序章ー3
部長もカジさんも経理の姉さんも、姿かたちは同じだが人格がまるで変わってしまった。
「いくらなんでもこれは、おかしくないか?」
その思いは朝礼で揺るぎないものとなった。
いつもは現直の探偵を除いて30人ほどは出ていたが、今日はたった6人だった。
専務が開口一番
「今まで受けていた調査のほとんどがキャンセルになった。君たちは今からその理由を調べて欲しい。他の者は既に向かっている。」
そんなことがあるのか。長谷川は息を呑んだ。そして恐る恐る、専務に尋ねた。
「僕、キャンセルの電話受けて無いんで…その…相談部とかはどんな状況ってか、依頼者の方々は具体的に何と言って断ってきてるんです?」
「それが分からないから調べろと言ってるんだ。…まあいい。たった一言だよ、一言。もう調べる必要が無くなった。それだけだ。」
壁にかかっているスケジュールボードに「往訪:依頼者 赤羽駅」と下手糞な文字で殴り書いて外に出た。
「そうだ、タバコタバコ。」
残り1本しか無い。
事務所前の道から左側に曲がったすぐ先に酒屋さんがある。
大概、いつも仕事の帰りに木枯らし1号で脇を通るので、そこでタバコと酒を買って家に帰る。
自動ドアのガラス越しから中を覗くと、ひっつめ髪の細面が一瞬見えた。
「おお!娘さんだ!今日はついてるぜ。」
一瞬、ガラスに写った自分の姿を見て、髪を整える。
「すいませーん、タバコ貰えますか?」
長谷川はちょっと渋めの声を出したつもりである。
「ちょっとまって下さいね。」
奥からそう聞こえた。
少し顔が赤みを帯び、期待感で一杯になる。
「はい、おまたせ。で、なんだっけ?」
「うわ!」
べっぴんな顔が現れると思ったら、鬼婆のような顔が飛び出してきた。
娘さんでは無く、いつものおばちゃんだった。
「タッ、タバコ、下さい。一つ…。」
「一つ? カートンで買ってよ。今日はタバコ全然売れないんだよ。大バーゲンするから、とにかく買って頂戴よ。おまけするからさあ。」
「……」
「あとね、うちが今度出すミネラルウォーター飲むかい?娘が仕入れたすごいのがあんのよ。」
いつもは商売っ気の全く無い渋面のおばちゃんが、気持ち悪いくらい愛嬌たっぷりで話してくる。
まったく話が良く分からないが、娘さんって言葉が出てきた瞬間に本能的な条件反射で
「下さい。」
と答えてしまった。
「愛理ちゃん、お水持っておいで。お客さん〜。」
「は〜い。」
奥からお盆の上に、丁寧にペットボトルとグラスを持って現れたその御姿を見ると長谷川は余計に顔が赤くなった。
「き、きれいだ〜。」
トトト…
娘さんが直々にペットボトルからグラスに水を注いで下さった。
「はい。どうぞ。」
手びねりの渋い硝子で出来たグラスになみなみと注がれた水を一気に飲む。
ごくっごくっ…
「うわー。これはおいしい水ですね。とてもまろやかです。」
「そうなんですよ。これは軟水で、日本人にはぴったりなんですのよ。」
「じゃあ、お水もひとつどうだい?お兄さん。」
「あらー、お母さん、そんな無理に勧めなくてもいいのよ。」
「いや、いいですよ。ではもう1本頂きます。いくらですか?」
「これいくらだっけ?」
店のおばちゃんは首にぶら下げている老眼鏡を片手に眼を細めてペットボトルの文字を見る。
「あたしゃ、文字が読めないよ。」
娘が答えた。
「525円になります。」
「に、二本で1050円!?」
長谷川は思わず声が裏返る。
せいぜいこの500ミリのペットボトルの水は高くて150円だ。
背中越しに、「ありがとうございました!」とダミ声と美声の二重奏を浴びてぶらぶらと歩き出した。
「俺、なんでこんなに買っちゃったんだろう?」
そう思いながら歩いていると、なんとなく周りの視線を感じて見渡した。
道ですれ違う人々の視線がどうも険しい。
怪訝と言うレベルを通り越して
「なんだよ、こいつ。」
長谷川以外、誰もビニール袋をブラブラ下げてだらしなく歩いている者がいなかった。
男は軍隊のようにびしっと、女性はまるでモデルさんの様に腰を振って歩いている。
そして通り過ぎる度に長谷川に一瞥くれるのだがその蔑んだ視線が痛い。
もう、歩いているのが居た堪れない気持ちになって駅前でいつも立ち寄るラーメン屋「丸福軒」へ飛び込んだ。
「らっしゃーい!!」
いつも店のオヤジはこんな威勢の良い声をあげた事ないはずなのだが。
違和感を感じつつ、カウンター席へ座る。
まだお昼前のニュース番組にはやや早い時間であったが画面の端には「ライブ中継」と出ている。特番のようだ。
「えー、現在の状況をお伝え致しましょう!!」
と絶叫しながらアナウンサーは現場の記者へ繋ぐ。ニュース番組はこんなにハイだったか?
「はい。こちら首都高速飯倉トンネル付近ですが、環状線内回り、外回りの全線が通行止め状態と
なっております。で、事故の状況ですが、トンネル内で40台ほどが閉じ込められ、救助活動も
難航している模様です!」
「こちら、東京駅界隈ですが、全線マヒ状態となっております!各線にも影響しているようです!
出社されるサラリーマンの方々が次々と走り出して将棋倒しになっておりますが、もう止める
事ができなくなっております!機動隊が出動していると情報も入りましたっ!!」
「こちらは渋谷区のハローワーク前ですが、大量に人が押し寄せております!
今まで働いていなかった無職の方々が仕事を求めて殺到しているようです。
他のハローワークでは暴動が起こっているという情報も入っております」
目の前を見ると、眼の血走った大将がぐらぐら煮立った鍋の前で、麺をビシ!ビシッィィ!っと
気が狂ったように湯切りしている。まだ長谷川は何も注文していない。他に客はいない。
「わぁぁぁ。」
長谷川はラーメン屋を飛び出した。
BOZZ@AGAN
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