2010-05-20 21:34:02
タライに行く象
テーマ:ブログ
「エキスペジション?(遠征ですか)」
深夜の7200m地点。
急な斜面とクレバスの隙間に張ったテントでだれかが話しかけて来た。
回りには僕以外だれもいない。
幻聴なのだろうか。
胃の中は空っぽで酸素のみで体が動こうとしてる。
呼吸をすることがこれだけ大変なのか。
早く水分を取りたくても体が受け付けない。
もう山頂は目の前なのに・・。
5月16日
いよいよ。僕の冒険が始まる。
僕の冒険は未踏のルートなどではなく、
このヒマラヤと日本の空を繋げる全く別次元の挑戦。
それがついに現実となる時がきた。
ヒマラヤと日本の空を繋げる試みは、
チョ・オユー8201mから始まり、
マナスル、ダウラギリ、エベレストとやってきた。
だが、どれも山頂からは実現できなかった。
技術的な問題や通信費の問題。
今まであらゆる大手企業を渡り歩き、
Yahoo!やエイベックスなどに企画を何度も説明してきた。
夢はどうしたら実現できるのか。
それは多くの人と共有することだと思っている。
夢は一人で叶えることはできない。
だからこそ「共有」することの感動や可能性をこの登山から伝えたい。
そんな思いから始まったプロジェクトが、ついに動き出そうとしている。
日本時間の午後12時に合わせて、
栗城カメラ「コールド・チャイナ・レッド」通称CCRの電源を入れる。
ほぼ快晴無風のヒマラヤ。
遠くは中継の発信基地のキャンプ1のテントがかすかに見えた。
CCRはアメリカ製の最新機材だ。
前回、エベレストで使っていた軍事用のものから、
かなりの軽量化に成功し何度もベースキャンプでテストを繰り返していた。
中継は、一人でできるものではない。
通信隊員と日本側での受け手も含め総勢10名以上で行われる。
この中継を成功させ、残るは山頂のみ。
胸を高鳴らせている自分と冷静にヒマラヤの空を眺めている自分がいた。
本番まで10分前、それでもCCRからの映像が届いていかない。
標高6400mキャンプ3から機材を持って行きたくても行けるはずがない。
中継はトラブルの連続。
キャンプ1から点にも満たない栗城を中継し、僕は無線で状況を報告する。
企画で「上から目線の人生相談」を無線交信で始めるが、
なぜ中継ができないのか。
焦りと怒りで爆発しそうだった。
あれだけ資金と準備をしてきたのに・・・。
中継終了後、中継隊の門谷君と石井さんが
即日にキャンプ2まで登り詰め、
僕のCCRと何度も送電のテストを行ったが
その後、回復の兆しがなかった。
斜面に無理やり張ったテントは傾き、
強風が吹けば、確実にセラック(氷河)の下に落ちるだろう。
でも僕はそんなことは気にせず、一人斜めの斜面に体を渦向けていた。
なぜ、僕はこの山に来たのだろうか。
登る意味、それを見いだせない中、
薄いダウンの中で自問自答してる自分がいた。
僕は普通の登山家ではない。
山を登るのだが、山そのものではなく、
山の先にあるものを求めて来ていた。
今までずっと一人で登って来ていたが、
その達成感は一瞬に過ぎず、僕は山と社会との繋がりを求めていた。
それが僕の冒険の共有だった。
それができなくなった今、
いつも慣れているはずの狭いテントに急激な孤独感が襲って来た。
共にプロジェクトを進めて来た中継隊の仲間からの声が
無線で飛んできても、どれも僕には慰めの言葉にならなかった。
頭の中ではわかっていても、まだ心が追いついていない状況だった。
このまま進んで頂上までいけるのだろうか。
でも自分のモチベーションを高めてくれるのも、また山だ。
けして中継だけではない。
登り進めば必ず、自分の山が見えてくるはず。
そう思って翌日の5月17日に風でポールが折れ曲がった
テントを撤収し、足を上に向けて登って行った。
キャンプ3からは高さ15mの懸垂氷河が出てきた。
重い荷物を背負って、アイゼンを氷の壁に刺して、バランスを取る。
下を見ると氷河の末端が見え、高度感が襲ってくる。
僕は高所に向いていないのかもしれない。
セラックを縫うように抜けると、
今まで経験もしたことのない、深い雪が現れた。
踏みつけても底なし沼のように雪は深く、腰までのラッセルだった。
少しでも固い雪をスットックで探しながら足をだしていく。
標高7000m近くで気の遠くなるような作業を繰り返すが、
これを乗り越えなければ登る事ができない。
登山は体力のようで、じつは地道なことを諦めずに行うことだ。
この雪は深いから無理だろう。
でもその中で少しでも明るい光を探し続けていく、必ず道はある。
そう思いながら体全体を使って、登って行く。
中継が出来ない分の焦りや欲求不満が、
逆にパワーになって信じられないぐらいスピードで登って行く。
だが、体は動いても水分を欲しがらない。
それどころか、嘔吐を繰り返すようになる。
今まで極限の世界で何度も嘔吐は繰り返している。
これは高所の影響に違いない。そう思って登り続けて行く。
気がつくともう頂上が目の前の標高7200m地点にいた。
サーダの話ではこの当たりに前回登頂した韓国隊が
テントを貼っていたそうだが、どこも平らなことろはなく、
あったとしてもクレバスにかかったスノーブリッチだけだった。
すでに時間は午後15時だ。
最後のアタックは午後9時に出て13時間かかる計算になる。
早くテントを張って休まなくては、しかし、体が急激に重くなり、
1キロちょっとの軽量のテントさえ、
ザックから出すのにかなりの時間がかかる。
それよりも嘔吐が止まらず、胃自体が飛び出しそうだ。
高所で水分補給ができないのは危険だ。
何度も水分を取ろうするが、何ごともなかったように出て行ってしまう。
ようやくテントを張って体を休めるが、横になっているだけも苦しい。
明らかにアタックをするような状態ではなかった。
標高7200m地点。
ベースキャンプについて数日後、スペイン隊が
この標高辺りで動けなくなり、高所用のヘリが救援にあたったが、
この標高まで近づくことはできず、一人が亡くなった。
だれも救出にくることはできない。
僕はすぐに頭を切り替え、下山を考えた。
だが、もう夕暮れのアンナプルナ。
今から下山しても遭難する可能性がある。
僕は深呼吸を何度もし、翌日の朝に下山する事を決めた。
冒険は生きて帰ること、山にいるからこそ、大切なものがわかっている。
またいつか来れるさと思いながら極寒のテントの中で、
暖かいご飯を想像し続けていた。
「ハロー。エキスペジション?」
一人の男性が僕に話しかけて来た。
でも誰もいないはず、それでも男性の存在感を感じる。
これは明らかに生きている人じゃない。
僕はそう思ったが「ツーリスト(旅行者です)」と気の利いた冗談も言えない。
正直、そんなものにかまっている暇がなかった。
向こうも英語が話せないやつだと思ったのだろう。
すぐにその存在感はなくなっていた。
幻聴なのか、お化けなのかどうでもいい。
今は呼吸とするのがやっとだった。
無事に太陽が再び現れ始めた。
サーダーの無線を取ると昨日の夜から
救助のシェルパ2名が向かっているそうだ。
昨日よりも体調がいい。
下山の準備を初めていると
何度も僕の遠征についてきているテンバさんの姿が見えて来た。
かなり心配していたに違いない。
僕は、大丈夫、今から降りるよと言おうとしたが、
テンバさんの第一声に驚いた。
「隊長!写真撮ってくれないか?山頂バックで頼む」
栗城隊のシェルパは全員アンナプルナに来たことがない。
僕は渡されたインスタントカメラを素手で持ち写真を撮ってあげた。
テンバのザックに酸素ボンベがあった。
サーダーが気を効かせてもってきてくれたのだろう。
だが、肝心のマスクがない。
テンバは昨年のエベレストの時に、必死に下山中に助けに来てくれた。
一緒にテントに入り、テンバが「酸素を吸った方がいい!」と言う。
二人で酸素ボンベに手をつけるが、
二人とも使ったことがないので空気は漏れ、
最後は使用せずに下山したことがあった。
何のためにボンベを持って来たのだろう。
テンバはアンナプルナから見えるヒマラヤの高峰を見ながら興奮していた。
10時間かけての下山。
ベースキャンプに着くともう辺りは暗くなり、
隊員の顔も見えなくなっていた。
僕はサーダーに言われた。
「隊長はね。タライ(ネパールのどこかの街)に向かってる象だ」
止まらず走り続けているという意味らしいが、良くわからない。
むしろ下山して来た僕に慰めの言葉でなく、
カメラの前で例えのわかりにくいダメ出しを堂々とする。
だが、サーダーの言いたい事は良くわかっていた。
キャンプ3からの以上なスピード。
あれは明らかに中継ができないでいた自分への焦りだった。
僕は山から一つ学んだことがあった。
「執着をしない」それがいつのまにか夢の実現が近づくと
執着している自分がいて、最後はお化けにまで声をかけられる自分がいた。
山に負けたのではなく、己に負けていたのだった。
アンナプルナが、僕の心の灯を消そうとしたのではなく、
自分で消しかけていたのだった。
翌朝、ボロボロ状態で、椅子に座って天気予報を眺めていた。
隊員もそれを支えるシェルパも皆感じていた。僕は再び登ると。
8000m峰の山頂付近で引き返し、2度のアタックはあり得ない。
それだけ1回目と2回目の体力の回復力が違うからだ。
もしかしたら間違っているかもしれない。執着しているかもしれない。
でも僕は登りに行く。
そんな自分を越えるのはタライではなく、
アンナプルナの頂だと知っているから。
ナマステ。
22日から異例の再登山を開始します。
そして、26日には頂上アタックです。
また、CCRはありませんが、生中継も計画して、現在準備中です。
隊員もシェルパも皆やる気です。
応援宜しくお願いします。食料足りるかな?
写真1 準備中。次はスキーもCCRも持って行きません。純粋な単独・無酸素登山を再開します。おちょちょよよ
---------------------------------------------------
●栗城の最新映像はこちらから。
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http://kurikiyama.fc.yahoo.co.jp/8/
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http://aqurl.info/u/4b4059128
深夜の7200m地点。
急な斜面とクレバスの隙間に張ったテントでだれかが話しかけて来た。
回りには僕以外だれもいない。
幻聴なのだろうか。
胃の中は空っぽで酸素のみで体が動こうとしてる。
呼吸をすることがこれだけ大変なのか。
早く水分を取りたくても体が受け付けない。
もう山頂は目の前なのに・・。
5月16日
いよいよ。僕の冒険が始まる。
僕の冒険は未踏のルートなどではなく、
このヒマラヤと日本の空を繋げる全く別次元の挑戦。
それがついに現実となる時がきた。
ヒマラヤと日本の空を繋げる試みは、
チョ・オユー8201mから始まり、
マナスル、ダウラギリ、エベレストとやってきた。
だが、どれも山頂からは実現できなかった。
技術的な問題や通信費の問題。
今まであらゆる大手企業を渡り歩き、
Yahoo!やエイベックスなどに企画を何度も説明してきた。
夢はどうしたら実現できるのか。
それは多くの人と共有することだと思っている。
夢は一人で叶えることはできない。
だからこそ「共有」することの感動や可能性をこの登山から伝えたい。
そんな思いから始まったプロジェクトが、ついに動き出そうとしている。
日本時間の午後12時に合わせて、
栗城カメラ「コールド・チャイナ・レッド」通称CCRの電源を入れる。
ほぼ快晴無風のヒマラヤ。
遠くは中継の発信基地のキャンプ1のテントがかすかに見えた。
CCRはアメリカ製の最新機材だ。
前回、エベレストで使っていた軍事用のものから、
かなりの軽量化に成功し何度もベースキャンプでテストを繰り返していた。
中継は、一人でできるものではない。
通信隊員と日本側での受け手も含め総勢10名以上で行われる。
この中継を成功させ、残るは山頂のみ。
胸を高鳴らせている自分と冷静にヒマラヤの空を眺めている自分がいた。
本番まで10分前、それでもCCRからの映像が届いていかない。
標高6400mキャンプ3から機材を持って行きたくても行けるはずがない。
中継はトラブルの連続。
キャンプ1から点にも満たない栗城を中継し、僕は無線で状況を報告する。
企画で「上から目線の人生相談」を無線交信で始めるが、
なぜ中継ができないのか。
焦りと怒りで爆発しそうだった。
あれだけ資金と準備をしてきたのに・・・。
中継終了後、中継隊の門谷君と石井さんが
即日にキャンプ2まで登り詰め、
僕のCCRと何度も送電のテストを行ったが
その後、回復の兆しがなかった。
斜面に無理やり張ったテントは傾き、
強風が吹けば、確実にセラック(氷河)の下に落ちるだろう。
でも僕はそんなことは気にせず、一人斜めの斜面に体を渦向けていた。
なぜ、僕はこの山に来たのだろうか。
登る意味、それを見いだせない中、
薄いダウンの中で自問自答してる自分がいた。
僕は普通の登山家ではない。
山を登るのだが、山そのものではなく、
山の先にあるものを求めて来ていた。
今までずっと一人で登って来ていたが、
その達成感は一瞬に過ぎず、僕は山と社会との繋がりを求めていた。
それが僕の冒険の共有だった。
それができなくなった今、
いつも慣れているはずの狭いテントに急激な孤独感が襲って来た。
共にプロジェクトを進めて来た中継隊の仲間からの声が
無線で飛んできても、どれも僕には慰めの言葉にならなかった。
頭の中ではわかっていても、まだ心が追いついていない状況だった。
このまま進んで頂上までいけるのだろうか。
でも自分のモチベーションを高めてくれるのも、また山だ。
けして中継だけではない。
登り進めば必ず、自分の山が見えてくるはず。
そう思って翌日の5月17日に風でポールが折れ曲がった
テントを撤収し、足を上に向けて登って行った。
キャンプ3からは高さ15mの懸垂氷河が出てきた。
重い荷物を背負って、アイゼンを氷の壁に刺して、バランスを取る。
下を見ると氷河の末端が見え、高度感が襲ってくる。
僕は高所に向いていないのかもしれない。
セラックを縫うように抜けると、
今まで経験もしたことのない、深い雪が現れた。
踏みつけても底なし沼のように雪は深く、腰までのラッセルだった。
少しでも固い雪をスットックで探しながら足をだしていく。
標高7000m近くで気の遠くなるような作業を繰り返すが、
これを乗り越えなければ登る事ができない。
登山は体力のようで、じつは地道なことを諦めずに行うことだ。
この雪は深いから無理だろう。
でもその中で少しでも明るい光を探し続けていく、必ず道はある。
そう思いながら体全体を使って、登って行く。
中継が出来ない分の焦りや欲求不満が、
逆にパワーになって信じられないぐらいスピードで登って行く。
だが、体は動いても水分を欲しがらない。
それどころか、嘔吐を繰り返すようになる。
今まで極限の世界で何度も嘔吐は繰り返している。
これは高所の影響に違いない。そう思って登り続けて行く。
気がつくともう頂上が目の前の標高7200m地点にいた。
サーダの話ではこの当たりに前回登頂した韓国隊が
テントを貼っていたそうだが、どこも平らなことろはなく、
あったとしてもクレバスにかかったスノーブリッチだけだった。
すでに時間は午後15時だ。
最後のアタックは午後9時に出て13時間かかる計算になる。
早くテントを張って休まなくては、しかし、体が急激に重くなり、
1キロちょっとの軽量のテントさえ、
ザックから出すのにかなりの時間がかかる。
それよりも嘔吐が止まらず、胃自体が飛び出しそうだ。
高所で水分補給ができないのは危険だ。
何度も水分を取ろうするが、何ごともなかったように出て行ってしまう。
ようやくテントを張って体を休めるが、横になっているだけも苦しい。
明らかにアタックをするような状態ではなかった。
標高7200m地点。
ベースキャンプについて数日後、スペイン隊が
この標高辺りで動けなくなり、高所用のヘリが救援にあたったが、
この標高まで近づくことはできず、一人が亡くなった。
だれも救出にくることはできない。
僕はすぐに頭を切り替え、下山を考えた。
だが、もう夕暮れのアンナプルナ。
今から下山しても遭難する可能性がある。
僕は深呼吸を何度もし、翌日の朝に下山する事を決めた。
冒険は生きて帰ること、山にいるからこそ、大切なものがわかっている。
またいつか来れるさと思いながら極寒のテントの中で、
暖かいご飯を想像し続けていた。
「ハロー。エキスペジション?」
一人の男性が僕に話しかけて来た。
でも誰もいないはず、それでも男性の存在感を感じる。
これは明らかに生きている人じゃない。
僕はそう思ったが「ツーリスト(旅行者です)」と気の利いた冗談も言えない。
正直、そんなものにかまっている暇がなかった。
向こうも英語が話せないやつだと思ったのだろう。
すぐにその存在感はなくなっていた。
幻聴なのか、お化けなのかどうでもいい。
今は呼吸とするのがやっとだった。
無事に太陽が再び現れ始めた。
サーダーの無線を取ると昨日の夜から
救助のシェルパ2名が向かっているそうだ。
昨日よりも体調がいい。
下山の準備を初めていると
何度も僕の遠征についてきているテンバさんの姿が見えて来た。
かなり心配していたに違いない。
僕は、大丈夫、今から降りるよと言おうとしたが、
テンバさんの第一声に驚いた。
「隊長!写真撮ってくれないか?山頂バックで頼む」
栗城隊のシェルパは全員アンナプルナに来たことがない。
僕は渡されたインスタントカメラを素手で持ち写真を撮ってあげた。
テンバのザックに酸素ボンベがあった。
サーダーが気を効かせてもってきてくれたのだろう。
だが、肝心のマスクがない。
テンバは昨年のエベレストの時に、必死に下山中に助けに来てくれた。
一緒にテントに入り、テンバが「酸素を吸った方がいい!」と言う。
二人で酸素ボンベに手をつけるが、
二人とも使ったことがないので空気は漏れ、
最後は使用せずに下山したことがあった。
何のためにボンベを持って来たのだろう。
テンバはアンナプルナから見えるヒマラヤの高峰を見ながら興奮していた。
10時間かけての下山。
ベースキャンプに着くともう辺りは暗くなり、
隊員の顔も見えなくなっていた。
僕はサーダーに言われた。
「隊長はね。タライ(ネパールのどこかの街)に向かってる象だ」
止まらず走り続けているという意味らしいが、良くわからない。
むしろ下山して来た僕に慰めの言葉でなく、
カメラの前で例えのわかりにくいダメ出しを堂々とする。
だが、サーダーの言いたい事は良くわかっていた。
キャンプ3からの以上なスピード。
あれは明らかに中継ができないでいた自分への焦りだった。
僕は山から一つ学んだことがあった。
「執着をしない」それがいつのまにか夢の実現が近づくと
執着している自分がいて、最後はお化けにまで声をかけられる自分がいた。
山に負けたのではなく、己に負けていたのだった。
アンナプルナが、僕の心の灯を消そうとしたのではなく、
自分で消しかけていたのだった。
翌朝、ボロボロ状態で、椅子に座って天気予報を眺めていた。
隊員もそれを支えるシェルパも皆感じていた。僕は再び登ると。
8000m峰の山頂付近で引き返し、2度のアタックはあり得ない。
それだけ1回目と2回目の体力の回復力が違うからだ。
もしかしたら間違っているかもしれない。執着しているかもしれない。
でも僕は登りに行く。
そんな自分を越えるのはタライではなく、
アンナプルナの頂だと知っているから。
ナマステ。
22日から異例の再登山を開始します。
そして、26日には頂上アタックです。
また、CCRはありませんが、生中継も計画して、現在準備中です。
隊員もシェルパも皆やる気です。
応援宜しくお願いします。食料足りるかな?
写真1 準備中。次はスキーもCCRも持って行きません。純粋な単独・無酸素登山を再開します。おちょちょよよ
---------------------------------------------------
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<YouTube>
http://www.youtube.com/user/kurikiyama
●現在、チームクリキの隊員募集中!
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