2011年4月22日15時5分
ロシアの名匠ニキータ・ミハルコフ監督「戦火のナージャ」が公開中だ。第2次大戦の独ソ戦を舞台に、戦場の悲劇と絆を大きなスケールと臨場感で映像化した。日本の観客に今、伝えたいこととは。監督に聞いた。
スターリンによる大粛清時代を詩的に描いた「太陽に灼(や)かれて」の続編だ。東日本大震災に見舞われた中での日本公開となる。
「『悲劇に対する連帯性』を読み取ってもらえるだろう。津波は、自然を前にした人間の絶対的な『守られようの無さ』を示した。(映画が描く)1941年は、ナチスドイツを前にした『守られようの無さ』を映した」
監督自ら演じたコトフ大佐は粛清によって強制収容所にいた。爆撃による混乱で脱出し、懲罰部隊の兵士として、激戦の中で悲劇を目の当たりにする。監督の娘が演じる娘役ナージャは、従軍看護師として戦場におもむく。映画は、スターリンの命を受けた旧ソ連国家保安委員会(KGB)幹部が、時をさかのぼってコトフの消息をたどる形だ。
「トルストイは『歴史家の真実と芸術家の真実がある』と言い、承知の上で歴史の真実に反した。この映画もそうだ。懲罰部隊は42年になるまで存在しない。だが、激戦で両足を失った青年兵が目を開けたまま雪原で逝く場面など、あらゆる細部に芸術的真実が宿っている。生も死も、健康も病気も、愛も憎悪も、同時に表現しようと試みた」
リアリズムだけで戦争の真実は描けないのか。
「私が心を揺さぶられるのは生きた人間だ。陰惨な戦争の悲劇を背景にした具体的な人々の物語だ。一度も女性の乳房に口づけしたことのない瀕死(ひんし)の青年兵が、従軍看護師のナージャに胸を見せてと懇願する。地獄の中での、若い女性の裸と死にゆく青年兵。この描写こそ、多数の戦車や飛行機や大規模な戦闘シーンよりもはるかに力強い」
日本で望む反応は。
「KGBなどの実情や詳細は知らなくても、日本の観客には青年兵と女性の物語は受け入れられると思う。そこには人類の道徳律がある。映画を見に来てくれる人は、なぜ私がこの映画を作り、なぜこう撮ったかを理解してくれるだろう」と語った。(モスクワ=副島英樹)