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【放送芸能】

レオびいき貫き30周年 文化放送「ライオンズナイター」

2011年6月2日 朝刊

 文化放送の野球中継「ライオンズナイター」が今年三十周年を迎えた。今でこそパ・リーグも人気を集めているが、開始当時は首都圏では野球中継といえば巨人戦が当たり前。画期的な試みであり、今の地域密着型放送の先駆でもあった。過激なライオンズびいき実況で名を馳(は)せた初代担当アナの一人、戸谷真人さん(64)に話を聞いた。 (宮崎美紀子)

 「これは先輩の門口伯康(のりやす)ディレクターの発想だったんです。巨人一辺倒をひっくり返そうよ、数字取るよりも、メジャーリーグ中継みたいに、監督の批判もしちゃうような面白い中継を日本でも目指そうよって。それはいいけど、デメリットも考えたね」

 西武ドーム(埼玉県所沢市)の観客席で、元文化放送アナウンサーの戸谷さん(フリージャーナリスト)は語り始めた。

 デメリットとは、相手ファンの反発。実際、ロッテや近鉄のファンから放送中に散々ヤジられた。近鉄応援団からは、西武が負けると放送席に向かって「文化放送ざまー見ろ」とヤジが飛んだという。ただ応援団長とはその後、友情に発展、番組も「三年目くらいから認知された」。西武びいきとはいえ、パの試合を伝える貴重な存在だったからだ。

 辛口の解説者・豊田泰光さんとは名コンビだった。戸谷さんも十分過激だったようで、相手選手の好プレー時に「ナイスプレー! この野郎」というフレーズを編み出した。近鉄の鈴木貴久選手(故人)がホームランをフェンスに登って捕った時は、「何をするんだ、この罰当たりめが」と言ってしまった。

 一番の思い出は一九八八年十月十九日、川崎球場での伝説のダブルヘッダー「ロッテ対近鉄」。近鉄の連勝以外は西武の優勝が決まる。文化放送は放送席をラジオ大阪に貸しており、戸谷さんは東京・四谷の本社にいた。そこに「なぜ中継しないんだ」と抗議電話が殺到、急きょ中継することになり、球場に派遣されたが…。

 「放送席は貸してるから、ないじゃない。警察官席にパイプ椅子を置いて、その上に立ってしゃべった。資料を貼り付けた画板を首からかけて。究極の中継だったね。こんなことやった人はいないと思う」

 八五年、日本シリーズで甲子園に乗り込んだ時は、阪神ファンの殺気に身の危険を感じ、豊田さんと二人、阪神の帽子を目深にかぶって中継したという。

 当時は非主流だったパ・リーグ中継、戸谷さんは、「ここ埼玉に日本一のチームがいるんだ、東京の球団だけじゃないんだ」との思いを込めてしゃべった。

 時代は流れ、地域に根差す球団が元気になり、巨人一極集中は崩れてきた。退職した今、戸谷さんは「ライオンズびいき」の立場を離れ、プロ野球への思いをこう話す。

 「野球は地方分権でなきゃいけない。仙台に楽天ができた時も、日本ハムが北海道に行った時もうれしかった。各地でおらがチームを応援することが野球を面白くすると思うんです」

 

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