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その時 何が(18)生存率5%(石巻市北上総合支所)
 | 津波で破壊された石巻市北上総合支所。津波で壁は抜け、なぎ倒された柱もある=3月18日、石巻市北上町十三浜 |
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◎指定避難所、無念の大破/「宮城沖」想定超える
北上川河口に近い石巻市北上総合支所の庁舎は、3月11日の東日本大震災で津波の直撃を受け、全壊状態となった。庁舎には少なくとも57人の住民や職員らがいたとみられるが、無事が確認されたのは男性職員2人と小学4年生の男子児童1人だけだった。庁舎は指定避難所だったにもかかわらず、生存率はわずかに5%。多くの人が犠牲になってしまった。
「支所に避難したから心配ないよ。子どもたちも遊んでる」 午後3時15分ごろ、建設会社従業員だった岡一也さん(33)は宮城県松島町の現場からの帰り道、妻裕美さん(32)から電話を受けた。明るい声で長女の吉浜小1年優心さん(7)、次女彩巴ちゃん(1)も一緒だという。 「大丈夫だな」と思ったが、それが最後の会話となった。 地震直後から、支所には近所の人が集まっていた。近くのデイサービスセンターを利用していた高齢者も職員に付き添われて避難していた。 支所に立ち寄った消防団員の燃料販売業佐々木正人さん(49)は、知り合いの裕美さんに「山の方に行かないの?」と声を掛けた。裕美さんは妹やめいとも一緒で、「後で母もこっちに来るはずだから」と答えた。 佐々木さんは「庁舎の2階まで津波が来るとは想像しなかったが、車で避難できるなら、近くの高台の方がいいのでは、と思った」と振り返る。
2006年に新築された庁舎は、鉄骨木造2階で延べ床面積は約2400平方メートル。宮城県沖地震で想定される津波が高さ5.5メートルだったため、建物は1メートル高い海抜6.5メートルの場所に建設された。 1、2階それぞれに支所の事務室と公民館部分があり、津波の際は公民館部分の2階多目的研修室に住民を避難させる計画になっていた。 「多目的研修室、住民31人の避難完了」。午後3時10分ごろ、2階事務室で災害対応に当たっていた支所地域振興課の今野照夫さん(50)に同僚から報告が入った。 約10分後、支所と吉浜小の間の小川を津波がさかのぼった。水かさがみるみる増し、津波は事務室に流入。今野さんは「窓や壁もろとも外に押し流され、ものすごい水の勢いで地面に押しつけられた」という。 何とか浮かび上がり、がれきにつかまった。何度も気を失いながら漂流し、寒さでもうろうとしつつ民家に流れ着いた。 北上総合支所によると、職員38人のうち津波の襲来時に庁舎にいたのは19人。ほかに警察官や消防職員、警備会社員ら7人もいたが、無事だったのは今野さんら職員2人。住民「31人」のはっきりした内訳は分かっていない。救助されたのは4年生の男子児童だけだ。
会社員千葉守さん(45)の長女で吉浜小6年の美里さん(12)と、千葉さんの母ゆり子さん(62)も支所にいたとみられる。地震前、公民館の図書室にいる美里さんを吉浜小の教諭が確認している。孫を迎えに向かうゆり子さんの姿も近所の人が見ていた。 2人は今も行方不明。「美里は、毎週のように単身赴任先の仙台に手紙をくれる優しい子だった」と千葉さん。無念さと割り切れなさが募る。 「津波で壊滅する建物がなぜ避難所なのか。高台に避難者を誘導すべきだったのではないか」 津波は近くの吉浜小校舎の3階天井まで達した。同校によると、卒業式準備のため学校に残っていた4、5年生の計5人と教職員10人は狭い屋上に逃げ、かろうじて難を逃れた。全校児童49人のうち、死亡・行方不明は優心さんや美里さんを含め7人。いずれも支所にいた可能性がある。(佐藤崇、酒井原雄平)
2011年06月04日土曜日
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