ACジャパン創立40周年記念
「作文コンクール」受賞者発表

ACジャパンでは、創立40周年を記念して、「作文コンクール」を実施しました。
公共心というものを目の当たりにした感動的なできごとについて、また、公共心のなさに 悲しくなったできごとについて(この場合は、どうすればそのようなことがなくなるか、 の意見を併せて)お書きいただきました。
2010年末の締め切り日までに、1,738の作品応募をいただき、 4回の審査を行い優秀賞4作文と佳作12作文の入賞作文を選びました。 優秀賞の4作文は、全国のAC会員広告会社にお渡しし広告企画に脚色してご提案をいただきました後、 それらの案は審議会にはかられ、最優秀賞1、優秀賞3、佳作12を決定いたしました。
最優秀賞作文をもとに制作された広告作品は、2011年度の全国キャンペーンとして、 全国の新聞、雑誌、テレビ、ラジオから、世の中へ出て行きます。期間は2011年7月から翌年6月までの1年間の予定です。 受賞作文の詳細は下記をご覧ください。

>>応募要項はこちら

(敬称略)

最優秀賞:1名

「魔法を掛ける仕草」 佐川 孝(サガワ タカシ) 山形県

優秀賞:3名

「見えない缶」 赤木 洋(アカギ ヨウ) 東京都
「無言実行、笑う門には福来る」 橋口 信子(ハシグチ ノブコ) 愛媛県
「或る朝のバスにて」 向井 勝弘(ムカイ カツヒロ) 広島県

佳作:12名

「輪」 伊藤 遼(イトウ リョウ) 岩手県
「ある日、砂浜にて」 江口 秀大(エグチ ヒデヒロ) 秋田県
「受け継がれていくもの」 小沢 道子(コザワ ミチコ) 兵庫県
「車椅子のお姉さんからいただいた勇気」 小長谷 萌華(コナガヤ モエカ) 東京都
「地域でつながる公共心」 杉田 茂(スギタ シゲル) 埼玉県
「公園にはレジ袋」 難波 由紀(ナンバ ユキ) 東京都
「ケンカしているカップルとおばあちゃん」 久松 知博(ヒサマツ トモヒロ) 東京都
「電車の中で」 宿島 ひろみ(シュクシマ ヒロミ) 静岡県
「私の家は袋小路の中」 布川 麻里絵(ヌノカワ マリエ) 東京都
「靴を脱ぐ文化」 山本 由美子(ヤマモト ユミコ) 大阪府
「星空ゴミ拾い」 米原 美樹(ヨネハラ ミキ)
東京都(江東区立深川第四中学校)
「公共心を受け継ぐ人に」 渡部 清志(ワタナベ キヨシ) 愛媛県

■最優秀賞

「魔法を掛ける仕草」佐川 孝

 もう十年以上も前の事なのに、今でも頭の中に写真のワンカットのように一人の少年の姿が焼き付いている。
 私は、仕事の帰り道、長時間の運転で疲れていた。町名も知らない、 ある押しボタン式の信号が、「赤」になり停車した。 間が悪いなと思いながら不機嫌に舌打ちした。私の車は前から三台目で、 最初誰が、止めて渡っているのか分からなかった。 横断歩道の半分程過ぎて子供が、急ぎ足で渡っているのが見えた。 年、格好は小学校の二、三年ぐらいだろうか。 信号が「赤」なのだから仕方なく私は、苛立つ目付きで見守っていた。
 次の瞬間、私は、驚いて目を瞠ってしまった。お辞儀をしたのだ。 その少年は、横断歩道を渡り切ると振り向いて停まっている左右の車に向かい、 腰を曲げて丁寧なお辞儀をしてくれた。 少年の気持ちが、「ありがとうございました」と伝わってくる仕草だった。
 信号が「青」になり対向車の人の顔が見えた。誰もが、にこやかに笑っていた。 私の疲れて苛ついていた気持ちも、 魔法に掛かったように晴れ晴れとした何とも快い清々しいものに変わっていた。 顔も自然に微笑んでいた。そして、先程までの自分勝手な思いを恥じた。
 運転の道々、その少年の姿が目に浮かび、知らず知らずの内に私の顔は、綻んでいた。
 また、その時私の頭に思い浮かんだ事があった。それは、あの少年を育てた親御さんの事だった。 きちんとした躾をして立派に育てている事に、深く感心して私は、胸の中で何度も頷いた。
 今の世の中、カサカサと音がする程に、ささくれ立った空気が、蔓延っている。
 でも、家族の在り方一つで「公共心」は、自然に生まれてくるものだと思う。
 それは、親が子を慈しみ、道徳を教え、叱る時は叱るという極当たり前の事で、 日々の暮らしの中に、その答えは落ちていると思う。

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■優秀賞

「見えない缶」赤木 洋

 1日が終わる少し前、仕事を終え疲れて電車に乗り込む。
 するとそこには、何とも不愉快なものが乗っていた。 ガラガラの電車内でガラガラと音を立てた転がる空き缶だ。 仕事で疲れている体には、本当に勘に触る音だ。 一体誰が置き去りにしたのか? 持って行ってホームの屑かごへ入れるくらいの事がどうして出来なかったのか?腹が立った。
 ケータイをいじるふり、音楽を聞くふり、新聞を読むふり。 世の中の無関心に転がされている空き缶。
 向こうに転がっていった。よかった、私の方にはもう来ない。 その瞬間、電車が揺れ、缶は一直線。来るな! と願うがそれはコツンと私のつま先に。 ラッキーにもすぐに、向かいの席に遠ざかって行ったがこのままでは戻ってくる。 目の前の初老の男性が缶を手に取り、足元に立てた。よかった、あの音は、もう聞かなくてすむ。 そう思った瞬間に、電車が揺れ、また缶は倒れ転がり出した。そして立っていた女性のつま先に。 女性は、缶を手に取った。そこでドアが開いた。 私は、缶の行方を追いながらドアへと向かった。 彼女がホームに一歩踏み出したその瞬間、私は頭の中が真っ白になった。
 彼女は白い杖をコツコツと地面に当てながら、屑かごに辿り着き、手探りでその缶を捨てて行った。
 その缶は目が見えない彼女に見えて、目が見える私には見えていなかった。自分が恥ずかしくなった。 なぜ私は無視したのだろう? 人の視線を気にしていたのか? それを拾うことで視線を浴びてしまうことへの恐怖か?彼女が拾えたのは、人の視線が気にならないからか? 私も空き缶を捨てた者とかわらないのではないか? 善意を行う事にも他人の視線を意識してしまう自分、 どうせ誰かがという無関心な自分、すべて、自分が作り出している自分だった。
 人の視線を意識する前に、自分の意識を変えれば、世間は変わるかもしれない。 まず「自分から」そのことを彼女に教えられた。

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■優秀賞

「無言実行、笑う門には福来る ―― 子供は元気が一番。わっはっは。」橋口 信子

 産後、初めての帰省。子連れでの始めての飛行機。 田舎発のプロペラ機。早朝と夜間の二本のみ。不安だらけの旅だった。 夜間便ならば、子供の就寝時刻に合うと思い、選んだが、 機内は出張帰りのサラリーマン風の男性に覆われていた。 また、機内は明るく、子供が眠れる環境だとは到底思えない。不安は増々積もった。
 「グズったら…泣いたらどうしよう。周りが男の人だと授乳もできない。」  その予感は的中した。案の上、子供が眠くてぐずったのだ。 周りには、疲れてウトウトしている男の人、パソコンを開き、仕事中の人ばかり。 本当に女性が見当たらなかった。子供がとうとう泣き出した。 子供以上に私が泣きたい気持ちでいると、前座席の中年男性が、振り返った。 私は怒鳴られると覚悟を決めた。
「わしの孫も、同じ年くらいじゃ。泣き声聞くと、 会いたくなるなあ。子供は元気が一番。わっはっは。」
 五十人程度の機内は男性の笑い声が充満した。 すると後部座席のおじいさんが、
「ジュース、飲めるかのう。」
と、100%リンゴジュースをくれた。居眠りしていた隣の男性は、
「よかったら、赤ちゃんの足、僕の席まで伸ばして下さい。」
と、子供の眠りやすい環境を作ってくれた。 静かな機内は、彼らの親切心と私の『有難う』の声だけが響き、誰も文句を言わなかった。 それどころか、都市部の空港に着いた際、移動のバスにのるために、荷物を運んでくれる男性、 傘をさしてくれる男性、バスの中で席を確保してくれていた男性、 ベビーカーを借りてきてくれた男性。一人の笑いが、飛行機中の人を家族にしてくれた。 みんな言葉をほとんど発せずの親切。やはり、日本男児。世界に誇れる日本男児の姿に感謝した。

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■優秀賞

「或る朝のバスにて」向井 勝弘

 私は八十二才労災事故に拠る身障者です。
 家内も八十二才金婚式夫婦ですが、二人共戦争体験者。私は海軍志願兵でした。 気持ちはしっかりしているつもりですが。 家内もひざの疾患で歩行に難があって医者通いバスに乗るにも私の左手で押上げないと駄目。 いつも二人で医者通いの日課。
 その或る日、いつもの医者通いの二人、朝のバスは相当混んでいるけどいつものように左手で 「よいしょ」と家内を押上げて乗込み、 思いやりの席の一つが明いているのに家内を座らせて傍らに佇っていると、 私のお尻をとんとんとたゝいて振り向く私に初老の女性が 「私の方が少し若いからどうぞ」と席をすゝめて下さいました。 私は女性に席を譲られるのがちょっとは恥ずかしかったけれど、 折角立上がって申出て下さった御好意に「どうも有難う」と座らせて頂きました。
 ところがその後ろの席の女性が、私の方が若いわ、その方にと席を譲るのです。 みんなニコニコとした顔でごく自然な形で順送りに譲って、有難うを連発して誰かが小さく拍手すると、 高校生らしい詰襟の男の子が頭をかき乍ら、僕が一番若いからと立上りました。 バス全体が小さな拍手につゝまれたのです。 狭いバスの中はみなさんの幸福な笑顔に満ちて、表現のしようがない温かさでした。
 世の中は暗い悲しい話が多く私共のような年寄りには生きにくいようなニュースばかりだけれど、 私は信じたい、このような世間の片隅にある嬉しい話をつないでいけば、 世の中まんざら捨てたもんじゃないと心から思いました。 残り少ない私共の人生だけど明るい希望が見えたようで、一日中幸せな氣持で過せました。 いや私共だけでなくあのバスに乗り合わせた人達皆さんの心にあたゝかいものを残せたことだと思います。

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■佳作

「輪」伊藤 遼

 僕がまだ小学生だった頃。学校へと向かう途中で、毎朝顔を合わせる女性がいた。
 彼女の髪は二月のように真っ白で、年齢からすれば『おばあさん』というところだったけれど、 彼女のすっと伸びた背筋にはそんな言葉は全然似合わなかった。
 僕が彼女の家の前を通るとき、彼女はいつもきびきびと働いていた。 暖かい季節には花壇の手入れをして、秋には家の前の通りの落ち葉を掃き、 冬には赤い毛糸の手袋をはめて雪かきをした。 誰かがそこを通りかかると、彼女は必ず丁寧なあいさつをして、 何かちょっとした一言をかけるのだった。
「おはようございます、いい天気ですね。」とか 「すごい雪ね。あら、素敵なコート」とかそんなようなことだ。 それまでの僕にとって挨拶というのは日常の煩わしい儀式みたいなもので、 そこに感じるものなんて何も無かった。しかし月日が経つにつれ、 彼女の何気ない言葉たちは少しずつ僕の心を打つようになった。 毎朝彼女と挨拶を交わした後は、次に顔を合わせる人にも自然と挨拶の言葉が出る。 それは、なにげないことだけれど、とても素敵なことだった。 そうして彼女の家のある通りには、そこですれ違う人々によって、 挨拶によって結ばれた共同体のようなものができていった。 彼女を中心とした関係の輪の中で、ほんの一瞬、眼鏡のサラリーマンと おしゃれをした大学生の人生が挨拶によって交わる。 関わることのなかったはずの人々が繋がっていく。 そんな小さく温かい場所を、彼女は自然に、無意識につくり育てたのだった。
 彼女は自分から何かを主張し、訴えかけたわけではない。 ただ彼女は、自分にとってあたりまえのことを誠実に行い続けただけだ。 そして、そういう自然であたりまえに行われることにこそ、人の心は動かされる。彼女がその証拠だ。
 そして十八になった僕は今でも、毎朝彼女とすれ違うのを楽しみにしている。

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■佳作

「ある日、砂浜にて」江口 秀大

 私の家の近くには海がある。
 ありきたりな話だが、悲しい事があった時、自分自身を見失いそうな時は、 必ずその海に行って、時計や携帯電話に縛られることなく、 ただただ海を見て、心の平穏を取り戻している。
 そんなある日もまた、私は砂浜で一人膝を抱えながら、海を眺めていた。
 波の音だけが流れる砂浜。
「兄ちゃん、一人でどうした。何かあったのか?」
 突然、私は一組の老夫婦に声をかけられた。
 返事に困りながら、その老夫婦の手元に目をやると、 錆びた空き缶や花火の残骸が入ったゴミ袋が目に入った。
「ボランティアの方ですか?」
 そう尋ねた私に、老夫婦は声をそろえて笑い出し、こう答えた。
「違うよ。足腰が弱らないように、夫婦で散歩をしているのさ」。
「じゃあ、そのゴミは…?」
更にそう尋ねた私に、老紳士は、
「好きな物には綺麗であってほしい。こんな年齢になっても、 連れ合いにはきれいでいてほしいと思うのと一緒さ」
と、婦人を見ながらはにかんだ。

「自主的に清掃活動をしています」と公言するのも、決して悪くはないだろう。
しかし、私が出会った老夫婦のように、強制でも押しつけでもなく、心のままに、自然な形で環境美化に携わるのが、本来あるべき姿なのだと私は思うのである。

 その日以降、私は海へと足を運ぶ回数が多くなった。
 しかし、それは決して悲しい事があったからでも、自分を見失いそうだからでもない。
 わずかでもいいから、海への恩返しがしたいと強く感じるようになったからである。

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■佳作

「受け継がれていくもの」小沢 道子

 「母ちゃん、聞いて!」
遠くで一人暮らしをしている娘からの電話だった。
「昨日な、彼氏、怒ったってん。」
珍しいこともあるものだと話を聞いてみると、 デート中に彼氏が何気なく、噛んでいたガムを吐き捨てたそうだ。娘は彼氏に
「ちょう待って。今、口から何出してん? 捨てたもん、拾て来いや!」と言ったそうだ。
彼氏は娘の剣幕に驚いて、素直に拾ってきたそうだが、こう聞いたそうだ。
「お前って、みんなにそうやって注意するんか?」と。
娘は間髪を入れず、
「あたりまえやん! 友達とか、先輩とか、したらあかんことは、ちゃんと注意するべきやろ。 もし、道歩いとって、ガム踏んだら、どういう気すんねん? 町はゴミ箱ちゃうで。」
彼氏は返事ができなかったらしい。
 人の気持ちを考えるまでに成長したのをうれしく思うと同時に、母を思い出した。
 母から、口に出して「ごみを捨てたらいけないよ。」と、教えられた記憶はない。
 母の真似をしていただけだ。私も子供に教えた記憶がない。 でも、母から私へ、そして娘へと伝えられていくもの、それは、人を思う気持ちだったのかもしれない。
 娘の話を聞きながら、その暖かい気持ちを大切にしてほしいと願わずにはいられなかった。

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■佳作

「車椅子のお姉さんからいただいた勇気」小長谷 萌華

 私は、今年の夏休みに素晴らしい出会いをしました。
 夏休みの間、習い事に通うために毎朝同じ時刻の電車に乗ったのです。
 八時台の電車だけあり通勤ラッシュだったので、女性専用車に乗ることにしました。 何日かし少し慣れてきた頃、とても明るくさわやかな「ありがとうございました。」という声に気付きました。 人混みの隙間から声の主を探すと、ナント車椅子に乗ったきれいなお姉さんでした。 私が乗る次の駅に着くと、駅員さんがホームから板を渡して車椅子が乗車しやすくして下さるのです。 駅員さんのこの光景は何度か目にしたことがあり、「すごいな、ありがたいな。」と感心していました。 しかし、今回の感動はお姉さんのほうです。今まで見かけた車椅子の方は周りの乗客への配慮からかどなたもひっそりとされていて、私の目には肩身が狭そうに映りました。 駅員さんの手を患わすことや人が一人立つのに比べ場所も必要なことなどからそんな思いをしているのでしょうか。 ところが、このお姉さんはいつもにこやかで元気一杯の「ありがとうございました。」なのです。 そして、その声を耳にした乗客の皆さんもお姉さんを温かく見守っている雰囲気が伝わってくるのです。 もしかしたら、お姉さんは駅員さんだけでなく乗客の皆さんにも感謝を伝えたくて大きな声で言ってくれていたのかもしれないなと思いました。
 私は、お姉さんの行動に感動し多くを学ばせていただけた事を手紙に書き、 勇気をふりしぼって渡しました。すると、後日お返事を下さり、 とても喜んでいただけた事を知りました。じーんと温かい気持ちになれました。
 大勢の人が利用する乗り物だからこそ一人ひとりのマナーが大切です。 障害を持った方が肩身の狭い思いをしないような周りの配慮は勿論必要ですが、 このお姉さんのような行動力と勇気による自己アピールもその場をなごませてくれる素晴らしい力であることを実感できた貴重な体験でした。

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■佳作

「地域でつながる公共心」杉田 茂

 つい一年前までは、私の家の近くに公園はなかった。 このため、今6歳になる娘は5歳まで、 遠くの公園に半日がかりで出かけるか家の前のアスファルトの道路で、近所の子供達と遊ぶしかなかった。 家の近所では娘だけでなくまわりの子供達も同じ様に道路で遊ぶのが日常の光景だった。 しかし一年前、近くに住む老夫婦は周りの子供達のこうした様子を見て見かねたのだろうか。 ある日、自分達の先祖伝来の土地を市に公園として寄付をしたいと申し出た。 その後、市もこれを受け入れ、公園ができる運びとなった。 当時5歳だった娘はこれを知って、まさに歓喜した。 公園の工事がはじまるや否や、娘は朝に夕に、日に何度も工事中の公園を見に足を運んだ。 その後、公園が完成し、今6歳になった娘は、その公園で補助輪なしの自転車に乗る練習をしている。 ある日、娘と二人で公園に向かうと、この公園の前の酒屋のご主人が誰に頼まれた訳でもなく、 公園の芝生に水をあげたり、雑草を抜いてくれたりしている。 いつまでも雑草一つ生えない公園を不思議に思っていた私は、はじめて気づき、心が暖まった。 すると娘は「あのおじさんがいてくれるから、この公園でおもいっ切り遊んだり、 自転車の練習もできるんだよね。」と私に語りかけるなり、 雑草取りを小さなこぶしを握って、懸命に始めたのだった。
 自分の土地を公園として寄付した老夫婦、 そして今、その公園を維持してくれている酒屋のご主人。 こういう公共のために身をもって尽くす人達の心は、親が教えなくても、 こうして地域の大人が見本を示し、子供達の代に受け継がれていくということを知り、 人が生きていく上で、次の代に残すべきものは、こうした「心」ではないかと、今深く感じている。

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■佳作

「公園にはレジ袋」難波 由紀

「帽子、タオル、ティッシュ、お砂場セット、そしてレジ袋。」
 これが私と次男とが公園に行く時の持ち物。
 レジ袋はもちろん、公園のゴミを拾って入れる為には欠かせない。 悲しくなるほどゴミが多いのだ。特に多いのは、タバコの吸い殻。 夜の公園で、若者でも集まり、こっそり吸っているのだろうか!?  真っ赤な口紅がついているものもある。 これを赤ちゃんが口にでも入れてしまったら・・・と思うと、拾わずにはいられない。
 私が拾っていると、息子も真似して拾い始める。 すると、ブランコに乗りながら、お菓子を食べていた小学生達も、 きちんとゴミをポケットやレジ袋に入れ、風でとばないように、自転車に結びつけてくれた。
 話しにくそう、と思っていた茶髪のヤンママ達も、公園の植え込みの影などに 落ちていた空き缶やペットボトルを拾って、ベビーカーのカゴ等に入れてくれている。 うれしくなって、ママも子どもも、友達になった。
 そして、たっぷり遊んで帰る頃、レジ袋はいっぱいになっていた。
「さあ、帰ろう。」
道路に出ると、近所のおばさんが、
「ゴミ拾い、ありがとね。ゴミ、ここに捨てていきな。」
と、大きなバケツを示してくれた。このおばさんは、公園のすぐそばに住んでいて、 いつも子ども達がけがをしないか、不審者がうろついていないか等、見守ってくれている。
 息子と私は、優しい色になった夕焼けを見ながら手をつないで家へ帰った。
「また来ようね。」
息子の言葉に
「うん、レジ袋持ってね!」
私の心も夕焼け色に染まっていった。

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■佳作

「ケンカしているカップルとおばあちゃん」久松 知博

 下北沢駅の改札でカップルが口ゲンカをしていました。 僕はなんとなくそれを見つめていたんです。 ケンカの内容は「何で、あんなにベタベタする必要があるの?」「仕方ないだろ!」 というような女性が男性に嫉妬している事が原因みたいです。
 そのカップルの横に大きい荷物を持ったおばあちゃんが一人通り過ぎようとしました。 おばあちゃんは重そうに荷物を持って、階段を降りようとしていました。 僕は何か違和感を感じたまま、その光景を見ていました。 すると、ケンカをしていたカップルの男性が一言。 「あっ、おばあちゃん持ちますよ。」おばあちゃんはケンカをしていた カップルにいきなり話しかけられた事に驚いていましたが、 その言葉に素直に甘え、荷物を預けました。
 男性はケンカを続けながら、おばあちゃんの荷物を階段の下まで運びました。 階段を降りながらも女性はその行動が、さも当然の事のようにケンカを続けていました。 それを見ていた僕はなんだか、感動したんです。 そのカップルはケンカをしているにもかかわらず、自分たちだけの意識でいっぱいにならず、 しっかりと周りを見れていることに。ヒトは自分が何かで気を取られている時に周囲がテレビのセットのように思えてしまって、なかなか意識できないもの。 それなのに、公共の場でケンカしている男性が困っているおばあちゃんに向けて 声をかけてあげる視野を持っている事がスゴイな〜と思ったんです。 また、彼氏のしている事が当たり前のように彼女が思っていることも。 そのカップルの中ではどんな状況でも他人が困っている時は手を貸すというのが日常になっているのでしょう。
 僕はその二人を見て、自分がどれだけ必死になっている状況でも、 公共の場所で他人を気遣う意識を持っていることがすごく大事なんだと思い知りました。 僕も自分が何かで気を取られている状況の時には、 周りの人への意識をしっかり持てるようにこれからを生きていきたいです。

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■佳作

「電車の中で」宿島 ひろみ

 その日私は、友人達とのんびり気ままな電車の旅を楽しんでいました。 静岡の片田舎を出発した時は、人影もまばらで、周りを気にすることもなく、 四方山話に花を咲かせていました。 電車が東に進むにつれ、停車する毎に、スーツ姿の方が増え、 自然と私たちの会話も小声になっていました。
 横浜駅を通過したころでしょうか?いつの間にか電車はすし詰め状態。私は、大阪で暮らす息子を思い浮かべ、 毎日こんな感じで通勤しているのかしら・・・と思いをはせていました。 その時どこからか赤ちゃんの泣き声が車内に響いてきました。 すし詰め状態で、姿こそ見えませんでしたが、 小さなお子さんを連れてこの時間帯の電車にのらなければならないやむを得ない事情があったのでしょう。 泣き声は徐々に大きくなっていきます。 私は、数年前、初めての子育てに苦戦していた娘の姿と、 このピーンと張り詰めた空気の車内で泣く子をあやす母の姿を重ね、 いたたまれない気持ちになっていましたが、満員電車の中、どうすることもできず気をもんでいました。
 通勤前の緊張感あふれる車内が、一様に子供の泣き声に集中している気配が手に取るように感じられる時間でした。と、その時です。 男性の大きな歌声が、子供の泣き声をかき消すように聞こえ始めました。
♪そうだ! うれしいんだ 生きる喜び。たとえ、胸の傷が痛んでも〜…♪
 それは、孫も大好きだった歌。「アンパンマン」の歌でした。 ピーンと張り詰めていた車内の空気が一瞬にして優しく柔らかな空気にと変わり、 大声で泣いていたお子さんの泣き声がピタッと止まったのです。 男性の歌が終わると同時に、車内は自然と温かな拍手に包まれました。 誰しもが、その男性の心の温かさに感動し、自然に手をたたきだしたのです。
 人と人とのつながりが薄れきったこの社会。 ましてや、その場に会するほとんどが他人とも言うべき電車という空間で、 一人の男性の勇気ある行動が、他人同士の「絆」を産んだのです。
 私はその場に居合わせた自分の幸運に感謝しました。 都会に住めば住むほど私利私欲ばかりを求め、他人を思いやる心が薄れている・・・そういう思い込みを抱いていた自分が恥ずかしく思えました。 日本人にはまだまだ公共心の芽は芽吹いていることに安心しました。

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■佳作

「私の家は袋小路の中」布川 麻里絵

 私の家は袋小路の中にあります。 隣近所は、高齢化が進み、多くのお年寄りが暮らしています。 一歳になった我が子とベビーカーで外へ出ると、よく内田のおばあちゃんが声を掛けてくれる。 内心「急いでいるのに!」と思いながらも、実家の遠い私にとってほっこりする気持ちになります。
 この袋小路には狭い共同空間があり、車を一時止めるにも不思議な譲り合いのマナーが広がっています。 昼間はデイサービスを利用する庄司さんのおばあちゃんを迎えに大きな介護バスがよく止まっている。 夜になると、芦澤さんちの長男がバンドの練習か何かでよくエンジンをふかして出かけて行く。 週末はきまって千葉ナンバーの車が止まっている。 単身赴任をしている橋本さんの旦那さんの車。 いつも犬と二人暮らしの橋本さんの奥さんは週末になるととても楽しそうだ。という感じで、 このスペースに車が出入りすることを誰も何も言わないのはここのルールらしい。
 この袋小路にいつも季節の美しい花を咲かせてくれるのは谷川さん。 足の悪い奥様と二人で老々介護しながら趣味で油絵を描いている。 会うと「コーヒーでも飲んで行きなさい」と声を掛けてくれる。 この袋小路を良くはき掃除しているのは片平さん。 隣の家の敷地まで掃除をしたり、よく煮物を作ってくれる。 私の一番気になる人は三村さん。三村さんは私の二階の窓からよく見える。 男の一人暮らしで、いつもベッドに横になり外を眺めている。 「元気ですか? 大丈夫ですか?」と声を掛けたいが、なかなかできない。
 これが私のご近所さん。プライバシーと言われるこの時代、 深すぎず浅すぎない心地良い人間関係がここにある。 この人達だけはこの袋小路を通して繋がっていたいと思う。 この夏義母がなくなった。多くの参列者の中に袋小路の皆さんが来ていた。 普段会わない遠い親戚より毎日生活している場所で毎日会う人達の顔が見れてとても安心した。

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■佳作

「靴を脱ぐ文化」山本 由美子

  大浴場から部屋に戻ってきた夫が開口一番に言った。 異様な光景を見たと。夫と入れ違いに若者グループが入ってきたらしい。 一人が仲間皆のスリッパを片隅にきれいに揃えてから入って行ったという。 「嬉しい異様さ」だったと言い、自分のスリッパは行方不明で誰かがはいていったみたいだと苦笑した。
 この話を聞いて思い出した事がある。耳鼻科に行った時のこと、 待合は満員で狭い玄関に靴があふれていた。 何とかバランスをとって靴を脱ぎ、スリッパに飛び移った。 診察を終えた人はひとしきり自分の靴を探し、見つかると大股で靴に乗る。 幼児は人の靴を踏んでいく。老人はしばし立ち尽くし、見かねた人が助け舟を出す、という場面も。 玄関外で靴を脱ぎ、靴を抱えて框に立てかけて入室する人もいた。 すさまじい靴の洪水に驚いて引き返す人もいた。
 その時、一人の若者がやって来た。茶髪の彼も靴の多さに一瞬驚きの表情を見せた。 が次に彼がとった行動は思いもかけないことだった。靴をきれいに並べ始めたのだ。 靴の大きさや形を少し工夫して並べると、大人が一人安定して立てるスペースが生まれた。 彼はそこに立って大きなサンダルを脱ぎ、何事もなかったかのように初診を申し出た。 看護士が照れたような顔で礼を言っていた。不思議なもので、 靴がきれいに並ぶとあとから来た人も靴をきちんと並べ置き、常に人が立つだけのスペースは確保され続けた。 鮮やかな行動だ。その彼はのんびり漫画を読んでいた。 待合室にいた人々は私も含め、ちょっと恥ずかしい気持ちだったに違いない。 この勇気をなぜ持てなかったのか。誰もが納得しさわやかになる行為だ。
 日本は靴を脱ぐ文化を持つ。家でも客人としても靴の脱ぎ方マナーを教わってきた。 なのに公共の場ではこんな事が珍しくない。残念な事だ。 意外な若者の存在に気を良くし、さりげない勇気の大切さを語りあったのだった。

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■佳作

「星空ゴミ拾い」米原 美樹

 ある寒い雨の日私は友達と大勢で遊んでいました。 コンビニエンスストアへ行きいろいろなお菓子を食べて盛り上がっていました。
すると友達の一人が、
「捨ててもバレないでしょ。」
と言い、ゴミを地面にこっそりと置きました。 私たちもその子につられて捨ててしまいました。 少しためらいはありましたが、他の友達もやっているのだから大丈夫だと思い、その場をあとにしました。
 夜になり、私はあい変わらず寒い道を塾に向かって歩いていました。
 そのときです、一人の小さなおばあちゃんが私の視界を独占しました。 そのおばあちゃんは私たちが先ほど捨ててしまったゴミやその他の人々によって捨てられているゴミを一生懸命拾っていたのです。
 おばあちゃんの体は震え、手はさむさで真っ赤になっていました。 そして、その姿を私と同じように見つめている人がいました。
「捨ててもバレない」と言った私の友達です。 友達はいまにも泣きそうな顔でおばあちゃんを見つめていました。 私たち二人はどれだけ気の毒なことをしていたか、いまさらになって理解しました。 私は何も考えずにただ心の動くままにおばあちゃんのもとへかけ出していました。
「私が捨ててしまいました。ごめんなさい。」二人の声が同時に響きました。 おばあちゃんはおどろいた表情をうかべていましたが、私たちを見て笑顔で言いました。
「そうだね。次からは気をつけてね。」
くしゃくしゃ笑顔のおばあちゃんは怒っていたけれど、とてもうれしそうに見えました。 星空の下、私たち三人はゴミを拾い続けていました。寒いはずの場所がなぜかとても温かく感じました。

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■佳作

「公共心を受け継ぐ人に」渡部 清志

 二十年以上も前の事、近所の道路を毎朝掃除するおばさんがいた。 通学の小学生や道行く人々に笑顔で挨拶しながら、落ち葉やゴミを掃きとっていた。 その光景を目の当たりにし、私も清々しい気持ちで登校していた。
 ある日からしばらく、おばあさんの姿が見られなくなった。 道路はたちまち落ち葉やゴミで汚れていった。 「どうしたんだろう?」と心配に思った矢先、小学生が数人で掃除を始めた。 おばあさんが入院したので、「退院するまでぼくたちがやろう」、 「おばあさんを安心させよう」と、自発的に始めたとの事だった。 おばあさんが復帰した後も、小学生たちは一緒に掃除を続けていた。
 あの時のおばあさんが、「公共心」という言葉を知っていたかどうかは分からない。 しかし、毎日の掃除で、身を持って示していた気がする。 そして、その姿を見て小学生たちが考え、行動した。おばあさんを手本として、 公共心を実践していた
 当時私は、おばあさんの事を心配はしたが、結局、他人事としてしか見ていなかった。 小学生たちのように、おばあさんの思いを、行動を、受け継ぐことが大事だ。 学生時代、清掃ボランティアに精を出したのも、その時の思いが元になっている。
 今は、掃除が自治体の当番制になっている地域が多いと聞く。 時代の流れかもしれないが、言葉で言わなくとも、さりげなく行動で示すおばあさんのような存在が少なくなったように思う。 私も含めて、今こそ誰かが後に続こう。掃除に限らず、 目の前の小さな事からはじめよう。 だが、実行するには勇気がいる。だからこそ、もう一度言いたい。
 大事なのは、公共心を受け継ぐ事だ。

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