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[27390] Souls Songs. 魂の叙事詩    試作
Name: 融電社◆324c5c3d ID:95e64f2b
Date: 2011/06/01 22:29
 
 白の土台に、黒の墨。
 
 白と黒とで描かれた、水墨画。これ以上ないほどに、単純明快な世界。
 
 つまりは、生と死。
 
 生と死で創られた世界で、呆気なく散る命。紅い色が。
 
 一つの世界に華を添え、生きる彼らの糧と成る。
 
 生きる者。死する者。されど世界は動き続ける。
 
 あるいは未来。
 
 あるいは過去。
 
 此処ではない、何処か。何時かも解らぬ異境の世界で、生きる者。
 
 道なき道を往く者達は剣を手に、魔物が巣食う秘境へと。
 
 彼等を突き動かすものとは、何が。在るのか。
 
 群青に染まる空の先。何が、見えるのか。
 
 命を賭して、成し遂げる。何がそこに在るのか。
 
 彼等が歩みを止めることなど無い。人が、人で在るが故に。
 
 その先に在るものとは何なのか。
 
 見てみたい。
 
 此処ではない、何処かを。
 
 



[27390] 風と狩人
Name: 融電社◆324c5c3d ID:95e64f2b
Date: 2011/06/01 22:30
 
 闇の中の一輪の花。
 白き花弁が咲き誇り。何物にも邪魔されぬ佇まいが、祈りを捧げる司女の様を思わせた。
 何故そこに咲くのか、何故咲くのだろうか。
 花に訊いてみない事には。解らない。
 
 ゆらり、と。
 
 風もなく、花は頭を揺らす。待ち人を厭うかの様に。
 光はなく、道もない。獣すら通りはしないのに。誰が為に待つのか、白の花。
 木々のざわめきが響きあい溶け合い、消えゆく傍ら、不意に、舞い踊る一陣の風。
 いや、風ではない。人だ。
 
 暗き宙より、白き指先が現れ白光振りまく若花を、月光の如く連れ去った。頭巾に囲われた盗人は暗闇を恐れることもなく、纏わりつく靄雨を切り裂き、駆ける。
 悪戯に若草を踏まず、避けつつ確かな足取りが細かな砂利を捉え、踏み出される一歩。
 
 舟が大波を制するように草木を飛び越え、大地にしっかと食い込ませ、靴回りを薄い鉄板で覆った革靴が主の手助けとなり。小柄な身体を、前へ前へ存分に押し上げる。鼓動は高鳴り、耳元で喧しく鳴りつづける風切り音は血潮の沸き立つ、風の声。
 そんな事などつゆ知らず。腰の皮帯に付けられた剣鉈が、古代金属特有の澄みきる音色を響かせて、催促してきた刃毀れしちまうよ、と。いざとなったら折れてやる、と。拗ねているようであった。
 銘は無く頑丈で使いやすい。代々受け継がれた歴史が片刃の刀身に刻まれていると私は信じている。
 
 左手に持ちたる長弓は手入れが念入りに施され。豆油で煮詰めらた麻紐が使われ強靭さとしなやかさを備えた弓弦は唄うことなく、主の命を待っている。相方の矢籠を忘れてはいけない。二人で一つの武器なのだから。
 暗色の長い外套を羽織った華奢な背中が定位置の、背嚢に括られたカップに小鬼避け鈴と、携帯鍋が音程の外れた合唱を始めた。聞きなれた音調ではあるのだけど調子っぱずれ歌は、聞くものに僅かな揺らぎを産みだし。僅かながらに走りを鈍らせる、が。
 止まってはいけない、止まってはならない。
 孤独に振り向く事も、闇に恐れる事も、後回しに。走り続けるべきだと判断した。
 唯歩く事ですら躊躇する闇の中を盗人は駆けていく、
 背丈の低い藪に覆われた先から聞こえる、せせらぎと水の香り、小川か。
 刹那の逡巡さらに速度を増して駆けだした。巻き上がる胞子を吸い込まぬ様に口元を押さえつつも、眼差しは行く手を見据えて絞られた。
 息を吐き、止め。心を静め。
 川岸に脚を踏み出し、右足全体を発条にして、しなやかな脚に力を溜める。
 
 飛び越える力を。
 
 突き進む心を糧にして。
 
 その脚は風雲の如く。
 
 麗しの流れに別れを告げた。
 
 双子月が昇りつめても緑の天蓋に覆われた森には朧げな光しか射すことがない。
 未だに暗く、視界に燻る僅かな月明かりを集めようと、頭巾に覆われた眼を見開いた。情熱に彩られた赤い瞳、未来を見通し刃の切っ先にも似た眼差しが、鋭くも光を宿し先を見据える。
 
 夜目の利く双眼に映り出される、深緑の情景に、息すら止まり。
 
 肥沃な大地に根を張り巡らせ、陽の光を得る為に非効率とも思える程に巨大化した幹。夜空を隠す樹葉の囁きが耳に残り、見上げる程に大きく、鋼の硬度を持つ樹皮に苔や寄生樹を身に宿した老木。神代の時代から在り続ける寡黙な巨人達がいつ果てるも解らぬ時間を生きて往く。
 此処には長大な命が息を潜めている、腐葉土の下に、幹の中に、川底に、私の中に。彼等は在る。どこにでも。
 肺を満たす太古の空気は冷たく、濃い夜気を孕んで身体の熱を掠め取って行く。懐に忍ばせた暖炉石が無ければ駆け廻る事はできないだろう、貴重な品であるから、大事にしなければ。
 自然に依って剪定された神の庭に。私は、いまさらだが。足を踏み入れているのだと実感した。
 
 乱れた呼吸を戻し辺りに散らばる小石を避けつつも、健脚に陰りはみえない。
 
 水苔に覆われた岩や、悪食で大食漢の大白蟻に倒された倒木がちらほらと見える。自然の理に負けた敗者。私は無残な死に様だと思った。徐々に身体を削られ時間を掛けて殺されていく、人間がそんな事をされたら発狂するのが普通だが。
 彼等は叫ぶこともできずに、刻々と死にゆくのだ。
 無駄な死などない、清廉な生など存在しない。師匠から一番最初に教わった事である。
 
 駆ける、駆ける、駆ける。風の如く。
 
 朽ちた樹木は土を豊かにし、次の世代を迎える土台となり。城塞を攻め落とした白蟻が数を増やせば。それらを喰らう鳥や獣の餓えを満たす、子を産み育ち、そして闘い。死が訪れ土に還る。
 
 人も、木も、水も、土も、火も、風も。
 
 巡り、廻り、循環する世界。
 
 死が、必然なのだと。生が、偶然なのだと。
 
 生が、死を紡ぎ。死が、生を繋ぐ。
 
 全てが等しく、還るのだと。
 
 そう言って。優しく広い掌で、私の頭を撫でてくれたのを今でも覚えている。
 両の手を広げて十抱え程太い古代樹が、幾本も連なり行く手を阻むが。私は、するりするりと足元を駆けて行く。
 彼等から見れば私は鼠のような存在なのだろう、ならば精々邪魔にならぬ様にしなければ。
 森に喰われてしまう。
 
 背後から迫る狂暴な影に臆することなく。風は駆け抜ける。
 
 私も世界の一部。弱肉強食の世界からは逃げられない。だけども。死ぬなんて、ごめんさね。
 額に汗が滲み出でて、前髪が張り付くが拭う余裕はない。夜の森を駆け続け、喉が渇く。熱い呼気が吐き出され、虚空へと霞んで消えた。
 
 闇夜を切り裂く、高周域の奇声が轟く。人間の獣の部分を揺さぶり畏れを生みだす恐声。恐らくは魔物、しかもとんでもない大物だ。
 幾度も頭に反響する音域に、眉をしかめた。確かに私は「彼」の縄張りを侵した訳で追われる理由は在るのだが。ここまでしつこく追って来るとは、何とも真面目な事だ。
 夜の森を走り続けるのは存外、多くの体力を消耗する。山や森に通じたこの身としても中々慣れるものではない。
 しからば、さっさと逃げ切るのみだ。
 視界からは次々と木々が現れては消えていき、そして。穏やかな下り坂となった先に見える、倒木。
 老いと風雨に引導を渡して永い命を終わらせ、その巨体を横たえている。樹は途轍もない長寿だが不死という訳ではないのだから。当然か。身の丈に換算すれば、大人六人分程だろう、だが。
 
 風にそんなものは障害とは成りえない。
 右手の指に挟まれた白花を、柔らかな唇から除かせた鋭い犬歯が噛み、千切る。花粉と甘みのある汁が頬を伝い、煌めく滴となって消えた。
 「何か」を犠牲にする事で、得られる。超常の技。幻素の理を理解し、循環させ増幅する。
 
 木々がざわめく、葉を揺らし枝は身震いし、神の息吹は森を駆ける、唯々一点を目指して華奢な躰に纏わり還流する風衣。
 新鮮な空気が鼻腔をくすぐる、深土とほんの僅かな潮の香り。
 視ることのできない細腕が灰色の頭巾を獲っていった。
 
 銀。一見すればそう表現に得ない、流麗な白銀の髪が宙に靡き自由を謳歌する。森人特有の白磁色の肌は程よく焼け、高名な硝子職人であろうとも造り上げられない炎の瞳が、引き締まった面構えに良く映える。
 その双眸の先に道などないが、人が通ればそこは道となる。目前に迫る木壁に迫るが止まる気配は微塵もなく、更なる加速と風の加護を受けた躰は。
 風に乗り。飛燕の如く。宙を舞い。
 
 
 しゃん。
 
 
 着地と同時に鬼鈴は心地良い音色を響かせて。跳躍の成功を祝った。
 やけに躰が熱く感じられ、それは恐怖から逃げ延びた安堵からか、それともまだまだ走り足りないと催促する躰の所為だろうか。私としてはもう本隊へ合流をしたいのだが。
 もう一走りで完全に逃げ切れるだろうと吐息を漏らし、息を吸う、新鮮な大気が全身に巡り、寒さに震えた躰に一時の安息を与える。
 なんとかなった………そう思いった時だ。
 
 巨大な質量を持ち、途轍もなく大きな何かが巨木へと激突し、安心した私の心と、倒木とを爆散せしめた。
 飛び散る木片に視界が遮られ、細かな塵が降り注ぎ、森に木霊する。
 原始の恐怖に気圧されて小柄な躰を震わせ、一歩、二歩と後ずさりさせた。
 朧げな影はささやかな光を受けその巨躯を現しはじめる。
 
 魔物。古来よりの生物――鳥。獣。魚。蟲。人。――とある理由に因り巨大化、知能の増強を果たし進化した生命体の総称。 広範な縄張りを持ち、性質は狂暴そのもの、他種と共存を望まない独立種。
 自らの領域に踏み込む者に対する王侯の如き寛容な御心を期待するのは無駄と言ってよいだろう。おまけに人喰いときているのだから、始末に負えない。
 テラテラと黒光りする堅牢極まる重装甲冑の如き外骨格。自身の加重を支え、足場の悪い森林での移動を可能とし、柔軟な内部筋肉構造を有する歩脚。草刈鎌を思わせる二本の鍵爪。大気中の幻素を吸収し、循環させる大容量の呼吸機構。
 あらゆる食物を咀嚼し噛み砕く、大咢は左右に開かれ。脂の乗った夜食を催促しているのか硬質な双刃を打ち鳴らしている。黒曜石を思わせる牙には今しがた獲物を仕留めたのだろう血脂が滴り、栗色の髪が一房。纏わり付いていた。
 大硬蟲、人はそう呼ぶ。恐怖と畏怖をこめて。
 
 犠牲者がまた一人、増えた。悲しむ暇はない。彼か――もしくは彼女――は死ぬ事を覚悟でこの森に踏み込んだのだから。
 震える躰に何かが囁く、生きろと。
 言われなくとも、そうするさね。
 恐怖を服従させ、理性の鎖で手綱を引きながら暴れる本能を御して。外套を翻し。
 とん、一駆けで、彼我の距離を突き放す、生憎だが不細工な輩に喰わせるには、私の躰は高すぎる。
 彼奴は倒木に風穴を開けたはいいが巨大な腹が仕えて身動きが取れないらしく、運が悪い。所詮は図体のでかい蟲だ。
 頭の方は少々足りないと見える。
 
 今夜の夜食は、御預けと言う訳だ。精々、足掻いてくれ。
 倒木に囚われた巨蟲を尻目に女は駆けて行き、やがて見えなくなった。
 
 後に残るは、蟲と闇。沈黙する森だけがそこに在る。
 彼らは受け入れるだけだ、生も死も、全て。
 母の懐の様に。
 
 
 
 



[27390] 剣は鳴く
Name: 融電社◆324c5c3d ID:95e64f2b
Date: 2011/06/01 21:01
 
 もはや剣を振るう事は出来ず、処刑を待つ罪人の如く、膝を突き頭を垂れるしか俺にはできなかった。
 
 肌の様に馴染んだ鎧も、全身を覆う重石となり、立つ事も叶わず、荒く重い息を、吐き出した。
 
 高い湿度を誇る侵食森が、私の墓標となるのだろうかと、今さらに思う。
 
 鷹の爪が獲物を捕らえ逃がさぬ様に、私の右手は剣を握り絞め続けた。手を放したら二度と掴む事はないだろうと確信した。
 
 刃傷の開きかけた脇腹が酷く痛み、そこから命の流水がひたひたと滴り落ちていく。
 
 紅き血潮は、緩やかな小川となり、戦士の背後に向かい流れゆく。大きく口を開けた縦穴へと向かって。
 
 崖に生えたか細い小枝を伝い、溜り溜まった血液を支えきれずに、水滴は墜ちていく。
 
 真円を描き、艶やかな岩肌を覗かせた。膨大な時間と水という名の名工が彫り上げた虚ろい穴へ向かって。
 
 地下深くを流れる本流と混ざり合い溶けていった。
 
 後ずされば死。時が経てば何れ、死ぬ。
 
 多くの仲間が死んだ。傭兵に殺された。化物の如く、強く荒々しい。人ならざる、人。
 
 あいつは本当に人間なのか………。
 
 圧倒的に、強い。他に思いつく表現が見つからない。
 
 何故、俺たちを襲う。
 
 俺達が囮にならなければ。もっと死んでいたことだろう。さらに多くの犠牲が出ただろう。
 
 生き残れただろうか、彼等は。
 
 生きてくれ。
 
 血が足らない、視界がぼやけ、考える事すら億劫になってきた。
 
 影が陰る。
 
 俺の首を狙う、傭兵。黒の脚甲が視界に映り込み、彼か彼女か、判別はできないが。この状態でも解る事がある。
 
 一つは、剣の間合いに俺がいるという事。
 
 一つは、俺が死ぬという事。
 
 敗者を見下ろす、黒の剣士。何もせず、何も語らず、唯々黙す。表を上げられず顔の判別はつかない。
 
 だが視る事はできない。剣士の剣技は、普通じゃない。
 
 俺は、生きなければならない。
 
 友の為に.。
 
 誇りの為に。
 
 俺は。
 
 選ばなければならない。
 
 生きる。生きて闘う。立てなくとも、起つ。
 
 剣を杖代わりに、死にかけの躰を動かす。脇腹が痛む。命が溢れる。生に、歩みを進める。
 
 鼻を突く、鉄の匂い。迫る死の匂い。
 
 顔前に剣が突き出された。赤々とした、仲間の躰を巡っていたであろう血を、存分に浴びた鋼鉄の剣。
 槍の穂先を思わせる刀身は分厚く、宙舞う風さえ切る、鋭利な刃。
 二メルテルに達する冗談じみた、巨大な剣だ。
 
「答えよ」
 
「探索隊の合流地は何処だ? 護衛ならば知っておるのだろう」
 
 返答したならば、安らかな死。断れば、待ち受けるものは、やはり死だ。
 
「…………それに、馬鹿正直に答えると思うのかい………傭兵さんよ」
 
 混濁する意識のなかで、声を吐く。少しでも注意を向けさせねば、
 時間を稼ぐ、一刻でも多く、僅かでも。一人でも多く生かす為に。この傭兵は剣では勝てない。
 
「そう、願いたいものだ」
 
 傭兵は淡々と言葉を綴る。怒りも苛立ちも感じられない、この男を殺したとて情報を得る手段は残されている。唯、手間と時間を節約する為の、単なる酔狂だ。
 居場所を言えば、良し。言わずとも、生き残りを探し、聞き出す。
 
「お前が殺した仲間は、良い奴等だった」
 
「…………」
 
 脚を引き摺りつつ、一歩前へ。男が歩みを進める。
 
「ノート・ラングス。元教会守護一等騎士。大酒のみで良く俺にからんで、早く嫁を見つけろだの余計な世話を焼いてくれたもんだ。親父に少しだけ似ていたな」
 
 さらに前へ。血が溢れ、草地を赤く、赤く染め上げる。
 なにを、話しているんだ俺は。
 
「エミラ・カーラント。一流冒険者。斧を使わせれば王仕えの近衛兵だろうが勝てる奴はいなかった。喧嘩っ早くて気が強い、これと決めたものは意地でも突き通す、いい女だ……あんな女は滅多にいるもんじゃない」
 
 躰が軋む、折れた肋骨が肺へと刺さり。それは唇を濡らす吐血となった。
 死ぬ前ってのはこんなに静かなのか、自分の心臓の音だけがやけに大きく響く。
 
「ホーク・エミリアン。探検家。小さい躰の割にとんでもない馬鹿力で良く剣を圧し折ってたな……試しに武器を変えてみろと言って、俺が冗談ででかい戦鎚を選んでやったら、予想外に上手く扱ってたな」
 
 痛てぇな、畜生。
 
「シン・ローハン。凄腕の猟師で無口な奴だった………何を考えてるのか解らない」
 
 俺だけ、生き残って。あいつらに顔向けができるのか、俺は。
 
「仲間を殺されて、俺は逃げる訳にはいかないんだよ糞野郎」
 
 傭兵を見上げる。覚悟を決めた。男の顔。
 
「だから―――言えん」
 
 瞬間。
 無造作に突き出された剣先は、鎖帷子とを組み合した鎧を容易く突き通した。
 元々、鞘に収まる様に定められていたかのように入り込み。右肩から食い込み心の臓を断ち切った剣の感触は酷く冷たいものであり。もはや痛みを感じることはなく、傷口から溢れ出る血はが鎧を伝い、草地を赤に染め上げる。命の色は、唯々紅く熱い。
 
 息が詰まる。肉体を縦断した刀身は、高い強度と靱性を誇る青鋼鎧を難なく両断し、致命傷を与えもはや、生きることはできない。心は死んではいないが。躰が朽ちれば、魂もまた消失する。
 後に残るは、魂の器であった肉体だけだが。それもまた土に還るのだ。
 まるで、何もなかったかのように消え去る。真理。
 
「それが、答えか」
 
 傭兵の声は剣士の耳へと確かに聞こえてはいる。耳を傾ける余裕がないだけで。
 剣自体の重みが加わり、さらに邁進すべく鋼剣は戦士の躰を横断しつつあった。いまだ意識があるようで、剣を引き抜こうと手を刀身でを掴み、さらに血を剣に捧げた。
 己の血で滑る。滑る。滑る。剣は進む。躰の奥へ。奥へ。奥へと、突き進む。
 もう生きられはしないのに。死を受け入れぬ往生際の悪さは、若さゆえか。未来を断ち斬られても、現実にしがみ付く。
 無駄な、努力。
 
「逃げろ………エ…リザ…」
 
 黒衣が翻り頑強な脚甲に包まれた足で死に体となった若者を蹴り降す。青鋼製の鎧は大抵の剣や、弩の矢じりすら通しはしないが。狂暴な力の前では主を守るに役不足であった。
 剣に沿って致命的な量の血液を流しつつ、血飛沫舞う。緩やかな時間の中で死の感触を確かめ、血に濡れた剣は滑りが良いのか。それとも剣士の脚力が尋常ではないのか、それほど抵抗も無く。宙へと身を躍らせた。
 戦士は闇を湛える縦穴へと、音もなく呑まれて消えた。
 
 剣士は佇み、右手に握られた鋼鉄の巨剣を見入っていた。
 図太く、重く頑強な肉厚の両刃。人の背丈程も長く、常人には持ち上げることすらできないであろう、剣。
 その剣は大量の血脂で塗れ、数多の人間を屠ったであろうそれを振るうとは。剣士の膂力は並の者ではないと、容易に想像が付いた。
 不意に。
 剣を振るい、易々と肩へと担ぐ、片手で。肩当と剣の刃が、がちんと歪な音を立てる。
 その剣士は黒く、そして緋くもあった。
 黒い一本角の飾りの付いた面兜で覆われた顔は、男か女か判別が付かず、どちらともにも見える。
 長身の体躯に纏われた波状に凹凸の付いた胸部鎧は実用性に満ち、飾りの類は一切ない。腰に取り付けられ、黒い飾り布は下半身を蔽い。容易に足捌きを気取られぬ様に工夫がされていた。膝下に付けられた脚甲もこれまた黒く。光を弾かぬそれは、影というよりも闇を連想させ,まさに黒い剣士と呼ばざるを得ないのだが、黒に覆われぬ部位が存在した。
 
 左腕だ。
 右腕に比べてみても、長く、太く、歪で。隆起した筋肉は光沢を帯び。薄明りを受けて鈍く輝く、緋色の腕。躰からはみ出た異物。それは本当に腕なのだろうか。硝子とも、金属ともとれる質感と光沢を持ち。実に不気味だ。 
 大きな掌に備えられた五本指もまた紅く、極太の爪が砥がれ。それが唯の飾りではないことが窺い知れる。
 
 異形の剣士は、溜息混じりの呼気を吐き出した。殺戮の余韻に浸る気分ではないのだから。
 契約は続行しなければならん。
 生き残りがいる。
 探し。始末する。
 今しがたに戦士が消えた穴を見下ろす。
 水の爆音と霧状になった滴の所為で、水面は顔を表さずその素顔は全く見えない。
 白み始めた緑平線から太陽が顔を覗かせ、薄闇に隠された大地は生命に満ちた躰を温めつつあった。
 巨大で偉大な森だ。ここを開拓しようとする人間の熱意と強欲には舌を巻く。魔物も蟲にすらものともせず、命を懸けて成し遂げようとする人の心。先の時代から変わらぬ「人」の本質は今も生き続けている。
 人が死するとも、日は上り。日は沈む。幾年変わらぬ光景が眼前に映る。その光景を見ることができるのは生ある者のみ。死者がそれを見ることはない。
 左腕を顔へ、面兜をなぞるように、撫でる。一筋の傷がついていた。真新しい傷だ。鎧の各所にも細かな太刀傷が目立つが。 その傷だけは、どの傷よりも深く、鋭い。面兜が防がなければ致命傷になりうるであろう、傷。
 惜しい腕だ。竜騎兵にも匹敵するであろう渾身の一撃は、だが。我に届くことはなかった。
 後数年すれば中々の手練れに成長していたであろう。
 もはや彼と戦うことはない。
 二度と。
 
 ゆるりと振り返り。穴から背を向け。木々の合間の草地へと目を向ける。
 死体があった。
 重厚な鎧に身を包んでいたであろう中年男は、ちょうど胴体を二つに両断され息絶えていた。傍らには長年愛用した長剣が彼と同じ、二つに折られ身を沈めていた。
 十代半ばの女戦士は、片手斧を握り絞め、最期の時まで抗った形跡が見てとれた。それでも、肩口から腹にかけての裂傷はあまりにも深い。
 生前は快活な少女であったのであろう少女は、巨大な戦鎚を盾にしたのだろう幾つもの傷が鉄の塊に刻まれていた。
 それも、武器が耐えられるまでの話。限界を超えれば何ものでも壊れるように。硬鋼製の武器は主と共に眠りについた。
 天を仰ぎ見る金の髪の青年は、まるで化物でも見たかのか。驚愕の表情を張り付かせたまま、腹に風通りに良い大穴を開けて弓手は空を見ていた。青く広い、空を。
 草地に倒れる死者はそれだけではなく、累々と横たわる。肉と、血と、鉄。
 
 倒れる誰もが死者。誰もかれもが死人、彼等に共通することは、大陸でも名の知れた探索士や冒険者であることだろう。
 幾つもの遺跡を発見し、調査開拓。そして発掘された技術を用いて、新しい武器や、知識を売る。
 国家や商会の後押しを受け、高額な給金で雇われる者から、高名な戦士と師弟の間柄を経て、剣術を学ぶ者。食い詰めた盗賊がその日の飯にありつく為に、仕方なく。等々理由は多々ある。
 無論、危険も多い。
 生半可な覚悟と技量では半年と言わず三日で死に至ると言われ、武勇に優れ、鋭敏な感覚をそなえた優れたな人間だけが本物の冒険者となる。その過程で、選り分けられる冒険者が魔物の餌食となり、人の味を覚えた魔物は冒険者を好んで喰らうのだと。そして森には彼等の骨が眠る。
 森は寛大だ。全てを受け入れ、飲み込む。
 
「次なる相手は――――何処だ」
 
 呟き。
 辺りに散らばるのは千切れた肉片だけだというのに。
 辺りには緑が生い茂るばかりで、だれもいない。だれもいないが、だれかがいる。
 何処かに。微かだが、完全に殺し切れない殺意が漂う。
 獣ならば、殺意を抱くはずもなく人影に臆し逃げ出すはずだ。素人ならば、はっきりとその出所が解る。では、この気配の持ち主とはいかなる人物なのだろう。
 
 
 傭兵の頭上から、一人の剣士が見下ろしていた。
 人は真上への意識が薄い。意識して見なければ、見ることは叶わない。奇襲に最適の位置取りである。
 太い枝を掴み躰を支え、年の頃は十七、八か。短めの赤髪を一纏めに銀の髪留めがその中で鈍く光る。樹木に溶け込む緑の外套を羽織り、軽量さと頑強さを両立させた竜鱗鎧を華奢な躰に纏わせ、猛る怒りを心の底へと閉じ込めて。
確かな意思を宿らした精悍な顔つきと、鷹を思わせる眼差しが熱き決意を宿し。彼女は見ていた。両眼に備えられた金の眼で、全ての仲間が斬り倒されるその瞬間まで。
 鉄篭手を握り絞める手の平から滲む紅い滴が、一滴、二敵。 それがどれ程の力なのかは知らないが、自分が斬り倒された方が良い―――そう考えているだろう。
 一人の傭兵からの奇襲を受け数瞬で判断できた。幾つもの危険を乗り越え手に入れた経験と、強大な魔物と闘い磨かれた判断力が答えを弾きだす。勝てない、と。
 
 誰もが、解っていた。
 
 探索隊警護班四十七名の猛者の力を合わせたとて、全く以て足りない。
 
 逃げろと、生きて本隊へと伝えろと。兄に諭され。唯一人生きている私。
 
 どう足掻いたとしても無理だと。
 
 力が。速さが。その次元が、違う。
 
「あれ」はそういうもの何だと。直感した。
 
 それでも、私は決めたんだ。
 
 闘うと。逃げない、と。
 
 あの傭兵が。全ての仲間を切り伏せ勝利の余韻に浸る―――その瞬間。
 
 最初で最後の、隙。それをものにする為に。
 
 そのために仲間を――――兄を――――見殺しにしたのだ。卑怯者の私は。
 
 だから。必ず倒すと、心に決めた。
 
 軋む枝を、突き放す。墜ちて行く躰。
 
 枝葉に当たるなど以ての外だ。そんなことすれば容易く気づかれてしまう。
 樹上に身を隠し、隙を見て私が止めを刺す。単純ではあるが、そんな小細工ではこの傭兵は倒せない。そう感じた。
 止める理由にはならない。
 やらねばならない。死が待つとも。
 この化け物を、止めねば成らない。誰かが、倒さねば成らない。
 抜き身の片手剣を右腕に握り込む。竜爪を削り出し作られ鋼鉄を遥かに超える硬度と羽の軽さを併せ持つ名剣を。指先から滲む油脂が柄に浸み込み、
 刃先を垂直に、柄を握り。柄頭を手の平で覆い固定する。刺突に特化した、剣の型。
 狙うは甲冑の隙間。頸と肩との間から刺し込む。上手くいけば致命傷となりえる。
 人は真上への警戒が薄い。意識して見なければ、見る必要がないからだ。
 エルナを代償にしたこの好機は無駄にはしない。

 渾身の一撃。喰らえ。人間一人分の体重と、樹上から飛び降りることによる重力の恩恵を受けた、一撃。鎧越しでも通用する、牙だ。ここで死んでゆけ。
 仲間と共に。
 
 切っ先が突き立ったのは鎧でも、兜でも、ましてや人肌ですらない硬音が鳴り響く。
 勝利を確信した表情が崩れる。
 目測を誤ったのか。いや外れてはいない、ではどうなったのか。
 大剣で頭上を遮り、側面を向け剣自体を盾とした。まさしく鉄壁。大振りの得物をこの傭兵は、自分の手足の如く使いこなしている。
 奇襲は失敗に終わり、されどこのままでは命が危うい。
 中空にできた数瞬だけ存在する足場、剣の横腹に降り立つ。抜群の身体能力が成せる技。
 縦穴に飛び込むのはもちろん論外、傭兵が一たび剣を振るったならば易々と墜ちる。
 故に判断は一瞬で事足りた。鉄の橋を渡るきる、たったの二歩。剣先から―――跳ぶ。
 
 地面へと到達するまでの僅かな隙が、歴戦の強者――――緋腕の傭兵にとってそれは十分な時であった。
 剣士が宙を舞う傍らに傭兵は剣を構え、黒剣を翻す。防御から攻勢に移行する刹那はあまりにも短く。巨刃が、剣士を襲う。
 天地が逆さまとなった体勢は、方向を変えるには一旦地面に降りなければいけない。だけども地面に降りるころには、胴体は両断され屍を晒すことは請け合いだ。
 避けられぬならば、受ける。単純な判断だ。まともな人間ならば死を覚悟する所だが。剣士は死を受容しない。
 剣を眼前に、正中線を貫く構え。峰を二の腕で押さえ暴虐を具現化した剣刃を、迎え撃つ。
 傭兵が完全に剣を振り斬る寸前。金と闇の視線が交わる一刹那。剣士と傭兵は相対す。
 
 打ち倒し、生き残る為に。己の剣を信ずるのみだ。
 
 鋭剣と重剣は交じり合い火花散り、宙で弾かれるは剣士の小柄な躰。
 強靭な竜爪剣は軋みをあげるも主の命を守りきったのだ。吸収しきれぬ衝撃が細腕を通し背の向こう側まで突き抜け、肺腑に重く圧し掛かる。息を整える間もなく、崩れた体勢で地面へと叩き付けられ無様に草地に転がり、二転、三転と最後の回転は自分の力を乗せて。押し留まり片膝を突き、止まる。
 生きている。
 息を吐く、息を吸う。肺へと酸素を送り込む。鮮明となった意識に映るのは緋腕の傭兵。何もせず佇む、出方を伺うかの様に。
私をのっぺらな仮面が見つめている。表情を読み取らせない為の工夫か。用心深い事だ。
 
 痺れの残る腕は動く、骨も折れてはいない。つまりは戦える。
 辺りには死力を尽くし戦いに倒れた、物言わぬ戦友達が、視界にはいるだけでも七人あまり転がっている。無念だっただろう。この程度の極地で死ぬ様な、生半な彼等ではなかった。
 その彼等を容易く肉片へと変えた大剣を、片腕で軽々と扱う膂力、奇襲を受けてなお反応しあまつさえ反撃に討ってでる闘争心の高さ。並みの腕ではない。
 だが、もっと奇妙なのは歪な左腕だ。大柄な体躯と比較してもあまりにも大きく凶悪だ。
 気を付けなければ。
 剣の間合い、体格、重量、装備。どれをとってみても私に不利だ。あの大剣を掻い潜り剣を突き立てねばならない。
 腰の重心を僅かに落とし、いつでも駆けるれる様に。きしり……篭手に握り込まれた柄が鳴いた。
 
 
 軽業師か。いや、違う。
 人の子とは思えぬ身の軽さと、類稀な剣術。そして戦いに身を置く者の眼が。戦士だと雄弁に語っている。
 気配が、佇まいが、違う。本物の強者だ。
 息を殺し、気配を殺し、輩を見捨て。感情を殺し切った冷徹な判断力がそれを物語る。
 久しく見ない手練れだな。
 仮面の内側で、弧を描く口元。それは歓喜だろうか、それとも………。
 
 
 


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