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東日本大震災:不屈の商店街も苦境に…大船渡

今も時折、商店街跡を訪れるという熊谷さん。「来てもなんにも残ってないんだけどね」=岩手県大船渡市で、夫彰子撮影
今も時折、商店街跡を訪れるという熊谷さん。「来てもなんにも残ってないんだけどね」=岩手県大船渡市で、夫彰子撮影

 東日本大震災で一つの商店街が消えようとしている。大津波に見舞われた岩手県大船渡市の大船渡大通り商店街。1960年のチリ地震大津波による壊滅的被害からは立ち上がった不屈の商店街も、経営者の高齢化や後継者不足、不況にあえぐ中、津波が追い打ちをかけた。一帯では店の再建も困難で、多くの経営者が店を畳むことを考えている。

 同市中心部のJR大船渡線大船渡駅近く。「うちはここにありました」。同商店街振興組合前理事長の熊谷和夫さん(64)が指さした場所は、木片やコンクリートの破片で覆われていた。住宅兼店舗「クマガイ靴店」の痕跡はどこにもない。

 靴職人だった亡き父彰さんが戦後まもなく始めた店だ。手に職を持つ人々が周囲に集い、金物屋や服飾店が次々と生まれ、いつしか商店街へと育った。振興組合はチリ地震大津波後まもなく発足。クマガイ靴店を含め大半の店が流され「団結して津波から復興しよう」と復活を期した。

 当時中学生だった和夫さんは「皆が『もう一度やってやる』って感じだった。4年後には東京五輪が控え、時代は高度成長期。商店街も国も勢いがあった」と懐かしむ。

 20歳になった67年、和夫さんは店を継いだ。代替わりを機に仕入れ販売に軸足を移して成長、最盛期の80年代末ごろには年商3600万円を誇った。

 バブル崩壊を境に売上額は激減、最近は500万円を割っていた。一時は70店舗ほどあった商店街も、高齢化や後継者不足で廃業が相次ぎ今や48店舗に。昨年まで4年間、理事長として活性化に奔走した和夫さん自身も「子どもには子どもの人生がある」と息子2人には別の道を歩ませた。

 国や市が検討する津波被災地住居の高台移転が現実になれば、クマガイ靴店のような店舗兼住宅は今の地を離れざるを得ない。「商店街が丸ごと1カ所に移転できても、私らの年齢も年齢だし、経済が厳しい中で借金して店を再建する力がない。それがチリ津波の時との違いでしょう」

 仲間の多くは「店をやめる」と話しているといい、クマガイ靴店ものれんを下ろす。半世紀の歴史を刻んだ商店街が今、閉じられようとしている。

 和夫さんは4月末から、市の臨時雇用でがれきの撤去作業に励む。日当7200円。「生活費は稼がんと」と苦笑する。膨大ながれきが街から少しずつ取り除かれ、開けた視界の向こうには、家と店を奪った海が今は穏やかに広がっている。その光景を見るたび思う。「大船渡はこんなにいい街なのに、いろんなものが消えて帰ってこないんだなあ」と。【夫彰子】

毎日新聞 2011年5月19日 12時51分(最終更新 5月19日 13時14分)

 

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