希代の法盗人、池田大作
池田大作、並びに創価学会は、既に今日まで、宗門の根本命脈たる血脈を否定してきた。そして今回、大謗法の『ニセ本尊』を作製したことは、学会が日蓮大聖人の仏法から完全にかけ離れた、新興邪教『池田教』となったことを意味する。
なぜならば、日蓮正宗の信徒が、受持し奉るところの御本尊は、日蓮正宗の御法主上人が、本門戒壇の大御本尊の御内証を御書写遊ばされたところの御本尊にまします。故に、御法主上人に流れ通うところの、法体の血脈を信ずる信心の血脈が断絶したときは、本門戒壇の大御本尊の功徳も断絶し、流れ通わないことは当然である。すなわち、今回の創価学会の所為は、本門戒壇の大御本尊との決別以外の何物でもないのである。
日蓮大聖人は真言宗に対し、天台の一念三千の玉を盗んだ宗と、厳しく指弾されたが、さしずめ、池田大作・創価学会こそ、日蓮大聖人の仏法を壊乱(えらん)し、奪わんとする平成の法盗人といわねばなるまい。従来の創価学会員には、日蓮正宗信徒としての立場だけはかろうじて存在していた。しかし今回の『ニセ本尊』配布という学会の行為は、哀れな会員に対し、日蓮大聖人の仏法から完全に退転させ、あくまでも池田大作と創価外道に隷属することを強いる、無慈悲極まりない踏み絵というべきであろう。
創価学会に籍をおく日蓮正宗信徒は、最後に、ここで、もう一度、よく考えるべきである。創価学会の『ニセ本尊』という大謗法の川は、一度越えたなら、永く悪道に沈んで帰ることのできない、恐るべき三途の川であることを。
いまや創価学会は、身延と同じ、いや身延以上の師敵対の邪教である。御本尊は品物ではない。故に魔がその功徳を盗もうとしても、けっして盗めるものではない。創価学会の『ニセ本尊』に、功徳利益のないことは、道理、文証の上に明らかなのである。またさらには、現今の災難興起の現証の面からもそれが証明されよう。
永く歴史にとどめなければならないことは、池田大作のスピーチが、雲仙・普賢岳の噴火をもたらしたことである。すなわち、平成二年十一月十六日本部幹部会において池田大作は、あの不遜極まりないスピーチをもって、日蓮正宗の御法主上人を誹謗した。しかるに、その翌日、十一月十七日に、雲仙の普賢岳が噴火を開始したのである。それは、翌年のあの悲惨な大噴火の不気味なプロロークであった。これは偶然の一致であろうか。否、仏法に偶然はない。池田大作と創価学会が活動すればするほど、世界に災難が起き、経済が不況となり、人々が不幸になるのである。その根本の原因こそ、日蓮大聖人の仏法を正しく伝える、日蓮正宗に敵対する大謗法の故であることに、今こそ気づかねばならないのである。
創価学会は、新規会員並びに分世帯を希望する者のみに、今回の『ニセ本尊』を授与する等と必死に説明しているようであるが、実際は、そうとはいえない状態にあるようだ。 |