騒ぎは何だったのか―。脱力感だけが残った。
菅内閣に対する不信任決議案は2日、衆院本会議で否決された。永田町を舞台にした国民不在の政局ショーは物語もメッセージもないまま、あっけなく幕引きした。
大震災に襲われた東北でいまも避難生活を送る約10万人の被災者は片付かないがれきを前に疎外感を深めたに違いない。被災地だけでなくこの政治に生活を委ねる私たちも憤りを共有する。
政治はなお混迷する。
菅直人首相が、被災地の復旧、復興、原発事故に「一定のめど」が付けば退陣する意向を明言したことで、党内の造反の動きに歯止めを掛けただろうが、小沢一郎元代表らの不満はなお根強い。首相の求心力は一層弱まる。
ねじれ国会で野党は攻勢を強めるはずだが、復興や原発事故への対応をめぐる非難合戦にはうんざりだ。復興の理念や具体的なビジョンを各党が出し合うような骨太の審議を求めたい。
こんな状況では被災地の人々が明日を思い描けないではないか。
もちろん不信任決議案の否決が菅政権への信任とイコールではない。
首相は、震災発生後の被災者支援の遅れや原発事故の初期対応、事故情報の「隠蔽(いんぺい)」を非難された。谷垣禎一総裁に電話で内閣入りを打診する突拍子な行動に走ったり、震災関連組織をいくつも立ち上げてたものの結果を出せないでいる。
このタイミングで不信任決議案を出した野党への批判は強いが、菅内閣にも非はある。もっと謙虚に野党と調整できなかったのか。
国会を22日の会期通りに閉会し野党攻撃を封じようとしたが、党内の反発が強まると造反を抑えるため大幅な会期延長を決めた。政局を意識した場当たり的な対応は反発を招くばかりだ。
菅首相が復興、原発事故対応の「一定のめど」付けを退陣時期としたのはあいまいだ。さっそく党内で解釈の食い違いが表面化し、混乱の火種になりそうだ。野党と協力する環境を築くためにも退陣の時期を明示すべきだ。
鳩山由紀夫前首相が民主党代議士会で発言したように、復興基本法案を成立させ、必要な補正予算を編成したときがそのタイミングだろう。
被災地の事情を考えればいたずらに時間を掛けるわけにはいかない。早期退陣を前提に野党から最大限の協力を引き出せばいい。
菅内閣に不安を抱くのは選挙公約でスローガンのように打ち上げた「政治主導」がすっかり色あせたことだ。鳩山氏と小沢氏が最も批判するポイントだ。
被災地の復興を陣頭指揮する「復興庁」の設定をめぐり、菅首相の弱さが露呈した。当初、政府は同庁設置に消極的だったが、公明党の求めに応じて復興基本法に「1年以内に設置」を明記したほか、復興策の企画立案に加え「実施の権限」を同庁に持たせるよう自民党が主張し、政府が譲歩した。
現場主導が効果的であるのは立証済みだ。2004年12月のスマトラ沖地震による巨大津波で約16万人が犠牲になったインドネシア・アチェ州では、政府が被災地に強力な権限を持つ復興庁を設置、担当大臣を張り付けた。その復興は「大成功」(世界銀行)と評価されている。
権限を移すことに後ろ向きなのは、内閣が官僚システムに絡め取られていることの表れだろう。菅首相がどれほどテレビの前で意気込みを語ってみても、内実が伴わなければ言葉が無意味になる。
この状態を国際社会はどう見ているだろうか。海外からの支援に対する返答が、原発事故情報の公表遅れ、放射能汚染の放出、加えて今回の政局騒動では日本の信頼は地に落ちる。
これでは普天間問題を含め外交もままならない。
政治の質が上がらなければ国民が流浪する。