ペテン師と宇宙人の仲たがいに関心はない。問題は原発だ。エネルギーの選択と未来だ。日本を、世界を、どこへもっていくのか。守るも攻めるも根本方針がぼやけている。
被災地から戻った旧知の自衛隊幹部が言った。
「自然災害は、起きてしまえばそれ以上動きませんが、原発事故は戦争と同じです。こちらの対応次第で状況がどんどん変わっていく。対応を間違えれば命を取られます」
NHK・BS放送のドキュメンタリー番組に登場したロシアの科学ジャーナリストが同じことを言っていた。
「チェルノブイリ事故は20世紀の戦争だ。これまでとは姿を変えた戦争だ。これによって多くの人々が死に、これからも死に続けるだろう」
原発事故の奥底は計り知れない。福島の原子炉は今も崩壊し続けている。命がけの冷却作業と果てしない住民避難が続いている。原子力の平和利用は戦争と紙一重だった。
「経済大国」幻想も崩壊し続けている。原発による電力の安定供給と一体の「工業製品輸出立国」路線は行き詰まった。日本は国際繁栄競争から脱落したのか。政財界と経済論壇の主流はますます「経済大国護持」を唱えてやまないが、別の視点が重要ではないか。
この落日は、全地球をニューヨークや東京並みの繁栄へ駆り立てる暴走資本主義からの、名誉ある離脱の好機である。この落日を、果てしない欲望の刺激、競争と対立、環境破壊をもたらすグローバリゼーション(地球規模の経済統合)の行き過ぎをあらためるきっかけにしなければならない--。
問題は、戦争と紙一重の原発に依存した繁栄競争の暴走を食い止めることだ。にもかかわらず、政界の話題は首相の延命と民主党の分裂回避だった。「無敵陸海軍」の体面上、だれも停戦を言い出せず、迷走に迷走を重ねた第二次大戦の末期とよく似ていると思う。
2日、筆者は、国会で内閣不信任案の採決を見る代わりに、渋谷で映画を見た。「幸せの経済学」(The Economics of Happiness)というドキュメンタリーである。
スウェーデン生まれの言語学者で環境活動家のヘレナ・ノーバーグ・ホッジ(65)がつくった。この人は75年からインド最北部でヒマラヤに近いラダックに住み、近代化の進行・暴走と地域再生の日々を観察して「ラダック/懐かしい未来」(03年山と渓谷社。原題=Ancient Futures)を書いた。
「懐かしい未来」という邦訳がいい。ラダックの家畜といえばヤクだが、徐々に牛が取って代わった。ヤクは日に3リットルしか乳を出さないが、ジャージー牛なら30リットル。それがグローバルな近代化の帰結だ。
人々はわざわざ低地に牛舎を建て、エサをつくり、牛乳を売ってカネを稼ぐ。高地でヤクを放牧し、燃料、食料、衣料、労働力として家畜を活用する伝統はすたれた。それでラダックは幸福になったか--。
この逸話は、漁業の復興再建のため、企業化・近代化を提案した宮城県知事に対し、県漁協幹部が「会社は経営がダメになったら撤退する」と反発したという報道(朝日新聞5月15日朝刊)と通じ合う。
首相の退陣がようやく煮詰まって政局は第2幕へ向かう。民主党ではなく「地球の存続が第一」の権力形成であってもらわなければ困る。(敬称略)(毎週月曜日掲載)
毎日新聞 2011年6月6日 東京朝刊
6月6日 | 党より地球の存続を=山田孝男 |
5月30日 | 安らぎを取り戻す=山田孝男 |
5月23日 | 「電力消費増大神話」=山田孝男 |
5月16日 | 原発に頼らぬ幸福=山田孝男 |
5月9日 | 暴走しているのは誰か=山田孝男 |