただ、自分が書く内容を後で読んで見ると「誰が書いたのだろう」と思う時があり、そんな時は心の中でワクワク感が広がり、嬉しくなります。
だって、不思議な世界の方とお話が出来た証のような、その方の存在を改まって感じられるからです。今日は朝からニヤケ気味です。理由は分かりません。
「サァて、何を書かせて下さるのやら?」
「聖徳太子のお顔って、あんなに優しい顔立ちではなかったのです」
いきなりこんな事を書いてしまった。
「あの聖徳太子は中国からやって来た絵を真似て、後に描いた作品です」
こんな事も書いてしまった。
「法隆寺と云うのは見事な謎に包まれていてなァ。皆が若草伽藍と呼んでいる寺には釈迦如来像があった。釈迦如来や大日如来は仏様。神道は共通の祖先から出たと考えられる人達の集まりである氏神様を祀ってあり、それ故、氏によってお参りをする神様が違うのだが、ここでだ、皆が興味のある話を伝えておこう。聖徳太子が建ててはいないがあの法隆寺は寺ぞォ。氏とは原始社会で同じ先祖から出た血族の集まりの事を氏族と云い、あの時代は同じ祖先から分かれたと信じる者達が多くいた。それ故に彼の血に問題があって天皇にはなれなかったと云うのが答よ。だが、その事を知れる証拠などは今後も見付かるまいが、若草伽藍にあった釈迦如来の光背をもう一度調べろと言いたいのオ。」
あれ、この話し方って、中国四千年のおじちゃま。
まァいいか。
今日はお声だけで十分です。
「仏像の光背には生きておる者の思いが詰まっている。彼の最期を悲しむ者の心があそこにはある。聖徳太子が謎だらけの人物である事は知っているなァ。
彼は50才を待たずに、47才で死んだ。用明天皇の皇子で名は(○この字が見えない。○戸豊聡耳 何と読むのだろう?目の前に字が表れたが○が分からずにいた)うまやどとよさとみみ、と言ってなァ」「変な名前」と思った時、ピンポーンが鳴ったので玄関に行くと「ケーブルテレビの工事で暫くテレビが見られなくなる」と言われたが、そんな事より早く続きが書きたく、元に戻って鉛筆を持ったが、次が書けなくなったと云うか、何も聞こえなくなってしまった。
凄く残念です。「聖徳太子」「うまやどとよさとみみ」かァ~。
あの頃の名前って、おもしろい。
確か、馬子って云う人もいたように思う。
是非、近い内に続きが聞きたいと心の中で叫んでしまった。 -
<世見> 2011/06/04 「世見」
私が書く事を「予言」とおとりになるのでしたら、今日から世を見る「世見」(よけん)と思って下さいネ。
「予言」って、推測出来ない将来の出来事をあらかじめ語る事なのですが、どうもこの予言は私には荷が重く、あの偉大なる預言者の皆様に申し訳なく思ってしまいます。
BC7・8世紀のイスラエルの宗教的指導者サムエル・エリヤ・エレミヤ・エゼキエル、それとイスラム教のマホメット・モルモン教の開祖ジョーゼフ彼らの能力は、それは凄かったと不思議な世界の方は言われます。
それからすると、私はまだまだひよ子です。それと、こんな方の事をおっしゃっていましたよ。
南北戦争の時の南軍のアルバートと云われた方は、戦争を次々に予言したそうです。
ただ、ご自分の感じた事に人生を翻弄されたとも聞きました。 -
<世見> 2011/06/04 北朝鮮
北朝鮮の将軍様が中国に行かれたのはいったいどんな理由だったのだろうか。
今回の行動には二つの大きな課題があったように思われるのです。
ひとつはご自分の健康に関する事、そしてもうひとつはエネルギーの事。
どうやら石油が底をつき、軍部の指揮に、何かが起きたからのように思ってしまった。
それと、二代目さんのはくを付けるのが目的にも思えたのでした。 -
<世見> 2011/06/03 「水」の問題
人口増加がもたらすものは食糧生産。
それに伴って干ばつや他の災害、経済成長によっての工業用水の需要増加と、「水」の問題が人々を苦しめる事になる日が刻一刻と迫っています。
「水戦争」は起きるし、起きると思われます。
この事を今から書いておきます。
この20年の間にこの「水」が原因の経済問題も起きます。
これからは20年後、いえ10年先に起きそうに思える事も書きます。
その理由は私が64才だからです。
いつの日まで書けるか、頑張ります。