チェルノブイリ事故における環境対応策と
その修復

                                
                   原子力システム研究懇話会
                              村主 進

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目次
1.放射線被ばくに関する基準
2.都市の汚染除去
3.農業への対応策
 
 3.1 事故後初期の状況、3.2 事故後中期の対応
  3.3 集約農業の生産物に関する対応策、3.4 粗放農業の生産物に関する対応策
  3.5 農業対応策の現状、3.6 放棄された土地の現状と将来

4.森林における対応策
5.水生動植物に対する対応策



1. 放射線被ばくに関する基準
 チェルノブイリ事故の起きた1986年当時は、公衆と放射線従事者に対する国際放射線防護基準としてICRP Publicztion 26(ICRP 1977)が適用されている時期であった。従ってチェルノブイリ事故のような大事故の際の防護指針はなかったので、旧ソ連および欧州諸国では早急に事故時の基準が作られた。

 旧ソ連では、急遽全身線量当量の暫定許容基準としてとして1年目(1986年4月26日より1987年4月26日まで)は100mSv、2年目は30mSv、1988年および1989年は夫々25mSvと定められた。
 内部被ばくに関しても、食品中の放射能の暫定基準が時機に応じてそれぞれ定められた。暫定基準の変遷を示すと第1表のとおりである。

 1986年5月6日の基準は、事故初期において子供の甲状腺線量を300mGyに制限するために設けられたものである。
 TPL-86の基準は、農家で通常に食物を摂取した場合に、内部被ばくが50mSvとなるように定められたものである。TPL-88は年間8mSv、TPL-91では年間5mSvと内部被ばく線量を下げて定められた。
 旧ソ連が崩壊した後、ロシア、ベラルーシ、ウクライナと分離独立したが、この3国の現在の基準は2000年前後に改定されており、夫々の国で多少異なるが、TPL-91の値の約1/4〜1/10程度に下げられている。

第1表 主な食品、飲料水の放射能濃度の旧ソ連暫定基準
                                  (Bq/kg)
TPL-86 TPL-88 TPL-91
適用日 1986年
5月6日
1986年
5月30日
1987年
12月15日
1991年1月22日
核種 131I β放射体 134Cs+137Cs 134Cs+
137Cs
90Sr
飲料水 3,700 370 18.5 18.5 3.7
ミルク 370〜3,700 370〜3,700 370 370 37
乳製品 18,500〜74,000 3,700〜18,500 370〜1,850 370〜1,850 37〜185
食肉その加工物 3,700 1,850〜3,000 740
37,000 3,700 1,850 740
37,000 1,850 740
野菜、果物、
馬鈴薯、根菜類
3,700 740 600 37
パン、小麦粉、穀物 370 370 370 37

2. 都市の汚染除去
 汚染された都市や農村の大規模の汚染除去は1986年より1989年に亘って主として軍隊により行われた。
 汚染除去作業は建物の洗浄、居住空間の清掃、汚染土壌の除去、道路の清掃および洗浄、屋外の給水施設の汚染除去等であった。また汚染除去を行うに当たっては、どのような方法で、またどのような時期に行うか等についてcost-benefit評価を行った後に実施された。
 全体で約1000集落(約数万軒の住宅および公共建物および1000箇所以上の農地)で汚染除去が行われた。
 各地点の汚染除去前後の測定結果では、汚染除去方法にもよるが、線量率で1.5分の1ないし15分の1に減少した。しかし汚染除去費用が高価であるので汚染区域のすべてを処置することができなくて、人口平均では1年間の外部被ばく線量が汚染除去前に較べて10%ないし20%まで減少したのに止まる。

 一方集落の汚染地点の定期的モニタリングによれば、5年間で被ばく線量率は大幅に減衰し続けている。そして1990年以降は大規模な汚染除去作業は停止された。

3. 農業への対応策
 農業への対応策は
 @事故後初期
 A事故後中期(事故後1〜2年)および
 Bその後
に分けて述べる。
 Bについては集約農業について各種の対応策を詳しく述べる。粗放農業については、対応策はほぼ同様であるので集約農業と異なる点についてのみ簡単に述べる。
 その他、事故による放射性汚染が非常に高いために、放棄された農地の現状についても述べる。、
3.1 事故後初期の状況
 事故初期に@退避時の家畜対策、Aミルク中の放射性ヨウ素対策が緊急に必要とされた。

 @については1986年5月3日〜5日に30km圏の住民が退避するときに50,000匹の牛、13,000匹の豚、3,300匹の羊、および700匹の馬も退避したが、その後退避地区における飼料不足や飼育管理の困難さから、多数の家畜は屠殺された。また事故時の緊急の事態では家畜の汚染レベルを区分することが不可能であったので1986年5月〜6月で95,500匹の牛および23,000匹の豚が屠殺されている。これらは土中に埋められたり、一部は冷蔵保存された。これがその後の衛生問題および多量の汚染廃棄物問題に発展している。

 Aは放射性ヨウ素対策である。
 事故後の第1週の主な対策はミルク中の放射性ヨウ素の濃度を下げ、また汚染ミルクを食料流通に入ることを防ぐことであった。このため(a)牧草飼料より汚染のない貯蔵飼料に換えること、(b)モニタリングを行い、131Iの濃度が3.7kBq/L以上のミルクは流通除外すること、(c)この流通除外されたミルクは粉ミルク、チーズ、バター等に加工することが指示された。
 この指示は事故後数日後に集約農業におけるミルク対策にとして通知された。然しこの情報はマネージャーや地方当局にしか届かず、末端の農業システムには伝達されていなかった。

3.2 事故後中期(事故後1〜2年)の状況
 食肉中の放射性セシウム対策については、事故後数週間のうちに対策が始まり、汚染されていない飼料を動物に与える事となった(クリーンフィーディング 3.3節(3)を参照のこと)。これはクリーン飼料で飼育後1〜2ヵ月後に牛の体内137Csを基準以下に下げるためである。然しこの時期は汚染されていない飼料の不足のためにこの対策は広く行き渡らなかった。

 1986年6月初旬には放射能汚染地図が完成した。これによって牧草の汚染の程度が分かり、何処で汚染牛乳が生産されるか明らかになった。事故後数ヶ月は著しく汚染された土地は、放牧禁止になった。

 1986年6月より放射性物質の農産物への移行を低下させる対策が本格的に実施され、(a)137Csの地表面汚染が555kBq/m2を越える汚染地域の牛は1.5ヶ月のクリーンフィーディングの後に畜殺する、(b)汚染された肥料の使用を制限する、(c)農産物のモニタリングを行う、(d)基準を越えたミルクは加工ミルク(バター、チーズなどの保存食品)にするなどの措置がとられた。
 そして1986年9月、10月には集約農家各自に各集約農地の汚染地図が配布された。

 放射線サーベイによって調査した結果、1986年末にはロシアの4県(Bryansk、Tula、Kaluga、Orel県)、ウクライナの5県(Kyiv、Zhytomir、Rovno、Volyn、Chernigov県)およびベラルーシの3県(Gomel、Mogilev、Brest県)では生産された農産物の多くは汚染基準を越えていた。Gomel、Mogilev、Bryansk、Kyiv、Zhitomir県の中で最も汚染された地域では、事故後1年間で基準を越えている穀物やミルクの割合は約80%に達していた。

 一方、1987年になってからは集約農業地の農産物の汚染レベルは低くなり、137Csの高レベル食品は肉やミルクのみになった。そこで対策は主として肉やミルクの放射性セシウムの低減に向けられた。
 この年は馬鈴薯や根菜類は放射能濃度が低いので生産されている。2年目からは穀物中の放射性セシウムは前年より一段と低下したので、殆どの穀物が基準以下になった。1991年までには3国の穀物中の137Cs濃度が370Bq/kgを越えるものは0.1%以下となった。
 
3.3 集約農業の生産物に関する対応策
 集約農家に対する主な対応策は、先ず化学的に土地を肥沃にするため改善を行うなどにより、穀物や飼料植物への放射性セシウムの移行を低下させることであった。

(1) 土壌処理
 土壌処理は放射性セシウムや放射性ストロンチウムの植物への吸収を低下させる。土壌処理の方法は鋤きおこし追いまき窒素・燐酸・カリの施肥石灰の散布がある。
 鋤きおこしは、根が栄養を吸収する土地表層(地表)の放射性汚染を薄める役割をする。また表層を剥ぎ取りこれを埋める鋤きおこしも有効であった。
 化学肥料の施肥は植物の成長を促進し、これにより植物内の放射能を薄める役目をする。また化学肥料は土壌水中のCs-K比を低め、したがって放射能の吸収を低下させる。
 上記の処理方法をすべて行うことを根対策処理(Radical 処理)という。この根対策処理はチェルノブイリ事故で汚染された牧草地に最も効果的で実用的な対策であった。
 土壌処理の効果は土壌の種類、栄養状態、pHおよび追い播きに用いる植物の種類によって異なる。更にNPK肥料および石灰の投与割合は放射能の吸収割合に影響を与える。
 根対策処理は肥えていない砂質土では放射性セシウムの土壌-植物移行割合の減少率が2〜4、有機質土壌で3〜6という研究結果がある。

(2) 汚染土地で生産する飼料作物の変更
 
植物によって放射性セシウムの吸収割合が異なる。例えば人参、キャベツはエンドウ豆の約20%、馬鈴薯、インゲン豆はエンドウ豆の約40%である。そこで放射性セシウムの吸収の大きいルピナス、エンドウ豆、ソバ、クローバーのような家畜の飼料植物は耕作しないこととした。

 ベラルーシでは汚染した区域で菜種が育てられた。これは動物の飼料として菜種油および蛋白質ケーキ(protein cake)を作るためである。アブラナ属は他のものより137Csおよび90Srの吸収率が2〜3倍低いことが知られている。その上菜種の成長期に追加化成肥料(石灰6t/ha、およびN90P90K180で肥沃化したもの)を施肥すると放射性セシウムと放射性ヨウ素の吸収を約2桁程度低くすることが出来る。菜種の加工においても放射性セシウムと放射性ストロンチウムが効果的に除去され、残存量は無視される程度であった。
 この方法での菜種油製造は汚染土地利用において最も効率的で経済的な方法であり、かつ農家と加工業に利益をもたらすことが分かった。
 過去10年間で菜種の耕作は4倍、22,000ha(ヘクタール)まで増加した。

(3) クリーンフィーディング
 汚染された動物を、屠殺前の適当な期間の間、汚染のない牧草または飼料で飼育する方法(クリーンフィーディング)は生物学的半減期に応じて食肉およびミルク中の放射能を減らすことが出来る。
 牛乳中の放射性セシウムは飼料の変化に急速に応答して生物的半減期は2〜3日である。
 食肉中の放射性セシウムは、筋肉中の生物学的半減期が長いので、応答時間はもっと長くなる。しかしクリーンフィーディングは、旧ソ連3国で日常的に行われており、検査で汚染牛が見つかれば、この牛は農場に再び戻され再びクリーンフィーディングされる。

(4) Csバインダーの投与
 
ヘキサシアノ鉄酸塩(一般にPrussian Blue<プルシャンブルー>といわれる)は、乳牛、羊、山羊等の飼料に添加して胃の吸収を妨げ、牛乳および食肉中の放射性セシウムを低下させる最も効果的な放射性セシウム結合剤である。これはまた毒性が低く安全に使用でき、牛乳、牛肉等の畜産物で低減率が10まで達成できる。
 ヘキサシアノ鉄酸塩の色々な製法が各国で開発され、何が最も効果的な化合物で、何が最も安く手に入るかを見出す努力がなされた。
 
プルシャンブルーは1990年代初頭より広く用いられてきた。またこれはRadical処理に適しない牧草地では特に有効で効果的な方法であった。
 初期の試用ではプルシャンブルーは飼料からミルクへ、および、食肉への137Csの移行を1.5〜6.0まで下げている。ベラルーシでは特別なプルシャンブルーの濃縮食品を作り、牛乳に対して低減率は3であった。一方ウクライナでは1990年代初期までしか使用されなかった。それはベラルーシにプルシャンブルーの資源が少なく高価であったためである。

(5) 集約農業生産物に関するの対策のまとめ
農家で実際に実施された各種農業対応策の効果を第2表に示す。ここに低減率とは、対策を施した前後の農産物中の放射能比である。

第2表 旧ソ連3国で実際に実施された対策の低減率

対策 137Cs 90Sr
通常の鋤きおこし(第1年目) 2.5-4
鋤きおこし(表層を剥ぎ取り、これを埋設) 8-16
石灰散布 1.5-3.0 1.5-2.6
化学肥料の施肥 1.5-3.0 0.8-2.0
有機肥料の施肥 1.5-2.0 1.2-1.5
根対策処理(Radical処理)
   最初の処理
   2回目以降の処理
***
1.5-9.0
2.0-3.0
***
1.5-3.5
1.5-2.0
地表改善
   最初の処理
   2回目以降の処理
***
2.0-3.0
1.5-2.0
***
2.0-2.5
1.5-2.0
牧草より貯蔵飼料の変更 3-9
クリーンフィーディング 2-5 2-5
Csバインダーの投与 2-5
牛乳をバターに加工 4-6 5-10
菜種から菜種油への加工 250 600

3.4 粗放農業の生産物に関する対策
 旧ソ連3国では粗放農家とは主として自然の牧草地で個人所有の牛の飼育をしている農家に限定される。粗放農業地域では集約農業地域より放射性セシウムが比較的高い。
 個人所有の牛に用いられる牧草地の根対策処理(Radical改善)も1990年初頭より行われてきた。
 クリーンフィーディングは個人農家では一般に行われていないが、時々集約農家が汚染のない飼料や牧草を個人農家に供給することもあった。
 ペルシャンブルーはロシアおよびベラルーシの個人農家でも使用されてきた。

3.5 農業対応策の現状
 農業対応策は現在でもまだ各国で実施されているが、その規模は縮小されつつある。
 然し旧ソ連3国ではクリーン・フィーディングは集約農業よりの肉を流通させるための主要な対策としている。

 その他更にベラルーシの集約農家ではP-Kの施肥が使われており、また基準を越えた牛乳はバターに加工されている。個人農家では、根対策処理(Radical処理)およびプルシャンブルーの投与が用いられている。

 ウクライナの集約農業では現在クリーン・フィーディングのみが実施されている。粗放農業の個人農家では牧草地の根対策処置および無機粘土のCsバインダーの投与が行われている。

 ロシアの集約農家にはKを多く含む肥料が供給されている。個人農家にはプルシャンブルーが個人消費牛乳、食肉用として供給されている。
 
3.6 放棄された土地の現状と将来
 チェルノブイリ事故によって使用禁止になった土地(放棄された土地)の復興計画は、広大な汚染された土地を長期的に、且つ、環境を破壊することなく資源利用を図ることができるように幅広い見地に立って行わなければならない。
 現実的な復興計画は、放射線防護基準のみならず次の点を考慮しなければならない。
@実行可能のものであること(有効性、技術的可能性、容認できる対策を含めて)
A費用‐利益
B倫理上および環境上の考察
C事実上の公衆の要求のあるもの
D上述因子の形而上の差異
E都市、農村および工業的環境の人々の色々異なる需要
以上の点を考慮しつつ各国では色々な復旧計画を立てている。

この計画を満足に実施することは難しいが、以下に最も著しい汚染被害を受けたベラルーシの実情について述べる。
 ベラルーシの30km圏の居住禁止区域は215,000ha(ヘクタール)に及ぶ。この区域には誰も居住を許可されていないが、例外として少数の老人達は許可なくこの場所に住んでいる。この区域の大部分は、長半減期の超ウラン元素に汚染されたために、千年程度は経済的な生産に戻ることは不可能とされている。この地区では森林火災の消火、科学的な研究および実験以外には立ち入り禁止されている。

 30km圏以外にも、1900年初頭における居住禁止区域(強制移住地域)は450,000haである。またこのうち農地は265,000haであって、この農地は高度に汚染されていて(137Csで1480kBq/m2以上、90Srで111kBq/m2以上、プルトニウムで3.7kBq/m2以上の汚染)、農業利用できなくなった。しかしこの農地は将来農業に利用できると考えられる。
 事故後14,600haの区域は2001年までには再利用できるようになり、最近では16,000haまで増えた。この再利用土地は農産物の生産性は回復し、放射性セシウムおよびストロンチウムの取り込みを少なくする各種対策も実施された。
 現在のところ、更に35,000haの農地が将来再利用されると評価されている。しかし再利用のための経済的援助および汚染対策の実施は近年大幅に低調になってきた。対策は現在牧草地のRadical処理(根対策処理)、牛に対するプルシャンブルーの投与、、および農地への石灰散布、肥料の施肥が行われているのみである。

 放棄された土地の農業利用の主な障害は経済基盤の破壊、高い生産コスト、低い市場需要である。放棄された土地の大規模の再建は、国の経済事情の改善がなければできないと考えられる。

 また強制移住区域の大部分は、農地に再利用するよりも林産業のために利用するほうが適すると考えられ、森林省の所管に移された。

4. 森林における対応策
 森林対応策は森林作業者とか所有者が森林で何か業務があるときだけに適用されるものである。このため森林対策の実行には人手を要し費用も高くなる。
 森林対応策には@管理に基づく対策とA技術的な対策に分けられる。

(1) 管理の基づく対応策
 これは森林での各種の行動を規制する方法である。旧ソ連では汚染した森林に近づくことおよび林産物を使用することに関して多くの規制が行われた。
この規制には
@公衆および林業作業者の森林への立ち入り制限、
A食品(猟の獲物、食用果実、きのこ)収穫の制限、
B薪用材を集めることの制限、
C狩猟方法の変更(鹿のような苔を食っている動物は、苔のあるなしの時期によって、体内の放射性セシウムの量が大きく異なる。したがって鹿が苔を食料として摂取しない時期に肉を食料に供することによって、人の内部被ばくを下げることができる。)
D防火(防火はいかなる場合にも森林管理の基本的な重要事項であるが、大規模な放射性汚染に対して環境に2次的汚染を及ぼさないために重要である。)
などがある。

(2) 技術的な対応策
 これは森林の放射性セシウムの分布または移行を機械的にまたは化学的に処理する方法であるが、大規模に実施する場合にはコスト効果が問題になる。したがって、技術的な対策は人のよく集まる都市部の森林公園のような小規模な場所に限定されている。

(3) 森林における対応策の例
 技術的な対応策を実施することは実際的には困難が伴うので、旧ソ連3国では管理に基づく対応策が実施されている。
 ロシアのBryansk県の例を述べれば、森林作業者および森林の近傍の居住者に対して下記のような勧告が出された。
@1480kBq/m2以上の汚染森林では森林監視員、消防署員および病害虫駆除員のみが立ち入りを許可される。すべての森林における活動および一般人の立ち入りは禁止される。
A555〜1480kBq/m2の森林では森林の生産物の採取は禁止されるが、幾つかの森林活動は認められる。
B185〜555kBq/m2の森林では、作業者の外部被ばく線量および木材の汚染が基準以内であれば、木の伐採も許可される。
C然し一般人の木の実取りや茸取りは74kBq/m2以下の森林でのみ許可される。

 1990年まで大規模な制限が行われていたが、これは農村の人々に遵法精神を失わせるという負の効果をもたらした。
 例えば、1990年初頭には上記Aの規制があったが、一般の人が茸および木の実を再び採取している。このことは規制を伴う対策を実行することの困難さを示すものである。

5. 水生動植物に関する対応策
 フォールアウトのあった表面水を経路とする、放射能による被ばく低減については各種の対策が実施された。この対策は大きく分けると@飲料水対策およびA水産物摂取対策となる。

 地上へのフォールアウトおよび水面へのフォールアウトという見地に立てば、一般に地上の食品による内部被ばくのほうが、水系(飲料水および水産物)による内部被ばくより非常に大きい。
 しかし水系汚染については、ドニエブル川(ロシアに発してウクライナを通って黒海に注ぐヨーロッパ3番目に長い川)水系に対して、河川水の汚染がフォールアウトで汚染されていない地域にまで汚染を運ぶという問題があった。
 
 (1) 水供給系および浄水設備の対策
 事故後1年間はドニエプル川からの飲料水の使用は制限された。ウクライナ政府は事故後より汚染の少ない川および地下水への水源への切り替えを行った。例えばキエフへの飲料水の取水は事故後1週間でパイプラインを作りあげて、ドニエブル川よりデスナ川に切り替えられた。

 水道水中の懸濁物は水処理中に取り去られる。溶解物はフィルターで取り去られる。ドニエプル浄水場は活性炭素とゼオライトをフィルター系に取り付けた。活性炭は131Iおよび106Ruを、ゼオライトは137Cs、134Csおよび90Srの除去に効果があった。
 
(2) 表層水の汚染低下対策
 表層水の汚染を除去しようとする対策は、例えば水底の汚泥の浚渫による汚染粒子の除去、ゼオライトを含んだ障壁を小川に設置するなど色々の方法が試みられたが、いずれも殆ど効果のないことが分かった。したがって具体的な表層水の汚染を除去する方法は実施されなかった。

(3) 淡水魚およびその他の水生食物の食用制限
 制限区域内の淡水魚の食用禁止令が出されたが、漁夫はしばしばこの禁止令を無視する。そこで魚の販売禁止処置をしたところもある。いずれにしても制限する方法はこの制限を守られなければ役にたたない。また漁業禁止で影響を受けた区域では淡水魚の養殖が代替源として用いられている。
 湖に石灰やカリを湖水に添加して淡水魚中のセシウムを低下させる実験も行われたが、これもあまり効果はなかった。

(4) 地下水
 放射性物質が地表に沈着すれば、これに対する地下水給水系を人工的に防護する手段はない。しかし地下水の滞留時間は長いので短半減期核種は減衰してなくなる。また地上から滲みこんだ地下水の経路を通じての90Srや137Csによる被ばくは、食品よりの内部被ばくおよび外部被ばくに較べてきわめて小さい。

 チェルノブイリ発電所近傍の立ち入り禁止区域については、地下水を、石棺や廃棄物処分施設からの放射性核種の漏出から守るための処置がとられている。このために局所的な高汚染スポットの廻りに工学的な、且つ、地球化学的なバリアを築いている。
 また、発電所周辺の地下水を汚染から防ぐために、石棺の地下室に集まった雨水の浸出を止める予防対策も必要である。

参考文献:
Environmental Concequences of the Chernobyl Accident and Their Remediations:Twenty Years of Experience(Report of the UN Chernobyl Foram,Expert Group ”Environment”(EGE) (August 2005)

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