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「一貫論語塾」~論語に学ぶ経営学~
東京商工会議所女性会経営セミナーに参加いたします。
我が師とも仰ぐ伊與田覺先生による「一貫論語塾」~論語に学ぶ経営学~「子曰く、故きを温ねて新しきを知る、以って師と為るべし。子曰く、君子は器ならず。」と題されたこのセミナー、今からとても楽しみにしております。
伊與田覺先生 略歴:
大正5年高知県生まれ。学生時代から安岡正篤氏に師事。昭和15年青少年の学塾有源舎発足。21年太平思想研究所を設立。28年大学生の精神道場有源学院を創立。32年関西師友協会設立に参与し、理事・事務局長に就任。その教学道場として44年には財団法人成人教学研修所の設立に携わり、常務理事、所長に就任。62年論語普及会を設立し、学監として論語精神の昂揚に尽力する。第1回は震災の影響などで中止となりましたが、今回は第2回目、6月18口(土)に開催。心を引き締めて聴講させていただきます。
三鷹の森ジブリ美術館・井の頭自然文化園合同視察会および交流会
6月8日、東京・武蔵野・町田商工会議所女性会共催事業「三鷹の森ジブリ美術館・井の頭自然文化園合同視察会および交流会」の出席させていただきます。武蔵野の豊かな森と水の残る井の頭恩賜公園。自然環境に恵まれたこの公園内にある文化施設の視察、さまざまなアニメ事業の企画展示を行っている「三鷹の森ジプリ美術館(三鷹市立アニメーション美術館)」、長崎平和祈念像の作者として知られる北村西望氏の作品を展示する彫刻園やゾウのはな子さんで有名な「井の頭自然文化園」を訪れます。こちらも、今から楽しみです。
中国 安陽の旅
先月、お話いたしました中国・安陽の旅に24日~27日の日程にて行って参りました。殷墟博物園(地下博物館、車馬坑、甲骨文字碑廊、婦好墓)、王陵区、安陽周易研究会、易園、美里城(周文王演易所)、紂王墓などを訪ねました。
24日羽田空港を出発、北京より車で約6時間ほどで安陽に到着、当日夜は安陽市政府秘書長、外事弁公室のお招きによる晩餐会。
翌25日は、安陽市内施設見学、殷墟博物苑(地下博物館、車馬坑、甲骨文字碑廊、婦好墓など)、王陵区を訪ね、殷時代より発掘された様々な考古物を見学させていただきました。発掘物の中では特に古代、卜占に用いたとされる甲骨に書かれた文字に興味を持ちました。その中で、一部、自分でも解読できる文字を発見し、嬉しく思いました。また、昨年6月に第十三回世界易経大会に出席させていただいたご縁もあり、安陽周易研究会の方々と歓談させていただきました。そこでびっくりいたしましたのは、なんと、私を安陽周易研究会顧問にご推挙いただいたこと、今後も、周易を研究する者の一人として身の引き締まる思いがいたしました。晩餐は、安陽市政府の党政総合楼宴会庁で張笑東市長、張曼如副市長と会見の後、中国文字博物館、殷墟博物館の指導者などとご一緒させていただきました。
26日は、美里城(周文王演易所)、淇県比幹廟(古朝歌)、射王墓などを見学させていただき、翌27日帰国いたしました。
今回の安陽市訪問では、周易にかかわる様々な遺物を拝見し、又、中国の易研究の専門家の方々と意見交換ができたこと、書籍だけでは理解しえない、易の奥深さに触れた思いがし、とても勉強になった旅でした。現在進行中の周易解説執筆を、なんとしてもやり遂げねばと決意を新たにした次第です。
手をつなごう女性の絆 東日本大震災復興支援特別講演会
5月26日、東京商工会議所にて「手をつなごう女性の絆 東日本大震災復興支援特別講演会」に出席いたします。福島渠双葉町商工会の女性部部長 吉田様をお招きし、「福島第一原発が立地する福島渠双葉町商工会の女性部部長が語る」と題して、被災地の状況と今、本当に必要な支援とはを、お聞きします。首都圏へ電力を供給するために作られた福島原発、今回の事故被災者の方の生の声をお聞きすることによって、その首都圏に住む私達に何ができるかを考え、実行していきたいと思っています。
香川・徳島の旅
東北関東大震災において、被災した方々にお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
平成23年度版「神宮館 象英暦」の中で「2011年を占う-巨大災害発生の周期 人的手段で被害を最小限に 近年は巨大災害の周期。地震による津波や竜巻の異常発生はそれが顕著に見られる例えであります。」と書かせていただきました。現実にならねばと危惧しておりましたが、まさか、これほどのことになろうとは・・・。残念でなりません。
さて、香川県高松商工会議所女性会50周年事業出席のため、3月4日~7日まで、香川・徳島の旅に行って参りました。4日は女性会50周年事業に出席し、翌5日からは久しぶりの四国旅行を楽しみました。徳島に入り、四国に来ては、鳴門の渦潮を見ぜずでは帰れずということで、観光汽船乗り場へ行くと、当日は偶然にも渦潮出現に絶好の大潮の日、さらに「渦潮祭」「渦開き」神事を行う観潮船に乗船、「渦開き」のためのくす玉を引く役を仰せつかり乗船。出航後ほどなくして、鳴門門橋にかかろうとしたとき、眼前に見事な渦潮を発見、さっそくデジカメでパチリ、大満足の一日となりました。
6日は、香川県に戻り金刀比羅宮を参拝いたしました。なんと1368段もある階段をあえぎながら登り終え。神殿にて参拝させて頂いたときの気持ちは晴れやかそのもの、と同時に、自分の健康にも少し自信が持てた次第、すばらしい経験をさせていただきました。
中国 安陽訪問
4月24日~27日、中国・安陽の旅に行って参ります。今回は殷墟博物園(地下博物館、車馬坑、甲骨文字碑廊、婦好墓)、王陵区、安陽周易研究会、易園、美里城(周文王演易所)、紂王墓などを訪ねて参ります。現在、周易に取り組んでいる私にとりましてとても興味ある旅となると思っております。旅のご報告は後日に。
忙中 閑あり 沖縄旅行
『安岡正篤 一日一言』に、
忙中閑有り
 忙中に掴んだものこそ本物の閑である。
苦中楽有り
 苦中に掴んだ楽こそ本当の楽である。
という言葉があります。
普段、執筆、鑑定、講演、また団体役員としてのお仕事など、閑というべき閑はなかなか見つけることができません。時には、まるでのび切ったゴムのようになっている自分を発見して愕然とすることがあります。
今回は、「忙中閑有り」にならい、思い切って自分のための沖縄旅行に行ってまいりました。
2月26日に東京を発ち28日まで沖縄で過ごしました。朝目覚めて、およそ1時間半の砂浜散歩、気温はなんと26度、とても清々しい毎日でした。朝食が終わって一時を憩い、持参した伊與田 覺先生の「安岡正篤先生からの手紙―師は弟子に何を伝えたか」や、今井彰さんの「ゆれるあなたに贈る言葉」を読む時間、私にとっては、久しぶりの充実した日々となりました。
宿泊したザ・ブセナテラスのレストランから見た夕日、とても素晴らしいものでした。ちょっと面白かったのは、水族館で見た熱帯魚、水槽前で私がどう動いても、魚の目が私を見ているので、ちょっとびっくりいたしました。帰京の日に空港の琉球村でいただいたソーキそばのおいしかったこと、食いしん坊の私には、今回の骨休め旅行では一番、印象に残りました。
象英会 新年講演・親睦会
2011年1月30日、今年で18回目となりました象英会 新年講演.親睦会が東京有楽町 東京會舘で120余名のご参加により開催されました。
親睦会に先立って講演会では『説文によれば「辛」は「秋時萬物成」「干上為辛」とあり、五行では西にあたる。意味は“季節は今正に秋。万物が実って貌をなして後収穫された”“その為辛は冒され傷付く”となります。従って昨年の、自然の植物は全て実を成す「庚」の意義と働きをそのまま引き受けて後、種の保存と繁栄に向けた変貌を遂げる時期に入ります。
政局も収縮、殺滅を繰り返し思わぬ動き(変貌)があるかも知れません。それは前例にない内向的な動き。辛酸をなめる改革期にあるため、景気低迷の流れが更に加速すること。 政治政党の流れが大きく変わる暗示。』
卯年や七赤金気性年の傾向として『1:集中豪雨と寒暖差の異常気象は続く。とくに北関東、中部四国地域から九州では瀬戸内海側に多く見られる。 日照被害は農作物の生育にも影響する。 2:地殻異常の群発小地震と異常発生的な動植物。陥没事故や地盤沈下事故。竜巻や強風被害、水害、太陽の熱射による被害、感染病などは動物全体に及ぶ。 3:政治家、財界を巻き込んだ隠蔽事件。問題多発で揺れる中央官庁政治。教育問題や新法改定に関する異論反論続出。中国、アジア、アメリカ経済も更なる激変あり。』
さらに今年のキーワードとして『開発の道 &自然の恩恵』が示され、続いて一白から九紫までの各気性の本年の運気に関し説明がありました。

講演の後は、昼食を兼ねての懇親会に移り、津軽三味線の高橋竹童氏による演奏、恒例のハズレなし福引会などがおこなわれ、和やかな雰囲気の中お開きとなりました。
講演
東京三鷹ロータリークラブ-卓話
日時:2011年2月8日 13:00~
於:三鷹産業プラザ
テーマ:2011年をを占う

異業種交流「志翔会」講演
日時:2011年2月9日 18:30~
於関西大学東京センターにて
テーマ:「暦学に見る辛卯の年」
*志翔会 - パソナソーシングの野村社長が主宰されている会、毎月1回、いろいろなテーマで、勉強会、懇親会が行われており、各業界で活躍されている経営者の皆様で構成されています。
年頭ご挨拶
年頭ご挨拶

新年 あけましてお芽出とう御座います。
平成23年(2011年)は辛卯・七赤金気性の星回りとなります。
「辛」は"辛い"に象徴されるように革命の意味があり、「卯」は"茆"の辞で見難い環境を手探りで開く意味があります。才知や経験から生れた胆識すらも邪心によって混迷する七赤年は、政治政党を判断する物差しが変わり、指導者の信念や面子の軽重が問われる。諸外国でも歴史に残る革命の起り易い周期に入ります。
易の文言伝に「敬を以って内を直くす」とありますが、如何にも私達は、己れ以外の全ての総てに対し、「敬」をもって接することによって、始めて誠の人たり得るのではないでしょうか。天地自然の恩寵に感謝し、民族を問う前に家族の安寧を切に願いたいものです。

平成二十三年 辛卯 七赤金気性
元旦 
記:井上象英
周易解説執筆について
私が神宮館高島暦を執筆させていただいていることは、すでにご存知かと思います。執筆にあたっては、暦学、気学、風水学、姓名学、墓相学など、それらを総合した観象学の知見をもって行っています。時運占断では、これらの学に加えて立筮による占断を行っています。立筮によって得られた卦は易辞にその原意を求めます。
易とは易経であり周の時代に完成したものです。義理をその原意とする経典であると同時に、易辞は時代や世相、経済社会、自然と幅広く拡大解釈が出来るものです。一方、その周易については学問的な研究書がほとんであり、実践的な書は非常に少ないのが現実です。こうした状況を鑑み、平成23年以降、観象学の集大成の一環として、また、井上象英のライフワークの一環として周易という大著に取り組み、より実践的な解説書を著していきたいと思っています。
稿了がいつになるかまだわかりませんが、遠からず皆様のお手元にお届けする日があることを念じています。
観象学:井上象英
九州の旅-天の岩戸神社・天河原神社・高千穂峡・阿蘇山
天の岩戸神社禊祓所
天の岩戸神社
天安河原神社
高千穂峡
阿蘇山
阿蘇草千里ヶ浜
十月十七日、九州、天岩戸神社、天安河原神社、高千穂峡、阿蘇山を訪ねてまいりました。
天岩戸神社は、皆様がよくご存知の通り、宮崎県西臼杵郡高千穂町にございます。岩戸川を挟んで東本宮と西本宮があり、西本宮は本殿を持たず「天岩戸」という岩窟を神体としており、 記紀に記されました天岩屋であると伝えられています。ご祭神は、大日孁尊(おおひるめのみこと)(西本宮)、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)(東本宮)でございます。どちらも天照大神のことです。東本宮本殿は桁行3間梁間2間の神明造となっています。
天安河原(あまのやすかわら)は、西本宮から岩戸川を500mほど遡った所にございます。天照大神が岩戸隠れの際に八百万の神々が集まって相談したところと伝えられています。河原の中央部にある仰慕窟(ぎょうぼがいわや)と呼ばれる洞窟に天安河原宮があり、思兼神(おもいかねのかみ)を主祭神として八百萬神が祀られています。思兼神は、天岩戸に引きこもった天照大御神をお誘い出す知恵を出したとされ、知恵の神様とされており、日本の神さま 十二のおひとりとされています。
高千穂峡は、宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井にある五ヶ瀬川にかかる峡谷です。国の名勝、天然記念物に指定されております。様々な神話伝承の場所がございますが、特に真名井の滝(まないのたき)は有名で、高千穂峡の川幅が狭まった部分に水が流れ落ちて、その美しさから日本の滝百選の一つになっております。この滝は、記紀神話によれば天村雲命(あめのむらくものみこと)という神様が天孫降臨の際に、この地に水がなかったので水種を移し、これが天真名井として湧水となり、滝となって流れ落ちたいわれています。今回は天気にも恵まれ、落ちる水が陽光でキラキラと輝き、まさに神話の地としてのその美しい姿に大きな感銘を受けました。
続いて阿蘇山をたずねました。阿蘇山は世界でも有数の大型カルデラと雄大な外輪山があり、今回は火口をのぞき込めるところまで行くことができ、その雄大なスケールに、自然の業が到底人の力が及ぶところではないことをあらためて実感いたしました。阿蘇草千里ヶ浜では、ちょうどコスモスの花が満開で、普段の忙しさを忘れられる素敵な時間を過ごすことができました。
皆様も、どうぞ、日本人の心の故郷であり、歴史の故郷でもございます、九州高千穂に足を運ばれてはいかがでしょうか。
有源招魂社平成二十二年度先哲祭例大祭
九月二十日、大阪市北区にございます四条畷神社有源招魂社神社会館にて催行されました有源招魂社平成二十二年度先哲祭例大祭に参加させていただきました。 講演に先立ち、祭典四条畷神社神官により祭行、講演ではは「聖徳太子」の御霊をお祭りし、太子の御神徳を仰ぎ、時節柄永遠の垂敎を心に刻む、論語普及会理事・竹中栄二氏による『聖徳太子の人物と学問』及び、論語普及会学監・伊與田覺氏による『十七條憲法と論語』を拝聴いたしました。ともに聖徳太子の学識の深さ、お人柄に感銘をうけました。
伊勢神宮参拝
九月二十三日、鳥羽国際ホテルにて伊崎寺ご住職上原行照様と合流し、二見ケ浦の興玉神社を参拝いたしました。二見興玉神社とは、古来、伊勢神宮に参拝する者が、その前に二見浦で禊を行うのが慣わしであり、それに代わるものとして、二見興玉神社で無垢塩祓いを受けるところでございます。神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持ち行事への参加者は浜参宮を行うものとされております。
翌、24日、早朝より伊勢神宮への正式参拝をいたしました。神宮では、神宮司廳の元神宮禰宜、神原祐司様のご案内を頂き、垣根内鳥居の内宮にて参拝、また、お神楽も奉納させていただきました。写真にございますのは、神原祐司様、伊勢神宮の神鶏です。25日は赤山本宮にて例大祭、釜鳴り神事を執行いたしました。
伊崎寺 棹飛び
本年も昨年に続き、8月1日、JR近江八幡駅の北約9.2km、滋賀県近江八幡市白王町の伊崎寺(上原行照住職)の「伊崎の棹飛び」に行ってまいりました。
「伊崎の棹飛び」は比叡山延暦寺で百日回峰を勤められた行者の方々が、洗除無垢の浄身修行として、琵琶湖に突き出した高さ約 13メートルの棹から7メートル下の湖面に飛び込む行事です。
竿とび行事は、諸説ありますが、約1200年前の平安時代のころ、この寺の修行僧が湖上を行きかう漁民たちに喜捨を乞うため琵琶湖に空鉢を投げ、湖中に飛びこんで空鉢を拾いあげた、という故事に基づくと言われております。
伊崎寺は貞観年間(859~87年)に開山と伝わっており、比叡山延暦寺の末寺で修行道場でもあります。当日は、千日会としまして大般若転読会、棹飛び、護摩供法要が催されました。
今回は、海上より行者の皆様が湖面に飛び込む姿を直接拝見させていただく機会を得、この行事に身近に触れることができましたこと、とても感謝をしております。伊崎寺では堂修復が終わっておらず住職であられます上原行照様は未だ、仮住まいとのこと、今後、同寺参堂整備や堂修復など、微力ながら努めさせていただきたいと思っております。
第十三回世界易経大会出席
準備会議にて
本会議にて
国際易経学会会長
成中英氏と
中国政府招聘状
6月14日~18日、中国政府招聘により、中国江蘇省無錫にて開催されました、第十三回世界易経大会に出席して参りました。世界易経大会は、27年前に中国政府の指導の下に発足し、世界18ヶ国から、「易経」「東洋哲学」専門の学者、研究者を招聘する専門家会議です。1997年から、二年に一度、相前後してマレーシア、シンガポール、マカオ、台湾、安陽、南京、ハルビンなどで過去計12回開催されています。
この会議では、今日まで日本への召集はなく、今回初めて日本人の専門家として参加させていただく象英に、日本における易経を講述せよとのお話がありましたので、「臨床&実践易学」の事例という形で八千字程に講述資料をまとめ、大会にて発表させていただきました。講述終了後は、多数の方よりご質問をいただきました。特に、出席されたほとんどの方は易経を学術研究の対象として扱っており、易経本来の目的である実践として扱うことがなかった点から、実際に象英が観象学、神宮館などにより実践的に応用していることについての大きな反響をいただきました。
講述の内容としては、自然科学的「易経」管見~蘇る東洋の叡智と題して、
1.易と東洋思想
2.易と孔子
3.易の示す道
4.日本における易
を序論として展開、本論としては、実践易経の結果として、私がその著作を担当させていただいております、高島易断本部編纂高島暦2010年版における時運占断をもとにし、国運、株価動向、社会情勢、政治予断、日本経済、農水産について講述させていただきました。これらの占断は実際に2008年の末の行ったことであり、本年の様々な状況を予測し得た点について大きな反響をいただきました。
尚、 今大会への出席及び発表の機会は、孔子七十七代、孔健(孔祥林)様のご好意によるものであり、この場を 借りましてあらためて厚く御礼申し上げます。
伊勢・京都・奈良の旅
伊勢神宮
五十鈴川 御手洗
唐招提寺舎利堂
東大寺別当 北河原公敬様と
銀閣寺
京都 八瀬ホテル前にて
5月28日~30日、3日間にわたり伊勢・京都・奈良の旅に行って参りました。
初日は、毎回訪れるたびに厳粛かつ敬虔な心持にさせていただいております伊勢神宮を参拝せせていただきました。素晴らしい天候に恵まれ、伊勢のお社を囲む新緑の森を楽しみながら参道を歩き、五十鈴川のほとりにございます御手洗で身を清め、清々しい心で神宮を参拝させていただきました。
伊勢神宮は、皆様も何度か参拝されていると思いますが、伊勢宇治の五十鈴川上にご鎮座されます皇大神宮(内宮)と、伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮(外宮)及び別宮など125社神社の総称でございます。御祭神として外宮には豊受大御神様、内宮には天照大御神様が祀られております。いわば、日本人の心の拠り所と云うべき神聖なところでございます。皆様もぜひ、お出かけなされますよう。
2日目は奈良遷都1300年祭に参りました。まず、唐招提寺を訪ねました。唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。開祖とされる鑑真大和上は天宝元年(742)に遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡、普照により朝廷の「伝戒の師」としての招請を受けました。渡航海は困難を極め、12年の間に5回の渡航を試みましたが悪天候のため失敗、その間、視力を失う困難の中、天平勝宝5年(753)、6回目にして遂に日本の地を踏みました。その後、76歳までの10年間のうち、5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされ天皇を始めとする多くの人々に授戒をされました。唐招提寺は鑑真大和上の仏教を日本になんとしても伝えんとする尊いお気持ちの結晶です。奈良遷都1300年祭の主会場である平城京跡では古の都の賑わいが時を超えて聞こえてくるような、そんな心持の中、会場を巡りました。
また、東大寺別当の北河原様をお訪ねしたところ、お忙しい中、平城京の大極殿をご案内頂きました。あらためて御礼申し上げます。
最終日は京都を散策し、毎月、赤山禅院へ無料鑑定として行っておりますが、なかなか参る機会を持てなかった銀閣寺を訪ねました。
今回は他に所要もなく、たっぷりと伊勢・奈良・京都の名刹を見学させていただき、私にとって、とても感慨深い旅となりました。
台湾 孔子廟
先日、台湾の孔子廟に行って参りました。

毎年9月28日は孔子の生誕祭で、国はこの人を「教師節」に定めており学校は休校となります。
廟では盛大に釈奠禮が執り行われます。

孔子廟の東南には「黌門」と「泮宮門」とがあり、この門をくぐることで学問を志ざす決意の強さを表します。
門の屋根の中央には旭日、左右には一対の鳳凰の飾りがとても美しく輝いていました。
また本殿となる大成殿の中央には「至聖先師」と書かれた位牌が祭られ、その両側には孔子が最も愛した弟子であった四配(顔子、曽子、子思、孟子)と十二哲が祭られています。
今年の奉祀官は七十九代目の孔垂長先生ですが、その孔子家は第八十代となられる孔佑仁ちゃんのご成長を待ち連綿と受け継がれていきます。

来月は、平城京及び奈良東大寺の遷都1300年祭に行ってまいります。
また報告させて頂きます。
 
中国仏教寺院の旅
少林寺
大慈恩寺
高僧名を記した碑文
天台山国清寺
五百羅漢
智者大師智顗の墓所
中国仏教寺院の旅へ行ってまいりました。3月19日に日本を発ち23日帰国の短い旅でございましたが、各所で驚き、発見、感動の旅となりました。以下、ご紹介させていただきます。
19日、北京に到着、すぐに鄭州少林寺に移動、夕食においしい地方料理を堪能し翌日からの行程に備えました。
20日、早速、少林寺を見学。正式名は嵩山少林寺(すうざん しょうりんじ)と云い、河南省鄭州市登封、中岳嵩山少室山の北の麓にあります。日本でもよく知られた達磨和尚がインドからこの地に赴き禅を伝えたとされています。また少林寺は少林武術の中心地としても世界的に知られたところです。3万人を超える少林寺学院の生徒達は全て寮で暮らし、その技を磨くと同時に、学問に励んでいるとのことです。
少林寺の見学の後、新幹線で西安に移動、長安三大訳場のひとつとして有名な大興善寺と玄奘三蔵法師が仏典を翻訳したとされる大慈恩寺を訪ねました。
大興善寺は、西晋時代に建立された密教寺院で、多くのインド渡来僧がこの寺に逗留し、中国に密教を伝えたとされています。現在は、日本の真言宗と密接な親交があり、日本にもとても縁の深いお寺です。中院には日本の空海同志会から寄贈された平安地蔵菩薩が立っています。
大慈恩寺は、日本では西遊記で三蔵法師として知られる玄奘がインドの仏典を中国語に訳したお寺としてよく知られています。因みに、その一例として般若心経も彼が翻訳したものとされています。法事などでよく読経される般若心経を思えば、とても私たち生活に深いつながりを持っているお寺と云えます。
翌21日は中国歴代有名書道家の石碑を保存している西安碑林博物館を見学、ささやかながらも書に親しむ私にとっては大変勉強になりました。また、兵馬俑博物館を訪ねました。
3月22日、今回の中国訪問の主目的である天台山国清寺、智者塔院、高明寺を訪ねました。天台山は、紫微宮と云う北極星を中心にした星座にある三台星宿に応ずる環境、と云うことで天台と名づけられました。国清寺は、中国天台宗の開祖、天台智者大師、智顗ゆかりの地であり、私にとっても、とても深いご縁のあります日本の天台宗の総本山、比叡山延暦寺と深いつながりを持ったお寺です。国清寺は日本の天台宗の開祖、最澄を始め、円載、円珍、成尋、栄西、道元などが学んだお寺です。二千年前の先人達と同じ峰に立ち、変わらぬ自然の美しさと、その恵みにふれ、胸が熱くなりました。
日本天台宗改宗とされる最澄は、みずから天台山に赴いて典籍を求め、より深く天台教学を学びたいと考え、延暦23年(804)、還学生(げんがくしょう)として中国に渡りました。このとき4隻で構成された遣唐使船のうち、中国に無事たどり着いたのは2隻だけでした。到着した2隻のうちの別の船には、後に真言宗を開いた空海が乗っていました。最澄は天台山に赴き、修禅寺の道邃(どうずい)・仏隴寺の行満に天台教学を学びました。その後禅林寺の翛然(しゅくねん)より禅の教えを受け、帰国前には越州龍興寺で順暁阿闍梨から密教の伝法を受け、このようにして多くの経典や法具を携えて帰国しました。帰国した最澄は天台山で学んだ「法華経」に基づいた「すべての人が仏に成れる」という天台の教えを広めるために、天台法華円宗の設立許可を願い出、延暦25年(806)、華厳宗・律宗・三論宗(成実宗含む)・法相宗(倶舎宗含む)に天台宗を加えて十二名の年分度者が許され、ここに天台宗が公認されたました。そうした古の高僧の方々のご苦労と歴史を感じながら国清寺を拝観していると、そこに安置されている五百羅漢の中に、なんと私そっくりの像を見つけってびっくり、口元といい、目のかたちといい、また手には陰陽盤を持っていることに驚きました。これも私と今回訪問をさせていただいた中国天台山とを結びつけている不思議なご縁なのかもしれません。おいとまする際には天台智者大師智顗の墓所に参りらせていただきました。
3月23日、様々な感動と驚きを与えていただいた中国より帰国。
象英会 新年懇親会開催
象英会 新年懇親会が1月31日、百余名の象英会会員の皆様のご出席いただき、東京千代田区、東京會舘で開催されました。井上象英先生の講演では、今年(庚寅 八白土気性)の運勢概略に関し、政治、経済、自然現象全般にわたり解説され、各気性の運勢、傾向についてのお話がありました。
概略:
1.自然の恵みが期待できる「庚」の秋に、「寅」の謹み畏れる意義を分析すると、まさに新しい時代に向けた取組みが始まる暗示。政局も陰極って意外な動き(変革)がある。それは前例の洗い流しに待った!がかかる、或いは景気回復の流れが滞ること。そして格差社会が明確になる暗示も。何を以って「豊かさ」とするか大いに議論すべき年。今年のキーワード:「継承」&「同寅(どういん)」。同じ志を持つ者同士が、その身を清めて、改革路線の継承にあたることが重要。
2.暖冬でも水害と風害の異常気象は続く。日照被害は収穫物の生産量にも影響する。地殻異常の群発小地震と噴火、崩落事故や雪崩、地盤沈下事故、竜巻や強風、感染症やアレルギーなどの被害も。政治家、官界を巻き込んだ疑獄事件。問題多発し揺れる官庁主導政治。教育や新しい法改定に関する問題。中国、中東、アメリカ経済界の激変もある。
講演の後は懇親会として昼食会となり、大熊社中による初春を祝うおめでたい大黒舞、獅子舞が演じられました。また、恒例の福引会も行われ、新春のお年玉として象英先生ご自身で描かれた絵画も含め会員の方々に景品が配られ、なごやかな内にお開きとなりました。
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