津波の語り部になって 宮古、紙芝居伝承の田畑さん


 

 「みんなが津波の語り部になってほしい」。自作の紙芝居で約30年にわたり津波の恐ろしさを伝えている宮古市田老の田畑ヨシさん(86)が、口承の大切さを呼び掛けている。自身は祖父から1896(明治29)年の明治三陸大津波の体験談を聞いて育ち、2度の津波を生き延びた。災害の記憶を風化させまいと、美しい三陸の海に願う。

 「命はてんでんこ。一人でも山に逃げろ。津波は逃げるが勝ちだ」。厳格な田畑さんの祖父は、口癖のように言い続けた。

 その教えで、田畑さんは8歳だった1933(昭和8)年の昭和三陸大津波から難を逃れた。以来、リュックサックに貴重品を入れ、常に避難準備を整えるようになった。

 田畑さんは、昭和三陸大津波の怖さを孫たちに伝えようと、1979年に紙芝居「つなみ」を制作。地元や修学旅行の子どもたちに読み聞かせを続け、いつしか周囲から「津波の語り部」と呼ばれるようになった。

 そして今回の大津波。田畑さんは「地面の底から振動が伝わるような」地震に「必ず津波が来る」と直感。急いで高台に住む妹宅へ避難した。

 2階から海を見ると「水平線を雲か波か分からないほどの巨大な津波が押し寄せてきた」。たくさんの思い出が詰まった自宅は跡形もなくなった。

 「2度も津波に遭うなんて。私の人生は津波人生」

 この人生経験の伝承に役立ててきた紙芝居は、宮古市の教育関係者に貸していたため被災を免れ、手元に戻ってきた。

 2度の津波を乗り越えられたのは、祖父の教えがあってこそ。「言い伝えが大切だと思った。今度は体験したみんなが津波の語り部になってほしい」

 田畑さんは現在、青森県に住む長男宅に身を寄せる。「海は時に牙をむくけど、眺めると心が洗われる。時々は帰ってきたい」と古里を愛する気持ちに変わりはない。

 一変した古里田老の街並み。「何とか復興してほしい」。自宅跡でこう願う田畑さんの足元には、スズランの花がたくましく咲いていた。

(2011/06/04)




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