競技かるたに取り組む子どもと対戦してみた=福井市高木1丁目の県かるた協会で
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福井県では小倉百人一首競技かるたが盛んで、「かるた王国」と呼ばれていると聞きました。全国大会でも上位の常連なのだとか。なぜ福井で競技かるたが盛んなんでしょうか?
しっかり教える環境
多い競技人口
確かに、小学生のころ、校内百人一首大会に夢中になった記憶がある。でも、福井が全国トップをうかがう常連なんて、すごいこと。その秘密を求めて、早速、調査開始だ。
福井市高木一丁目の県かるた協会を訪ねると栗原績(いさお)会長(63)=九段=が快く迎え入れてくれた。
差し出された「競技かるた百年史」によるとここ三十年で男性日本一の「名人」を獲得した県勢は残念ながらいないが、挑戦者として名人戦に挑んだ人は五人も。また、女性日本一のクイーンは、一人誕生している。
なぜ、福井から次々と実力者が生まれているのだろう?
栗原会長は「小学生から名人、クイーンを目指す人まで、実力を問わずしっかり教える環境があるから」と分析する。
栗原会長は、県出身の名人挑戦者五人の中の一人。競技かるたの戦い方、送り札の順番、札の取り方の三点で独自のスタイルを確立した。
敵陣の札を取ることに力を入れ、それによって自陣の札を敵陣に送って有利な試合展開をつくる「攻めがるた」が戦い方の基本。戦術を立てやすいように、札を送る順番にも決まりがあり、札の取り方では、体を回転させてスピードを上げる。
二〇〇八年と一〇年の二回、名人戦に出た三好輝明七段(28)=越前市京町一丁目=も、栗原会長の技を引き継ぐ一人。「かるた会『福井渚会』のメンバーは、送り札の順番が皆同じ」と話す。
一一年の名人戦挑戦者、中村文義六段(22)=同市矢船町=は、「先輩と公私にわたってつながりが深いことも大きい」と分析。年齢にかかわらず、競技を離れて一緒に“飲み”に行くこともたびたびで、先輩の技術とメンバー間の仲の良さが強さの鍵のようだ。
大半小中から
競技人口の多さも強さの秘密。県外では大半が、高校や大学から競技を始めるが、県内では小、中学校から取り組んでいる子どもが多い。
「百年史」によると、県かるた協会前会長の、故・仙達実さんが底辺拡大に尽力した。福井渚会の会員らが福井市内の公民館を中心に県内を回って指導。一九六〇年からは小中学生の競技者を増やす励みとして「級位制度」を創設した。
栗原会長は一九九六年、広さ四十畳の練習場(通称・栗原道場)を開き、増える練習生を受け入れている。その一番弟子が、第三十五期クイーンで県かるた協会副会長の山崎みゆき八段(47)=坂井市三国町加戸。「県内の競技者は名人、クイーンという大きな目標を目指し、競い合うからレベルが高い」と話す。
かるた王国のイメージを全国に定着させたのが競技かるたを題材にした漫画「ちはやふる」。「マンガ大賞2009」を受賞した人気作だ。
主人公を競技に引き込む登場人物の出身地があわら市という設定で、作品内には県かるた協会も登場する。編集を担当する講談社BE・LOVE編集部、冨澤絵美さん(32)は、あわら市出身で、栗原会長の指導を受けていた。
冨澤さんは、かるたの魅力を「老若男女を問わず、夢中になればどんな人でも青春時代を感じられる。知力、体力、精神力で戦うのが快感」と話す。
多くの人たちの情熱が、かるた王国を支えていた。小学生のころ、校内百人一首大会で上位に食い込んだ自分も、その一端を担っていたというわけか。よし、久しぶりに腕前を披露してみよう。
栗原道場で挑戦を申し出ると、相手をしてくれたのは小学生。でも、読み手が上の句を詠み始めた瞬間「バシッ」。こちらは札を探す間もなく、文字通り「手も足も」出ず完敗だ。今後も「かるた王国」の名は揺るがないと確信した次第。
競技かるた 1904(明治37)年にルールが統一された。百人一首の100枚の字札のうち、50枚を使用。裏返した状態でよく交ぜ、25枚ずつを自陣と敵陣の畳に上段、中段、下段の3段に分けて並べる。自陣の札をとった場合、その札が1枚減り、敵陣の札をとった場合は自陣の札を1枚送ることができる。自陣の札を先に無くした方が勝ち。
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