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[27333] ぽじてぃぶ☆トムヤン君!(魔法少女まどか☆マギカ オリ主 オリジナル設定在り)
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/01 21:28

この物語は、魔法少女のおともが暮らす世界からやってきた一匹のおとも見習いと、
どこにでもいるような普通の少女が、まどか☆マギカ世界で繰り広げる、
愛と勇気と熱血の物語である。



皆さん始めまして。

今回、まどマギSSを投稿させていただきます、犬太と申します。

この作品は「一応」まどか☆マギカのSSとなっています。
しかし、切り口が異色なので抵抗感が出る方もあると思いますので、大幅な改定が苦手な方は読まないほうが得策でしょう。
小説のコンセプトは「対QB」と「まどか☆マギカ世界の破壊」。これがどういう意味であるのかは、最終話まで読んでいただけると分るはずです。


ちなみにこの作品、pixivで掲載してあるものをこちらに再掲載したものですので知っておられる方はあしからず。

願わくばこの作品があなたのちょっとした楽しみになりますよう。

###追加注意###

この作品はまどマギ作品をプラットフォームにした作品です。ぶっちゃけて言えば作者が激しく好き勝手しております。

鹿目まどかや暁美ほむらといった主役たちもきちんと登場しますが、改変や独自解釈が満載です。

ので、そう言うものが受け付けられないと言う方はあらかじめ「回れ右」していただけると良いかと思われます。

あらかじめご了承ください。


#追記2

読者の方から「別の作品を腐す内容が問題である」との指摘をいただき、一話と庭の一部を改稿いたしました。
作品の進行上、まどマギの世界を改竄することになってしまいますが、それでも悪意あってのことではないですし、他の作品に対しても同じことです。
ということで、問題ありと感じた部分を削除しました。
一部の読者の方にお詫びするとともに、作品に対するご意見をいただいたことを、
ここでお礼申し上げます。


>5月25日付けて1万view突破。感謝です。



[27333] 第一話「納得行かないんだよっ」(全面改稿済み)
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/05 19:27
 そこは、ここではない何処か。人が決してたどり着くことのない世界。

 あるいは、誰もがたどり着けるのに、そこに行ったことすら覚えていない場所。

 そんなどこでもないところで語られた、小さなものがたり。

 本当は来るつもりなんて無かった。

 いくら同期で仲がよかったとはいえ、すでに一線で活躍している二人の顔を見るなんて。

 だが、どうしても好奇心には勝てなかったのだ。自分がずっと憧れてやまなかった生活を、彼らがどんな風に満喫しているのかを。

 目の前にある扉には、大きなノブから小さな取っ手まで、大小さまざまな入り口が付いている。

 トムヤンは一番小さな取っ手に手をかけて店へと入った。

 中からむっとする熱気が押し寄せてくる。薄暗い店内にはたくさんのテーブルが並び、客達が飲み物と肴を前に語り合っているのが見えた。

 ただし、そこにいるのは人間ではない。

 極彩色のしましま模様をしたサルや、ファンタジー小説に出てきそうな虫の羽を持つ妖精、輪郭の定まらないスライムみたいな存在など、

バラエティに富んだ容姿を持つ者ばかりが揃っている。

 トムヤン自身は丁度地球に存在しているトビネズミと似たような姿をしている。

 ただ、体長はモルモットほどもあり、普通のトビネズミの規格からすれば巨大といってもいいサイズだ。

「あ、トムヤン君~。ここだよー」

 扉に程近いテーブルから、自分を呼ぶ声がする。表情の読みにくいカピバラがこちらに向かって手を振って呼びかけてくる。

「君付けはやめろって言ってるだろモード、それからシャルもおっす」

 丸テーブルにはもう一人座っていた。かなりデフォルメが効いた悪魔のような姿、こちらに向かって軽く視線を投げ、それからひょいっと片手を上げた。

 素早く駆け寄るとトムヤンはカピバラの背中を駆け上がって素早くテーブルの上に着地した。

「遅かったな、なんか用事でもあったか?」

「……ここに来る前に学校に寄って来た」

「新しいおともの募集、あった?」

 無言でテーブルに着くこちらの様子に、二人は顔を見合わせて苦笑した。

「ま、まぁ、とりあえず飲めよ、な?」

「そうだよぉ。まだ可能性はあると思うよ」

「下手な慰めはよしてくれ……」

 うめき声を上げつつ、テーブルに突っ伏すトビネズミ。体毛は金に近い茶色で、今は全身を襲うがっかり感のためにすっかりしおれていた。

「並行世界のあちこちで、魔法少女のおとも募集は自粛状態だってよ……」

「やっぱりあの事件のせいなの?」

「知らん、そこまでは聞けなかった」

 だが、十中八九そうだろうと、トムヤンは考えていた。自分達が属するここ、俗に『おともの世界』と呼ばれる世界を揺るがした、あの事件が原因だと。

 おともの世界、それはあらゆる並行世界の源であるとされる【諸元】にもっとも近い場所に存在する世界だ。

 あまたの心ある魂が繋がる、普遍的無意識の程近いところに存在しており、神や悪魔の住まう世界よりも人間の世界に近い。

 そのためか、彼らは容易く人間の世界に干渉することが可能であり、たくさんのおともたちがその身に帯びた使命を果たすべく、人間の世界へと旅立っていた。

 『おとも』の持つ使命、それは自分達の持つ『力』を人に貸し、世界のありようをポジティブなものに変えるというものだった。

 その力とは、魔法。

 彼らは人の持つ夢見る心や希望を信じる心を、魔法に変換する能力が備わっており、それを人間に使ってもらうことで使命を果たしてきていた。

 おともの魔法は少女に用いられるときに最も力を発揮すると言われ、いつしかおともに協力して世界を変えていく彼女達を『魔法少女』と呼ぶようになっていた。

 彼女達の活動は多岐に渡っていた。世界や町の平和維持活動が主たるものだが、時には特定のアイテムの収集、

異世界間の交流を補助するなど、魔法少女とおともの活動は確実に世界の方向性を明るいものに導く役に立っていた。

 だが、その活動に大きな影を落とす事件が起こった。

 魔法少女のおともとしてある送り込まれた一匹が強引で悪質な勧誘を行い、契約した少女の命をエネルギー結晶に変換して吸収、逃亡するというものだった。

 件のおともは『魔法少女になる代わりに願いを一つかなえる』という条件で契約を迫った。

 だが、契約した魔法少女の悩みを願いは中途半端にしか解消されず、その感情が絶望に堕ちることにより『魔女』と呼ばれる最悪な存在へ変化するという仕組みまで仕込んでいたのだ。

 魔法少女はいつかは魔女になり、別の魔法少女に狩られる。そして、その魔法少女も新たな魔女となるのだ。

そんな悪魔的マッチポンプにより、たくさんの少女達が犠牲になったらしい。

 魔女となった魔法少女の魂はグリーフシードと呼ばれるエネルギー結晶になっており、そのおともはそれを回収する目的で動いていたらしい。

 現在のところ、そのおとも――インキュベーターと呼ばれる――は行方をくらましており、上層部でも事件の対策に苦慮しているという。

「納得行かないんだよっ、くそぉ」

 手にしたカップに注がれた液体をぐっとあおって、トムヤンは何度目かの愚痴を漏らしていた。

「確かに、あいつのしたことは絶対に許せないと思うけどさぁ。なんで俺の派遣先までなくなっちまうんだよぉ」

「しょうがないだろ。あんなものを見せられたら、新しいおともを自分の世界に引き込みたいなんて考えないだろうさ」

「どこのバカだー! あんな事件にほいほいリンクした奴はーっ!」

 パクチーの香り芬々のトムヤンクンスープを再び呷り、トビネズミが絶叫する。

 おとも世界の住人には、特定の飲食物で酔っ払う性質を持つものがあり、彼はその名前の由来になったスープが酩酊物質だった。

「あれじゃ、俺たちのイメージが悪くなるだろうがーっ!」

 世界にポジティブな物に変えるというおともたちの活動は、大きく分けて二つの方法が存在している。

 一つは直接問題を抱えた世界に降り立ち、魔法少女となった女の子と一緒に活動すること。

 もう一つは、自分達の活躍を『物語』という形にして、無限に広がる世界へと発信することだった。

 発信された『物語』はリンカーと呼ばれる人間の受け手によって変換され、その世界における主要なメディアに流されることになる。

 そうして人々は魔法少女(とそのおとも)達の活動を知ることで、心の癒やしやポジティブなイメージを受けて生きる力を活性化させるのだ。

 そして、そのもう一つの活動が今回の『インキュベーター事件』を大きな問題に発展させた原因になっていた。

 この事件が発生した当初、おとも世界は事件の解決と共に物語としてのリンクを凍結させる予定だった。

 だが、どういうわけか情報は数多くの世界に向けて発信され、事件を題材に取った作品が作成されることになった。

 たちの悪いことに、各並行世界で作品中の残酷描写や閉塞感のある雰囲気が受けてしまい「魔法少女の契約イコール死」というイメージが定着してしまった。

 この事態を重く見た並行世界は、ある結論を下した。

 それが、『インキュベーター事件』がある程度風化するまで、魔法少女のおとも受け入れを自粛するという措置だった。

 そして、トムヤンもその自粛によって派遣先を失ったおともの一人だった。

「せっかく、せっかく、せっかくおともになれるところだったのに……っ」

「大丈夫だって。チャンスはまた巡ってくるさ」

「そうだよぉ。僕でもちゃんとおともやってられるんだからさ」

 何気ない調子で漏らしたモードの呟きに、トムヤンの耳がぴくりと動いた。

「ほんとか? パートナーの子に迷惑掛けてないか?」

「ほんとだよぉ。ショウコちゃん優しいし、僕とも仲良しだよぉ」

「なんだ、早速パートナー自慢かよ」

 それまで聞き役に回っていたシャルがずいっと身を乗り出してくる。こちらの興味有り気な視線に押されたのか、カピバラは荷物の中からごそごそと写真を取り出してきた。

「この子がショウコちゃんだよー」

「お、メガネっ子か。なんかドン臭そうな顔してんなぁ」

「失礼なこと言うなバカ! ……てか、ほんと優しそうな子だなぁ」

 大きなカピバラを抱いてクッションに座っているのは、小学四年生ぐらいの女の子。

 ポニーテールに結った髪の毛と、縁の太めなメガネが似合っていて、優しげな笑みを浮かべている。

 反対に、抱かれているモードのほうは緊張気味で、首に巻かれているピンクのリボンがかなり浮いている感じだ。

「お前、緊張してガチガチじゃねーか、それにリボンが全然似合ってねー!」

「……これ、女の子から貰ったのか?」

「うん! ショウコちゃんってお裁縫得意なんだってさー。それで、今度僕に服とか作ってくれるって約束してくれたんだよぉ」

 喜色満面に語るカピバラに小悪魔が馬鹿にしたように鼻白んだ。

「おーおー、愛されてるねぇ。でも、俺達はおともなんだぜ? 愛されるより仕えることを優先させないとな」

「そういうシャルはどうなんだ? パートナーの子とは」

「良くぞ聞いてくれました! とりあえずこれを見てくれよ」

 取り出されたのはパートナーの写真。そこには長い金髪を縦ロール横ロール、さらには斜めロールにさせ、派手なドレスを身に付けた少女が映っていた。

「え、なに? これから紅白にでも出るの、この子?」

「うちのお姫様、天王寺ジュリエッタだ。ホントはもうちょっと長ったらしい名前なんだけど、めんどくさいんで以下略」

「わー、怖そうな女の子~」

 写真の少女は年齢にそぐわない不敵な笑顔を浮かべこちらを見つめている。ふと、トムヤンは彼女の、文字通り『足元』に敷かれた妙なマットレスに気が付いた。

「こ、これ、お前踏まれてるじゃねーか!」

「あれ!? あ、馬鹿見るな! その写真は違っ!」

「あははは、うん、なるほどな! バッチリ仕えてるのが良く分るぜ!」

「きびしいおともの現実ってやつだねぇ……」

 大急ぎで写真をひったくると、咳払いを一つするシャル。それでもこちらのニヤニヤが止まらないのを見て声を荒げた。

「勘違いするなよ!? そりゃジュリはおとも使いは荒いし、なにかっていうと俺に八つ当たりするし、わがままだし、かんしゃく持ちだけどさ」

「典型的なわがままお嬢様だな」

「でも、寂しがり屋で、友達思いで、頭もいいし、人の機微もちゃんと読めるし、自分の意見もしっかり言えるいい子なんだぞ?」

「そしてお前は彼女にベタぼれと」

「当たり前だろ! でなきゃあんなわがまま娘に付き合えるかっての!」

 モードとシャルのパートナーは、それぞれ性格もおともに対する扱いや態度も全く対照的だ。

 それでも、しっかりとパートナーシップを築き、自分の使命を全うしている。

 お互いのパートナーのことを肴に盛り上がる二人を眺めながら、トムヤンは聞こえないよう、カップの内側に本音をこぼした。

「うらやましいぞ、お前ら」



[27333] 第二話「『大切なもの』ってなんだと思う?」(全面改稿済み)
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/05 19:40
 おともの世界には、魔法少女となるべき彼らの育成と、人間社会での常識を教える学校が存在する。
 
 この学校の存在によって、世界に派遣されるおとものクオリティが上がり、それがより良い魔法少女を生み出す結果になっていた。

 ただ、そうした信頼も今回の一件で大きく揺らいでしまった。世界からお供の派遣を要求する声は減少し、トムヤンの行くはずだった世界も門戸を閉ざしてしまった。

 それでもわずかな希望を求め、彼は学校にある『派遣部』へと足を運んでいた。

『ないね。新規募集は全然無い』

 のっぺりとした白い仮面と手袋だけの受付係は、これ以上無いそっけなさで事実だけを告げた。

「そうですか……」

『君にとっては残念な結果だが、先輩達の中にもこんな苦渋を味わったものがたくさんいる。気に病まないことだ』

「例の事件は、どうなりました?」

『それは君が知る必要の無いことだよ。我々も全力を尽くして事態の収拾に当たっているから、心配しないように』

 なんて事務的な回答、そんな思いを込めて深々とため息をつく。ぽわぽわとした胸毛が揺れて小さな体が一層縮こまって見えた。

『新しい募集が掛かったら連絡をするから、おとなしく待機していたまえ』

「はい。……ありがとうございます」

 暗い顔のまま、トムヤンは受付を後にした。そういえば、自分は毎日ここへ足を運んでいるが、他の選に漏れたおともたちの姿はほとんど見たことが無い。

 おそらく自分の家でおとなしくしているか、なにか気晴らしでもしているんだろう。

 そして、行くべき場所のあるおともたちはみな、契約した少女のところにいるはずだ。

(俺と契約するはずだった女の子って、どんな子だったんだろうな)

 派遣が決まっても、おともは自分の契約するべき少女の顔を知らされることはほとんど無い。

 予断を持たず相手と付き合えるようにする措置であり、万が一今回のような派遣中止の事態になっても、おともに心理的な傷を与えないための予防策だ。

 だが、トムヤンにしてみればそんな思いやりなど、どうでもでもいいことだった。

「三年待ったのになぁ」

 おともがこの学校を卒業して、最初の年で派遣先を勝ち取るケースは高くない。

 人気のある猫タイプや珍しい形状をしたおともなら運良く卒業後即、魔法少女のおともとして活躍できることもあるが、大抵は一年から二年は待つことになる。

 モードとシャルは三年目の今年にようやく派遣先が決まり、自分もそれから二ヶ月遅れる形でおともとして活躍できる世界を紹介されることになっていたのだ。

「はぁ……」

「ため息をつくと幸せが逃げるわよ? トムヤン君」

「え!? あ……こ、こんにちは」

 声を掛けてきたのは学校でも古参の教師の一人、額に黄色い三日月のマークが印象的な黒猫型の元おともだった。

「今回は気の毒だったわね」

「いえ……。それより、先生こそ大分疲れてるみたいですけど、大丈夫ですか?」

「そうねぇ。私も長いことおともの世界に身を置いているけど、今回のことは正直かなり堪えたわ」

 おとも学校の教師陣は、今回の一件で内外からかなりの突き上げを食らっている。

 将来に不安を訴える生徒や卒業しても行く先のない卒業生のフォローに追われ、彼女もかなり疲れた雰囲気を漂わせていた。

「それでも、なるようにしかならないんだし、私は私なりにがんばっていくだけよ」

「例のおともは捕まったんですか?」

「ごめんなさい。そのことはまだ言えないの。いずれ正式な発表があるから、ね?」

 そんなことより、そう言って彼女は口調を明るいものに改めた。

「トムヤン君、戦闘美少女の枠に来るつもりは無い?」

「先生はもともとそっちの枠でしたね」

「そうよ。といっても、まだそういう区別がはっきりしてなかったころだけど」

 彼女はあるバージョンの地球において、月と地球を治める女王のサポート役として活躍していた。

 救いようのないどじっ娘だった月の女王をサポートした苦労話は、彼女の授業を受講したものなら誰でも聞いているエピソードだ。

 だが、面白おかしく語られる体験談は、新米おともと仕えるべき少女達との信頼関係を築く重要なヒントになっていた。

「お誘いありがとうございます。でも、俺……」

「分ってるわよ。君は例の先輩が目標だものね?」

 ニヤニヤと笑う黒猫に苦笑を返す。表情からして自分のあのエピソードことはすでに知っているのだろう。

 ただ、彼女との会話でいつの間にか縮こまっていた体もしゃんと伸びていた。

 こちらの様子の変化に頷くと、黒猫は前足をそっとこちらの肩に置いた。

「トムヤン君、わたし達が守るべき『大切なもの』ってなんだと思う?」

「使命とか、世界とか、契約してくれた女の子とか、でしょうか」

「……そうね。確かに学校ではそう教えるし、その答えでも正しいと思う」

「もっと別な答えがあるってことですか?」

 意味ありげな笑いを浮かべ、彼女は背中を向けた。向こうからやってくる生徒達に尻尾で軽く挨拶を送ってから、去り際にもう一度トムヤンを見やる。

「今期の卒業生でトップの成績を修めた秀才君に、最後の宿題よ。

 その答えがわかるころには、あなたはきっと立派なおともになってるわ」


 黒猫の教師と別れたトムヤンは、そのまま家には帰らずに学校の中をぶらぶら歩いていた。

 帰ってもどうせやることが無いし、テレビをつければ馬鹿みたいに例の事件を取り上げたニュース番組や特番を流しているからだ。

 とはいえ、唯一民放でアニメを放映している局も今は見る気がない。そっちはそっちで並行世界で活躍している先輩や、同期の活躍をえんえん流しているのだ。

 どちらにしたって落ち込む原因になる。

 ちなみに、例の事件を扱ったアニメは完全放送禁止となり、現在どこの局でも流すことを禁じられていた。

「大切なもの、か」

 与えられた宿題を思いながら校舎を歩く。その足は自然と資料館と呼ばれる建物の方へと向かっていた。

 魔法少女資料館、これまであらゆる世界で活躍してきた歴代の魔法少女について紹介するために造られたもので、

 展示物を順に追っていくことで彼女達とそのおともの活躍を学ぶことができるようになっていた。

 入り口に飾られている石像は、始祖とも呼ばれる魔法少女の姿をかたどっている。

 モチーフとなった栗毛の少女も、ある魔法世界の皇后となって国政に携わっているという。

 その後に続くのは、地球へやってきた魔法の国の住人達。

 奥に行くほど新しい時代のものが展示され、その間を見るとはなしに進んでいく。

 そういえば、初めのころの魔法少女にはおともという存在は全く必要とされなかったらしい。

 途中に魔法のコンパクトを持った少女と猫の姿が描かれている絵があったが、説明文には『この猫はおともではありません』という旨の注釈がつけてあった。

 時代が進むにつれて彼女達の姿は派手になり、やがておともたちの姿がはっきりと主張し始めるようになった。

 白を基調にした毛皮の二匹の猫が、一人の少女を有名なアイドルへ押し上げた功労者として解説されている。

 その近くに素肌に毛皮というものすごい格好の女の子と、ちっちゃなカッパのようなおともが三匹ついている肖像もあった。

 この時代はトムヤンもかなり気に入っていて、宿題として提出するレポートの題材として使わせてもらったことがある。

 なぜか、発表した後にクラス中から大爆笑されたが。

 やがて魔法少女に戦いと言う要素が少しづつ入り始めた時代に変わり、展示物にたくさんのアイテムが混じりこんできた。

 壮観なのは月の女王について展示されたところだ。

 身に付けたセーラー服型コスチュームのパワーアップごとの変遷、敵の浄化に使用したアイテムのレプリカが順を追って並べられており、華美な装飾とあいまって目に痛い。

 もちろん、彼女と共に戦ったメンバーの展示もあり、全ての展示の中で最大のボリュームを誇っている。

 この辺りになってくると魔法少女は何でもありで、バトルスーツどころかウェディングドレスやナース姿のものまであった。

 そんな派手な展示が続いていく中で、トムヤンは周囲とは雰囲気の違う、地味な展示エリアで足を止めた。

 展示されている衣装の量は多いが魔力が掛かっているわけではく、デザインも普通のファッションセンスの延長にあるものに過ぎない。

 ただし、意味とこだわりだけは他の展示品に引けを取ることはなかった。

 なぜなら、それはある少女が趣味と実益を兼ねて、親友の魔法少女のために一針一針縫ったものだからだ。

 星型のヘッドにかわいらしい翼をあしらった杖を持つのは、どこかの小学校の制服を身に付けた女の子。

 その傍らに、背中に小さな翼を生やした、猫ともライオンともつかないデザインのおともが付き従っていた。

「うん」

 その展示物を上から下まで十分に眺め、力強く頷く。

 過去から現在に至るまで、あらゆるおともの中で誰が好きかと問われれば、トムヤンは絶対に彼を選んでいた。

 封印の獣。太陽を象徴し、炎と大地を司る者。普段はとぼけた喋りと関西弁のお茶目さもあいまってかわいさが前面に押し出されるが、

 ひとたび真の姿を現せば白い翼と力強い四肢を持つ幻獣へと変わり、りりしさと頼りがいが光り輝くのだ。

「うっはーぁ、やっぱり先輩かっこよすぎだぁ」

 うれしさが体中を這い回ってトビネズミの体が地べたを転げ回る。

 一度、同じことを衆人環視の中でやってしまい、しばらくモードが口を利いてくれなかったことがあったりするが、そんなことは些細なことだ。

 ここに来るたびに、この展示を見てしまう。テレビに放映された彼を見てからずっと目標にしてきたのだ。

 いつかこんな風になれたらいいと。

 自分には変身の能力はないが、一緒に過ごしてくれる魔法少女のためにできる限りのサポートができるよう、

 魔法や戦闘技術、果ては小学校で習う授業の内容まで、徹底的に覚えこんできたのだ。

 だが、その努力も今はむなしく感じてしまう。

 あいつさえいなければ、今頃は――。

「いかんいかんっ。先輩の前でこんなグダグダしたこと考えてたらダメだ」

 もう一度先輩の雄姿を目に焼きつけ、軽く埃を払って立ち上がる。やっぱり落ち込んだときにはここに来るに限る。

 そんなことを再確認しながら出口に向かって歩き出そうとした時だった。

『助けて』

 その声を聞いた途端、トムヤンの全身の毛がぶわっと逆立った。

 気が付いたときには思わず走り出していた。何も考えないで、その声がした方へ。

 すでに学校の敷地内には生徒の姿はない。先輩の展示の前でずいぶん長いこと悶絶していたためだろうか。

 校舎を抜けて、裏に作られた一際大きな建物へと、息もつかずにひたすら走りぬける。

 ぴたりと閉ざされた厚い扉と、どこかの神殿を思わせる重厚な石壁。

 外部からの侵入を徹底的に拒むその造りは、見るものを物理的に圧迫するような雰囲気を漂わせていた。

 周囲には誰の姿もない。壁も扉も完全な防音を誇っているので、中から音が漏れ出すなんて普通はありえない。

 それでも、絶対に空耳なんかじゃない。そう確証していた。

 一切の干渉を拒み、そそり立つその建物は『越境の館』と呼ばれる施設だ。その名の通り、この建物はあらゆる世界とつながっている。

 卒業したおともはこの館を通り抜け、そして自分のパートナーとなるべき魔法少女の所へと向かうことになっていた。

 もちろん、今のトムヤンにここに入る資格はない。本来なら何の用事も無くここに近づくことさえ禁止されている。

『誰か、助けて』

 今度こそはっきりと聞こえた。この扉の向こうで誰かが助けを待っている。

「待ってろ! 今行くから!」

 不思議な感覚が背中を押してくる。分厚い扉に小さな掌を当てて力を込めた。

 羽のような手応えを残して扉は音も無く退き、向こう側に広がる空間をわずかに垣間見せる。

 丁度一匹分、自分が通れるだけの細いスペースを作ると、トビネズミは闇の中へと身を滑り込ませた。

 やがて、 扉は音も無く閉じた。



[27333] 第三話「あなたは、誰?」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/25 21:37
「どうして!?」
 走りっぱなしで肺も足も痛いのに、それでも香苗唯(かなえゆい)は叫ばずにはいられなかった。

 いつもと同じ学校からの帰り道。友達とさよならをして自分の家へと向かっているつもりだったのに。

 気が付けば周囲は奇妙な世界に変わってしまっていた。

 真っ白な壁にピンクや黄色の布が使われた巨大なベッド、複雑なデザインを施された豪華なクローゼットや猫足のテーブルがそこらじゅうに置かれている。

 その間を必死で走りぬける彼女の背後から、ありえないくらい馬鹿でかいものが追いすがってきていた。

 それは二つの人型。奥にいるのは、世界の背景と見間違うくらいな巨大な土偶だ。
 昔、社会科の校外授業で歴史資料館に行った時、あれと同じものを見たことがある。
 ただ、その時の土偶はあんな、絵の具のチューブをでたらめにぶちまけてペイントを施したような仮面なんてつけてなかったし、毒々しい原色のドレスも着ていない。

 ましてや耳に痛いほどの叫び声を上げて猛ダッシュ、両手にぶら下がった操り人形を振り回して、壁や部屋の調度をぶち壊しながら襲い掛かってくることはなかった。

 かなり悲惨な扱いを受けている人形は、土偶が身に付けているのと同じぐらい悪趣味で派手なドレスを着ている。

 しかも、顔に当たる部分にはキラキラ光る宝石のような塊がびっしりとついて、不気味に膨れ上がっているように感じられた。

「誰、か」

 息を切らして巨大なドアの下につけられた犬用の出入り口を開ける。その先にあるのは薄暗くなったキッチン。

 中学二年の自分ですらすっぽり入りそうな巨大なオーブンに、轟々と炎が燃え盛っている。

 背後から迫る足音に追い立てられるように目の前音大きなダイニングテーブルの下へ逃げ込む。
 
 ほぼ同時に荒々しくキッチンに入り込んだ土偶が、甲高く耳障りな声でその辺を歩き回った。

 ガチャガチャいう金属音が突然起こる。天井のように見えるテーブルの上で土偶が何かを扱い、ひどい騒音を立てる。

 時々クリーム色の液体が床まで降り注ぎ、飛散した雫が唯の服や顔を汚した。
「こ、これって……バニラ?」

 入れすぎたバニラエッセンスの香りが強烈に頭の中をしびれさせる。

 一瞬ありえない想像が浮かび、こんな状況なのに笑いがこみ上げてきそうになる。

 あんな巨大な土偶がお菓子作りをしているなんて、そんなことを考えた矢先、料理をする音が唐突に止んだ。

「あっ!」

 目の前にぬっと現れた人形。黒い紐で操られたそれは、虚ろな笑いが貼りついた、宝石まみれのあばた顔を唯に突きつけた。

「い、やっ!」

「キキキキキ」

 球体関節で連結された腕が素早く伸び、ありえない力で少女の体をがっちりと抱きしめる。

「や、やめてぇっ」

 必死に抵抗するが締め付ける力にどうする事もできない。

 上を見れば仮面の土偶も人形と同じ笑みを浮かべ、右手の泡だて器から液体を滴らせながら顔を寄せてくる。

「助けて」

 ありえないと思いながら、それでも声を上げる。

 人形と土偶がそれぞれ大きな口を開けて迫るのを凝視しながら、それでも唯は声を限りに叫んだ。

「誰か、助けて!」


 広い並行世界の地球。その片隅で命を限りに一人の少女が叫ぶ数分前、トムヤンは館の中に入り込んでいた。

 石造りの館の中には一切の間仕切りが存在しない。

 その膨大な空間を埋め尽くすように無数の燐光が浮かび上がり、空間を無限の色彩で染め上げていた。

 その輝き一つ一つは全て、無限に存在する全宇宙の姿。そして、おともが派遣されるべき土地へと繋がる門の役割を果たしている。

 青や赤、黄色、緑、あるいは紫。そんな数々の色で光り輝く世界に囲まれ、トムヤンはしばらく何をするでもなく立ち尽くしていた。

 この場所に入ったのは入学した当時のことで、その時も同じように感慨に打たれてなかなか動くことができなかった。

 周囲の情景に圧倒されたためか、飛び込んだときの情熱は消え去り、トムヤンはふと自分のしたことを振り返ってしまった。

「や、やばいよ……これ」

 今更ながら自分の無謀さにあきれ返ってしまう。いくら声が聞こえたからとはいえ、本来ここは自分がいるべき場所ではない。

 関係者に見つかりでもしたら厳罰を受けることは間違いない。

 その厳罰とは、おともとしての資格剥奪。

 魔法少女に付くおともに資格制が無く、誰でも勝手に越境して女の子を魔法少女にできる時代があった。

 だが、その行為は彼女達を危険に晒し、あの白い淫獣が引き起こした悲劇に近い惨状が生まれてしまった。

 おともには契約した魔法少女に力を与える能力がある。その能力を無制限に行使した結果、いくつもの世界がバランスを崩して消滅していったのだ。

 現在、許可無く越境したおともには罪状に合わせて資格剥奪、加えて記憶の消去や単なる動物への転生など、厳しい罰が設けられている。

 今、トムヤンがやろうとしているのは越境と許可のない世界への干渉。

 このことが知られれば即座に最も重い量刑である動物転生を受けるのは間違いない。

 そもそもここに立ち入っているというだけで、謹慎と長期にわたるおとも募集への応募禁止を受けることになるはずだ。

「お、俺は……」

 引き返してしまえ、そう囁く声がする。

 今すぐに外に出て、何も聞かなかったことにすればいい。

 いや、職員室に残っている誰かを呼んで異常に対処してもらえばいいだろう。

 そうすれば助けを求めてきた子も助かるかもしれないし、自分だって助かる。

 どうせ今は例の事件で募集が無くなっているんだ。

 おとなしくしていればすぐに謹慎だって解けるさ。

 先生だって言ってたじゃないか、おともの本分は――

「誰か、助けて!」

 声が聞こえた。

 部屋の奥で一際輝く白銀色の星から。 

「アホか俺はぁっ!」

 その瞬間、思い切り床に頭を叩きつけ、トムヤンは絶叫していた。

 あの声に応えなきゃ。そう思うと体の血が沸騰しそうなくらい熱くなる。心の中に巣食っていた闇はきれいさっぱり消えうせていた。

 あの声に応えられなきゃ、俺は大切なものを失う気がする。その決心が彼の体を激しく揺さぶる。

 そして、目覚めた心は走り出した。

 目の前に広がる新たな世界に向けて。

 それは白い流星のように見えた。

 涙で潤んだ世界の向こう、覆いかぶさる黒い絶望を切り裂いて降る、希望の明星。

 縛っていた人形が吹き飛び、一緒に唯の体がテーブルの上に投げ出される。

「大丈夫か!?」

 どこか幼さを残した声に目を開き、少女は黒い巨体を必死にさえぎろうと立ちはだかる小さな生き物を呆然と見詰めた。

「あなたは、誰?」



[27333] 第四話「そんなの絶対、嫌なんだよ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/25 21:41
 背中越しに浴びる女の子の声にくすぐったさを感じつつ、トムヤンは目の前の化物から目を放さずに叫ぶ。

「話は後だ! 早く逃げろ!」

「で、でもっ」

「いいから早く! あんな奇襲何度もできないっ」

 この異常事態でも相手の声は割りとしっかりしている。

 ここで泣き出されたりパニックになられるよりはよっぽどいい。

 さっきから土偶の方は吹き飛んだ人形を探し回ってうろうろしている。

(多分アレが魔女ってやつか)

 サイケデリック土偶ののろまな動作を観察し、少しづつ後ろに下がる。

 この奇妙な空間に入った瞬間から全身の毛が怖気に逆立っている。よりによって、という思いが背筋を這い回る。

 世界から人の命を源にしたエネルギーを吸い取る魔性【孵化器(インキュベーター)】によって手を加えられた哀れな魂の加工品。

 その正体が、悲しみと願いを胸に戦った魔法少女たちであることは、例の事件が起こった後の緊急召集で教えられていた。

 だが、情けや手加減が通じるような相手でもない。

 すでに自我は雲散霧消し、自らの願った幸せの残滓に耽溺するエネルギーの塊に過ぎないのだから。

「どうしたの?」

「どうやらあいつ、人形を探してるみたいだ。とにかくここから逃げよう」

 思いのほか自分の一撃が強かったらしい。吹き飛ばされた人形を見失って土偶は奇声を上げながら部屋をうろつきまわる。

 巨大なキッチンは物が乱雑に置かれ、テーブルの上にもボールや小麦粉の袋、牛乳パックやクッキー方などがごちゃごちゃと散乱している有様。

 整頓できていない空間から目的のものを探すのは一苦労だろう。

 改めて女の子に向き直ると、トムヤンはひょいと片手を上げた。

「俺の名前はトムヤン。君は?」

「わ、私、香苗唯」

「ユイ……うん、いい名前だ。行こう、ユイ!」

 事態の飲み込めていない彼女の先に立って走り出す。舌先に転がした彼女の名前を胸の中で反芻すると、思わず鼓動が高鳴ってくるのを感じた。

 なに考えてんだ、こんな時に。

 不謹慎だと思いながら、それでもトムヤンは言い知れない感動と興奮がこみ上げてくるのを止められなかった。


 キッチンから繋がるドアを抜け、たどり着いた先にあったのは巨大な寝室、いや子供部屋だった。

 積み重ねられたぬいぐるみ、レースのカーテン、天蓋つきのベッド、どこまでも巨大であることを除けば、ちょっといい家のお嬢様の寝室といってもいい内装だ。

「ねぇ、あれは一体なんなの?」

 短く切りそろえられたライトブラウンの髪とすらっとした体つき、背丈は多分同い年の女の子でも少し低いくらいだろうか。

 身に付けているのはどこかの学校の制服、多分中学生だ。

「あれは魔女。自分の結界を作って、時々近くを通りがかった人間を餌食にするんだ」

「ま、魔女って……あれが?」

 確かに彼女の当惑ももっともだと思う。あのデザインに対抗できる魔女と言えばどっかの死神候補生と対抗している連中だろうが、あっちは割と常識的でローブ姿を取ることが多い。

 あんな非常識なものを魔女と呼ぶのに抵抗感があるのは当然だろう。

「あんまり深く考えない方がいいよ。とにかくアレは『魔女』って呼ばれてる存在だってことさ」

「じゃあ、その、私は……」

 その先を続けることをためらい、唯がうつむく。

 今はあの化物から遠ざかっているとはいえ、いつこちらにやってくるかも分らない。そもそもここは魔女の結界、相手の胃袋の中も同然の世界だ。

「大丈夫、そのために俺が来たんだ!」

「そうなの?」

「ただ、その……俺の力だけじゃ、どうする事もできないんだけどな」

 勢い込んで来たのはいいが、自分は単なるおともに過ぎない。この状況を打破するには選択肢は一つしかないのだ。

 本当は、こんな緊急避難的なやり方はしたくなかった。少なくとも相手の女の子にちゃんと同意を取って、やりたくないと言うなら他の子にするなんて事も考えていた。

 もちろんその世界から勧められた女の子となら申し分ない。

 でも、今は――

「ユイ。お願いだ、俺と契約して、魔法少女になってくれ!」

 ぽかんとして唯はこちらを見つめた。それからちょっと間をおいて、その顔が困惑と焦りでくしゃくしゃになる。

「ちょ、ちょっと! なんで急にそんな私が!?」

「仕方が無いんだ! 俺達おともは自分だけで出来ることなんてたかが知れてる。でも魔法少女と契約すれば力を発揮できるんだ!」

「でもでも、それってあの変な魔女と戦うってことなんでしょ!?」

「そ、それは、そうだけど!」

「無理だよそんなの!」

 必死になって唯は首を横に振る。当然の反応だ、今まで普通の女の子でいたものが、急に戦いの場に出ろと言われたら、こうなるに決まっている。

 そんな姿を見ているうちに、トムヤンの心は少しずつ冷静になってきた。この子と契約するという選択肢を消し、代わりにここから逃げ出す方法を模索していく。

 考えをまとめると、唯の膝に触れて出来るだけ声に力を込めた。

「分ったよ。それじゃ、俺が何とかする」

 もしここで強引に契約を結べば、俺はあんな奴と一緒になってしまう。それだけは絶対に許せなかった。

 幸いなことに、魔女の作り出す結界は完全に空間を封印するものではない。出口を抜けてしまえば、それ以上魔女に追われる事も無くなるはずだ。

「な、何とかするって、どうするの?」

「俺がおとりになってあいつらを引きつける。その間に君は逃げろ」

「逃げるって言っても、どこへ?」

「この結界は、多分大きな家みたいになってるんだと思う。キッチンや寝室、居間があっただろ? だから」

「玄関を通ればいいんだね」

 真剣な顔で頷くと彼女はひょいっとトムヤンを摘み上げた。

「え!? ちょっとユイ!?」

「君も一緒に逃げよ!」

「ま、待てよ! 俺はあいつらを」

「おとりなんて絶対ダメ、一緒に行こう!」

 小さなネズミをぎゅっと胸に押し付けるようにして唯が走り出す。巨大なドアの下、犬の出入り口に耳をあて、向こう側の様子を覗う。

「大丈夫。まだ探し回ってるみたい」

「慎重に行こう。物音を立てないように」

「うん」

 ドアを押し開き、隙間を通り抜ける。土偶は背中を向けてオーブンの前で探し物をしているようだ。息を殺し、耳をそばだてて、抜き足差し足、少女が足を進める。

「さっきの部屋が居間だ。ってことは次の部屋に行けば玄関口に近づくはずだ」

「わかった」

 床に置かれたゴミ袋の脇をすり抜け、壁際の食器棚の前を歩いていく。一歩づつ居間へ通じるドアが近づいていく。

 だが、あと十歩というところで唯の歩みが凍りつき、身動き一つしなくなった。

「どうした?」

「ね、ねぇ、と、トムヤン君」

「君付けで呼ぶなよ。気にしてるんだから」

「み、みてっ、右、右っ!」

 泣きそうな顔になった唯の表情を不思議に思いながら、トムヤンは腕の中から首だけ出して、食器棚の下の床に面した隙間を見た。

 そこに転がっていた物を見て、思わずこっちまで泣きそうになる。

 隙間に転がっていた人形が、ばっくりと口をあけた。

「キィィィイイイイイイッ!」

「うわああああっ」

「きゃあああああっ」

 人形の絶叫と二人の絶叫のアンサンブルが、土偶の背中をピンと伸ばさせる。

 両腕が勢い良く振られ、その膂力で吹き飛ばされたテーブルが天高く舞う。粉々になった木材が火山の爆発のような轟音を立てて部屋中にぶちまけられた。 

「な、なんであんなところに転がってるんだよぉっ!」

 砕けた破片が降り注ぐが、唯の体には奇跡的に当たらなかった。思わずへたり込みそうになるのを目に留めトムヤンが叫ぶ。

「立ち止まるな! 走れ!」

 必死に走る少女の背後で土偶が食器棚に派手なぶちかましをかける。ガラスが飛び散りついでに人形も絶叫しつつあらぬ方向へと吹き飛んだ。

「バカかあいつ! いまだ、ユイ!」

「うん!」

 犬用の出入り口まであと少し、唯の足が一気に距離を詰める。彼女の手が思いっきり蝶番式のドアを押し開き、

「しゃがめユイっ!」

 角材が一秒前まで少女の頭のあった部分を貫く。同時に衝撃が少女とネズミを地面にたたきつけた。

「きゃあああああっ」

「うわあああっ」

 ふらつく頭を必死に起こし、トムヤンの視線が土偶とこちらの距離を測る。土偶の背後にあるもう一つの棚の上、そこに人形がぶら下がっているのが見えた。

「い、いたたた、大丈夫、トムヤン君」

「ユイこそ大丈夫か」

 ふらつきながら立ち上がる彼女の背後、小さな出口は完全に角材で貫かれていた。ドアは巨大すぎて人間の力で開くのは難しいだろう。

「逃げ道、塞がれたか……」

「とにかくこれをどかさないと!」

 土偶が必死に棚の上に手を伸ばして人形を取ろうとしている。動きは緩慢だがいずれは取り終わってこちらに向かってくるだろう。

「取れそうか?」

「だめっ、硬くて全然、動かないっ」

 大人の胴ほどもある木材を前に、女の子の細腕などなす術もない。それでもトムヤンは巨大な魔女に体を向けた。

「蹴りでもなんでもいい、とにかくそれをどかして逃げるんだ」

「トムヤン君……」

「今度は抗議も反論もナシだ。それどかす時間を、俺が稼ぐ」

「なんで、そこまで」

 確かに何でそこまでと自分でも思う。だが、相手が魔女と分った時点で、その背後にいるのがあいつというだけで、理由は十分だった。

「君が助けてって言ってたから助けに来た。それだけだ」

「でも、さっきは……」

「やりたくないって言っている相手を魔法少女にするなんて、俺は嫌だ」

 バカみたいなこだわりだ。掟を破ってここまで来て、その上良く知りもしない女の子のために命を張るなんて。

 でも、そんな意地とこだわりが、尻尾を巻いて逃げそうになる自分の体をゆるぎなく立たせていた。

「そんなの絶対、嫌なんだよ」

 土偶の手が人形の糸を掴む。あと少しでこちらに意識を向けるだろう。相手の注意を引くべく、トビネズミは前に進み出ようとした。

「やるよ」

「……え?」

「私、魔法少女、やってみる」

 振り返ると、唯は静かに頷いていた。

「でも、それじゃ」

「抗議も反論もなし、なんでしょ?」

 彼女は笑っていた。ぎこちないし、口元もこわばっている。震えた声で言っているせいでとても軽口には聞こえない。

 それなのに、トムヤンも釣られて笑っていた。この子とならどこまでも行ける、確信を胸に少女と向き合う。

「わかった。それじゃ、いっちょ頼むぜ」

「うん。で、どうすればいいの?」

「俺と契約を結ぶんだ! そして魔法少女にへんし、ん……」

 突然勢いを無くしたトムヤンを唯が不思議そうに見つめる。穴があったら入りたい、やり直せるものならやり直したい。

 できれば指パッチン一つでどっかの堕天使に時間を撒き戻してもらいたい。

 反省と後悔と自嘲と走馬灯でパンパンに張り詰めたトムヤンの体を、細い指が不安そうにつつく。

「ね、ねぇ?」

「ゴメン、ユイ」

「え?」

「忘れてた」

 背後で人形を手にした土偶が喜びの絶叫を上げている。一難去ってまた一難、ぶっちゃけありえない現状に泣き笑いの顔になりながら、内定取り消しのおとも候補生は事実を告げた。

「俺、変身アイテム、持ってないんだった」

 絶体絶命の世界の中心で、少女は魔女に負けないぐらいの絶叫を上げた。

「えええええええええええっ!?」



[27333] 第五話「これが俺のやり方だ!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/25 21:45
 最初はただ怖いだけだった。いきなりわけの分らない世界に紛れ込んでしまって、不気味で大きな化物に追いかけられて、危うく食べられそうになった。

 オマケに助けてくれたのは小さなネズミで、自分に魔法少女になってあの化物と戦えなんて言ってきた。

 混乱とわけの分らなさが駆け巡っていた心を冷静にしてくれたのは、あんな小さな体でも必死になって自分を生かそうとしてくれた姿だった。

 尻尾や毛皮を小刻みに震わせて、それでも助けようと精一杯がんばる彼。

 だからこそ自分も一歩踏み出そう、そう思ったのに。

 地響きを立てながらやってくる巨怪の姿を凝視しながら、唯は半泣きになって叫んだ。

「どうしてそんな肝心なもの忘れてくるのよ!」


「ごめん! 君の声を聞いて一目散に来たもんだから!」

 言ってることは間違ってない、思わずついてしまった嘘を心の中でごまかしつつ、それでもトムヤンは必死に考えた。

「と、とにかく契約だけはしとこう!」

「それで何か変わるの?」

「俺がちょっとだけパワーアップする感じ」

「ちょっとってどのぐらい?」

「空を自由に飛べるようになります、俺だけだけど」

「セルフタ○コ○ター!?」

 こっちでもあのアニメ放映してるんだ、なんてことを考えている暇もなくアバンギャルド土偶とシュルレアリズム操り人形がこっちに向かって突進してきた。

 その脇を大きく迂回しながら唯が必死に駆け抜ける。追いかけっこになれたせいか、動きが良くなっている気がした。

「結構運動神経いいね!」

「い、一応、陸上部!」

「そっか! 大会とか出るなら応援しに行くよ!」

「ありがと! でも、万年補欠だから期待しないで!」

 この非常時にくだらないことをいっている気がするが、唯の方も結構乗って来ている。

 戦いの時には余計な緊張は無意味、初めての戦いならなおさらだ。

「ところで、契約って、時間掛かる!?」

「一分ほしい! だからどっかに隠れてやり過ごそう!」

 ストライドを大きく取り、少女の体が一足飛びで子供部屋に近づく。

 半ばとび蹴りに近い形でドアを蹴り開け、一人と一匹は隣の部屋に踊りこんだ。

「ま、まったく! あの魔女、なんで私達を追いかけてくるの!?」

「さあね! あいつらは自分の思い込みだけで動いているそうだから! そんなことよりユイ!」

「うん!」

 豪華なベッドの下に潜り込み、ようやく一息つく。だが、足音はあっという間にこの部屋に到達し、辺りを見回し始める。

 どうせすぐにここを覗き込むだろう、時間はほとんど残っていない。

「トムヤン君」

「だから君付けは……ってそんな場合じゃなかったな。なんだい?」

「変身アイテムなしで魔法使えるようにすることはできないのかな?」

 意外な提案を受け、相手の真意を確かめるように顔を覗き込む。思いつきなんだけど、そう言って唯は苦笑した。

「なんていうか、私の中にある魔法の力だけ取り出す方法とか」

「……そんな都合のいい方法、ないよ」

 本当はある、だがこれはつくべき嘘だ。トムヤンは苦い思いで外を探し回る魔女の存在に思いを馳せた。

 ソウルジェム。人間の魂を加工し、直接魔力を抽出できるような仕組みに加工するあの方法であれば、変身アイテムが無くても簡単に魔法少女を生み出すことができる。

 だが、あんな外法は絶対に使う気はない。確かに効率よく魔力を引き出し、使い手に絶大な力を与えることはできるだろう。

 しかしあれは、本来肉体とエーテル体という、二重の殻に守られた魂を、直接世界の悪意と穢れに晒すという残酷な技だ。

 あの形に加工された魂は例え魔法を使わなくても、結局は世界から流れ込む穢れを溜め込み、魔女へと変わってしまうことになる。

 じゃあどうする? 確かに契約すればおとも自身も飛躍的にパワーを増大させることができる。

 だがそれはせいぜい魔法少女の一時的な盾になるとか、攻撃補助とか、そういう程度の能力でしかない。

 今必要なのは彼女に武器と防具を与えること。戦う力を与えることだ。

 そこまで考えて、トムヤンはふっと笑いを浮かべた。

「ど、どうしたの?」

「ユイ、俺と契約してくれ」

「い、いいけど。何かいい方法があるの?」

「ある。っていうか、今はこれしかない」

 なんて簡単な方法だろうか。だが、少なくともこうしたおともの利用法は魔法少女の中ではあまり用いられてこなかったし、トムヤン自身も試すのは初めてだ。

「俺はこれから君と契約するための儀式を始める。ユイは、これから俺が教えることをしてくれればいいから」

「分った」

 土偶の体がうつむき加減になり床の上を探し回り始める。もう時間はない、後はぶっつけ本番でやるしかない。

「じゃ、行くぞ!」

「うん!」


 探さないといけないのだ、無くしてしまった人形を。

 たくさん集めて、たくさん集めて喜んでもらわなくては。

 大事に大事に、たくさんたくさん。探して探して、居間にキッチン、子供部屋。

 ひたすら繰り替えす命令の、途切れのない言葉に突き動かされ、ようやくそこにあるのを見つける。大きなベッドの垂れたシーツの影に。

 だが、そこに居たのはテディベアでもビスクドールでも、くるみ割り人形やミルク飲み人形でもない。

 両手を重ねて差し伸ばし掌の上に一匹のネスミを載せた、一人の少女がそこにいた。


「遍く世界に満ち渡る、全ての命の源よ。我が招請に応え、契約の成就に力を貸せ!」

 トムヤンの声に従って周囲に淡い光の粒が踊り始める。

 魔女の結界の中でも術式がきちんと働いている、その結果がネズミの体に確信と活力を注ぎ込んだ。

「我が名はトムヤン、今ここに新たなる契りを結ばん。其は乙女、清らなる乙女にして、己が身を、道拓く戦に投ずる戦乙女。その名は香苗唯!」

 光が一層輝き、唯の足元に光の法円を描き出す。同時に集まった『力』がトムヤンの体に無尽蔵に流れ込んでいく。

 激烈な痛みが意識を刈り取ろうと押し寄せるが、詠唱は止めない、止まらない。

 その光景に魔女がうろたえ、じりじりと後ずさっていく。

「我ここに誓う! この日この時より我は乙女の矛、乙女の盾なり! 

 我が身朽ち果て我が意消えようとも、偽らず、背かず、永久の輩(とわのともがら)となりて乙女のそばにつき従わん!」

 そして、トムヤンは望んだ。自分の体と心と命とが、彼女の敵を打ち砕く具足に変わることを。

「万古普遍の理よ、照覧せよ! 主よ、我が意を受けたまえ!」

「汝を……我が供と認める!」

 唯が言霊を告げ、口付けがそっとトムヤンに触れた。

 瞬間、体どころか魂をもねじ切るような痛みが襲う。

 それは契約のために集めた力が急激に彼の存在を改変していくことで発生したもの。

 理屈はソウルジェムと変わらない、自分の魂を魔力変換と抽出にふさわしい形に変えるのだ。

 しかし、この変換を行えば元の姿に戻ることはできない。魂に穢れを溜め込まないために、肉体とエーテル体を含めて生きた変身アイテムになる。

 生き物としての喜びを一切捨てることになるのだ。

 それがどうした。トムヤンの魂が吼える。

 辛い戦いに引き込んだ張本人が、真っ先に痛みを引き受けないでどうする。

 変換されていくごとに唯の心を近くに感じ、その思いが一層高まった。

 怖さ、絶望、理不尽に対する憤りをねじ伏せ、たった三十分にも満たない付き合いで自分に信頼を寄せてくれたのだ。

 そんな彼女に何かして上げられるなら、命だってくれてやる。

 多分、あいつなら言うだろう、こんなやり方は『わけが分らないよ』と。

 いずこにいるとも知れない命を弄ぶ者に、命を懸けるものは再び吼えた。

『これが俺のやり方だ!』

 新たなる力へと結晶した小さな決意が、穢れた異世界に一つの奇跡を生む。

 今ここに、魔法少女という新たな花が咲き誇った。



[27333] 第六話「どういうことなの、トムヤン君!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/25 21:48
 光に包まれ、唯は自分の体が暖かな力に満たされていくのが分った。

 それは自分を守ろうとする心、そして一緒に戦ってくれようとする意思が生んだもの。

 力が湧いてくる、今まで感じたことのない高揚があふれ出す。魂を洗う感情の奔流を感じながら、彼女はそっと胸に手を当てた。

「行くよ、トムヤン君」


 気が付いたとき、トムヤンは自分の意識がぴったりと唯に寄り添っているのが分った。胸元に飾られた赤い宝石にそっと触れられる指先。

 その優しい動きを感じて、自分が改めて変わってしまったことを自覚する。

 動揺とわずかな後悔を押し隠し、なるべくおどけた調子で語りかけた。

『どうだい? ユイ、魔法少女になった感想は』

「な、なんか変な感じ、それにちょっとこのスカート短くない?」

『そうか? 結構かわいい感じでデザインしたんだけど』

 フレアが掛かったピンクのミニスカート、動きやすい紺のスパッツと白のソックス、靴は陸上部だという唯のことを考えてブーツではなくスニーカーに。

 上は白地にピンクのアクセントを加えたハーフシャツ、指抜きの手袋も同じカラーリングにしてある。

「ちょっ、これおへそ出てる!」

『確か陸上選手ってこんな感じの上着つけてたよな?』

「バカっ、こんな派手なウェア恥ずかしくて着られないよぉっ」

 焦る唯の上からずいっと黒い影が落ちかかってくる。口論を収めると、彼女は倒すべき敵の姿を視界に入れた。

「で、これからどうすればいいの?」

『俺が導くから、それに合わせて体を動かすんだ!』

「うん!」

 土偶が手にした人形を振り上げ、思い切りこちらに叩きつけようとする。

 その瞬間、唯の動きとトムヤンの心が一つになって弾けた。

 いつの間にか目に映る景色が変わっている。さっきまで自分が居た床板が粉々に砕け散っていくのを土偶の背中側から見つめていた。

「う、うそ!?」

『俺の体で変換した君の魔力を、肉体操作に丸ごと付与しているんだ。これなら複
雑な詠唱も集中力もいらないからな』

 五十メートルはあるだろう距離を瞬きの間に詰める脚力。世界屈指のスプリンターでも追いつけないほどの速さを自分の体が生み出したと言う事実。

 思わず唯は手を叩いて快哉を叫んでいた。

「す、すごいよトムヤン君! 私すっごく速くなってる!」

『君はつけんなよ! それよかユイ、今の君には誰にも負けない速さがある。そして』

 トムヤンの意思が直に体を伝わり、何をしようとしているのか理解する。だが、そんなことは生まれて一度もしたことがない。

 それでも体は思い切り拳を振りかぶり、高々と土偶の脳天めがけて飛び上がった。

『いっくぞおぉっ!』

「ちょ、ちょっとまってぇ!」

 振り下ろした拳の先から炸裂と崩壊の衝撃が開放される。

 土偶の頭が半分砕け散り、破片となって地面に降り注いでいく。同時に敵の胸板を蹴りつけ空中で捻りを加えながら着地させると、トムヤンは誇らしげに声を上げた。

『こうやって戦う事もできるんだ!』

「い、い、いきなり怖いことしないでよ! びっくりしたでしょ!」

 まだ拳の先が少ししびれている。驚異的な破壊力を見せた自分の手をにぎにぎとして確かめると、唯は半泣きになりながら胸の宝石に抗議する。

「もうちょっとこう、杖とかカードとかケータイとか、そういう魔法少女っぽいのは出せないの!?」

『しょうがないだろ! いわば君は即席魔法少女なんだ! ホントは変身アイテムの中にそういう武器がプリセットされてるんだけど、俺はただのおともだし!』

「と、トムヤン君、あれ!」

 崩れかけた顔を物ともせずに土偶が起き上がる。心なしか人形の方も怒りを浮かべているような雰囲気だ。

「もしかして、壊れるまで殴らないとダメなんてこと、ないよね?」

『……ユイ、今何か持ってるか?』

「何かって?」

『武器になりそうなものだよ。シャーペン、鉛筆、はさみに定規、そういう文房具でもいいし、針や糸みたいな裁縫道具でもいい』

 大急ぎで頭の中を相ざらえするが、そのどれも持ち合わせがない。

「ごめん、カバンがあればよかったんだけど、逃げるときに全部放り出してきちゃった」

『そうかっ』

 空気を突き抜ける右ストレートをジャンプで避ける。だが、その真上を押さえるように人形が叫喚とともに叩き落されてきた。

「きゃああああっ!」

 強い衝撃に目の前が真っ暗になる。地面に叩きつけられ、唯の体が宙を待って再び地面に激突した。

『大丈夫か、ユイ!』

「う、くっ」

 思った以上に衝撃も痛みもない。それでも立ち上がるためには体中の力をかき集める必要があった。

「武器になりそうな、ものがあると、どうなの?」

『エンチャントって言って、魔法をかけて武器化するんだ。そうすることであいつと戦える武器が手に入る』

「ケータイは、だめかな」

『悪くないけど機構が複雑すぎて、短時間で武器化は無理だ』

 すまなさそうに謝るトムヤンを見やり、スカートのポケットから取り出そうとした携帯電話をしまおうとする。

 そこに下がったストラップを見て、突然宝石から声が上がった。

『ちょっと待った! それ何!?』

 それはミニチュアの手袋に見えた。ただし、片方は料理に使う鍋掴み、もう一つは指抜きされた奇妙なグラブだった。

「これ、お母さんが作ってくれたおまもり。こっちのミトンがお母さん、こっちは拳サポーターっていうんだけど、お父さんのなの」

『もしかしたらそれ使えるかも! すぐに外して両手に包んで!』

「う、うんっ」

 顔が壊れたせいで不気味に沈黙したままの土偶が操り人形を振り回し始める。

 遠心力を使った強烈な一撃を叩き込んで終わらせるつもりなのが一目で分った。

『これって大事なものなんだろ? 君のお父さんとお母さんの気持ちが伝わってくるよ』

「うん。私の大切なおまもり」

『よし! 【少女を守る思いの力よ、容を取りて姿を顕せ】』

 包み込んだ両手に赤い光が灯る。そしてそれが一瞬に燃え上がり、今まで白だった手袋を真紅の篭手へと変化させた。

「な、なにこれ……」

『ユイっ』

 掛けられた声に空を振り仰ぐが体が動かない、襲い掛かる人形に向けて無意識のうちに左手を差し、思わず目をつぶる。

 強い破壊の波が肌をなぶった。だがいつまでも体は吹き飛ばない。不思議に思った唯はつぶっていた目を開けた。

『愛と慈悲の宿る左手には、守りの法円を』

 左手の先には、二重の円に複雑な紋章が描かれた大きな魔法陣が壁となって浮かび上がり、土偶の拳を完璧にさえぎっている。

 そして、握られた右拳の甲に別の形の魔法陣が浮かび上がった。

『勇気と闘志の宿る右手には、全てを砕く力の法円を!』

 かざした左手をそのままに右拳を腰にひきつける。篭手に炎が宿り、唯とトムヤンは渾身の一撃を解放した。

「『いっけええええええええええっ!!』」

 正拳が防御の障壁にぶち当たり、その向こうに張り付いた土偶と人形が軽々と空に吹き飛ぶ。

 わずかに遅れて人形の胸がに穴が穿たれ、土偶の背中が大きく弾けた。同時に、穴の縁に炎が宿り、全てを焼き尽くす業火となって怪異を滅ぼしていく。

 魔女が焼け落ちていく、彼女が生み出した妄想の世界が消えていく。悲鳴を上げて散っていく彼女を見つめ、唯はポツリと呟いた。

「なんだか……かわいそう」

『そうだな』

 それ以上何も言わず、トムヤンは心の手をそっと唯の肩に置いた。

『さ、帰ろうぜ』

「……うん」

 彼女の心から戦う意思が引いていき、まとっていた服が元の制服に戻っていく。同時にトムヤンがそのまま地面に転げ落ちた。

『あ、悪いけどユイ、俺のこと拾ってくれないか?』

「……どういう、こと?」

『いや、なんていうか。その』

 返答に困り、言いよどんでしまった小さな赤い宝石を拾い上げ、唯は叫んだ。

「どういうことなの、トムヤン君!」



[27333] 第七話「ありがとう」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/29 19:24
「どうしたの!? 君ってネズミじゃなかったの!?」

『うん……ネズミだったよ。さっきまでは』

 なるべく相手をうろたえさせないよう、言葉を務めて軽くしようとしているが、ただの石になっている身としてはそれも難しかった。

『さっきの契約でね、俺は君を守るものになったんだ。大丈夫、形はちょっと変わっちゃったけど、俺は平気だから』

「全然平気なんかじゃないよ! 元に戻れないの!?」

『うん。多分、無理だと思う』

「魔法でも?」

 その問いかけに、トムヤンは苦笑しようと思った。でも、せいぜい吐息をイメージの形で伝達する程度のことしかできない。

『魔法は……魔法は、君達が思うほど万能じゃない。ただ、ほんの少し人にできないことが出来るようになるだけなんだ。願いと代償を引き換えに』

「そんな、そんなのって……」

『な、なんだよユイ……泣くなよ』

 さらさらと零れ落ちてくる水滴が自分の上に降りかかる。だが、それは石の表面を濡らすだけで、湿りも冷たさも伝えてはこない。

 今更ながら、自分の命がただの器物に変換された事実が押し寄せてきた。

「私が、あんなことを言ったからなの? だからなの?」

『違うよ。俺は正しいって思ってやったんだ。後悔は、してないよ』

 後悔はしていない、していないはずなのに。

『……ゴメン、やっぱり、嘘だ。俺、後悔してる』

「トムヤン、君」

『君を助けた事も、こうして自分を変えた事も後悔してない。でも……』

 誰かに触れること、言葉を交わすこと、自分の足で歩く自由を失うこと、当たり前だと思っていた営みを永久に失う痛みは、正しい行いとは無縁のものだった。

 でも、そんな後悔は今更遅い。振れる首が合ったらそうしていただろう、トムヤンは声を和らげて泣き続ける彼女を慰めようとした。

『ゴメン、ユイ。俺はダメなおともだな。大丈夫、もう平気だから』

「……元に戻って、トムヤン君」

『な、なに言って……』

「魔法で変わったんだから、魔法で元に戻ってよ! 私、元に戻ったでしょ!」

 泣きながらむちゃくちゃなことを言ってくる少女に面食らいつつ、小さな石が焦ったような声を掛ける。

『き、君のは俺が魔力を変化させて作った服を着てたからだよ! 俺のとはわけが違うんだ!』

「ダメだよ! 私こんなの嫌だ! お願いするから、だから元に戻って!」

『ユ、ユイ……』

「お願い……」 

 なんて勝手で頑固な気持ちなんだろうか。それでもトムヤンは彼女の言葉にそっと両手を伸ばしていた。

『俺も、戻りたいよ』

 彼女の細い手に包まれて周囲が闇に包まれる。

 その手に残るわずかな魔力が石の表面でちりちりと爆ぜる。その感覚は急速に膨れ上がり、強い熱量を帯びて体を焦がしていく。

 魔女を吹き飛ばしたときと同じかそれ以上の力が染みとおり、一度変換されたはずの体の構造を再び組み替えなおしていく。

「な、なんだ、この魔力っ!?」

「と……トムヤン、君っ」

 気が付けば開かれた掌の上、トビネズミはきょとんとした顔で唯の顔を見つめていた。

「戻ったんだね」

「あ、ああ」

 信じられない。それでもこれは事実だった、間違いなく自分は元の体に戻ったのだ。

「ありがとう。ユイ」

 なるべく普通に言おうと思ったのに、声はいつの間にか潤んでいた。みっともないと思っているのに、視界が歪んでしょうがない。

「多分、いや、きっと君は、最高の魔法少女になれるよ」

「そう……かな」

「だって俺のこと、元に戻したろ。これ君の力だ」

「うん……。私もありがとう、トムヤン君」

 涙が落ちてくる。額が、体がぬれて冷たい。でも、それはとてもうれしい気持ちにしてくれる雫たちだった。

 お互いにくしゃくしゃの笑顔で、魔法少女とそのおともはもう一度契約を交わした。

「ありがとう。これからもよろしく」

 おおよそ、人が数えられる限度をはるかに越えたあまたの並行世界。

 これはその片隅で出会った、一匹のおともと魔法少女の物語。

 彼女達の物語は、まだ始まったばかりである。









 おかしな匂いは路地からしていた。その匂いは人間には嗅ぐことができず、動物にも知ることができないものだ。

 ただ、彼らだけがそれに気付き、集めることができる。

「あれ?」

 その白い生物は、地面に無造作に転がったお宝を前に首をかしげた。

 それは彼らにとって絶対に集めなければならないものであり、無造作に道路の脇に転がっていていい代物ではなかった。

 グリーフシード。魔女の根幹であり、ソウルジェムを濁らせた魔法少女が生み出す、彼らにとっての大切なエネルギー源。

「おかしいな。この魔女、誰が倒したんだ?」

 そもそも魔女を倒した魔法少女がグリーフシードを置き去りにすることなんて考えられない。勝手に個人で所有するか、自分に渡してくるはずだ。

 しかも、そのグリーフシードはありえないことに、きわめてソウルジェムに近い極性に戻っていた。

 その魂の色には見覚えがある、確かこの少女は自分の親の性格を直してほしいと願ってきたはずだ。

「わけがわからないよ」

 真っ赤な瞳に薄く笑ったような兎口(みつくち)、奇妙な形の耳を持った四足歩行の獣は、とりあえず背中にある収納口にグリーフシードを納めた。

「うわっ、なんだこりゃ。エネルギーとしては中途半端だし、なんだか機能を狂わされそうな波長を出してる」

 とはいえ、彼の体内に納まったグリーフシードと一緒にしておけば勝手に穢れていくだろう。

 そんなことより、彼は思案に暮れた。こんな不思議な芸当を可能にするものが、この星に居ただろうか。

「ま、いいや。この辺りの担当の子に、それとなく探りを入れてもらおう」

 そうして、白い獣は闇の中に消えていく。

 町は彼らインキュベーターという『毒』を飲み込み、それでも不気味に沈黙するばかりだった。



[27333] あくてぃぶ☆トムヤン君! 第一話「あなたに構っている時間はないの」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/30 13:00
 目覚ましの鳴る音を布団の中で聞きながら、香苗唯は呟いた。

「あと、もうちょっとだけ……寝かせて」

 朝はいつだって眠い。できればお昼になるぐらいまで寝ていたい、そんなことを友達に話したら笑われたことがあったが、自分としては割りと本気で言ったつもりだった。

 ほんの一週間前だったらあと三十分は眠れて居ただろう。その代わり、無理やり起こしに来た母親にたっぷりと嫌味を言われながら。

 だが、そういうわけには行かなくなっていた。

 なぜなら――

「ユーイー!! あっさだぞー!! おっきろー!!」

 耳元で響く大声、体に似合わない声量は目覚ましにも負けないほどだ。

 がばっと布団から起き上がると、唯は枕元でにんまりと笑うトビネズミを摘み上げた。

「おはよう、ユイ!」

「んもぉ、耳元で大声出すのやめてっていってるでしょー」

「ほらほら、早く着替えてご飯食べちゃいなよ。朝練おくれるぞ?」

「ふああああい」

 はしたない大あくびをしながらベッドを降りる。布団の上に降ろされたネズミは、そのまま駆け出し、ベッドの端から勉強机の上に身軽に飛び乗った。 

「今日はいつ帰ってくる?」

「多分、部活終わってからだから六時かな?」

「分った。終わったら寄り道しないで帰ってきてくれ」

 制服を素早く身に付けながら振り返ると、ネズミは机の上でなにやらごそごそとやっている。

 昨日、自分が寝る前に広げていた作業の続きらしい。

「私、何かすることあるの?」

「そ。君に対する重要なことがあるんだよ。魔法少女に関することがね」

 彼にそう呼ばれるたびにくすぐったい気持ちになる。

 とはいえ、小さな喋るネズミが同居しているという事実を受け入れている時点で、一週間前の自分と何かが決定的に変わっているとも思えた。

 つまり、それが魔法少女になるということなんだろう。

「じゃ、行ってくるね。トムヤン君」

「行ってらっしゃい、ユイ。気をつけてな」

 魔法少女のおとも、トムヤンが背中越しに掛けてくれる言葉を受けて、唯は食堂へと向かっていった。


第一話「あなたに構っている時間はないの」


 見滝原中学陸上部は、地区の中でも結構上位に位置づけられる強豪だ。毎年地区大会は確実に突破しているし、部員の数もかなり多い。

 小学校のころは結構足が速い方だと思っていた唯も、この集団の中では補欠に甘んじるしかない。

 とはいえ、毎日走るのは楽しいし、タイムが縮まればそれも楽しい。五十メートル地点の白いラインを一気に走りぬけ思い切り息を吐き出す瞬間、そんな気持ちが空にぱしっと弾けた気がした。

「唯、最近調子いいね」

「そっかな?」

「うん。それに遅刻もしなくなったし!」

 そう言って笑うのは同じ部活の藤見友香(ふじみともか)、差し出してきたタオルを受け取って唯も笑う。

「最近強力な目覚ましがきちゃってさぁ。お布団の中でぬくぬくする時間が減っちゃったんだよー」

「へー、ねぼすけの唯を起こすなんてよっぽど強力なんだね」

「まぁね。それにすごく口うるさくて」

「……口うるさい?」

「あっ……」

 慌てて笑いでごまかすと、急いでスタートラインの方へ歩き出す。

 そういえば、トムヤンが来てから変わったのは朝遅刻しなくなっただけではなかった。

 日常生活のいろんなことに首を突っ込み、おせっかいを焼いてくる。学校の様子や趣味のことを聞きたがったり、宿題を手伝おうとしたり。

 本人曰く『これがおともの仕事だ』そうだが、ちょっと気負いすぎなんじゃないかと思う。

 とはいえ、母親と二人暮しの静かだった生活が大分にぎやかになったのは確かで、毎日がもっと楽しくなっていた。

 もちろん、トムヤンの存在は秘密。魔法少女の掟だからな、そう言って妙に真面目くさい表情をしたネズミの姿を思い出して口元が緩んでしまう。

「なに? なにか面白いことあった?」

「な、なんでもないよ」

 一列に並んだ部員の最後尾に並ぶと、唯はふと校門の方に目を向けた。

「……あれ?」

 少し遠くにかすんでいるが、それは自分達と同じ年ぐらいの女の子。

 ロングスカートにカーディガン姿、朝も少し肌寒い季節だから、服装としては別に変わったところはない。

 たが、こちらを見る視線を見た途端、体の芯まで震えてしまうような冷たい感覚が走った。どろりとした暗い気持ちが、胸を締め付ける。

「唯?」

「えっ!?」

 心配そうな顔で友香がこちらをのぞきこんでくる。自然と体から悪寒が消え、不快な感覚が消えていった。

「何見てたの?」

「あのね、校門のところにいる女の子が……」

 それ以上言葉を続けることはできなかった。わずか数秒、目を放していた隙に彼女は姿を消していた。


 薄暗い階段を登って部屋に入ると、机の上ではまだトムヤンは何かを一生懸命いじくっていた。しかも、鼻歌を歌いつつ。

「こっころのかたち、君は紙にかけるかいー、っとおかえりー」

「ただいま……っていくらお母さんがいないからって鼻歌はやめよ?」

「ごめん。一応、物音には気をつけてるから。光を放つ体がーっと」

 全く意にも介さず歌い続けるネズミは、起用に前足を使って手にしたものに細工を施している。

 広げた新聞紙の上には銀鎖や針金、こっそり裁縫箱の中から持ってきた針などが並べられている。

「ところで、この間から作ってるそれはなんなの?」

「へへー、まだ教えないよーだ」

「……それ作る材料費、誰が出してあげたんだっけ?」

「ごめんなさい。これは君にあげるプレゼントです」

 にこやかに話しかけているにも関わらず、なぜかぺこぺこ謝るトムヤンを軽く指で撫でると、彼の努力の成果を覗き込む。

「わぁ、こんなの作ってたんだ!」

「どうだい? 結構きれいだろ?」

 小さな手で差し上げたそれは、水晶のはめ込まれたペンダントだった。

 銀の細い針金を編み上げて作ったトップ部分は、ネズミの小さな手だからこそ可能な細かい細工が施されていて、宝石店においてあっても不思議じゃないできばえに見えた。

「すごい器用なのね、トムヤン君って」

「変身アイテムを作ってる職人に習いに行ったことがあってさ、その時に覚えたんだ」

「ふーん。……って、変身アイテム?」

「そうだよ。っと、これでよし。ユイ、これ首からかけて」

 言われたとおりにそれを身に付けると、トムヤンは立ち上がって右手をその宝石に突きつけた。

「契約の仲立ちとなり、災いの守りとなれ。汝が主香苗唯の名の下に」

 その一言に反応して水晶が淡い光を放つ。やがて石の色は透明から輝く赤へと変化していった。

「これでそのペンダントは、正式に変身用のアイテムになった」

「じゃあ、これがあればこのまえみたいに変身できるんだ」

「いや、それはあくまで補助っていうか、その……」

 ちょっと言いよどむと、トムヤンは頬をかいて視線をそらす。

「あの時みたいに、毎回君に元に戻してもらうのもなんだからさ」

「あ……」

 初めてトムヤンと会ったあの日、唯は彼と契約して魔法少女になったのだが、その代わり彼はトビネズミの姿を失い、その命を変身のためのアイテムに変えてしまった。

 結局、唯の力によって彼は元の姿に戻ることができたのだが、色々気まずいというか気恥ずかしい感じがして、なんとなく変身のことを話題にするのは避けていた。

「変身するときは、俺がその中に入ってサポートすることになる。でも、それだけじゃないんだぜ」

「どういうこと?」

「石の部分を額に当ててみてくれ」

 何か期待するようにトムヤンが笑みを浮かべている、唯はペンダントをつまみあげてそっと額に当ててみた。

『あー、テステス、ユイ聞こえるか、どーぞ?』

「え、うそっ!?」

『だめだめ、口に出さずに頭で考えて』

『こ、こう?』

『そうそう! ってことでこのペンダントで俺との直接通話が可能でーす』

『ホントすごいんだね、トムヤン君!』

 素直な心の声を受けて誇らしげな彼の姿がちょっと膨らんだような気がした。ペンダントトップを手の中で包み込み、その感触を確かめる。

「一応、五キロぐらいまでなら確実に俺に届くから、何かあったらそれで連絡してくれ。すぐに駆けつける」

「分ったよ。……って、だ、ダメ! これ無理!」

「ん? 何でさ」

「こんなの学校に持っていったら怒られちゃう!」

 現代人の生活に必須になった携帯電話が中学校で黙認されて久しくなっているが、それでも宝飾品なんか身に付けていったら確実に指導や没収の対象になるだろう。

だが、トムヤンは軽く指を振った。

「それ、ステルス付いてるから大丈夫」

「す、すてんれす?」

「すーてーるーす。簡単に言えばそれはユイにしか見えないアイテムなんだ」

「へぇー」

 至れり尽くせりの代物をもう一度しげしげと眺める。

 変身のアイテムに魔法少女のおとも、自分が不思議な世界に足を踏み入れているという実感が改めて湧いてきた。

「ありがとう、トムヤン君」

「お礼なんて良いよ。これも」

「おともの仕事だからな、でしょ?」

「俺のセリフ取るなよー」

 ぼやくトムヤンの抗議を笑顔で受け流すと、唯はあることを思い出し部屋のドアの前に立った。これを見たら彼はどんな顔をするだろうか。

「そういえば、私からもプレゼントがあるんだよ?」

「へ?」

「ふっふっふ、じゃーん」

 廊下に置いてある物を見て首をかしげたネズミは、驚きと喜びを体中で表した。

「も、もしかして、それって俺専用のベッド!?」

 籐籠にクッションとシーツ代わりに布を敷いたものを部屋の中に引き入れると、小さな体が思い切りジャンプして飛び込んできた。

「わっはー、俺の、俺のだー!」

「気に入った?」

「もう最高!」

 クッションをもふもふと抱きしめているトムヤンごと、出窓の空いたスペースに置いてやる。

 カーテン越しに見える町は、すでに夜の闇が支配していた。

「ただいまー」

「あ、おかえりー。じゃ、トムヤン君、また後でね」

「うん。ユイ……ありがとう」

 うれしそうな彼の姿を確認すると、唯は帰ってきた母親を出迎えるため、軽い足取りで部屋を出る。暖かな気持ちがこみ上げてきて、顔がほころぶのが止まらない。

「魔法少女、かぁ」

 その響きを堪能するように、少女は自然と呟いていた。

 その日の夜、全てが寝静まったころ。トムヤンは埋もれていた寝床からむくりと身を起こした。

 自分の位置からはクッションや籠が邪魔で見えないが、安らかな寝息を立てている唯の存在を心を向ける。

 ただそれだけのことなのに、トムヤンは思わず目じりが痛むくらいの昂ぶりが胸にこみ上げるのを感じた。

 クッションのことや、夜食に持ってきてくれたひまわりの種とか(トムヤンとしてはピスタチオの方が好きなので、次はそっちでとお願いしておいた)それに、そっと撫でてくれる指もみんな彼女の優しさが伝わってくることばかりだ。

「これが、おともになるってことなんだなぁ」

 おともとして生まれた者には、その役割を果たしたいという本能のようなものがある。自分は多分、図抜けてその気持ちが強いのだろう。

 ただ、その気持ちが常に正しい結果をもたらすとは限らない。

 なぜならこの世界で魔法少女をやるということは、辛い戦いを彼女に強いることになるからだ。

 この世界に魔女がいる以上、インキュベーターは確実に存在する。

 それは、今この時にも魔女が、何より哀れな魔法少女が生み出し続けられていることに他ならない。

 それを阻止する戦いに身を投じれば、きっと唯の心は激しく傷つくだろう。

 だから、トムヤンはペンダントにある仕掛けを施しておいた。

 探知系の魔術や特殊な感覚を持つものに引っかからないようにするための抗術、つまり彼女自身も魔女や魔法少女からステルスされているのだ。

 もちろん心が痛まないわけではない。本当なら唯に協力してもらってあの淫獣を
探し出し、これ以上の犠牲者が増えるのを防ぎたい。

「……はぁ」

 だが、ダメだ。なぜなら自分は、正式なおともではないから。

 おともはあくまで世界の要請によって動かなければならない。

 だが、今の自分は無許可で魔法少女を生み出している。納得はできないがやっていることはあの淫獣と大差ない。

 唯一救いがあるとすれば、こうして自分が違反を起こしていることがおともの世界の目を引き、本格的に魔法少女とそのおともを派遣してくれるようになるだろうということ。

 唯を戦わせたくないし、無理に戦っても違反者として罰せられる。結局自分はおとなしくしているより他ないのだ。

 思い描いていたのとは違う、消極的な活動。 

 綿の一杯入ったクッションに顔を埋め、小さなネズミは憂鬱な気分で呟いた。

「魔法少女のおとも、かぁ」


 夜は彼女にとって馴染みの時間だ。なりたくてそうなったわけではないが、今では日の光を思うこと自体が罪になるのではないかとすら思えるときがある。

 同時に、闇の時間が訪れるたびに、自分の何かが黒く塗りつぶされるような気がしていた。

 ちらりと左手の甲に目をやり、そこに嵌った宝石の輝きを確認する。透き通った紫色の輝きを放つそれを見て、わずかに安堵。

 ほんの少しの逡巡、ほんの少しの疑念も差し挟まない。そうしなければ、自分が叶えるべき願いが両手からこぼれてしまうから。

 オフィスビルにはさまれた道の前に佇む一人の少女。黒を基調にした衣装と、左腕に丸盾を装備した彼女の目の前で、路地は白と黒のチェック柄に覆われ始めた。

「論理の魔女」

 ぽつりと漏らした言葉に怯えはない。目の前で構成されていく結界の主を確認するために放った言葉だ。そのまま異世界を歩み始める。

「その性質は狭量。多彩な戦略を駆使するが盤面の動きに気をとられ、臨機応変さに欠ける。彼女を破るためには妙手巧手よりも、奇手悪手で攻めて動揺をさそえばいい」

 世界が冷たい四角の幾何学に包まれる、それはチェス盤で作られた正方形の箱だ。

 正面の壁に張り付くのはキングではなくクィーンの駒。良く見ればその駒はウェディングケーキで作られ、ベールと白い手袋の付いた腕でデコレーションされている。

 唐突に、彼女がいる場所を除く全ての升目にチェスの駒が出現する。ポーン、ルーク、ナイト、ビショップ、そしてキング。ただし、クイーンだけは最初から居た一体だけ。

 周囲を一度確認、それから小声で囁いた言葉は、その声音の冷静さとは裏腹に当惑に彩られていた。

「なぜ、こいつがここに?」

 盤面の変化は彼女の居る升目でも起こった。

 その体を守るように、無数の銃器が地面に突き刺る。同時に、こんな違いなど些細なことだと彼女は無言で思い直した。

 無限のバリエーションの中において、この程度のイレギュラーは誤差の範囲だ。

 手近なアサルトライフル手に取り、暁美ほむらは無感動に告げた。

「どきなさい。あなたに構っている時間はないの」



[27333] 第二話「私も一緒に戦うから」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/30 13:06
 銃身から伝わる熱が肌を炙る。

 弾倉はすでに空になっているというのに、銃把を握り締めたままの手が緩まない。

 何度目かの深呼吸を繰り返し、ほむらはようやくアサルトライフルを地面に投げ捨てた。

 興奮が引いて行くのと同時に内臓の奥から震えと痺れが昇って、両腕でぎゅっと体を抱きしめる。

 小刻みな振動と胸を締め付ける苦痛を、意識を焼いていく乱れた感情を、じっくりと味わうように。

 本当ならこんなことをすることは必要ない。

 キュウべぇに魔法少女と言う存在に改竄された体はいくらでも苦痛をカットすることが可能で、熱さも寒さも、痛みも苦しみも消し去ってしまえるはずだった。

 だが、暁美ほむらという少女は、それを肯んずることはしなかった。

 確かに戦闘における痛みは無視するが、こうして全てが終わった後に押し寄せてくる感情は全て飲みつくしていた。

 自分が倒したものが何であるのか、この世の誰よりも知っているからこそ、痛みを刻んで悼みに変える。

 短い黙祷を終えると、すでに冷え始めた銃を見えざる倉に納める。激しい魔女との戦闘で銃身は焼け付き曲がり、使い物にならないレベルまで歪んでいた。

 まるで、自分のようだ。己の暗い情念を、止められない熱い思いを吐き出し続け、自らの力でひしゃげていく。

 そんな物思いを覚ましたのは、鼻腔に感じる冷たい朝の匂い。思う以上に時間を掛けてしまったと気が付き、唇をかみ締める。

 それでも、後悔を振り払って彼女は歩み始めた。日の差し始めた大通りに背を向けて、まだ闇の残る路地の奥へと。


第二話「私も一緒に戦うから」


 トレイの上にオニオンサラダを乗っけつつ、唯は改めて胸元に下がった赤い宝石を確認した。

 トムヤンの言うとおり、このペンダントは誰にも見えていないらしい。

 見滝原の全校生徒が食事を取るこのカフェテリアの中で、これだけはっきりと分るように下げているというのに、誰もそのことに突っ込んでこないのが何よりの証拠だ。

「なに? 自分の胸の発育具合が気になるって?」

「いきなりなに? 友ちゃん」

 パインサラダを盛り付けつつ、友香がニヤニヤしつつ視線をこちらの胸元に送る。

「諦めた方がいいと思うよ。陸上部には余分な重量物をつけている余裕はないのだー」

「だからどうしてそうなるのよー」

「朝からずーっと、胸元をちらちら気にしてるのを見たら、誰だってそう思うでしょ」

「そ、それは、その」

 折角見えないようにしてもらっても、こんな風に注目を集めては何の意味もない。

 自分の失敗を苦笑でごまかしつつ適当に席に着く。

「胸って言えばほら」

 さりげなく友人が送った視線の先に、たわわに揺れる双丘が出現する。学校指定の制服がはちきれそうなくらいのボリュームを持つバストの持ち主。

 確か、三年の巴マミという先輩だ。

 少したれ目がちの優しげな顔に、お嬢様然とした物腰。そして、しっかりとしたボリュームのある胸。

 クラスの男子が彼女について、何かと騒ぎたてていたのを聞いていたから覚えていたのだろう。

「あれは反則だよねー」

「でも、胸大きいと肩こるっていうじゃない。私はこのままでも良いけどなー」

「唯はもう少し、自分が女の子であると言う自覚を持つべき」

 友香の意見も最もだとは思うが、いまいちピンとこないのも確かだ。

 恋にも興味はあるが、それだってせいぜいドラマや漫画を見て、ちょっと良いかなと思うくらい。

 それに、今は恋よりも気になることが唯の人生を変えつつあるのだ。

(そういえば、魔法少女になったのはいいけど、それっぽいことしてないな)

 昨日もそのことについてトムヤンに質問してみたのだが、なんとなくはぐらかされてしまうばかりだった。

 とはいっても、唯もそれほど魔法少女として活躍しようと思っているわけではない。

 変身して魔女と戦う、あの時は無我夢中だったが冷静になって考えれば、そうそう体験したいことでもなかった。

 トムヤン自身もあまり自分に戦ってほしいとは思っていないようだし、結局は現状維持でいいのだろうと思いなおす。

 大きな安堵と少しだけ残念な気持ちを抱えながら、唯はレタスをさくりと噛み締めた。


 その日、部活が終わった帰り道、唯は友香と連れ立ってスポーツ用品店に出かけた。

 新しいシューズを買い、それからファーストフードに寄り道をして、気が付けば時間は七時近くになっている。

「それじゃ、また明日ね!」

「うん。バイバイ」

 携帯を取り出して一回コール。すぐ留守電に切り替わったのでいつも通り、連絡を残しておくことにした。

『今日は友ちゃんと買い物でした。遅くなってごめんなさい。七時半までには帰ります』

 とはいえ、この時間で留守電ということは帰りはかなり遅くなるだろう。

 母親の美衣は自分が中学に上がるくらいから以前の職場に復帰し、一緒に食事をする機会もあまりなくなっている。

 少し寂しい気もするが、家族会議で話し合って決めたことだし、朝も一緒に食べているからそれほど気に病む事も無かった。

 往来の激しい通りから住宅街へ抜け、次第に人気のない道へと歩いていく。

 街灯から投げられた光が道行を照らしているが、心なしか弱弱しく感じられた。

 なんだろう、いつの間にか心の中で呟いていた。なんだろう、この感じ。すごく重くて苦しいような。

 歩けば歩くほどその感覚は強まっていく。肌を刺すようなこの感じはどこかで体験している気がする。そう思った瞬間だった。

 ぱちりとペンダントが弾け、それを合図にしたように周囲の環境が変動していく。

 その世界の全ては多種多様な色彩と形状を持つ薔薇で彩られていた。むせ返る香水のような匂いと、見るものにめまいを起こさせるほどに強烈な原色で飾られた結界の中、ただ立ち尽くす。

「これって、結界ってやつだよね……」

 すでに二度目になった唯にとって、異界の中の恐怖はある程度やわらいでいる。それに今はあの時とは違うのだ。

 胸に下がったペンダントを握り締め、周囲を見回す。

 心持ち顔を引き締めて石の部分を額に近付けようとしたときだった。腹に響く重い音が、唐突に薔薇の森を振るわせた。

「な、なに!?」

 音が次第に近づいてくる、木々を掻き分け破裂音を撒き散らしながら。そして、それはいきなり唯の目の前、見上げた空の中天に躍り出た。

 最初に思い浮かんだのが『どちらも黒い』という、どうしようもなく間抜けな感想だった。

 片方は黒い衣装を着けた女の子、両手にどう見ても銃としか思えないものを抱えて、追ってくるそれに向けて銃火を浴びせかけている。

 もう片方はその彼女よりもなお黒い。というより全身が真っ黒で、しかも横から見た姿はまるで糸のようだった。全く厚みのない二次元世界の住人のような敵。

「ま、魔女!」

 唯の絶叫に、激しい戦いを繰り広げていた二人は一瞬手を止めた。影には表情は無いが少女の顔には明らかな狼狽が刻み込まれる。

「逃げなさい!」

 叫ぶ声は力強く、どこからか取り出した野球ボールほどの大きさのものを影に投げつける。

 と、鼓膜を貫く爆音と烈風が魔女を吹き飛ばした。そのまま少女は唯の傍らに降り立ちもう一度同じ言葉を繰り返す。

「早く逃げて。ここは危険よ」

「で、でも、あなたは?」

「いいから逃げなさい!」

 魔法のように取り出した黒くて重そうな拳銃を構え、その銃口で出口らしき方向を指す彼女。

 外さない少女の視線の先で、影の魔女がその身を起こした。

「走って、振り返らないで。そして、このことは忘れなさい」

 いつの間にか二挺構えになった拳銃を向け、少女が引き金を引く。耳に痛い破裂音をものともせずに撃ちまくりつつ彼女は叫んだ。

「早く!」

 必死の形相を目の端に留め、唯は示された出口へ走った。再び巻き起こる爆音が背中の皮膚をなぶる。

 強い花の香りが濃い硝煙にまぎれて異臭に変わる。

 騒乱の音が遠くなったのを感じ、唯は意を決して足を止めた。

 振り返ると影の魔女は彼女の倍以上に膨れ上がり、無数の蔓薔薇を吐き出して彼女を痛めつける。

 銃の威力によって相手の攻撃は打ち消されているが、相手にダメージを与えられている様子もない。

 素早く宝石を額に当てると、唯は今ここにいてほしい者に声を飛ばした。

『聞こえる、トムヤン君』

『……ユイ? ちょっとまて、どこだそこっ!?』

『魔女の結界の中だよ。だから今すぐに来て』

『そんなバカな! なんでそんなところに!』

『そんなこといいから! 今すぐ呼ぶね!』

 額から石を外し、唯は手を中空に差し伸べた。

「我が声を聞き呼びかけに応えよ。命を共にせし者よ、来たりて我が傍らに!」

 掌に光が灯り、その輝きが一瞬で小さなトビネズミの姿に成り代わった。

「無事かユイ!?」

「私は大丈夫! でも、あの子を助けないと!」

「あの子?」

 トムヤンは爆音の源に目を向け、一瞬息を呑んだようだった。だが、すぐに気を引き締めてこちらを振り返る。

「行けるな、ユイ」

「うん!」

 応えを受けてトムヤンの体が光の塊になり、胸の宝石に弾けて消える。途端に唯を守るように彼の意識が五体を満たした。 

「お願い、トムヤン君!」

『行くぜ……変身!』

 力強い言葉が光を呼び、唯の全てを包み込む。自分の魂の底に眠る力が呼び覚まされ、小さなおともの導きで顕在していく。

 単なる中学生から魔法少女となった彼女の体が宙を舞う。

 前方宙返りの要領で振りぬかれた蹴りの一撃が茨を引き裂き、身動きのできなくなっていた黒い少女を解放した。

「あ、あなた……!」

「もう大丈夫だよ」

 茨で傷つけられた彼女の肌にいたわりの目を向けると、拳を固めて巨大な魔女を見上げた。

「私も一緒に戦うから」



[27333] 第三話「ご飯を食べて行きませんか?」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/30 13:24
 いつも冷静であるように、ほむらは魔女の前に立つとき常にそれを心がけていた。

 声を上げず、無駄に引き金を引かず、いたずらに魔力をすり減らさない。

 自分の魔法少女としての特性は直接攻撃に利用できないが、そのことがかえってソウルジェムが穢れにくい状況を作り出していた。

 だからこそ、武器の管理と補充には心を砕いてきたし、それゆえに冷静、冷徹に行動することができる。

 だが、今の彼女はかなり焦っていた。

(アサルトライフルは五挺、RPGはあと一つ、手榴弾が)

 盾の奥に手を伸ばし手榴弾を投擲。爆発が花開き魔女の茨を吹き飛ばすが、その威力を避けて回り込んだ攻撃が自分を束縛しようと伸びてくる。

(これであと三個)

 事実を脳裏に刻み込むと同時にソウルジェムが輝く。

 その力に従って世界が動きを止めた。暁美ほむらの持つ時間停止の能力が、彼女の存在を一瞬だけ事象の支配者へと押し上げる。

 盾の裏側から取り出した拳銃で茨に銃弾を打ち込み、毒々しい薔薇の森のはるか中天に飛び上がった。

 一進一退の攻防に見えるが、ほむらは自分が追い詰められていることを自覚していた。

 今朝方まで戦っていた【論理の魔女】は、盤上に乗った兵士のコマを全て壊さない限り本体にダメージを与えられないという特性があった。

 もちろんほむら自身もそれは承知していて、あの魔女と当たることを予想して入念に準備をしていた。

 だが、それはあと一日は後になるはずだったのだ。

 そして、運の悪いことに目の前に立ちふさがる【影絵の魔女】も、無数の蔓薔薇を使って攻撃してくる厄介な存在で、相対するのに大量の武器を必要とする。

 予備の武器は隠れ家に帰れば補充することは可能。だが、これほどストックを消費してしまえば、今後の予定も狂いかねないだろう。

 閃いた物思いからほむらが醒め、同時に時の束縛から逃れた魔女が空に舞い上がる。だが、二つの視線は一瞬互いの敵から外れた。

「――!」

 学校の制服を身に付けた一人の少女がうろたえた表情でこちらを見上げている。

 魔女の顔に新たな獲物を見つけた喜色を感じた。右手が無意識に残り少ない手榴弾に伸びる。

「逃げなさい!」

 他人の心配をしている暇などない。だが、声はいつのまにか迸っていた。

 炸裂した手榴弾の威力を背に、彼女のすぐ側に飛び降って敵の視線をさえぎる。

「早く逃げて。ここは危険よ」

「で、でも、あなたは?」

「いいから逃げなさい!」

 どこにでもいるような普通の少女だ。事態の変化に戸惑い、不安そうな表情でこちらを見つめ返してくる。

 その制服が見覚えのある見滝原のものであることを認め、沸き起こる感情を押し殺して声をきつくした。

「走って、振り返らないで。そして、このことは忘れなさい」

 口調とは裏腹に、祈るような思いで最後の言葉を紡ぐ。この場にいれば、魔女との戦闘に巻き込まれて死ぬか、もっと最悪なシナリオが生まれる可能性もある。

 あの白い勧誘者によって新たな犠牲者が生まれる可能性が。

 魔女を牽制するべく取り出した二挺の拳銃を構え、片方で出口の方向を指し示す。

「早く!」

 走り去っていく彼女をかばうように進み出、銃口から火炎を飛び散らせる。【影絵の魔女】の勢いがわずかに衰え、その機を逃さずに素早く走り出す。

「影絵の魔女、その性質は孤高。自らの気高さを示す薔薇の園に一人佇むもの、侵入してきたものとは必ず一対一で戦う」

 茨の束が間欠泉のように噴出し、林立する柱になってほむらを襲う。間を縫うようにして肉薄、茨を蹴ってビルのように巨大になった影に向けて飛び上がった。

「その弱点は、己の思いを示す胸の薔薇を散らされること!」

 自分の背丈ほどもある薔薇に二つの銃が解き放った鋼の威力が吠え掛かる。だが、その弾丸は一枚の花弁も散らすことなく茨の壁に阻まれる。

 壁はほむらの周囲を覆い、体を拘束してのけた。

「くっ」

 茨で作られた籠の中でほむらの唇が焦りを紡ぐ。何とか銃を取り落とさないではいられたが、蔓を切るためには角度が悪すぎる。

 脱出する方法は考え付くが、あまりやりたいとは思えない。だが、このままの状態では死が訪れるのを待つしかないのは明らかだ。

 意を決すると、ほむらは時を止めるべくソウルジェムに意識を差し伸べようとした。

 いきなり、蔓薔薇の籠が強い力で引き裂かれていく。同時に拘束が解け、体勢を立て直しながら地面へと着地する。

 そして、すぐ側に立った人物を見てほむらは瞠目した。

「あ、あなた……!」

「もう大丈夫だよ」

 優しく笑うピンクの衣装を身に付けた魔法少女。それは、さっきまでそこにいた女の子に他ならない。

 彼女は表情を引き締めながら魔女を見上げた。

「私も一緒に戦うから」


第三話「ご飯を食べて行きませんか?」


 黒い衣装の少女の驚いた顔を一瞬だけ確認すると、唯は戦うべき相手をしっかりと見据えた。

「……大きいね」

『大丈夫だ、俺が付いてる。俺が君を全力で守る!』

「誰と、話しているの?」

 怪訝そうな顔をする相手に唯は胸に赤く灯るブローチを指で示す。

「トムヤン君だよ。私を魔法少女にしてくれたおともの子」

「……どういう、意味?」

 なぜか険しい顔をして下がっていこうとする彼女。その顔に浮かぶ強い猜疑心に思わず声を掛けそびれ――

『二人とも後ろだ!』

 弾けるようにその場から飛び退った二人のいた場所に突き刺さる茨、抜き放った拳銃をこちらに向け、黒い少女が叫ぶ。

「あなた一体何者!? そのトムヤンというのはキュウべぇのことなの!?」

「キュウべぇ!? この子はトムヤン君だよ!」

『ちょっと待て二人とも! 今はそんなこといってる場合じゃない!』

 間断なく突き立つ茨の柱を必死で避けながら、それでも彼女は視線も銃口も外さない。

 トムヤンのサポートのおかげで二つの敵意を何とか避けているが、体に掛かる負荷に思わず叫びそうになる。

『俺はあんな奴とは違う! 信じてくれ!』

「つまり、あなたはキュウべぇを知っているのね!」

「私は知らないよぉ! どういうことなのトムヤン君!?」

『あーっ! ったくもうっ!』

 いきなり胸元の宝石が盛り上がり、トムヤンの顔だけがにょっきりと突き出す。唯にむりやり彼女との距離を縮めさせると青筋を立てたネズミは大声で叫んだ。

「今はあの魔女を倒すのが先だろ! 君の名前はっ!?」

「ね、ね、ネズミっ!?」

「そんなことより君の名前だ!」

「あ、暁美……ほむら」

「じゃあほむら! これから五分だけ俺……いや、俺達に協力してくれ! そのあとは煮るなり焼くなり好きにしていいからっ!」

 言うだけ言うとトムヤンの頭がすっぽりと元の場所に納まる。あっけに取られていた少女、ほむらは呆けた顔で唯を見つめた。

「なんなの、それ」

「だからトムヤン君だってば!」

『どうでもいいから敵見て敵!』

 再びの攻撃で分断される二人。だが、その顔からは戸惑いも猜疑も拭われている。黒光りする得物を構えたほむらに、唯は頷いて見せた。

「あいつは、図体は大きいけど弱点がある。あの胸の部分に咲いている薔薇の花よ」

『あれを壊せば良いのか』

「でも、あんなところまでどうやって行くの!?」

『ほむら! 援護射撃してくれ、そうすればあそこまで駆け上がってぶっ壊してやる!』

「それやるの私だよっ!?」

 という突っ込みもむなしく、トムヤンのやる気が四肢を伝わる。半泣きになりながら唯はありったけの思いを込めて叫んだ。

「どうなってもしらないからねぇっ!」

 だが、変化は魔女の側にも現れていた。

 あまりに攻撃の当たらない二人に業を煮やしたのか、黒い影が揺らめいてその体を大きく退かせる。

 距離が開いたのを不思議に思った唯たちの前でアサルトライフルを構えたほむらが声を荒げた。

「今すぐあいつに攻撃して! 早く!」

「な、なんで!?」

「そうでないと……来たっ!」

 唐突に魔女の上空に巨大なシャンデリアのようなものが現れる。良く見ればそれは、無数の色で瞬く白亜の城だ。ただし、まったく逆さまな状態の。

 そこから何かが降ってくる。目の前にしている【影絵の魔女】と似ているが、豪奢なド

レスを身に付けて、どこかの国の姫のようにも見える。もう一つの影は魔女に覆いかぶさるようにして地上に降り立ち、その胸に手を当てた。

「なにあれっ!」

『なんだぁっ!?』

「……剣が」

 ドレスの影が魔女の胸から何かを取り出す。それは磨きぬかれた白銀の輝きを持つ長大な剣、造りはサーベルに似て薔薇を象ったガードが付いている。

 仕事を終えたドレスの影は消え、影絵の魔女が剣を手に立ちふさがった。

「あれはあの魔女の専用の武器。こうなる前に勝負を付けたかったのだけれど」

『魔女ってのはホント何でもありだなっ!!』

「っと、トムヤン君っ!」

 抜き身の剣を捧げ、魔女が一閃する。その一撃は鋭い烈風になって薔薇の園と地面に深い亀裂を刻み込んだ。

 間一髪のところで斬撃を避けた唯とトムヤン、そして空に舞い上がったほむらの顔が恐怖でこわばる。

『こりゃ、シャレになんないな』

「ど、どうしよう!?」

「ただ、あの剣を出した魔女は薔薇の攻撃をしてこなくなる。目標を落とすなら今がチャンスだわ」

『そうか……』

 剣を構えた魔女の攻撃は確かに単調だが、一撃の速度はとても目で追えるレベルではない。

 何とか打開策を模索しようとする二人と一匹に、魔女が容赦のない神速の突きを見舞ってくる。

「きゃあっ!」

「くっ!」

『ユイ! ほむら! 一旦距離を取れ! このままじゃ蜂の巣だ!』

 穴だらけになった地面から離れ、彼我の距離を大きく取る。今まで自分達がいた場所にほむらが何かを放り投げた。

 大振りな筒状のそれが炸裂し、距離を詰めようと殺到した魔女の体が大きくのけぞる。

『ほむらっ、聞きたいことがある!』

「なに!?」

『あの剣を何とかしたら、魔女の薔薇を一発で叩き落せるか!?』

 目を伏せた彼女は、確証に満ちた顔ですぐに頷く。

「ええ。必ずできるわ」

『上等! ユイっ、悪いけど俺に命預けてくれ!』

「い、命って、どうする気!?」

『俺達が囮になってあいつの一撃を引きつける。その間にほむらがあいつをしとめる、ものすごく簡単な作戦だろ!』

 唯は何か言おうとした。だが、それは魔女の切っ先が生み出した烈風でかき消されてしまう。

 右手が無意識に胸の宝石に触れると、そこからトムヤンの気持ちが伝わってきた。

(大丈夫だ、絶対に俺が君を守る!)

 呆れるほど真っ直ぐ過すぎる強い感情。あの小さな体の、どこにこんな気持ちが詰まっているんだろうか、そんなことを考えた唯の口元が少し緩んだ。

『ごめん、やっぱり怖いよな』

「うん。そうだね。でも」

 もう後ろに下がる必要はない。唯は向かってくる巨大な暴力に向かってしっかりと足を踏ん張り、心を固めた。

「すっごく怖くて心細いけど、君と一緒だから、平気だよ」

『ありがとう、ユイ!』

 こちらの動きに合わせてほむらの黒い影が視界から消える。魔女が剣を脇に構え必殺の突きを溜めた。

 その全てを認識しながら、唯は静かな気持ちでおともと心を重ねて言葉を紡ぐ。

『少女を守る思いの力よ、容を取りて姿を顕せ』

「炎よ、我らに拓く力を」

 そして、一人と一匹は秘められた力を解放した。

「『纏え、ブレイブフォーム』!」

 炎が全身から噴出し、切っ先が命を刈り取るべく殺到する。

 澄んだ鐘の音のような金属音が結界の大気に鳴り響き、吹き払われた炎のヴェールの下から、巨大な魔方陣で剣の一撃を防ぐ唯の姿が現れた。

『今だ、ほむら!』

 黒い影が空を駆け、無防備になった薔薇の前に躍り出る。RPGを肩に担いだほむらは無言でトリガーを引いた。

 真紅の薔薇は、炸裂する爆炎の華によって燃え散っていった。


 すべてが終わり、二人の少女は郊外の空き地に立ち尽くしていた。

 ついさっきまで過酷な戦いが行われた場所であることすらうかがわせない、不気味な静けさが支配している。

「説明してもらうわ。あなたは一体何者なの」

「トムヤン君……」

『分った。今変身を解くから、その物騒なものをしまってくれ』

 こちらにずっと向け続けていた拳銃をほむらがしまいこみ、唯と一緒にトムヤンがほっと安堵の息をつく。

 そして、まとっていた衣装を解いて一人の中学生と一匹のトビネズミが姿を現した。

 こちらの変化を見た彼女の視線が驚きを含む。その様子に頷くと、掌に載せられたトムヤンは唯を見上げた。

「じゃ、ユイから頼むよ」

「え!? わ、わたし!?」

「俺の方は説明が長くなりそうだし、身元を明らかにしておいた方が彼女も安心すると思うから」

「うん。えっと、私は香苗唯、見滝原中学の二年生です。部活は陸上部をやっていて、今はこのトムヤン君の力で魔法少女にしてもらってます」

 紹介した小動物をそっと彼女に差し出す。未だに変身を解いていない黒い少女は、じっと毛玉を睨みつけた。

「頼むから、そんな目で見ないでくれよ」

「そんなことはどうでも良いわ。話しなさい、あなたは何なの」

「……俺はトムヤン。おともの世界から来た魔法少女のおとも……だ。今は、ユイと契約して彼女のサポートをしてる」

「おともの、世界? それは、あいつらがいる世界ということ?」

 ほむらの眉間にきつい皺が刻まれる。全身から立ち上る雰囲気が肌を刺すように感じられた。その冷たい視線に晒された唯の膝が小刻みに震える。

「ちょっと待った! 勘違いするな! あいつは俺たちの中でも異端なんだ!」

 必死なネズミの弁明にほんの少し怒りの沸点を下げ、元の無表情に近い顔立ちに戻っていく。

 その変化に再び一人と一匹はほっとため息をついた。

「詳しい事情を聞く必要がありそうね」

「そうだな。俺の方もちょっと事態を整理する必要があるし」

「それなら……」

 おずおずと声を掛けようとした唯の体から何かが鳴くような音が響く。

 緊張が解けて元気になった腹の虫に頬を赤らめつつ、少女は改めて言葉を継いだ。

「家に来て、ご飯食べて行きませんか?」



[27333] 第四話「無関係なんかじゃいたくない」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/08 13:24
 割とこじんまりとした家だった。

 平均的な二階建で、狭い玄関口の近くには二階への階段、奥へ通じる廊下の先にダイニングキッチンといった感じで間取りも一般的だ。

 そのごく普通の家で、暁美ほむらは戸惑いを覚えていた。

「どうした? 早く食べないと冷めるぞ?」

 ほかほかの白いご飯を盛られたお茶碗と味噌汁の入った塗り椀、煮物やおしんこの入った小鉢、

 そしてピスタチオをぽりぽりかじる喋るネズミを見やり、ほむらは微妙な表情を浮かべるしかなかった。


第四話「無関係なんかじゃいたくない」


 時間はほんの少し遡る。

 唯という少女の後について彼女の家にやってきたほむらは、深まる謎を解くべく思考をフル回転させていた。

 ここまで歩いてくる間に手に入った情報は、彼女がキュウべぇの力を借りずに魔法少女になれる存在であり、ソウルジェムの代わりをしているのが、トムヤンと名乗る奇妙なネズミであるということだった。

 ほむらにとってキュウべぇ、いやインキュベーターという存在は確実に敵だ。

 それは打ち滅ぼす相手であり、自分の願いをかなえるために排除すべき対象でしかない。

 人間の希望を絶望へと反転させ、その過程で生み出されるエネルギーを回収するだけの存在。それが全てだし、それ以上知ろうとも思わなかった。

 だが、目の前にいるこれはなんだ。

 見た目も全くキュウべぇとは似ていないし、ただ一人の少女に専属で付いているインキュベーターなど聞いたことが無い。

 例外は自分の先輩であったあの人だが、実際には常にその側にいたわけではなく、自分の管轄する地域にいる魔法少女を巡回する途中で顔を出していたに過ぎなかった。

「適当に座っててね、明美さん」

 リビングの明かりをつけると、唯が隣のダイニングに入っていく。半分開け放たれたドアに向かってネズミが問いかける。

「ユイー、俺も腹減ったんだけどなんかないー?」

「クッキーあったでしょ? 暁美さんにも分けてあげてね」

「はいよー」

 ネズミは素早くキッチンへ走り、体の三倍はありそうなお菓子の袋を背負って戻ってきた。

 そのまま、クッキーの袋の下から、小さな瞳がこちらを見上げてくる。

「悪いんだけど、これ取って上の菓子鉢に入れてもらえないか?」

「……ええ」

 明らかにほっとした表情。そうだ、この異常な表情の豊かさもほむらに警戒心を抱かせる要素だ。

 確かにキュウべぇも感情表現らしき行動をすることもある。

 笑顔のような形に顔を作る事もできるし、嘆息したり驚いたような声音を出す事もできる。

 だが、目の前のネズミのように『相手の顔色を覗ったり』は絶対にしない。ましてや、こちらの態度が軟化したときに安堵してみせるなど。

「これ、ユイのお母さんが買ってきた奴なんだ。俺はうまいと思うけど、ユイは好きじゃないみたいでさ」

「……そう」

「カロリーとか気にしてるなら大丈夫だぜ? これ、全粒粉使ってる奴で食物繊維とか豊富だし、ステビアで味付けしてあるんだってさ!」

 トムヤンは必死に話題を振ってこちらとの会話を繋ごうとしている。はっきり言って話術はキュウべぇの方が上だろう。

 というか、こちらのご機嫌をうかがおうと必死すぎて涙が出るレベルだ。

 いい加減鬱陶しくなってきたので、ほむらは会話を打ち切らせるべく口火を切った。

「無駄話をするのは楽しい?」

「うっ」

「私はあなたと馴れ合うために来たんじゃないの」

「……ごめん。でも、その、ちょっとは友好的な雰囲気をさ」

「だめだよートムヤン君、あんまりうるさくしたらー」

 エプロンをつけた唯がひょいとネズミをつまみあげる。事態を把握していないのか、魔法少女になった割には態度に切迫したものが感じられない。

「ごめんなさい、この子すごくうるさいでしょ?」

「ユイ、なにげにひどいぞそれ」

「気にしてないわ。それより、私はここに重要な話をしに来たつもりなんだけど」

「そうだよね。私も聞きたいよ、いろいろと」

 などと言いつつ彼女はエプロンを外し、適当なカップを取り出して飲み物の準備を始めていた。

「暁美さんは何がいい? コーヒーか緑茶しかないけど」

「……何でもいいわ」

 そんな受け答えをしながら、なんとなく落ち着かない気分になる。

 誰かの家に行ってお茶をご馳走になる、そんな人間らしい行動をしたのはいつ以来だろう。

「そういえばお母さんの晩御飯どうしよう」

「雑炊作ってあげたらいいじゃん。冷凍のご飯とささみがあったろ」

「そっか。ネギもあるし……」

 ありえない。ほむらの心が半眼になってうめき声を上げる。魔法少女にした相手と和やかに晩御飯の相談をするなんて。

 そう思った瞬間、知らずのうちに声を荒げてしまっていた。

「いい加減にして! 私はここに茶番を見に来たわけじゃないわ!」

「暁美さん……」

「……」

 顔を曇らせる唯と、テーブルの上でうつむくトムヤン。どうしようもない気まずさが部屋の中に流れていく。

 そんな状況を動かそうとしたのかネズミはあえてこちらへ近づいてきた。

「その、ごめんな。たださ、別にはぐらかそうとか、そういう気持ちじゃなかった
んだ。俺は君と敵対する気はないし、唯に変な感情を持って欲しくなかったか
ら……」

「馴れ合うつもりはない、と言ったはずよ」

「でも、ギスギスした空気でも、冷静な判断を下せないだろ?」

「私ははっきりさせたいだけ。あなたが敵か、そうでないのか」

 少し目を閉じ、それから意を決した表情でネズミは頷いた。

「分った。それじゃ、説明させてもらうよ」

 それからその小さなネズミが語ったことは、彼女にとって意外な、と言うよりも信じられないことの連続だった。

 彼とインキュベーターが同じ世界からやってきており、彼らの世界においても犯罪者として扱われているということを。

「つまり、そのおともの世界というものが、奴らを野放しにしたというわけね」

「そう言われても仕方が無い。責めるならいくらだって責めてくれていい」

「そんなことをして、済む問題じゃ無いわ」

 冷静に反応しようとしながら、それでも気持ちが収まらない。目の前の小さなネズミを捻り潰してしまいそうなほど、強い怒りがこみ上げてくる。

「結局、あなた達は奴らをどうするつもりなの」

「分らない」

「分らない!? そんなこと暢気に言っている場合じゃないでしょう!? 今すぐにあいつらを何とかしてよ!」

 黙ってうつむいてしまったネズミを片手で掴み取る。そのまま高く差し上げ、ほむらは絶叫した。

「どうして!? どうしてこの世界はこんな風になったの!? どうして早く何とかできなかったの!? 私が! まどかが! みんながあんなに苦しんだのに!」

「や、やめて暁美さん!」

「答えて……っ、答えなさいよぉっ!」

「やめてっ、トムヤンが死んじゃうっ!」

 強い衝撃を喰らって体が地面に投げ出される。倒れ伏したまま、ほむらは自分を突き飛ばした涙目の少女を見上げた。

「この子はっ、この子は私を助けてくれたの! 命がけで……自分が自分でなくなっちゃうのを我慢して!」

「あなた……」

「もう少しで、魔女に食べられて死んじゃうところだったの! それを……この子が」

 彼女の掌の中で、小さなネズミはぐったりとしていた。力を失い、四肢をだらしなく投げ出して。

 かすかに腹部が動いていなかったら死んでいると思っただろう。

「この子は、トムヤン君だよ……キュウべぇじゃない……」

 茶番だ、こいつらはこんなことになったって死なない、死なないはずだ。頭の中で何度も繰り返す、繰り返しているのに。突き刺さる後悔と罪悪感が拭えない。

「泣くなよ……ユイ。俺は、大丈夫だ」

「トムヤン、君……」

「ほんとに、ごめんな。ほむら」

 首を傾けてこちらに視線を合わせると、呟くように彼は言葉を継いだ。

「俺が謝っても、なんにもならないのは分ってるし、謝るしか、出来ないけどさ」

「そんな言葉を聞きたいんじゃ、ないわ」

「分ってる。それでも、ごめん」

 一時の激情が引いていくと、心の中には冷えた感覚だけが残っていた。不器用すぎる謝罪を述べるしかない小さなネズミは、おそらく素でそう言っているのだろう。

 嘘で取り繕うことも弁明をする事も無く、事実だけを述べる。その後、自分がやり場の無い怒りをぶつけられる対象になることも覚悟しながら。

 胸にこみ上げる悲しみと憤りをこらえながら、ほむらは疑問をぶつけた。

「どうして、分らないの?」

「……なにが、だい?」

「あなた達の世界が、あいつらをどうするかと言うことが」

「俺が、ほんとのおともじゃないからさ」

 弱々しく笑いながら、彼は自嘲を呟いた。

「ここに来る前、俺は派遣されるはずだった世界から、来なくてもいいと言われたんだ。あいつの起こした事件で、おともの世界の信用が、落ちたからな」

「じゃあ、どうして私のところに?」

「君の助けを求める声を、聞いたからさ」

 ようやくまともに話が出来るようになったらしい彼は、唯の掌の上に身を起こした。

「俺達おともは、世界の要請を受けて動く。逆に要請の無い世界に出向くのは重篤な犯罪行為なんだ。だから、俺もあいつと同じ犯罪者だ。

 そして、この世界の事も、あいつの事も何も知らされて無い」

「つまり、あなたはおともの世界がどう動くかも知らないし、帰れば犯罪者として捕まる立場に過ぎないということね」

「対策はしていると聞いたけどな……。ユイ、ゴメンな。君を魔法少女にしたのは、俺の勝手な判断だ」

 涙を拭いながら、少女はゆっくりと首を振った。

「でも、あれは私を助けるためだったでしょ? それに、私を魔女と戦わせないようにしてたのも、これ以上巻き込みたくなかったからなんだよね?」

「できれば、そうしたかったんだけどな。この町には魔女が多すぎるらしい、折角掛けた探知妨害もすり抜けて魔女に出会っちまうんじゃな」

 彼は立ち上がってこちらを見つめた。その顔には何かを決めた意志のようなものが刻み込まれているのが感じられた。

「信じてくれなくてもいいし、俺が憎いなら……思う存分、恨みを晴らしてくれていい。でも、もし君が許してくれるなら、俺に協力させてくれないか」

「なにを?」

「あいつを捕まえて、この世界から奴を追い出すことに」

 その提案にまず湧いたのは、不信と猜疑。次いで疑問と混乱。その感情が頭の中で唸りながら回転して行く。

 この小さなネズミの言っていることはどこまで信じられるのか。これは奴らの新しい手管の一つではないのか。

 そもそも、こんな経験は今までのどの時間でも一切起こらなかったことだ。

 今までの時間、その単語に思い当たったとき、ほむらの背筋にちりちりとした感覚が走っていた。

 時の迷路で彷徨いながら必死に光を求め続ける。その、無意味とも思えるトライアル&エラーの積み重ねの中にあって、これは初めての違った要素だ。

 慎重に扱わなければならない。だが、使わない手は無かった。

 そしてほむらは、小さなネズミに最初の仕掛けを行った。

「分ったわ。でも、それには一つだけ問題がある」

「……俺が信用できないってことか?」

「そんな当たり前のことじゃないわ。彼女のことよ」

「わ、わたし!?」

 冷たく、どこまでも冷たく、感情を押し殺して告げる。この質問で、これが何を考えているのかが分るだろう。

「彼女は単に魔女に襲われた無関係な人間よ。私に協力するということは、必然的に彼女を巻き込むということになるわ。

 あなたはそれを理解しているの?」

「そ……それは……」

 ネズミはひどく狼狽している。その動きから発散される感情がほむらの目にくっきりと焼きついた。

 もしこれがインキュベーターのバージョンの一つであるなら、連中の人間に対する理解度は、想像をはるかに越えて上がっているとしか言いようが無い。

「お、俺が君に張り付いて出来る限りサポートするってのはどうかな?」

「アドバイザーは必要ないわ。私はこの世の誰よりも魔女と奴らに対する情報を持っているから。私が欲しいのは、戦力よ」

「そんなこと……は」

「あのさ、二人とも、ちょっといいかな」

 気弱な笑顔を浮かべた香苗唯は、おずおずと自分の言葉を会話に投げ込んできた。

「私、協力してもいいと思ってるよ」

「ユイ!?」

「……あなた、事態が全く飲み込めていないようね」

 視線を目の前の少女に合わせ、その真意を汲み取ろうと全神経を鋭角にする。

 やつらはしてこなかった手口だが、万が一『操られている』という可能性も否定できない。

「あなたは無関係なのよ? 戦う理由なんて……」

「無関係じゃ、ないよ」

 首に掛けられたペンダントを指に絡め、香苗唯は一言一言かみ締めるように言葉を投じていく。

「魔女って、もっとたくさんいるんでしょ? 私や明美さんがやっつけたの以外にも」

「ええ……」

「だとしたら、私がまた襲われたり、もしかしたら全然違う子が……ひどいことになることもあると思うんだ」

 掌に載せたネズミをテーブルの上に下ろすと、彼女もほむらに視線を合わせた。

 その顔には戸惑いとほのかな覚悟が見て取れた。

「だとしたら、私も無関係じゃない。無関係なんかじゃいたくない。だって、もう、知っちゃったから」

「……そう。それなら、あなたはどう思う? ……トムヤン」

 言葉の銃弾が正確にネズミを貫く。びくりと体を震わせたちいさなおともは、苦しみながら口を開いた。

「ユイ……俺は……」

「大丈夫。私、がんばるから。それにね」

 少し言葉を切り、それから彼女は悪戯っぽく笑った。

「ここで暁美さんを助けてその悪い子を捕まえたら、おともの世界だってトムヤン君を許してくれるんじゃないかなって、思ったりするんだよね」

「ゆ、ユイ!?」

「私、君に助けてもらったでしょ? 今度は私が助ける番。それから、暁美さんもね」

「……香苗、さん?」

 意外な一言に言葉が詰まる。当惑した自分に向かって唯はそっと頭を下げた。

「今まで、暁美さんが魔女と戦ってくれたから、私達が普通に生活できてたんだもんね。ありがとう」

「え……」

「……そうだな! おっし!」

 がつん、という音を立ててテーブルで頭を一打ちしたネズミは、さっぱりとした顔で顔を上げていた。

「そこまで考えてるなら、俺も腹を括るぜ。全力で支えるからな! ユイ!」

「うん! がんばろうね!」

 すっかり雰囲気のほぐれた二人を前に、ほむらはぎゅっと胸を押さえていた。

 彼女の言葉が刺さったままの胸を。

『今まで、暁美さんが魔女と戦ってくれたから、私達が普通に生活できてたんだもんね』

 違う、私は、そんな、いいものじゃ。

「……暁美さん? 何処か痛いの?」

「い、いえ。なんでもないわ」

「そっか。それじゃ、そろそろご飯にしない?」

 再び戸惑うこちらに向けて照れ笑いする彼女は、言葉を掛けながら応接間の隣のダイニングへと誘った。

「私、さっきからお腹が鳴っちゃって止まらないの」

「運動部だもんなー、しょうがないって」

「でも、私は……話をしに来ただけで……」

「いいからいいから! さ、そこの席に座って!」
 
 そして、今。

 ほむらはほかほかご飯を、おずおずと口に運んでいた。

「ごめんね。うちって和食中心だから、おばあちゃんちみたいなメニューでしょ?」

「和食いいじゃん、ってか、ほむらは和食好きか?」

 そう言うトムヤンはたくわんをぽりぽりと齧る。本人は『ピスタチオがご飯でたくわんはおかず』らしい。

 炊いたばかりの白米は少し口に熱いぐらいだ。その熱はコンビニ弁当などでは決して味わえないものだった。

 いや、自分が今まで生きてきた中で、炊き立てのご飯を食べる機会がどの程度あっただろうか。

 入院中の食事と、戦い続ける日々の中での栄養補給、そのどちらも味気の無いものでしかなかった。

「食べられないものがあったら言ってね」

「……大丈夫、みんな美味しいわ」

「そっか! よかった」

 実際には美味しいかどうかは分らなかった。味覚の贅沢を思うことなど、これまで無かったから。ただ、目の前のものは、どれも暖かかった。

 黒い塗り箸できんぴらごぼうをつまむと、ほむらは少し野暮ったい感じのするそれを、じっくりとかみ締めた。



[27333] 第五話「あなたと私の仲だもの」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/11 09:48
「……キュウべぇって、一体じゃなかったのかぁっ!?」

 こちらの絶叫にうるさそうな視線を投げつけ、ほむらは淡々と説明を続けた。

「人間の少女を魔法少女へ、そして魔女へ変換するシステム。その端末がインキュベーターよ。

まさか、あなた達はそんなことも知らなかったの?」

 ほむらと共闘を約束した次の日。場所は再び香苗家の食卓で、状況説明と対策会議という名の食事会が開かれていた。

 そして、トムヤンは初めて敵となる存在の実態を知ることになったのだ。

「そんな……いや、そうか。それならおとも世界の反応が遅かったのも納得がいくな」

 思った以上に深刻な状況を聞かされて、トビネズミは頭を掻いた。

 元々、たった一体のおともが起こした事件に、上層部が苦慮すること自体がおかしな話だったのだ。

 事が起こった時点で単に新たなおともの派遣をするなり、異世界へ渡航可能な魔法少女に依頼をすればいい。

 だが、それが一体ではなく複数体で、いくつもの世界で同時に事件を起こしたら。

 おそらく、自分の派遣先が取り消されたのも、インキュベーターが入り込んでいる可能性のあるエリアだったからだろう。

「そういうことなら、俺たちの責任もますます重大ってことだ! なぁ、ユイ」

「う……うん」

 口にしていたカップを外すとなぜか唯は曖昧に、複雑な表情で頷くと口を開いた。


第五話「あなたと私の仲だもの」


「その、魔女になっちゃった人って、元には戻せないの?」

 重い口調で掛けられた問いかけを、ほむらは首を振って否定した。

「多分無理ね。奴らは知っているかもしれないけど、知っていても教えないでしょうし」

「……暁美さんも、いつか魔女になっちゃうの?」

 顔を曇らせた唯を見上げ、トムヤンはそっとその指に自分の体を沿わせる。

「私のことは気にしないで」

「でも!」

「ユイ、今はほむらに同情する時じゃない。俺達は戦力として期待されたんだ」

 暁美ほむらが見かけどおりの存在で無いことは十分承知している。

 そして、瞳に秘めた決意を見れば、下手な同情は却って失礼だと思った。唯に心の中で詫びつつ、トムヤンはあえて彼女の一言を押しとどめた。

 いつもは厳しく冷たいものしかよこさない黒瞳に、柔らかい感情のようなものが一瞬垣間見えた。

 軽くサムズアップしてやると、なぜかふいっと視線を横にそらされてしまう。

 つれない仕草に肩をすくめながら、トムヤンは二人を見やった。

「それに、そのグリーフシードを俺たちの世界に持ち帰れば、何とかなるかもしれない」

「本当に!?」

「確証はあるの?」

 思い切り食いついてきた少女達にたじろぎながら、あくまで可能性でしかないけど、と前置きをして解説する。

「もちろん、必ず元通りに出来るとは約束できない。ここじゃない別の世界では、人間の魂どころか肉体までを変質させてエネルギー結晶にする技術があるし、

そうなった場合は絶対に元に戻すことはできないんだ」

(そういえば、あれもいくつかの階梯を経て得られるはずの「石」の材料に人間を使ってたんだっけ)

 エネルギーにまつわる話の、業の深さにげんなりしつつ、トムヤンは話を続けた。

「ただ、グリーフシードの方は肉体は残るって話だし、可能性はあると思う」

「そっか……よかった」

 本当に素直に安堵する唯の顔を見て、トムヤンは喜びと共に後ろめたさを感じていた。

 魔女になった女の子達を助けたいというのは自分も同じだし、出来る限りのことをしたいとは思っている。

 ただ、おともとして、人間の根源に近い部分から世界を見たものとして、世界はとてつもなく残酷な回答を用意していることの方が多いことを知っていた。

 ほむらの持っているソウルジェムを見れば、その魂がかなり乱暴な形で改造を施されているのが分る。

 ただのエネルギー抽出機に、人間に必要な要素を与えたものと言っても過言ではない。

 だからこそ、心のどこかで割り切ってしまったのだ。

 こういう話に犠牲は付き物だと。

 でも、自分の主人はそんな現実を嫌だと思っている。そして、なんとかしたいと思っている。

 そんな優しい彼女のためなら、なんだってしてみせる。

「ユイ」

「ん?」

 ありったけの思いを込めて、トムヤンは笑顔で唯に告げた。 

「がんばろうぜ」

「うん!」
 
 暗い夜道を歩きながら、唯は心臓が高鳴るのを感じていた。

 本来なら寝ているべき時間に外を歩いている。

 もちろん、ほむらとトムヤンの先導があって誰にも見つかることはないのだが、背徳感が心をちくちくと刺している。

 そして、それ以上に、湧き上がる興奮が鼓動を早くする大きな原因だった。

 戦うことには抵抗感があったし、ほむらのことは今でも気になっている。

 でも、自分には魔法という新しい力があり、そのことでみんなを救うことが出来るかもしれない。

 希望と、未知の世界が同時に開けていく感覚が、唯を高揚させていた。

「ここよ」

 案内されたのは建築途中で廃棄されたビルの前だった。助走も付けずにほむらの体がひらりと閉鎖された門を乗り越える。

「早く来て、時間が無いんでしょう?」

「う、うん!」

「とりあえず、変身していこうぜ」

 トムヤンの意見を容れて変身すると、彼女と同じ軌道を描いて閉ざされた敷地へ
と降り立つ。
 そこにはすでに変身を完了させたほむらが待っていた。

「それがあなたの変身した姿ね」

「う、うん」

「でも、この前は真っ赤な服で、手の部分にも防具が付いていなかった?」

『そいつは俺が説明するよ!』

 元気のいいトムヤンの返事に顔をしかめる彼女を見て、思わず苦笑いをしてしまう。例のキュウべぇという存在のせいか、ほむらはトムヤンのことを嫌っているようだ。

 もう少し仲良くして欲しいという願いもむなしく、今のところお互いの関係は改善されていない。

『ユイの変身には今のところ二つのフォームが存在する。今のは【プライマルフォーム】

攻撃、防御、素早さを平均的に強化した状態だ。攻撃は肉体を使ったものだけしか使えないけど、【エンチャント】の能力が使用できる』

「魔力で物体を武器化する能力ね」

『そうだよ。それで、もう一つのフォームが……じゃあ、ユイ』

「うん」

 要請に応じて目を閉じ、心を重ねてコマンドを口にする。

『少女を守る思いの力よ、容を取りて姿を顕せ』

「炎よ、我らに拓く力を」

「『纏え、ブレイブフォーム』」

 全身が燃えるように熱く、同時に活力で満たされる。

 胸のブローチから噴出した炎があっと今に全身に広がって、全ての衣装が赤を基調にしたものに変換された。

 そして両腕に凝った紅蓮が篭手の形を取り、頭の部分に鉢巻が巻かれていく。

 変換が完了すると、どことなく誇らしげなトムヤンの声が注釈を加えた。

『これが【ブレイブフォーム】。最初の魔女との戦いで偶然発現したんだけど、この状態が一番攻撃力と防御力が高い。

その代わり素早さに回してた魔力まで使ってるから、動きは並みの人間よりちょっと早いぐらいだ』

「一体、どうやったらこんな状態に?」

「えっと、おとうさんとおかあさんがくれたお守りの力っていうか……その」

 口ごもってしまったこちらの言葉を引きとって、おともが笑いながら説明を続ける。

『プライマルフォームのエンチャントって、その人間と縁の深いものであれば強力な武装としてフォームに加えられるみたいなんだ。

思いを力に変えるのが魔法だからな。ユイの持ってたお守りに力を与えて生まれたのがこれさ』

「理屈は良いわ。能力にはどんなものが?」

『まずは【インビンシブル】、左手の篭手から出せる防御結界だな。この前、影絵の魔女の攻撃を封じたのがこれ』

 軽く左手をかざして法円をイメージする。そこに現れたものを見て、ほむらの目力が少し強まった。

「強度を試してみてもいい?」

『ユイ、どうする?』

「いいよ。でもどうするの?」

 無言で拳銃を手にする彼女に、思わず腰が引けてしまう。その様子を察したのかほむらは少し顔の緊張を緩めてくれた。

「嫌ならやめても良いわ。ただ、正確な評価が出来なければ協力も無理ということで」

「暁美さんって、結構厳しいね」

『ユイ、大丈夫だ』

 いつも通りの励ましの言葉を受けて唯は頷き、結界を支えるように両手を伸ばす。全身全霊を込めて目の前の障壁に意識を集中した。

「じゃ、行くわ」

「うんっ、って、えっ、ちょっとまっ!」

 いきなりこちらに向けられたロケットランチャーに叫ぶ暇もなく――

 恐ろしい爆音と閃光、猛烈な煙が着弾地点で展開される。そして、爆心地に残された無傷の唯と、それを満足げに見つめるほむらが残された。

「あ、あ、暁美さんっ!」

「すばらしい成果ね」

『いや、ちょっと待て! なぜそんな「やったね!」みたいな雰囲気に!?』

「これはあなた達が戦力になるかを計るための行動でしょ? 
とっさの異変で崩れるような障壁で無いことが分ったし、文句は無いわ」

(もしかして、暁美さんって天然?)

 限りなくマイペースなお言葉に思わず冷や汗が溢れてくる。とはいえ、彼女に信用してもらったなら、それはそれでいいことなのだろう。

 そう思うことにした。

「で、右の篭手は?」

『……こっちは【アナイアレイト】。衝撃と炎を伴って何でも破壊する必殺の拳だ。
攻撃範囲は狭いけど、【インビンシブル】を越えて打撃を与えることが出来るぜ』

「じゃあ、次はこれを」

 ほむらが指し示したのは自分の背丈より少し小さいぐらいのドラム缶。あまり気が進まないが、唯は拳を固めた。

『ユイ、最初は発火させずに行くぞ』

「うん!」

 トムヤンのサポートで正確な射角が教示され、そのまま接近しつつ同じ軌道を描いて右フックを放つ。

 腹に響く重い衝撃と共に、ドラム缶が三メートルほど宙を舞った。

『左で打ち上げ! 締めに右ストレート!』

「はい!」

 拳を包むように【インビンシブル】を展開、体を擦るようなアッパーを放ち、空中のドラム缶を突き上げる。

 その動きを目で追いながら、右拳を引きつける。

『行けっ!』

「やああああああっ!」

 放たれた拳に劫火が宿りドラム缶の芯を正確に打ち抜く。

 炎と衝撃が先ほどの二撃でひしゃげていたドラム缶を真っ二つに壊裂、爆燃させた。

「……すごい威力ね」

『これでもまだフルパワーじゃないんだぜ? ユイの集中力や精神状態で、威力はもっと上がるんだ』

「でも、なんだか……複雑だなー」

 こみ上げる切なさと言うか悲しさと言うか、そんな感情をもてあまして、じっと手を見る。

『なにがだい?』

「これじゃ私、魔法少女じゃなくて暴力少女って感じだよぉ」

『いや、その、ほら! いまどきの魔法少女って色々いるから! 関節技主体とか、遠距離砲撃の鬼とか!』

「な、なんか、それはそれで嫌だなぁ」

『そんなこといったら、ほむらなんて拳銃で手榴弾でロケットランチャーだぞ!?

 リリカル・トカレフ・キルゼムオールでヤンマーニだぞ!?』

「ふーん、そう」

 とてもとても、冷たい肯いが唯の首筋をなぶる。こちらを見つめる黒い少女の顔はいつも以上に無表情に見えた。

「あなたたちが私のことをどう思っているのか、良く分ったわ」

「わ、私じゃないよ! 悪いのは全部トムヤン君だから!」

『え!? あ、いやそうじゃないんだ! あくまで俺は魔法少女にもいろいろあるんだってことをだなっ!』

「ちなみに、これはグロック17。トカレフは使って無いわ」

『や、やめてー! ピンポイントで本体狙わないでー!』

 慌てて二人で平謝りすると、ほむらはあっさりブローチに突きつけていた銃を収めた。

 もしかして気を悪くしたのではなく、からかわれたのかもしれない。

(なんか、暁美さんが分らなくなってきた……)

 そんな唯の苦悩をスルーするように、ブローチのトムヤンはほむらに質問をぶつけた。

『ところで、こっちの手の内は晒したんだ。そっちのカードも切ってもらおうか?』

「私の魔法は、マジカルアサルトライフルよ」

『真顔でボケんな! てか、そういうはぐらかし方はずるいぞ!』

「あなたが言ったんでしょ。私は近代兵器を使う魔法少女だって」

 どうやら意外と根に持つタイプらしい。というより、トムヤンという存在がやっぱり気に食わないのか、ほむらの態度は取り付く島も無い調子だ。

『……暁美ほむらさん』

 咳払いを一つして言葉を改めると、トムヤンは勝手に変身を解いて元の姿に戻り、地面に頭をこすり付けた。

「私が悪うございました。どうかご機嫌を直していただいて、あなたの能力を教えていただけないでしょうか」

「……今度はマジカル土下座?」

「やっかましいっ! こっちの誠意を嫌なツッコミで流すな!」

「ぷっ」

 きわめて冷静で嫌味たっぷりの突っ込みとトムヤンの行動が絶妙に絡み合って、思わず噴出してしまう。

「ちょ、も、もうやめて……ふたりとも、けけんかしなぶふーっ」

「仲裁するか笑うかどっちかに絞れユイ!」

「仕方ないわね。香苗さんに免じて、今日この一瞬だけは許してあげる」

 なぜか口元をむずむずさせながら髪を掻き揚げたほむらは、表情を真面目なものに変えて左手の盾をかざした。

「私の能力は、これ」

 その呟きと共にほむらの姿が掻き消える。慌てて振り向くと、そこには同じように表情を消した彼女が立っていた。

「瞬間移動……か?」

「いいえ。私は、時を止められるの。時間停止が私の魔法よ」

「……すごい」

「思いっきりレアスキルじゃねーか! って……ん?」

 素直に感心する唯の目の前で、なぜかトビネズミの体がふるふると震えている。

 そして高くジャンプすると、ほむらの襟のところにがしっとしがみついた。

「その能力! ユイと交換してくれ!」

「は?」

「へ?」

「いや、ほらさ! 『ユイ』に『時間停止』って、もうこれははまり過ぎだろ!」

「意味が分らないわ」

「うわ、くそっ! ユイ! おじいさんか誰かから懐中時計とか預かってないか!? ぜひ開発しよう時間停止!」

 妙なところに食いついたネズミに胡乱な視線を投げるしかない唯に、ほむらはやや同情したような表情を浮かべて呟いた。

「苦労するわね、あなた」

「うん……。そうだねぇ」

 その日は結局単なる情報確認とレクチャーだけで終わり、ほむらは一人夜道を歩いていた。

 騒がしい魔法少女とそのおともは、まるで友達と遊んだ帰りのような朗らかさで帰っていった。

 あの明るさにはついていけそうも無い。自分とは立場も状況も違いすぎるのだ。

 とはいえ、そのおちゃらけた雰囲気とは裏腹に、主従の能力は間違いなく本物だった。

 攻撃力に関しては、多分現状で存在する魔法少女の誰よりも抜きん出ているだろう。
 超近接戦闘を余儀なくされるが、例の防御結界の存在がその心配を帳消しにしている。

 障壁を張りつつ敵の攻撃を遮断、かつその壁を抜いて打撃を与えられるなど、魔法少女の常識を根底から覆していた。

 トムヤンの言うとおり、確かに彼らは『この世界の魔法少女』ではないのだ。

『とりあえず、あなた達の実力は分ったわ。暫くは私の魔女狩りを手伝ってもらうことになると思う』

『ほむらがポイントマンで、ユイがアタッカーって感じだな』

『それはいいんだけど……暁美さんは、学校とかには行ってないの?』

『行くわ。もうじき、あなたの通う見滝原に』 

 驚いた二人の表情を思い出し、ほむらはふと空を見上げた。

 満ちた月が空に昇り、世界が煌々と照らし出されている。

 彼女にとって、それはとてつもなく重要な意味を持っていた。

「ワルプルギス……」

 やがて来る運命の時を思い、呟く。

 入念な準備と、出来る限りの戦力確保をして、それでも満足のいく形に討ち果たすことのできない最大の難関。 

 だが、今まではあくまで正攻法。今度は全ての計算を根底から覆すワイルドカードが手の中にある。

 事態がどう動くかは分らないが、それはきっと想像も付かないゴールへと導いてくれるだろう。

 そこに待つのは夜明けか、永久の闇か。

 闇なら怖くは無い、これ以上事態が悪くなることなどありえないから。

「待っていて、まどか」

 もうじき出会うはずのたった一人の友達を思い浮かべ、ほむらはひとりごちる。

「今度こそ、あなたを救ってみせる」

 その顔には、悲壮感よりも色濃く浮かび上がった決意と、ほのかな希望が見えていた。


 二人の魔法少女と一匹のおともが共闘を結んでいた頃、都会の闇で一人の少女が舞い踊っていた。

 自らの軸を決めて優雅にターン。振りかざした両腕の下に幾本もの棒状のものを突き立て、白い繊手がそれを引き抜く。

 それは、見事な装飾が施されたマスケット銃だ。わずかな指運で発砲、襲い掛かる影をなぎ倒していく。

『取り込み中失礼するよ、マミ』

「あらキュウべぇ、ごきげんよう」

 黄色を基調にした衣装に身を包み、嫣然と微笑む少女。

 カールさせた髪の毛を風に揺らし、砲火を撒き散らしながら、傍らの小さな生き物に向かって声を掛けた。

『この辺りで戦いの波動を感じたものだから様子を見に来たんだけど、その調子なら心配は要らないみたいだね』

「ありがとう。やっぱりあなたは優しいわね」

 全ての使い魔を叩き落され、魔女の本体が現れる。その姿を目視して、巴マミは笑みを心持ち深くした。

「すぐ終わりにするわ。良かったらお茶でもいかが?」

『そうしたいのは山々だけどね。僕もこれで結構忙しいのさ』

「あら残念」

 そう言い切ると彼女は両手を虚空にかざし、魔力を収束させる。その視線の先に現れるのは巨大な砲門。

「ティロ・フィナーレ!」

 マミの一声に咲いた砲火が魔女を打ち貫く。一瞬にして結界は解除され、あとにはグリーフシードだけがぽつんと残された。

『今日君に会いに来たのは、お願いがあったからなんだ』

「珍しいわね。キュウべぇがお願いだなんて」

『今から一週間ぐらい前、僕は道端でグリーフシードを見つけたんだ』

「……どういうこと?」

 それまで微笑を湛えていた彼女の顔が引き締まる。

 気持ちの切り替えをしたこちらに満足して、魔法少女の造り手は言葉を続けた。

『孵化直前のものじゃない、何者かの手によって倒された魔女のものが、そのまま置き去りにされていたんだよ』

「ありえないわ。そんなこと」

『僕もそう思う。そう思って付近を調べてみたんだけど、誰かが相打ちになった様子も無いし、
別の魔女と交戦が発生して置き忘れたという感じでもなかったんだ』

 魔法少女にとってグリーフシードは報酬であり生命線だ。

 枯れていく魔力を補い、戦い続けるためには無くてはならない物。それを忘れるなど、ありえるのだろうか。

「一体、どういうことなのかしら」

『それを調べて欲しいんだよ』

 表情の無い赤い瞳をしばたかせ、キュウべぇは旧知の魔法少女に水を向ける。

『君は毎日魔女狩りで忙しいし、学校のことだってある。本当はこんなこと頼むのは心苦しいんだけど……』

「いいわ。あなたと私の仲だもの。遠慮は無用よ」

『ありがとう、マミ!』

 軽くウィンクをして依頼を受けた少女は、かわいらしい笑顔を浮かべた白い生き物を誘い、そっと抱き上げた。

「その代わり、後で私のお茶会に出席すること、いいわね?」

『もちろん。喜んで行かせてもらうよ!』

 キュウべぇを抱いたままマミは顔を上げた。

 中天に差し掛かろうとしている満月の光を浴びて、彼女はただ静かに瞑目していた。



[27333] 第六話「私と、友達になってくれる?」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/13 12:13
 ひたすら息を切らして、彼女は駆け抜けていく。

 周囲に広がるのはモノトーンの世界。白と黒が織り成す、無限のチェック柄が、壁や床に施されている。

 時折、場面は切り替わり、あるときは同心円を持つ白黒の花模様の上を通された陸橋であったり、広い吹き抜けのフロアになったりもした。

 やがて道は一つのドアを示す。緑色の警告灯が灯る「EXIT」の文字。

 非常口、出口、旅の終着点。

 右手がためらいながら扉を押し開き、目の前に恐ろしい光景が広がった。

 そこにはただ、都市の屍骸だけが横たわっていた。なぎ倒されたビル、壊された家屋、水没した道路、むなしく明滅する電灯。

 やむことなく吹き荒れる嵐と、煽られ、掻き回されながらも空を覆いつくす密雲。

 その破壊と恐怖の中心に、七色の光輪を背負った、禍々しく黒い影が座していた。

 中天を遮るほどに巨大で、嵐の中心にあって小揺るぎもせずに浮かんでいる。

 それは巨大なギアとシャフトで作られた花束。あるいは逆さづりにされた巨人の姫君にも見えた。

 あれがこの世界を、惨状を生み出したものであることはすぐに分った。

 だが、自分の目はその異様な物ではなく、それに立ち向かっている者に吸い寄せられていた。

 左手に盾を持つ小さな少女が空を舞う。

 ビルの瓦礫を投げつけられ、破壊の力を叩きつけられても、ひるむことなく向かっていく。

 その姿を見て、胸の奥が締め付けられるような痛みを訴えた。

「ひどい……」

 その声に応じて、自分の足元に居た白い生き物が答えを返す。

「仕方ないよ。彼女一人では荷が重すぎた。でも、彼女も覚悟の上だろう」

 そう言っている間にも、少女は鋭い一撃を受けて吹き飛ばされ、瓦礫の中に埋没してしまう。

 喉からこぼれた悲鳴が、絶望に締め付けられて泣き声に変わりそうになる。

「そんな……あんまりだよ、こんなのってないよ!」

 自分の見ている前で何とか体を起こし、黒い少女はこちらに顔を向け、何かを叫ぶ。

 距離が離れすぎていて聞こえないが、それは何かを渇望するものだと感じた。

 助けを求める声。

 そうだ。こんな終わり方があっていいわけが無い。

 だって、彼女は――

「諦めたらそれまでだ」

 決然と言い放つ生き物の声は、福音のように聞こえた。

 この状況を覆すことが出来ると信じるに値するものだと。

「でも、君なら運命を変えられる」

 何かの啓示の様に、電灯のショートした音が周囲の大気を打った。

 思わず耳を塞ごうとしたが、それでも言葉は続く。

「避けようのない滅びも、嘆きも、全て君が覆せばいい。……そのための力が、君には備わっているんだから」

 それは確証でしかありえない言だった。白い生き物の一言は確実に胸に響いてくる。それでも問わずにはいられない。

「本当、なの?」

 よろめきながら生き物の前に進み出る。その視線の先には瓦礫と一緒に地面へ落ちていく少女の姿。

 それを見たときに、自分の心は決まっていた。

「私なんかでも、本当に何かできるの? こんな結末を変えられるの?」

 この場にそぐわないほどの朗らかな声で、生き物は言った。

「もちろんさ。だから僕と契約して、魔法少女になってよ!」

 そして、私は――

 世界が暗転する。誰かが私を見つめている。私がそちらに振り返る。

 その最後の一瞬に、鹿目まどかの瞳は見たことの無い、誰かの姿を見た。

 肩に小さな生き物を乗せた、女の子の後姿を。

 目覚めると、窓の外はすっかり朝の日差しに満ち溢れていた。遠くからすずめのさえずりが響いてくる。

 寝起きの吐息を漏らし、兎のぬいぐるみを抱きながら起き上がると、まどかはぐったりとしたような声で呟いた。

「夢オチぃ……?」


第六話「私と、友達になってくれる?」


 鹿目まどかが不思議な夢を見た前の日の晩、二つの疾風が夜を駆けていた。

 一つはその夜と同じぐらいに黒い少女、暁美ほむら。もう一つは夜目にもくっきりと分る桃色の少女、香苗唯。

 二人は魔法少女の衣装を翻し、ビルの上を跳ねるようにして移動しながら目的地まで向かっていた。

『ほむら! ユイ! 反応はあのビルの下の通りだ!』

『分った! 暁美さん?』

『こちらも了解。私が先制して足止めするから、後はお願い』

『うんっ』

 ほむらの影が一層加速して先行。目的の路地の上に身を躍らせると、そのまま頭からダイブしていく。

 盾から拳銃を二挺取り出し、まっさかさまに落ちかかりながら鋭く銃火を浴びせる。

 上空からの不意打ちに地面の使い魔が逃げ場を失って硬直する。

 中華なべに虫の手足をつけたようなそれの表面で、小口径の拳銃弾がやすやすと弾かれた。

 自分の攻撃力だけでこれをしとめるのは一苦労だった。これまでのループなら無視して本体を探していたはずだ。

 だが、今は強力な後詰が居る。

『今よ! 香苗さん!』

『はいっ!』

 ビルの壁を蹴ってほむらが身を翻す。その脇をすり抜けるようにして真紅の風が使い魔へと殺到した。

「はああっ!」

 全てを砕く紅蓮の拳が使い魔にぶち当たり、一瞬にその体を砕け散らせる。

 その勢いを逃がしながら宙返りを打つと、唯はほむらの降り立ったすぐ側に着地してきた。

「ご苦労様」

「暁美さんこそ」

『にしても、この辺りは使い魔が多いな……こいつの本体はどこだ?』

 ブローチから届くトビネズミの声に眉根をかすかに寄せて、それでも律儀に回答を返してやる。

「さっきのは【末期の魔女】の使い魔のはず。繁華街に自分の結界を張って人をおびき寄せる存在よ」

「じゃあ、魔女も近くにいるってこと?」

『ちょっと待ってくれよ……うん、それらしいの発見。ここから西に百メートル、この路地を抜けてすぐのところだ』 

 ほむらは自分のジェムが感知した魔女の反応を改めて確かめ、その言葉が自分のサーチ能力以上に正確である事を理解した。

「これからは、魔女の捜索もあなた達に任せたほうがよさそうね」

「え、でも、私、まだ初心者だよ?」

『誰でも最初は初心者さ。それに、俺達が早く一人前になれば、ほむらがフリーになる時間も増える。
ワルプルギスの夜に対抗するには、ほむらの準備が必要だしな』

 唯のおともであるトムヤンは、何かとほむらに好意的だった。

 全幅の信頼を置くつもりは無いが、彼はキュウべぇに対抗するものであり、自分が言いにくい事も率先して彼女に伝えてくれている。

 今の準備という言葉も、自分がどのようにして武器を『調達』しているのかを知った上での発言だ。

 そして、今では唯には聞こえないよう、波長を変えてテレパシーを送って来るようになっていた。

【でも、あんまり無茶はするなよ、ほむら。今はユイと俺が付いてるんだ。危ない橋は渡らないようにしてくれ】

【余計なお世話よ。あなたに言われなくても注意はしているわ】

【あいかわらずつれないなぁ。ま、いいさ。とにかく気をつけてくれ】

 はっきり言えば、この馴れ馴れしいネズミは気に入らない。

 彼を始めとしたおともの世界がしっかりしていなかったから、こんな事態になったのだ。

 とはいえ、彼が居るからこそできることがあるのも事実だった。

【大丈夫よ。あなたはともかく、香苗さんに迷惑を掛けるようなまねはしないわ】

【そっか。ありがとう、ほむら】

「ねぇ、聞いてる暁美さん!」

 彼との会話に夢中になっていたほむらの目の前に、いきなり怒った唯の顔がどアップになった。

 思わずたじろぎ、声が裏返ってしまう。

「ご、ごめんなさい。すこし、考え事をしていて」

「もう……。はい、おにぎり」

 ラップに包まれたそれをむりやりこちらの掌に載せ、彼女はひょいっと上を指差した。

「お腹が空いたら戦いにならないってことで、ちょっと休憩しよ?」

『この辺りに使い魔の気配は無いし、結界を上から見張りながらってのが、ちょっと落ち着かないけどさ』

 どうやら、自分との会話を行使しつつ、マルチタスクで唯との会話も成立させていたらしい。

 予想以上の高性能な相手に驚き、そんな気持ちはおくびにも出さずに頷いた。

「……分ったわ」

 ビルの壁を蹴りながら雑居ビルの屋上にたどり着く。

 どこから取り出したのか、唯は小さなビニールシートと小ぶりなタッパーを幾つか、それから保温用の水筒を並べていた。

『とはいえ、こんな暢気なセットってのは、ちょっとなぁ』

「な、なんかね、あれもこれもって用意してたら……つい」

「魔女退治は、遊びじゃないのよ」

「うん……分ってる。ごめんね、でも」

 少し目を伏せて、唯は訥訥と言葉を大気に投じた。

「暁美さんと会うのって、結局魔女をどうするって時だけでしょ? なんかさ、そう言うのが、嫌だなって思って。

 ほんとはね! これも、魔女をやっつけたら一緒にどうかなって誘うつもりで」

 彼女は少し悲しそうな表情を浮かべて、それから笑った。

「少しでも良いから、明美さんと普通のことがしたいって思ったの。

 ご飯食べたり、なんでもないことをお話したり、それから、学校に行ったり」

「私は普通じゃない。目的のために生きているの。普通の生活なんて」

『差し出がましいんだけど、俺からも言わせてくれ』

 冷たい拒絶の言葉を遮って、トムヤンの声が割って入る。

『ほむらが、何か大きなことをやろうとしているのはなんとなく分る。

 そして、そのことにたくさんの犠牲と代償を払っているだろう事も』

「だったら……」

『だからこそ、余計に忘れないで欲しいんだ。日常とか、当たり前とか、そういうの。

 そうしなきゃ、君は余計に世界から遠ざかる』

「私に……手の届かないものを見て、苦しめって言うの」

 手の中のおにぎりが込めた力で歪んでいく。

 そんなことは分っている、世界を巡るたびに、時を戻すたびに自分の何かが磨り減っていく。

 強く研ぎ澄まされていく代わりに、自分が別の何かに変わっていくような気がして。

 日常など楽しむことの出来ない、魔法少女の形をした魔女に。

 押し黙ったこちらの様子に少し嘆息し、ネズミはそれでも声を掛けてきた。

『手を伸ばせ。ほむら』

「……何に?」

『君が欲しかったもの、そして、今まで得られなかったものに』

「私が欲しいのは、一つだけよ」

『これまでは、そうすることしか出来なかったんだろ』

「今は、違うって言うの?」

 今度は盛大にため息をつき、ブローチの中からひょいとトムヤンが顔をのぞかせた。

「俺とユイじゃ、その違いにならないか?」

「分らない。分らないわ」

「じゃあ、もっと俺たちを知って、頼ってくれ。

 それでも世界が変わらないと思ったら、ほむらの好きにすれば良いさ」

 いつの間にかうつむけていた顔を上げると、唯とトムヤンは笑顔で頷いていた。

「私ね、難しいことは良く分らないし、明美さんが何をやろうとしてるのかとか、全然想像も付かなくて。

 でも……ちょっとでもいいから、暁美さんが元気になってくれたらって思ってるんだよ」

「んー、そうだなぁ、とりあえずアレだよ。友達から始めないか?」

 彼の提案に唯はうれしそうに何度も頷いた。それから、改めて右手を差し出してくる。

「暁美さん……私と、友達になってくれる?」

 それから少し困ったような顔で、気弱に付け加えた。

「嫌なら、いいんだけどね?」

 ほむらは目を閉じた。それから、一番大切な人のことを思い浮かべた。

 この世界でたった一人の、私の大切な友達。

 では、この目の前に居る少女は。

 ほんの数日の間に、あっという間に自分との距離を詰めた彼女は、なんと呼んだらいいのだろうか。

 危険を顧みずにこちらの事情に付き合ってくれた、彼女のことは。

 そして、ほむらは答えを出した。

「ごめんなさい」

「暁美さん……」

「少なくとも、今はまだ友達と呼ぶことはできないわ」

 悲しみに降ろされようとした手を、そっと握り返す。

「でも、私が望みを果たしたら、その時は自分から言わせて貰うわ。友達にして欲しいって」

「……うん!」

(まどか、あなたは私の『最初に友達になってくれた人』。そして、彼女は)

 涙を浮かべて喜んでいる唯を見つめ、それからほむらはかすかに微笑を浮かべた。

「私が『最初に友達になる人』よ」





 冷えた空気の広間が、どこまでも広がっていた。

 見た渡す限り畳敷きの世界、ところどころを柱が区切り、かすかな呟きだけが聞こえてくる。

 当てもなく彷徨いながら、ぬしぬしと音を立てる井草の感触の心地よさを感じていた。

 進んでいくと空気の中に何かが漂ってくる。

 その香りは、なじみが無いが意識にしっかりと根ざし、ある種のイメージを喚起させるものだった。

 抹香の甘い香り。

 それに気が付くと、呟きが今度ははっきりとした形で耳に届いてきた。

『観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……』

 ああ、お葬式だ。そんな風にぼんやりと思う。

 まだ小学校にも上がっていなかった頃、田舎のおじいちゃんが亡くなった時が、こんな風だったっけ。

 誰が亡くなったんだろう、声に導かれるように歩く。

 煙が強くなり、いつの間にか、たくさんの座り込んだ人達が現れる。

 その、モノトーンの衣服の人々の間をすり抜けて先へ進む。

 やがて、はみ出そうなぐらいに無数の花で飾られた祭壇が現れた。

 白黒の遺影が収められた額縁へ何気なく視線を移し、思わず声が漏れる。

「……うそ」

 祭壇の下に置かれた白木の棺の前で、喪服姿のおかあさんが突っ伏している。

 その肩を支える丸っこい背中はおとうさんのものだ。いつの間に海外から帰ってきたんだろう。

 だが、唯はそんな二人の姿を気に留める事も出来ず、立ち尽くしていた。

 笑顔でこちらを見つめ返す、白黒写真の自分を凝視したまま。


 目覚めると、窓の外はすっかり朝の日差しに満ち溢れていた。

 遠くからすずめのさえずりが響いてくる。

 全身から噴出す汗を意識しつつ、唯はそっと自分の顔を両手で覆う。

 かすかに届くトムヤンの寝息を耳で確かめ、唯はぐったりと呟いた。

「……嫌な、夢」



[27333] ぶれいぶあっぷ☆トムヤン君! 第一話「夢の中で見た、ような」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/13 23:12
「今日はみなさんに大事なお話があります。心して聞くように!」

 クラス担任の早乙女和子が、教壇でやや興奮気味に声を上ずらせて話し始める。

 その顔を見たクラス全員が『ああ、まただよ』という雰囲気を漂わせた。

「目玉焼きとは、固焼きですか?それとも半熟ですか? はい、中沢君!」

 指名された哀れな男子生徒が、半ば投げやりな雰囲気を漂わせつつ返事をした。

「えっと、ど、どっちでも、いいんじゃないかと……」

「その通り! どっちでもよろしい!」

 手に持った差し棒をへし折り、わが意を得たりとばかりに早乙女先生の声が一オクターブ高くなる。

「たかが卵の焼き加減なんかで、女の魅力が決まると思ったら大間違いです!」

 鼻息も荒い主張に生徒達の気分はテンションダウンの一途。

 決して見た目は悪くないはずの、早乙女和子に対する男子生徒の受けがよろしく無い理由がこれだった。

 新しい彼氏が出来るたびに生徒がドン引きするぐらいに延々と自慢、ところがちょっとした意見の食い違いで破局を繰り返す。

 その顛末を朝のホームルームの時間にぶちかますのだ。

「女子のみなさんは、くれぐれも! 半熟じゃなきゃ食べられないとか抜かす男とは交際しないように!」

 いろんな意味で『どうでもいい』訓示にクラスの空気は朝からよどみ気味だ。

 まどかの隣に座る友人、美樹さやかが苦笑いとともに感想を漏らした。

「ダメだったか……」

「ダメだったんだね」

「そして、男子のみなさんは、絶対に卵の焼き加減にケチをつけるような大人にならないこと!」

 相変わらずの日常。

 ママには先生がまただめになっちゃったよと報告しておこう、そんなことを考えていたまどかの耳に、意外なつけたりが飛び込んできた。

「はい、あとそれから、今日はみなさんに転校生を紹介します」

「そっちが後回しかよ!」

 さやかの突っ込みに同意する声、転校生と言う単語に反応するもの、様々な波紋を広げた先生の一言に導かれ、彼女はやってきた。

「じゃ、暁美さん、いらっしゃい」

 それは、まさに美少女だった。長く伸びた黒髪、どこか物憂げな眼差しと、整った顔。

 歩き方も凛としていて、人目を惹かずにはいられない雰囲気を漂わせている。

「うお、すげぇ美人」

 かなりオヤジ臭い友人の言葉は、結局まどかの耳には残らなかった。

 なぜなら、彼女の顔には見覚えがあったからだ。

「えっ!?」

 夢の中の記憶、鮮明に残る絶望的な戦いのイメージ。

 その渦中へ勇敢に飛び込んでいった黒い少女と、目の前の彼女は全く瓜二つだった。

「嘘……まさか」

「はい! それじゃ自己紹介行ってみよう!」

 元気のいい早乙女先生の言葉に促され、少女はにこりともせずに名乗りを上げた。

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 彼女の手によって、ホワイトボードに書かれた文字。

 苗字は暁に美しいと書いて暁美、そして炎を示す古語である、ほむらが名前。

 まるで物語の主人公のような名前は、彼女の雰囲気とあいまって、鮮烈な印象を与えてくる。

 そして、深々とお辞儀をした彼女はしばらく直立の姿勢を崩さず、なぜか自分をじっと見つめてきた。

 視線に耐えられず、もじもじと体を動かすが、それでも彼女は見つめてくるのをやめない。

「えぇと……暁美さん?」

 結局、先生が彼女に話しかけることで見つめあいは終わったが、まどかはその印象的な視線と、

 夢の事があいまってなかなか心臓の高鳴りが収まらなかった。 


第一話「夢の中で見た、ような」


「暁美さんて、前はどこの学校だったの?」

「東京の、ミッション系の学校よ」

「前は部活とかやってた? 運動系? 文科系?」

「やってなかったわ」

「すっごいきれいな髪だよね! シャンプーはなに使ってるの?

 休み時間、早速クラスの物見高い連中が彼女を囲んで質問攻めにしている。

 表情は硬いが、それでも丁寧に質問に答えている様子は、かなり手馴れたものを感じた。

「不思議な雰囲気の人ですよね、暁美さん」

 自分とさやかの親友であり、仲良し三人組の一人である志筑仁美が、素直な感想を漏らす。

 お嬢様の雰囲気で言えば仁美も負けていないが、おっとりとした彼女に比べてあちらは気高さとか高貴さとか、そんなオーラすら漂わせている。

 だが、さやかの方はかなり不満げな表情で評価を下した。

「ねえまどか。あの子知り合い? 何かさっき思いっきりガン飛ばされてなかった?」

「いや、えっと……」

 まさか、夢の中で見た女の子とそっくりだ、なんていうわけにも行かず口ごもっていると、暁美ほむらを囲む輪に変化が生じた。

「ごめんなさい。何だか緊張しすぎたみたいで、ちょっと、気分が。保健室に行かせて貰えるかしら」

「え? ああ、じゃあ、私が案内してあげる!」

「あたしも行く行く」

 どうしたんだろう、まどかが覗き込むよりも早く彼女は席を立った。

「いえ、おかまいなく。係の人にお願いしますから」

 係? 気分が悪くなったときに救護する係と言えば保健係だ。

 そして、このクラスの保健係といえば、

「鹿目まどかさん。貴女がこのクラスの保健係よね」

「え? えっと……あの……」

「連れてって貰える? 保健室」

 丁寧な言葉遣いとは裏腹に、すさまじく高圧的な態度。

 まるで、自分が彼女を保健室へ連れて行くのは当然と言わんばかりの表情で凝視してくる。

 結局、その怖い顔に押されて、まどかは彼女と連れ立って教室を出ることになった。

「な、なによあの転校生! あれが気分の悪い人間の取る態度かーっ!」

「さやかさん、それはご本人の目の前で仰った方がよかったのでは?」

 さりげない正論突っ込みを食らい、激昂していたさやかの態度が急にしおらしくなる。

「だって……怖かったんだもん……」

「あ、あははは」

 確かに、彼女の表情には鬼気迫るものがあった。ほむらの言い方を諌めようとした仁美自身も言葉を飲み込んでしまったぐらいだ。

「……あら?」

「どうしたの仁美?」

「いえ……なんでもありませんわ」

 笑顔で返事をすると、さもどうでもいいというようにさやかも机に突っ伏してしまう。

 多分気のせいだ。仁美はそう思うことにした。

 真昼の見滝原の廊下を、小さなネズミが走っていくなど、ありえないことだと。


 暁美ほむらの姿は、ただ廊下を歩いているだけでも人目を惹いた。

 その後を付いていくしかないまどかは、気まずさを打ち消そうと口を開く。

「あ、あのぅ……その、私が保健係って……どうして」

「早乙女先生から聞いたの」

「あ、そうなんだ」

 それっきり会話が止まる。

 普通はそこで朝の早乙女先生の話を繋いでくるとか、そういうものだと思うのだが、彼女の言葉はそこで止まってしまう。

「えっとさ、保健室は……あぁっ」

「こっちよね」

「え? うん」

 こちらが何かを言う前にさっさと角を曲がっていく。

 まるで全てを知り尽くしたかのような、自信たっぷりの歩きに違和感を覚え、思わず疑問が口を付いて出てしまう。

「そうなんだけど……」

「何かしら?」

「いや、だから、その、もしかして……場所知ってるのかなって」

 その質問に対しての受け答えも結局返ってこないまま、そこでぷつっと途切れてしまった。

 もしかしたら、彼女は私のことを嫌ってるんじゃないんだろうか。そんな気分にすらなってくる。

(だ、大丈夫! きっと暁美さんは初めての環境で戸惑ってるんだよ!)

 などと、自分に発破をかけてまどかは再度会話にチャレンジした。

「あ……暁美さん?」

「ほむらでいいわ」

「ほむら……ちゃん」

「何かしら?」

 会話の間にも景色は変わり、併設された別棟への渡り廊下に差し掛かる。

 見滝原の校舎に付けられた渡り廊下は、壁の代わりにガラス窓が張られており、空が見渡せるようになっている。

 理科室や音楽室に行くときにここを通るが、晴れた日にはまるで空を歩いているような気分になった。

 そんな素敵なはすのロケーションの中で、相変わらず会話の雰囲気は最悪だ。

 何か必死に話題を探そうとして、まどかは思いついたことを口にしていた。

「あぁ、えっと……その……変わった名前だよね」

 さすがに失礼かと思ったが、相手からの反応は一切無い。

 顔を少しうつむけ気味にしてどんどん先に歩いていってしまう。

「い、いや……だから……あのね。変な意味じゃなくてね。その……カ、カッコいいなぁなんて」

 まるで無駄話が我慢なら無いというように、彼女はいきなりきびすを返してこちらに振り返った。

「鹿目まどか。貴女は自分の人生が、貴いと思う? 家族や友達を、大切にしてる?」

 あまりに真剣な、まっすぐな問いかけ。しかし、そんなことは普段の生活で、しかも初対面の人間にすることではない。

 面食らいながら、それでもまどかは同じぐらい真剣に応えた。

「え……えっと……わ、私は……。大切……だよ。家族も、友達のみんなも。大好きで、とっても大事な人達だよ」

「本当に?」

「本当だよ。嘘なわけないよ」

「そう……」

 無表情、と言うには沈痛な面持ちで彼女は口を開いた。

「もしそれが本当なら、今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わぶぅっ!?」

「きゃあっ!?」

 いきなりほむらが勢い良く吹き出した。

 それはもう、テレビで良く見る芸人さんのリアクションばりに、盛大に。

「やっ、ちょっ、ほむらちゃん!?」

「ご、ごめんなさいっ!」

 さっきまでのクールな感じは一気に消し飛び、自分のポケットの中から取り出したハンカチを使って飛沫の飛んだ顔を拭おうとしてくれる。

「あ、うん! 大丈夫! 自分で出来るからっ!」

「ほ、本当にごめんなさいっ、私、そのっ!」

 気が付くと、ほむらは顔を真っ赤にして唇をかみ締めていた。

 さっきまでの彼女と真逆な表情に、思わずまどかは笑ってしまっていた。

「ほ、ほむらちゃ、ふ……は、あ、あははっ、そのわたしっ、気にしてないっあははははははっ」

「か、鹿目まどかっ……さん」

 なぜか最後を敬称に切り替えると、ほむらは完璧に粉砕されてしまったさっきまでのクールさを必死にかき集め、居ずまいを正す。

「もう一度言うわ。今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないこと。いいわね」

「え……それって、どういう」

「さもなければ、全てを失うことになる」

 さすがに、最後の一言にそれまでの弾けてしまった空気が冷え固まる。

 自分のペースを取り戻した彼女は、さっきと同じ無表情で告げた。

「貴女は、鹿目まどかのままでいればいい。今までどおり、これからも」

 そのまま背中を向けて歩き出した彼女を、まどかは呆然と見送るしかない。

 そして、右手に残ったレースのハンカチをじっと見つめた。

「ほむらちゃん、風邪でも引いてるのかな……」


 長い渡り廊下の端近くで、ほむらは振り返った。すでにまどかの姿は見えない。

 その代わり、自分の失態を演出してくれた忌まわしい生き物が、窓際の手すりにちょこんと座り込んでいた。

「おっす! ほむら!」

 それは小さなネズミだった。

 トビネズミのトムヤン、一週間ほど前に出会った、おとも世界からやってきたという魔法少女のおともだ。

 ただ、今は頭の部分に黒髪のかつらをつけ、お手製らしい見滝原指定の女子用制服を身に付けている。

「一体、どういうつもりなの?」

「君の様子を見に来たんだよ。転校初日だし、例のターゲットと接触するって話だったからな。

 あ、ちなみにこれは俺の独断、ユイは関係ない」

 どうやら彼の主人である香苗唯はこの件には関与していないらしい。

 ならば、責任問題は全面的にこのネズミにあるわけだ。

「そしたら、ほむらがすっごい眉間に皺を寄せて、まどかちゃんと話してただろ?

 だから緊張を解してやろうかなーと思って」

 そう言うと、彼は傍らにおいてあった横断幕を両手で持ち上げて広げた。

 そこには『笑顔が一番! むっつり顔は嫌われるぞ! イケイケほむほむ!』

 などというふざけた文章があり、ご丁寧に半眼でしかめつらしい顔をした自分の似顔絵まで描き入れてあった。

「余計な気を回さないで! 私はあの子と大切な話をしていたのよ!?」

「だからって今朝からの態度は無いだろ? あれじゃただの変な人だよ」

 どうやら教室での一部始終も見ていたらしい。

 軽く腕組みしながら、トムヤンが勝手な感想を述べる。

「そもそも、あの子とは初対面なんだろ? それをいきなりあんな目つきで見てたら絶対に怖がられるって」

「私は……っ」

「しかも、いきなり『鹿目まどか。貴女は自分の人生が、貴いと思う?』なんて、

こーんな顔で言われたって、伝わるものも伝わらないぜ?」

 自分の手で目を半眼にし、しかも自分の真似らしい声色まで使ってくる。

 なるほど、彼の格好は自分のコスプレと言うわけだ。

 その時ほむらは、堪忍袋の尾が切れる音というのを始めて聞いた。

「……言い残すことはそれだけ?」

「おい! 校舎の中で銃って! あっ、もしかして時止めですか!? マジで殺る気ですか!?」

「香苗さんには私から謝っておくわ」

 勤めて冷静に怒る自分を見て、半笑いだった彼の表情がすっと冷える。

「……ほむらっ!!」

 いきなりコスプレをかなぐり捨てると、ネズミはわざと銃口に頭を押し付けてきた。

「な、なに?」

「お前、絶対おかしいぞ!? あのまどかって子の事も、俺達にはまるで情報をくれないし、

 何でも『私一人でやる』の一点張りじゃないか!」

「彼女は、この件で最大の焦点なの。その扱いは慎重にしなければならない」

「だからって! あんなやり方じゃ彼女に警戒されるだけだ!」

 分っている。彼のいうことはいちいち最もだ。

 でも、それでは駄目なのだ。彼女に接触し親しい関係を築いてしまえば、あの誘惑者に付け入る隙を作ることになる。

 トムヤンにも唯にも、鹿目まどかがどういう存在なのかは一切打ち明けていない。

 ただ、キュウべぇが彼女のもつ資質に目をつけ、執拗に契約を迫ってくるから、それを阻止したいとだけ伝えていた。

 元々、これはきわめて個人的な思いから発したことだ。

 魔女を狩る事も、ワルプルギスを討ち果たすことも。

 結局は、最後の夜を鹿目まどかが魔法少女にならずに乗り切るという、大切な約束を守るための手段に過ぎない。

 だが、そんなことを説明してどうなる。彼らがそれを受け入れてくれるかどうかも分らないのに。

 いや、きっと彼らは受け入れるだろう。そして、喜んで協力するに違いない。

 下手をすれば死んでしまうかもしれない過酷な戦いに、本来は全く無関係な二人を巻き込む。

 そして、最大の懸念は、彼らの存在がこの先の未来にどんな影響を与えるのか分らないことだ。

 ただでさえ複雑に絡み合った因果を、これ以上混乱させればほむらでも対処しきれない。

「何度も言わせないで。あなた達の仕事は、私が調達をしている間の魔女の探索と、可能な限りの掃討。

 それからこの一件が終わるまでキュウべぇに見つからないように行動するということだけよ」

「ほむら!」

「お願いだから、聞き入れて。イレギュラーは、起こしたくないの」

 こちらの一言に、彼の表情がぐっと深くなる。銃口から顔を外し、それからあてつけるようにため息をついた。

「まるで、これから先に起こることが全部わかってるって感じだな? ほむら」

「……私は預言者じゃないわ」

「でも、ある程度見越してるんだろ」

 何も言わずに銃をしまい、彼の元を歩み去る。

 実際、彼らのおかげで本来の計画はかなり順調なのだ。

 武器の損耗は目に見えて減っているし、手に入れにくい軍用兵器のいくつかも確保することができた。

 これ以上望むのは間違っている。そもそも、自分はこのループに入るときに決めていたはずだ。

 もう誰にも頼らない、と。

「ほむら!」

 だが、彼の声はそんな思いを引き裂いた。

「俺達は、お前を助けたいんだ! それを忘れないでくれ!」

 応える気は無い、ただ唇をかみ締めて歩く。

 私の心をかき乱さないで、そう願いながら。


『ユイ。ごめん、ダメだった。あいつ、相当切羽詰ってる』

 目を閉じ、悔しそうに窓ガラスに後頭部を押し付けながら、トビネズミは教室で心配に顔を曇らせている相棒に思いを投げた。

『あいつが何か言ってくれるのを待とう。今はそれが精一杯だ』


 授業が終わり、まどかはさやかと仁美を伴って校庭を歩いていた。

 帰宅部である自分達には遠い景色である、陸上部の人たちが白いラインの引かれたトラックを走っている。

「おーおー、青春だねぇ」

「そういえば、短距離・長距離ともに県大会出場ですって」

「ふーん。やっぱりすごいんだねぇ、うちの学校」

 陸上部か、ぽつりと聞こえないように呟いてみる。でもダメだ、どん臭くて足も遅い自分にはとてもできそうもない。

 多分、あそこにいるゼッケンをつけていない補欠の子達にも簡単に負けるだろう。

 やっぱり自分は、ごく普通の中学生なんだ。そう嘆息したときだった。

「あ、あれ!?」

 鹿目まどかはその日二度目のデジャ・ビュを感じていた。

 居並ぶ女子生徒の中の、一人の後姿に視線が引きつけられる。

 栗色の髪の少女の肩に、小さな動物のようなものが乗っていた。

 モルモット、ハムスター、あるいはもっと小さな、

「まーどーかー! 早くしないとおいてっちゃうぞー!」

「ご、ごめーん! 今行くよー!」

 誰なのかはわからない。

 着ている体操服からすれば多分同じ二年生だろうが、見た事も無い子のはずだ。

 でもあの後姿は――

「夢の中で見た、ような」

「何かおっしゃいまして?」

 笑顔で問いかける仁美に首を振ると、まどかはじれったそうにしているさやかの後を追うために足を速めた。



[27333] 第二話「デートしよう!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/19 16:59
 その空間は、おおよそ人間が住んでいるとは思えないところだった。

 中空には奇妙な文字で書かれた文章や奇怪な存在の肖像などが何枚も浮かべてあり、
 床には色とりどりの半円形クッションが置かれている。

 部屋の調度らしいものはそれだけで、結局それが暁美ほむらの住む部屋の全容だった。

 身支度などは魔法で済ませているし、自分の盾の裏側に作った『裂け目』には

 理論上どんなものでも入れることができる。

 結局この部屋は前線基地であり、生活する場所などではない。

 その無機質な世界で、ほむらは何かを読んでいた。

 ノートに几帳面な文字で書かれたそれは、日付に対して注釈が書き連ねられており、何かの行動を起こす際の指標をまとめたものであることが覗えた。

 やがて文面の中にいくつもの個人名が現れてくる。

 鹿目まどか、美樹さやか、二人の項目もある。志筑仁美についての情報は極わずか、

 そこからさらに読み勧めた彼女の手が止まる。

 巴マミ。その項目を見る彼女の視線は、とても冷ややかだった。

 やがて、彼女はノートを閉じ、掌の上でそれに火を掛けた。

 魔法で点火しただけあって、一瞬ですべてが燃え尽きていく。

 灰も残さずにそれが消えてしまったのを確認すると、彼女は部屋の外へと歩き出した。

 一瞬だけ、彼女は出入り口のある場所で立ち止まり何かを決するように目を閉じる。

「私は、必ず、どんなことをしても、望みを遂げてみせる」

 それは、これから始まる困難へ立ち向かおうとする自分への、叱咤の声だった。



第二話「デートしよう!」



「いやいやいやいや、いくらなんでもそりゃ無いわ。詰め込みすぎでしょ、萌え要素」

 三人で寄ったチェーンの喫茶店で、まどかは転校生との顛末を話して聞かせた。

 その結果さやかから帰ってきた反応がこれだった。

「文武両道で才色兼備かと思いきや実はサイコな電波さん。

 と思ったらいきなり噴き出して、頬染めて恥ずかしがるぅ? 

 設定作りすぎてキャラが死ぬレベルでしょ、それ」

「あ、あははは」

 確かに、彼女の存在は謎がてんこ盛りだ。

 真面目な話をしたかと思えばいきなり噴き出すなんて、別な意味で近寄りがたい存在な気がする。

 困惑しているまどかに、今度は仁美が問いかけてきた。

「まどかさん。本当に暁美さんとは初対面ですの?」

「うん……常識的には、そうなんだけど」

「何それ? 非常識なところで心当たりがあると?」

「あのね……昨夜あの子と夢の中で会った……ような……」

 おずおずと打ち明けたまどかの言葉に二人はぎょっとした表情になり、

 さやかは大あわてになって身を乗り出してきた。

「だ、だめだよまどか! 確かに出会いも衝撃的、その上夢で見た仲とあったら運命感じちゃうかもしれないけど! 

 ああいうのに反応しちゃ駄目っ!」

「へ? あ、あの、さやか、ちゃん?」

「あれはねっ、きっと、そう! 重度のオタクって奴だよ!」

 いきなり力説を始めた友人に呆けた二人に、彼女は思いっきり主張をかました。

「あの子、多分前の学校で友達いなくて、それを心配した両親の勧めで転校してきたんだよ!」

「ど、どういう根拠で、そんな結論に至るんですの?」

「そりゃあんた、まどかに仕掛けたサイコな会話でもろバレだよ! 見た目は美少女、中身は空想と現実の区別がつかない超オタク! 

 んで転校初日にまどかに目をつけた!」

 びしっ、と指を突きつけられ、思わずたじろぐまどかに追い討ちを掛けるべく、

意地悪な笑みを浮かべたさやかが迫る。

「ああ、この子は私と運命の絆で結ばれた少女だー。きっとそうに違いないーってさぁ」

「ちょ、ちょっと、さやかちゃーん」

「でもそれ、かなり無理があると思いますわ」

「なんでよー」

「空想と現実の区別のつかない方が、自分の発言を恥ずかしがって噴き出すなんて、あるんでしょうか?」

 自分の説を真っ当な意見で否定され、露骨に『ちぇー』という顔をしたさやかは、興奮を鎮めると席に腰を落ち着けた。

「とりあえずまどか、ああいうおかしな子には絶対に関わっちゃ駄目だよ?

 あんた変に優しいところあるから。付き合ってバカみたらつまんないし」

「で、でも……」

「とりあえず、少し距離と時間を置くという意見であれば、私も賛成ですわ。まだお会いしたばかりですもの。

暁美さんの人となりを存じ上げてからでも、答えを出すのは遅くありませんし」

 さやかの意見は置くとしても、仁美の助言はかなり的を射たものだろう。

 彼女が何を考えているのかは正直興味があったし、時間を掛ければいい友達になれそうな気もする。

 ただ、オタク趣味に走るつもりはさらさら無いが。

「いたんだよねーうちの親戚に。やばいぐらいのが。親戚の集まりに妙な服装で来ちゃって。

『これが世界の選択か』とかいきなり口走られたときは、さすがに引いたわー」

「へ、へぇー」

「あら……申し訳ありません、まどかさん、さやかさん。わたくし、そろそろ」

 時計を確かめ、鮮やかな一礼をして立ち上がった仁美に、親友はご苦労様といった感じで声を掛ける。

「今日はピアノ? 日本舞踊?」

「お茶のお稽古ですの。もうすぐ受験だっていうのに、いつまで続けさせられるのか」

「あーあ、小市民に生まれて良かったわ」

 軽い揶揄を込めた一言を、まどかは別な気持ちで受け止めていた。

(私が仁美ちゃんの家に生まれてたら、どんなだったろうな)

 もちろん、今の家族は大好きで大切だ。お母さんもお父さんもタツヤのことも。

 でも、もし自分がお嬢様として生まれていたら、この漠然としたコンプレックスを感じることがあっただろうか。

「じゃ、私たちもいこっか」

「あ、まどか、帰りにCD屋に寄ってもいい?」

「いいよ。また上条君の?」

 いつものような会話を繰り広げながらも、まどかの心はどこか上の空だった。

 それはきっと、あの転校生の言葉のせいだ。

『もしそれが本当なら、今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わぶぅっ!?』

「ぷっ……」

 いきなり肩を震わせて思い出し笑いをこらえるまどかの隣で、さやかが不思議そうにこちらを見つめていた。

 薄暗い路地を走りぬけながら、暁美ほむらは自分の鼻がむずむすとするのを止められなかった。

その違和感は無性に彼女を苛立たせ、目の前にいる生き物を捻り殺したい衝動を覚えさせる。

 その生き物は白く、ぱっと見には猫に近いフォルムを持っていた。

 しかし、両耳の穴にあたる部分から房をたらし、その先端に近い部分に輪状の飾りをつけている点で、

 すでに地球上の生物ではないことが分る。

 インキュベーター、通称キュウべぇを彼女は追っていく。

 抜き放った拳銃の一撃をわざと体を掠めるように打ち込み、

 いかにも仕留めそこなったという雰囲気を演出していく。

 だが、決して仕留めはしない。

 なぜならこれは、あの誘惑者をまどかの元まで導くのが目的なのだから。

 暁美ほむら、一人の少女の願いを受け、彼女が魔法少女として契約しないように行動するもの。

 そして、それを完成させるべく歴史を繰り返す時の反逆者。

 友人を死から救うために巻き戻した二度目の世界で、彼女は鹿目まどかから願いを託された。

『自分がキュウべぇと愚かな契約を結ばないようにして欲しい』と。

 その彼女が一番初めに行ったのが、キュウべぇを根絶するという行動だった。

 だが、その行動はあっさりと失敗に終わる。

 なぜならアレは無数にいる端末の一つであり、一つを破壊しても次がすぐに現れるからだ。

 結局、キュウべぇを殺すのに腐心している間に別のキュウべぇがまどかに接触して、

ほむらのあずかり知らないところで契約が結ばれてしまう。

 ならば、彼女は発想を逆転させた。わざと接触させ、行動を絞り込めばいいのだ。

 その試みはかなりうまく行ったと言える。

 キュウべぇをまどかの周囲に存在させることにより、その先に起こる未来が予測しやすくなった。

 そう、すでに青写真はできているのだ。

 その未来を思うと、照星がキュウべぇの体を打ち抜くポイントに向きそうになる。

 それを必死に威嚇に押しとどめて、ひたすらに撃つ。

(私はためらわない。ためらったりなどしない!)

 そんなほむらの胸の内も知らず、傷ついたインキュベーターは思惑通りの行動を取り始めた。

『助けて! まどか!』

 始めはCDに何か変な音声でも入っているのかと思った。だが、自分を呼ぶ声は次第に大きくなる。

『僕を、助けて』

 声に導かれるように、まどかはショッピングモールの中をふらふらと歩き始めた。

 子供のような少女のようなその呼び声はモールの奥まった場所、人気の無いエリアから発されているように思えた。

 声の主を求め、改装途中のブースに入り込むと、辺りの様子を覗いながら進む。

「どこにいるの? あなたは、だれ?」

『助けて……っ』

 その問いかけに応えるように、内装がむき出しになった天井から何かが転がり落ちてきた。

 息も絶え絶えになった白い生き物、全身傷だらけでひどく衰弱しているようだ。

「あなたなの!?」

「助けて……」

 呼びかけに応えて生き物がか細い声を上げる。喋ったという事実を、まどかは気にしなかった。

 というよりも、その次に起こった出来事が、疑問を払拭してしまったからだ。

「そいつから離れて」

 目の前に立つ少女、夢で見たのとそっくりの服装になった暁美ほむらが冷たい声音で語りかけてくる。

 その射る様な視線に必死で抵抗しながら、まどかは胸の生き物を抱きしめた。

「だ、だって、この子、怪我してる」

 荒い息で窮状を訴えてくる小動物を抱えて、何とか相手の気持ちを変えさせるべく言葉を継いだ。

「ダ、ダメだよ、ひどいことしないで」

「貴女には関係無い」

「だってこの子、私を呼んでた。聞こえたんだもん、助けてって」

「そう」

 彼女は、まるで何かを見極めるように自分と、腕の中の生き物を見つめていた。

 その瞳に宿るのは、怒りや憎しみでもなければ、目の前の生き物に対する殺意でも無い。

 その意思を読み取ろうとして、まどかは相手の顔をじっと見つめようとした。

 唐突に横合いから白い煙が噴出し、暁美ほむらの姿を覆いつくす。

「まどか、こっち!」

「さやかちゃん!」

 さやかは白煙の元になった消火器を投げ捨て、先に立って走り出す。

 一体どういうことなの、何が起こってるの。

 そう心の中で何度も問いかけながら、それでも必死に出口のあるほうへと走り出していた。

 周囲に噴霧されていた消化剤を吹き払い、ほむらは彼女達が去っていった方角を見つめていた。

 これで計画はまた一歩進んだ。あとはこの後――

 そう考えていた彼女の周囲で異様な気配が盛り上がる。輪を形成しながら飛ぶ蝶のイメージが、世界を改変し始める。

 全ては予定通り、そう考えた矢先だった。

『ほむら、聞こえるか!?』

 トムヤンの声が頭の中に響き渡る。どうやら、彼もここに発生した結界に気が付いたらしい。

 タイミングの悪い闖入者に臍をかみしめた。

「こんな時に……」

『おい、聞いてるのかほむら!』

「聞こえているわ。大丈夫、魔女の結界なら私がすぐ側で捕捉しているわ」

『さっすが、仕事が速いな。じゃあ、俺たちも援護に』

 必要どころか不必要でしかない提案を、それでもやんわりと丁重に断ろうとする。

「安心して。これは小物よ。あなた達の力を借りるほどでは無いわ」 

『暁美さん!』

 その声に、一瞬心がひるんだ。あの日以来、なるべく耳に入れたくないと思っていた人の声が届く。

『あのね、私……』

「大丈夫よ、香苗さん。心配しないで」

『そうじゃないの! この次の日曜日、私と会って!』

 彼女の真意を掴みそこね、ほむらは問いかけた。

「日曜日、何かあるの?」

『あのね……』

『俺達とデートしよう!』

 わけが分らない発言に、ほむらはぽかんと口を開けた。

 丁度その頃、鹿目まどかは先輩の魔法少女、巴マミと運命の出会いを果たしていたのだが、

 彼女がそこにたどり着くのはほんの少し後のことになる。



[27333] 第三話「秘密って、なんだろうね」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/19 17:06
「オレンジペコーって、何を表す言葉だか知っている?」

 台所に立ってヤカンを火に掛けながら、マミが語りかけてくる。

 リビング越しに彼女が支度をする姿を見つめながらほむらは首をかしげた。

 動きに合わせて桃割れに結われたお下げが揺れる。

「その……分りません」

「鹿目さんは?」
「え、えっと! ほむらちゃんに分らないこと、私が知ってると思います?」

 フォローなのか買いかぶりなのか、照れ笑いしながら自分を持ち上げてくれる

 まどかを横目で見て、頬が熱くなってくる。

「ペコーというのはね、中国の言葉で白い毛を意味する言葉なの。

 お茶の葉っていうのは枝の先端にある若芽の部分を摘むんだけど、その若芽に

 生えている産毛のことをそう言うのよ」

「じゃあ、オレンジっていうのは?」

「若いお茶の葉っぱって、緑というより黄色味がかった色をしているのよ。

 見方によってはオレンジ色に見えるようなね」

「それで、オレンジペコー、ですか」

 ガスが勢い良く火を上げ始め、その傍らでマミの手がティーポットに茶葉を掬いいれて行く。

 ティーバッグを使わない本格的な紅茶というものを、ほむらはマミの家に来て始めてご馳走になった。

 まどかは茶請けに出されたケーキの方を美味しいといっていたが、ほむらは彼女の淹れてくれるお茶が気に入っていた。

 一人暮らしであり、割と自分の自由になるお金があるせいか、マミはかなりお茶の

贅沢な楽しみ方をしている。

 こうして自分達に出してくれるリーフティも、その大半が聞いた事も無い銘柄や

 海外の有名茶園のものであり、味も香りもその都度に違っていた。

「あ、今日はウサギさんですね!」

「ええ。鹿目さんお気入りのね」

「やったー! ほむらちゃん、うさぎさんだよ!」

 子供のように、というより子供そのものと言ってもいい満面の笑み。

 うさぎさんと言うのは、マミがティーポットにかぶせた特製の茶帽子のこと。

 フェルト生地で作られたうさぎ型のものだ。

 手触りがいい上に、ポットの熱が伝わって行くとうさぎ自体がほかほかと暖かくなり、
本物を触ったような感触になる。初めてそれを使ったとき、まどかのテンションは

うなぎのぼりだった。

 今日もまどかはニコニコしながら、テーブルの上に置かれたうさぎを撫でている。

「ほら、ほむらちゃんも触って触って!」

「う、うん」

 少し恥ずかしい思いをしながら、それでもまどかと一緒にうさぎの茶帽子に触れる。

 それと一緒に自分の指が彼女の指と重なり合った。

「あったかい……」

「うん。あったかいねぇ」

 誤解された言葉は、あえて訂正しなかった。

 そのまま二つの暖かさをじっくりと、目を閉じて味わう。

「ほらほら二人とも、そろそろお茶を淹れるから、手をどかして」

「す、すみませんっ」

「マミさーん、もうちょっとだけー」

 粘るまどかの手を優しく取ってポットからどける。

 その様子を見ていたほむらは、わざと手の動きを遅くした。

「はい、暁美さんも」

「ごめんなさい……」

 自分に触れてくる先輩の優しい手触りを感じながら、ほむらは三つ目の暖かさを

 そっと心の中に刻み付ける。

 それは遠い記憶。暗い未来に落ちる前に見た、幻の温もり。


第三話「秘密って、なんだろうね」


『日曜日、何かあるの?』

 姿こそ見えないが、ほむらから届く声は不機嫌さを滲ませていた。

 少しためらいながら唯はもう一度自分の気持ちを飛ばそうとする。

「あのね……」

『俺達とデートしよう!』

 トムヤンの唐突な提案にほむらが、それを聞いていた唯自身も言葉を失う。

『で、デートって、一体どういうつもり?』

『そのまんまだよ。俺とユイと、ほむらとでさ』

「と、トムヤン君!?」

『……付き合っていられないわ。今、魔女を追うところだから、また後にして』

 今度ははっきりとした決別。

 何度こちらから声を飛ばしても、向こうは取り合ってくれることがなくなってしまった。

「とーむやーんくーん?」

「あ、いや、あははは」

 肩の上で取り繕うように笑うと、トムヤンはそっと肩をすくめた。

「ほむらの気持ちをつなぎとめるには、あのくらいインパクトがあったほうがいいかなって思ってさ」

「だからって、デートは無いでしょ?」

「でも、普通に『一緒に遊ぼう』なって言ったら、いきなり却下されるだけだしな」

「それはそうだけど……」

 今日の昼にトムヤンからほむらの行動を聞かされて以来、唯はどうしても彼女から

 直接話が聞きたいと思っていた。

 自分から鹿目まどかという子と険悪なムードを作り、全く事情を説明しないままにするという態度。

 まるで、自分が嫌われるのを前提にしているようだったという。

 それに、唯自身もまどかという子と接触する事も禁止されてしまい、今回の一件では

 全く蚊帳の外にされてしまっている。

「もしかして私、暁美さんに嫌われちゃったのかな」

「ゆ、ユイ?」

「あの時、私があんなこと言ったから」

 友達になろう、唯は彼女にそう言った。そしてほむらも自分の手を握り返してくれたはずだ。

 しかし、その時以来ほむらは自分と距離を置くようになり、時々魔女との戦った話をするだけになってしまっていた。

「それは全然関係ないと思うよ。あいつは多分、俺達を関わらせたくないんだと思う」

「まどかちゃんとキュウべぇに?」

「むしろ、まどかって子に、俺達が関わられると困るって感じだな」

 その気遣いには覚えがあった。初めてあった頃のトムヤンの態度とそっくりだ。

 そのことを指摘してやると、トムヤンは決まりが悪そうに頭をかいた。

「じゃあ、暁美さんも、私達に打ち明けられない秘密があるってことなんだね」

「だろうなぁ。でなきゃもっと積極的に俺達に協力を要求するはずだ」

「トムヤン君と私で、キュウべぇっていう子を捕まえて終わりだったらいいのにね」

「本当にそうだったらいいのになぁ」

 そう言ってトビネズミは憂鬱そうに顔をしかめた。

 トムヤンはおとも世界の約束事を無視して自分を助けに来た。

 その結果、彼自身もキュウべぇと同じ『犯罪者』になってしまっている。

 正当な権利が無い存在であるために変身用のアイテムは自作だし、

 なによりインキュベーターに対する直接的な対応策を何一つもっていないのだ。

 活動範囲が広く、数も無数にいる敵を捕縛しようとしても、一匹に関わっている

 間に他の全個体が別の世界へ逃げられてしまっては目も当てられない。

 インキュベーターが居なくなったとしても、魔女や魔女の雛形として作られた魔法少女もそのまま残されるし、

 逃げられた先で被害が増えればそれもまた地獄だ。

 そこで、彼はキュウべぇに見つからないようにしながら魔女を狩り、

 自分の活動していることをおとも世界が気が付くのを待つことに決めたらしい。

 他の世界でも奴らに対する対応が始まっているだろう。

 その方法があれば自分が無策で動くよりは良い結果になるに違いない。

 そういう考えで行動するトムヤンに唯も、そしてほむらも納得していたはずだった。

「暁美さんの秘密って、なんだろうね」

「秘密って言うより、願いなんじゃないかなぁ」

「願い?」

「願い、望み、目標、なんでもいいけど、叶えたい何かがあるんだと思う」

「それがまどかちゃんていう子と関係があるの?」

 気が付けば、辺りは暗くなっていた。

 部活が終わった帰りにトムヤンが魔女の気配を感じ、それから今いる公園のベンチで

 座りながら状況を整理していたのだ。

 そろそろ帰ろう、そう促しながらトムヤンは質問の答えを口にした。

「多分、まどかって子を契約させないってのが、それなんだと思う」

「じゃあ、私達と一緒に行動して、キュウべぇから守るようにすればいいのに」

「それが出来ない理由があるんだろうな」

「理由って?」

「それが分らないから困ってるんだろ」

 結局は堂々巡り、疑問は振り出しに戻ってしまう。唯はため息をつくほか無かった。

「なにか、暁美さんにして上げられることってないのかな」

「魔女を狩る以外に?」

「うん」

 腕組みをしながら唸るトムヤンは、考えをまとめ終わるとニヤリと笑った。

「やっぱりデートだろ!」

「だからー! どうしてそうなるの!」

「ほむらをひきつけるのにはインパクトがだなー」

 軽口を叩くトムヤンを指で突っつくと、唯は帰りの道を少し軽くなった気分と足取りでたどっていった。


 焦る気持ちを抑え、ほむらは魔女の結界が展開されていた場所へと向かっていた。

 余計なことに時間を取られた、なぜ彼女はあんなことを。

 いや、おそらくはあのおともの独断だろう。

(お願いだから余計なことを考えさせないで)

 ハプニングで混乱する頭をなんとか平静に保ち、ソウルジェムの反応にしたがって目的地を目指す。

 走っていった先で、ほむらは足下のフロアで固まって立つ少女達の前に出た。

 目の前に立つ黄色の衣装に身を包んだ魔法少女、巴マミがこちらを見上げて笑う。

「魔女は逃げたわ。仕留めたいならすぐに追いかけなさい。……今回はあなたに譲ってあげる」

 優しげな口調とは裏腹に、その言葉には棘があった。

 瞳に浮かぶのはかすかな蔑みと敵意。

「私が用があるのは……」

「飲み込みが悪いのね。見逃してあげるって言ってるの」

 今度はあからさまな挑発、その言葉の裏にあるのはおそらく『友達』を傷つけられたという感情だ。

「お互い、余計なトラブルとは無縁でいたいと思わない?」

 ほむらは、その場の全ての人間の視線が自分に突き刺さってくるのを感じた。

 美樹さやかは不安と警戒心、巴マミが浮かべるのはあからさまな敵意、

 そしてまどかの瞳にある悲しみと戸惑い。

 それ以上何も口にすることが出来ず、ほむらは彼女達に背を向ける。

 こうなることは分っていたはずだ。それでいいと思っていたはずだ。

 それでも、喉からこみ上げそうになる叫びを押しとどめて闇の中に歩み去る。

 この後、まどかたちはキュウべぇに勧誘されるだろう、魔法少女になるようにと。

 今は問題ない。彼女達の傍らには巴マミが居るからだ。

 だが、彼女が居なくなったら?

「……」

 それ以上思考するのをやめて、ほむらは進む。

 まだ時間はある、可能性も。

 広いモールの闇の中を、ほむらは出口を求めて歩いていく。



[27333] 第四話「ゴメンな、マミさん」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/20 19:41
 人気の無い夜の公園で、ほむらは隣に座るマミに胸の内を明かした。

「私、やっぱり足を引っ張ってるんでしょうか」

 そんな言葉が漏れてしまうのは、さやかとの言い争いのせいだ。
 良かれと思って報告したキュウべぇのたくらみを真っ向から否定された上、

 痛烈な一言を喰らっていた。

『私この子とチーム組むの反対だわ』

 魔法少女としては、攻撃力のほとんど無い自分。

 それを補うためにネットや高校生の化学の教科書、マニアックな文献などを調べて作った高性能爆弾は、

 確かに魔女と戦うのには有効だった。

 だが、

『まどかやマミさんは飛び道具だから平気だろうけど、いきなり目の前で爆発とか、ちょっと勘弁して欲しいんだよね。

 何度巻き込まれそうになった事か』

 さやかと言う前衛が入ったことで連携が崩れ始めている。

 なにより、さやかとほむらの仲は、なぜか向こうの妙な敵意によって悪くなったままだ。

「美樹さん、私のこと、ずっと嫌ってるみたいだし……」

「最初に言っておくけど、私はあなたが足手まといと思ったことなんて無いわ」

 ぼそぼそと小声で話すしかない自分に、マミはそっと肩を抱くようにして言葉を掛けてくれる。

「鹿目さんがいて、あなたが居て、私はずいぶん助けられてるの。

 ほら、覚えてる? あのお菓子の魔女と戦ったときのこと」

 それは、恐ろしい記憶。

 病院で発現した魔女の結界、その中でマミは魔女をしとめそこね危うく命を散らすところだった。

 彼女の目前に迫る魔女のあぎとを、ほむらの時間停止とまどかの弓の連携が寸でのところで阻止したことは、今でも忘れていない。

「私ね、あの時とても怖かったの」

「マミさんが……怖い?」

「ええ。あの事故で死にそうになったとき以来。

 ううん、もしかすると一度死を経験しているからこそ、余計に怖かったかも」

 照れた笑顔でほむらを覗き込む。

 距離が近いせいか、彼女の体からはかすかに紅茶の香りが漂ってくるように思えた。

「でも、私は二人のおかげで助かった。あなた達が居たから私は生きているの。

 その恩人で、大切なお友達を足手まといだなんて思わないわ」

「わ、私は……」

「自信を持って、暁美さん。

 あなたはとってもがんばり屋で、誰かのことを思いやれる優しい子よ。

 だから、美樹さんの言葉も真剣に受け取ってしまうのよね」

 なぜかそこでマミは肩をすくめ、それから立ち上がって空を見上げる。

 浮かぶのは夜空に浮かぶ十三夜の銀月。

「美樹さんの言葉はね、半分だけ聞いておくといいわ」

「は、半分、ですか?」

「そう。確かに、時間停止と爆弾は危険な技だけど、あらかじめ打ち合わせておけば済むことよ」

「でも、美樹さんは……」

「彼女はね、あなたにやきもちを焼いているのよ」

 意外な一言に驚くしかない自分へ、全てを見透かしたような優しい笑顔でマミは頷く。

「ずっと仲良しだった鹿目さんに、自分が知らない秘密がある。

 しかも、それを共有しているのがこのまえ転校してきたばかりの女の子でしょ?

 のけ者にされたって、怒っているのよ」

「そ、そうなんですか?」

「実はね、この前そのことで美樹さんに相談されたの」

 そう言いながら、おかしくてたまらないと言うように、彼女は片手で口を押さえて言葉を継いだ。

「『あたし、こんなことで嫉妬するとか、ホントバカだと思うんだけど。

 でも、どうしてもまどかがあいつと仲良くしてると、つい』ですって」

「そ、そんな……」

「鹿目さんを間に挟んで三角関係勃発ね」

「ま、マミさんー」

 そう言ってからかう彼女は表情を幾分か真面目なものに改めた。

「もちろん、新しい攻撃の方法は探すべきだわ。

 美樹さんは直感で動くタイプだから、いくら打ち合わせをしていても間違いが起こる可能性もある。

 だから、もう半分は本気で受け止めておいてね」

「はい」

 優しさと厳しさを併せ持つ魔法少女の先輩。この人となら、この人とまどかとならどこまでも行ける。

 例え、キュゥべぇがなにをたくらんでいても。

 ほむらはそう確信し、屈託無い笑顔を返した。

「ありがとうございます、マミさん」


第四話「ゴメンな、マミさん」


 青い空を見上げながら、トムヤンは考えていた。

 このところ、どうにも煮え切らない日が続いていると。

 理由は二つある。

 一つは暁美ほむらの態度であり、彼女があまりにも秘密主義に過ぎるところだ。

 折角唯とのコンビネーションが確立されつつあり、魔女との戦いと言う点においては相当の負担軽減になっているはずなのに、

 結局彼女は一番の秘密を明かさず一人で行動している。

 おともの自分が気に食わないと言うのもあるだろう。

 唯が無関係な一般人であった事もあるのかもしれない。

「でもなー、そういうのとは違う気がするんだよなー」

 ぼやきながら、トビネズミは縮こまりがちだった体をすっと伸ばす。

 現在居る場所は見滝原中学校から少し離れたところにある住宅街、その一軒を囲う塀の上だ。

 風に長いひげを揺らし、目を閉じる。そして意識を世界へと溶かし始めた。

 途端に周囲から大量の情報が流れ込んでくる。

 それは大小さまざまな人間や動物の生命が放つもの。

 音や臭い、息づかいや足音、衣擦れなどが作り出す巨大な潮騒だった。

 意識の拡大と、それを利用した検索能力。

 体も小さく戦闘能力もわずかしか持たないトビネズミ型のおともが、真っ先に磨いたのがこれだった。

 今のトムヤンにとっては脇を通り過ぎる人間の心臓の音も、三千メートル上空を飛行する飛行機のエンジン音も同様の精度で聞き分けることが可能だ。

 おとも学校での成績は常にトップで、疲労や効率を考えなければ半径五十キロぐらいをサーチする事もできた。

 現在は自分を中心に十キロぐらいに限定し、その中で反応する魔力のみに注意してサーチを行っている。

(この反応は……ああ、使い魔だな。数は二、いや三か。そこから西に二キロのところに一匹。

 さすがに、魔女はいないか)

 魔女の性質にもよるが、相手は大抵夜に活動するのが常だ。

 人の性質は正午を過ぎる辺りから『陽』から『陰』へと傾くと言われる。

 そうした人の心に反応して、魔女たちも活性化する。

 もちろん使い魔たちもその性質に従い、昼間に活動することはほとんど無い。

 トムヤンはそうした昼間の休眠位置を探査することで、敵の行動半径を割り出していた。

 唯が学校に行っている間、トムヤンが魔女や使い魔の潜伏位置を大まかに探査。

 その後現地周辺を歩きながら調べつつ、重ねて探査を行う。

 こうした広範囲かつ二重の捜索行動により、唯とトムヤンが魔女を発見・撃破する率は一日1.2体という高アベレージを誇っていた。

 その効率のよさにほむらですら、どこまで体を酷使したのかと唯の体を心配したぐらいだ。

「ま、こんなとこかな」

 チェックを終了させ、どこからともなくピスタチオを取り出して齧る。

 唯ががんばったせいか、見滝原での魔女の活動は控えめになっていた。

 ほむらからも、あまりキュウべぇや、他の魔法少女が不審に思うような狩り方はしないよう釘を刺されるほどに。

 そう、そのがんばりの結果と言うのが、トムヤンが煮え切らないと感じていることのもう一つだった。

 おとも世界からの反応がない。普通なら、違法に活動している自分を放っておく事など無いはずだ。

 向こうを出てからすでに一月近く経っている現状で、一切干渉が無いことなどありえないはずだ。

 だが、その理由についてはトムヤンもある程度納得している部分がある。

 自分が正式なおともで無いためだ。

 通常、正式なおともは各世界に赴き、自分の活躍をリンカーへと送信する権利を獲得する。

 このことによりおともは逐次行動の監視を受けると同時に、その活躍を広く知ってもらうことができる。

 逆に、違反者に関してはおとも世界の違反管理者が各世界のサーチを行い、違法な行動に目を光らせている。

 もちろん見逃しもあるかもしれないが、時間が経てば立つほど発見される率は高くなるはずだった。

「ということは、思う以上に今回の事件がやばいってことなのか?」

 インキュベーターの対策に苦慮しているのか、それとも他の魔法少女の活動にまぎれてしまっている可能性もある。

「確かめようにも帰れないしなぁ」

 正式な資格者には双方向の移動手段が与えられるが、違反者である自分は戻る術どころか連絡を取る事もままなら無いのだ。

 何も持たずにやってきた自分の無計画さにあきれ返るが、今更無いものをねだっても仕方が無い。

「やっぱあれか、ワルプルギスって奴でも倒さないと無理か」

 ほむらの話ではあと一月後くらいにやってくると言う魔女の首魁。

 ただ強力であるという以外は何一つ分らない存在だ。

 そんな相手と唯が戦う羽目になるかもしれないと思うと気分が沈んでくる。

「これが、おともの悩みって奴なんだよなぁ」

 アニメや漫画ではあまり描かれることは無いが、おともたちは自分達の存在にストレスを感じることが多い。

 その原因は、自分達が守るべき主人を、結局は危険な場所に追いやってしまうというジレンマだ。

 実際、一つの任務を完了したおともの中には長期の休暇を申請するものも多い。

 そのおとも達が選ぶ休暇先のトップが、一緒に過ごした少女達の下であるというのが

 おともという存在の業の深さを感じさせるのだが。

「……帰るか」

 沈みがちな気分を打ち切って見滝原への道をたどっていく。

 唯はまだ部活中だっけな、そんなことをぼんやりと考えつつ、校門に差し掛かったときだった。

「んで、今日はどの辺りに行くんすか、マミさん」

「そうね……」

 校舎の方から誰かがやってくる。帰宅途中の見滝原の生徒、そこまではいい。

「あれ……鹿目まどか、だよな」

 三人の少女達のうち一人は鹿目まどか本人だ。

 その傍らを歩くのは、その友達のさやかとかいう女の子。

 最後の一人は見たことが無いが雰囲気からして上級生だろう。

 そして、その足元にいるのは――

「キュゥべぇ……っ」

 全身の毛という毛がぶわっと逆立つ。

 今すぐ飛び出していってその首根っこに思い切り噛み付きたい。自分の中にある感情をすべてぶちまけてやりたかった。

 だが、今は駄目だ。

 素早く冷静さを呼び覚まし、手近な木の枝に身を隠す。

 同時に気配と魔力の発散を限界まで抑えて背景の一部になりきる。

「ところで美樹さん、相変わらずそのバットなのね」

「えへへ。段々こう、手に馴染んできたっていうかー、持ってると安心できる感じで」

「美樹さんが魔法少女になったら、武器は金属バットで決まりね」

「ええー!? なんでー!? そんなんかっこ悪いよー」

 トムヤンは一瞬耳を疑った。魔法少女になったら、だって?

「魔法少女が持つ武器というのは、本人のイメージ力や個人的な資質や経験に合ったものが発生するんだ。

 さやかの場合、確かに金属バットが武器になる可能性もありえるね」

「魔法のバットで魔女と戦う魔法少女、斬新でいいじゃない」

「マジカルホームラーン、って感じかな?」

「まどかまでー。あたしそんなの絶対ヤだからね!」

 和やかに談笑する一団にトムヤンの頭は混乱していた。

(魔法のバットって! そいつと契約したら人生やり直すどころか魔女になって人生スリーアウトだよ! 

 っていうかなんで鹿目まどかとあいつが一緒に居るんだよ!)

 傍らに居る先輩はマミといい、すでにキュゥべぇと契約して魔法少女になっているらしい。

 落ち着いた雰囲気や面倒見のよさから、悪い人間ではなさそうだと判断できる。

 だが、ほむらの話にはマミと言う少女の事も、さやかが目を付けられているということも一切聞かされていない。

(しょうがない。ちょっと調べてみるか)

 意を決すると、トムヤンは慎重に気配を消しながら、三人と忌々しい一匹の後を静かに付け始めた。


「ティロ・フィナーレ!」

 その叫びに応じて巨大な大砲が出現、目の前の使い魔を一撃で粉砕する。

 同時に展開していた結界が霧散して、平穏な夜の公園へと戻っていった。

 トムヤンの見立てでは、彼女の能力はかなり高いものだと感じられた。

 ここに来るまでにも使い魔を数体、易々と倒している。

 魔法で作り出したマスケット銃を使って戦う様はまさしく狩人そのものだ。

「いやー、やっぱマミさんってカッコイイねえ!」

「もう、見世物じゃないのよ。危ないことしてるって意識は、忘れないでいてほしいわ」

 物陰から出てきたさやかの軽口を厳しくたしなめる一言。

 細やかな心配りも忘れない姿は淑女そのものだ。

 優しくて強い、理想的な魔法少女。

(こんな子があいつと契約してるなんて……)
 そう思うと、視界に写る白い害獣が一層憎らしい。

 怒りで奴を殺せたら、いっそのこと死神界からノートでも借りてこようか。

 そんな悶々としたおともが見ている前で、まどかが疑問を口にする。

「あ、グリーフシード、落とさなかったね」

「今のは魔女から分裂した使い魔でしか無いからね。グリーフシードは持ってないよ」

「魔女じゃなかったんだ」

「何か、ここんとこずっとハズレだよね」

 何気ない一言に、思わず心臓の鼓動が早まる。

 この公園辺りは三日前ぐらいに唯とトムヤンが掃討を終了させていた。

 というか、今日彼女達が探索したエリア全てが自分達の行動半径と被っていたりする。

 つまり、彼女達のパトロールを空振りさせているのは自分たちなのだ。

「使い魔だって放っておけないのよ。成長すれば分裂元と同じ魔女になるから」

 落胆した二人を宥める彼女に、トムヤンは頭を下げた。

「ゴメンな、マミさん」

 半日彼女達を追っていて分ったことは、マミが人々の安全を守るために戦っている魔法少女であること。

 そして、キュゥべぇに目を付けられた彼女達の相談役になっているということだ。

 そんな彼女が、何気ない調子で二人に問いかける。

「二人とも何か願いごとは見つかった?」

「んー…まどかは?」

「う~ん…」

「まあ、そういうものよね。いざ考えろって言われたら」

 あくまでマミの態度は魔法少女を肯定するものだ。

 キュゥべぇの、インキュベーターの正体を知らない立場としては、
 願い事と魔法少女としての活動という『対価』がつりあっていると考えているのだろう。

 今すぐ飛び出していって洗いざらいぶちまけたい。

 でも、全く無関係な自分が言ったところで信じてもらえるかどうか。

 そもそもネズミが彼女達の目の前に飛び出していったらどうなるか。

(さやかって子の金属バットで、撲殺されかけるのがオチだろうなぁ)

「マミさんはどんな願いごとをしたんですか?」

 何気ないまどかの一言に、突然マミの空気が重くなる。

 雰囲気に飲まれて二人の距離が自然と先輩から離れてしまっていた。

「いや、あの、どうしても聞きたいってわけじゃなくて」

 なんとかごまかそうとした彼女に、マミは淡々と答えを返した。

「私の場合は……考えている余裕さえなかったってだけ」

 彼女の魔法少女になったきっかけ、それは自分の生命の危機。

 大規模な交通事故に巻きこまれて両親は即死、自分も救助隊の到着を待たずに死ぬかもしれない。

 そんな状況にアレが現れたのだ。 

「後悔しているわけじゃないのよ。今の生き方も、あそこで死んじゃうよりはよほどよかったと思ってる」

 重い過去を聞いてうろたえる後輩達に、先輩は笑顔で気にするなと示した。

「でもね。ちゃんと選択の余地のある子には、キチンと考えたうえで決めてほしいの。

 私にできなかったことだからこそ、ね」

 トムヤンは深くため息をついていた。マミという少女の、強さと思いやりのある優しさに。

 そして、その場面に居たキュゥべぇのことを思い、怒りとやるせなさから近くの小枝を二・三本ばりばりと食いちぎった。

 結局あいつは、死地にいる少女に選択の余地など無い選択を迫った詐欺師に過ぎない。

 だが、その詐欺師の行為は一人の少女を一時的にだが救っている。

 ああ畜生。だからこそ許せないんだ、お前が。

 気が付くと自分と彼女達の距離がだいぶ離れてしまっていた。

 大急ぎかつ慎重に近づくと、どうやら別の話題が終わったところらしい。

「……そうだね。私の考えが甘かった。ゴメン」

「やっぱり、難しい事柄よね。焦って決めるべきではないわ」

 多分また軽口でも叩いて叱られたんだろう、しょげ返った彼女をマミが優しくフォローしていた。

 そんないい感じの雰囲気に余計な奴が割り込んでくる。

「僕としては、早ければ早い程いいんだけど」

(うっせ! テメェの都合なんか知ったことじゃねー! 失せろ害獣!)

 そんなトムヤンの言葉が聞こえたわけでもないだろうが、

 マミが悪戯っぽく笑いながら奴の発言を優しく咎めた。

「ダメよ。女の子を急かす男子は嫌われるぞ」

(ナイス突っ込みっすよマミさん! てか、お前は因果地平の果てまで嫌われてろ!)

 すっかり野次馬と化したネズミの前で三人が別れていく。

 おそらく二人は家に帰るのだろう、マミのほうは何かに気が付いて、

 近くの野外劇場の設けられた方へ歩いていく。

 同時にトムヤンも気が付いていた。良く知った一人の魔法少女の気配を。

「ほむら……」

 背後に現れた彼女の視線を、マミが平然と受け止める。

 その対峙を、小さなネズミが見つめていた。



[27333] 第五話「だれか、たすけて」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/21 06:48
 夜の空気は硬く冷えていたが、それ以上にほむらの言葉は冷たく尖っていた。

「分かってるの? 貴女は無関係な一般人を危険に巻き込んでいる」

 それを受けるマミの声も、さっきまで後輩達に接していたときとは別人のような、

 冷気を漂わせる声を発している。

「彼女たちはキュゥべえに選ばれたのよ。もう無関係じゃないわ」

「貴女は二人を魔法少女に誘導している」

「それが面白くないわけ?」
 心持ちマミの声にからかうような声が混ざる。

 それでもほむらは眉一つ動かさずに応えを返す。

「ええ、迷惑よ。特に、鹿目まどか」

「ふぅん。そう、あなたも気づいてたのね。あの子の素質に」

「彼女だけは、契約させるわけにはいかない」

 やっぱりだ、トムヤンは呟いていた。

 ほむらはまどかのことになると周りが見えなくなる。

 今も彼女の目には、何か言い知れない熱情のようなものが浮かび上がっていた。

 だが、マミの方はその視線に別のものと理解したようだ。

 浮かべた笑みの意味を面白がるようなものから、あざけりとも憐れみとも取れるものにシフトさせていた。

「自分より強い相手は邪魔者ってわけ? いじめられっ子の発想ね」

 その挑発を受け入れ、代わりに彼女は言葉を返した。

「貴女とは戦いたくないのだけれど」

「なら二度と会うことのないよう努力して。話し合いで事が済むのは、きっと今夜で最後だろうから」

 見詰め合う二人の長い髪を、風が弄っている。

 何の返事も返さないほむらに振り返る事も無く、マミは歩み去っていった。

 だが、彼女の姿が見えなくなった途端、ポーカーフェイスは崩れ去っていた。

 何かを思い切るように唇をかみ締め、空を見上げる。

 絡み付く苦痛を振り払おうとするかのように。

「ほむら」

 こちらの声に振り返ったほむらの顔は、驚きと怯えに歪んでいるように見えた。


第五話「だれか、たすけて」


「見ていたの」

 咎める声、それよりも深く呪うような声。

 ほむらの言葉には聞いた事も無いような響きが含まれている。

 見るなというよりは、むしろ。

「見ないで欲しかった、って顔だな」

「あなたは……っ」

 それ以上の言葉を出す事も出来ず、黙ったまま立ち去ろうとする背中にトムヤンは呼びかけた。

「まどかちゃん、ずっとキュゥべぇと一緒だったぞ」

「……知っているわ」

「魔法少女になって欲しいって、言われてたんだぞ」

「そうね。当然、そうなるはずだわ」

「……なに考えてんだ、ほむら!」

 再び振り返った彼女の顔は、もう冷たい仮面に戻っている。

 だが、それこそがトムヤンにとっては雄弁に物を言う無表情だった。

「今日、ずっと彼女たちの行動を見てた。マミさん……っと、

 マミって子がいなかったらあいつに騙されて契約してたかもしれないんだぞ!」

「そうね。巴マミが、彼女達の行動を抑制していなかったら、そうなるわ」

 矛盾するほむらの言葉。巴マミに向かっていった言葉とは裏腹な発言の意味するところはただ一つ。

「お前、マミが居るってのを最初から知ってて、わざと近付けさせたんだな!」

「だったら?」

「何でそんな真似するんだよ!」

 鹿目まどかとキュゥべぇを契約させたくないと言いながらその周囲に近付けさせ、

 巴マミには自分の心情を打ち明けずに敵対している。

 その割には、彼女の行動に全幅の信頼を置いているようなそぶりすら見えた。

「俺、今日ずっと見てたんだ。マミは絶対いい子だ! 優しいし頭もいい、

 しかも魔法少女としてはかなりの腕前だ!」

「そんなこと、あなたなんかに言われなくても、十分理解しているわ」

「だったら! お前だってもっと良く話せば、彼女と協力し合えるはずだ!」

 言葉が、決定的にほむらの何かを打ち砕いた気がした。

 冷徹の仮面がはがれ、唇をかみ締めた彼女が、腹の底からの怨嗟を漏らし始める。

「……なにも知らないくせに、勝手なことを言わないで!」

「ほ、ほむら?」

「勘違いしないでね。別に私は、あなた達の協力が無くてもやっていけるの。

 ただ、行動するのに色々と都合がいいから手伝ってもらっているというだけよ」

 黒い少女の瞳にあるのは、絶え間ない苦痛と怒り。

 そのない交ぜになった感情を燃料に燃え盛る漆黒の炎がトビネズミの五感を焼いていく。

「鹿目まどかをどう扱えばいいのか、私が一番知っているの。余計な手出しはしないで」

「ほむらっ」

 無言で抜き放たれる銃。
 そこに込められた殺気は、普段のじゃれあいの中では決して入り込まないものだ。

 だが、それでもトムヤンは確かめずにはいられない。

「さっきのセリフ、ユイの前でも言えるか?」

 黒い炎が揺らめき、勢いが一瞬萎える。

 それでも表情を持ち直させたのは、どんな感情をくべたからなのか。

「香苗さんは……関係ないわ」

「言えるかって聞いてんだ! 答えろよ、暁美ほむら!」

 表情が引いていく、冷たい仮面が被りなおされる。

 そのわずかな移行の間にトムヤンは裏に隠された、彼女の生の感情を見た気がした。

「言えるわ」

 銃をしまい髪をかき上げると、ほむらは告げた。

「私は目的のためならなんでもする。だから、あなた達も利用するの」

 トビネズミはそっと視線を地面に落とした。

 それを会話の終わりと見たのか、靴音を立ててほむらが去っていく。

「一ついいか」

「……何かしら」

「悪女ぶるならもうちょっとうまくやれ。そんなの全然、似合ってねーよ」

「そう」

 言葉は届かない。例え届いたとしても受け取られることが無い。着信拒否する心に思いは伝わらない。

 人気の無くなった公園で、トムヤンは言葉にならない絶叫を上げた。


 その日、相変わらず街は青空に恵まれていた。

 教室の机に座り、外を見つめていた唯の視線が時々教室の時計に送られる。

「やっぱりお昼が気になる?」

「ん? うん」
 隣の席に座る友香が笑いながら話しかけてくるが、自分としてはそう言う意味で見ていたわけではない。

 もちろん昼休みは毎回楽しみではあるのだが。

 やがてチャイムが鳴り、号令が終わるのを待ちきれないといった感じでクラスの列が乱れていく。

 いつもなら友香と一緒にカフェテリアにいくはずだが、今回だけは少し違う予定を入れていた。

 思い切り緊張する胸を押さえ、走らない程度に全速力で目的地へ向かう。

 ガラス越しに見える黒いロングヘアーを認めると、唯はわざと教室の中に踏み込んで声を上げた。

「すみません、このクラスに暁美ほむらさんて人いますか?」

 クラスの人間が驚いた表情でこちらを向く。

 その中で最も驚いていたのがほむら本人だった。

「あ、暁美さん、あの子、知り合い?」

「そ、その……」

「暁美さん! 一緒にご飯食べに行こう!」

 怯えたような顔をしたほむらに、唯はわざと近づいていく。昨日トムヤンに言われたように。

『ほむらは、多分押されるのに弱いタイプだ。だから、相手がちょっと嫌そうな顔をしても気にせずやれ!』

「あ、あなた」

「折角一緒の学校になったんだもん、ご飯も一緒に食べよ!」

 彼女の白い手を取ると、そのままぐいぐいと引っ張る。

 衆人環視の中では魔法も使えないし振りほどく事もできない、

 そういう彼の読みはバッチリ当たり、ほむらはされるがままになって自分の後を付いてきた。

「一体どういうつもり、クラスには顔を出さないでって言ったはずよ」

「暁美さん、私ね、ちょっと怒ってるんだよ」

 声のトーンが自然と低くなる。

 昨日、トムヤンから聞かされた一部始終を思い出し、怒るというより悲しい気持ちが湧き上がってくる。

「だから、ちょっと付き合って」

 普段なら冷たい言葉が返ってくるところだと思うが、ほむらのほうは何も出来ないままこちらに従うだけだ。

 やがて、渡り廊下に来たところでようやく言葉が開放される。

「分ったわ。分ったから、手を離して。ちゃんとついて行くから」

 手を離すと、彼女は自分の掌を見つめてため息をついた。

「赤くなっているわ」

「ご、ごめんなさい! でも、私」

「あやまらないで。それよりどこに行くの?」

 唯は頷くと、中庭のほうを指差した。

 学校の中庭は広く空間を取ってあるせいか、日照時間が長く植物の育ちやすい環境になっている。

 大きな木の影や芝生が作り出す空間は、昼ごはんを食べるのにもいい場所だった。

「というわけで、今日はおかあさんと協力して作ってきちゃいましたー」

 大振りなバスケットを開けて、中のサンドイッチを取り出す。

 それから、水筒と取り出すと、紙コップに飲み物を注いだ。

「はい、暁美さん」

「あ、ありがとう……」

「それじゃ、いただきまーす」

「いただき……ます」

 サンドイッチを手にしたままのほむらを、唯は見つめた。
 耳の残った六枚切りのパンの間にレタスやツナ、チーズにトマトの挟まったものだ。

 ためらいながらも、こちらの視線が意図するところを読み解き、ほむらがそれを口にする。

「どう、かな?」

「……大丈夫。味に問題は無いわ」

「それって、おいしいってことでいいのかな?」

 少し息をつくと、ほむらはうなずいて言い換えた。

「ええ。おいしいわ」

「そっか。ありがと」

 それっきり会話が止まる。いつものことではあるが、今回ばかりはそんな事も言っていられない。

 ほむらの食事がある程度落ち着くのを見計らうと、唯は口火を切った。

「今日はね、トム君はお留守番。だから、なんでも言ってくれていいんだよ」

「何を言っているのか、分らないわ」

「……暁美さん、私たちのこと利用するって、言ったんだって?」

 ほむらは紙コップを芝生の上に置いた。それから、立ち上がってこちらを冷たい視線で見下ろす。

「そこまで聞いているなら、もう話すことは無いわ」

「座って、暁美さん」

「座る理由は」

「お願いだから、座って」

 もう一度座りなおしたほむらに、水筒のお茶を注いで渡す。

 少しためらいながら、それでも彼女はそれを受け取った。

「私ね、いろいろ考えたの。昨日の話を聞いて。

 でも、ぜんぜん何も思い浮かばなかったから、今日は暁美さんに聞けるだけ聞こうと思ってたんだ」

「一体、なにを?」

「あなたが何をしようとしているのか」

 そう言って、唯は彼女を見た。

 顔は険しくない。悲しそうな瞳ではあるが、それでも自分を受け入れてくれている、そんな気がしていた。

「暁美さんは、そのまどかちゃんて子を助けたいんだよね」

「……そうよ」

「どんなことをしても、助けたい?」

「……ええ」

「私を、利用しても?」

 ああ、まただ。唯はそう思った。彼女は苦しくなると顔を消してしまう。

 それは雄弁な意思表示でしかなかった。苦しみもだえる本当の気持ちが、そうさせているのだから。

「ええ。もちろんよ」

「それなら、どうして私をもっと利用してくれないのかな」

 彼女は目を見開いてこちらに顔を向けた。

 信じられないものを見るような目つき、というのは多分こういうものなんだろう。

「だって私、まどかちゃんのことで全然利用されて無いでしょ? 暁美さん、嘘ついてるよ」

「だって、あなたには魔女を」

「あれは私がしたいからしてるだけ。

 魔女に襲われた人を助けたい、誰かに私と同じ怖い思いをして欲しくないから、やってるの」

 ほむらはゆっくりと頭を振った。それから、手にしたカップを見つめ、ぽつりと呟く。

「だめよ。そんなこと、言わないで」

「暁美さん」

「私は、平気なの。ちゃんと全部分ってる、だからあなたを利用なんてしなくていいの」

「嘘つきだね、暁美さん」

 ちっとも平気じゃないのに、平気なふりをしている。利用なんてする気も無いのに利用しているなんて言う。

 何かをこらえる様にしてカップを握り締める彼女に、唯はそっと語りかけた。

「私に出来ること、何か無いかな」

「……信じていて」

「暁美さんのこと?」

「全部うまく行くから、行かせてみせるから」

 声が泣いていた。一滴も涙をこぼさずに、それでも声が震えている。

 気がつかない振りをして、唯は自分のカップに口を当てる。

「うまく行ったら、私をまどかちゃんに紹介してくれる?」

「……もし、彼女が許してくれるなら」

「大丈夫だよ」

 こんなにがんばっている子が報われないわけが無い。

 そうじゃなきゃおかしい、そんな気持ちを込めて唯は空を見上げた。

「暁美さんの気持ち、きっと伝わるよ」


 クラスも雰囲気も全然違う一組の少女を、木陰から三つの視線が覗いていた。

「キュゥべぇ、あんたテレパシーでなに喋ってるか聞き取れないの?」

「む、無茶言わないでよ。僕のテレパシーは集音マイクでもスピーカーでも無いんだ」

「でも、ほむらちゃんて友達いたんだねー」

 意外だというまどかの言葉にさやかもうなずく。

 キュゥべぇは何を考えているかわからないが、とりあえず事態を見守るつもりのようだ。

「マミさん、聞こえますか、どーぞ?」

『どうしたの? 美樹さん』

「現在、例の転校生が謎の少女と並んでランチタイム中。

 二年生の子だと思いますけど、別のクラスなんで名前とか分りません、以上です」

 何かの特派員でも意識しているのか、妙な喋りになったさやかに呆れながらマミが質問を投げてくる。

『その子も魔法少女、なのかしら?』

『それは無いよ。僕は彼女を知らないし、そもそも彼女からは一切資質を感じない』

「じゃあ、本気で無関係な一般人か! あんな陰険転校生に付き合えるって、どんなやつだ?」

「あ、あのね、さやかちゃん。あの子たぶん、陸上部の子だと思う」

 まどかの言葉に二人が驚きの声を上げる。

 そのリアクションにたじろぎながら、まどかは少し前の記憶をたどった。

「ほむらちゃんが転校してきた日に見た夢ってあったでしょ? あの時の夢に、もう一人いたの。

 顔は良く分らなかったけど、後姿とか、雰囲気とか、そっくりで」

『一体どういうことなのかしら……』

「これは調べてみる価値があるんじゃない? もしかしたらあいつの弱みを握れるかも」

「さやかちゃん!」

 まどかの言葉を誤解したのか、さやかは胸を張って宣言した。

「だーいじょうぶ! この美少女名探偵、美樹さやかちゃんが、この謎を解決してあげよう! 

 マミさんの名に掛けて!」

『勝手に私を掛けないでよ……』

 マミの抗議をよそにもりあがるさやかを苦笑しつつ見守るまどか。

 だが、その目は、ほむらの傍らにいる少女に違和感を感じていた。

(あの子、今日はペンダントしてない)

 だが、その違和感はすぐに忘れ去られることになる。この後に起こる出来事によって。

 
 インフォームド・コンセント、という言葉がある。

 主治医が患者に対して病状や治療法を正確に告知、解説すること。

 そうすることで患者が自分の病気に対する不必要な恐れを取り除き、

 医師と患者の間に発生しがちな不信、不和を無くして治療を行うという行為のことを差す。

 だが、それは時として人の心に深い傷を残す。

 告知した場合の傷と、告知しなかった場合に起こる後々のショックの度合いは、

 結局どちらがいいと言われても評価するのは難しい。

 感情というのは不可解なものであり、理解することなどできはしないのだ。

 だから今日、上条恭介という少年にもたらされた告知がどのような結果をもたらすのかを、

 医師が判断できなかったとしても、罪ということは出来ないだろう。

「先生っ、本当に、治る見込みは無いんですか!」

 父親の叫びは、呆然としている息子の気持ちを代弁するものだった。

 だが、医師の表情は変わらない。

「恭介君の神経に対するダメージは、手の部分だけに限ったことではありません。

頚椎にも損傷が見られます。単なる神経断裂であれば完全回復の見込みはありますが」

「この子は、この子の手はっ、特別なものなんです!」

 一体、この人たちは何を言っているんだろう。

 僕はがんばっているんだ、事故なんかには負けない。

 お見舞いに来てくれたさやカも、がんばればキットナオルッテ。

「私を恨んでいただいて構いません。ですが、無い希望をあるように見せる事も、

それはそれで罪悪であると考えています。残念ながら、彼の手は」

「うそだ」

 恭介は自分の顔がだらしなく引きつっているのを理解していた。

 笑いたいけど、笑い方を忘れた生き物のように。

「うそだよ。そんなの、だって、それじゃ、僕は何のために!」

「恭介!」

「やめてよ! ちゃんと付いてるでしょ! 僕の腕! 治るんだよ! 動くんだ!

 そうじゃなきゃおかしいよ!」

 嫌だ、頭の中がそのことで一杯になる。治らないなんて、治らないなんて嘘だ。

 言葉が溢れかえり慟哭が喉を突く。

「いやだぁああああ! 嘘だ、嘘だそんなこと! 治してよ! ちゃんと治してよぉ!」

 真っ白になっていく頭の中で、誰かの、もう一人の声が響く。

『なおらないの。おびょうき?』

 治らないって、僕はもう治らないって。

『わたし、おちゅうしゃ、いっぱいがまんしたの。いたいの、すごくいたかったの』

 いやだ、もう一度、もう一度弾きたい。

『わたしも、たべたいの。おかし。ちーずも、たべたかったの』

 助けて、こんなのは、嫌だ。

 その時二つの心は重なり合い、一緒に泣き声を上げた。

 決して手に入れられぬと理解してなお、渇望したものに手を伸ばすもの達が。

「『だれか、たすけて!』」

 腕にかすかな痛みが走る。

 その後すぐに世界が暗転していく。

 恭介は眠りに落ちる一瞬、童話に出てくるお菓子の家のような世界に座らされた、

 少女の人形を見たような気がした。

 天才と謳われた一人の少年バイオリニストが死刑宣告を受けたその日、

 眠り続けていた魔女が、ゆっくりと目を覚ました。



[27333] 第六話「助けに来たよ。暁美さん」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/22 22:30
『ほ、ほむらちゃん、マミさんが、マミさんがあああああっ』

 血まみれで横たわる、食い散らされた死体。

 泣きじゃくるまどかと、こちらを睨みつけてくるさやか。

『なんで、なんであんた、もっと早く来ないんだよ! 

 あと少し早かったらマミさんは、マミさんはっ!』

 そんなバカな、うろたえてあとずさる自分がいる。

 巴マミがこんなにあっさりと、魔女にやられることなんてありえない。

 そう心の中で繰り返す自分に、マミの言葉が蘇る。

『ほら、覚えてる? あのお菓子の魔女と戦ったときのこと』

 それは、昔の記憶、自分が魔法少女になった時のこと。

 そうだ、あの時は私とまどかでマミさんを助けたはずだ。

 では、自分が居ない、まどかも魔法少女になっていないこの世界の彼女は――

「キュゥべぇ」

「なんだい、まどか」

「マミさんを、生き返らせることはできる?」

 ほむらが、さやかが、反射的にまどかを見る。

「まどかっ! そんなことはっ!」

「もちろん可能だよ。君の資質であれば、彼女一人を生き返らせることぐらい簡単なことさ!」

「や、やめ……」

 阻止するべきだ、まどかと契約など絶対にさせな――

 その時、引き抜こうとした銃を押しとどめたのは、赤黒い首の断面を晒して横たわる、

 巴マミであったものの残骸。

 一人の少女が一人の少女を死から救ったその世界は、

 そのわずか数週間後に完全な死と静謐が支配する場所へと変わる事になった。

 それは幾度目かの時。死という因果が、暁美ほむらの魂を深く切りつけたエピソードの一つ。


第六話「助けに来たよ。暁美さん」


 彼方から届いた魔女の波動を感じたほむらは、知らないうちに体が震えてくるのを感じていた。

 絶対に忘れることが出来ない、忘れるわけにはいかない敵の存在を感じて、素早く立ち上がる。

「……上条恭介が、呼び覚ましたのね」

 巡る世界の中でほむらは、魔女達の活動や性質に一定の法則があることを感じていた。

 同時に、それを裏付けるべく丹念に調べ上げて行った。

 犠牲となるものを少しでも減らすために、そしてまどかを救うために。

 その中でどうしても避けられない魔女との戦いや、必ず起こってしまう事件もいくつか存在した。

 その一つが、上条恭介の悲嘆を受けた魔女の復活。

 その魔女は強力ではなかったが厄介な性質を持ち、それを知らないものが撃破するのは容易ではなかった。

 初めてのループの時は、ほむらとまどかの二人でマミを救うことが出来た。

 だが、サポートが居ない状態で彼女が魔女を撃破出来たケースは、今のところ無い。

 しかも、休眠状態であった魔女のグリーフシードの方も、その日になるまでいくら探しても出現することが無かった。

 上条恭介の悲嘆がそれを呼び覚ます時間やタイミングもそれぞれに違う。

 だから、今度は待っていたのだ。

 学校の図書室で本を読むふりをしていた彼女は、素早く立ち上がった。

 巴マミを含めた三年生は現在進路指導を受けている最中だ。

 呼びに来たまどかが彼女と会うまでには時間が掛かるだろう。

 その前に魔女を倒してしまえば、彼女の死の運命を打ち壊すことが出来るのだ。

 屋上に上がり変身を遂げたほむらは、目的に向かって大きく飛翔した。


 クラスで自分が呼び出されるのを待っていたマミは、

 ポケットの中に隠されたソウルジェムが大きく脈打つのを感じていた。

 かなり大きな魔女の気配、すでに慣れっこの感覚だが、体がわずかに緊張するのは未だに解消できなかった。

(私もまだまだね、さて)

「ごめんなさい。なんだか、ちょっと気分が悪くて。保健室に行って来るから、

 先生に伝言お願いできるかしら?」

「うん。一緒についていかなくて大丈夫?」

「一人で歩けるぐらいには、ね。それじゃ、後はよろしく」

 クラスメイトに挨拶を残して教室を出る。

 嘘をいうのは気が引けるが、マミはこの瞬間が結構好きだった。

 学校には秘密の正義の味方。

 そんな立場に自分が居るという事実が、あのときの事故の痛みをはるかに軽くしてくれている。

 もし、自分が事故から助かっただけの幸運な少女であったなら、

 大好きだった両親を失った事実をとても受け止め切れなかっただろう。

『キュゥべぇ? 近くにいるの?』

 軽くテレパシーを飛ばしてみるが、どうやら近くには居ないらしい。

 その代わり、張り巡らされた意識圏に覚えのある波動が通り過ぎるのを感じた。

「あの子……」

 暁美ほむらと言う魔法少女。キュゥべぇを傷つけ、自分の後輩に対して不愉快な干渉を続ける存在。

 飛んでいく方向を見て、その行動は容易に想像が付いた。

 こういう言い方は好きでは無いけど、自分に前置きをしつつ、マミは不敵な笑みを浮かべて呟いた。

「私の目の黒いうちは、あなたに好き勝手はさせないわ」

 素早く変身を行い、黄色い姿が一気に目的地を目指す。

 向こうは空を飛んで最短距離を行くつもりだろうがこちらは地元の人間だ。

 病院に行くには、実は地上を行ったほうが早くたどり着くことをマミは知っていた。

「……鹿目さん!?」

 一時的に変身を解き、大慌てで走って行く彼女に近づく。

 突然現れた自分に驚きつつ、まどかは息を切らせて事情を説明してくれた。

「危険なことをしているのは忘れないでって、言っておいたでしょう?」

「でも、あの病院、さやかちゃんの友達……が入院してるんです!」

「なるほどね」
 守るべきものを見捨てることなく、自分の危険を顧みないで行動する。

 無謀だが、正義の魔法少女を目指すものとしては合格だ。

「掴まって。ここからは一気に行くわ」

「え、あ、はい!」
 まどかを背負い、マミは疾駆する。

 その間も感覚の網は彼女の存在に張ったままだ。

(すごいスピードね。断続的に加速しているのかしら、走っているというより、大きなジャンプを繰り返している感じだわ)

 しかし、タッチの差で先に結界の前にたどり着く。

 黒い気配はあと三分もすればここにたどり着くだろう。

「ここね……『キュゥべえ、状況は?』」

『まだ大丈夫。すぐに孵化する様子はないよ』

 冷静な言葉に内心ほっとする。だが、その安堵をたしなめるように声が続く。

『むしろ、迂闊に大きな魔力を使って卵を刺激する方がマズい。

 急がなくていいから、なるべく静かに来てくれるかい?』

『わかったわ』

 まどかを伴い、結界へと歩みを進める。

 お菓子で出来た内壁を持つ独特な世界の中は、それでいて一切甘ったるい匂いを伝えてこない。

 それどころか、かすかに消毒液の香りが漂っている。

 結界のすぐ外に近づく気配を背中越しに感じながら、マミはあえて話を続ける。

「無茶し過ぎ……って怒りたいところだけど、今回に限っては冴えた手だったわ。

 これなら魔女を取り逃がす心配も……」

 結界内にもう一つの靴音が響く。

 振り返ると、マミは敵意を露にして暁美ほむらをにらみつけた。

「言ったはずよね。二度と会いたくないって」

 その威圧にひるむことなく、ほむらが言葉を返す。

 油断しているのか、それとも自分を侮っているのか、未だに変身していない。

 心の中でマミは彼女の迂闊さを笑った。

「今回の獲物は私が狩る。貴女達は手を引いて」

「そうもいかないわ。美樹さんとキュゥべえを迎えに行かないと」

 相手に気が付かれない様に魔力を練り上げる。相手の実力が分らない以上、最初から全力で行く。

「その二人の安全は保証するわ」

「信用すると思って?」

 こちらの言葉に相手が何か言おうと身を乗り出す。

 その瞬間、マミは練り上げた魔力を一気に展開させた。

 足元から飛び出したリボンに拘束され、ほむらが苦しそうにもがく。

「ば、馬鹿。こんなことやってる場合じゃ」

「もちろん怪我させるつもりはないけど、あんまり暴れたら保障しかねるわ」

 関節の要点と筋肉の伸び具合を考えて拘束を掛けてある。

 筋力を上げて引きちぎろうとしても時間は掛かるだろうし、この状態では変身もままなら無いはずだ。

「今度の魔女は、これまでの奴らとはわけが違う」

 苦し紛れの一言を聞き流し、マミは背中を向けた。

 彼女が何を考えているのか分らないが、キュゥべぇを傷つけまどかという才能ある魔法少女の誕生を邪魔する人間だ。

 これから魔女と対峙するのだから、不確定要素である彼女の動きは封じておいた方がいいだろう。

「おとなしくしていれば帰りにちゃんと解放してあげる。行きましょう、鹿目さん」

「待っ……くっ」

 苦しそうにもがくほむらを少しだけ視界に入れ、そのまま進んでいく。

 少しきつく縛りすぎたかもしれないが、今までの態度を考えれば寛大なぐらいだ。

 暗い空間に彼女を置き去りにして、マミは結界の最深部を目指して歩き始めた。


 全身の力を振り絞り、ほむらは必死にもがいた。

 そのたびに拘束から衝撃が走って前身を貫く。完璧に縛られた上にまともに力を振るう事も出来ない。

 相手を警戒させないためにわざわざ武装を解いていったために、魔法を使って脱出することさえままならなかった。

「どうして……」

 痛む腕にそれでも力を込め、ほむらが声を絞り出す。

「どうして……っ」

 手足の自由を奪われ、それでもあらん限りの力を込めてほむらは拘束を振りほどこうとした。

「どうして、分ってくれないの!」

 暗い世界に自分音声だけがむなしく木霊する。

 迷宮の入り口には使い魔の姿さえ見ることができない。たった一人でもがきながらほむらは自問した。

 まどかを救うため、わざと彼女と親しい関係を作らないよう努力してきた。

 自分を救う願いを掛けさせないように、そしてキュゥべぇの異常さを気が付かせるための要因となるように、

 あえて汚名をかぶるように動いてきた。


 その結果マミとの仲は険悪なものとなり、今こうして彼女の拘束を身に受けている。

 まどかと同じぐらい助けたい、大切な人からの敵意を。

「どうして……」

 そう言いながら、ほむらはどこか醒めた気分で自分を眺めているもう一人の自分に気が付いていた。

 どうしてだって? 彼女の『友達』であるキュゥべぇを傷つけ、本心を明かさずに暗躍している。

 そんな自分を、誰が信用できる?

 そんなこと最初から分っていた。

 だからこそ、誰にも頼らずにまどかも、マミも、みんなを救うと、救えると思って行動していた。

「外れて……っ、外れてよ!」

 無理に動かした腕に、足に、鈍い痛みが走る。それでも堅固な縛めは一切断ち切れることが無い。

 彼女達が去っていった暗い道を見つめ、ほむらは自分を縛るもう一つの縛めを感じていた。

 運命という名の、断ち切ることの無い鎖。

 何度繰り返しても、いや、繰り返すごとにきつく硬く、自分を縛る鋼の縛鎖。

 それが全身に食い込んで動きを鈍らせていく。

「お願いだから……」

 抵抗が小さくなり、動きが止まる。

 助けたいのに助けられない、動きたいのに動けない。絶望感が抵抗する気力を奪い去っていく。

 そして、ほむらは決して言うまいと思っていた一言を、漏らしていた。

「誰か、助けて」

 ゆっくりとほむらは、自分の愚かさに首を横に振った。

 誰にも頼らず、時の迷宮でたった一人でさ迷う者に、誰が手を伸ばしてくれるのか。

「助けてくれる人なんて……いるわけ無いじゃない」

 零れ落ちた諦めと自嘲に、言葉は投じられた。

「いるさっ、ここに一人な!!」

 暗闇を渡るのは少年のような声の軽口。そして、近づいてい来る少女のシルエット。

 ほむらは顔を上げた。

「助けに来たよ。暁美さん」

 太陽のような輝く笑顔で、香苗唯は告げた。



[27333] 第七話「風より早く往く力を!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/23 15:22
 暗闇の中、黄色のリボンで拘束されたほむらは、まるで蜘蛛の巣に捕らわれた蝶の様に見えた。

 その瞳は絶望と希望が入り混じり、泣いているような叫びだしたいような、そんな顔をしている。

「助けに来たよ。暁美さん」

 そう声を掛けたときも、相手の表情は固まったままだった。

「かなえ、さん」

「そうだよ」

「俺もいるぜ!」

「トムヤン……」

 こちらを見ていた彼女は、呆けたような表情をくしゃりと崩して、泣きそうな顔を露にした。


第七話「風よりも早く往く力を!」


「お願い……お願いだから、助けて」

「かなり強力な捕縛魔法だな。ま、時間さえ掛ければ」

「違うの! 私のことより巴マミを!」

 肩の上に載ったトビネズミは鼻をふんふんいわせて辺りの空気を嗅ぐと、リボンを指差した。

「それ、彼女にやられたんだな」

「そんなことどうでもいい! もう時間が無いの! 早く彼女を!」

 その声に呼応するように、迷宮全体が魔女目覚めを受けて、どくりと鼓動する。

 切羽詰った顔を見たトムヤンは、頷いてこちらを振り仰いだ。

「行けるよな」

「もちろん」

 心を決めると、迷宮の奥へと顔を向ける。

 肩の上のトビネズミが、差し伸べた自分の右手の上にひょいっと飛び乗った。

「ほむら、いっこだけ聞かせてくれ」

「……なに?」

「お前、未来が分るんだな」

「……ええ」

 その言葉にほんの少し驚いてしまうが、そんなことはどうでもいいと思い直す。

 今はもっと大事なことがある、大切な友達の頼みを聞くために全力を尽くすことだ。

「その中に俺たちのことは入ってるのか?」

「無いわ。だから、お願い……っ」

「よし……行こうぜ、ユイっ!」

 力強く頷くと、自らの内に眠る力に耳を傾けるように目を閉じる。

「締命の契約によりて、我と供とを今ひとつに! 蘇れ、闇を切り裂く光の力!」

 掌の上のトビネズミが輝く光の結晶になり、呼応したペンダントがその赤を深くする。

 そして、香苗唯は眠れる力を呼び覚ます言霊を解き放った。

「ポジティブ・アクティブ・ブレイブアーップ!」

 言葉が結ばれ魔法が花開く。足元に魔法陣が展開するのと同時に、光の矢となったトムヤンがペンダントを貫いた。

 全身から放散された魔力の輝きが一人の少女の姿を変える。

 白とピンクで彩られた衣装を身にまとい、胸元には真紅のブローチとそれを飾るリボン。指貫のグローブとシューズが装着される。

「香苗さん……巴マミを……マミさんを助けて」

「うん。絶対に、助けるから!」

 ほむらに向かって笑顔でサムズアップを一つ送ると、唯は全速力で走り出した。

『ほむら、悪いけどちょっとの間我慢してくれよ!』

『私のことはどうでもいいわ! もうグリーフシードの孵化が始まる! 急いで!』

 多少乱暴だが声にいつもどおりの強さが戻り始めている。

 そのことを妙にうれしく思いながら唯がさらに加速する。

『聞いたか、ユイ』

『何を?』

『あいつ、助けてって、言ってくれたんだぜ』

 まるで飛び切り上等のピスタチオでも頬張ったような、うれしそうな声。

 心の中で一緒に喜びながらさらに足に力を込める。

『やっとだね』

『ああ、やっとだ』

 いつの間にか世界から音が消えていた。

 途中に魔女の使い魔らしい影が見えたが、こちらに顔らしき部分を向けただけで追いかけてもこない。

 胸が熱い、ブローチから伝わる気持ちが自分の思いと重なり合って、全身に今まで感じたことの無いような、強い奔流を感じる。

(もっと早く!)

 世界の光がおかしくなる。進むべき先は青白く輝き、過ぎ去っていく背景が暗い世界に落ち込んでいく。

 呼吸と心臓の音だけが自分を満たし、空気が自分の体に粘り気を持ってまといついてきた。

(そうだ! もっと早く!)

(一秒でも早く!)

 空気が、世界が重く圧し掛かる。まるで待ち受ける運命を、覆すことの出来ない宿命を暗示するかのように。

 だが、

『私は約束したの、絶対に助けるって!』

『だから、今!』

 腕の一振り、足の一蹴りに、二人はありったけの気力と魔力と思いを込めて、叫んだ。

『『風よりも早く往く力を!』』

 その瞬間、何かを打ち破るような巨大な破裂音が、結界を強烈に揺さぶった。


 マスケットをひたすらに生み出し、軽やかに舞い踊る。まるで糸くずでも払いのけたように使い魔があっさりと退場していく。

 巴マミの心の中にあったのはえもいわれぬ恍惚。

 心の中に重く圧し掛かっていたものがきれいさっぱり取り除かれてしまったことによる、

 一種の興奮状態が訪れていた。

 今まで、魔法少女としての自分はどこまでも孤独だった。

 叶えたい願いと引き換えに手に入れた力と戦いの運命。

 それを受け入れた者達は、決して高邁な精神や自己犠牲をいとわない聖女ばかりではなかった。

 むしろ利己のために行動し、自分の魔力を引き伸ばすために魔女を狩る者が圧倒的に多かった。

 そのため、魔女が集まりやすいスポットである見滝原は、魔女を巡って魔法少女が争いあう、血なまぐさい狩場と化していた。

 自分という調停者が現れるまでは。

 その役割を嫌だとは思わない、自分の理想とする魔法少女を自らの手で体現できるのだから。

 だが、それを誰かに分って欲しかった。自分の気持ちに、考えに賛同して、共に戦ってくれる仲間が欲しかった。

 それが今、ずっと求めていたものがすぐ側にいる。

 鹿目まどか、彼女を見る目がわずかに潤いを帯びた。

 それを砲火の煙が目にしみたためだとごまかし、一気に使い魔を吹き飛ばす。

「体が軽い。こんな幸せな気持ちで戦うなんて初めて」

 彼女は酔っていた。重苦しい、孤独な戦いから解き放たれることに。

 だから、誰に言うとでもなく呟く。

「もう何も怖くない。私、一人ぼっちじゃないもの」

 マミにとって、この世界は壊されるべき悪夢の象徴でしかなかった。

 早く鹿目さんとお祝いをしよう。新しい魔法少女の誕生と、自分の孤独が拭われるお祝いを。

「お待たせ」

 魔女の陣取る巨大なホールにたどり着くと、身を潜めていたさやかに向かって声を掛ける。

 二人が合流したのを見て取ると、マミは奥に座った人形のような小さな魔女に向かい合う。

 ふらりと浮かび上がって臨戦態勢を整えようとする魔女に向かって、彼女は渾身の捕縛魔法を放った。

「せっかくのとこ悪いけど、一気に決めさせて……もらうわよ!」

 魔力を収束、巨大な砲身が浮かび上がる。これで何もかも終わる、孤独も寂しさも。

 その万感の思いを込めて、巴マミは撃ち放った。

「ティロ・フィナーレ!!」

 光弾が魔女の胴体を貫き、その顔が膨れ上がる。これであの魔女も終わりだ、そう思った瞬間だった。

 魔女の口から吐き出された、カートゥンにでも出てきそうなデザイン顔がするっと近づいてくる。

 自分の背と同じぐらいの巨大な顔、それがぱくりと口を開けた。

(これは、なに)

 マミは何かしようと思った。そして、その『何か』が思い浮かばない。

 白い歯をむき出しにして開かれた口が、あの事故の時に外に向かって開かれていた、割れた窓枠を思い出させる。

 だが、その向こうには光も、友達も見えない。

 ただの闇だけが――


『マジカルダイナマイトキイイイイイック!』


 いつの間にかマミは空を見上げていた。しかもその世界がゆっくりと回転していた。

 不思議な浮遊感を感じながら、彼女の意識が薄れていく。

 最後に彼女が見たものは、はるか地面の方で巨大なカートゥン蛇に強烈な蹴りを見舞った、一人の影だった。


 まどかは、さやかは、見た。

 目の前で魔女の頭が膨れ上がり、マミを頭から齧ろうとしていたのを。

 その彼女が今、きりもみをしながら上空に吹き飛んでいく。

 同時に黒い魔女の巨体がいつの間にか壁に叩きつけられ、煙を上げながら崩れ落ちていく。

 今まで主役を張っていた二人を舞台から豪快に退場させ、それは颯爽と登場した。

『そこの二人、大丈夫か!?』

 緑の装束と、たなびくマフラーをなびかせたそいつの発言を全く無視して、二人は絶叫した。

「「ま、マミさああああああんっ!!」」



[27333] 第八話「ああ、とりあえずな!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/25 14:16
 ほの暗い結界の中で縛られながら、ほむらは祈っていた。

 何に対してではなく、祈ることしか出来なかったから、そうしていただけだ。

 ひたすら行動するしかなかった今までの自分では考えられない、ただ待つだけの時間。

 だが、不思議と怯えや不安は無い、最後に見た彼女の笑顔を思い出すと、気持ちが安らいでくる。

 いきなり自分を縛っていた縛めが消失した。

 金色の粉を吹き散らせながら、巴マミの魔力が雲散霧消していく。

 それから伝わったのは死による強制的なものではなく、術者の忘我によって術が解けていく感覚だった。

「……やったのね。香苗さん、トムヤン」

 地面に膝を突きながら、ほむらは呟いていた。

 そう、確かに唯とトムヤンはやった。

 色々な意味で。


第八話「ああ、とりあえずな!」


 自分の体のしでかした行為が良く分らないまま、蹴りに使った片足をぴっと伸ばしっぱなしにしていた唯は、視線を上げた。

 そして顔から血の気がざあっと引いていく。

『と、トムヤン君!! あ、あれ、あれぇえええっ!』

『落ち着けユイ。これは俺と君とで生み出したフォームだ。

 だから君にも分るはずだ、こいつの持ってる特性と使い方が』

 いつの間にか服装が緑色をメインにしたものに変わっていた。

 まず目に付くのは首と肩を包むようにして付けられた白いマフラー、そして足元をかっちりとしたブーツが固めている。

 ブーツを含め、衣装全てに風を思わせる流線型のデザインが採用されており、中指で止めるタイプになった手袋の両手首には緑の宝石が嵌っていた。

 肘と膝の部分には濃い緑色のガードが付けられていて、スケボーやローラーブレードを使うときの服装を思わせる。

 そして、目と鼻辺りまでを完全に隠す大きなミラーシェードが付けられていた。

 新たなフォームに関する全ての情報が、自分の心の中を覗いた途端に浮かび上がってくる。

 同時にそれが、目の前の状況に冷静に対処する方法を与えてくれた。

(これは……こうやって使うんだ!)

 右手を握り締め、何かを撒くように目の前の空間を払う。

 途端に分厚い大気の層が密集し、落ちてきた巴マミの体を優しく受け止めた。

 そのまま彼女に歩みを進めると、意識を失ってぐったりとした体を抱き止め、事態がまるで飲み込めていない二人の方へと歩み寄る。

「あ、あんた、なんなんだよ!?」

 完全に声が裏返ってしまったさやか、何を考えたらいいのかすら忘れてしまったような鹿目まどか、

 そして赤い無表情な瞳でこちらを凝視するキュゥべぇ。

「……あたしは魔法少女、スパイシーユイ」

「す、すぱいしー」

『ユイいいいいいい!?』

 自分の姿で行われた爆弾発言に絶叫する唯へ、おともは冷静に突っ込んだ。

『頼むからユイ、声は出すなよ?』

『何よその変な名前! 私聞いて無いよ!?』

『キュゥべぇにこっちの存在は出来る限り謎のままにしておきたいんだ。俺のアドリブに合わせてくれ』

 どうやら驚いたのは自分だけではなく、鹿目まどかも美樹さやかもらしい。

 ぱくぱくと金魚のように口を開いたり閉じたりして、ようやっとさやかが本来の問題に立ち返る。

「ま、マミさんを、あんたが……」

「助けてあげたんだよ。やり方はちょっと荒っぽくなったけどさ」

「ちょっとって! マミさん昔の少年漫画みたいにぶっ飛ばされてただろ!」

「命にも別状は無いし、死の危険からは遠ざかった。ノープロブレムだよね」

 かなり男の子っぽい喋り。

 ボーイッシュというレベルを超えているがさつな口ぶりに頭を痛くした唯に、新しい力が敵の復活を伝えてくる。

『トムヤン君、魔女が起きてくる!』

『ああ』

 唯はきびすを返し、背中越しにトムヤンがアテレコをする。

「ここは危険だ、関係ない人間は早く下がれ」

「関係ないって!? あ、あたしらは!」

「巴マミに守ってもらっていい気になってた、ただの一般人だろ!?」

 厳しい一言に二人のうなだれる気配が伝わってくる。

 言い過ぎたと思ったのか、トムヤンは少し声のトーンを落とした。

「大事な先輩が動けなくなってるんだ。安全な場所で休ませてやるのが先だ」

「スパイシーユイ、とか言ったね、君は」

「黙れ」

 その一言には、一つになっている唯を底冷えさせるような怒気が篭っていた。

 振り向く必要は無いという指示をして、トムヤンは言葉を継いだ。

「確かに、あんたに魔法少女にしてもらったけど、あんたのことは絶対に許さないから」

 その時、おそらくその場に居た人間は気がつかなかったろうが、この世界においてとても珍しい現象に彼女達は遭遇することになった。

 インキュベーターが、当惑したのだ。

「……へ?」

「あんたにめちゃくちゃにされた人生を、あたしは取り戻す。言えるのはそれだけだ」

「ちょっと、なんだいそれは? わけがわからないよ」

 そのまま大地を蹴って、唯は起き上がった魔女に接近する。

 同時に、テレパシーでトムヤンにさっきの妙な一幕を問い詰めた。

『な、何さっきの!?』

『あいつをからかってやったんだよ。本人には通じないのは分ってるけど、さっきの発言で、まとかちゃんやさやかって子が、

 あいつに不信感を持ってくれたらって思ってね~』

 それに、ものすごく悪い笑みを浮かべてトムヤンが付け加える。

『俺のおとも生活設計、あいつに狂わされたのはホントだしぃ~』

『でも、トムヤン君のことは気付かれたんじゃないの? おともなんでしょ、あの子も』

『今の俺はユイの変身アイテム。しかも君の生体波長と完全に同期してるからな。

 オマケにソウルジェムとそっくりの波長にデコードしてあるし、まず気が付かれないさ』

 言ってることは分らないが、どうやら相手を騙す準備は完璧にやってきたらしい。

 悪知恵の働く彼の行動にため息をつきつつ、ようやくお菓子の瓦礫から身を起こした魔女と向き合う。

『じゃ、後は任せるぜ。俺たちの新しい力、バッチリお披露目してやろうぜ!』

「うん!」

 その声をスタートの合図に変えて唯の体が一気に肉薄する。

 ぎょろりとした目を持つひょうきんな顔の前までジャンプで一気に迫り、

「はぁっ!」

 強烈な横蹴りを喰らわせた黒い体が地面を舐めながら吹き飛んでいく。

 だが、全身に満ち渡る力の流れが、少女にさらなる動きを示唆した。

 虚空を右足が蹴りつける。同時に体が何かに吹き飛ばされたように空をスライドし、再び魔女の顔面の前に回り込む。

 そのまま軸にした右足のが地面を半円形にえぐりつつ回転、その動きに合わせて体が捻られ、

 左の踵がまっすぐ天へ向かって突き上げられた。

 生み出された強烈な衝撃を受け宙に舞う魔女、その真上に飛翔した唯の両足が、弧を描きながら脳天へと炸裂する。

「やあああっ!」

 浴びせ蹴りを喰らった魔女が、地面にそっくりの形をしたクレーターを造り上げた。

『風を従え、その風を越えるもの。絶望を踏破し、悲しみを追い越す最速の力!』

 怒りに燃えた魔女が勢い良く伸び上がり、大顎を開いて噛み付こうとするが、その体には一切触れることが出来ない。

 素早く空中を蹴ってかわし、両腕から生み出した風の塊で殴りつけ、攻撃をことごとく潰していく。

『ユイ、あいつの周りを駆け巡ってやれ!』

「うん!」

 ゼロ距離から一気にトップスピードへ達した唯の体から、強烈な破裂音が響く。

 ただ脇をすり抜ける、その挙動だけで魔女の体が奇妙にねじれ、引き裂かれた。

 空気を蹴り、翠の影が黒い魔女の周囲を巡りながら空へと駆け上る。

 見えざる大気の巨腕に殴られ体がきりきりと舞い、烈風が織り上げられて天を貫く竜巻の檻になる。

『これが俺たちの新しい力! 希望を呼ぶ翠の風、名づけて「ソニックフォーム」だ!』

 紡錘形をした風の頂点に舞う唯の体が、思い切り右足をひきつける。

「『ジェイド・ストライク!』」

 振り抜いた右足のブーツから、翠に彩られた真空の鋭刃が飛んだ。

 魔女を拘束した竜巻を真空の刃が真っ二つに断ち割り、その体に真一文字の傷痕を刻み込む。

 再び魔女の体が、お菓子の敷き詰められた地面を叩きつけられた。


 目の前で展開される信じられない光景に、さやかは口を開けて見ているしかなかった。

 巴マミは強い魔法少女だった。その動きには無駄がなく、優雅な舞を思わせる。

 いわばエレガントな存在だ。

 暁美ほむらは不気味な黒い影。実力は未知数だが静かな威圧を感じさせる。

 ミステリアスの象徴。

 だが、目の前の魔法少女は、そのどれとも違う。

 荒々しく猛り狂う暴風のような、圧倒的力。

 それはまさしく、バイオレンスな魔法少女だった。

「……なによ、なんなのよあいつは!? ねぇキュゥべぇ! あんたあいつのこと知ってるんでしょ!?」

「い、いや、僕も何がなんだか」

「あんたが魔法少女にしたんでしょ!? そう言ってたじゃない!」

「そんなことより、早くここから逃げよう!」

 焦って混乱するさやかに、キュゥべぇは至極真っ当な意見を述べた。

「あの力を見ただろう!? あんな戦闘に巻き込まれたら君やまどかはもちろん、

 意識を失っているマミも危ない!」

「なんなのよ、あれは! どういう仕組みよ!」

 まどかを促し、マミを担ぎ上げたさやかに冷静な解説が続く。

「おそらく、彼女はものすごい加速をしているんだ。それも、人間が生身で出せる限界をはるかに越えて」

「たったそれだけで魔女があんなになるって言うの!?」

「彼女は音速の壁を越えているんだ。さっきものすごい破裂音がしただろう? あれがその証拠さ。

 その時に発生する衝撃波を叩きつけてるんだ」

 キュゥべぇの言うことは半分も分らないが、あの少女が規格外の存在であるということだけは伝わってくる。

 そんな化物がいるような場所にはいつまでも居られない。

 そんなことを考えていた彼女の目の前で、再び魔女が体の中から黒い自分の分身を吐き出し始めた。

「嘘、あいつっ」

 上空で魔女の様子をうかがっていた魔法少女に向かって、黒い影が伸び上がる。

 再度蹴りが放たれ地面に倒れ伏すが、それでも敵は自分を吐き出して起き上がってきた。

「あ、あの変な奴でもだめなの?」

 さやかの口から絶望に近い言葉が漏れたとき、翠の魔法少女は地面に降り立った。


『あんだけやって、まだ再生するのかよ』

 その生命力と執念深さに辟易しながらトムヤンがぼやく。唯は肩で息をしながら無言で魔女を見上げた。

 その魔女にしても、こちらと少し距離を置いてにらみを利かせるだけ。

 どうやらお互いの相性が最悪であると気が付いたらしい。

 大気に指向性を与えて擬似的に音速を超えるソニックフォームは、素早さは群を抜いているが攻撃力・防御力ともに低い。

 対する魔女は再生力は高いが俊敏性はそれほどでもなく、決定的な一撃をこちらに与えることができない。

 そんな手詰まりな状況に、ほむらの声が割り込んできた。

『香苗さん! トムヤン! 聞こえる!?』

『暁美さん、もう大丈夫なの!?』

『ほむら、この魔女しつこいぞ! どうやったら倒せるんだよ!』

 こちらの態度で状況を察したのか、ほっとしたような空気を漂わせながらも相手の魔女の情報を送ってくる。

『私のときは時間を停止させて体内に爆弾を送り込んだわ。そいつは体全体に同時にダメージを与えないとダメ。

 脱皮した方へグリーフシードを移していくの』

『なるほど。逃げ道をふさいで、一気にやればいいんだな』

『少し待っていて、今すぐ私が行って』

『大丈夫だよ。暁美さん』

 息を整えると、唯は自信に溢れた声でほむらの行動を制した。

『私達に任せて』

『でも、香苗さん!』

『安心しろほむら、俺達には秘策があるんだ。とっておきのがな!』

 軽く飛び退って距離を取ると、唯とトムヤンは胸の奥に呪文を木霊させた。

『少女を守る思いの力よ、容を取りて姿を顕せ』

『炎よ、我らに拓く力を』

 こちらの異常に気が付き、魔女がこちらに向かって突き進む。だが、その行動はわずかに遅かった。

『『纏え、ブレイブフォーム!』』

 突然目の前の上がった火柱に黒い蛇がひるむ。その猛火の中から凛とした声が響き渡った。

『我が敵を縛めよ! インビンシブル・シール!』

 炎を払って振られた左腕から巨大な魔法陣が放たれ、魔女の体にぶち当たる。

 瞬く間にそれは球状の檻となって、黒い体を完全に閉じ込めた。

『浄火っ!』

『招来っ!』

 握り固めた右の拳に炎が燃え盛る。巨大な球の中で顔を押し付けながらもがく魔女に向かい、構えた拳を腰に引きつける。

『其は貫く摧破の鋭矛!』

『其は守る不破の堅盾!』

 助走を付けて一気に加速、振りかぶった右腕で真紅の軌跡を描きながら唯の体が一直線に飛ぶ。

『『万理を越えて鳴り響け! 完全矛盾解の聖歌(パラドックス・カノン)!』』

 全てを貫く力を持った完全破壊の拳が叩きつけられる。

 それの威力が絶対防御の壁を越え、澄んだ鐘の様な音を響かせながら、その内側で弾ける。

 わずかに遅れて魔女の体を、爆炎と鋭い衝撃が反対の壁の方へ叩きつけた。

 だが、動きはそのまま止まらず、再び響いた音とともに魔女の体が何度も反射と反響を繰り返す。

 爆炎と衝撃が繰り返され、幾重にも連なった鐘が聖歌となって結界に充満する。

 黒い姿が完全に炎の中に沈み、全ての怪異は最後の一音と共に消滅した。

 残されたのは呆然と全てを見守る二人の少女と白い勧誘者。

 そしてピンク色の装束になった魔法少女と、彼女が手にした魔女の卵だった。

「ほんとに、あんた、何者なの……」

「見滝原を守る謎の魔法少女、ってところで納得しといて」

「君のもく」

「黙れ害獣」

 ばっさりと質問を打ち切ると、ミラーシェードで覆われた顔を二人の少女に移し、それから気絶したままの巴マミの様子を見やる。

「今回は、この街を必死で守り続けてきた彼女に免じて救いに来たけど、次は無いよ。美樹さやか、鹿目まどか」

「え!?」

「あたしたちの名前っ!?」

「魔法少女は遊びじゃない。それに、そんな詐欺師に引っ付いていても、自分の身を滅ぼすだけってことさ」

 人差し指をキュゥべぇに突きつけ、銃を撃つまねをしてみせる。

 赤い瞳は感情を見せることなくこちらの動きを凝視している。

 その視線を無視する形で、唯は手にしていたグリーフシードを放った。

 なんとかそれをキャッチしたさやかが、いぶかしげな表情で手の中のそれとこちらを交互に見つめてくる。

「それは巴マミに。あんたたち二人を導き、そいつから守った彼女への敬意だよ」

「ど、どういう意味だよ?」

「好きに使うといい。彼女が気に食わないと言うなら使わなくてもいい。

 ただ、そいつには渡さないでくれると嬉しいね。それじゃ!」

 病院の壁を蹴って一気に空に舞い上がると、唯はその場を後にした。

 呆然と取り残された二人の少女たちを置き去りにして。

「あれで、良かったの?」

『ああ。とりあえずあの場で出来ることは全部やった。

 あいつに気付かれるリスクは負ったけど、このまま行けばいずれバレるんだ。

 せいぜい引っ掻き回してやろうと思ってさ』

「まったくもう……」

『終わったのね。香苗さん、トムヤン』

 安堵と落ち着きに満ちたほむらの声に、トムヤンは破顔して返した。

『ああ、とりあえずな!』



[27333] 第九話「なんでおともの毛はふさふさしてるか、知ってるか?」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/26 21:59
 角部屋の窓に紅の夕日が差し込んでいる。

 電気も付けないまま、マミはさやかの言葉に耳を傾けていた。

「それで、その……スパイシーユイと名乗った子は?」

「それっきり。顔も分らなくて、声も聞いたこと無かったし」

 自分が魔女によって貪り食われそうになったという実感は、正直薄かった。

 死の気配と恐怖を感じたようにも思ったが、その後の浮遊感が全てを打ち消してしまっている。

 むしろ、問題は別のところにあった。

「キュゥべぇ、本当に、その子の言ったことに心当たりは無いのね?」

「彼女の言っていることは、理論的に考えても支離滅裂だ。

 僕が願いを叶えたのだとすれば、彼女も納得ずくで契約を行ったということだ。

 それを恨みに思うなんていうのは考え方からして間違っている」

「つまり逆恨み、ということ?」

 いかにも心外だ、とでも言うように白い尻尾が左右に振られる。

「おそらくはね。手にした力と実際に受け入れた運命のギャップに文句を言う、というのは、魔法少女になった子の中では珍しいことでは無いんだ。

 そういう場合、僕は厄介者として遠ざけられる。彼女もそういう一人なんだと思う」

「なーんだ。結構かっこいいこといって、結局そういうことかよ」

 あきれ果てたと言うようにさやかが天井を仰ぐ。だが、マミはその様子を横目で見ながら少しだけ考え込んだ。

『今回は、この街を必死で守り続けてきた彼女に免じて救いに来たけど』

 確かに、彼女の言うとおり自分は見滝原で懸命に戦ってきた。

 しかし、そのことを知っているのはキュゥべぇを除けば、多少事情を話した後輩の二人しかいないはずだ。

『それは巴マミに。あんたたち二人を導き、そいつから守った彼女への敬意だよ』

 そう言って、その魔法少女はグリーフシードを置いていったという。

 彼女から渡されたグリーフシードは、ほとんど穢れもなく澄んだ状態だった。

 キュゥべぇによれば、これだけで通常のシードでは考えられない量の穢れを吸うことが出来るらしい。

 そんな貴重なものをあっさりと手放し、自分のがんばりを認めていると言った少女。

 だが、反対に彼女はキュゥべぇを詐欺師と呼び、絶対に許さないとも宣言した。

 あまりに考えることが多すぎる、そう思った途端、深いため息が漏れた。

「どうしたんだい? マミ」

「やっぱり、あいつにはね飛ばされたのが来てるとか?」

「……そうね。まだちょっと体調が優れないみたいで。悪いけど、今日はこの辺でお開きにしない?」

「そ、そっすね! じゃ、まどか、帰ろっか」

「……うん」

 そういえば、まどかの様子もどこかおかしい。例の少女の話の辺りから口数か少なくなり、今も何かを考え込んでいるようだった。

「大丈夫? 鹿目さん」

「え!? あ、はい、その大丈夫、です」

 なぜかもじもじと俯いてしまったまどかは、それでも無理に笑顔を作るとすばやく立ち上がる。

「じゃ、いこっか、さやかちゃん! マミさん、お邪魔しました」

「あ、うん。それじゃ、お邪魔様でしたー」

 二人が去っていき、部屋の中が急激に静かになる。それに気が付いた途端、マミは深々とため息をついていた。

「大丈夫かい? マミ」

「キュゥべぇ、お願いがあるの」

「なんだい?」

「少しだけ、一人にしてもらえる?」

 ふさっと尻尾を振り、キュウべぇは驚いたような声を上げた。

「珍しいね。僕はてっきり一晩中、一緒に居て欲しいといわれるかと」

「お願いだから、少し静かにして」

 こちらの感情を察したのか白い生き物が影の中へと消えていく。

 誰も居なくなった部屋の中で膝を抱えながら、マミは唇をかみ締めた。

 後輩の前で無様なマネをしてしまった。しかも、戦闘中に自分は気を抜いていた。

 まどかの言葉に浮かれて、敵に対する用心すら忘れて。

 そして、去り際のまどかのよそよそしい様子が、痛烈に胸へと突き刺さってくる。

 なんて無様な、情け無い自分。

「く……っ、ふ、うう、くうううっ」

 ベテランと呼ばれる魔法少女になって以来、巴マミは久しぶりに悔し涙で自分の膝を濡らすことになった。

 その様子を、部屋の隅の暗い影から、キュゥべぇの赤い瞳が見つめていた。


第九話「なんでおともの毛はふさふさしてるか、知ってるか?」


 いつの間にか、香苗家の居間にさしていた夕日が途絶え、部屋の中を薄闇が支配していた。

 そのことに気が付いた唯が、そっと席を立って部屋の電気をつける。

「……これで、私の話は終わりよ」

 光の下に晒されたほむらの顔は何処かさびしげで、しかしさっぱりとした表情を浮かべていた。

 その言葉を受けて、トムヤンがポツリと結ぶ。

「時間逆行者……か」

 この一件に関して、結局自分がどれだけ部外者なのかと言うことを改めて思い知った気がする。

 鹿目まどかの願いで始まった、彼女の当ても無い探索。

 繰り返される大切な人の死を修正するために、必死に歩き続けた血まみれの道程。

 そのどれもが、単なる中学生でしかない自分には大きすぎて、共感も理解もすることができないものだった。

「お茶、冷めちゃったから、新しいの淹れるね」

 結局、こんなことしかいえない自分が悲しい。それでも席を立ち、三人分のお茶を用意するためにキッチンに立つ。

「一つ言わせてくれ、ほむら。君にとっては辛い話になるけど、いいか?」

「……そんなこと、もう慣れっこよ」

 わずかに言いよどみ、トムヤンは絶望を口にした。

「正直、このまま君がループを続けたとしても、鹿目まどかを助けられるチャンスは、おそらくゼロだ」

「……っ!?」

「シュレーディンガーの猫、って知ってるか?」

 ネズミが口にするには面白いたとえ話を彼は語り始める。

 特定の条件を満たすことで箱の中に入れた猫が死ぬ、という実験箱を作る。

 その条件はいつ満たされるかも分らず、箱の中の猫は開けてみるまで生存を確認できない。

 この時、箱の中に居る猫は、死んでもいるし生きてもいるという奇妙な状態におかれることになる。

「まぁ、これは量子力学上の観測者問題に言及するときに、引き合いに出される思考実験なんだけどな」

「それが、私がまどかを救えないと言うことと、どう関係があるの?」

「このたとえ話で言うと、まどかちゃんは箱の中の猫だ」

 いつか死んでしまい、まだ死んでいない猫、ヤカンの火を止めながら唯はそのイメージをさっき見たまどかという少女の顔に重ねる。

「箱の中を見ていなければ、猫は死んでいるか生きているかは分らない。

 でも、ほむら、君はもう知っているはずだ、箱の中がどうなっているのか」

「……!」

 息を詰めて立ち上がったほむらの気配を感じ、唯が居間に立ち戻る。

 幸い、ほむらは銃も抜いていなかったし、トムヤンにつかみかかる様子も無い。

 だが、顔には深い絶望の色があった。

「で、でも、私は、その箱の実験をやり直すために……」

「時間を繰り返している、もちろんそうさ。

 でもそれは『すでに起きてしまった結果』を変更しようとしている、ってことだ」

 言葉に不吉な物が混じる。少し声のトーンを落として、彼は解説を続ける。

「君の行動の基点は『鹿目まどか』という少女の死、そしてそれを覆すということだ。

 でも、そこに問題がある」

「タイムパラドックスが発生するということ? 彼女を助けることによって?」

「そこは心配しなくていい。おそらく君は特異点存在になっているから、独立した時間軸を持っているはずだ。

 時間と経験が独自に蓄積され、パラドックスは生じない」

 そういうのを時空人と呼ぶんだぜ、と彼が注釈を付け加える。

 時空人という存在は三次元に拘束された人々には出来ない、時間への干渉も行うことが出来るという。

「とはいえ、ほむらの場合はちょっと事情が違う。君は『鹿目まどかが死ぬ運命』を覆すために能力を手に入れている。

 つまり、時間を逆行した瞬間に、この世界には『鹿目まどかの死、

 あるいは魔女化』という『ゴール』がプリセットされた状態でスタートすることになるんだ」

「で、でもそれなら、まどかちゃんを救う方法が分りやすくなっていいんじゃ……」

「ほむら、まどかちゃんがどんな理由でキュゥべぇと契約したか『全部』覚えてるか?」

 ほむらはのろのろと彼女の契約内容を口にした。

 始まりは野良猫を助けるために、それから巴マミや美樹さやかの体を元に戻す、そしてほむらを救うという目的でも使ったという。

 だが、それ以外にも美樹さやかの代わりに上条恭介の腕を治す目的や、それ以外の人々を助けるためにも使っている。

 それ以上は語らなかったが、語った数よりはるかに多い契約が行われたと言うことは、彼女の雰囲気からも明白だった。

「あの子は……優しすぎる。自分に誰かを救う手があると知ったら、それを迷わず使ってしまう!」

「まどかちゃんの気持ちや考えで、契約する可能性は無限に広がる。契約を迫るキュゥべぇは無数に存在し、ほむらはたった一人だ」

「それって……!」

「キュゥべぇを殺しつくすことは出来ない。彼女には死か魔女化の運命が常に付きまとっている。

 何か方法があるとすれば、まどかちゃんの意思を消し去ることぐらいだ」

 ぽすっ、という軽い音が部屋の中に生まれる。

 それは、思う以上に軽いほむらの体が、ソファーに腰を落とした音。

「……あ、あいつは……そこまで、見越してっ」

「たんだろうな。起こってしまった原因を阻止したい人間は、結局その原因が起こる可能性がある世界にしかいけない。

 まして『契約を阻止する』なんて漠然とした方向性じゃ、潰すべき状況が多すぎて対処しきれない」

「『まどかちゃんが死なない時間に行きたい』って願ってたら……?」

「植物人間状態のまどかちゃんを見せられたかもな」

 ほむらの両手がテーブルに叩きつけられる。顔は、ぐしゃぐしゃの泣き顔だった。

「じゃあ、どうすればよかったの!? 私があの悪魔と契約しなければ良かったの!? 私の願いが間違ってたの!?」

「客観的な理屈で言えば、な」

「トムヤン君!」

 冷たい一言に唯は思わずおともを睨みつけていた。だが、彼は二人の少女の視線を真っ向から受け止める。

「熱したお湯はいつかは冷める。こぼした水は盆には帰らない。

 そして、死んでしまった人間は生き返らない。それが世界の」

「それならあいつは!? 奇跡を売り歩くあいつを野放しにしたあなた達は!? 

 私は……っ、まどかと……一緒にいたかった、だけなのにっ」

 顔を両手に埋めるほむらの傍らに寄り添い、唯はその肩を抱いた。思う以上に華奢な体が小刻みに震えている。

 こんな小さな体で、ずっと戦い続けていたのに、それが全くの無駄に過ぎないなんて。

「こんなの、あんまりだよ。ひどすぎるよ」

「ああ……。全くだぜ」

 それは燃え立つような声。怒りと強い闘志を秘めたトムヤンの声に唯は視線を上げた。

「ほむら」

「な……に?」

「もう一回、自分の全てを掛けてみる気はあるか?」

 伏せていた顔を上げて、黒い少女は泣き腫らした顔で挑むような視線を投げる。

 トビネズミの顔は、不敵に笑っていた。

「理屈っぽいこといったけどな、俺だって冗談じゃないんだよ、こんな話は!」

 彼は本気で怒っていた。菓子鉢の中のピスタチオを一つとって、バリバリと噛み砕く。

「だから、俺は徹底的にほむらに協力する。クソッタレな運命をぶっ壊してやる!」

「トムヤン君!」

「でも、さっき……」

「『暁美ほむらのたどる時間軸』ではって言ったろ?」

 ピスタチオの殻をぽいっとテーブルに放り、そこに食べられていない実をぶち当てた。

 殻が勢い良く弾かれ、中身の入っているピスタチオだけが残る。

「俺達はほむらの時間軸にとってイレギュラーだ。それが、今回のマミのことで証明された。

 俺達が協力すれば、ほむらの定めを変えられるんだ。こんな風にな」

「トムヤン……」

「事情を話してくれたのがこのタイミングでよかったよ。

 あらかじめマミのことを聞いてたらそっちの法則に干渉されてる可能性もあったからな。

 でも、最初の分岐が変わった以上、もうこの世界は『暁美ほむらが知っている世界』じゃ無くなった」

「それなら!」

 ネズミは笑い、それから首を振って表情を真剣なものにする。

「でも、こいつは危険な賭けになる。何が起こるか分らないし、一度だけのチャンスだ。

 次のループが始まったとき俺達が出会っても、その時はバリエーションの一つとして記憶されているからな」

「チャンスがあるというだけで十分だわ。イカサマな胴元から、全てを毟り取る可能性があるなら、なおさらよ」

「つまり俺達がジョーカーってわけだ。白いイカサマ野郎から未来を取り戻す、最後の切り札」

 そこまで言うと、トムヤンはとことこと唯の元まで駆けてきた。それから何かを促すように袖口を引っ張る。

 なんとなく意図するところを汲むと、唯は彼を掌の上の載せてほむらと同じ目の高さに上げた。

「ほむら、天使と相乗りする気はあるかい?」

 ひょいと上げた小さな手、そこにほむらの指がそっと差し出される。

「すでに悪魔と契約している身よ。未来を掴むためなら、なんだってするわ」

「よっしゃ! 契約成立だな!」

「それにしても……あなたは天使ってがらじゃないでしょ?」

 彼女は微笑んでいた、染み入るような優しい顔で。

 差し出された彼女の指に、唯も自分の指を重ね合わせる。

「もちろん天使は俺の主の方。でも俺達は一心同体、二人で一人の魔法少女だからな」

「トム君、決め台詞はよそから持ってきちゃ駄目だよ?」

「いいじゃん。気に入ってるんだよ、あれ」

 軽口を叩きながら、唯は彼女の手の指が冷たくなっていることに気が付いた。

 緊張と絶望でこわばっていた手を、優しく握り締める。

「香苗さん……」

「冷たくなってるよ、手」

「そりゃ大変だ。俺もあっためてやるよ」

 柔らかな毛を押し付けて、トムヤンも暖かさを伝えようとする。

 彼女の手に、握り返す力がこもった。

「ありがとう……二人とも」

 ほむらは、泣き笑いの顔をしていた。涙の流れがいくつも頬を洗い、氷の無表情を溶かしていく。

「……なんでおともの毛はふさふさしてるか、知ってるか? ほむら」

「どうして?」

「泣いてる女の子の涙を拭うためさ」

 ひょいっとほむらの肩に乗り、その顔に体を沿わせる。

 唯も泣き笑いの顔になって、小さなおともに質問した。

「毛が無い子はどうするの?」

「その時はハンカチを出すんだよ」

 きざったらしいセリフに二人が笑いあい、トムヤンが憮然とした顔でほむらの涙を自分の体に吸わせていく。

 あとで思い切り嫌味を言ってやろう、泣いている自分を放っておいて彼女の涙を拭っているおともに。

 でも今は、この暖かな気持ちをかみ締めよう。

 そして唯は自分に出来ることをすることにした。

「そろそろご飯にしようか!」

「そういや腹減ったなー。もちろん食ってくよな、ほむら」

 心からの笑顔で、暁美ほむらは応じた。

「ええ。……ありがとう」



[27333] 第十話「泰山鳴動して鼠一匹」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/28 15:33
 ビルの立地の関係で、午前中に部屋の中へ日は差してこない。

 虚ろな目をしたまま、マミは窓の外を見つめていた。

 多分、顔はむくんでいるだろう。一晩中泣いていたから、目だってきっと真っ赤だ。

 丁度マミの目が届く範囲、ガラスのテーブルの上には宝石が一個転がっている。

 それは邪悪な魔女の体から生み出されたとは思えない、美しい輝きを放っていた。

 極め付けにレアな、穢れをほとんど持たないグリーフシード。

 自分をはね飛ばし、魔女を撃退した少女が残したものだ。

 伝聞でしか聞いていない彼女の存在は不気味であり、謎そのもの。

 結局、泣き明かした夜明けに自分が考えていたのは、スパイシーユイという辛すぎる刺激物のことだった。

 体に全く力が入らない、昨日から何も口にしていないし、学校も結局休んでしまった。

 何気なく、指輪状態を解除してソウルジェムを掌に載せる。

 輝きが微妙に褪せ、黒ずみが入っているように見える。穢れが溜まりつつある証拠だった。

 ちらりと、贈り物に視線が走る。あれを使えば、すぐにでも穢れは消せるだろう。

 だが、そんな気持ちは打ち消して、マミは立ち上がった。

 そうだ、誰がなんと言おうと、自分はこの見滝原を守るものだ。誰に理解されなくてもいい。

 誰が味方しなくても、

『マミさんはもう一人ぼっちなんかじゃないです』

 きゅっと、胸が締め付けられる。そう言ってくれた彼女は、今日は自分の家に来てくれるだろうか。

 そういえば、

「私、あの子の携帯番号、知らなかったっけ……」

 呟いたマミの頬を、また一筋涙が伝わる。

 彼女の掌の中で握られていたソウルジェムの影が、わずかばかり深まった。


最終話「泰山鳴動して鼠一匹」


 昼下がりの光が病院のガラスを通り抜けて廊下へと差し込んでいる。

 だが、その輝きは妙に曇りがちで、灰色にくすんでいるようにさやかは感じた。

「しばらく来ないで欲しいって、どういうことですか」

 自分よりはるかに背の高い、恭介の父親は弱々しい笑顔で首を振った。

「昨日……急に体調を崩してね。その、少し安静にしないといけないんだ。

 リハビリを、熱心にしすぎたせいだと、お医者様は言っていた」

「絶対安静、ってことですか?」

「いや! そこまでは悪くないんだが……とにかく、今は恭介を、落ち着いた環境においてやりたいんだ。

 体調が整ったら、こちらから連絡するよ」

 どう考えても、言葉に溢れているのは嘘の匂い。

 必死で何かを覆い隠そうとしている、だがそれを無理に問いただしても、恭介の父親を苦しめるだけだ。

「分りました! 後であいつが元気になったら、また来ますね!」

「……ありがとう」

 無理やり元気な笑顔を作るとお辞儀を一つして廊下を去る。

 だが、折角取り繕った自分の顔は、あっという間に苦痛と悔しさで一杯になってしまった。

(こんなとき、あたしはあいつに何もしてあげられない……)

 光がくすんでいる。いや、くすんでいるのは世界を見る自分の目だ。

 世界は光と暖かさで満ちているはずなのに、それは恭介にも、自分にも関わりの無いことでしかなかった。

 その胸の内に、声が差し込む。

『僕と契約してくれたら、なんでも一つ願い事を叶えてあげるよ』

 それは囁き。甘い囁き。

 そのはずだった。

『巴マミに守ってもらっていい気になってた、ただの一般人だろ!?』

 天を貫く竜巻を創造し、拳の一撃でマミを食らいかけた化物を粉砕する少女。

 それが記憶の奥から浮かび上がって、鼓動が嫌な感じで早まる。

 優雅さなど微塵も入り込まない荒ぶる姿。

 マミの戦い方とは一線を画する彼女の存在が魔法少女に対する思いにひびを入れていた。

 マミの存在は確かに美しかったが、何処か浮世離れしていた。

 だから自分もあんなふうになりたいと、簡単に憧れることができた。

 だが、彼女は魔女に殺されかけ、それを打ち破ったのは拳を振るって戦う者。

 死が待つ恐ろしい世界ということが、改めて胸に染みて来る。

 甘い幻想が殺され、後に残ったのは苦い現実。

(あんなのが居る世界で、本当にあたし、戦えるのかな)

 魔法少女という言葉が、さやかの体を誰も居ない廊下の真ん中に縛り付けていた。


 自宅の机に座り頬杖を付きながら、まどかはノートを見つめていた。

 そこに描かれているのは自分が魔法少女になったときの衣装の構想や、マミの姿を写し取ったもの。

 漫画っぽい絵には結構自信があった。

 自分にとっての数少ない特技で、弟のタツヤにせがまれてアニメのキャラクターを描いて上げる事もある。

 次のページをめくり、描かれていたものをあらためた。

 そこには同じように魔法少女らしきものが描かれているが、その存在は異質だった。

 防具で腕をよろい、顔を仮面で隠した彼女。

 何処か怖い印象で描いてしまうのは、あのときの戦い方が強烈だったからだ。

「……キュゥべぇ」

「なんだい、まどか」

「あの、スパイシーユイって、子の事なんだけど」

「すまない。僕にとって彼女の存在は意外そのものなんだ、暁美ほむら以上のね」

 キュゥべぇは、彼女のことについて何も知らないとだけ答えていた。

 彼女はおそらく、自分を疎んじた少女の一人であるだろう。

 そういう少女達の意思を尊重し、キュゥべぇは彼女達から和解の連絡が無い限り、近づかないようにしているという。

「もちろん、僕としても彼女とは友好的な関係を築きたい。

 あれだけの強力な力を持った存在だ。魔女と戦う上で十分以上の戦力になるからね」

「この前、私はすごい魔法少女になるって、言ってくれたよね」

「君には素質がある。願い事次第ではすごい魔法少女になれる、そう言ったつもりだよ」

「あの子は、どんな願い事をしたのかな」

 いくつも姿を変え、強力な魔女を向こうに回して一歩も引かない背中。

 そんな魔法少女になるために、彼女はどんな思いをかけたんだろう。

『だからマミさんみたいにカッコよくて素敵な人になれたら、それだけで十分に幸せなんだけど』

 自分の言葉が急に蘇ってくる。きゅっと目をつぶってまどかはこみ上げる恥ずかしさに耐えた。

 マミさんは自分が生き抜きたいと願ってあの力を手に入れた。でも、あの魔女に殺されかけた。

 そして、あのスパイシーユイと名乗る少女は、その魔女を完全に打ち倒した。

 つまりそれは、マミの願い以上の強いものを、あの少女が背負っているということではないのか?

 こんな軽い気持ちじゃ、あんなふうにはとてもなれそうも無い。

「まどか、どうしたんだい?」

「なんでもない」

 ノートを閉じると、まどかは部屋を出る。

 キュゥべぇは、追いかけてこなかった。


 すでに自分の家のように馴染みになった玄関をくぐると、先に立った唯が大急ぎで二階に上がっていく。

「適当に座っててねー。トムヤン君ー、準備できたー?」

「ああ。後はユイの準備だけー」

 どうやらトビネズミは居間にいるらしい。挨拶をしてそのまま上がりこみ、小さな姿に言葉を掛ける。

「こんにちは、トムヤン」

「おっす! 相変わらず覇気が無いなーほむらー」

 軽い揶揄を込めて笑いながら返してくる。

 始めは鬱陶しいと思っていた彼の姿も、今では別の感情をもって眺めることが出来た。

「ところでそれは?」

「ソニックフォームをエンチャントする準備さ。この前は感情の昂ぶりで発動しただけで不安定だからな。

 ユイに速さを司ってくれそうなものを出してもらって、魔法を掛けるんだ」

 白い紙に羽ペンで描かれた複雑な魔方陣。

 手近なところにはネズミサイズの古びた分厚い本や羊皮紙が転がっている。

 彼のお手製らしい製作物を見てほむらは素直に感心した。

「何でも出来るのね、あなたって」

「まーねー。どんな世界に行っても対応できるようにしっかり勉強してきたからなー」

「おともの勉強って、どんなことをするの?」

 何気ない問いかけに、彼は待ってましたとばかりに説明を開始する。

「まず、変身のサポートや主のメンタルケアについて、変身アイテムの作動原理や運用方法も勉強する。

 索敵技術の習得や戦闘訓練なんかを選択する奴もいるな。後は自分の魔法技術を高めたり異世界の知識や習俗の学習。

 他にも魔法薬の調合や錬金術とか、そういや必修の秘儀言語もあって、

 こっちで使うのだとラテンにギリシアにヘブライ、あとはルーンにオガム……」

 詰め込んだら小さな体が風船みたいに膨らみそうな、

 情報や技能の数を列挙するトムヤンに、小さな箱を持ち込んできた唯が声を掛ける。

「とにかくがんばり屋さんってことなんだよ。特にトム君はね」

「卒業してからも特別講習とか受けてたからなー。おかげでこっちに来て役に立つことが一杯あるよ。

 っと、それでいいのか?」

「うん」

 箱から取り出されたのは、小さな陸上用のシューズ。

 使い込まれているためにぼろぼろになってしまっているが、汚れは丁寧に払われていた。

「それは?」

「私が小学生のときに使ってた最初のシューズ。

 もう使えないんだけど、なんだか捨てられなくて」

「いいのか? 普通に履けなくなった靴とかでもいいんだぞ?」

 ためらいがちに顔色を覗うトムヤンに、唯は笑顔で頷いた。

「使い方が違っちゃうのはちょっと複雑だけど、思ったの。

 誰かを救うために走るなら、この子と一緒がいいって」

「分った。ユイ、ペンダント出して」

 シューズにペンダントをかけると、小さなおともは大きく両手を広げた。

「心を許せし友の嘆きに応えし風よ。万象の絶望踏み越えたる我等に疾き力を与えよ!」

 真紅のペンダントが翠に輝き、シューズの輪郭が砕けてその中に吸い込まれていく。

 不思議な儀式はあっさりと終わった。

「それが本当の魔法なのね」

「魔法には本当も嘘も無いさ。ただの技術だからな」

 儀式が終了したテーブルをてきぱきと片付けながら、トムヤンが背中で語る。

「君達の力だって、それだけを取り出してみれば俺のやってることとそう大差は無い。

 ただ……それがどのようにもたらされ、どんな影響を与えるかってとこが、違うだけさ」

「でも、香苗さんがうらやましいわ」

 すでに彼女の姿は無い、キッチンにお茶とお菓子の準備に行っている。

 そのことを知りつつ、ほむらはぽつぽつと思いを零していく。

「どうしてあなたが、私やマミさんや、まどかの所に来なかったのかな」

「……ごめんな、ほむら」

「恨んでいるわけじゃないの。ただ、うらやましいだけ」

 それは本当の気持ち。きっと彼と一緒なら、どんな困難でも乗り越えて行けるだろう。

 それは適うことの無い、無いものねだりの願い。

「俺は今、ここに居る。ユイとほむらの仲間として、全力でサポートするおともとして。

それで納得してくれたら、うれしいんだけどな」

「大丈夫よ。さっきのは、忘れて」

 そこで言葉を切り、ほむらは改めて自分の胸の内を明かした。

 以前とは比べ物にならにほどの明るい愚痴を。

「人間て欲張りね。少し前まで、私はまどかだけでも助けたい、

 それ以外は何も考えなくていいって、思ってた」

 でも今は希望がある。だからこそ、あの時得られなかったものを、ここで取り戻せたらと願う。

 いや、取り戻したいと考えている。

「今は、みんな助けたい。私なんか、どうなってもいいから」

「まーだそんなこと言ってんのか、このバカほむら」

 ひょいっと飛び上がると、トビネズミがほむらの白いおでこをぱしっと叩いた。

「っ!?」

「君も幸せになるんだよ、みんなと一緒に。でなきゃまどかちゃんが泣くだろ。もちろんユイもな」

「……私も、幸せに?」

「もっと欲張れほむら! 言っただろ? 手を伸ばせって」

 もう、本当に勘弁して欲しい。

 こんなに泣いてしまったら、昔のどんくさくて何も出来なかったころの暁美ほむらみたいじゃない。

「あー! トム君っ! 暁美さん泣かしたら駄目だよっ!」

「ちっ、違うって! ほむらが勝手に泣いたんだよ! ったく、泣き虫なんだからさーほむらはー」

「……うん。そうだね。私、泣き虫だ」

 でも、今はただ泣いているだけじゃない。泣いてもまた立ち上がれる強さがあり、一緒に歩いてくれる仲間が居る。

 零れるうれしさを拭うと、急須と茶碗を手に戻った唯を迎えるため、立ち上がった。

「私も手伝うわ、香苗さん」





 さやさやとこずえを鳴らして背の低い木が揺れている。

 快晴ではあるが日差しはそれほどきつく無い。

 初夏の気配を漂わせた庭、板塀の前に並んだ低木樹たちがそよ風を受けて優しく謡っていた。

 縁側から見えるその景色は、日本という国の持つ静かな安らぎの要素が濃縮されているようだ。

「ええ風やなぁ」

 日の当たる縁側には二つの影があった。声を掛けたのは、大きな座布団に座った一匹の獣だ。

 ただし、どのような意味においても、それは動物学者が言うところの『獣』ではなかった。

 オレンジ色の体色に小さな白い翼を持ち、ライオンのような房が先端を飾る尻尾。

 顔は猫科の獣に似ているがデフォルメがきつく、目は点のようにしか見えない。

「そうですね。このところお湿りとお天気が、ちょうどいい具合で来ていましたから」

 奇妙な動物の言葉を受けて微笑むのは、メガネをかけた青年だった。

 全体的に体の線は細い、いや華奢と言い換えてもいいだろう。

 着流しにゆるく帯を締め、傍らには見事な細工が施された漆塗りの煙草盆を置いている。

「ともかく、用事を済ましてしまうか。ほれ」

 獣が差し出してきたのは、唐草模様の風呂敷包み。

 包み方を見ればそれが縦に長い物を入れているということが分る。

「ありがとうございます」

「しかし、そないなもんでよかったんか?」

「ええ。今回は借り出しという形ですからね。対価は、これで十分です」

 女性のものと言ってもいい繊細な手が包みを解く。中から現れたのはエチケットが大分くたびれたスコッチの瓶。

 琥珀と言うにはかなり枯れた色に深まったそれを、彼が日にかざして透かし見る。

「いい色ですね。いい年を重ねてる」

「貰いもんなんやけどな。うちは誰も飲めへんから、ずっとしまいっぱなしにしとった」

「最近、うちの呑んべぇが洋酒にはまってしまったので、これで少しは足しになります」

 笑いながらそういうと、彼は傍らの煙草盆においてあった、小さな飾りを手に取る。

 星を円が囲み、その縁に翼の付いた小さな杖が象られたそれを、手ずから渡した。

「おおきに」

「そちらは、どうですか?」

「わいら全員、例の奴に対抗する、という話になったわ」

 かわいらしい顔に皺を寄せ、腕組みをする獣。

 青年は顔をわずかに曇らせ、傍らの煙草盆に乗った煙管を手に取った。

「事が事だけにな。何より、あいつの犠牲になった子たちが浮かばれんによって。

 話を聞いたおともや現役の子はもちろん、今は一線から身を引いてる女の子達も、

 大層怒っとってな、二つ返事だったそうや」

「それで杖を」

「止めたんやけど、あかんかったわ」

 複雑な表情を浮かべた獣が沈黙し、青年が断りを入れて煙草に火を入れる。

 沈黙が訪れた庭に、風のさやぎだけが渡る。

 重たい空気を破ったのは、障子を隔てた部屋の向こうから青年を呼ぶ子供のような声だった。

 軽く会釈をしてから、彼は部屋の奥へと入っていく。

「分ったから部屋で待たせとけ! ……なにぃ? 鱧だって? それで下ごしらえは……ってぴちぴちじゃねぇよ! 

 骨きりするのにどんだけ手間が掛かると……ああ、もうっ。

 とりあえず全部やってやる! 天麩羅に土瓶蒸しに湯引きだな! 焼酎が無いって、おまえなぁ……

 倉にもらい物の『錫神』があったろ、あれ開けていいから!」

 ため息をつきながら戻ってきた青年に、獣が笑いながら苦労をねぎらった。

「相変わらずやな、あの黒饅頭」

「ほんと参りますよ。誰に似たんだか」

 そう言った彼の視線がふっと遠いものに変わる。

 失ってしまった何かを思い出し、それでもなお、その面影を見ようとするまなざし。

 それを礼儀正しく看過し、獣は立ち上がった。

「じゃ、そろそろお暇させてもらうわ」

「折角ですからどうですか? 鱧」

「ありがたいんやけどなー、結構急ぎやねん。また寄らせてもらうわ」

 そう言って縁側から下りた獣を追うように青年が立ち上がる。

 同時に、土の地面に月と太陽を中心に描いた魔法陣が浮かび上がった。

「そういえば、一つ忘れていました」

「なにがや?」

 獣の乗った魔法陣が少しずつ輝きを増していく。

 全てを透徹するような光を瞳に宿し、彼は言の葉を口にした。

「あなたが来る直前にユメを見たんです」

「……どんなユメやったんや?」

 獣は正しく理解していた。

 次元を渡る魔女の側に在り、その店を継いだ若き当主の見た『ユメ』は、ただの夢ではありえないと。

「ひどくぼんやりとした印象でしたから、覚えていられたのは一つだけでした」

 メガネに光が当たり、一瞬視線が隠れる。そして、彼は告げた。

「泰山鳴動して鼠一匹」

「……この一件が、たいしたことにならんっちゅうことか?」

「いいえ。言葉どおりの意味です、鼠が、山を動かすんですよ」

 不思議な言葉を受けた獣が首をかしげながら魔方陣とともに姿を消す。

 後に残された青年はもう一度座りなおし、火が付いたままの煙管を口に咥える。

 長く吐き出された煙が、風に乗ってかすんで消えていった。



[27333] らじかる☆トムヤン君!第一話「どこ行っちゃったのよ、トムヤン君!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/29 19:38
 軽いノックの音がする。

 ドアの向こうから優しく叩いてくるのは、きっとおとうさんだろう。

 でも、今は動けない、動きたくない。

「入っちゃダメかな?」

「……うん」

「先生から聞いたよ。相手の子、鼻血出しちゃったんだって?」

 膝を抱えてうずくまった姿勢が、少し縮んでしまう。

 今でも、手にあのときの感覚が残っている気がする。答えを返さないこちらに、声は深く優しく響いた。

「でも、唯だってちゃんと謝ったんだろう?」

「……うん」

「相手の子だって、許してくれるって言ったんだろう?」

「……うん」

 でも、やっぱり納得できない。自分の手が、誰かを傷つけるためにあるなんてことは。

「おとうさん、わたし、もう行かない。どうじょう」

「怖いから?」

「だって、だれかをなぐったり、けったりして、けがさせたらいやだもん」

「そっか……」

 少しだけ落ち込んだような声、でもすぐにそれは明るいものになった。

「唯は女の子だもんな、強くなくてもいいか」

「ごめんなさい。おとうさん」

「いいんだよ。お前が自分で決めたんだから。……ただ」

 もう一度ノックして、大きな体が部屋の中に入ってくる。

 それから床にしゃがみこんで同じ目の高さに顔をあわせると、言葉を続けた。

「戦うことを、いけないことだとは思わないでいて欲しいんだ」

「なんで? だって、いたくするのは、いけないことでしょ?」

「もちろん。誰かを傷つけるためだけに戦うのは良くないことだ」

 大きな掌が頭の上にそっと載せられ、くしゃくしゃと髪の毛をかき回す。

「でも、本当に拳を握らなきゃいけないときは、それを開いちゃいけいない。

 愚かなのはただ戦うことを選ぶこと、そして戦うこと自体を否定することだ」

 難しいことを言われてきょとんとしている自分に、おとうさんは少し難しかったかな、と苦笑しつつ、もう一言付け加えた。

「『正義なき力は無能なり、されど力なき正義もまた無能なり』……ってね」

「……よくわかんないよ。おとうさん」

「そっか。まぁ、いいさ」

 にっこり笑うと唯の体を高々と抱き上げてくれる。大きくて暖かい体にしっかり
としがみつく。

「さ、下に降りようか。もうご飯の時間だよ」

「うん!」


第一話「どこ行っちゃったのよ、トムヤン君!」


 肩で風を切るように、ほむらは廊下を歩いていた。

 転校してきて結構時間は経っていると思うが、自分の容姿はよほど人目を惹きやすいのだろう。

 はるかな昔、自分はみんなの顔色を覗うおどおどした態度の少女だった。

 今はと言えば、実はそれほど変わっていない。

 相手の視線を『無視』して生活するということは、結局のところ相手の顔色を覗うという態度の反転。

 相手の視線に恐怖を感じてそこから逃げているだけなのだ。

 人間社会で生きていくなら、視線も言葉も交わされなければならない。

 だが、残念ながら暁美ほむらと言う少女は、そうしたコミュニケーションの基本を身に付ける環境を持たなかった。

 ゆえに、

「おはよう。まどか」

 言葉とは裏腹に、彼女の顔には鬼相が宿ってしまっていた。

「お、はよう。ほむらちゃん」

 目の前のまどかは、今にも『ぴぃっ!?』という鳴き声を出しそうな表情。

 その脇に陣取っていた美樹さやかはあからさまな嫌悪をむき出しにしている。

「なんの用だよ。転校生」

「お……」

 ほんの少し口を開きかけ、そのまま閉じてしまう。ほむらは彼女から視線を外し、志筑仁美に会釈をする。

 礼儀正しく彼女が会釈を返すのを認めて、自分の席へと戻った。

 なにやらぶちぶちと文句を垂れ流すさやかの言葉を聞き流し、

 何気ない風を装って椅子に座り込んだほむらに、声ならざる声が届いてきた。

『どうだった? ちゃんと挨拶できた?』

 軽く顔を伏せ、ほむらは心の中を苦鳴で一杯にして唯に返事を送った。

『……ごめんなさい。まどかとは、出来たんだけど』

『美樹さんとは?』

 教科書を机の上に出しながら弁解が続く。

 というか、あんな顔で睨みつけられたら自分だって愛想良く挨拶などできるわけが無い。

『作戦は失敗したわ』

『かっこよく言ってもダメっ! もうー、トム君の心配した通りじゃない!』

『やっぱり私には無理よ、香苗さん。笑顔で挨拶だなんて』

 正面のホワイトボードを向いて先生が来るのを待つ振りをしつつ、弁解と謝罪と言い訳とヘタレな自分への情けなさを、

 頭の中でぐるぐる巡らせるほむらに唯の説教が続く。

『大体、魔女とか怖い相手と戦えるんだもん、挨拶ぐらい難しくないでしょ?』

『魔女には挨拶はいらないし、愛想良くする必要もないもの』

『そんなんじゃダメ! 折角作戦立てたんだから、任務続行だよ!』

 天でも仰ぎたい気分になりながら、ほむらは相変わらず表情だけは崩さずに作戦を反芻した。


「ほむら、君の態度は変えなきゃダメだ」

「……どういうこと?」

 食事の後、トムヤンはこちらを値踏みするような表情で告げた。

「みんなに被害を出させないようにするためには、少しでも早く『魔法少女の真実』の情報を流し、

 キュゥべぇのたくらみに気が付いてもらう必要がある」

「それと私の態度と、どんな関係が?」

「俺達が協力するのであれば、まどかちゃんの性格や行動をある程度把握できる君に、

 彼女の近くに居てもらったほうがいい。

 そのためには『ミステリアスな敵対者』の仮面は邪魔なんだ」

 確かに、自分はまどかと親しくなることを自ら禁じ、

 敵対関係のような空気を作りつつキュゥべぇの影響から守ろうとした。

 だが、唯とトムヤンのコンビによって、世界はほむらが知っている筋道から変わりつつある。

 同時に、彼らのおかげで何かことが起これば対処も容易になっているわけだし、

 その意見にも一理あるとほむらは考えた。

「これから阻止しなきゃいけない事件は三つ。一つ目は巴マミの暴走」

 彼女は幾度目かのループのとき、魔法少女の真実に触れて正気を失った。

 あの時の彼女は正視に耐えなかったし、同じ過ちは繰り返して欲しくない。

 しかも、今回のループは彼女が生存しているので、なるべく早めに解決したい事案だ。

「二つ目は鹿目まどかの契約。とはいっても、彼女の問題は根本的な理由だからな、

 全ての任務において優先される最終目標としておくべきだろうな」

「三つ目は……美樹さやかね」

「そうだ。三つ目、美樹さやかの契約。これが一番厄介な気がするんだよなぁ」

 上條恭介の治療に対する彼女の情熱は、はっきり言って異常ともいえる。

 恋慕から出発しているため、その意思を翻させるのは困難だ。

 そんな事情を知りつつ、トムヤンはこちらに指を突きつけて宣言した。

「だから、出来る手は全部打っておきたい。

 そのために必要なんだ。暁美ほむらが美樹さやかと仲良くするってことがな!」

 無理です。

 声にもテレパシーにも乗せなかったが、暁美ほむらは全身全霊で呻いた。

 そもそも美樹さやかとはどのループでも相性が悪い。というか、仲良くできたためしが無い。

 たしか、まだ魔法少女の定めも知らなかった頃の自分が、優しくしてもらったような気がしないでも無い、

 というような気の迷いめいた記憶が微かにある、と思う。

 本当にそういう感じなのだ。

 何処かのループでマミに『まどかとの関係にやきもちを焼いている』という指摘があったが、それもいくらか原因があるのだろうか。

 こちらとしては、正直さやかに対して含むところなどは全く無い。

 せいぜい魔女化して手間を増やしてくれる問題児、という感覚だ。

 しかし、その彼女がまどかの魔法少女化を促しかねない原因でもある。

 避けて通るわけにも行かないし、関わるととことんまで面倒、まさに頭痛の種といったところか。

『もしもーし、暁美さーん、聞いてますかー』

『え!? き、聞こえているわ』

 大分ゴキゲン斜めの唯に慌てて返信を送る。

 唯は語調を柔らかなものに改め、こちらを励ますように声援を送ってきた。

『がんばれ暁美さん! とにかくスマイル! アンド! フレンドリー! でね!』

 無理ですっ。

 と、力いっぱい言いたいのを我慢して、ほむらは了解を発信する。

 そのタイミングを計ったように早乙女先生が顔を出した。

 その表情は妙に朗らかで足取りも軽い。その様子を見てほむらが心の中で膝を打つ。

 今日は、早乙女先生が性懲りもなく、新しく始まった恋の話をぶちかます日だ。

 ちなみにこの関係はワルプルギスの夜まで持たない。

『玄関に入る時に右足から入るか左足から入るか』という、ほんっとうにどうでもいい理由で別れることになるからだ。

「今日は皆さんに、大変うれしいお知らせがあります! 心して聞いてくださいっ!」

 彼女のニコニコぶりを見つめるうんざりした表情のさやかを見て、ほむらは思った。

 今ならきっと、彼女と心を重ね合わせられるだろう。

 早乙女先生、いい加減にしてください、と。


 白い雲が薄く渡る空を望む屋上で、さやかはまどかと黙ってお昼を食べていた。

 いつもならもう少し喋ることが会っただろうし、早乙女先生の新しい恋がどれだけ短命で終わるか

 賭けでもしていたところだろう。

 そんな停滞した空気を打ち破ったのは、まどかだった。

「あ、あのね、さやかちゃん?」

「ん? なに、まどか」
「その……マミさんとは、会ってる?」

 思わず箸を持つ手が止まる。

 まどかの表情を見れば一目瞭然だが、彼女自身も行っていないのだろうとあたりをつけた。

「あ、あたしは、用事があって、ちょっとね。まどかこそ、どうなのよ」

「……チャイム押しても出てきてくれなかったの。クラスに行って聞いたら、病欠なんだって」

「そ! そうなんだ! じゃあ、後でお見舞いに行こっか!」

 魔法少女が病欠というのも何か奇妙な気がするが、所詮は魔法が使えるだけの人間に過ぎない。

 そんな事もあるのだろうと思いなおす。

「お見舞いって言えば! 上條君の方はどう?」

「恭、介……?」

 寸でのところで、こみ上げた黒いものはぶちまけずに済んだ。

 代わりに苦笑いでその場をごまかしに掛かる。

「それがさぁ、あいつってばリハビリのやりすぎでぶっ倒れちゃったんだって! 笑っちゃうよねー」

「だ、大丈夫なの!?」

「ん? へーきへーき。お父さんもちょっと安静にしてれば治るって言ってたし、

 症状が落ち着いたら連絡くれるってさ!」

 こちらの態度を素直に受け取ってくれるまどかに、心の中で感謝する。

 後一歩踏み込まれていたら、胸の内を明かしてしまっていたかもしれない。

 心配でないわけが無い。今だって少しでも気を抜くと頭がおかしくなりそうだった。

 事故に会ったと聞いたときと同じか、それ以上の不安感。

 恭介をイメージさせるものを見るたび、何かの拍子にバイオリンの音を聞くたび、

 まぶたの裏が痛くなるほどに。

「さやかちゃん?」

「へぇっ!?」

 心配そうに見つめてくる彼女に、さらに嘘を糊塗する。

「あ、あははは、ごめーん。昨日ちょっとテレビだらだら見てたせいか夜更かししちゃってさー、

 眠くて眠くて」

 手早く弁当箱をたたむと、さやかは立ち上がった。

「ごめん、ちょっと食欲無いし、先に戻るわ」

「う、うん。じゃ、あたしも」

「ほほう? それではまどかさんは私と一緒にどこまでも来てくれるのですかな?

 例えばおトイレの中とかー?」

「もう、さやかちゃんてばー!」

 ニヤニヤ笑いと下ネタでまどかを軽く引かせると、手を振って非常階段へと小走りに駆け出す。

 後ろ手でドアを閉めたところで、さやかはようやく本来の顔を取り戻した。

 苦痛と不安の無い混ぜになった、歪んだ顔を。

「きょうすけぇ……っ」

 まどかの前で泣くわけには行かない。

 誰にも悟られたくない、自分が元気をなくしてしまったら、それで何もかも終わってしまう気がする。

 恭介が大変なことになっていると、認めてしまうようで。

 そう何度も心に言い聞かせているのに、漏らした声はしわがれたままだった。

「あいたいよぉっ、恭介ぇっ」

 抑えきれない思いが思わず口から漏れて、さやかはわき目も振らず階段を駆け下りていく。

 しばらくトイレからは出られそうも無い、せめてこの気持ちが落ち着くまでは、そんなことを思いながら。

 だから、彼女は気が付かない。

 非常ドアのすぐ側の影で、嘆きの全てを見ていた白い生き物に。


 いつも通りに部活を追えると、唯は校門を抜けて街の方へ向かっていた。

 ふと、ものすごく苦虫を噛み潰した表情のほむらを思い出しため息をつく。

 戦闘技術が異様に高く、何度ループを繰り返そうとも親友を助けるためなら、

 決して折れようとしない鋼の戦士。

 だが、一皮剥いてみたら中身はコミュニケーション下手の内気な女の子でした、

 という漫画かラノベみたいなオチが付いてきた彼女。

 危なっかしくて見ていられない、そう思った唯は必ずお昼を一緒に食べたり、

 休み時間には彼女のクラスまで顔を出すようにしていた。

 そのたびにさやかという少女が胡散臭そうな顔を向けてきたが、あえてにっこりと挨拶をするようにしている。

 正直、複雑な人間関係に首を突っ込むのは精神衛生上よろしくない。

 自分だって、ほむらをあげつらえるほどコミュニケーションが得意なわけではないのだ。

 それでも、さやかという女の子の契約は阻止しなくてはならない。

 契約してしまえば必ず精神のバランスを崩し、魔女になってしまうという運命が待っていると聞いているからだ。

 自分は自分のできることをしよう、というより魔女と殴りあったりするよりは、

 そっちの方が結局は精神衛生上よろしい。

 次は自分からさやかに話しかけてみよう、そんなことを考えていたときだった。

 学校前の並木道に、誰かが立っている。

 ロングスカートにカーディガン姿の少女が、こちらをじっと見つめていた。

 何処かで見たことがあるような、そんなことを考えているうちに彼女が目の前から消えた。

 ひどく青ざめ、それでいて目に異様な光をたたえた少女。

 何処かで見たことがある気がするのに思い出せない。

「誰、だっけ」

「……自己紹介は、まだしていないつもりなのだけど?」

「ふわあっ!?」
 いきなり背中越しに声を掛けられ、変身もしていない体が結構派手に飛び上がる。

 声の主はこちらのリアクションに軽く後ろに下がったが、咳払いを一つして落ち着きを取り戻したようだ。

 だが、唯自身はそこまで平静ではいられなかった。

「と、巴マミ、さんっ!」

「私の名前を知ってるの?」

 不思議そうというより訝しそうな顔。

 自分がうっかり吹き飛ばしてしまった魔法少女はこちらの動揺も知らないまま、

 追撃のティロ・フィナーレをぶちかましてきた。

「話があるのだけど、ちょっと付き合っていただけないかしら?」

 全身に思わず冷や汗が流れ始める。

 もしかしたら自分が、あのスパイシーユイと名乗った魔法少女と同一人物であることがばれたのだろうか。

 思わず胸元を強く握り締め、ありったけの思いを込めて念を飛ばす。

『トムヤン君! 聞こえるトムヤン君!?』

 だが、応えは返らず、目の前には静かな眼差しでこちらを見つめるマミがいる。

「どうかしたの?」

「い、いえっ! なんでもないですっ」

「なら、ご一緒していただけるかしら?」

 蛇に睨まれたカエル、いや、ここは猫に睨まれたネズミとでも言えばいいのか。

 唯はどこにいるとも知れないおともに向かって、音の無い絶叫を迸らせた。

『どこ行っちゃったのよ、トムヤン君!』



[27333] 第二話「おほしさま、ひとつ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/01 09:57
 ふと目を覚ますと、トムヤンは目の前に横たわった黒い塊をぼんやり見つめた。

 その形と、自分が眠りに落ちる直前の記憶を照らし合わせ、大きなあくびを一つ。

「片付けもせずに寝ちゃったかぁ」

 ぷるぷると頭を振って起き上がり、それから自分の上に掛けられていた小さな毛布と、

 少し離れたところに置いてある水皿とピスタチオの山に気が付いた。

「さっすがユイ。ありがとな」

 ここにはいないパートナーに礼を言うと、がぶがぶと水を飲み、立て続けにピスタチオを貪る。

 そして、改めて自分の造り上げた物を確認した。

 デザートイーグル、ゲームや映画でおなじみの大口径自動拳銃。

 トムヤンのサイズからすればそれは大砲であり、撃つ事は元より、移動させることでさえ困難な代物だ。

 当然ながら、この銃自体は彼の製作物ではない。

 この銃に施した仕掛けが、トムヤンがこの数日眠る暇も惜しんで造り上げたものだ。

「あとは、ほむらに使ってもらって、アライメントを取れば完成かな」

 腹ごしらえを済ませると、トビネズミはいつもどおり窓から飛び出した。

 すでに日は西に傾きつつある。

 魔女退治と並行して行っていた製作作業が予想以上に体に負担を強いていたのだろう。

 完成を確信した途端に、体が長い休息を要求したというわけだ。

「ふああ~っ……なんか、まだ寝たり無いって感じだよ」

 ひょこひょこと塀の上を跳ね飛び、凝りのたまった体を解していく。

 風は気持ちいいし天気も上々、絶好の散歩日和だ。

 そよぐ風に髭を揺らしつつ、ふと彼は空を見上げた。

 自分は今ここにいて、一人の少女と出会い、念願の魔法少女のおともになっている。

 もちろん違反だらけであることは自覚しているし、帰ったら、

 もしかすると二度とおともとして活躍する機会は訪れないかもしれない。

 魔法という力を持ち込むということは、世界に大きな揺らぎをもたらす。

 それは慎重に扱われるべきもので、インキュベーターのやっていることはもちろん、自分の行為だって許されないことだ。
 人道的な行為をすることは大切だが、それで守るべき『法』をないがしろにしてもいいということではない。

 違反は罰されねばならないのだ。

 恩赦ぐらいはあるだろうが、それでも香苗唯の下に戻ることは、決して無いだろう。

 だからどうした、自分の心から湧き出した思いを軽く一蹴して歩き出した。

 自分は今ここにいて、助けたいと思った人を助けるために生きることが出来る。

 世界中のどんなおともよりも、きっと自分は幸せだ。

 そんなことを思っていたトムヤンは、いきなり空が翳っていることに気が付いた。

 まるで入道雲のような黒々としたそれを見つめ、同時に首筋にちりちりとした感覚が走るの感じる。

 雲の影にしてはおかしい、くっきりとしすぎているし、一番上ところにちょんと突き出た三角型の双子山が妙に気になる。

 おまけに、何かが喉を鳴らすような音が――

「の、ど?」

 くるぅりと、顔だけを背後に向けてめぐらせて見る。

「にゃあーぅ」

「ね」

 そこには一匹の黒い子猫が、金色の目をきらきらさせてこちらを見つめていた。

「ねこぉおおおおおおおおっ!?」

「にゃあーん!」

 一目散に獲物に向かってかっとんで来る黒い生き物を何とかかわし、トムヤンの小さな体が塀の上を全力で走り出す。

「二十一世紀に入って十年以上経ってるんだぞ!?」

 誰に言うとでもなく、トビネズミは力いっぱい絶叫した。

「ネズミ型おともが猫に追われるってっ、今更前世紀なネタだろおおおおおおおっ!?」

 全身に命の危険を感じつつ、おともが塀の上をひた走っていた丁度その頃。

 彼の主人である香苗唯もまた、振って湧いたピンチにさらされていたことを知るのは、少し先の話になる。


第二話「おほしさま、ひとつ」


 いつもの帰り道を、まどかは一人で歩いていた。

 見滝原に通うようになってから結構経つが、一緒に帰る人間がいないという経験は多分始めてだ。

 習い事や家の用事で忙しい仁美は先に帰ることが多いが、さやかも今日は調子が悪いからと言って姿を消している。

 ずっと自分の周りにいて契約のことを話していたキュゥべぇすら、今朝から姿を見ていない。

 多分、マミさんのことを心配して彼女についているのだろう。

 最近、色々なことが起こりすぎている。少し前は友達三人で他愛も無い話をしながら、

 学校で勉強したり、放課後遊んだりしていたはずなのに。

 いつの間にか、魔法少女とか魔女とか、別世界の物事が入り込んでいる。

 まるで違う国に迷い込んでしまったような、そんな気持ちがする。

 いや、実際には何も変わっていないのだ。

 別にマミやキュゥべぇを始めとする魔法少女の関係者はずっと身近にいた。

 ただ、自分がそれに気が付かなかっただけで。

 気が付かなかった事はもう一つある。それは、さやかの抱えている悩みだ。

 今日のお昼に感じた違和感。いつもどおりの元気そうな表情に影があったこと。

 それでもそのことに触れられなかったのは、その顔が必死に『聞かないで』と言っている様に感じたから。

「上條君、何かあったのかな」

 ずっと幼馴染として一緒に過ごしていて、その相手に恋をしているとわかった。

 そのことをさやかから打ち明られたときのことは、今でも覚えている。

『変な感じ、なんだよ。ホント。あいつのことをさ、ずーっと見てきたはずなのに、もしかしたらって、

 これって恋なんじゃないか! って思ったらさ。ぱーっと、目の前が明るくなったんだ』

 元気で明るくて、何事もはっきりとさせないと気がすまないさやかが、初めてはにかみながら、

 自分の気持ちを確かめるように言っていた。

『それで、んん、その、照れくさいんだけど、あ、あたしは! あいつのことが好き……

 美樹さやかは、上條恭介が……好きなんだ、って、思ったんだ』

 その日は自分がケーキを奢り、さやかの初恋が実るようにとお祝いをした。

 初恋は実らないなんてジンクスがあるけど、そんなものは自分が蹴散らしてやる。

 そんな風に言っていた彼女が眩しかった。

「どうして、なのかな」

 まどかは素直な気持ちを零した。

 別にさやかが何をしたわけでもない、上條恭介が悪かったわけでもない。

 しかし、事故と言う理不尽が、二人の幸せな時間が刻まれるのを阻もうとしている。

 何か二人にして上げられることはないのか。そう思った瞬間、脳裏に白い影がよぎる。

『僕と契約してくれたら、なんでも一つ願い事を叶えてあげるよ』

 願い、そう願いさえすればすぐ手の届く奇跡。

 その代わり、戦いの運命を背負い、苦しみながら生きていくことを選ばなければならない。

 あの魔女との戦いの前、自分が仲間になると言った時、マミは涙を流していた。

 新しい仲間が出来ると、孤独な戦いをこれ以上しないで済むと。

 そして、その彼女ですら、ほんの一瞬で死ぬかもしれない場が、すぐ側に口を明けている世界。

『巴マミに守ってもらっていい気になってた、ただの一般人だろ!?』

 あのときの叱責に、自分は何の反論もできなかった。

 なんてダメな子なんだろう。自分の中にくすんだ灰色の感情がわきあがってくる。

 あんなに調子のいいことを言っておいて、一人ぼっちじゃないなどと、期待させるようなことを言っておいて、

 いざ現実を目の前にすると気持ちが萎んでしまう。

 そして、親友が苦しんでいると言うのに、自分のできることにもためらってしまう。

「私は……」

「うわあああああっ!?」

 奇妙な声がまどかの視線を上げさせた。

 それは自分の顔よりも少し高い位置、手近なブロック塀の上からしてくる。

「え、エイミー?」

 それは時々自分がエサをやっている野良の黒猫だった。

 まさか、エイミーまで喋るようになったのかと思ったが、実際には違っていた。

 小さなネズミが絶叫しつつ走っている、黒猫に追いかけられて。

 いくらなんでもひどすぎる。

 喋る変な生物に、魔法少女に魔女、それだけでもお腹いっぱいだと言うのに今度は喋るネズミだなんて。

「こんなところでぇっ、やられてたまるかぁっ!」

 全身全霊の力を使って塀の上からネズミが大きくジャンプ。

 その後を追ってエイミーがさらに飛翔、二つの影が空中で絡み合う。

「うわああっ!」

 絶叫を上げてネズミは猫と一緒に住宅街の谷間、草だらけの空き地に転がり込んだ。
 慌てて走り寄ると、小さな生き物はしっかりと猫の前足に押さえつけられていた。
 その前足から逃れようとネズミがじたばたもがく。

「やめてやめてやめてー! 俺なんか狙わないで地球の未来にご奉仕しててー!」

 やっぱり喋っている、しかもわけの分らないことまで言っている。

「やめなさいエイミー!」

 たまらず声を上げると黒猫はこちらに気が付き、目を細めて不満そうに喉を鳴らした。

「いい子だから、ね? その子、離してあげて」

「んあーぅ」

「クッキーあげるから、ね?」

 こちらの気持ちが通じたのか、エイミーは獲物から前足をどかした。

 やはりネズミだ、ただ普通のものとは少し形が違うような気はするが。 

「……君、大丈夫?」

「う、ああ、ありがと……っ!?」

 慌てて前足で口元を押さえる仕草はまるで人間のように見えた。

 それは上目遣いでこちらを見て、それからそっと目をそらす。

「君、喋れるんでしょ?」

「……ちゅ、ちゅ~」

 いやいや、ごまかされないし。

 わざとらしい鳴き声を上げるネズミに心の中でそっと突っ込みをいれ、じっと相手を見つめてやる。

「……分ったよ。そうだよ、俺は喋れるよ」

「へぇー」

「あんまり驚かないんだな?」

「そう言うの、なんか最近、慣れてきちゃって」

 本当に変なところで経験ができてしまっている。

 普通ならもっと驚くところだ、などと考えていると、ふと疑問が湧いてきた。

「もしかして、あなたもキュゥべぇなの?」

「はぁっ!?」

 驚いたと言うよりは露骨に怒ったような表情、に見えた。

 ネズミの割には感情表現も仕草も本当に豊富だ。キュゥべぇよりもはるかに人間的に見える。

「そいつが誰だか知らないけど、変な風に呼ぶなよ。俺にはトムヤンっていう立派な名前があるんだ」

「トムヤン、君?」

「君付けは――以外にはさせたくな……っと。そういう君の名前は?」

 変に大人びているような、どことなく子供のような、そんなトムヤンというネズミにまどかは微笑んで告げた。

「私、鹿目まどか。よろしくね、トムヤン君」


 最初は自宅に拉致されるのかと思ったが、結局唯が巴マミに連れられていった先は、

 小さな商店街の隅にある個人経営の喫茶店だった。

 店内は適度に薄暗く、マスターらしき髭の男性もマミと二言三言、

 親しげに言葉を交わしてからカウンターの奥へ引っ込んでいってしまう。

「巴先輩は、このお店に良く来るんですか?」

 なるべく平静を装うべく何気ない質問を振ってみると、割合彼女は愛想良く返事をしてくれた。

「元々、父がこのお店のマスターと懇意でね。日本では手に入りにくい珍しい茶葉を仕入れていただいていたの。

 私も時々、ここでお茶を頂いたり買い物をしたりしているのよ」

「そうなんですか。紅茶、好きなんですか?」

「ええ。あなたも?」

「あ、うちは大抵緑茶です。おとうさんもおかあさんも和の心っていうか、そういうの大事にするんで」

 何気ない会話をしながら、確かにトムヤンの言ったとおりだと唯は感じた。

 柔らかな物腰と品のいい喋り方。どことなく貴族然とした感じを受けるのは、容姿のせいだけでは無い気がする。

「ところで、香苗さん」

「なんでしょうか」

「暁美ほむら、さんとは、友達なの?」

 その一言で、それまでの印象ががらりと変わった。

 目に力がこもり、こちらを射すくめるような雰囲気が漂い始める。

「そ、そうですけど」

「彼女、最近見滝原に越してきたみたいだけど、一体いつごろからのお付きあい?」

「それは、えっと、小学生の頃です」

 こういう話題については、すでにトムヤンと相談がしてあった。

 ほむらと友達というスタンスをマミたちに知られている以上、怪しまれないような経歴を作る必要があると。

 結局、香苗唯と暁美ほむらは小学校時代の友人で、

 一年ぐらい一緒に遊んでいたが彼女の転校でそれっきりになったという『設定』が作られた。

「じゃあ、あなたと暁美さんは会うのは久しぶりだった、ということね」

「はい」

「じゃあ、思い出して欲しいのだけれど、彼女は小学生の頃、どんな子だった?」

「……クラスではあまり目立たなくて、一人で遊んでるような子だった、と思います」

 ほむらからの聞き取りで、この辺りの情報はかなり確かなものになっている。

 本人は過去の恥をさらすようでいい気分はしないと言っていたが、

 結局は背に腹は変えられないと了解してもらっている。

「それなら、今の暁美さんのことはどう思う? 以前に比べて、何か変わったところとかあった?」

「どうかなぁ、結構時間経っているし、そのせいで気が付くのも遅れちゃって」

「どんな小さなことでもいいの。彼女について、変わったことはなにかない?」

 かなり真剣な表情、おそらく『過去』を知っている自分から、何か情報を引き出すつもりなんだろう。

 とはいえこちらも、何もかもぶちまけるわけには行かない。

 彼女はいわば親キュゥべぇ派、いきなり真実を話しても警戒されるか、最悪敵対される可能性がある。

「すみません。私、何も知りませんから」

「……何も知らない?」

「はい。何も」

「どうして、私が『何かを知りたがっている』って思うの?」

 妙な聞き返し方をすると思いつつも、唯はうっかりと答えてしまっていた。

「その、巴先輩が、さっきから質問しているじゃないですか。だから」

「私は変わったことは無いか? と聞いたのよ。

 しばらく会っていない相手のことなんだから、そこは『分りません』と答えるべきじゃないかしら?」

「そ、それは……」

「あなた、本当は何か知っているんじゃないの?」

 普通なら、言い間違えレベルで済む言葉にずばずば切り込んでくる。

 つまりこれは、彼女が最初から自分を疑惑の目で見ていると言うことだ。

 普段ならこういう腹芸事はトムヤンが解決してくれるのだが、その知恵袋は家で寝ているかパトロールの最中だ。

 全身に冷や汗をかきつつ、それでも何とか返事をしようとしたところに、

 さっきのマスターが何かをトレイに載せてやってきた。

「マスター、それは?」

「私のおごりだよ。マミちゃんが初めてうちに、お友達を連れてきたってことでね」

 本格的なお茶のセットにふわふわのシフォンケーキが二人分。

 マミのほうはなにやら持ってきたお茶のことについて軽い抗議をしていたが、

 最後には納得してそれを受け取ることにしたらしかった。

「……いい店長さんですね」

「そうね……」

 なぜか彼女はこちらに視線を向け、慌ててそらしてしまう。

 それからしばらく、マミは黙って砂時計を見つめていた。

 お茶の蒸らし時間を計るものだということは唯も知っている、そして彼女はそれをきっちり守るつもりのようだった。

 やがて、かぶせてあったキルティングの帽子のようなものが外され、

 慣れた手つきでマミがオレンジ色の液体をカップに注いでいく。

「……きれいな色」

「驚いた? 普通、紅茶っていうと赤い色だと思うでしょ? でも、物によってはこんなオレンジや褐色のものもある。

 水色だけじゃなくて香りもそれぞれに違うわ」

「香りですか?」

「ええ。花のような香りや、マスカットの匂いがするお茶もあるの。

 特に匂い付けしているというわけでなくてね」

 目の前のお茶から漂うのは、夏を感じさせるさわやかな若葉の匂い。

 どことなく緑茶の匂いにも似ている気がした。

「巴先輩って、お茶のこと良く知っているんですね」

「父の影響でね。小さな頃から一緒にいろんなものを飲んできたから。さ、冷めないうちに」

 くっきりとした渋みとさわやかな香りが喉を通り過ぎていく。

 安いティーバッグのお茶とは比べ物にならない深い味わいに、唯は思わず呟いていた。

「すごくおいしい……」

「そう? それ、ものすごく高いのよ」

「いくら、なんですか?」

 恐る恐る聞く唯に、妙ににこやかな笑顔でマミは告げた。

「このポット一杯で三千円」

「ふっっ!?」

 なるほど、彼女が抗議するわけだ。

 それが茶葉の値段なのかお茶としての値段なのかは分らないが、そんな高級なものはおいそれと受け取れるわけがない。

 こちらの複雑な表情に気が付いたのか、マミは気にしないで、と笑みを浮かべた。

「今日は私がおごるわ。いきなりつれてきた挙句、尋問まがいの話をしたお詫びよ」

「あ、いえ、その」

「ただ、一つ忠告しておくわ」

 顔に冷たさが戻り、こちらをじっと見つめてくるマミに、唯も姿勢を正す。

「暁美ほむらさんとは、もう付き合わないほうがいいわ」

「……どういう、意味ですか」

「詳しくは言えない。でも彼女は、あなたには言えない秘密を持っている。

 それに関われば命を落とす危険があるわ」

 どう答えるべきか、少し考えてから唯は自分のスタンスを明かした。

「大丈夫です。あの子、良い子だから」

「香苗さん。あなた……」

「巴先輩が彼女のこと、どう思ってるか知らないけど、私は暁美さんのこと信じてますから」

「そんなことじゃないの、彼女は……」

 かぶりを振ってマミはなおも言葉を続けようとし、何かに気が付いたようにポケットを押さえる。

 それと同時に唯もペンダントにかすかな感覚が走るのが分った。

「ごめんなさい。私、用事があるからここで失礼するわね」

「あ、はい!」

 慌てて席を立ったマミの姿が見えなくなったのを確認して、ペンダントを取り出す。

 その色は翠色に変わり、魔女の結界がどこかで発現したことを知らせていた。

 改めてそれを握り締めると、唯はおともを呼び出す言葉を口にした。


 冗談じゃない、その魔法少女は胸の奥で絶望を漏らしていた。

 自分の得物である双剣を必死に握りなおし、目の前に迫る魔女と何とか向き合う。

 油絵の具で書かれた火を切り張りして、人の形にしたような異様な風体。

 熱くも無いし煙たくも無い。

 しかし、それが握りしてめている自分のパートナーを勤めていた魔法少女「だったもの」は、

 間違いなく炎を上げていた。

「このおっ!」

 ありったけの魔力を込めて自分の周囲に剣を召喚、そいつを貫くべく射出する。

 あるものは当たり、あるものは突き抜ける。

 だが、当たったものでさえ一瞬の内に燃え尽きてしまった。

 すでにジェムは魔力を生み出せないほどに曇っている。

 超人的な体力も奇跡を起こす魔法も何も引き出せない。

 あとは、その場にうずくまるしかなかった。

 魔法少女になるということがどんなものかは聞かされていた。

 道半ばで死ぬかもしれないし、ひどい結末になるかもしれないとは予想していた。

 食われて死ぬ、刺し貫かれて死ぬ、潰されて死ぬ。

 でも、

「生きたまま焼かれるなんて、ありかよ」

 最後の言葉さえかき消され、少女は燃えた。

 何の感慨もなく、魔女は両手に抱えたそれを持って、結界の中央に進み出る。

 そこには、巨大なプラネタリウムの投影機があった。

 天蓋の部分には満天の星が輝き、漆黒を背景に美しい夜空を演出している。

 魔女の顔がその下に付けられた巨大な扉に向き、それが開いた。

 途端に轟々たる音とともに燃え盛る煉獄が現れる。

 そこは焼却炉、踊る真紅の中に霞んで、黒い棒で作られた人型がいくつも見えた。

 両手に抱えられた薪が炉に投じられ、扉が閉まる。

 その上に設置されている投影機が煌々と輝きを放った。

 そして、満点の星空に新たな星が二つ、寄り添うようにして輝き始める。

「おほしさま、ひとつ」

 それは誰にも聞こえない、聞かれることも無い魔女の呟き。

 うれしさも悲しさも微塵もなく、魔女はまた呟いた。

「おほしさま、ひとつ。もうひとつ」



[27333] 第三話「ここは私の街よ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/02 00:12
 夕暮れの迫る病院の白壁が、夕日に照らされてオレンジ色に染まっている。

 何をするでもなくさやかは、その光景を見つめていた。

 どうしてこんなところまで来ているのか。

 会う事も禁じられている自分は、こうして恭介のいる病室の見えるあたりを眺めるしかないのに。

「彼が心配かい、さやか」

「……キュゥべぇ」

 いつの間にか足元近くにいた白い生き物に視線を振り向け、ため息をつく。

「あたしがここに来たことは、マミさんやまどかにはないしょにしておいて」

「いいとも」

「ありがと」

 学校を出た辺りから、キュゥべぇはずっと自分の側にいた。

 邪魔にならないよう、適切な距離感を取って。話しかければ返事もするし、黙っていれば何も言ってこない。

 どうにもなら無い悩みを抱えながら、それを誰かに打ち明けられない現状。

 そんな時にべたべたと心配されたり、うるさいぐらいに話しかけられるのは願い下げだ。

 その点、この生き物はそういう部分を汲んで接してくれるように感じていた。

「聞きたいんだけどさ……魔法少女になるのって、時間が掛かる? 痛い? 苦しい?」

「願いからソウルジェムを生み出す作業はそれほど時間を要しない。

 痛みや苦しさがあるかと問われれば、多少はあると言えるね。

 ただ、耐えられないほどでは無いはずだよ」

「もし……いや、ごめん」

「今ここで、願いを叶えたいかい?」

 周囲を支配しつつある夕闇の中で、橙色の残照を受けて浮かび上がる白いシルエットは輝いて見えた。

 まるで自分の行く末を示唆する導のように。

「でも、マミさんは……願いを履き違えるなって」

「確かにマミの言うことは正しい。だけど」

 首を少しかしげ、キュゥべぇはさやかに問いかけた。

「それはあくまで、良く考えてみた方がいいという忠告だったはずだ。

 君の意思を束縛するものじゃない」

「忠告?」

「そうさ。それに彼女だって、新しい魔法少女の誕生を待っている。

 一緒に戦ってくれる仲間が欲しいはずさ」

 明るい声でそう語ると、キュウべぇは素早くこちらに近づき、さやかの肩に乗った。

「この前の魔女との戦いも君が魔法少女だったら、もう少し違ったものになっていただろうね」

「……そうかな」

「気にしているのかい? あの魔法少女のこと」

 スパイシーユイ、自分が魔法少女への道を進もうとすることを阻むもう一つの壁。

「確かに彼女は強い魔法少女だ。でも、同時にイレギュラーな存在でもある。

 あの暁美ほむらと同じでね。今後、どのように動いてくるかは分らない」

「それって、あんたやマミさんの敵になるってこと?」

「それも含めて分らないんだよ、さやか。そして、マミはそんな中、一人で戦っている」

 そうだ、彼女は必死にこの街で戦っている、自分はそれをずっと見てきたはずだ。

 正義の魔法少女の相棒として戦う、そのために必要な大義は結局のところ『誰かの役に立つ』と言うことだ。

 その『最初の誰かが』自分の大切な人であっていけないわけが、どこにある?

 そして、結局はその行動が巴マミを救うことにも繋がるのだ。

 自分の願いをはっきりさせた方がいいと、マミは言っていた。

 なら、その答えはもう出ているんじゃないのか?

 だが、盛り上がっていた気持ちは臨界を越える寸前で、かすかなためらいに引き戻された。

「ごめん。もうちょっと考えさせて」

「いいとも。マミも言っていたからね。女の子は急かしてはいけないって」

「なにそれ」

 真面目くさったキュゥべぇの発言に、さやかは久しぶりに笑っていた。

 いつの間にか、辺りは闇に包まれている。

 下限の月が浮かぶ空を見上げると、さやかは一度だけ病院の方を振り返り、キュウべぇと一緒にその場を後にした。


第三話「ここは私の街よ」


 結界の中に入るとマミはすぐに魔法少女の姿を取り、改めて周囲を見回した。

 青黒い闇のような背景、そこに幾つもの白い点が描かれている。

 それは暮れつつある空と、そこに輝く星々の絵だった。

 魔女の結界は、そこを支配するものの性質や行動傾向が色濃く反映される。

 その状況を観察し、マミは軽く思考をめぐらせた。

(星がコンセプトになっているということは、星座や星自体が使い魔として襲ってくる可能性があるわね。

 支配している魔女は……)

 そこまで考えて、彼女はそれ以上の想像をやめた。

 前回の時は、そうした予断が相手に対する油断を呼んだと言える。

 もちろん、原因はそれだけではないが、あえてそこから思考をそらしていく。

 そういえば、このところまどかやさやかを守りながら戦っていたせいか、一人で結界に入るのは久しぶりだ。

 その事に思い至り、胸の奥に黒くわだかまるものを感じる。

 いつまで、この孤独は続くんだろう。

 敵ばかりが増え、味方は一人もいない、自分は孤独で、たった一人で迷宮をさ迷い歩いていく。

「違うわ! 私は……私は一人でも戦えるの」

 嘘ばかり、声に出して言わなければ、そう思うことすら出来ないくせに。

 こみ上げる自傷の言葉をむりやり押さえつけ、心持ち足を速める。こんなところには一分だって長居したくは無い。

 ジェムに感じる災禍の中心はもう目の前だ、早く終わりにしよう。

 そして、結界の中心にたどり着いたマミは、声を失った。

 そこは巨大なドーム。果てしなく広がる満天の星空が投影されたプラネタリウムがあった。

 平らな地面には座席はなく、中央部分に独特の形をした投影機が設置されている。

 落ち着いて周囲を見回した彼女は、投影機に腰掛けて星を見上げていたそれに気が付いた。

 炎の魔女と形容してもいい姿。油絵の具で書かれた、うねるような炎をコラージュして人型にしたような存在。

 それはこちらを認め、案外緩やかな速度で地面に降り立った。

 前回のような油断はしない。そう心に決めて素早くマスケットを数十本召喚、一斉に砲火を浴びせた。

 いくつもの火線が魔女を刺し貫き、敵の体がきりきりと舞い踊る。

 大丈夫、勘も鈍っていないし恐れも無い、私は戦える。

 次のマスケットを召喚し、さらに攻撃を加える。

 魔女が踊り、一定の距離を保って円を描くように動きながらさらに撃つ。

 木偶人形のように踊り続ける魔女の姿を見て、ふと疑念が湧いた。

 この魔女、本当にこちらの攻撃が効いているの?

 気弱になるな、燃え盛るような姿は確かに銃撃を受けてひるんでいる。

 現にこうして自分が撃つたびにゆらゆらと揺らめいて。

(揺らめいて!?)

 その一撃が避けられたのは長い戦いの経験と、精神の苦痛を忘れるために戦闘に没頭していたためだろう。

 何の前触れもなく伸びた右腕がマミのいた場所を舐め、そこに猛火の柱が突き立った。

「ま、まさか」

 熱も光も感じない、絵画に描かれた炎のようだった。だから、思わなかったのだ、その性質が火と同じであると。

 自分の攻撃が効いていたのではない、単に威力に当てられて揺らめいていただけだ。風に火が煽られるように。

「こ、このぉっ!!」

 自分の目の前に壁のようにみっしりとマスケットを召喚、一気に魔女に叩きつける。
炎の体がロウソクのように吹き散らされ、砕け散った火の粉があっという間に自分の前で結集した。

「そんなっ」

 素早くしゃがんだ頭の上を炎の拳が突き抜けていく。

 帽子と羽飾りの一部が焦げ、きな臭い匂いが鼻をつく。

 大きく飛び退って距離を取りながら、マミは焦っていた。

 今までの魔女には無いタイプ、しかも自分の攻撃が一切通用していない。

 おそらく体内にあるグリーフシードを一撃で貫くことができれば決着は付くとは思うが、

 燃え盛る体のどこにそれがあるかも分らない。

 とにかく一気に吹き飛ばそう、両手をかざし大砲をイメージする。

「ティロ・フィナ……」

 魔力を収束させようとジェムに意識を集中するが、力が入らない。

 穢れが予想以上に貯まっている、一撃を作り出す余裕が無い。

 魔女がこちらと距離を詰めるべく突き進んでくる。

 屈辱と脱力感にマミの顔がゆがみ、同時にここから撤退すべく両足に力を込めた。

「下がれ! 巴マミ!」

 届いた声に溜めていたばねが一気に開放され、魔女との距離が大きく開く。

 その目の前を翠色の光に彩られた疾風が駆け抜けた。

 風船が弾けるような音を立てて魔女が吹き散れる。

 しかし、再び姿を結集させる魔女を視界の端に留めつつ、マミはそれを見た。

 翠の装束に身を包んだ魔法少女を。

「大丈夫か?」

「……あなたね。例のスパイシーユイというのは」

 油断なく構えながら、必死に膝が笑いそうになるのをこらえる。

 ジェムの穢れに気が付いたことで疲労感がどっと押し寄せてきていた。

 それでも努めて余裕のあるそぶりを作ろうとする。

「あなた、一体何者なの?」

「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ? とにかく協力してあの魔女を」

「お断りだわ」

「何っ!?」

 気色ばんだ彼女に向けて炎の魔女が拳を突き出す。

 一瞬の内に空高く舞い上がった翠の魔法少女がこちらを向いて怒鳴った。

「なに意地張ってんだ! こいつはあんた一人でやれるような相手じゃ」

「見くびらないでね。これでも私、この街でずっと一人で戦ってきたの」

 ポケットの中を探り、万が一のために持ってきておいたグリーフシードをジェムにかざす。

 これでもう、これは使えない、残っているのは。

「これは返すわ! 私には必要ないもの!」

「ば、っか! 何言ってんだ!?」

 投げ返された透明な魔女の卵をキャッチして、彼女がそのままこちらの間合いに飛び込んでくる。

「このところシード持ちの魔女を倒せて無いんだろ!? だったら」

「敵に塩を送られるなんて、私の趣味じゃないの」

「なに勘違いしてんだ! あたしは……っ!?」

 二人の言い争いを断ち切るように、二本の拳がそれぞれに向かって突き出される。

 燃え立つ地面を後に飛び上がるマミの下を翠の影が魔女の方へ駆け抜けていく。

「ジェイド・ストライク!」

 振り抜いた蹴りから衝撃が飛んで魔女を吹き散らさせる。

 だが、結局それ以上の効果は無く、再び再結合が果たされた。

 だが、魔女の足は止まった。その期を逃さず魔力を収束させ、一気に高める。

「巻き添えになりたくなかったらどきなさい!」

「げ、ちょっ……」

「ティロ・フィナーレっ!」

 最大級の威力を込めて撃ち放った一撃。

 砲火が魔女の全身を包み込み、その姿が煙の向こうへ消えていく。

「やった!」

「バカ、フラグ立てるな!」

 粉塵の向こうから突き出される炎の拳、必死に魔力を高めながらリボンを編み上げ壁として展開する。

 その守りを一瞬の内に炎が嘗め尽くし、一瞬遅れて鐘の音が結界内に響き渡った。

「っ!?」

「間一髪ってね」

 光で描かれた魔法陣が自分の体を守っている。

 自分の攻撃を完全に防がれたことを悟った魔女の体が、霧のように薄くなった。

「しまった!」

 魔女の気配が退き、結界は消失した。後に残されたのはマミと、真紅の衣装に身を包んだ魔法少女。 

 声もなく立ち尽くしていたマミは、ため息をついて闖入者をにらみつけた。

「何のつもりかは知らないけど、ここは私の街よ。余計な手出しはしないで」

「あたしは、あんたを助けるつもりで」

「それが余計なことだと言っているの。
 どこで私のことを知ったのかは知らないけど、キュゥべぇと敵対しているなら、

 私にとってもあなた達は敵だわ」
 
 こちらの宣言を聞き、彼女は顔をうつむけた。その仕草に妙な違和感を感じながら、相手の出方を覗う。

「あんたがキュゥべぇのことを友達だと思ってるのは分る。けど」

「それはあなた達が、きちんと契約というものを理解していなかったからでしょう?

 それを騙されたと言うのは、筋違いだわ」

 その発言に彼女がとったリアクションは、正直意外だった。

 ぽかんと口を開け、こちらを確かめるように見つめてきたのだ。

「何を、言ってるんだ?」

「魔女と戦うのは苦しくて当たり前。願いをかけた分、その定めを背負うのは当たり前。

 今更後悔するなんて、馬鹿げているわ」

「つまり、あたしがあいつを恨んでるのは、戦いの運命に自分を巻き込んだからだって、そう思ってるのか?」

「ええ」

 こちらの肯定に、彼女は文字通り硬直している。

 それほどおかしなことを言っただろうか、それとも自分に対するうまい返事でも考えているのだろうか。

「ちなみに聞くけど、それはあんたの考え?」

「え?」

 唐突に彼女はこちらにマスクに隠された顔を向けた。

 そこに映る自分の顔がかすかにうろたえているのが分る。

「それって、キュゥべぇに言われたから、そう判断してるんじゃないのか?」

「……あなたは、そうじゃないって言いたいの?」

 肩を竦めると、彼女は背中を向けた。

「待ちなさい! 話はまだ……」

「終わってるよ。あんたがキュゥべぇの話を鵜呑みにしている時点で、ね」

「私は鵜呑みになんか……」

「自分の頭で考えなよ、巴マミ」

 もう一度振り返った口元には、あざけりでも皮肉な笑いでもなく、口惜しそうな表情が宿っていた。

「真実ってのは一つじゃない。誰かに与えられた情報を妄信していたら、破滅だよ」

「自分はその真実とやらを知っているとでも言いたいの?」

「あたしはいつでも待ってる。気になるようだったら声を掛けてよ。

 どうせ魔女を狩るって目的は一緒なんだしね」

 軽やかな動きで彼女が去っていく。変身を解くと、マミはその場でうずくまった。

「一体、なんだっていうのよ……」

 言い知れない不安と敗北感を胸に、ふと視線を上げる。

 さっきまで彼女がいた地面に転がっていた、透明なグリーフシードが目に入った。

 バカにされてるのか、それとも、本当に何かあるのか。

 朴訥な暁美ほむらとは違う饒舌さ。しかし、結局は二人は全く同じことを言っているのだ。

 魔法少女と、キュゥべぇには何かがあると。

「本当に、なんなのよ」

 揺らぎそうになる自分を鼓舞して、それでも立ち上がる。

 拾い上げたグリーフシードの表面に映りこんだ彼女の顔は、抑えきれない感情を湛えて歪んでいた。



[27333] 第四話「たまには悪くないわね」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/03 15:27
 自動車の後部座席に体を預けながら、マミはうきうきとした気分で車窓を眺めていた。

 今日は待ちに待っていた長期休暇、そして始めての海外旅行。

 もちろん、気分が浮き立っているのはそれだけの理由ではない。

 長い間父親と不仲だった実家への、始めての里帰りがこの旅行の本当の目的。

 古い家柄で、その跡取りとして期待されていた父は、実家の反対を押し切って母と結した。

 物語で聞く分にはロマンがあるだろうが、そういった境涯にさらされる側には、

 文章に書かれる事の無い、厳しい現実が待ち受けることになる。

 高度な教育を受けており、普通に考えればどんな要職にでも就けるはずの父が、

 長い間母の内職と、慣れない肉体労働をすることで生活を支えていた裏には、

 陰湿で執拗な生活への妨害があったからだ。

 数年前に本家で新しい当主が決まり、父に対する締め付けも緩和された。

 ある遠戚からの取り成しもあり、ようやく今回の里帰りが実現することになったのだ。

 そのことをふと思い出し、マミは湧き上がった不安を口にした。

「……お父様は、家に帰るのはうれしい?」

「もちろん嬉しいよ。ずっと帰っていなかったからね」 

「でも……実家の人達は」

「あれは仕方が無いんだ。だって私が、自分の果たすべき責務を投げ出してしまったんだからね」

 ハンドルを握ったままの父の声は、変わらず落ち着いていた。

 それでも、少しだけ寂しそうな響きを感じるのは気のせいじゃないと思った。

「高貴な身分に生まれついたものは、その分だけの責務を負わなければならない。

銀のスプーンを咥えて生まれた者は、その重さに見合った対価を払わなければいけないのさ」

「でも! 自分ではそんな物いらないって、思っている人もいるでしょう?」

「それとは逆に、何も持たないどころか、生れ落ちることなく死んでしまう人だっているんだ。

 それを考えれば、私は十分に幸せだと思うよ」

 今なら分る。

 父はきっと、与えられた理不尽に理由をつけるために、自らを納得させるために言っていたのだと。

 それでも、その時の父は輝いて見えた。本当に高貴な宝石のように。

「覚えておきなさい、マミ。持てる者には持たざる者に対する義務がある。

 その力で彼らを助け、共に歩めるようにすることだ」

「助けて、共に歩む……」

「何もかも捨てて母さんとお前との生活を取った私だが、その精神だけは忘れてはいないつもりだよ」

 口にすれば陳腐な、偽善ともいえる言葉。それでもマミは父の言葉を胸に刻んだ。

 そして、彼の残した言葉は、自分の一人娘の未来に光と闇とを与えることになる。


第四話「たまには悪くないわね」


 その日もマミは一人で席を立った。

 クラスではそれなりに注目されているし、数人の女子生徒とは日常会話も普通にしている。

 それでも、昼休みに誰も一緒に食事をしたりする相手がいないのは、自分がやんわりと彼女達の誘いを断り続けているからだ。

 理由は色々あるが、結局は魔女退治の『邪魔』になるというのが大きい。

 親しい人間を作れば彼女達を巻き込むし、それに例え素養がある子を友達にしたところで、その先にある結果はたかが知れていた。

 だからこそ、まどかやさやかのように、無邪気でもいいから自分の言動に共感してくれる子を探していたのだが。

(もうやめよう。期待するだけ無駄だわ)

 魔法少女に勧誘して、しり込みされたことはこれが最初ではない。

 体験コースなんていう危険と隣合わせのイベントを用意したのも、彼女達の性格を見極めるためだ。

 さやかはともかく、まどかは心が優しすぎる。

 考えてみれば、素質があるからといって引き込んでしまって、心を壊すような結果になるのは嫌だった。

 私は私の信念に従って――

「巴先輩! お昼まだですよね!?」

 結構な大声に思わず膝の力が抜ける。目を白黒させて教室のドアに振り返ると、

 笑顔の香苗唯が、複雑な表情のさやか、済まなさそうに笑みを浮かべるまどか、

 そして仏頂面の暁美ほむらを従えて立っていた。

「あなた……一体」

「私達とご飯食べましょう!」

 何事と問うこちらの視線に、さやかは脱力して首を振り、まどかはなんとなくお願いするような表情、

 ほむらはすいっと目をそらしてしまう。

「悪いけど、私、は!?」

「さ、行きましょー!」

 がっしりと腕を掴まれそのまま引きずられてしまう。

 どうやら後ろの三人もこの手でやられたらしい。

「ちょ、っと、香苗さん!?」

「大丈夫です。ちゃんと先輩の分も用意してありますから!」

「そう言うことじゃなくて……ああ、もうっ」

 周囲からはばんばん好奇の視線が突き刺さる。

 ここで声を荒げて振りほどくことは出来るが、この状態で迂闊な事をすればクラスでの印象が悪くなってしまう。

「分ったわ。分ったから離して」

「すみません。無理聞いてもらって」

 そう言って笑う彼女の顔はとても楽しそうだ。

 何をたくらんでいるのかはなんとなく分るが、ここで何を言っても始まらないだろう。 

 何でこんなことに、そう思いながらマミは、彼女に従って屋上まで足を運んだ。

「はい、今日のお昼はこれでーす」

 黒塗りの重箱に詰められた茶色と、白と黒で彩られた二種類の俵型。

 いなり寿司とおにぎりが半面を、笹で出来た仕切りを挟んで残り半面を、煮物やから揚げなどのおかずが並んでいる。

「うわー、運動会のときのお弁当みたい!」

 そう言ってはしゃぐのはまどか。

「これ、全部あんたが作ったの?」

 気合の入った内容に軽く引きつつさやかが問いかける。

「おにぎりと重箱へつめたのは私。おかずは冷凍だったり作り置きだったりするけど、おかあさんの担当だよ」

 重箱とは別に小さなタッパーを取り出して、弁当持ちの二人へ差し出す唯。

「あ、りんごのうさぎ!」

「毎回こんなの作ってんの?」

「いつもは忙しいからって超手抜きだよ。二人はご飯があるから、こっちを食べてね」

 すっかり彼女のペースにはまり、いつの間にかマミは紙皿の上に載せられたおにぎりやらから揚げを手にしていた。

 とはいえ、ここで和やかに食事を取る気にはなれない。マミは相変わらずにこりともせずに座っているほむらを見やった。

「折角のお誘い悪いんだけど、私は失礼させてもらうわ」

「ま、マミさん!?」

 自分の視線を意味するところに気付いて、まどかが声に焦りを滲ませる。

 その意見を受けてさやかも腰を浮かした。

「あたしも、こんな不機嫌そうな奴の近くで暢気にランチなんて、勘弁だわ」

「さやかちゃん!」

「二人とも待って! 暁美さんは」

「あなたにとっては大切な友達かもしれないけれど」

 苦笑いを浮かべてマミは暇乞いを告げようとした。

「少し、待ってちょうだい」

「……なんだよ」

 それまで黙っていたほむらはさやかとこちらを見つめ、それから頭を下げた。

「うえっ!?」

「な、なによ、それは」

「私が気に入らないというなら、ここからいなくなるわ。

 だから、せめて香苗さんの作ってきた物だけは、食べていってあげて」

 思いも寄らない発言と行動に思わず去りかけた足が止まる。

 顔をうつむけた彼女の背後に、唯の姿がすっと近寄り、

「暁美さんのバカ!」

 ごっすり、という音と共に拳の下の部分を使った、いわゆる鉄槌が彼女の脳天に振り下ろされた。

「そういう発言は禁止だって言ったでしょ!」

「っつ、か、香苗さん、痛……」

「今日はみんなで仲良くお昼を食べる日です! 口答えは許しません!」

 もの言いたげな表情を浮かべ、それでも小声でほむらは、はいと肯った。

「ぷ……あ、あはははは、なにそれ! 全然頭上がんないでやんの! あははははは!」

 いつものすかした姿ではないほむらに、さやかが遠慮なく爆笑を浴びせる。

 まどかの方は笑っていいものか、痛そうな頭を心配していいものかと、おろおろしている。

 マミはといえば、そっとため息をついて腰を下ろしていた。

「分ったわ。そこまで言われて場を蹴ったりしたら、私達が悪役ですものね。

 香苗さんに免じて、ここは収めておくわ」

「……ま、あんたは気に入らないけど、友達のほうは」

「さやかちゃん!」

 意外にきついまどかの叱責に、さやかは改めて唯に頭を下げた。

「あー、その、教室来るたびにガン飛ばしてゴメン。あんたとは仲良くなれそうだね」

「ありがとう。出来れば暁美さんとも」

「それはパス。まぁ、いつもその殊勝な顔をしてれば、考えなくもないけどねー」

 複雑な顔をして口をつぐむほむらに、思わずみんなの笑いが重なる。

 取り皿を再び受けるとマミは食事を摂ろうとした。

『楽しそうだね。僕もご一緒してもいいかな?』

 思わず心臓が高鳴る。ちょうど唯のすぐ足元に、白い姿が顔を出していた。

 ほむらの視線が一瞬きつくなり、さやかやまどかですらその顔に微妙な忌避感を浮かべている。

『暁美ほむらが君達と一緒に食事を摂るという事態だ。これは和睦が成立した証と見ていいのかな?』

『……ごめんなさい。今回は席を外してもらえる?』

 悪いと思いながらも、マミはその意思を伝えていた。

 その後について、さやかも苦々しい気分を口にした。

『悪いんだけどさ。今は、ちょっとやめてくんないかな。あの子のためにも』

『彼女に魔法少女の素質はない。僕の存在はいわば空気のように感知されないはずだよ』

『その空気を読めって言ってんのよ。キュゥべぇ』

 彼と出会ってから始めて、マミは彼の存在をほんのわずかばかりだが、疎ましいと思った。

 時々、キュゥべぇはこういう場の雰囲気を無視した会話を展開するところがある。

 今回ばかりは、彼をここにいさせるわけには行かない。

『まぁ、しかたないね。それじゃ』

 こちらの意思を受け取ると、何の感慨もない言葉を残して白い姿が去っていく。

 ほむらがマミに向かってそっと目で礼をした。

『あなたのためじゃないわ。香苗さんのためよ』

『それでも、ありがとう』

『まさか、あなたにお礼を言われる日が来るなんてね』

 そう言いながら、マミは促されるままに空になった皿を手渡し、そこに新しい料理が盛り付けられていくのを見つめていた。

 不思議と心が落ち着いている。

 昨日まではあれほどざわついていたソウルジェムの感覚も、今は凪いだ海のように静かだ。

 かわいらしいおにぎりと、自分用に取り分けてもらったうさぎ型のりんごを眺め、マミはそっと微笑む。

「たまには悪くないわね。こういうのも」

「あ、もう少しいります?」

「そうじゃないわ。大丈夫よ」

 かいがいしく給仕に専念する唯を見つめる彼女の顔は、知らずの内に穏やかなものになっていた。


『ざまーみろだよあの害獣! もう最高!』

 帰り道のトムヤンはゴキゲンで、そのテンションの高さに流石に唯もほむらも苦笑するしかない。

「もういい加減にしよ? あんまりそんなこと言ってると悪い顔になっちゃうよ」

『まぁ、そう言うなよ。無敵のユイバリアーが白い害獣をシャットアウトした日なんだしさ』

「香苗さんを変な呼び方しないように」

『そして、ほむらはユイに怒られてマイナス十点と』

「それはともかく!」

 いじられるのが辛くなったのか、頬を染めつつほむらは、少し口調を重くした。

「あなた達が出会った魔女のことは、私も一切知らないわ」

「それって、もしかして私たちのせい?」

『だろうな。効率よく魔女を退治したせいで、見滝原に一時的な無菌状態が生まれてしまった。

 そして、そこに新しい魔女が入り込んだ』

 良かれと思ってやったことが事態を悪くする、正直唯にとってはあまり良いニュースではない。

 とはいえ、魔女を狩らなければ犠牲になる人は増える一方だ。

『気にするなよ。俺達には俺達にしか出来ないことがある。そしてそれを精一杯やるしかない!』

「無理をしたり気負うことは自らを危険にさらすわ。絶対に無茶はしないで」

『それを君が言うかなー、ほむらちゃん?』

 まぜっかえされて言葉を失うほむら、唯はペンダントを軽く指で弾いた。

「そういえばトムヤン、昨日まどかと接触したって本当?」

『ああ。ちょっとだけな。一応俺は「通りすがりの妖精」って言っといた。

 口止めもしといたけど、害獣の様子だと律儀に守ってくれたみたいだな』

「よ、妖精?」

 眉間に皺を寄せたほむらに唯も苦笑で合わせる。二人の間に流れる空気にトムヤンは声を荒げた。

『なんだよ二人とも! 俺が妖精って名乗っちゃおかしいか!?』

「だ、だって、トム君、妖精って感じじゃないんだもん」

「そうね。名乗られた妖精が怒り出すレベルね」

『くっ……お、俺のどこが妖精っぽくないんだよ!』

 顔を見合わせ、少女は唱和した。

「「全部?」」

『ハモんな! てか、二人とも俺をそう言う目で見てたのか!』

「だって、言葉づかい悪いしー」

「態度もかわいらしくない」

「この前なんていびきかいて寝てたし、おとうさんみたいに」

「品が良くないというか、神秘性のかけらも無いわね」

 きりきりと歯軋りをしたトビネズミは、やがてがっくりとした口調で返した。

『……そーだよ。どーせ俺はおともっぽくないですよー』

「と、トム君?」

『だいたい学校でもさー「あなたはおともとしての品格を身に付けましょう」とかって通知表に書かれるしさー、

 どうせ血の熱いネズミですよーだ。魔法少女のおともよりバトル物のモンスター枠がおにあいですよーだ』

 すっかりいじけてしまったトムヤンを何とか宥めすかし、ほむらと二人で家路をたどっていく。
 
 その日はなぜか、魔女も使い魔も騒ぐことが無かった。


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