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[27873] 【習作】 戦乙女と能力者。
Name: 油田666◆5ef7dbd0 ID:3d666232
Date: 2011/06/04 01:18
 この作品の成分は以下の通り。
苦手な物が一つでもあればブラウザバックを推奨します。
バトル 学園 厨二 拙作 日常 グダグダ 恋愛 処女作

誤字脱字・その他表現の間違いなどがあれば、報告して下さると助かります。


05/19: 01投稿
感想版での、習作かネタなのかを明記するというご指摘、有難う御座いました。

05/26: 02投稿

06/04: 03投稿

※元「EXEXEX」です



[27873] 01 始まって。
Name: 油田666◆5ef7dbd0 ID:3d666232
Date: 2011/05/23 23:00
 「はあっ……はあっ……」

もうそろそろ、息が続かなくなってきた。
今にも足が千切れて上半身だけ投げ出されそうだ。
できれば今すぐに、走るのを止めてしまいたい。
あと喉も渇いたので、何か冷たいものも飲みたい。
僕の喉にだけ砂漠が出来たような、圧倒的な渇望感。 これが本当に僕の喉なのか。 それを疑うほどの、奇妙な熱気と疲労。
足腰も震えるのを我慢してフル稼働。 恐怖と大きな運動を一気に受けた脚の筋肉が、ガタガタと震えている。
だけど、それでも、だとしても……


「――――――――――あそこだッッ!」


僕は足を止めるわけにはいかなかった。
十分以上走って、今まで感じた事が無いぐらい疲れた。 普段あまり外に出ない生活への報いが訪れたのかもしれない。
運動神経が皆無なこんな体に鞭を打って、ここまで“あれ”に捕まらずに済んだというのだ。
今更この命を投げ出したくはない。 そうだ、僕はまだ死にたくない。
まだ望みを捨てるには早い……柄にも無くそんな少年漫画の主人公みたいな事を考えている自分に気付いた時、こんな状況にも関わらず唇がやや上に吊り上った。
ここまで逃走劇を繰り広げてきて見慣れてきた暗闇の中、さらに濃い暗闇に包まれた狭い通路を見つけた。
それを見て更に唇が吊り上る。 悪戯っ子のような「やってやろう」という感情が僕の中に芽生えているらしい。 今日は本当に奇妙な日だ。

(あの狭さなら、あいつも……)

『ウゥ……ォォォオオ!』

肉食獣の“恐ろしさ”を全て胃袋に詰めたような…………恐らく怨嗟も含まれているであろう、低くくぐもった咆哮が薄暗い路地に反響する。
それが起こす空気の振動だけで、街路樹は今にも倒れそうなぐらいに傾く。 何枚もの木の葉が道路に落ちるのが見えた。
掃除が大変そうな惨状になった葉っぱだらけの道路の上を僕は、“怪物”が起こす恐怖を背中に感じつつ、狭い通路へと走り出す。
“アレ”から逃げられる、という期待感や焦燥感に煽られたのか、疲れた足をより早く動かしている自分。 この時僕は、それに自分で気付いていなかった。
靴が葉っぱを踏む音を聞くまでは。


「あっ――――――」


案の定、というか……
僕はこんな肝心な場面で躓いてしまった。 死が目前に迫るこんな肝心な場面で。
そこから先の瞬間がスローモーションのように感じた。
街灯に照らされた道路の灰色のタールが眼前に迫る。
背後の“怪物”と目の前で僕を襲おうとする衝撃で二重の恐怖に挟まれた気分だった。
せめて鼻は無事であって欲しい、というささやかな願いから顔は自然と右側を向く。 頬を擦り剥くのはこの際よしとするしかない。
咄嗟に腕を前に出そうとするも、運動神経ゼロの僕の腕の筋肉がその脊髄の指令に間に合うはずもなく…………


「ぶっっ!?」


転んだ。 見事に。 盛大に。
予想通りの場所から痛みが走るところから左頬を擦り剥いたかもしれない。 でもそんな事を気にしてる内にも“怪物”は容赦なく僕に向かってくる。
振り向いた時にはもう既により近い場所に立っていた“怪物”を見て、腰が砕けたようにへなへなと落ちた。


『ガルルゥ……!』

「はっ……ひっおまっ…………だっ……くくく、くるなぁ!」

それでも僕は通路を目指した。 砕けた腰で進むからまるで老人のほふく前進のような変な進み方になってしまったけれど。
息遣いに恐怖の色が混じっているのが、自分でもわかる。 でも振り向く事だけはしなかった…………いや、正直に言うと首が後ろに動かなかった。
“怪物”の恐怖に圧倒されるぐらいなら少しでも前進したほうがマシだと思ったからだ。 こんな進み方でも“怪物”からは着々と距離を離せている。
…………正直、ここまで前向きになれたのは人生で今のが最初で最後かも知れない。
或いは、この前向きは生への執着という人間の本能がもたらした必然……僕自身としてはそっちだと思う。 だって、こんな性格だし。

「…………こ、ここだ」

多分、この狭い裏路地ならあの巨体は追ってこれないはずだ。
暗くてよく見えないが、何か遮蔽物がある。 暗くて何なのかはわからないけど、今はそれの影に隠れることにした。
逃げられるという安心感からか砕けていた腰は復活し、無事それの後ろに隠れることが出来て、ほっと息を吐く。
確認すると、車か何かかと思っていた遮蔽物は粗末なゴミ捨て場だった。 …………少し臭うけど我慢しなければいけないね。

『グルゥウ!』

鼻をつまんでいると、またあの不気味な鳴き声が聞こえてきた。
気になってこっそりゴミ袋の隙間から覗いてみると、建物に挟まれた隙間からぎらりと光る“怪物”の赤い眼が此方をぐるぐると窺っている様子が見える。
多分こっちには気付いていないみたいだけど、その無機質な顔をざまあみろと罵る気力なんて今の僕には無い。 というか多分、あってもやらない。
気が付くとその安心感からか、体中から力が抜けた。 そうして僕の体は、自然とコンクリートの壁にへたり込む。
一つ付け加えると、口―――に見える部分―――から覗いた光が怖くて仕方なかった。 あれはもしかして…………牙だろうか?
自分が恐怖に思う対象の正体をもう一度確かめたい…………そんな好奇と恐怖が混ざった目で、“怪物”の様子を再度ゴミ袋の隙間から膝立ちして覗き込んだ。
……だけど、そこにはもうあのギラギラした眼は無かった。 見えるのはぶんぶんと振られる尻尾のような何か。

『…………グルゥ』

その巨体を翻して、ようやく“怪物”は去ったということか。 その鳴き声には、もうさっきみたいな覇気は感じ取れない。
ズシンズシンと重々しく聞こえていた足音は、僕からどんどん遠ざかっていく。 その様子から、暫くしたらまた戻って来るかも知れないという不安がゼロになった。
一部始終を見た当事者の僕は、生きているという実感を喜びつつも、まるで生きている心地がしないという矛盾を抱え込んだ気分が襲いかかって来る。
…………とりあえず今は、助かったんだ。 不安を押さえ込むように、自分にそれを言い聞かせる。
そうして出てきた疲れのようなものに身を任せて、薄汚れたコンクリートの壁に再び背中を預ける。
今度はずるずるとだらしなく座り込む。 ようやく体が落ち着き、自然と安堵の溜め息が出た。
どうやら僕はあまりに疲れすぎて、不安だとか恐怖だとか、そういうのが全部どうでもよくなってしまったらしい。 多分。

「ぁーあ…………」

狭い隙間から見える夜空を見て、ついさっきまでの出来事を振り返った。
こんな体験初めてだ。 きっと、もう二度と味わえないはずだ。 そういう意味では貴重な体験かも知れない。

(いや味わいたくは無いんだけども)

だとしても大事に胸にしまっておこう、自分はそうすることにして、心の中の呟きにフォローを加えた。
そうしているといつもの日常が帰ってくる気がしてくる。 ……なんとなくではあるけれど。

「はぁ……はぁ…………」

肩が上下している事に気付いた。 とりあえず息が整うまではこうしていよう……そう思いながらぼーっと空を見詰める。
しかし息が整うと次は、立てるようになるまでこうしていよう。 と座り続けた。
少し疲れが癒えると、次は歩けるようになるまで。
次は汗が乾くまで……そんな風にして僕は、ずっと空を見上げていた。










     ――――――――――Episode01:未知との邂逅――――――――――










『【習作】オレと屋根下ハーレム生活』

20XX / XX / X1 一話投稿
20XX / XX / X3 一話修正
20XX / XX / X3 一話修正

 春は来ない。 新生活も始まらない。
オレには春なんて無い……。
親もいないしっ! 代わりに元女子寮だった場所に泊まる事になっちゃったしっ!
しかも学校も元女子高で共学になってまだ3年ちょいだしっ! 同性の友達が少ないよっ! オレ寂しいっ!

「おにいちゃ~ん! 朝だよぉ~! 起きてぇ~!」

聞き慣れた後輩の女の子の声がした。
どうやらオレを起こしに2階まで上がって来たようだ。
オレはまだヤドカリの世話も終わっていないというのになんて忙しい女なのだろう。

「…………って」

オレはそんな今の状況を一言で表せる言葉を思いついた。


「それなんてエロゲ!」

普通の男なら思わず飛び跳ねて叫びそうな美味しい状況だろうが、オレにとっては地獄でしかない……
オレには女の気持ちなんてわからない。 この間もツンツンした幼馴染にキスされたりしたし。

「おにーちゃーん! ごはんできたよ~♪ はやくおりてきてねぇ~☆」

そう思っていると、聞き慣れた甘ったるい声が階下から届いてk


カタッッッ-‐‐


 「…………書けぬ」

リズミカルな音の響きがピタリと止んだ部屋に、厳格な男の声が部屋に響く。
男は獣のような獰猛さと、年齢以上の風格と理性を併せ持った雰囲気を纏ってそこに佇んでいた。
逆立った黒髪ときりりとした太い眉毛の下では、鬼のような形相でノートPCの液晶画面を見つめる黒い瞳が、全てを射抜く程の眼光を放つ。

「書ァァけェェェぬゥゥゥゥッッ!!」

彼は苦悩していた。
日本人には馴染みが深い雰囲気であろうやや狭い和室の中、小さなちゃぶ台の上にノートPCを広げた状態で。
袴胴衣に包まれた、大柄で筋骨隆々な浅黒い体躯との対比で、ノートPCはまるでコンパクトなタイプの電子辞書のように見えてしまう。
ノートパソコンのキーボードに添えていた指を、グッと握り締めたかと思うと、握り締めた右の手をそれの液晶画面に向けて繰り出す。

「いや、できぬっ!」

しかしその右手は、現れた自身の左手によって、寸でのところで止められた。
彼は、ノートパソコンの液晶画面を殴りつけようとした右手を、左手でちゃぶ台に押さえつけ必死に自制した。
やがてそのまま右手は床まで押さえつけられ、しかしそれでも右手に入った力が抜けない。 男は生まれて初めて自分の体の一部相手に苦戦している。
次は右手に体の全体重を掛けようと、男は右手を押さえた左手の上から、横腹で更に右手に圧力をかけた。

「ぬ、ぬぅ……っっ!」

しかしそれでも右手の力は抜けない。
次はノートパソコンの安全を確保しようと、ちゃぶ台の下から出した左脚の親指で少しずつそれを動かす。
その拍子に袴は完全にめくれ、筋肉でごつごつとした生足がフンドシと共に露になる。

「し、静まれぇぇ! ワシの右手ぇぇぇぇ!!」

とその時、彼が先程まで座っていた場所の、すぐ後ろにある襖戸が開いた。

「……………………と、父さん」

その時、二人の間だけ時が止まる。
聞き覚えのある声で“父さん”と呼ばれた彼は、奇妙な体勢のままその姿を見やる。
立っているのは、筋骨隆々な彼とは対照的に華奢な印象の少年だった。 着ている服は黒光りするボタン式の学生服。 俗に言う学ランというものである。

「父さん……何やって……」

少年は鳶色の瞳で奇妙な体勢の“父”に疑惑の視線を送りつつ、恐る恐る現状を訊こうと口を動かす。
その視線に気付いた父。 しかし彼もまた少年を見て疑問を感じ、視線にそれが混ざる。
少年はそれを感じ取ったのか、途中で言葉を途切れさせてしまう。 この一瞬の間を逃さず、父は少年に訊ねた。

「明日斗(アスト)よ、制服が違うのではないか?」

「え…………」

言われて数秒固まる明日斗と呼ばれた少年に、父が付け加えるかのうに説明する。

「しっかりせい……お前は今日から高校生。 通うのは赤保志(あかぼし)高校。 無論立てるのは……」

「あ! あぁ……そそ、そうだった! それじゃあ、着替えてくるねっ!」

明日斗は父の説明を最後まで聞かずに慌てて引き返し、襖戸を閉めた。
2階への階段を駆け足で上がる音が部屋から遠ざかって、それが父の耳には心地よく聞こえてくる。

「フラ…………まったく……」

父は元の体勢に戻り、大人しく炬燵に入り直した。 その顔は今までのものとは打って変わって真剣なもの。
眼も口も閉じ、顎(あご)に手を当てうんうん、としきりに頷いている。

「うむ……流石我が息子。 あやつには類稀なる素質があるな…………」

次に彼は顔をくわっ、と強張らせて強く叫んだ。

「フラグのッッ!!」





     ――――†――――





 明日斗は本来の“矢先市立 赤保志高等学校”の制服に着替えて玄関を出て登校した。
右手で鞄を下げ、どこか覚束無い表情で初めての通学路を歩き出す。 今日の矢先市は彼から見て、心なしかやや暗く見える。
少年は若干俯き気味なまま歩いているので、その顔は正面からは丁度黒い前髪で目が隠れて見える状態になっていた。
大柄な父と比べて小柄な事もあってか、そんな彼の纏う雰囲気はお世辞にも明るいとは言えないものであり、大多数からはむしろ暗いと言われるだろう。

「……………………」

普遍的な髪型の黒髪、白い肌の貧相な体格、触れれば折れそうな程の暗いな雰囲気と鳶色の瞳。
何れを取っても先程の父の姿とは似ても似つかない要素ばかりで、血縁を疑われても仕方のない容姿。
強いて言えば髪の色ぐらいしか外見上の共通点がない明日斗は、物心が付いた時から少しずつその事が気になるようになった。
なぜか今日はそれを特に強く意識している自分がそこにいる。

「…………はぁ」

明日斗はそんな自分相手に思わず溜め息が出た。 何をそんな小さな事を気にしているんだろう、と。
第一、似た所であんなゴツゴツした体じゃ気持ち悪いじゃないか、と。 そうやって自分に何度か言い聞かせた。
ただ、余りに極端に似なさ過ぎて正直どうかと思った事も何度かあるのは事実ではある。


『渋ヶ谷 明日斗』 (しぶがや あすと)。 16歳。 身長は男にしては低め。
『人に自慢できるような特技は何一つ持ち合わせておらず、“なんとなく”今を生きている』
事実はどうであれ、彼は自分にそんな評価を下していた。 暗い雰囲気は今日だけのものではなく、生来のものである。
過去もこの性格で何度か苦労した事を、彼は未だに忘れることができていない。


「よっ、明日斗! 今日も元気かー?」

そんな彼の気持ちは露とも知らず、背後から陽気に声を掛ける男が一人。
男は笑顔だった。 手を振って友人に挨拶をするという、彼自身にとっては当たり前の行為をしながら。
声を掛けられた本人である明日斗は数秒迷った後、重い動作で振り返る。 見慣れている、逆立った琥珀色の髪が明日斗の視界に入った。

「ん……あぁ、おはよう」

暗い雰囲気の少年は素っ気無く応える。
そんな髪に眼が隠れた少年を見かねた男は、姿勢を下げてその顔を覗き込もうとする。
しかしその行為は、明日斗が前―――正確には少し下だが―――を向いたことにより失敗に終わった。

「どうした? いつもより元気ないじゃねーか」

「そ、そうかな? そんなこと……ないよ?」

明日斗は呟くように返した後、すぐに歩調を速める。 ……まるで男から逃げるかのように。 いや、自覚はなくとも彼はどこかでわかっていた。
自分があの明るい雰囲気に馴染めない気分なのを自覚しているからだ。 だがしかし男はそれに動揺する事無く、歩調を合わせて彼から離れない。
その後も、暗い雰囲気の少年が幾ら早足で歩いても男は付いて行くのを止めなかった。
どれぐらいそうしていただろうか……明日斗は、慌てている男の様子から自分が心配されているのだとやっと気付いた。

「お、おいっ……何だよ一体? 何かあったのか?」

「ごっ、ごめん……なな、何でも…………ないから……」

心配そうに声を掛けてくる男に対して少年は飽くまで「何でもない」を突き通すつもりのようであった。
元気な振りをしようとした。 だが喉から上手く声が出ない。
もう落ち込んでいることはバレているだろう。 いや、挨拶された時から丸わかりだったか、と明日斗は誤魔化すのを諦めて決心する。
自分は父親と自分のあまりの差にがっくりと項垂れています。 今日も元気がありません。 そう言うつもりだった。

「まっ……無理には聞かないけど」

しかし先に諦めたのは男のほうだった。 彼はそういった後すぐに明日斗に肩を並べる。
明日斗はその言葉を聞いて安心した。 なぜなら、父親との差をなぜか今更になって気になってきて、
それで今朝は思い詰めていた。 などという下らないであろう理由でここまで落ち込んでしまったからだ。
馬鹿らしい。


『志乃宮 奏也 (しのみや そうや)』
 明日斗と同い年だが身長は高い。 明日斗と比べてではなく同年代と比べても少し高い程度だ。
性格は明るく前向きで、誰とでも仲良くなれるタイプである。
かく言う明日斗も、彼に自分の悩みをあっさり解決されてからいつの間にか仲良くなっていたという。
それが随分と幼い頃の出来事だった為か、今二人は幼馴染とでも言えるような関係だ。
毬栗のようにつんつんと逆立った琥珀色の髪と大きな真紅の瞳は、彼の本質を表すかのように澄んだ輝きを持っていた。


明日斗は奏也を信じ切れないわけではない。 むしろ周りの人間よりも一際信頼しているほうだ。
ただ、幼馴染に無駄な心配をさせるわけにはいかない。 他人から見れば、幼馴染がいきなり妙な事気にし出して一人で勝手に落ち込んでいるだけ。
もしまだ明日斗が奏也に迫られていたとしたら、前述のネガティブな考えで明日斗は更に落ち込み、奏也にまた心配されてまた落ち込む、という悪循環が続いていただろう。
その時の彼には「やはり打ち明けようか」という気持ちがあったが、その必要はなかった。

「…………わー。 アストだー」

二人の前方…………少々曖昧さを正すと数メートル先、というのが妥当だろうか。
感情の起伏があまり見られない……下手すればたどたどしい演技だとも思われかねない、しかし外見相応の幼さが残る声を上げて明日斗を見る少女がいた。
少女の姿を目に入れた明日斗は一瞬、蛇に睨まれた蛙のように竦んでしまう。
それに構わず少女はゆらり、と緩慢な速度で僅かながらに恐れを表情を浮かべる少年に近づいてくる。

『羽須井 須羽 (うすい すう)』
 見た所、恐らく二人と同い年だろうが実のところは年齢不詳の謎の少女ということになっている。
濃紺の黒髪は伸び放題で、両目が隠れて見えず、後ろ側を見れば膝よりも下に伸びていて服の一部と間違えてしまいそうな程。
しかしその髪は朝日に照らされながらも確かな艶を持っていたので、どうやら面倒だから手入れをしていないわけではないようだ、と明日斗は人知れず推測する。
そして制服はこれから明日斗と奏也が行く学校の制服のはずだが、実はその学校のルールによって彼女の服装は異質なものになっていた。
少なくとも奏也の知識にあるものではそれが如何なる格好かは例えられない異質さを持っている。

明日斗という蛙は未だに絶句したまま。 その原因は彼女の長い髪を含めた異様にある。
蛙は絶句の間、じっと彼女の服装を見ていた。

下半身は灰色のミニスカートの下にオーバーニーソックスという定番かと思いきや、スカートの上から取り付けられたベルトを始点に長い腰布が垂れ下がっていた。
その腰布は味気ない真っ黒な無地のデザインだが、それが今学校の制服の上から垂れ下がっている。 ……これでは味気ないどころか特上の珍味だ。
もはやスカートなのか腰布なのか。 それは後ろ側を囲むようになっているので前側は透き通るような白さを持つ肌の一部が露出している。 より具体的には太股が。
つまり顔の半分と太股と手以外が黒に覆われているゴシックな格好。 これを奇抜と言わず何と言う、それが明日斗が抱いた感想だった。

「よお、須羽。 オレ達を待っててくれたのか?」

「……ああ、す……須羽。 おお、おはよう」

二人の少年は同時に挨拶するが、しかし今日初めて目にするその装いからは目が離せなかった。
……上半身。 まず袖が着物のように垂れ下がっている。 ようやく落ち着いた明日斗は、袖の下から針でも発射しそうだねと苦笑。
他に目立つ特徴は無さそうだが、それは飽くまでも部分的な特徴だ。 更に言うと彼女の姿は黒ずくめと言えるそれだった為、明日斗の絶句も当然のものだったであろう。
だから彼は挨拶の後に思わず訊いてしまった。

「そ、それ……何のコスプレなの?」

「アスト、これコスプレノンノン。 制服」

「ん~……まあ、確かに赤保志高校は制服のアレンジ自由だって聞いたけども……これはオレも驚いたな」

明日斗の質問に不思議な口調で答えた須羽に続けて奏也が話す。
須羽の異様はそういう事だ。 つまり自由に制服をアレンジした結果がこの黒ずくめだった。
明日斗もある程度はアレンジをしているが、ここまで徹底しているともはや別物だな、と感嘆にも似た息を漏らす明日斗であった。
奏也の「オレはそういうの興味ねーなー」という呟きを耳にした明日斗が彼を一瞥したが、本当に彼の制服には何も手が加わっておらず、須羽と奏也の姿を見比べた明日斗。
そのあまりの差に驚きを隠せず、少年の表情が無意識に二度目の苦笑いへと変わっていた。

そうして話している内にいつの間にか三人は横並びで歩いていた。
快活な笑顔を見せる少年が一人、その右側には笑顔だがまだ少し暗い雰囲気の少年がいて、
更に右側には、表情すらよく見えない黒ずくめの少女がいるというこの光景は……一見するとかなりシュールなもの。
そんな光景の通学路でも、明日斗にとっては幼い頃とあまり変っていない事が嬉しいものに思えていた。

(いつまでも……こんな日々が続けばいいのにな)

人知れずそう望んだ明日斗は…………しかし、その望みが今日潰える事をまだ知る由もなかった。





     ―――――†―――――





 「う…………んぅ……」

苦悶にも似た声……あるいはそのものを出しながら、僕は目を覚ました。
起きたけれど、何もかもが重い。

瞼が重くて目が開かない。
手足が重くて、動けない。
頭が重くて考えられない。
喉が重くて声が出せない。


「…………?」


なんとか首だけを起こし、いつもより視界の狭い寝起き眼で、倒れた自分の身体を見た。
そこにあるのは汚れて色がくすんだ制服。 空色のポリエステルは今や曇った雑巾のように色褪せてしまっている。
……くすんでいるのは制服だけじゃない。 僕もだ。 肌のあちこちが埃っぽくて煙たい。
あとでクリーニング出しとかないと…………シャワーも浴びたいなぁ…………

…………あれ? ぼくはなんで、ここにいるんだったっけ?


「…………あぁ」



―――――思い出した。



{「――――――――――あそこだ!」}

必死に逃げる僕と。

{『グルゥウ!』}

追い回す“怪物”。

あれはひょっとして夢…………だったのだろうか?
その疑問に応えるようにして僕の固定観念、常識、それまで培ってきた知識が告げる。
「そう」だ。 「あれは夢」だ。 「忘れる」んだ。 そうでなくとも、「気付かなかった振り」をすればいい。

だけどその一方で、「あれは確かに現実だった」と脳に伝えるあの時の感覚の名残がある。 体と、頭と…………本能に。
走り続けた時……呼吸が苦しくなり喉が渇き、脚が悲鳴を上げ、シャツが汗でべとべとになったあの時の感触。
忘れられない恐怖。 赤い瞳に射殺されそうになったあの時の感情。
空を見上げながらここに座るまでの、全ての感覚が忘れられない。 まるで昨日今日の出来事じゃないみたいに。



 ようやくはっきりしてきた眼で辺りを見回すと、そこは予想通りの場所だった。
昨日―――かは定かではないが―――空を見上げた…………“怪物”から逃げて飛び込んだ路地裏。
あの時は疲れと暗さでよく見えなかった場所も、今はぐるりと見渡せる。
といっても路地裏というだけあって、射してくる日光が少ないのか。 それほどくっきりとした視界じゃなかった。
まあ、今の僕には眩しくなくて助かったけど。

「あぁ…………? うん……」

この状況とこの場所に対しての疑問。 それらが頭の中を駆け巡っても出てくるのは意味を持たない声。
聞いてわかったことだけれども、喉はかなり枯れている。 まだ幼い自覚があった僕の声も、一段と老けたように感じた。

「は、やく……帰ら、ない……と…………」

立とう。 そう思うだけでさっきまでぼやけていた意識ははっきりしてきた。
腕に力を入れて腰を上げる。 腰が上がれば足を立たせる。
けれど……それだけの事をするのに何十秒かかっただろうか。

「うっ……」

壁にぶつかった衝撃で呻き声が漏れてしまった。 このまま歩いてもふらついて倒れそうなので、半ば仕方なく壁伝いに歩く事に。
ここまできて昨日の“アレ”はここまで体に響く事だったかな、と一瞬疑問に思ったけど、そんな事よりも家に帰る事のほうが大事だろうと振り払う。 頭振れないけど。
そしてずりずりと制服の左肩が擦っているのがわかったがこれも気にしないことにした。 まさか入学式当日――なのだろうか?――にこんな事になってしまうなんて。
……やはり性格は直らないもので。 どうにでもなれ、という自暴自棄になった思考の片隅でいつまでも、自己を主張している明日への不安は消えない。
帰ったら父さんに何て説明すればいいのかなぁ……なぁ……なぁ……ナァ――-‐(フェードアウト)



 翌日。
まさか制服に予備があるとは思っていなかった。 流石父さん、抜かりない。 しかし、やはり人生とは、そう都合の良いことばかりでもない事に気付かされた。
当然ながら、今日は疲れで授業どころじゃなかった。 といっても初日だから授業なんて殆どなかったけど。 今回はそれが幸いだった。
というか自己紹介が殆どだった。 でもそれが淡々としたものになってしまったのは、僕としてはなんとなく残念でならない。
緊張でたどたどしい態度になる、とかの方がまだ良かった。 僕は疲れていたので自分が何を言ったのか覚えていなかったけれども。
奏也と須羽はそんな僕を心配してくれたけど情けなくなってつい意地を張って「何でもない」の一点張りをしてしまった。
大体疲れた原因が非現実的過ぎる……今でも半信半疑だけど、なぜか現実だと確信を持ててしまう自分に戸惑っている。

…………そんな気持ちで家の門の前に立っている自分に鬱になっていると、不意に後ろから声を掛けられた。

「あ、あの――っ!」

まるで真夏の猛暑を打ち消す風鈴のような心地良い響きの清涼感溢れる女性の声だった。
振り返らなくても活発で行動的な服を着た姿の清楚な女の子が容易に想像できた。 活発で清楚な…………あれ? えーと……うん、もういいや。

「あなた、渋ヶ谷明日斗さんですよねっ!?」

僕はその思い描いた姿への期待と共に、声に惹かれるように後ろを向いた。

「えっと……そうだけど…………………!?」

まず、思わず息を呑んだ。
目の前で僕の名前を聞いた女の子の姿にあらゆる驚きが生まれたからだ。 腰よりも下までさらりと伸びた赤髪は幾らか桃色を含んで輝いている。
その下から覗く、くりくりとした大きな金色の瞳が別種の魅力を備えた輝きを持っていて、思わず吸い込まれそうになった。

「よかった! 実はわたし、あなたに大事な用があって!」

……そこまではいい、そこまではただのとびきり可愛い女の子だ。 なのに……
た、確かに動き易そうな服ではあるだろうけど…………何で?


「…………なんで、鎧なの?」

言って、数秒の間。
この時僕は、しまった! と口を押さえた。 初対面の女の子にいきなり格好の事を質問するとか失礼極まりないよ!
でもさっきの質問をなかった事にする気はない。 なにせ彼女の、服装を含めた雰囲気があまりにもこの日常の風景に合っていない。
美少女なだけならいい、いやそれでも目立つけども……服装が更に目立つ。 彼女が着ているのはファンタジー系のライトノベルに出てきそうな鎧だった。

ビキニ水着のようなピチッとした赤いビキニ水着のようなインナースーツの上から短いオレンジ色のベストが着せられて、
左肩と左腕の甲にはそれぞれ燃えるような緋色の肩鎧とガントレットが嵌められている。
右腕には盾を象ったような飾りが付けられた太い腕輪が一つだけ手首に付けられているだけで他には何も無い。
腰と足にも同じように動きやすそうな鎧。 その鎧の全てが日光を反射していて、「本物だ」と思わせる重厚感があった。
動きやすそうなのに重厚感というのは矛盾しているかもしれないが本当にそうだから仕方ない。
ただそれで戦士然としたイメージがあるかというと、胸の谷間がチラチラ見えたり腰の布の量が少なかったりで、
目のやり場に困るような際どい衣装だったので、あまり“戦い”のワードがしっくり来ない。 ファンタジーだね。
そんな鎧を気にしてうっかりしてしまった質問にも、彼女は気にする事も無くはにかんで応えた。

「これは戦闘用の衣服です! 普段着はちゃんとありますから安心して下さい!」

「そうかそうか…………なんだ戦闘用か……」

それなら仕方ないよね。 そうかそうかじゃあ…………ん?
納得しかけたけど言ってることが色々とおかしい事に気付く。
戦闘用って……このコなに!? 異国のスポーツ選手か何かなの!?
でもスポーツ選手にしては胸が大きいし髪も長いよね……違うかな、露出度も高いし。
いやいや、さっきから胸の事が頭から離れないのはどうかと思うね。 僕、青すぎる。 でもそれ以上に彼女の言った事を問い質したい気持ちが勝った。

「…………いや戦闘用って何!? 君は一体何なの……?」

「コホン…………わ、わたしは……」

僕が訊くと彼女は少し躊躇いがちに咳払いをする。 彼女が息を吸うと、それを見ている僕にも緊張が走った。
一体何を言うつもりなんだろう、という期待と不安が胸に宿った緊張。
小さな口を精一杯開けて僕に発せられた言葉は―――――



「私はあなたの護衛の命に応じて参上した『戦乙女<ヴァルキリード>』、リリアです!」


「…………………………」


時間が止まった。
僕と彼女―――リリアの間だけ。


え? なんてワードが出てきた?
ばるきりーど? 護衛? 胸が大きい? いや待て待て雑念は振り払え! しっかりしろ!
頭を全力で左右に振る。 昨日の疲れがまだ残っているのか少しクラクラした。
しかしそれでも彼女の肌がチラチラと目に入るのでやはり煩悩を完全に払拭する事は叶わなかった。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、リリアは僕の顔色を伺うかのようにおずおずと此方を見てきた。
……どうやらふざけて言っている感じでも無いので適当に流すのも悪いな、と思い無難に応対することにした。

「リリア……さん、ですか」

「そうです、あと呼び捨てでも構いませんよ……渋ヶ谷さん」

「いえ、僕はこれで失礼するので。 ではっ!」

帰ろう。 門を開ければそこから先には法律の盾で彼女は入れない…………はず、正直自信はあまり無い。
門の取っ手に手を掛けると予想通り後ろから呼び止められた。
こ、この! 根暗な僕でも、こんな時に美少女一人の誘惑ぐらいに負けたりはしない! 
門の内側にさえ入れれば多分このリリアとかいうコも帰ってくれるに違いない、正直付き合っていられないよこの電波には!
服装を見た時点で気付くべきだった。 このコはおふざけじゃなく本気で自分を聖女かなんかと自称しちゃうイタい女の子だったんだ!
大体僕の本名まで知ってるなんて怪しすぎるし、これじゃあ逃げるのが普通でしょ?
関わらないほうが身の為だ…………と心中で呟きつつ門の取っ手を引いた。
このあと黒い門が金属特有のガチャリ、という音とともに開く…………はずだった。

「あ、あれ……?」

手が動かない。 いや…………この感触は違う。
何か“物凄い力”で手首を押さえられている。 今度は一体何だというのだろうか。
事件は現場で起こっているんだ、感触の源である手首を見てみよう。 と冷静に判断したのも束の間。
そこには、僕の手首に食い込む白くて細い綺麗な指があった。 この指は……………………………………ナニ?
すると耳元に先程聞いて間もない声がまた聞こえた。

「お願いします、話を聞いてください!」

「ひ、ひぇっ!?」

いつの間にかリリアに距離を詰められていた。 この握力といい、この人は身体能力は大したものなのかもしれない。
金色の瞳に涙を溜めて上目遣いで僕を見詰める姿には、思わず「いいよ」と言ってしまいそう…………電波なのにハイスペックなのかこのコはッ!?
しかし今、その要素は僕にとって恐怖以外の何物でもない。 逃げ出したくなる衝動からつい情けない声まで出してしまった。

「申し訳ありませんが強引にでも契約を履行させていただきます!」

「やややめてよ! は……はは、離して!」

動揺で声が震える。 もう相手には僕の情けなさは存分に伝わったと思う……だからこんな僕相手に本気にならないでよ。
早く開放して欲しい、その一心で繰り返し訴え続ける。
ついでに背中に何か柔らかい感触を感じるが無論今は素直にそれを喜ぶ事はできない。

「ですから……ッ!」

僕の手首に加わる力が更に強くなる。
もうダメ……手に力が入らない…………誰か助けて……僕はこんな所で高校生活という名の青春を失うわけにはいかない……。
と、その時。 僕の手前の玄関からギィ、という扉の開く音がした。

「ぬ? 明日斗よ……何事じゃ?」

僕の予想通り、玄関の扉から覗いたのはまるで格闘ゲームのラスボスのような厳つい顔。
だけどそんな厳つい顔は同時に僕の見慣れた顔でもあった。

「と、父さん! 助けてよ、この人……」

「渇ッッ!」

厳つい顔の男……父さんが突然そう叫ぶと、流石に驚いたのか僕を掴む指の力が緩んだ。
この好機を逃すことなく僕はその手を振り払うと、真っ先に玄関に向かう。
途中「あっ」という声が聞こえたという事は予想外だったのだろう。 僕を掴むことばかりに夢中になっていたリリア(?)に向かって心の中で舌を出した。

「待ってください!」

――――しかし相手はしぶとかった。

「なっ!?」

次はがっしりと左肩を掴まれた。
しかしその手の上から更に何かが重なった感触。

「待つのだ、娘っ子」

その感触の正体は思った通り、父さんの大きな左手だった。
ふと見ると、僕の前には父親の壁のように分厚い体がそこにはあった。 いつもの袴姿で。
父さんをこんなに頼もしいと思ったのはいつ以来だろうか……と思った矢先に、

「一枚……いいかね?」

父さんはなぜか右手にカメラを構えていた。 小型の黒いデジタルカメラだ。
その大きな右手からは、小型のデジカメが対比でより小さく見える。
僕はそれを見て、父さんが何をしようとしていたのか大体察しがついた。 自然と出す声にも怒気が混じった。

「…………父さん」

「とりあえずその戦士っ娘をわしのカメラに収めさせてくれ!」

「何しに来たんだよアンタッ―――――――!!」

自分でも久しぶりに聴いた、僕自身の腹の底からの叫び声が、空しく響いた。



[27873] 02 改めて。
Name: 油田666◆5ef7dbd0 ID:3d666232
Date: 2011/05/26 21:32
 「…………父さん、やっぱりこのコには帰ってもらおう」

所変わってここは居間……というかリビング。
父親はこんなだけど、別に家が純和風というわけではなく、どちらかと言えば洋風。 床も畳じゃなくてフローリングだ。
それもこれも姉さんが色々してくれたお陰だ。 実の姉というわけではないけれど、今姉さんはとある事情で別居している。
小さい頃に色々とお世話になった人だから、今でも会いに行ったりする。 ……まあ、実際に行くこともあったけど。

さて……僕の冒頭の台詞の意味は、言わずともわかるだろうが説明しよう。
今ここでは僕と、リリアと名乗った少女、そして父さんの三人が、安っぽい墨色のソファに座っている。
そして先程の台詞は、向かい側のリリアを今なお、舐めるように上から下まで見ている父さんに対してのものである。

「それと父さん……頼むから、僕の隣で変なことしないでね」

「うむ

一応、「なぜ家に入れた」という怨念を込めた睨みを効かせながら言ったのだけど、どうやらその効果は無かったようだ。
そのまま何も返してこないのかと思いきや、父さんはいきなり、こっちに鋭い眼光を突きつけてきてくる。

「――――明日斗よ」

ただでさえ低い声のトーンを、さらに落として僕に言う。
そこに秘められた言霊に圧倒されそうになっている自分が情けないと思うが、これが父さんの本質。
姉さんにイタいとか言われた趣味とか、あと変な発言で普段は忘れているけど、本当はとても強い武道家なんだ。

「……な、なに?」

そんな父さんの予想していなかった反応に、少し慌ててしまう僕。
萎縮した僕を一瞥して、リリアをそっと顎で指す父さんが一言。

「彼女の瞳を見てみよ」

「え?」

僕は一応、父さんに言われた通りに彼女の眼を見ようとした。 そこで自分が、躊躇っていることに気づく。
なんだかんだ言っても、やはりというかこのコは…………可愛い。 自分の頬が熱くなっているのがわかり、思わず目を逸らした。
でも僕は「あんな電波な女の子を相手に欲情するものか」と意地を張り、金色の瞳を今度こそ、じっと覗き込む。

「あ……あの……なんで、しょうか?」

少々上擦った声が聞こえた。 言うまでもなくリリアの声だ。
どうしようかと迷ったが僕は何も応えずに瞳を見続けた。 いや、目を離す事ができなかった。
なぜ目を離せなかったかはわからなかった。 でもこれだけは言える。

「き、綺麗……」

「ふ、ふぇええっ!?」

自然と声が漏れた。
でも仕方ないと言える。 それは、今まで疑ってたのを後悔するぐらいに綺麗だった。
水晶のように純粋でありながら、宝石のような輝きを持っている純粋な金の瞳は、もう直視出来ない。
初めて見た時はこんな事思わなかったけど……改めて見るとこう……単純に可愛かった。 そういう感想を抱いたことで、人知れず謝りたくもなった。

「明日斗、心の声が漏れておるぞ…………可愛いじゃろ?」

父さんの一言に、自分の声が出ていたことに気付く。 リリアと二人仲良く顔が真っ赤になった。

(な、なにが綺麗だー、だよっ!? くっ、恥ずかしい……!)

彼女は暫くあたふたしていた。 僕もそれを見て少し可愛いと思いながらもどうしようかと焦ってしまった。 
しかし彼女がはっと我に返ると、その顔から赤みはすぐに消える。

「渋ヶ谷さん」

凛とした表情で少女が此方に向き直る。
その真剣な表情に僕も反射的に姿勢を正した。
今度は余計な感情はもう無いのだろうか、彼女はただ純粋に僕の目を見ている。

「最近、身の回りで何か変わった出来事はありませんでしたか?」

「変わった出来事……?」

「はい、現在進行形でも些細な事でも何でもいいので」

そう言われると入学式とその後の“アレ”しか思い浮かばないのだけれども、
彼女にそれを言ってもどうしようもないよね、とその事を秘密にする事にした。
他に何か変わった事と言っても思い浮かばないな……。

「例えば……心当たりが無いのでしたら恥ずかしいですけど……」

恥ずかしい? もしかして僕が間違って女子更衣室の扉を開けそうになった事を彼女は知っているのか?
いや、それとも幼馴染が凄い格好で登校して注目を浴びた事とか……?
でも彼女の言い方からすると僕が直接羞恥を味わった出来事じゃないらしい。 一体何が……


「――――真っ黒な怪物に襲われたとか」

「……!?」

その一瞬、僕は驚いてに息を呑んだ。 額に汗が垂れてくるのがわかる。 あとちょっと椅子から腰が浮いた。
まさか彼女は知っているのか? “アレ”を……僕が昨日、帰り道で襲われた事を。
先程も思ったがやはり彼女は嘘を吐くようには見えない。 改めてその綺麗な瞳に納得する。
僕の反応を見て彼女も何か納得したのか、リリアが僕を見てにこりと綺麗な笑顔を向けた。

「その様子ですと、何かお心当たりはあるようですね」

「……あぁあ、あるも何も、僕は君の言った通り襲われたよ! その……“怪物”に!」

「やっぱり、トクメイ様の予想は当たっていたのですね!」

彼女がぱあっと笑顔を輝かせながら言う。
それは安心感とか嬉しさとか色んなものが混じった笑顔で、その可愛らしさにドキッとしてしまう。
でも気になる人名らしきものが出た。

「トクメイ…………サマ?」

「わたしに命令をくれた方です……でもそれ以外は秘密です!」

「……あ、うんわかったよ」

なんだかよくわからないけど納得しておこう。
聞きたい事は山ほどある。 だからこそ自分の欲しい情報が得られなさそうな話は聞いている時間が惜しく感じる。
父さんも同じタイプなのだろうかいつの間にかいなくなっていた。 そういえばまだ作家やってるのかな……?
まあいい、これで僕は部屋に美少女と二人っきりだ! ……正直あんまり嬉しくないんだけどね。
バカな事を考えていたらさっきの驚きで昂っていた気持ちが落ち着いてきた。 腰も無事椅子に着陸することができた。

「それより、君は……僕を護衛しに来た、とか言ってたよね?」

「はい、それが命令ですから!」

「何で?」

「命令だからです!」


「…………あぁ……うん、そうか」

「……はい」


「……………」


「…………………?」


二人の間に気まずい沈黙が訪れた。 何で僕がこんな目に会わなくちゃならないんだ。
確かに取り留めの無い事を訊いてしまったのはわかる。 少し恥ずかしくもなった。
でも何でこのリリアってコは……こう、僕に笑顔を向けたまま黙るんだ。 よくわからない。
それに耐えられなかった僕は最も気がかりだった事を質問。

「とにかくあの“怪物”は一体何かを教えてもらえないかな?」

話を切り出すことに、特にこれと言った躊躇はなかった。
それだけ僕は“アレ”が気になっていたらしい。
そう考えると彼女の鎧姿にも何か納得のいくものがあるような気がする。
要するに彼女の言葉を信じる事で辻褄が大体合う。 だから僕は彼女を信じる事にした。
それに何よりあの瞳を見た時、僕は彼女を疑えなくなったのかもしれない。
……僕の質問を聞いたリリアはまた真面目な顔に戻り話し出す。

「『蝋影(グエル)』です」

「ぐえ……る…………グエル……それがあの“怪物”の名前?」

「はい」

そうなのか、と納得する事しかできない。
なんだかんだ言ってやっぱり時間がかかりそうだ。 と長話を覚悟する所だったが、

「明日斗よ、そろそろ飯の時間じゃ」

いつの間にか戻ってきた父によって話は寸断される。
まあ、ご飯は僕が作るんだけどね……ここからの長話を想像するとそれぐらい何でもないように思えるから不思議だ。

「うん、それじゃあえっと……リリアさん……でいいんだよね?」

僕がそう言うと彼女は「リリアでいいですよ」と遠回しに僕に呼び捨てで呼ぶ事を要求してきた。
確かに親しみ易い雰囲気の女の子っぽく見えるけどそろそろその“戦闘用”とか言ってる格好は止めていいんじゃないかな?
彼女もそれに気が付いたのか自分の格好を改めて見直していた。 うんうん、そこら辺はしっかりしてほしいよね。
第一普通の女の子って身だしなみに気を使うものなんじゃないのかな? 目の前の鎧を着た少女がどんな生活を送ってきたかは僕は知らないけど。
そんな事を考えていると彼女が何か言いたげにこちらを見てきたので、なに? と聞いた。
遠慮がちに

「すみません……お風呂を貸して頂けませんか……?」

「父さん! ちょっとお風呂見てきてーッッ!」

いけない忘れてた! さっき浴槽にお湯溜めてたんだった!
……流石というか、父さんは目視が不可能な速さですぐに消えて、数秒後にまた同じ場所に現れた。

「大丈夫じゃ! 少し溢れそうになっていたがしっかり止めたぞォ!」

いつもは煩く思っていた元気な父さんの声が、今は頼もしく聞こえた。





     ―――――†―――――





 「結局……よくわからなかったなぁ……」

結局目ぼしい情報は今の所怪物の名称だけだ。
あとは多分……どうでもいいと思う。 思うんだけど……

「何で君が僕の部屋で寝てるんだよッッ!」

「ふ、ふぇっ!?」

僕のベッドから少し離れた床にちゃっかり布団を敷いて寝ていた女性に食って掛かる。
いきなり大声を出されて驚いたのであろう女は目を丸くして此方を見ていた。
暗くてよくわからないが寝巻きらしい楽な格好に着替えている。 白地にピンクの水玉のパジャマか……なるほど。
普通の格好すると……やっぱり……その、

「可愛いな……(ボソッ)」

「ふえぇぇ!?」

「ハッ!? ち、違うよこれはつい心の呟きが……」

「は、はわ……そ、そうですか……」

いけないいけない……これでは相手に不要な警戒を強いてしまうよ。
落ち着くのだ渋ヶ谷明日斗よ。 そのような有様では天下に己を示せぬぞ。
……じゃなくて! ああダメだ完全におかしくなっているよ僕。
これじゃ情緒不安定かと思われるよ。 もう思われてるかもしれないけど。

「ゴホンッ! あ、あー……それよりさ」

わざとらしく咳をして意識を整える……というか誤魔化す。
年頃の男としては同年代ぐらいの女子と同室で寝るというこの状況は夢みたいなものだろう。
僕も正直夢だと思った。 でも違う。
初対面のコとそれをするという現実が目の前にある。 手が汗でびっしょりだ。

「なにもぼ、僕の部屋じゃなくても……いい……でしょ?」

でも僕は敢えてそれを断った。
このままじゃ緊張して眠れないし、何より相手がこんなヘタレだなんて彼女に悪い。
こんな無駄に広い部屋で女の子と二人で寝たら気まずい事この上ないだろう。

「ダメです! わたしは渋ヶ谷さんの護衛に就いたですから!」

「ぼ、僕はまだ認めてないよ……それに、その……リリアは女の子だし……やっぱりダメだよ!」

「そ、そんな事言って……しゅッ……死んじゃったら元も子もないでしゅみゅッッ!」

至極まともな意見を口にしたと自分では思ったのだがそれは顔を真っ赤にした本人が必死そうに否定した。
なんて噛み方だ、と思わず指摘したくなるが堪える。 こんな不毛なやりとりはいつまでも続けたくはなかった。
とりあえず何でもいいから彼女がこの部屋から出ていきそうな事を並べてみることにした。
……流石に「僕はケダモノだから君を襲っちゃうよぐふふ」みたいな事は今後のコミュニケーションに支障が出そうなので言えないけど。
ヘタレのレッテルがスケベに変わるのは勘弁願いたい。

「大丈夫だよ……た、多分ね。 それに僕は……一度あれから逃げ切っ……」

「ダメですッッ!!」

今度はより大きな……部屋の外まで聞こえるぐらいの声で遮られた。
その時の彼女の顔はなんというか……真剣そのものだった。 焦り悲しみ……そういう何かが色々混じってるような表情。

「ご、ごめん……」

暗い部屋でもくっきりと目に見える迫力に反射的に謝ってしまった。
これのせいでやっぱり自分はこういう引っ込んだ杭のような性格だと再認識させられる。

「あ、いえ……こちらこそすみません。 だから……謝らなくていいんです……ただ、あなたが心配で……」

逆に謝られた後、申し訳無さそうに視線を逸らされる。
この反応は予想していなかっただけに少しの間、かける言葉を失ってしまった。
そうして二人、気まずい雰囲気になる。
でもそんな雰囲気はは次の瞬間、部屋の窓ガラスと共に打ち砕かれた。



『グルァァァア!』


それは唐突だった。
予想だにしていなかった巨体が聞き覚えのある咆哮と共に訪れた。
肉食獣の“恐ろしさ”を全て詰め込んだ皮袋から出たような……低く、くぐもった獣の咆哮。
その咆哮が、ビリビリと僕の部屋の空間全体に衝撃を与える。 衝撃は部屋の軽めの家具を丸々吹き飛ばす程の力を持っていた。
紙が破ける音。 小さな棚に置かれていた小物が落ちる音。 CDケースの棚の中身がぶちまけられて割れる音。

「伏せてッッ!」

リリアの声が何処か遠くから聞こえる感じがした。
一瞬目の前の出来事が理解できず、思考そのものが遠ざかっているような感覚。
でもその感覚は後ろからの衝撃によって煙のように消え失せる。 現実に引き戻されたんだ。

「――――ぐうっ!」

その衝撃は赤みがかった黒髪の少女の腕のもので、同時に聞こえた呻き声もやはり彼女のものだった。
どうやら彼女がその右腕で呆然としていた僕を無理矢理伏せさせたらしい。
すぐ後ろからは衝撃音とガラスの割れるような音。
伏せられた体勢のまま首を動かして確認すると、勉強机に置かれた電気スタンドが壁ごと砕かれていた。

「大丈夫っ!?」

「し、渋ヶ谷さん……気をつけて……っ!」

もし今の衝撃が伏せていない自分に降りかかったらどうなっていたか?
答えは簡単だ。

(し、死ぬところだった…………!)

そう、“死”だ。
僕は今、再びその可能性の前にいる。 さっきはリリアが退けてくれたが今度はわからない。
彼女と僕は立ち上がってその可能性の前で身構え、唸り声を上げる巨躯を見やる。

『グオオオオォォォ!』

それは黒い粘土をこねて作られたような単純な黒色だけの生物。
薄い部分も濃い部分もない、全身同じ錆びた鉄のような黒色。
眼だと思われる部分だけはルビーの宝石を埋め込まれたようにぎらぎらと赤い光を放っている。
つまり黒だけの体と赤く光る目。 人の恐怖を煽るのにはこれだけでも充分効果的だった。
事実、目の前にした僕は冷や汗が止まらない。 情けない話だけど身構えてなんていられなかった。

「渋ヶ谷さん……蝋影<グエル>です!」

近くで見るとそれが巨大な狼を模したような形をしていたことに気付いた。
一本の木のように太い足の先にだけ、鈍く光る三本の突起が見える。
あれを狼だと仮定するとそれは間違いなく爪に当たる部分。 即ち敵を傷つける為の得物だ。
目の前の巨大な狼―――蝋影<グエル>―――はリリアを一瞥すると、僕を見てその眼光を一層強める。
赤く光る目の下に今までなかった継ぎ目がつくられ、口がぱっくりと開く。
そこから見える光は、考えるまでも無く牙が反射した光だろう。

(ちょっと待って…………牙って……?)

『グガァ!』

「こ、こいつ……もしかして!」

短い蝋影の咆哮と共に、ついさっきまで曖昧だった“アレ”の記憶が次々と蘇ってきた。
切欠はさっき蝋影が反射した牙の光。 あんなものが切欠になるなんて僕もどうかしてるね。
次々と……といっても短い記憶だから割とすぐに蘇った。

「昨日、僕を襲ったのと…………同じ……?」

「ほ、本当ですか……!? 蝋影に同じカタチをした個体はいないのに……?」

リリアの驚きも、今彼女自身が言った言葉も視野に入れれば当然と言える。
それは……全く同じ個体が僕の目の前に二度現れたことを意味する。
僕は蝋影の習性なんてわからないのでリリアに訊いてみたが、彼女も実の所そんなにわかっていないようだった。
だがしかし……僕本人からすればそれには何処か因縁めいたものを感じる。
感じる……だけなんだけどね。

「リリア……」

「まずは外に逃げましょう! ここでは貴方が危険です」

確かに。 さっきから言及してなかったがここはまだ僕の部屋だ。
しかし部屋を出るドアは蝋影によって塞がれてしまっている。 どうやって出ようというのだろう。
僕は気になって、提案者本人に訊いてみた。

「出口ならあります!」

振り向いた彼女の腕が僕の胴を掴む。
彼女は僕をどうしようというのだろうか。 護衛なら何するかぐらい言ったって……

「いきますよぉぉぉ……ッッ!」

眼前に夜空が迫る。
それは既に蝋影に割られていた僕の部屋の窓。
まさか……

「ま、待って……まだ心の準備が」
「絶対離さないでくださいねっ!」

言うが早いか、彼女はもう掴んだ僕と共にいつもより星の少ない夜空へダイブしていた。
いやそれより掴んでるの君だし。


このままでは落ちる。
間違いなく落ちる。
止める術はない。
ああ……僕……落ちてるん――――――――――だっ!?


「着地っ!」


「ぐふっ!」


ま……あわかるとは思うけど最初のはリリアの、次のは僕の声。
幸い怪我はなかったけど腹部に彼女の腕が食い込んで痛い。

「だ、大丈夫ですか!?」

「ふぅ……だ、大丈夫……だよ……」

なんとか下ろしてもらうと、そこは鹿おどしやら鯉の生けてある池やら父さんの趣味が大きく反映されている空間。
渋ヶ谷家自慢のまさに“和”という言葉を表したような庭園だった。 夜でもその美しさは変わらない。
ここを怪物に荒らされるのはちょっと心苦しいが……父さんなら許してくれるだろう。
それでもまあ家の中で蝋影に暴れられるよりマシだ。 多分アイツも僕を追って……

『グオア!』

僕の予想通り低くくぐもった鳴き声が聞こえた。
数秒後、ドスンという鈍重な音と共に黒い影が土煙を上げながら飛来した。
段々聞き慣れてきた野太い咆哮が聞こえる。 それが風圧となって僕の意志を挫いていく。

「下がっていてください!」

しかし、そう言って僕の前に立ったリリアを見てなんとか倒れそうな足を踏ん張った。
この状況でもそんな勇ましい態度でいれる彼女を不思議に感じる。 そして羨ましく思う。
護衛とは言ったもののどうやってあれと戦うのだろうか。
パジャマ姿でありながらも凛としていて、尚且つ外見相応の少女としての可憐さも兼ね備えている少女が。
多分同年代かな、と見た目で判断したのが誤りだったかと思わせる程に、その背中が今は頼もしく見えた。
やがてその体の中心に赤い光が迸る。 光はやがて全身を包み、白地とピンクの水玉が見えなくなる。

「ふっ!」

光が止み、そこにあるのは赤いインナースーツの上から着せられたオレンジのベストと緋色の鎧。 その間僅か一瞬、一秒未満。
左腕と腰周りと脚だけに最低限装備された鎧だけど、それでも頼りになりそうな重厚感を持っていて。
今考える事じゃないけど鎧部分だけ脱いだら普通に外歩けそうだよね。 あ、ダメだ下半身の露出が大変なことになる。

……そんな現実逃避みたいな下心思考ができたのは彼女が強そうに見えたからだ。
リリアならきっとあの怪物……“蝋影”をなんとかしてくれる。 そういう風に思えたから。
でもやっぱり自重しよう、と付け加えながら再び彼女の様子を見る。

「来てっ!」

彼女が気合を入れるような声と同時に、右腕を更に右の空間に伸ばす。
バッと開いた右手の平の上に棒状の細長い光が現れる。 その光の色も赤だった。
光はやがて形を変えていく。 先端の部分が槍の穂先の刃のように幅を広げていく。

「はああっ!」

リリアがその光を右手でしっかりと握る。
握った赤い光を左右に払うと、光は水を切ったように周囲に舞い散って消える。
そこに現れたのは恐らく彼女が―――この表現が正確かはわからないが―――“呼び出した”物体の本体だろう。

「えっ…………?」

―――息を呑んだ。
それは目の前で少女が起こしたと思われる一連の減少から来る驚愕のせいだろうか。
いや……現れた“武器”のあまりの美しさに……? いや、そんな事はどうでもいいだろう。


現れたのは槍だった。 少女の身長を上回る長大な朱(あか)の槍。
炎を象ったような形の銀色の刃が現れた。 その刃は平べったく、中心には何か紋章のようなものが朱色で描かれている。
彼女が握っている柄もまた朱色で、 金で装飾された石突きと刃の根元が相まって、その意匠は三国志に登場する名将の槍を思わせた。
リリアが持つ赤みがかった長い黒髪と金色の瞳……もしかしたらこの槍はそのイメージに合わせて作られたのかも知れない。
そう思わせる程にその槍は…………まるで許された場所が彼女の手の内のみであるかのように唯一の存在に見えた。


「戦乙女<ヴァルキリード>・リリア―――――推参ッッ!」


凛とした声が響く。
焔と見紛う程の激しい赤の光を舞い散らせながら、戦乙女は現れた。
その鎧と槍にも無垢な朱(あか)を携えた一人の戦士が。
黒く巨大な狼に物怖じした様子は一切なく、強張りも潤みもしていない金色の瞳の中に迷いは見えない。
赤味を増したようにも見える流れるような長い髪は、敵を今にも突き刺さんばかりに鋭さを増していた。

「いきます―――――――――ッッ!!」

ダッと庭園の土を蹴り、獰猛な黒き獣のもとへと駆ける。
蝋影は牙を剥き出しにして喉を鳴らし、リリアを威嚇する。
その姿をもう一度改めて見て、僕はさっきまで戦乙女の姿に見惚れて忘れていた恐怖を再認識する。

黒一色で構成されたシルエットの“影”といえど、はっきりとわかるその引き締まった筋肉……の形をした影は生物的だ。
踏み締められた四足は丸太のように太く、その強靭さを否が応にも見せ付けていた。
そしてその右足の先に光る三本の爪が、標的を引き裂こうと真っ直ぐ迫る。
勿論標的はリリア。今の彼女はまさに肉食獣に捕らわれた獲物だ。
手が震え出した。 もしこの場にリリアがいなかったらきっと腰も抜けていた事だろう。
だけど大丈夫。 そう確信させるだけのものがリリアにはあった。

「ふっ!」

リリアが朱の槍を目の辺りの高さで横凪ぎに振るう。

『オオオッ……!?』

蝋影が恐らく驚愕の声を上げた。
赤味の強い黒髪を翻した少女に突き刺さるはずだった爪は、気付けばそこにはなかった。
いや……もっと正確に言えば、右前足の肘から先が“無くなっている”。
初めて見たときは電波なコかと思っていた女の子がこんな実力を見せ付けてくれた事に驚いたけど、
切れた腕の断面も真っ黒だったのを見て思わず目を見張った。 切り株のように綺麗な断面からは体液と言えるものが流れていなかった。

『グルルゥゥ……ウウ』

赤い光を放つ眼から感情というものは読み取れない。
しかし時が経つにつれ徐々に生物感を増してきた口には、確かに苦悶といえる歪みが浮かんで見えた。

「そこですっ!」

スパン! と往復ビンタでもするような速度で穂先を返しもう一閃。
今度は切断とまではいかないも、蝋影の左腕には大きく深い傷が一文字に刻まれた。
そう……傷ができた“だけ”だった。
蝋影はそれを気にも留めずにリリアに文字通り牙を向ける。 咄嗟の事に反応が遅れたリリアは、しかしそう簡単にはやられない。

「こんなもの!」

半歩、彼女が後ろに下がっただけで牙は簡単に避けられた。
少女が反撃の体勢に移ろうとしたがそれはそれは三本の爪に遮られた。

見れば、いつの間にか蝋影の左前足は再生していた。
どうやら牙はフェイクで、右前足の爪での攻撃が蝋影の本命だったようだ。 慌てて槍で攻撃を防ぐリリア。
だがそれすらも相手は許さなかった。 ギラリと月の光を反射した牙が防戦一方の少女に襲い掛かる。

「ぐ……ッ!?」

彼女の表情には明らかに苦悶が浮かび上がっている。
相手にここまでやられるのが想定外だったのだろうか。 槍での防戦に徹することになった。
でもしばらくすると彼女は度重なる攻撃に耐え切れなかくなり庭の池のまで吹き飛ばされてしまう。
水飛沫と共に赤い光が消えて夜の暗がりが蘇った。 途端に胸の中に一挙に不安が押し寄せてくる。

「リリアッ……!」

咄嗟に声を張り上げた。
そして池のほうに駆け寄ろうともしたが、赤い双眸が此方を睨むのを見て立ち竦む。

『グルゥ……』

「ひっ……あッ!?」

手足が情けなくぶるぶる震えて、無意識に後ずさってしまう。
―――――殺される。
否応無く分かってしまうその恐怖。 さっきまではそれに打ち勝つ味方がいたからどこか安心していたのかも知れない。
でも……今度はそうはいかない。 その味方は今、打ちのめされて池の中。
駆けつけてくれるかも知れないが蝋影はもう僕の目の前。 その前に僕が死ぬ可能性が高い。

「たた、助けて―――ッッ!」

それを頭では解っていても、叫んでしまう。
助けを求めた。 ただ……死にたくないと思ったから。

『グオォ!』

だけどそんなのは無駄だ。 父さんはこの騒ぎに気付いた様子も無いし、リリアがいるはずの池も静かだ。
いきなり突き出された目の前の死の可能性に、腰が抜けて涙が出た。
後ずさる。 後ずさる。 僕の背後には……壁。
わかっている。 ここは家だから壁がある。 当たり前じゃないか。
でもおかしい……僕は何でそんな当たり前を憎んでいるんだ……?
Answer:死にたくないから。
そう、事実は至って簡単。 あいつの爪か牙に刺されたら、そこで大量に出血して僕は死ぬんだ。

『オオオォォォォォ……ン……』

蝋影が眼を牙を光らせる間、ちらりと水飛沫の収まった池に目をやる。
未だに紅い少女の姿は見えない。 夜の闇の中でも目立ち、映えるその姿はどこを探しても見当たらない。
やっぱりさっきの敵の一撃が重かったのだろうか…………我が身を差し置いて心配になる。

(何で僕……あのコの心配なんてしてるんだろう)

まだ出会って一日しか経っていないのに……彼女の瞳を見た時からだったか。
僕が彼女を少しでも信じる気になった切欠。 大きくて綺麗な金色の瞳。
…………ああ、やっぱり一緒の部屋で寝るのOKしても良かったかな。
死ぬ前にそういう体験はしておきたかったという後悔……似合わない。
蝋影の爪がもうそこまで迫ってきている。 諦め切れない気持ちを僅かに抱えながら目を閉じる。
というか……そうだ、やっぱり僕は………………


「―――――死にたく、ないッッ!」


いつの間にか喉から飛び出した叫び。
次の瞬間、異常な感覚が体を駆け巡った。 全身の血が沸騰したような感覚。
血液の全てが、強い炭酸水にでもなったかのような……体の底にある何か――魂とでも言おうか――が奮い立つ感覚。




―――――――――ドクンッ……




心臓が、跳ね上がるような強い鼓動を発した。
鼓動は僕の心の“なにか”にスイッチを入れ、瞬間的に僕の意識は別物のように切り替わる。
クリアになった頭の中が高速で回転し、死を回避する方法が幾つも浮かび上がった。
逃げ回る、相手を騙す、父親をどうにかして呼ぶ……全てを一頻り確認した後で一番簡単な方法をチェックする。
言ってみろ渋ヶ谷明日斗。 お前はどうやって生き残る?



「殺す…………」



濃く大きな砂埃が僕を覆う。
幾重もの風の音がけたたましく辺りに響き、蝋影もそれに驚いたのか動きを止めた。
だがそれも一瞬。 蝋影は僕を殺すつもりだ。 今度こそ、とばかりにやや大振り気味に爪を突き出した。
眼前に黒鉄色の爪が迫る。 ―――――遅い。

「……殺す……ッッ!」

突き出された蝋影の爪はスポンジを刺したフォークのように途中で強い反発力に負けて、弾き返される。
それが自分の意志かどうかは定かではないが、とりあえず目前の死は回避できた。
恐怖の感情はある種の高揚感に塗り替えられていた。 今なら何でも殺せる気がする。
だからあとは―――――殺すだけだ。

「う、うァァァァア!」

気付けば立ち上がっていた。 両の拳を握りながら叫んでいた。 
砂塵は幾つもの竜巻となり、黒い影を瞬く間に包み込む。
その竜巻には殺傷能力があるようで、ザシュリと肉を刻む音が蝋影の動揺の声と一緒にダイレクトに耳に届く。
だけどそれだけじゃ足りない……アイツを――――殺すにはッッ!


「突き刺せェェェェェェェッッ!!」


今度は極限まで研ぎ澄ませた刃を思い描く。
頭の中に元々あるかのように浮かんだこの“能力<ちから>”のマニュアルをフルに回転させて。
できればあの戦乙女が持っていた槍よりも細く……鋭く……より強く相手を傷つけられるように。
そして何よりも速く……速く動かせる刃だ。 それで―――殺す。

「出ろォォ……!」

思い描くと同時に、砂埃はより激しさを増して巻き上がる。
雑巾を絞るようにぎゅるりと巻かれた砂は、頭頂部で尖ってうねる。
うねった“それ”は蛇のように何度かくねりながら蝋影を目指してぎゅるりと伸びていく。
あんな細長いもので蝋影を刺せるのか? という疑問はない。 というかむしろ必ず殺せると確信している。
未だに竜巻相手に悪戦苦闘している相手。 そしてこの砂で出来た刃はかなり速く動く。
だが形状的には刃というより針に近い。 刃と言うならスピアかレイピアのそれに近いだろう。
それを対象に突き刺す事だけを考え、精神をも鋭く研ぎ澄ませる。
強く突き刺す。 抉り込むように突き刺す。 有りっ丈の殺意を込めて突き刺す。
たとえ一本の細い刃でも急所を刺せれば関係ない。 砂の刃で左眼を貫く。 これで―――殺せる。

『グオオァァァ!』

苦しみに悶える蝋影の声。 確信はあったが一応……しっかり刺せた。
それを確認して次は体内で刃を暴れさせて右眼を出口にして貫く。
感触が直接伝わってくるわけではないがはっきりとわかる相手の状態。
研ぎ澄まされた精神が視覚にない情報も与えてくれる。 第六感というヤツだろうか?
そんなことを考えている間にも黒い影が崩れ落ちていた。

『オォォオオ……ォ…………』

「はぁ……はぁ……」

僕が殺意を収めると同時に、竜巻も刃も砂埃に戻って地面に落ちる。
黒い影は空中に跡形もなく霧散する。 そうして庭園は元の静けさを取り戻した。

―――トクン……トクン……

早鐘を打っていた鼓動も落ち着いてきた。
今まで研ぎ澄まされていた精神も安堵に息を吐き、世界が日常の色を取り戻す。
体に沸き上がる感覚も無くなり、ハッと我に返る。

(―――――僕は……今…………)

思案する余地も無く視界が暗転する。
我に返った直後に気絶というのはちょっと情けない話だ。
全身から力が抜け、また地面に座り込んでしまう。
気を失うのはこれで二度目か、と自嘲しながら壁に背を預ける。
かくん、と頭が垂れ下がり、張り詰めていた思考がぼやけていく。

押し寄せる睡魔に、今はただ身を任せた。



[27873] 03 やってきて。
Name: 油田666◆5ef7dbd0 ID:3d666232
Date: 2011/06/04 01:17
 例えばの話。
その日、学校が休みで、自分以外の家族が全員出払っていて。
その日、家に同い年くらいの女の子がいて。
だけどその日、その子は風邪を患って床に伏していて。
しかもそれがとびきり可愛い美少女だったとしたら……


「…………どうする?」

まあ、今の状況なんだけど。

「なんれすか~……渋ヶ谷ひゃあぁ~ん……ぶえっくしゅ!」

やや鼻詰まり気味な女性の声が、僕の部屋のベットから聞こえる。 っていうかくしゃみしたね、今。
声の主は昨日も見た白地にピンクの水玉がプリントされたパジャマを着た赤味の強い黒髪を持つ女性。 言うが早いが赤髪……いや、赤髪ではないんだ。 黒髪なんだ。
まあ、大体わかるとは思うけどリリアだ。 …………そりゃ、夜にあの格好でずっと水に使ってたら風邪引くって。
そう思った僕なのだが本人曰く、あの露出の多い戦闘服は物理的な防御と身体の保温を兼ねる効果を持つ膜のようなものを張れる機能が付いているらしい。
そんな万能なオーラみたいなものが周囲に張り巡らされているのに、あんなに吹っ飛ばされた上風邪を引いてしまうとは……
オーラが欠陥品か詐欺なのか、相手が強すぎるのか……少なくとも、水に長時間浸かったら風邪をひいてしまう程度の効果だと思っておこう。

「ああ……水、飲む?」

「はい…………」

キンキンに冷えた水の入ったコップを差し出す。 しかしこのコップ、氷を水で濡らしている、と現せるぐらい氷が多い。
昨日の戦いでの凛とした佇まいが嘘であったかのように弱った声で返事をした黒髪の少女がそれを受け取る。
そこにいるのは戦士でも何でもないただの可憐な女の子。 申し訳なさそうな態度はともかく。
パジャマ姿でも変わっていないのはそこに漂う色香。 ちらっと覗いた大きめの乳房の谷間がなんとも悩ましい。

「ゴクッ……ゴクッ……ンッ……うううぅぅ~…………」

上体を起こして手に取った水を一気に飲み干したあとに続くのは、心底悲しそうな呻き声。
心当たりがないはずはないので、なんとか宥めようとする。 ……なるべく胸を見ないようにして。

「……昨日の事、まだ気にしてるの?」

「それはそうですよ……逆に守られてしまうなんて…………護衛失格です……」

しぼんでしまいそうな程にしゅんとしているリリアは、また布団の中にもぞもぞと潜り込んでしまう。
……このままじゃ本当にしぼんじゃうんじゃないだろうか。 目にやり場に困っていたので助かったとも言えるけど。
心配になったので、布団に隠れた顔に向かって「気にしないで」と一声かけ自分の意見を言う。

「……あれは仕方ないよ。 相手が悪かったんだと思う」

昨日は勢いでなぜか倒せたけど……あれは自分でも何をしたかがよく分かっていない。
どうやってあんな事をしたか覚えていないし、さっきも昨日と同じ場所で何度か砂が操れないか試してみたけど何も起こらなかった。
「あれは夢で、蝋影はいつの間にか消えた」 そう誰かに言われたら僕はきっと信じてしまうだろう。
もしリリアが昨日の光景を見て、僕に話していなかったら本当に。
…………でもリリアが見たってことは、彼女途中で水から出たんだよね……? ずっと浸かってたわけじゃなかったのか。
それでも風邪を引くなんて……やっぱりオーラは過信しないようにしておこう。

「それに…………僕は、守ってなんか……」

そうだ。 あれは“守る”とはちょっと違う気がする。 どちらかというと……

「でも……ゴホッ! グ、蝋影を倒したのは……ゲホッ! 確かに……あ、あなたでケフゥ!」

「だ、大丈夫!?」

思考はリリアの咳によって打ち切られた。
何度かビクンと動いた布団を見て、その中にいる少女が心配になって声をかける。
すると布団からかたつむりのように右腕だけがにゅるりと出た。 ぷるぷると震えながら何かの意志を伝えようとしている。
多分“大丈夫”って伝えたいんだろうけどダランって垂れてきたからダメっぽい。

「…………無理しなくていいって。 寝てていいよ」

「…………うぅ、申し訳ありません~。 渋ヶ谷さん……」

今日何度目かもわからない弱々しく小さな返事が毛布の中から聞こえた。
それを聞いて一つ言っておきたかった事を思い出した。

「リリア……それと言っておくけどさ」

「……なんれすかぁ~?」

「僕の事は……そ、その……明日斗でいいよ。 この家には……さ、渋ヶ谷が二人いるから……」

紅潮する肌を自覚しながらも気恥ずかしさを必死で抑えて、言葉を紡ぐ。
父さんを呼ぶときと紛らわしくさせたくない……というのは半分建前だ。
本音は自分が呼び捨てにしているのに相手に苗字で呼ばれるのは何だか気が引けるという事……いや、それも建前か。

「それに……君に名前で呼んでもらった方が…………僕も……………………良いから」

最後まで相手が聞き取れたか心配しつつ、毛布に耳を寄せる。



「………………すぅ…………すぅ……」


(……もう寝ちゃったか)

そっと布団を退かしてみると、そこにあるのは案の定というか……リリアの寝顔だった。
どこか幼い雰囲気を残した少女の寝顔は愛らしく、僕に一日中看病してやろうという変なやる気を起こさせてしまった。

「参ったな……」





     ―――――†―――――





 「おはようございます、渋ヶ谷さん」

「いやそんな堂々と遅刻宣言されても」

目の前で眼鏡を自慢げにクイッと上げながら朝の挨拶をした男がいた。

「はぁ、また遅刻かよお前……そんな真面目そうな外見でよく何度も遅刻できるよな」

昼休みに。
半ば呆れ気味に僕の隣で溜め息を吐くのは『志乃宮 奏也(しのみや そうや)』。 人当たりの良い僕の親友だ。
今日は何時にも増して琥珀色の髪がツンツンだ。 多分元気の証拠なんだろう、これが。

「外見で人を判断されては困ります。 大切なのは中身ですよ。 NAァァ! KAァァ! MIィィィッッ!!」

『田口 由 (たぐち ゆう)』
僕らと同じ1年R組の生徒。 入学してすぐに仲良くなった奏也が紹介してくれた友人だ。
眼鏡を抑えてキリッと自分の事を棚上げした言葉を返した男。 丁寧な口調で変な事を言う。
短く一直線に切り揃えられた前髪と度の強そうな黒縁の眼鏡、そして一切手の加えられていない整った制服。
外見に漂うあらゆる要素が真面目さを演出している。 背は僕より少し低いぐらいで、奏也には頭一つ分負けてる。
しかし実際は成績も今一つで遅刻ばかりしているというギャップが何かと目立つ男でもあった。

「中身が外見に負けてんじゃねーかッッ! あとその言い方なんかムカつくからやめろッ!」

赤い瞳を大きく剥いてツッコんだ奏也。 そのツッコみにフフン、と不敵な笑みを返す田口君。
僕の隣でちびちびと塩ラーメンを啜っている黒衣の『羽須井 須羽(うすい すう)』。
初めて来た校内食堂は、心地良い騒がしさに包まれていた。


……現状を説明しよう。
3日前に一晩中僕に看病されたリリアは、次の日にはピンピンしていた。
帰ってきてその報せを聞いた父さんが泣きながら彼女に抱きつこうとしたのを止めるのに必死になったのはあまり思い出したくない。
そんな父親に押されて……他にも色々要因はあったけど、僕は結局彼女の宿泊を認めてしまった。
リリアも部屋を別にする事を昨日はあんなに頑なに断っていたのにすんなり了承してくれて、最早悩みは無い……
いや、蝋影という一番大きな問題を残してるのにそれはないか。
あと一つ心配なのが……家で変な事やらかしてないかな? リリアも父さんも。
まあ……二人とも何だかんだでしっかりしてるだろうから問題ないか。
一人で勝手に納得しつつ、目の前で言い争ってる奏也と田口君の二人を笑顔で宥める。

「まあまあ二人とも、仲良く……ね?」

僕は今、僕と奏也・須羽・田口君の4人で赤保志高校の食堂の壁際の席にいる。
隣にはちょんと座った須羽。 目の前には言い争っている奏也と田口君という座り方。
ちなみに頼んだのはそれぞれヒレカツ定食、カツ丼、塩ラーメン、カツカレーだ。
この小奇麗なライトグリーンの壁が目に優しい無個性な食堂のウリは、どこよりも安いトンカツらしい。 毎日は流石に食べたくないけど。
須羽だけが全くカツと縁のない塩ラーメンを注文したのは、付き合いが長いこともあるので予想の範疇だったと言える。
クラスは4人とも同じR組で、この食事は奏也が今までクラスで孤立しがだったな僕と須羽に気を遣った意味もあるのだろう。
特に今塩ラーメンを啜っている須羽は今でもたまに何を考えてるかわからない時があるし、僕は中学まで暗い性格で友達ができなかった。
もし小学校で奏也と出会っていなかったら僕は多分酷い事になってたかも知れない。
そんな僕にとって恩も懐も深い奏也と、その友人になった田口君の言い争いは僕が止めなければ。

「お、おう……」

「そうですね……やれやれ、志乃宮さんったら気性が荒いんですから」

「お前なぁ……」

不思議そうな表情で返事をした後、田口君の憎たらしい一言に呆れながら座りなおす奏也。
隣を見ると、未だに塩ラーメンを啜る黒ずくめの少女。 それを見て微妙そうな顔をする奏也。
その様子に「ホントに不思議だよねぇ君達は」と僕に話しかけてくる田口君を横目でジトッと睨む奏也。
田口君に「まあね」と苦笑しながら返す僕を見てまた不思議そうな表情をする奏也。
数秒後「おかわりしてくる、ソーヤの財布で」なんてしれっとスリ発言をして席を立つ須羽にぶはっ、と飲んでいた烏龍茶を噴出す奏也。
そんな風に表情をコロコロ変える奏也に堪らず吹き出してしまった。

「クスッ…………やっぱり奏也は面白いね」

「あ、明日斗ォッ!? ゲホッゴホッ!」

烏龍茶にむせながら僕の言葉に驚いた様子の奏也を見て、呟きが聞かれちゃったかと残念そうに笑ってしまう。
そんな僕を見て奏也が訝しげな顔で僕に申し訳なさそうな顔で、

「こんな事言うのもどうかと思うんだけどよ……」

と前置きをしてきた。 少し不安になりながら表情を引き締める僕。
奏也は澄んだ赤眼を何度か逸らせながら不安そうに僕を見る。
不安を煽られた気がしたけど、紡がれた言葉は予想外のものだった。

「お前……なんか、明るくなった?」

「…………え?」

自覚が全くなかった……と言えば嘘になってしまうだろう。
確かに僕は幾らか自分に自信が持てるようになってきている。
少なくとも、今までの自分よりは何倍も。 これでやっと平均レベルになれたんだと思う。
言葉もどもらなくなって、人と目を見て話せる。 これは今までの自分を知っていた人間からしたら異常に見えても仕方がない。
父さんは気にしていなかったが、奏也はこの通り。 今塩ラーメンのおかわりを貰いに言ってる須羽は…………やっぱり何考えてるかわからない。
ここに来て僕は初めて、以前までの自分を思い返した。





     ―――――回―――――





 僕は高校生になるまで、言ってみれば重度の人見知りだった。
他人と話すのが辛くて……相手の目を見て話す事ができなかった。
……それで失敗した出来事だって何度かある。

僕が小学2年生だったある日、一人の男子と喧嘩になった。
原因は給食の鳥のから揚げを一つ勝手に食べられたという可愛いものだったけど、当時まだ子供だった僕達にとっては大問題だ。
静まり返った教室の真ん中で、僕とガキ大将が向かい合っていた。

「……して」

「あぁ? きこえねーよ!」

甲高い怒声が幼い僕の心を苛んだ。 言葉の節々にある棘が痛くて堪らない。
それでも、厳し(くはないが厳つくてゴツ)い父親の教育もあってか僕はこういう事を黙って見過ごす事が出来なかった。
自分の好物が一つ奪われる……そんな些細な問題に噛み付いて教室を騒ぎに包み込んでしまう。 今思い出すと恥ずかしい事してたな、と自分で思う。

「かえしてよッッ!!」

「ひっ……な、なにをだよ!? いっとくけどおれはおまえから……からあげを盗んだりなんてしてねーからな!」

思い出して彼も恥ずかしい生徒だったな、と苦笑する。 僕なんかの剣幕に動揺してたし。
そういえばあの時周りから小さな笑い声が漏れていたけど……今ならその原因もわかる。
だけど相手はクラス一番のガキ大将で当時の僕は孤立した暗い生徒。 誰も、どちらにも加担しなかった。
集団のイジメとかそういうドラマとかによくある陰険な事件こそ無かったものの、それ故にガキ大将の蛮行だけが目立っていたらしい。
平和なクロアリの集団に一匹だけサムライアリが混じってるようなものだと考えれば解り易いんじゃないだろうか。
そしてついにサムライアリが一番弱いクロアリを襲ったというだけの話だ。 正直、誰も関わりたがらないというのが本音だろう。

「まてよっ!」

と、勇ましい声。
次の瞬間、僕を守るように一人の少年がガキ大将の前に立ち塞がる。

「だ、だれだおわえあっ!?」

立て続けの動揺に呂律が回らなかったのか、さっきまで目の前にいた僕もガキ大将の言っていた言葉が何なのか聞き取れなかった。
多分、“だ、誰だお前は!?”って言いたかったんだろうね、うん。
そんなガキ大将の言葉も気にした様子も無く、少年は僕を振り返ってヘヘッと明るく微笑んだ。

「あ……」

今では見慣れた琥珀色のツンツン頭と赤い瞳が僕の心に焼きついた瞬間だった。
そう、この時の少年こそが志乃宮奏也その人である。

「なんだおまぐほあッ!?」

……僕が気が付いた時には事は終わってしまっていた。
呆然としていた僕に、から揚げが一つ多く乗ったガキ大将のおかず用の皿が目の前に差し出される。
しかしハッと我に返って最初に見たのはその皿ではなく、それを差し出した少年の顔。
今思い出しても全く変わっていない人懐っこい笑顔が、僕の心の傷を癒してくれた。

「ぜんぶ……くっちゃえよ」

当時の奏也は今では考えられないぐらい、かなりやんちゃしていた。
僕はそこにあるから揚げを一個だけ手づかみで食べた後、差し出された皿を手の平でそっと押し返した。
首を傾げる奏也に僕はただ一言返す。

「ボクは……いっこかえしてもらえればそれでいいよ」

「……そっか。 じゃあ……のこりはこいつのくちにいれちゃおう! ていっていっ」

ちら、と床に目をやると頬に殴られた跡のあるガキ大将…………だった小太りの子供が倒れている。
別の子供<ガキ>に倒された子供<ガキ>などに、もはやガキ大将を名乗る資格なんて無い。 ただの太った子供だ。

「うわっ! せっかくのからあげをはきやがった! きたねっ! こ、こいつまだいきしてるッ!?」

そう、今この瞬間、この教室で…………新しいガキ大将が誕生した。

「うおおおぉぉぉ!」

「やったなーおい!」

「わーい! やさしいそーやくんがトップならこのクラスもあんしんね!」

静かになった教室に歓声が響き渡る。
皆して今のガキ大将が相当嫌いだったらしい。
まだ幼かった僕は、そういう事を一切考えずただ感動していたけれど。

「あ、ああ……ありが……と……」

「きにすんなって! こまってるひとがいたらたすけるのがあたりまえだって、ばーちゃんもいってたし!」

「でも……」

「そーや!」

笑顔でいきなり何かを言われた。
幼い子供というのは不器用なもので。

「え……?」

一挙一動に一々悩んだりはしないのに時々、凄く簡単な事で悩んだりしてしまうものだ。

「しのみやそーや…………えと、オレのなまえ! おまえは?」

名前を言われたのだと、この時初めて気が付いた。
そしてこれが、僕の初めての自己紹介であり、初めて友達ができた瞬間でもある。

「ボクは……ボクはあすと…………しぶがやあすと……だよ」

「じゃあオレたち、トモダチだなっ! なまえをいいあったらともだちって、ばーちゃんがいってたから!」

「…………うん!」

こうして交わされた握手は、生涯忘れる事のないであろうものとなった……





     ―――――想―――――





 「朝から気になってたけどよ……お前、何かあったのか?」

結論を言えば、僕は変わった。
少なくとも入学式の時はそれまでと同じだったと思う。
父親と自分との差でうじうじ悩んでいた自分。
恐らく傍目から見たその姿は中学生の頃と何も……いや、もしかしたらそれ以下だったかも知れない。
式中もずっと他人と目を合わせないようにしていた。
つまりこの学校への入学が切欠じゃない事は確かだって事になる。 でも、だったら何時……?


「まさか…………リリア?」


「おい、明日斗?」

僕が思わず呟きを漏らしたのを見て、奏也から心配の声がかけられる。
落ち着け僕。 恋は人を変えると言うけれども。
出会ってすぐに「護衛させてください!」なんて言う鎧着た女の子が押しかけてきて惚れる男なんて物好きにも程がある。
どんなに女の子が綺麗でも少しぐらいは躊躇とか……そういうのがある筈だよ。 よっぽど頭がファンタジーじゃない限りは、ね。
かく言う僕も初めて彼女にあった時は「可愛い」と「鎧だ」が第一印象の半分以上を占めていて、残りは「礼儀正しい」とかそんなものだったし。
……とにかく、自分の恋も相手の恋も表面的な意志だけでで断定していいものではない。 これは飽くまで“その可能性もある”程度の認識で留めておく事にした。

「いや、なんでもないよ」

とまあ、そんな風に『リリアに一目惚れ説』について考察し終えた僕は、心配そうに話かてくれた奏也に返事をする。
この説はできれば一生保留にしたいところだ。 色恋について真剣に考えたのなんて多分今のが初めてだし。

「とりあえず言える事は……僕は大丈夫だよってことぐらい……かな?」

「そ、そうか……なら良かったぜ。 うんうん……」

何かを確認するかのように一頻り頷いている奏也。
彼はもう納得したのだろうか、グッと親指を立てた手を僕に向かって突き出した。

「ま、それならいいんだよ! 安心したぜ。 入学式の時はお前、結構弱気だったもんな~!」

「は……ははは」

「お前が明るくなったんなら、それに越した事はないぜ」

過去の自分を恥じていいやら庇っていいのやら……リアクションに困るネタを振られた気分で苦笑。
別に人格が丸々入れ替わったわけではない。 僕は僕。 渋ヶ谷明日斗という存在感を確かに今、感じる事ができる。
そう、僕は今……ここにいる。

「……って、何こじらせてるんだか」

僕はまた、そんな風に往年の少年漫画みたいな思考をしている事に自嘲しながらぼそりと呟く。
……少なくとも校内の食堂でする思考じゃないよね。

「フフン……渋ヶ谷、何をこじらせてるってぇ~?」

「明日斗? お前やっぱり病気なのか?」

クイッと上がる眼鏡と共に嫌味な質問をされてしまった。
意外と耳聡かった田口君。 彼の新しい一面発見だ。 今はその一面が邪魔だけど。
あと奏也は何を心配していたんだろう。 僕の明るい態度が病気扱いとは少し心外だよ。

「なな、何でもないよッ!? ちょっと……考え事してただけだよ! あと“やっぱり”って何だよ奏也!」

「いやスマン、お前が不治の病に掛かって『最後ぐらい笑顔で別れよう』とか言い出すのかと心配になってだな……」

「嘘つけぇい渋ヶ谷! そこの金髪バカは騙せてもこの毎日トイレの中で一時間拭いている眼鏡は誤魔化せませんよッッッ!!」

二者二様に別々の答えが返ってくるのを何とか聞き取る。
金髪バカって……正確には琥珀色なんだけど……まあオレンジ混じりの金髪と言っても違和感はないからなぁ、奏也の髪の色。
まあ金髪か茶髪かで言うと金髪なほうだろう。 目の色の赤と違って髪の色は表現に若干困るのは彼の特徴だ。
あと奏也は一体何を言っているんだ。

「ちょっと待てェ! 誰が金髪バカだフマジメガネ(“不真面目な眼鏡”の略)! あとこれは金じゃない、若干オレンジ入ってるんだよ!」

「指摘が細かいですよ! お陰で小学校の授業の『先生はトイレじゃありません』を思い出しましたよ!」

「いやお前のその例えの方が、細かい上にわかり辛いっての!」

また始まった。
ここが食堂じゃなかったら生徒会に注意されてるところだ。
あととりあえず田口君、その例えは……ない。 そして使っていた裏声は正直気持ち悪い。 あとその例えは…………ない。 その例えは、ない。

「クッ……せんせ…………クプッ……」

……いつの間にかラーメン持って戻ってきた隣の小さな黒尽くめから笑い声が聴こえたのは気のせいだと信じたい所だけど。
ひょっとすると奏也は田口君と相性が悪いのだろうか。
いやそれは無いだろう。 奏也は田口君を友人として紹介してくれたし、喧嘩するほど仲が良いなんて言葉もあるからね。
という具合で一人安心して和んでいるところに、

「ちょっと奏也ッ!」

ビシッとした女性の声が響く。
茶髪のポニーテールを元気に揺らして登場した女生徒を見る。
座ってる僕ら四人の視点からだと、丁度腕を組んで立っている彼女を見上げる形になった。
その視線に気付いたのか、彼女は少しバツが悪そうに椅子を引く。 壁際の一つ少ない席が全て埋まった。
わざとらしく大きな音を立てて座った彼女の様子はどう見ても不機嫌。 周囲に近寄り難い雰囲気を醸し出している。
さっきまで元気に口火を切っていた田口君も、堪らず黙り込んでしまった。 相変わらず凄いプレッシャーだ。
現れた時からずっと睨まれているのを見る限り、原因は奏也にあるようだけど。

「な、何だよ詩衣子!?」

オレが何をした、と言わんばかりの反応を見せる奏也に対して眉間の皺を深くする女生徒。

『吉岸 詩衣子(よしぎし しいこ)』
同じく1年R組の生徒。 よく同じクラスの人間が集まるものだ……というかこれは奏也の人徳なのだろうか。
ポニーテールを元気に揺らす茶髪は艶やかに太陽の光を反射していて、周囲に活発な印象を振り撒く。
今居るこの無個性な食堂が、無駄に日光を入れる仕様の窓を設置しているせいもあってか、その髪は余計に輝いて見えた。

「何ってアンタ! 入学したらまずアタシの家に来なさいって言ったじゃないの!」

「…………あ!」

奏也が「しまった!」という風に素っ頓狂な声を上げる。 ……どうやら彼女の言った用事というモノを思い出したらしい。
ビシッとした詩衣子さんの声は奏也を鋭く射抜くものだったが、残念がる少女のような雰囲気も残していてどこか幼げである。

「で、何で来なかったのか……説明してもらえる?」

「いえいえ……詩衣子さん! そ、それには……そのォ…………のっぴきならない事情がありましてですね!」

「ほほーぅ……? それでその“事情”ってのは……何なのよ? 教えてちょーだい」

詩衣子の目がジトっとしたものに変わると同時に、奏也の冷や汗の量が増え、口調も丁寧なものへと変わっていた。
こんな風に二人が言い争う光景は最早見慣れたものと言っていい。 日常茶飯事……とでも言うのだろうか。
二人はなんと僕と奏也より早い、幼稚園生の頃からの幼馴染である。 それは喧嘩の一つや二つ、当たり前だろう。
額に冷や汗をかいた奏也の、大きく見開かれた赤い瞳が、助けを求めるように僕を横目で見た。
残念だけど、事情を知らない僕には……首を横に振る事しかできない。 心の中で「ごめんね」と一言。

「そ、それはぁ~っ…………その……すまんッ!」

「……もういいッ! 知らない!」
「だっ」
「フンだっ!」

隣の小さな黒尽くめが、僕にしか聞こえない声で余計な横槍を入れてきた。 まあ、どうでもいいのだけれども……
奏也はついに、何も言えず謝ってしまった。
詩衣子さんが奏也からプイッと逸らした顔が、こっちから見ると真正面。 頬を膨らませた顔を見て、「ああ、拗ねているんだ」と理解した。
要するに彼女は、奏也と一緒にいたかっただけだったんだろう。
ラブコメとかによくあるパターンが今、目の前で起こっている……そう考えると、彼女のツンとした態度も幾らか微笑ましいものに見えてくる。

「ちょっ! おい、待っ―――――」
「バぁーカっっ!」

しかし、そう和んでばかりも居られない。 奏也の静止も聞かずに捨て台詞を吐いた後、彼女はすぐさま走り去ってしまう。
食堂の人混みに紛れた詩衣子さんの後姿は、すぐに見えなくなってしまった。
流石に心配になった僕は、原因である男をジメッとした目で見た。 これで暗に詩衣子を追いかけることを促す、という手段の一つだ。

「…………どうするんだよ、奏也」

「どう、ってそりゃあ…………」

僕の言葉に奏也が、頭をガシガシとかきながら困ったような表情を見せる。
流石に、これに「早く追え」だなんて言うのは、酷かも知れないと思った。
なにせ彼の事だ。 その「のっぴきならない事情」というのはよっぽど大事なことだったんだろう。

「早く追ったらどうですか、この金髪バカ」

まあ知り合って間もない田口君が言っちゃったワケだけども。

「わかってるっての。 言われるまでもねぇよフマガネ(“不真面目な眼鏡”の略)!」

“金髪バカ”と田口君に言われた奏也は、しかし今度は何も言い返さずに渋々立ち上がった。
僕と須羽に向かって、「悪い」と平手をピンと立ててサインした後、すぐに詩衣子を追って走り出した。 
目立つツンツンの琥珀色はすぐに人混みに紛れ、やがて完全に見えなくなる。
それを見た僕は、とりあえずほっと一息吐いて、二人が無事仲直りできる事を祈りながら、プレートの上に置かれた味噌汁を一口啜った。

「ぷはぁ……」

「アストぉー」

「どうしたの須羽?」

「ラーメン、ない……」

僕が味噌汁を飲み干すと、無感情なんだか幼いんだかよくわからない声が隣から聞こえてきた。
今までの変な振る舞いが全て嘘であるかのような感情の読めない声。 その声の主のテーブルを見る。
二杯目の塩ラーメンの丼は既にスープまで無くなり空になっていた。 実は彼女はかなり食欲旺盛なのである。
小学二年生からの長い付き合いの中で、彼女のお腹がいっぱいになったのを見たことは一度も無い。
満腹中枢がイっちゃってるのか、底無しの胃袋なのか……はたまた実は、胃の中で食べたものを圧縮できるとか? ……まさか、ね。

「ラーメン…………」

こちらからは眼が見えないので、表情も口からしか判断できない。 でもその口も喋るとき以外はあまり動かない。
何を考えているかわからないとはこういう事だ。 長い付き合いで多少はわかるようになったけど。
だから今回もなんとなくわかる。 お腹を押さえる須羽に、恐る恐る予想している事を訊ねた。

「まだ……食べるの?」

「んむ…………」

すると須羽は俯きながら、右手を顎に当てて何かを考え込むような仕草をする。 ……危ない。 主に僕の財布が。
そういえば、あの黒尽くめの着物みたいな袖から、手首より下が露出するのを見たのは、初めてかも知れない。
一体、何を考えているのだろうか? ……いや、何かを凝視しているような…………左手に握られた何かを。

「むむぅ…………」

それは本来、奏也のポケットに収まっているはずの白い長財布。 より解り易く言うと奏也の財布。
……そういえば言ってたね、奏也の財布でおかわりしてくるとかなんとか。 まさか……あれ、冗談じゃなかったんだ?
―――って! ダメでしょ!

「コラ、須羽! 奏也に返しなさい!」

「違う。 アスト、勘違いしてる。 この中身は未使用。 それと、私の意志で取ってない」

珍しく矢継ぎ早に喋る須羽に驚きながら、その意味をゆっくりと噛み砕いていく。
つまり彼女は財布をスったけど中身をまだ使用していない?
……どういう事かと聞いたら「いつの間にか持ってた」と返された。 はて、手癖が悪いのかな?

「ソーヤのポケットから財布、突き出てて……持とうって念じたら…………」

「…………」

「持ってた」

不可解にも思える須羽のあっけからんとした言葉。 しかしそれは意味のあるもののはず。
だったら親友である僕は、少しでもその意味を理解しようとするべきだ。 つまり彼女はこう言いたいのだろう。
奏也のポケットから突き出てる財布が気になって、それを手に掴もうと念じていたら本当に掴んでいた、と。
そう僕は予想し、それを確信にする為に須羽に確認を取る意味を込めて訊ねた。

「そうでしょ? 須羽」

「…………ン」

コクンとやや深く頷いた須羽を見ながら、自分の付き合いの長さに感謝すること数秒。
ふと前の席に目をやれば、眼鏡の黒縁を持つ手をぷるぷると震わせた田口君が複雑な表情をしていた。

「渋ヶ谷さん……わかるんですか、今ので」

「ははっ……親友だからね」

当たり前だと言わんばかりに笑いながら応えて見せる。
そう、僕と奏也と須羽。 それぞれ性格は大きく違っているけれど、そんなことは些細な問題だ。
中学からは、奏也を中心として築かれた輪の途中で出来た友達も、僕には多くなった。
でも親友と呼んでいいのは奏也と須羽の二人だけだ。 二人はどうかわからないけど、僕はそうしたかった。
ちなみに須羽は何度か奏也の友人に告白を受けている。 勿論、本人はその全てを断ったらしいけど。
物好きな生徒もいるものだとは思うけれど、彼女が実は隠れた美少女な事も僕は知っている。
殆どが黒を纏って見えない素肌は、積もったばかりの新雪のように白く、かつ柔らかなハリとツヤがあり、思わずぷにっと触りたくなる。

「って……やっぱり取ったのは君の意志だよね、それ」

「……欲しいものは……目の前にあったら、念じる」

僕が危うくを指でつつこうと考えた時に、須羽が当然のように言う。 いや、少しは反省して欲しいんだけど。
確かに、欲しい物や取りたい物があるのに冬にコタツから出たくないときや、夏に暑くて動きたくないとき……
「……来い!(クワッ)」という感じに念じてしまったりするのは、僕だって否定できない。
大体は漫画やアニメの影響にあるんだろうけど……まさか目の前で本当にそれをやってのけてしまう人が居たなんて。
そんな須羽の見え辛い表情は、戸惑っているような得意げなような…………やはり何を考えているかわからない顔だった。

「……そうだね。 それと、あとでお説教ね」

「いやだからって! 渋ヶ谷さん、今の話……信じるんですか?」

「信じるよ」

疑問の声を上げた田口君に、向き直ってはっきりと答えた。
田口君のいう事は尤もであり、正しい考え方だ。 本来、こんな話を簡単に信じるというのはおかしい。
だけど須羽は幼い頃からの親友であり、奏也と会うまでは唯一の話し相手だったから。
そして…………

もう一つの理由を頭の中に思い浮かべると、昨夜の光景が目の前で繰り広げられるように蘇った。
襲い来る蝋影<グエル>、一瞬で纏われた緋色の鎧、何も無い空間から現れる朱色の槍。
黒い獣の脚の切断面や戦乙女―――確か“ヴァルキリード”とか言ったっけ―――の常人にはない身体能力を見ただけじゃない。
実際に恐怖を体験し、実際に掠った傷から血の臭いを知り、実際に蝋影を殺した…………らしいけれども。

あの感覚が今でも脳裏に焼き付いて離れない。 あまり覚えていないはずの感覚が、生まれながらの習性のように僕の心身に染み付いていた。
そう、僕はもう超常現象を目の当たりにしている。 そして親友がそれを訴えている。
変な話かもしれないけど、僕の前にある選択肢は一つ。 親友を信じる。 僕にとってはそれだけの話。

「…………信じるよ」

「は、はあ……そうですか」

「ん……ア、スト……?」

「須羽はなんだかんだ言って……嘘だけは吐かないよ。 少なくとも僕達にはね」

まだ納得できていない様子の田口君を横目に、何だか迷っている様子の須羽の頭を一撫で。
腰よりも下に伸びたさらさらの黒髪は、濡れたような艶を持っていて、高級な布生地を触っているような、心地良い感触だった。
…………この小柄を撫でていると、小動物を触っているような感覚に襲われる。 黒髪が放つ色気とは全く逆の魅力に、僕は戸惑った。
僕は今、笑っているのだろう。 この手触りの良さが癖になり、口元の緩みが直らない。 須羽にも抵抗する様子がないので止め時がわからない。
むぅっと唸るだけの須羽を見て、更に口元が緩んだ。

「えっと……それでは……僕は先に……」

言って、田口君が立ち上がる。 この空気に耐えられなかったのだろうか。
一度だけ僕達を振り返ると、そのまま走り去ってしまった。 それを見て撫でる手を止める。
照れ臭くなって頭をかきながら立ち上がると、それに続くように須羽もゆらゆらと立ち上がった。

「……勘違いされちゃったかな?」

「…………構わん」

「そっか、じゃあ……僕達もそろそろ行こう、ね?」

構わないのか……まあ、須羽は妹みたいなものだからね。
女性として見る事ができないわけではないけど、気にしすぎたら親友としてのスキンシップに支障が生じる。
なので僕は素っ気無く返す事にした。 それで彼女がムッとしたりするならそれはそれで可愛いから良し。
表情を見る限りは、あまり気にして無さそうだけど。
この黒尽くめの制服の少女は…………何を考えているのだろうか。 まだわからない事もあるのだな、と改めて感じる。
だけど急がなくたっていい。 無理に踏み込めばそれは悪手となることもある。

(少しずつでいい……と思う)

新しい高校生活は始まったばかりだ。
色々言いたい事はあるけど、悩んでいても仕方がない。
今は教室に戻ろう。

「ね?」

「………………むむぅ」


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