◎ 出崎統とのはじめての仕事

『ブラック・ジャック カルテIII』より
―― 初めて、出崎監督と一緒にお仕事をされたのは、どの作品ですか?
桑原:僕は制作として手塚プロに入社しました。出崎監督とは入社半年後ぐらいに、一緒にお仕事をすることになりました。『おにいさまへ・・・』の制作進行、『聖書物語』の演出助手、あと、『ブラック・ジャック カルテIII』の担当演出をしました。
初めて演出を担当した作品では、「何をやってるんだ」とひどく怒られましたよ。「コンテどおりにやるんだったら、お前いる意味ないじゃないか」と。
西田:僕は平成元年の手塚プロに入社して、『青いブリンク』や『三つ目がとおる』の原画を描いたのち、『聖書物語』で出崎監督とご一緒しました。
手塚治虫以降の手塚プロダクションを牽引する人だ、と思いましたが、とにかくしんどい。いままでの手塚プロダクションでは、丸っこい線が主流でしたが、出崎監督の下では絵柄の多様性を求められました。鋭角的な線の絵も描かなくちゃならないんです。絵柄だけでなく、画面を構成する意味、人物の感情表現に合わせた上での表情の付け方から、色彩の明暗まで「考えて作る」ということを教わりました。
全然要求に答えることが出来ずに迷惑かけっぱなしでした。

『ASTROBOY 鉄腕アトム特別編 アトム誕生の秘密』より
森田:10年程前でしょうか、最初は特定の作品ではなく、企画会に参加するという形でご一緒させて頂きました。手塚プロに入社して初めての仕事がそれだったんです。
それまで私は演劇畑にいて、アニメの企画書の書き方もよくわからない……それで主人公をナビゲーターにした、通常なら考えられない文章を書いたんです。
監督は「なんだこれ?」って思ったようですが、それが逆に新鮮に映ったらしくて、その後、京都手塚治虫シアターでのアトム3部作で脚本を書かせて頂ける事になりました。作品としてはそれが最初でした。

『白鯨伝説』より
―― 出崎監督の第一印象は?
桑原:初めて出崎監督の下で演出の仕事をしたとき、怒られた話をしましたが、そのときに本当に厳しい人だな、と感じました。
出崎監督の絵コンテを元に、打ち合わせをした後、「あとよろしくね」と一度作品は演出の手に託されるわけですが、再び作品を監督が見るのは、カッティング(編集)のときなんです。編集のために、一度通しで作品を見るわけですが、僕が3ヶ月間、必死で寝ないでがんばって、「できました!」って見せたら、監督は頭を抱えてしまって。一時間ぐらい怒られましたね。本当に厳しかったですよ。
確かに出崎監督の言うとおり、コンテどおりにやるんだったら、演出がいる意味がないんですよ。そういうところでも腹立たしかったんでしょうね。初めて演出を手がける若い人間を使ってみて、どれだけはじけてくれるか、期待していたのに、ところがそのままどおりにやって、しかもクオリティの低いしごとをして、と。そんな心構えでやるのなら、演出なんかやめればいい、という話を懇々と諭されましたね。
西田:とにかく迫力ある仕事でした。出崎監督の仕事ぶりを知ったのは、『お兄さまへ……』のときでしたが、とにかく過酷な印象でした。作画監督の杉野昭夫さんが、仕事は速く、クオリティが高いのに、寝ないで泊りがけでずっと仕事をしていらした。とても情熱的な現場でした。その後『聖書物語』を出崎監督が手塚先生から引き継ぐことになりました。まさに情熱的な作品が出来てよかったと思います。
数年後、『白鯨伝説』で作監を1本やらせていただいたのですが、大赤点をいただきました。もう一度再チャレンジをさせて頂きたいと今でも思っております。

『ASTROBOY 鉄腕アトム特別編 輝ける地球 あなたは青く、美しい…』より
森田:気さくでバイタリティのある方、という感じでしたね。話題が豊富で、眼をキラキラさせて、人の目の奥を見つめるように話しをされるのが印象的でした。
私はアニメとはまったく関係のない世界にいたせいか、出崎さんの事をよく知らなかったので、ぜんぜん緊張もしないでお話してしまったのですが、今思うとすごい方だったんですよね。
私がお会いした10年前はとにかくお元気で、打ち合わせの流れで朝まで飲みにいったりされていた記憶があります。個人的な悩みもポロッと話してしまうような不思議な雰囲気と優しさを持った方でした。
◎ 出崎統作品の特徴、その教え

『ASTROBOY 鉄腕アトム特別編 イワンの惑星』より
―― 皆さんから見た、出崎監督のすごいところを教えてください。
桑原:さっき、「絵コンテどおりにやるんじゃ意味がない」って怒られた話をしたでしょ? ところが出崎監督の絵コンテって、なんというか、気迫があるんですよ。でも、そこをさらに変えていく、チャレンジは否定しない人ですよね。
仕事をちゃんとやっているかどうか、すぐ見抜くんです。手抜きはすぐばれますよ。
それと、新しいことがとにかく大好きで、アニメーションの演出でも、常に新しいことを試していました。
ある日のことですが、アフレコのスタジオに古いテレビがあったんですよ。もう画像なんかもざびざびで、ぜんぜんうまく写らないんです。それをみた監督が「これ、面白いね! どうやってやってるの?」って言うんですよ。いやいや、監督、このテレビただ古いだけですよ、って。
いわゆる「出崎演出」と言われるような、絵に光を入れてみたり、セル画ではない一枚の絵を使ってみたり、とにかく普通ではないことをどんどん、取り入れていました。でも、そんな実験もただの実験ってわけじゃなくて、そうすることで、物語の内面をより印象的に、生々しく表現するための演出ですよ。自分へのチャレンジのような部分もあったかも知れません。
どんなキャラクターでも、生き生きとしていて、また悩みを生々しく描いていました。彼らがどんな日常を送ってきたのか、どういう生い立ちをたどってきたか、まで、描かなくても感じさせるんです。ものすごい才能の持ち主ですよ。

『ブラック・ジャック カルテIV』より
西田:出崎監督の場合は、作っている作品が面白いので、スタッフの間でも吸引力がありました。『聖書物語』の時などは登場人物に合わせたシークエンスの作り方が毎回違って、ただただ圧倒されました。
出崎監督の作品作りは、持てる時間の90%を、悩む時間に使っちゃうんです。あと10%でスタッフは一斉につくらなくちゃいけないから、突貫工事的な厳しいスケジュールになるんだけれども、この悩みが誰もが納得できる悩みでしたからね。視聴者が喜ぶ姿を想像しながらフィルム作りに没頭できました。
『とっとこハム太郎』では、3歩歩くとなんでも忘れちゃうハム太郎の設定に苦しんでらっしゃいました。「そんな設定じゃ物語がつくれない」って悩んでるんだとおしゃってました。劇場に見に行ったら、ハム太郎をくっちゃうようなオリジナルのサブキャラを出して、素晴らしい作品に作り上げてらっしゃいました。

『ブラック・ジャック カルテIII』より
森田:出崎監督ご自身の世界がはっきりあることです。
演劇の演出家にたとえれば、蜷川幸雄さんタイプといいますか、脚本に忠実に演出をしていくというよりも、自分の世界を作り上げてしまう、というような。
蜷川さんは、劇場中を別空間に変えてしまうような、普通の演出家では考えつかないことをしてしまうんです。出崎監督もそんな方でした。
出崎作品が絵コンテ段階で大幅に変るというのは有名な話です。もちろん作品にもよりますけど、場合によってはシナリオで作られた物が跡形も無くなる事もあるそうです。
私が書いたアトム3部作でも、苦労の末生かしたはずのキャラがコンテで死んでいて……あの苦労はなんだったんだろうって……(笑)。そういうことが多々ありました。それでもコンテ全体を見て、妙に納得してしまうんです。悔しいけれど(笑)。

『ASTROBOY 鉄腕アトム特別編 イワンの惑星』より
―― 出崎監督に教えられたことはありますか?
桑原:とにかく、考え方が未熟だったり、偏っていたりすると容赦なく叱られます。あと、「そんなこと出来ません」なんていう言葉が大嫌いでしたね。激怒されますよ。出来ない、などといわず、どうしたら出来るかを考えなきゃいけないのが、クリエイターの仕事ですよね。僕も含めて、あきらめてしまう人っていますが、それをやる、見せる方法を考えることが大切なんじゃないでしょうか。
また、人を育てるのが上手な人だったと思うんです。ご自分では、多分、そんなことしたこともないし、人を育てるなんて、好きでもないと考えていらっしゃったと思うんですが。背中で語るじゃないですけど、監督の生き様を見ていると、何がしか学ぶべきものがある、そんな人でした。

『おにいさまへ・・・』より
西田:一番は、ものの考え方のきめ細やかさですね。キャラクターの心理描写にしても、この人はこんな考え方でいいんじゃないか? って動かしていくと、「いや、まて。この人はもっとこんなふうにも考えるんじゃないか?」「こんな立場にいたらこんなふうに悩むんじゃないか?」とどんどん突き詰めていくんですよね。そうやって深く掘り下げていく姿勢は、勉強になりました。
森田:基本、女性にはお優しい方なので、激しく怒られた事はありませんでした。
「女でよかった」と思ったことが何度も……(笑)。でもシナリオに関しては、容赦はしませんね、「どうせコンテで変るのに」なんて甘えも許されません。納得が行くまで何度も書き直しをさせられました。
手取足取り何かを教えるという事ではなく、自分から何かをつかませるまで妥協しないという監督の厳しさが、そのまま私の根性(?)となったと思います。他は此処まで徹底して付き合ってくれませんもの。
「諦めないこと」監督に教わった中で、それが一番大きいかも知れません。
―― 印象に残っている一言はありますか?
桑原:監督や脚本家には、いろいろなタイプがいて、中には自分の絵コンテや脚本に忠実に創り上げることを求める人もいますが、出崎監督はぜんぜん違うんです。よく「オレの書いた絵コンテを直せるものなら直してみろよ」といわれました。ほかのスタッフが、もっと面白いことを思いついたんだったら、それを使わない手はないじゃないか、と。出崎監督というとなんとなく、ワンマンのように思っている人も多いかもしれないけど、ワンマンどころか、正しい意見であればすべて吸い上げて、生かしていこう、とする方でした。
キャラクターの解釈についても、そんな柔軟性がある方でした。たとえばアトムの性格一つにしたって、「正義の味方なんだから、こんなことはしない」というような固定概念は決して持たないんです。固定概念に縛られてしまうと、悩みも生まれない。正義の味方だからって、「こんなことは考えない」というように縛ってしまうと、ジレンマや悩みも生まれない。物語だって、面白いものは生まれないですよね。
また、「自分が苦手だと思っているものほど、どんどんやったほうがいい」ともおっしゃっていました。ご自身でも少女漫画が苦手なのに、「エースをねらえ」の仕事をうけたりしていらっしゃいました。「エースをねらえ」はもちろん、その後の「ベルサイユのばら」もアニメ史にのこる名作になりました。最近でも、古典である『源氏物語』に挑戦したり、「とっとこハム太郎」のような子供向け作品に挑戦したり。とにかく勉強意欲が高い方です。それもやると自分が決めたからには、真剣に取り組むんですよね。

『ASTROBOY 鉄腕アトム特別編 アトム誕生の秘密』より
西田:よい原作はどんなに翻案してもその原作がおとしめられるようなことはないとをおっしゃっていましたね。
京都手塚治虫ワールドのアニメシアター向けに作られた出崎版『アストロボーイ・鉄腕アトム』の3部作で、アトム誕生の際に、お茶の水に悩みを抱かせたんです。「こんなものを世に送り出していいのか?」とね。スタッフ内では手塚治虫はそんなふうに描いていない、という意見もあったけど、出崎監督はしっかり時間をかけて説得してらっしゃいました。キャラクターをオフモデルにすることなく、より深く、きめ細やかな描き方にチャレンジしてらっしゃったと思います。残された沢山の名作を観返して、「巨匠の仕事に対する情熱」を勉強し直したいと思っております。

『ブラック・ジャック カルテII』より
森田:監督は、「シナリオどおりにコンテ描いたってつまらないだろ」とよくおっしゃっていました。現在はシナリオ通りにコンテを描くのが主流になっていますが、監督はシナリオを素材ととらえられ、その中で一箇所でも心動かされる所があれば、そこから作品は作れるとおっしゃられていました。シナリオの出来不出来に関わらず、出崎統というフィルターにかけることで、芸術作品とも言えるような出崎アニメが作られるんです。
今回の病気が発覚した頃、監督が、「俺いいよな……俺頑張ってきたから、もういいよな……」とおっしゃられていたんです。冗談まじりの言葉ではあったんですがとてもショックでした。
でもその後、『ブラック・ジャック』の仕事を始められてからは、だんだん元気になられて、「俺、コンテ描きたいんだよな」と……、それで私も、またいつか監督のコンテを見ることが出来る日が来るんじゃないかって密かに期待していたんです。
でも今は、感謝を込めて言いたいです。「もういいんですよ……どうかゆっくり休んでくださいね」と。
―― お忙しい中、ありがとうございました。
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