少し古いですが、当研究所所長下司孝麿による断酒会についての論文です。参考までに転載します。

第四章 断酒会の集団的性格と機能
第一節 断酒会について
    ―酒をやめたいアルコール中毒者自身の会― 下司孝麿

大橋 薫編 アルコール依存の社会病理(星和出版 1980年7月初版発行)より

     1 はじめに

 昭和五十四年十一月十一日、静岡市市民文化会館を埋める集会が開催された。第十六回全日本断酒連盟大会で
ある。厚生省、静岡県等後援のもと、北は北海道から南は沖縄まで三千五百名の会員と家族が参集した。会員の
顔は喜びと自信に溢れ、かつてアルコール中毒患者(アル中)として爪弾きされた人々とは想像もできないぐら
いであった。
 広島大学精神科小沼十寸穂教授(当時)は昭和四十四年、広島市における第十七回精神衛生全国大会の公開座談
会を司会して次のように述べている。「断酒会というのは、一度アルコール中毒でしくじった人たちが、自ら酒
を断つという行き方をする人々の会合なのです。そもそもアルコール中毒というのは、最もしばしば再発する疾
患で、精神病院に入院させて酒をやめさせ、薬を与えて治療し、そうして長く鍛錬の上で社会に復帰させても、
また酒を飲んで何度でも再発するのを常とするものであって、アルコール中毒の真の治療はないものだとされて
いたところ、断酒運動によって根治するに至る者がきわめて多く、今日では断酒会による治療こそが真の治療で
あり、根治療法だと認められるに至り、その効果はきわめて大きいのでございます」。このように断酒会がアル
コール中毒治療体系の重要な一部分であることが認められるに至った。
 次に、断酒会がいかにして誕生したかについて述べよう。

     2 断酒会の生いたち

  (一)AAについて
 昭和十年(一九二九年)アメリカでビルとボブという二人のアル中が時々会って、互いにはげましあい酒をや
めることに成功したのが始まりである。ビルは株式仲買人、ボブは外科医であったが、ボブが医師であることは、
死んでからわかったという。彼らはファーストネーム(名)で呼び、姓では呼ばない。アメリカでアル中の烙印を
押されることはきわめて恥ずかしいことだからである。そこで彼らの断酒グループは匿名のアル中の会(Alco-
holics Anonymous アルコーリックス・アノニマス、匿名酒害者協会、AAと略称)と名づけられた。その後A
Aをロックフェラーが援助するとの新聞記事が出るに及んで爆発的に発展し、現在約百万名の会員を擁している。
しかしAAは自立を尊び、政府その他からの援助を断わり、すべて会員の寄附で賄っている。それも一人年百ド
ル以上寄附してはいけないことになっている。ほとんどの自由諸国に存在するが、主にアングロサクソソ系の国
国とフィンランドに浸透しているのは興味深い。刑務所や精神病院、軍隊の中にもAAが存在する。

  (二)日本の断酒会
 AAの存在にいち早く気づいたのは禁酒同盟の山室武甫である。山室は昭和二十五年(一九五〇年)、禁酒新
開に「酒客匿名会」に関する記事を載せている。当時、進駐軍軍人を中心にしたAAの会が東京にあった。昭和
二十七年、大辻君子はニューヨークのAA本部を訪ね、山室武甫は米国エール大学における第十回アルコール研
究夏期学校(四週間、大学院程度)に、日本人として初めて参加した。その中の一日は、朝から夜までAAの講
義とAA例会の実際が実演された。
 昭和二十七年アルコールに関する国際会議がパリで開かれ、東京の本郷中央会堂の武藤健牧師が出席した。
 禁酒同盟の酒害相談所を訪れる人々を主体にしてAAの日本版を作る機運が持ち上がり、山室のほか上堀内秀
雄らの努力によって「断酒友の会」が昭和二十八年に前記中央会堂で発会した。そのころ北海道大学諏訪望教授
もAAを導入した。
 昭和三十二年、武庫川病院(現兵庫医科大学)の森村茂樹院長と青田薫医博はAAを創立した。森村は女優り
リアン・ロスの実話映画「明日泣く」を見て、創立のきっかけとなった。
 禁酒同盟片山哲理事長は断酒会発展に力を尽くされたが、断酒友の会は禁酒同盟と別れ、禁酒同盟のなかに断
酒互助会、次いで断酒新生会が組織された。
 下司蕃麿はAAの資料を集め、昭和三十三年東京断酒新生会を参考にし、集団精神療法の場として、院内断酒
会を作った。その導火線として、断酒講演を高知市で行なった禁酒同盟の小塩完次の名は忘れられない。講演に
招待した下司の患者二五〇名のアル中の中から、わずか二人の出席者があった。そのうちの一人が松村春繁で、
のちに全日本断酒連盟(全断連)の会長となる。
日本における断酒会結成の大きい維進力となった故松村全断連初代会長の病状を述べ、アル中治療の困難さに
触れたい。

     3 アル中の症状と治療

 作家なだ・いなだ氏(精神科医)は松村を優秀な精神療法家と称え、『文芸春秋』(昭和四十五年五月号)に
「ある“アル中”の栄光の死」の一文をのせている。
 松村は大酒家で一日四升をたいらげたこともある。二十歳前後から労働運動に身を投じ、そのために投獄の経
験もある闘士であった。戦後は参議院議員選挙に出て二万九千票を獲得したこともあるが、酒の上の失敗が重な
った。重要な会議の議長をしていても、机の上に酒を置き、頭がぼんやりすると、「議長、酒」と声がかかり、
酒をひっかけるようになった。役職は一つ一つ剥ぎとられ、忠告する者があっても酒は止まらず、転落の一途を
たどった。ついに破局が来た。高知市から東へ二キロ、彼の家へ下司が往診したのは昭和二十五年のことであ
つた。四〇度を越す熱にうなされ、意識は混濁し、蛇が体を締めていると叫び、法廷で裁判官に無実の罪を訴え
るごとき言動を呈していた。この状態を振戦せん妄という。さっそく入院して一応生命をとりとめることができ
た。ちょうどそのころエメチンという吐剤を使って条件反射によるアル中治療をしていた下司は、彼にもこの療
法を試み、酒を見るのもいやになるほどに成功した。しかし酒ぎらいは長くは統かず、半年で元の木阿弥となり、
再度入院を繰り返した。焼酎を飲む百円の金欲しさに旧友を訪ねる彼、パンツ一つで街をさまよう彼、夜明けに
酒屋の前に佇み、戸が開くや焼酎をコップについでもらい、震える手はコップを持てず、上体をかがめて口をコ
ップに近よせて酒をのみ、やっと人心地つく彼、まことにどん底の生活が続く。酒をやめられない自分に愛想の
つきた松村は、首をくくつて梁にぶら下がる。運命は彼に味方して、父に見つかって助けられる。死の床の母に
手に触ることも拒絶された彼、それでも断酒は長く統かない。五回目に入院して来たときの下司の目を彼は忘れ
ることができないという。下司に見放されたらもうおしまいだと感じた松村は、それを契機に酒を断つ。前にも
述べたょうに、間もなく断酒会が誕生したことが彼に幸いした。高知の断酒会会長として会を運営しているうち
に、彼は断酒運動に生きがいを見出し、毎日のように病院に来ては下司と二人で話し合った。下司病院に就職し
た松村は、日本各地に断酒会を作り育てるための全国行脚を始め、全日本断酒連盟が結成されるに至った。

     4 断 酒 会

 断酒会というと、一般の人にも酒をやめさせる会のように聞こえる。これでは世間の協力は得られない。世の中
から酒を一掃するいわゆる禁酒会ではない。断酒会運営にあたって必要な原則を五つ挙げよう。
(1)断酒会の目的は、酒書者が酒をやめて、健康と幸福になることである。従って一般の人は御自由にお飲み願
 いたい。飲みすぎてアル中や肝硬変にならないようにしてほしい。一日四合の酒を十年も飲み続けると、誰で
 もアル中となるといわれる。
(2)アル中は病気である、しかも難病である。米国医師会とWHOは、アルコール中毒は一つの特殊な病気の総
 合体であると見倣すに至った。意志が弱いから酒をやめられない、と第三者は軽蔑する。しかし個人の意志よ
 りも酒の魅力がもっと強い。アル中を性格異常者ときめつけるのはやさしいが、酒をやめた人々の中には実に
 りっぱな人が多い。
(3)断酒会は、酒害者の酒害者による酒害者のための会である。軽蔑されたアル中から尊敬される人間になって
 欲しい。そのためには自信を持って自立することである。従って会長はアル中体験者から選び、院長がなった
 りしてはいけない。
(4)医療関係者や家族の協力が必要である。前項の自立はたいせつなことだが、医療関係者と家族の協力がない
 と成功し難い。アル中は心身の病気であるから、まず医師が十分な診察をして治療方針を立て、断酒会の受け
 持つ役割を決めねばならない。家族以外にも職場の協力、国、自治体、友好団体の支援、報道機関、社会の正
 しくて暖かい目もあってほしい。
(5)宗教運動、政党活動を一般の断酒会に持ち込んではいけない。AAでは宗教を利用していて、それ自身はよ
 いことであるが、日本ではトラブルの原因となるので注意を要する。政党活動も同じことである。但し、断酒
 会のための政治活動は盛んにやるべきである。

     5 断酒会の効果

 断酒会でなぜ酒がやまるか、精神病院で治らないアル中がどうして治るのか、誰でも不思議に思う。
 ニューヨーク医科大学の精神科医L・R・ウォルバーグ博士はその著「精神療法と行動科学」(黎明書房)で
次のように述べている。「ある種の学習は特殊の人格相互関係状況の媒介で最もうまく完成される。かくして、あ
る常軌を通した行動傾向は、言葉によってよくならない。けれどもそれらは、より定式的ではなく、より高値に
つかない方法には応答することができる。たとえば慢性アルコール中毒に対する定式的精神療法は、経験によれ
ば一般的にはアルコール中毒匿名集団(略してAAG、日本には名のりをあげる断酒会運動あり)に参加するほ
どには効果的ではない」。
 例会に参加して、他人の飲酒ならびに断酒の体験を聞くことによって自然と自己反省が生まれ、また自分の経
験を話すことで正しく自己を認識するようになる。いつとはなしに断酒決意が生まれ、断酒続行の自信がわいて
くる。そこでは恥ずかしいことはなく、自由に話せる穿囲気がある。家族も出席して、アル中に対する態度を学
び、自分一人の悩みではないことを知り、同じ悩みの者同士の連帯感が生じて安らぎを感じる。断酒会は一種の
集団精神療法である。家族だけが出席しているうちに、本人も断酒会に出る気持ちになることもあり、極端な場
合は、出席しない本人が断酒するようになることさえある。また本人を無理に連れて来ているうちに次第に断酒
の気持ちに傾く場合もある。アル中は家庭の病気と言われる所以である。
 断酒会によるアル中の治癒率についてはいろいろのデータが出ているが、本人の心理的、環境的条件が達うの
で、比較し得る成績は出し難い。初期のAAでは七五%成功すると言っていたが、四十三年の一万人を越す統計
発表では、治癒率には遠慮がちに触れている。慈恵医大の新福尚武教授(当時)は、抗酒薬を用い生活指導を行な
っても治癒率は三分の一だが断酒会だと約三分の二に上昇したと述べている。同大学大原健士郎講師(当時)は、
精神病院に入院した患者の二年後の治癒率は一〇%だと言っている。高知県の断酒会における成功率は昭和三十
九年の時点で各年度別グループについて調べると、一年後四八%、二年後二七%、三年後一三%である。単独出
席者はそれぞれ一四%、七%、四%であるのに比し、夫婦出席者は九〇%、九二%、六七%となり、夫婦出席者
の成功率が異常に高いことに気づく。

     6 断酒例会

 断酒会の最大の行事は例会である。例会に出席することにより断酒決意が生じる。例会は集団精神療法の場で
ある。夫婦出席が望ましいことはすでに述べたが、職場の人、保健婦、ケース・ワーカー、看護婦、医師、婦人
矯風会会員、行政官もゲストとして出席している。司会者を決めて会の進行を図るが、その順序や誓の言葉等を
次に記す。

(1) 進行順庁
 一、司会者開会の挨拶
 二、祈念黙祷
 三、断酒の誓朗唱(起立)
 四、新入会員の紹介挨拶
 五、会員相互の体験発表
 六、自由意志の交換
 七、断酒の歌合唱(起立)
 八、連鎖握手
 九、閉会の挨拶

(2) 黙 祷(心の誓)
 私は断酒会に入会して酒をやめました。
 これからどんな事があっても、酒でうさを晴らしたり、卑怯な真似はいたしません。私は今後いっさい酒を飲
 みません。
 多くの同志が酒をやめているのに、私がやめられないはずはありません。
 私も充全に酒をやめることができます。
 私は心の奥底から酒を断つことを誓います。

(3) 黙 祷(家族の誓)
 私の家族(主人、妻、息子)は断酒会に入会しました。
 あれはど好きな酒をやめるのは本当につらいことでしょう.
 断酒を決意した家族(主人、妻、息子)は偉いと思います。
 家族(主人、妻、息子)の酒癖は病気です。病気だから直さねばなりません。また、直すことができます。心
 も体も立ち直らさねばなりません。
 家族(主人、妻、息子)の悩みは私の悩みです。家族(主人、妻、息子)の酒を断つためにすこしでも力になっ
 て、共に苦しみ共に直します。断酒会の皆様と共に家族(主人、妻、息子)の断酒に協力することを誓います。

(4) 断酒の誓
 一、私どもは酒の魔力に捉われて、自分の力だけでは、どうにもならなかったことを認めます。
 一、私どもは過去の過ちを悟り、迷惑をかけた人々に、できるだけの償いを致します。
 一、私どもは互いに助け合い、酒癖に打ち勝って、雄々しく新しい人生を建設します。
 一、私どもは酒癖に悩む人々の相談相手となって、酒をやめるように勧めます。
 一、私どもは宗教や思想に関係なく、断酒会の同志として団結します。

 例会は、AAではアル中会員のみの会と家族、ゲストを交じえた会の二本建てであるが、日本ではほとんどの
断酒会が会員、家族、ゲストがいつも一緒に出席してやっている。家族だけを分離してみても、リーダーがしっ
かりしてないと長続きしない。
 高知県では午後七時から九時まで時間励行、年中無休で、正月はもちろん、暴風雨でも休まず例会を開いてい
る。交通杜絶した大暴風雨のとき二十数人集まったことがあり、その真剣さには心打たれる。ずいぶん遠方から
出席する人もあって、子供をつれて二十四時間かかる夫婦出席を三年間続けた人もある。初期は月二回例会を開
いていたが、各地に断酒会が誕生して、月約五十回の例会があり、そのほか家族の会、単身者の会も開かれてい
る。シドニー市のAAでは週六〇回会合があるとのことである。AAではアル中の出席は週三回以上が半数で、
はとんど週一回以上は出席している。

     7 AA会員調査結果(中略)

     8 会員への指導方針

  一、アル中とは酒の奴隷だ
  二、アル中は心身の病気だ
  三、アル中は断酒会で直る
  四、今日一日だけやめよう
  五、例会に必ず出席しよう
  六、語ることは最高の治療
  七、例会では断酒の話のみ
  八、宗教と政治を語る勿れ
  九、断酒会で商売をするな
  十、酒害者のために働こう
 十一、立派な家庭人になろう
 十二、奥さんは最良の治療者
 十三、酒害者には卒業がない
 十四、誇りを持って団結せよ
 以上が会員の心構えであり、例会運営の方針でもある。断酒八年で失敗した例もあるので、十年以上成功した
人でも、例会に出席して後輩のために経験を語り、新入会者の相談相手となることで自分の断酒決意を新たにす
るのである。ここでは縦社会でなく横社会を形成する。例会のほかにも個人の自宅訪問、病院に入院中の患者の
許問等に熱意を燃やす会員もいる。私の病院でも、奉仕活動をする会員にお世話になって非常にうまく治療がで
きている。退院した患者のアフターケアとして断酒会活動は欠かせない。会員の世話をすることが自分のためで
もあることを経験によって会員は知っているのである。

     9 断酒会の運営

 日本の断酒会は会員制で、会長、事務長、理事、会計等を決めて運営している。会費も徽集する。氏名は意識
して名のる。テレビにも出る。これらの点がAAと異なるので初めAAの支部にしてもらえないことを悩んだが、
考えてみれば、日本人にマッチした運営をするのは当為のことであった。匿名にこだわるAAは手段を会名にし
ているので、地球的な普遍佐がない。断酒会は目的を掲げているので、われわれにはこの名がよいと思う。

     10 む す ぴ

 社団法人全日本断酒連盟は全国各都道府県に二二六の断酒会があり、三万五千名の会員を擁している(昭和五
十四年十一月現在)。
 また、日本精神衛生連盟、日本アルコール問題連絡協議会に加盟し、行政機関、学会、政界、社会の広い支援
のもとにアルコール中毒対策の一環としての役割を果たしている。