取材協力
大分マンドリンオーケストラ事務局
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「自らの利益や執着する心を捨てて、見返りを求めずに全力を尽くす」宮吉さんの精神的なバックボーンとなっているのがインドの聖典「バガヴァッド・ギーター」。
 柔らかい低音、華麗で透き通った高音。高音に上がるにつれ緊張感を増し、より通る音色を奏でる。マンドリンは優しく心に響く素敵な音色。
 今回ご紹介するのは、「大分マンドリンオーケストラ」の会長で、自らも指揮者としてタクトを振る宮吉寛さん。
 宮吉さんの音楽との出会いは幼少の頃。ゼンマイを回してレコードを置いて針を落として…、3歳にして蓄音機でレコードをかけることを覚え、5歳でオルガンを弾き始め、小学2年生の頃には音符を構造的に見て独学で楽譜を読むことを覚え、小学3年生にして作曲を始めたというから驚きだ。「音符を独学で読むことができるなんて、今思えば不思議。子どもの能力は大人の想像を遙かに超えたものがありますね。だから子どもは未知の宝だと思うんです。でも、あの頃の音楽は私にとっては単なる遊び道具の一つでしたけど。」
 中学生になると、元宝塚歌劇団の指揮者で作曲家の森完二氏に師事。作曲の理論や和声学、対位法など、様々な知識を身に付けることで、音遊びが次第に現実的な夢へと変わっていった。
 中学卒業後は東京藝大を目指したものの、家庭の事情で地元の銀行に就職。だが、音楽は忘れられない夢、なくてはならない存在。働きながら東京藝大の通信教育を受け、転勤する先々でコーラス隊を作り活動するなど、音楽との関わりは持ち続けた。仕事と音楽を両立させる中、仕事の一つとして文化部を作ることを命じられ、マンドリンクラブを立ち上げることに。「マンドリンは初心者でも簡単に弾くことができるし、何よりあの優しい音色は魅力でした。」その後、県内のマンドリン界の大御所であった福田五彦氏にマンドリンを師事。そこでも宮吉さんはその能力を発揮しコンサートマスターに抜擢され、福田氏の後任として指揮者に就任。その後は、イタリア・イギリス民謡の編曲と出版、韓国心友マンドリンオーケストラとの交流、マンドリン合奏曲「くじゅう讃歌」の作曲初演etc.その活躍は止まることを知らない。
 「朝目が覚めた時から夜寝るまで音楽一色。音楽のお陰で心通う友や恩師に巡り会うことができました。私のモットーは『音楽は心』。心を込めた音は豊かな心を育みます。荒んだ世の中だからこそ、音楽を通して心の安らぎを感じてもらいたい!」
大分マンドリンオーケストラは1953年創立。現在、団員数は40人。年に一度の定期演奏会を始め、学校巡回公演、依頼演奏など、活発な活動を展開。練習は毎週水曜に行われる。
 今後は?「日本のマンドリン団体は約1000と少なく、その為演奏できる楽譜も多くありません。今はこれまで書いてきたマンドリンの楽譜を集めて出版していきたいと日々楽譜に向かっています。」まだまだやりたいことがある!と語るその表情は、74歳という年齢を感じさせないバイタリティに溢れている。日本中のマンドリン奏者が、宮吉さんが生み出す音色を心待ちにしている。
▼Hiroshi Miyayoshi ─
大分マンドリンオーケストラ会長、音楽監督、指揮者の他、日本マンドリン連盟常任理事など、後進の育成、指導に当たる傍ら、作曲や編曲を手掛けている。
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