みなさんご存知の私の恋人について今日は少し
英語を勉強しにオーストラリアに来るにあたって
オーストラリアの大地のパワーをもらって家族が反対している恋人の事を忘れられたらどんなに楽だろうか…という思いを心の片隅に抱き空に飛び立ったのだ。
ところがどっこい!
困ったんなことにその思いとは逆の方向に
渡豪して1ヶ月もたつと、1日でも彼の声と顔を見ないと不安になってしまった。
今は便利な時代でスカイプで遠く離れた国同士でも無料テレビ電話ができるので
毎日1時間、長い日は3時間どちらかの寝息が聞こえるまでたわいもない話をしていた。
その電話時間を英語の勉強にあてれたのに…という声が聞こえてきそうだが、毎日の電話はこっちで頑張るぞ!という心の支えになっていたのだ。
毎日声を聞かないと不安なのは彼も同じだったようで半日でも連絡が取れないと山のように着信履歴があり、ようやく連絡がとれたら
「あー話したかったよ。声をきいただけで涙がでそうだ、うれしくて声を聞いただけで(略」
なんて言っていた。うれしかった。
あなたは重すぎるのよ!さようなら
束縛されるのはきらいなの!
とすぐセリフがうかんでくるように
おそらく普通の恋人同士だったら「重い」「束縛」になるのだろうが
お互いに重くて、束縛しあっているのなら問題ないと気づいた。
共依存になってるのかも(^-^;)
親が結婚を反対した理由は彼が今無職なこと。前職が世間的にちょっと…かなり…なこと。
このことについて私はもはや気にしてない。私がこっちにいる間に、初めてのアルバイトに挑戦して社会勉強ができたと言っていたし、これからとある家電の営業の仕事も95%決まっているようだし新しいスタートに向けて頑張っていて応援している。
そして父が反対する一番の理由は歳の割りに子供すぎること。
彼は人生も何もかも「なんとかなる!」と思っているのだ
そんなところが私は好きであったりするのだが(私自身なんとかなる、とよく言うしかなり子供っぽいと思う…)
彼が父に「私と結婚したい」と言ってくれた時にも
父「君は無職だそうだが、生活はできるのか?」
と聞いたときに
彼「なんとかなると思います!!」
と言ったそうで、そんな人に娘を任せられないとかんかんであった。
しかも
「今後の影響のことを考え、趣味の放送も今限りで辞めようと思います!」
と父の前で宣言した5時間後に放送を始めていた。
もともと父は関西気質の人を笑わすことの好きな穏やかで優しい人なのだが
このときばかりは信用ならない!あの宣言はなんだったんだ!と怒っていた。
父はオーストラリア滞在中のメールの文末にいつも
「暗黒の魔法からさめますように」「暗黒黙示録から抜け出せますように」「マスク男と縁が切れますように」
などと苦笑いするような添え書きがしてある。
非常に心苦しい。
親のためを思うならすぱっと別れるのがいいのだがそれができない。
私はさみしがりやの弱虫なのだ。別れて悲しい思いをするのがいやなのだ。
残念なことに、離れてよりいっそう好きだと思ってしまったのだ。
いっそ嫌いになってくれたらと思うこともある。
前の結婚騒動で父ぴっぴを5キロもげっそりさせてしまった。
私はするならば、家族が喜んでくれる結婚がしたい。
両親が私にしてくれたこと、それは数え切れない。
最近「内観」という精神道に興味を持っている。
それは簡単にいえば「自分が周りの人間に『していただいたこと』」
を誕生から1年ごとに身近な家族を中心に思い出していくという心理療法でもある。
たとえばお母さん。
おかあさんは私が生まれてくることを心待ちにし
私のために栄養を取って
私のために母乳をくれて
私のために夜泣きの面倒をみてくれて
…
最初のところだけ本で読んだだけですっかり感動してしまった。
1から挙げたら数千、数万ものリストができあがるだろう。
大学まで出してくれた両親に親孝行の1つもしていないのに
こんなに心配をかけて反対をおしきってまで結婚はできないのだ。
反対するのは私を心配してくれてるからであるし。
親の言うことってあってるっていうよね。
でも、もしかしてこれから彼が変わっていけばわずかな1%の可能性があるかもしれない。
そして私も変わらなくてはいけない!
私が頼りないししっかりしてないし間抜けだから父はせめて結婚相手はしっかりした人をと思っているのかもしれないし。
前よりは距離は置くけど、今は好きだからこれからも付き合っていきたいと思ってる。
きっとこのブログを読んでくれてる父ぴっぴはショックでまた下痢になってしまうかもしれないけれど。
わたしもどうにかなる!って考えかもな。後先考えなさすぎかな。
でも、未来なんて誰も分からないじゃないか。
こんな時代に、新卒で就職した会社も1年足らずで辞め、自由にオーストラリアに行った代償に
日本に帰って面接いっぱい受けてもなかなか受からず就職できない現実に凹むのだろうけど
がんばって自分に合った仕事を見つけて、仕事にも打ち込んでみたいな。
私にできるかなw
がんばる!
そんなかんじです。
このブログはオーストラリア滞在終了したら閉鎖しようと思っています。
長らくご覧になっていただいたかた、いつも温かいコメントまでくれた方、ありがとうございました。
ブログやツイッターもシドニーで寂しくなったときにこころの支えになっていました。
そしてこちらにいるときはなぜかよく今まで出会ったたくさんの人のことを思い返していました。
シドニーで出会ったたくさんの人だけでなく、最近から思い出していけば、塾のバイトで出会った素敵な人たち、前の会社でお世話になった優しいお姉さん、シドニーにいても連絡をくれた友達など・・・もう会うことはないんだろうけど幸せに暮らしててほしいなと思う人まで
ほんとうにいろんな人に支えられてきたんだな。
日本はもうすぐ夏がやってきますね^-^
今年の夏がみなさんにとって素敵な夏になりますように
英語を勉強しにオーストラリアに来るにあたって
オーストラリアの大地のパワーをもらって家族が反対している恋人の事を忘れられたらどんなに楽だろうか…という思いを心の片隅に抱き空に飛び立ったのだ。
ところがどっこい!
困ったんなことにその思いとは逆の方向に
渡豪して1ヶ月もたつと、1日でも彼の声と顔を見ないと不安になってしまった。
今は便利な時代でスカイプで遠く離れた国同士でも無料テレビ電話ができるので
毎日1時間、長い日は3時間どちらかの寝息が聞こえるまでたわいもない話をしていた。
その電話時間を英語の勉強にあてれたのに…という声が聞こえてきそうだが、毎日の電話はこっちで頑張るぞ!という心の支えになっていたのだ。
毎日声を聞かないと不安なのは彼も同じだったようで半日でも連絡が取れないと山のように着信履歴があり、ようやく連絡がとれたら
「あー話したかったよ。声をきいただけで涙がでそうだ、うれしくて声を聞いただけで(略」
なんて言っていた。うれしかった。
あなたは重すぎるのよ!さようなら
束縛されるのはきらいなの!
とすぐセリフがうかんでくるように
おそらく普通の恋人同士だったら「重い」「束縛」になるのだろうが
お互いに重くて、束縛しあっているのなら問題ないと気づいた。
共依存になってるのかも(^-^;)
親が結婚を反対した理由は彼が今無職なこと。前職が世間的にちょっと…かなり…なこと。
このことについて私はもはや気にしてない。私がこっちにいる間に、初めてのアルバイトに挑戦して社会勉強ができたと言っていたし、これからとある家電の営業の仕事も95%決まっているようだし新しいスタートに向けて頑張っていて応援している。
そして父が反対する一番の理由は歳の割りに子供すぎること。
彼は人生も何もかも「なんとかなる!」と思っているのだ
そんなところが私は好きであったりするのだが(私自身なんとかなる、とよく言うしかなり子供っぽいと思う…)
彼が父に「私と結婚したい」と言ってくれた時にも
父「君は無職だそうだが、生活はできるのか?」
と聞いたときに
彼「なんとかなると思います!!」
と言ったそうで、そんな人に娘を任せられないとかんかんであった。
しかも
「今後の影響のことを考え、趣味の放送も今限りで辞めようと思います!」
と父の前で宣言した5時間後に放送を始めていた。
もともと父は関西気質の人を笑わすことの好きな穏やかで優しい人なのだが
このときばかりは信用ならない!あの宣言はなんだったんだ!と怒っていた。
父はオーストラリア滞在中のメールの文末にいつも
「暗黒の魔法からさめますように」「暗黒黙示録から抜け出せますように」「マスク男と縁が切れますように」
などと苦笑いするような添え書きがしてある。
非常に心苦しい。
親のためを思うならすぱっと別れるのがいいのだがそれができない。
私はさみしがりやの弱虫なのだ。別れて悲しい思いをするのがいやなのだ。
残念なことに、離れてよりいっそう好きだと思ってしまったのだ。
いっそ嫌いになってくれたらと思うこともある。
前の結婚騒動で父ぴっぴを5キロもげっそりさせてしまった。
私はするならば、家族が喜んでくれる結婚がしたい。
両親が私にしてくれたこと、それは数え切れない。
最近「内観」という精神道に興味を持っている。
それは簡単にいえば「自分が周りの人間に『していただいたこと』」
を誕生から1年ごとに身近な家族を中心に思い出していくという心理療法でもある。
たとえばお母さん。
おかあさんは私が生まれてくることを心待ちにし
私のために栄養を取って
私のために母乳をくれて
私のために夜泣きの面倒をみてくれて
…
最初のところだけ本で読んだだけですっかり感動してしまった。
1から挙げたら数千、数万ものリストができあがるだろう。
大学まで出してくれた両親に親孝行の1つもしていないのに
こんなに心配をかけて反対をおしきってまで結婚はできないのだ。
反対するのは私を心配してくれてるからであるし。
親の言うことってあってるっていうよね。
でも、もしかしてこれから彼が変わっていけばわずかな1%の可能性があるかもしれない。
そして私も変わらなくてはいけない!
私が頼りないししっかりしてないし間抜けだから父はせめて結婚相手はしっかりした人をと思っているのかもしれないし。
前よりは距離は置くけど、今は好きだからこれからも付き合っていきたいと思ってる。
きっとこのブログを読んでくれてる父ぴっぴはショックでまた下痢になってしまうかもしれないけれど。
わたしもどうにかなる!って考えかもな。後先考えなさすぎかな。
でも、未来なんて誰も分からないじゃないか。
こんな時代に、新卒で就職した会社も1年足らずで辞め、自由にオーストラリアに行った代償に
日本に帰って面接いっぱい受けてもなかなか受からず就職できない現実に凹むのだろうけど
がんばって自分に合った仕事を見つけて、仕事にも打ち込んでみたいな。
私にできるかなw
がんばる!
そんなかんじです。
このブログはオーストラリア滞在終了したら閉鎖しようと思っています。
長らくご覧になっていただいたかた、いつも温かいコメントまでくれた方、ありがとうございました。
ブログやツイッターもシドニーで寂しくなったときにこころの支えになっていました。
そしてこちらにいるときはなぜかよく今まで出会ったたくさんの人のことを思い返していました。
シドニーで出会ったたくさんの人だけでなく、最近から思い出していけば、塾のバイトで出会った素敵な人たち、前の会社でお世話になった優しいお姉さん、シドニーにいても連絡をくれた友達など・・・もう会うことはないんだろうけど幸せに暮らしててほしいなと思う人まで
ほんとうにいろんな人に支えられてきたんだな。
日本はもうすぐ夏がやってきますね^-^
今年の夏がみなさんにとって素敵な夏になりますように
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