序章ー2
「あれ?」
長谷川は荷物をデスクに置くと、とにかくすぐに一服するために喫煙コーナーへ向かう。
朝礼前のリラックスモード。
さて、長谷川が朝から「あれ?」と思う不思議な事とは、いつもならこの喫煙コーナーに大勢お仲間がいるはずなのだが、今日は誰一人いないのである。
「まあ、珍しい事もあるもんだな。」
とにかく一服したいので、シャツの胸ポケットからタバコを取り出し、ジーンズのポケットから100円ライターで丁重に火をつける。
この前の調査でチンピラに殴られて鼻骨を骨折し、ようやく治療が終わったのだが、それ以来鼻が利かなくなってしまい大事な「香り」が分からない。でもこの至福のヒトトキはたまらない。
自分の席に戻るといつもじゃんじゃん鳴っている事務所の電話が、ぽつりぽつりと小鳴りである。
班長はスケジュールボードを見ると「会議中」になっていて席にはいない。
「おお、ラッキー。しばらくのんびり出来るぞ。」
卓上の報告書ファイルの山を見ると、夕べまで山のようにあった大量のファイルが忽然と消えていた。
数冊程度しか残っていない。
「あれ、昨日まであったのに、どうしたんかな?」
隣の立派な髭を蓄えた梶崎さん、通称「カジさん」を見る。
いつもなら、班長がいなければ朝っぱらから肘を突いて瞑想している。
つまり寝ているのだ。これが大変上手い。
我々はそんなカジさんの事を「舟漕ぎカジさん」と呼んでいる。
立派な髭を蓄え、ロダン作「考える人」の如く肩肘ついて眼を瞑っている。
数年前、奥さんが急逝して以来、カジさんは「舟漕ぎカジさん」になってしまった。
それまでは腕利きの探偵であった。
ここ1、2年は酒に溺れ、飲む度に「早くあっちいきてえなあ。」とボヤく。
「舟漕ぎカジさん」の渾名は、そんなカジさんに対して仲間達の友情と言うやつで、けして軽蔑してつけたわけでは無かった。ただ、そんなしみったれた酒は嫌なのでみんな悪いと思いつつ少し避けていた。
カジさんは、もう仕事はそろそろ潮時だろう。みんなそう思っていた。
舟漕ぎカジさんの船出(退職)の時は盛大に祝ってやろう。
できれば次の仕事の世話もしてやろうぜ。これは事務所全員一致している意見だった。
舟漕ぎカジさんは事務所のみんなから愛されていた。
長谷川も席が隣のせいもあったが、この探偵事務所で一番の仲良しである。
だがそのカジさんを見ると眼がぱちくりと冴え渡り、普段は開いている所を見た事が無いノートパソコンに向かってカチャカチャとキーボードを打っている。
さすがにブラインドタッチは出来ず、人差し指でカチカチと打っているが、一生懸命だ。
「どうしたんだ、まったく!?」
長谷川はそう思いつつ、そっとカジさんに聞いてみる。
「カジさん、あのちょっといいですか。俺の机の上のファイル、どこいっちゃったんでしょうか?」
「ん?ああ、なんかさっき部長が持って出て行ったぞ。他の奴らのファイルもみんな持って行った。
わしのも、なぜか半分以上持っていかれたぞ。会議でいるみたいだ。」
いつもならここで長話になるはずなのに、なんとカジさんはこっちをまったく見る事もせず必死で画面とにらめっこしている。
「カジさん、朝からお忙しいですね。」
長谷川は、彼が珍しく朝からやる気満々で仕事をしているので皮肉をこめてこう言った。
「おう、ちょっと手が離せないや。メールを打っているんだよ。また後でな。」
「なんだよ、つれねえなあ。」
長谷川は今度は反対側の経理の姉さんの方を見てみる。
彼女も月末以外、普段は暇なので本や雑誌など読んでいたりお茶を入れていたりする。
だが、今日も暇そうにしているかと思いきや、電卓を猛烈な勢いで叩いて何かメモを残している。
残りのみんなもスケジュールボードには「調査中」だの「出張中」と書いてあり出払っていた。
珍しくそんな日もあるんだな。
長谷川はペンを口と鼻の間に挟んで大きなノビをして椅子の背もたれに寄りかかった。
ガターン!
まるで漫画のように後ろにひっくり返ってしまった。
いつもならみんなゲラゲラ笑うのに、誰もいない上に、なんとカジさんはこちらを見てもいない。
あいかわらずメールを打っている。経理の姉さんもまた電卓を一心不乱に叩いている。
「おいおい、今日は誰も突っ込み無しすか?」
長谷川は、空しく椅子を戻して一人寂しくしょんぼりと座り直したのであった。
「何か変だ…」
すると、会議を終えた調査部長がスタスタと私の隣に来た。
いつもニコニコ笑って優しい言葉を掛けてくれる一見、福山雅治似の人格者。怖い班長にはしこたま怒られ続けている長谷川だったが、調査部長に怒られたことは過去に一度も無かった。
その調査部長がいきなり私の頭を掴み、耳元で怒鳴った。
「おい長谷川、DVの濡れ衣着せられて子供に会えなくなったんで嫁さんを調べてくれっていうあの案件な、キャンセルになったからもう調べなくていいぞ。おまえがノロノロやってたからだ、この馬鹿者!!」
「え…だってまだ三日前の受件じゃ?」
「うるさい、言い訳するなら今日辞めろ、このタダ飯食い野郎!!」
長谷川の頭のてっぺんを思いっきり平手ではたき、またスタスタとどこかへ行ってしまった。
「つぅ…。」
頭を抱えた長谷川は周囲を見渡した。あのカジさんが蔑んだ目でチラッと見て、またパソコンに向かっている。経理の姉さんにいたっては一瞥もしない。
「一体どうなってんだよ。」
長谷川はやっと異変に気付き始めた。
BOZZ@AGAN
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