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[28115] 蒼空の歌姫 外伝 『常在戦場』 【オリジナル・MHF】
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/01 15:00
ようこそ、「蒼空の歌姫 外伝」の世界へ。

こちらの作品は本編『蒼空の歌姫』のスピンオフ作品となっております。
『レッドクイーン』の異名をもつ凛が主人公の作品となっております。

本編を知らない方でも楽しめる作品になっております。
本編とは独立している作品の為、スレッドを分けさせていただきました。
外伝を読んでいただいた後に本編を見ていただくと、また違った見方ができるかもしれません。


本作品は以下の要素を含んでおります。

・オリジナルの解釈を含みます。
・本編よりも内容が暗めです。ダークヒーローっぽいテイストに仕上げてあります。
・ドンドルマよりもはるか東にあるといわれる「東方」という架空の世界を舞台にしたお話です。
・MHFの世界観はおおよそシーズン3.0~3.5の時期を採用しています。よって、現在では削除された施設も登場します。当時のことを知っている方なら懐かしい単語や人物があるかもしれません。
・MHP2G、MHFの武器が登場いたします。(ただし、MHFの武器に関しては上記の世界観を少し逸脱している部分があります)

以上の注意事項を踏まえた上で大丈夫な方は、どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。


もし本編を探される場合はお手数ではございますが記事検索ワード欄に作者名の「社長」で検索していただければと思います。



[28115] 序ノ壱 ~彩と妖~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/05/31 18:09
 ポッケ村……いや、この世界よりはるかに東。人はそこを『東方』と呼ぶ。『侍』と呼ばれる人物が『刀』を常に持ち、その生涯を武士道に捧げる人々……と言われている。
 だが、実のところ東方の世界の人々のことは言い伝えが少ない。何しろ絶対数が少ないのだ。言語が通じない、我々では計り知れないほど文明が発達している、肩をぶつけたら即決闘……所説いろいろあるが、多くの学者はこう結論付けている。

 ――鎖国。すなわち、他国との交流を禁じている国、と――




 ***   ***   ***  




 ここは東方、白木の国。特産物とされる白木が多く産出されることから着いた名である。そして、美しいその白木をふんだんに使ったのが白木の国の象徴、白木城しらきじょう。その純真無垢な白はまるで祝いの席に着る純白の振袖――故に、同じ発音で『白姫城』とも呼ばれている。



《白木城――城下町》


「「「「『常、在、戦、場』ッ!! 『常、在、戦、場』ッ!! 『常、在、戦、場』ッ!! 『常、在、戦、場』ッ!!」」」」

 稽古場から威勢のいい声が響く。床に敷き詰められた畳、綿素材でできた胴着を付けた人々が掛け声と共に木刀を振るっている。飛び散る汗がきらきらと輝き、太陽の光にあたって光の粒となってあたりに舞う。城下の真ん中に位置したこの道場は信楽十三(しがらきじゅうぞう)師範代が建てた道場であり、多くの門下生で賑わっている。

「やめいッ!!」

 十三師範代の声が辺りを揺らす。今年で四十だというのに、その迫力は全く衰えることが無い。胴着を着ていてもわかる筋骨隆々なその体。黒の袴をはいているのは足捌きを相手に見られないため。数多の戦場を渡り歩いてきたその肉体は老いてもなお、健在である。豪胆な性格、決して屈しないその心はまさに武士道の体現者。百戦の戦に出て不敗。かつて『鬼の十三』と呼ばれ、各地の大名から恐れられた武人も今はその刀を納め、こうして弟子の育成に取り組んでいる。それを象徴するかのように道場の中心に据えられているのはかつて戦場をともに駆けた相棒である巨大な薙刀、名を『鬼薙刀』。嘘か真か、かつて暴虐の限りを尽くしていた鬼を打ち倒したお礼としてもらった宝刀だとも、実際に鬼を切り倒したとも言われるそんな逸話すら残る薙刀である。まさに生きる伝説。そんな彼を師と仰ぎ、入門するものも多くない。その豪放磊落(ごうほうらいらく)な性格は地元でも評判であり、『先生』の愛称で老若男女から慕われている。『常在戦場』は彼の座右の銘であり、この道場の合言葉でもある。


「「「「はい!!!」」」

「『常在戦場』、生きること、これすなわち戦いなり。『我、常に戦場に在り』。常日頃から戦いの場に身を投じていることを忘れるな!! 三度唱和!!」

「「「「『常、在、戦、場』ッ!! 『常、在、戦、場』ッ!! 『常、在、戦、場』ッ!!」」」」

「今日の稽古はこれまでとする!!」

「「「「ありがとうございました!!!」」」」

 門下生が解散し、道場を一人、また一人と門下生が出て行く。一人の少女が道場を出た後、外の塀をぐるりと回り、てくてくと歩いてゆく。そこには、白く塗られた塀にもたれかかった一人の少女がいた。仏頂面の彼女は髪も手入れをしていないのか、ボサボサでありところどころにフケがついている。前髪は表情を隠すように瞳を完全に覆い隠し、後ろは腰まで垂れ下がる程伸び切っている。背丈は四尺三寸(約130cm)ほどだろうか。

「姉さま……」

 そう彼女がつぶやくと、ぼさぼさの髪の少女はピクリとも動くことなく、淡々と言葉を吐き出す。

「『アヤ』――終わったのね。」

「ええ。また、待っててくれたんですか?」

 しばらく押し黙った彼女だったが、ややあって口を開く。

「……違うわ。足元に綺麗な花が咲いていたから、それを踏み潰さないように守っていただけよ」

「ふふ……ねえさまは相変わらずお優しいのですね……」

「優しくなんかないわ。私は冷酷よ……」

「ご自分で冷酷というのもどうかと思いますけど……」


 そう問いかけ、仏頂面に答える対称的な二人の姉妹。だが、対称的なのは性格だけではない。溌剌(はつらつ)とした元気の良い彼女はその容姿も活発で明るい。黒曜石のような黒い瞳に同じく黒い髪をうなじのあたりで結っている。

 仏頂面で感情を表に出さず、滅多に口を開かない。だが、その奥に優しさを秘めた少女。名を『鈴原 妖(あや)』
 溌剌としたその容姿とその明るい性格で多くのものから慕われる心優しき少女。名を『鈴原 彩(あや)』

 全く同じ名を持つ二人だが、表面上の性格は恐ろしいほど正反対である。姉は妹のことを『アヤ』と。妹は姉のことを『ねえさま』と。物心ついたときはお互いを区別するときにそう呼ぶことが習慣になっていた。




『序ノ壱』 ~彩と妖~




 私は物心ついたころから世間の人間に疎まれていた。なぜだかは分からない。ただひとつ分かることは――私は、この世界に必要とされていない、ということだけだ。

「ねえさま……どうかしました??」

 帰りの散歩道。『アヤ』と二人で夕暮れの茜空を見ながら歩くのが習慣となっていた。だが、私が帰るのは家ではない。

「……『アヤ』。あなたは先に帰りなさい。わたしは寄り道して、あとで『家』に戻るわ」

「……はい」

 そういうと、『アヤ』は悲しそうな顔をする。なぜねえさまだけが、という顔。それはよく分かっている。だが、大切なのはそこではない。『私が疎まれている』ことが問題なのだ。そのことで『アヤ』が傷つきでもしたら――私も傷つくことになるからだ。だから、『アヤ』は先に帰らせる。

「……お夕飯、あとで届けますからね」

 そういうと、一人だけ彼女は歩いていった。それを見送ると、私は横道にそれていく。家と家の隙間は光が差し込まず、そこだけ深い闇を形成している。前髪を垂らしているので周りの風景は髪の毛を通してしか判断できないが、別に困ることはない。ものが見れれば、それでいいのだから――

 周りには多くの人間が歩いている。私の身長はそれほど高くない。ここでは私のようにフケだらけで襤褸切れだけの子供もそう……珍しくはない。だから、この横道に私が入り込むのも……それほど難しいことではない。テクテクテク、と土を蹴る音だけが私の耳を揺さぶる。周りの雑踏や人々の声などには興味がない。そちらに意識を向ければ、いつもの『アレ』が待っているから。


 ――ほら、またあの子よ……

 ――まったく、薄気味悪いわね……

 ――実はね……妖怪が人間に化けているらしい……って噂を聞いたことあるわ……


 ほらやっぱり。私のことだ。珍しくはない人間のはずなのに、なぜだか私だけ『区別』される。私だけが。


 ――やーいやーい、もののけ~~

 ――ばけもの~~

 ――汚ねぇんだよ!! あっちいけよ!!

 これもお決まりだ。子供は無邪気だ。大人というものをよく観察している。大人が私を区別する。だから子供も区別する。しかし、子供は善悪の判断が出来ない。だから……

 ――いくぞ~、『おにたいじ』だ~!!!

 石を投げつけられ、追い回される。追いつけば殴られる。だからいつものように逃げるのだ。こんなことが毎日続けはイヤでも体力はついてくる。そこらの子供よりもずっと足は速いし、体力もある。目標のもの(食料)を確保すると、そのまま一目散に駆け抜ける。横道の横道を使い、人一人が通れるところの通路だけを選んで走る。たとえ目の前が真っ暗でも関係ない。この裏道は私の庭のようなものだ。たとえ暗闇の中でも、私には手に取るように分かる。

 人の足音を音で聞く。
 人の匂いを鼻で嗅ぐ。
 人のいない道を眼で見る。
 自分の呼吸を口で味わう。
 賭ける足に伝わる感触と歩数で把握する。

 人間に備わっている聴覚、嗅覚、視覚、味覚、触覚。五感の特徴を活かし、私は駆け抜ける。そして――

 (――人の気配が途切れた。こっちの道をを使うか)

 あらゆる気配を『感じる』第六感。私はあまり視覚に頼らない。空気を、人を、モノを、『感じる』ことで行動している。直感はいつだって正しい。

 そして今日も……無事に家に帰ることが出来た。私にとっては家と呼ぶに相応しいものだが、『アヤ』にとってみれば“物置”という場所だそうだ。だがそんなことはどうでもいい。寝食が出来、雨露をしのげる場所が『家』というものだ。今日は汗もかいていない。雨も降っていない。雨が降っていたら大変だ。地面はぬかるみ、体は濡れる。ついでに家も濡れる。農家では『恵みの雨』ともいうようだが、私にとっては恵みどころか不幸の象徴だ。戸をガラリとあけて、すぐに閉める。木を組み合わせて屋根をつけただけの簡素な物置。もちろん、人間は私だけ。ここは本当に物置として使われている。私は人間として扱われたことなど一度もない。『飼う』といわれたことはある。つまりは犬猫と同じ扱い――『獣』ということだ。

 ――ただ、若干一名。私を『人間』として平等に扱う人がいる。

「……おかえりなさいませ」

 『アヤ』だ。なぜかこの子は私と違って疎まれない。最初はその理不尽さに何度も抵抗を考えたが、その内止めた。何をどうしようが私の扱いが『アヤ』のそれと同じになることはなかった。『アヤ』の両親は『アヤ』にとても優しい。はたからみればとても良い家族だろう。――私、という異端を除けばだが。

「……ただいま」

 一応、挨拶だけはしておく。『アヤ』はこうみえて人気がある。毎日道場での稽古を『聞いて』いるからよくわかる。彼女の明るい人望は人を惹きつけてやまない魅力がある。無論、私もその一人である。この世界で唯一、私を人間として扱ってくれる存在。稀有だと突き放すのは簡単だ。だが、彼女は以外にも頑固だった。自分がこう、と決めたらテコでも動かない。可愛いようにみえて、意志がやたらと強いのだ。やはりあの『先生』の存在が大きいのか、本人の性格か。

「夕飯をお持ちしました」

 これもいつもの会話。 

 ――以前、こうやって訪れた彼女に「夕飯なんていらない」と拒否したら笑顔でこう切り替えされた。

「だったら、おねえさまが食べ終わるまで私はこの部屋を出ません。私はあなたの妹ですから」

 そういうや否や、彼女は地べたに正座をして恭しくお椀を差し出した。私は食べる気など端からなかった。どうせただの強がりだ、と私は高をくくっていたからだ。だが、彼女は待ち続けた。一時間、二時間……彼女は身じろぎ一つせず、動かなかった。私が逆に根負けしてお椀に手をつけるそのときまで。後で理由を問いただしたら、彼女は「鈴原家の家訓ですから、それにただ従っただけのことです」、とそう応えた。私は家訓など知らなかった。だから質問してみた。これが、私が自発的に質問した初めての会話だった。『アヤ』はとても嬉しかったのだろう。まるで歌うように自分の家の家訓を教えてくれた。


 ――疾(はや)きこと【風】の如く――

 ――徐(しず)かなること【林】の如く――

 ――侵(おか)し掠(かす)めること【火】の如く――

 ――動かざること【山】の如し――


 その四文字をとって、『風林火山』という――それが鈴原家の家訓だと、『アヤ』は語っていた。家には風林火山の象徴として『蒼紅一対剣』なる宝剣が床の間に飾ってあるらしい。(らしい、というのは私は家に入った記憶がないからだ)

「動かざること【山】の如し、ですよ。お姉さま」

 私はその意味がいまいちわからなかった。最初の三つは理解できる。風のように速く、林のように静かに、火が燃え盛るように熱く。だが、なぜ最後に『山のように動くな』というのか。動きを止めれば死んでしまうではないか。

「……わたしには、よくわからないわ」

「……だいじょうぶです、わたしも分かりませんから」

「……あっそ」

「ええ、でも今日は一つだけ家訓を守れました」

 両親は『アヤ』がこの場所に来ることを良く思っていない。だから『アヤ』は勝手に家を抜け出し、この物置に自分の夕飯を隠して持ってきているのだ。

「…………それはいいのだけど。両親に感ずかれてない??」

「…………あ。」

 訂正しよう。『アヤ』は意志が強く頑固だ。しかし、意外と向こう見ずでどこかが抜けている。

 ――まぁとにかく、夕飯は必ず食べるようになった。 



「ご馳走様」

「お粗末さまでした」

「……って『アヤ』が作ったわけじゃないでしょ」

「ええ、そうですよ」

「じゃぁ、用が済んだらさっさと帰りなさい。罰を受けるわよ」

「はいはい……」

 ぶっきらぼうにそう答えるも、『アヤ』はただ苦笑するだけだ。私はいつものように立てかけてあったゴザをしくと、ゴロリと横になって目を閉じる。あちこちに物が置いてある(とは言っても猫車や錆びた鍬、壊れたツルハシなどそれほど多くのものは置いてはいない)が、足を少し折りたたんで横になるくらいの空間はある。ゴザをしかなければ体がじかに土に触れる。この物置には床が無いからだ。ゴザが物置にあったのは運が良かったといえる。これは合図。もう会話はしないから早く出て行けという無言の回答。『アヤ』はそれをみると素早く立ち上がり、自分の家へと戻ってゆく。武家屋敷ではない、どこにでもあるような百姓が住む家と同じ作りである。物置はその家から丁度真後ろの位置にあたる。直に接してはいないが、真後ろということと、簡素な作りだからよく音が漏れるのだ。

 ――家族の談笑する声が。

 父と、母と、『アヤ』。一家団欒の食卓風景。今日は何があった、とか、先生の稽古の様子とか、今日の料理は何がおいしいか、とか、そんなごく普通の、たわいの無い話。そこに私は居ない。ただ……それを聞くのがイヤだから、私は目を閉じて意識を落とす。また明日も、明後日も、明々後日も、同じ日々が続くのだから。無駄な体力を使うことも無い。ただ、毎日が繰り返される。

 ――くるくる、くるくると。




 ***   ***  ***  



 
 鈴原家は白木の国の中でも少し異質な経歴を持つ家系だ。普段は商売人としてさまざまなものを卸して販売する「よろず屋」のような仕事をしているが、それは表の顔だ。鈴原家の裏の顔は「暗殺業」。影で踊り、大名の敵となる人物や組織を人知れず排除する。それが鈴原家本来の生業なりわいだ。『鈴』の家紋はその一族代々伝わる伝統の家紋である。それを継承するということは大名に生涯の忠誠を近い、邪魔者を排除する任につく。十五になって元服し、一人前の大人としてみなされた時に継承をすませ、暗殺者としての道を進むことになるのだ。

 そして、継承者は代々女性が受け継ぐものとされている。男尊女卑の傾向が強い東方の国では女性が長を務めることは非常に珍しい。だが、鈴原家は常に女性が頭首を務める。それはなぜか――『女』だからだ。男と違って生命を宿すことが出来るのは女性しかいない。世の中の男は常に女性を常に卑しい目で見る。その弱みに付け込み、色香で惑わせたり、愛人として近づいたり、遊郭などで己の体を売ることもある。艶事などをつかって既成事実を作ってしまえばかなりの情報を引き出すことも可能だ。鈴原家では嫁に行かず、婿を迎えいれて血を残すのが慣例となっている。この世界では政略結婚が大半だが、鈴原家はそのしきたりはない。自由に恋愛し、自分が見初めた男性と結婚する――それは自分の観察眼を鍛える面も含まれている。

 白木の国では子を墜とすことは罪として問われない。しかし、男性はそうもいかない。世間体があるからだ。東方の国で世間体を失った人間の末路は悲惨だ。だから必死に守ろうとする。そういった文化を熟知しているからこそ、鈴原家は大名のお気に入りとしてこれまで何不自由なく過ごすことが出来た。

 ――現頭首である『鈴原 樹(いつき)』が双子の子を身篭らなければ。

 鈴原家の掟の一つに『継承者は一子相伝』というものがある。二人のうち、一人しか継承することは許されない。本来ならば生まれた瞬間、片方の命は間引かれてこの世から消える。しかし、樹はその選択を取らなかった――というよりある人物の進言によって取れなかったのだ。苦渋の決断の末、どちらがより継承者に値するか、樹はその場で掟を作った。赤子である二人が継承に値するかどうかは頭首権限で決められる。そして、樹の下した決断はこうだった。

 ――赤子が泣き止み、再び泣き出すまでにより多くの時間がかかった子供を継承者とする。

 結果、彼女達二人の運命は、生まれた瞬間から試されていた。そしてその試練に受かったのが『鈴原 彩』。妖の双子の妹である。樹は姉妹の順序などは物事の優劣に値しないと考えていた。年功序列の文化が根強い東方では、常に『先に生まれた』人間を尊重する傾向にある。だが、異端である鈴原家はその考えを真っ向から否定した。使える人間は活かし、使えない人間は潰す。これは大名も口出しできない鈴原家だけの掟である。樹の考えはそのまま教育方針に反映される。片方は愛情を注ぎ、もう片方は『家畜』としてしか扱わない。



《白木城・天守閣――大天守》



 大天守。天守閣の中でも最も上位の部屋であり、通常は大名や皇族の者しか立ち入ることを許されない領域。六畳間の小さな小部屋だが、この部屋では白木の国のまつりごとを左右する大きな意思決定の場でもある。 だが、唯一平民でありながら大天守へ呼ばれる人間が二人いる。鈴原家正当継承者である鈴原樹、そして『鬼の十三』こと信楽十三だ。行灯に隠れた蝋燭の明かりだけが部屋を仄かに照らし、どこか荘厳な雰囲気すら漂わせている。

「今年も大名の下で御前試合が行われるそうですね」

「十三、今年の鈴原の様子はどうじゃ?」

「はっ。恐れながら申し上げます。鈴原彩の実力は相当な域におりまする。すでに子供では手に負えぬほどの腕前。彩には常に大人と戦わせ、『常在戦場』の名の下に鍛錬を積んでおります。真、末恐ろしい女子おなごにございます。どこまで成長するやらこの十三、全く先が読めませぬ」

「……ありがたきお言葉。『先生』にお褒めの言葉を頂き、恐悦至極にございます。彩もきっと喜ぶことでしょう」

「ほほう……十三にここまで言わせるとは、樹の娘も大した実力のようじゃの」

 現に彩は素晴らしい成長を見せている。何しろ『鬼の十三』の異名をとる信楽十三からも一目置かれる存在だ。母としてこの決断は間違っていなかったと確信できる。

「ことに樹。すでにあの娘には『教えて』いるのかね?」

「ええ……教えています。まるで真綿が水を吸い込むが如く、私の言ったことをすぐに体得する。まさに天恵の授かり者ですわ。すでに鉄弦を使った暗殺術も会得しております」

「なんと!? わずかとおの少女がそこまでの技術を!?」

「艶事や色香はまだ早いですが、素養は十分に見受けられるものとお察ししますわ」

 それはつまり、暗殺者としての第一歩を踏み出したということだ。十五の元服の前にこれだけの技術を会得できた人間は鈴原家の過去を紐解いてもほとんどいない。

「……鉄弦か。」

 十三が苦苦そうに呟く。そう思うのも無理は無い。彼もまた、鉄弦の恐ろしさを体に刻み込まれた人物である。

 『鉄弦』――鉄糸(てっし)とも呼ばれる暗器の一種である。通常は釣り糸など、光に透過されやすい物質を使うのが一般的だが、鈴原家では代々鉄をこよりのように細くより合わせ、糸のように加工した特殊な鉄糸を使う。まるで『弦』のようにしなやかに伸びることがその名の由来だ。鉄弦は相手に金属製の糸を巻きつけ、その圧力で相手の肉を切り裂く暗殺道具である。手首、首筋を狙えば血管が切り裂かれ、あっという間に死に至る。日中ではよく目立つ鉛色にびいろも、闇の中では目立たない。鈴原家が最も得意とし、多くの大名に恐れられているのがこの鉄弦を使った暗殺だ。釣り糸なら懐の小刀で簡単に切断できる。しかし、鉄弦では困難だ。金属製であることに加え、『弦』のようにしなやかに伸びる糸は力を分散させ、刃による切断は困難を極める。

 また鉄弦は鈴原家代々の暗器であり、鈴原家以外の人間は触れることすら出来ない。闇に紛れ、人知れず命を奪う武器の代名詞。生産方法は一切不明。鈴原家の頭首とその継承者のみが扱うことが出来る武器である。これまでどれだけの人間がこの鉄弦で切り裂かれたことか。相手は自分が鉄弦に巻きつけたことすらわからない。気づいたときには既に遅し、四肢を封じられ、生殺与奪の権利は鈴原の名を持つ人間に奪われる。かつて十三も鉄弦に散々苦しめられた。闇に完全に溶け込んだ弦は見極めることはほぼ不可能。圧力がかかった瞬間の音を聞き、素早く切断することでかろうじて生き抜いてきた。急所こそ外れたものの、十三の体には幾度も鉄弦で体を切り裂かれた傷跡が残っている。傷は癒えても、暗殺される恐怖は時間が経っても決して消えることはない。

「なら決まりですわね。今年の頂点は我が鈴原家が頂きます。鉄弦などなくとも充分に戦えるでしょう」

 鈴原家は強い。そして樹の娘である彩もその片鱗を覗かせている。あの年にしてすでに鉄弦を体得しているというのだから驚きだ。一歩間違えば自分自身すら切り裂いてしまう危険な武器だというのに、彼女の体には傷跡一つ見たことがない。影で練習しているのか、それとも天恵のなせる業か。脅威ではあるが、自分の愛弟子が成長するのはなによりの楽しみでもある。それは大名も同じだったようだ。

「ほほぉ、それは楽しみじゃの。御前試合は諸国からも多くの大名や武士が訪れるからの。そこで白木の国の力を十二分に見せ付ければ、そう簡単に手出しは出来まいて」

「承知仕りました。鈴原の名において、白木の国に泥を塗る真似はいたしませぬ。必ず勝利を我が主君に捧げましょう」

「頼むぞ……鈴原の名に恥じぬ戦いを期待しておるからの」

「承知」

「ふっ……そこまでの自信があるのであれば、崩したくなるのが侍というものよ」

 十三がくつくつと笑いながら皮肉めいた台詞を吐く。冗談なのか――本気なのか、どちらともとれるような言い方だ。だが、相手もそんなことを言われて黙っているような性分ではない。

「あら先生、冗談は酒宴の席でなさって下さらない? これは他国に我々の強さを知らしめるための大事な試合ですのよ? それに、彩と先生では部門が違いますわ」

「そんなことは百も承知だ。だが、強い相手を間近で眺めながら仕合の一つでもできないとあっては蛇の生殺しと変わらぬわ」

「あらあら……先生は手合わせしないのでございますか?」

「大事な鈴原の娘に怪我をさせたとあっては樹殿に示しがつかないではないか」

 嘘か、真か。報復を恐れているのか、文字通り、鈴原家のことを考えているのか。その真意は決して表に出そうとしない。十三もまた百戦錬磨の侍だ。

「ならこういうのはどうじゃ? 今回の親善試合、子供の部の優勝者には特別に信楽十三との仕合を命じさせるという条件はどうであろ??」

「おお、それは誠でございまするか!?」

「十三には白木の国として多大な貢献をいたしておる。こういった褒美なら文句はないであろ、十三」

「もったいなきお言葉。この老骨、久々に血が滾って参りましたわ」

「ふふ……大名様も随分と粋な計らいをお考えになるのですね。私もその案には賛成ですわ。我が子の成長をこの眼でみるいい機会でしょう。その時は手加減無用でお願いしますわ。先生と仕合える技量を持つ童子は鈴原家正当継承者、鈴原彩に置いて他にはいない」

「それは楽しみだ。久しぶりに薙刀が持てるとあっては儂も怠けてはおれんな……」

「伝家の宝刀、『鬼薙刀』を? ふふ……先生も意外と初心うぶな部分があるのですね」

「樹殿……からかわないで頂きたい。『手加減無用』といったのはそちらだ。ならば儂とて同じことよ。戦場に大人も子供も関係ない。『常在戦場』、強きものだけが生き残るのがこの世界の摂理だ」

「それには賛同しますわ。ただ、それが正々堂々に行われるか、搦め手を使うか……違いはそこにしかないのですから」

 そういいながら思わず笑いあう二人。……と、十三はふと何かを思い出したように真剣な顔になると佇まいを直し、樹と正面から向かい合う。

「……時に樹。」

「……なにかしら?」

 樹も十三の変化に何かを感づいたのか、先程までの笑顔を消し、無表情な顔を作って低い声でそれに応える。

「貴殿にはもう一人の娘がいたはず。あちらはどうしている??」

 その言葉を聞いた瞬間、樹の目から光が消えた。そほどその事に触れられるのが嫌なのか、淡々と言葉を吐き出す。

「……あのような『家畜』、生きていてなんの価値がありましょう。『先生』のご意向により私は手を下していませんが、その気になれば何時でも殺せます。なぜ生かすのですか?」

「必要だからだ。」

「必要? お言葉ですが先生、“なにが”必要なのですか? 鈴原の名を汚すだけの哀れな存在に私は何の価値も見出せませぬ。赤子のときに定められた我が鈴原の掟に唯一物言いをしたのは他でもない、十三先生でしょう。あの時は私もまだ継承してさほど間がなく、従うより他に方法がなかった――だが今は違う。鈴原の正当なる継承者である彩がいる以上、あの者は既に用済み。ならば伝承を漏らさぬよう、口封じをするのが上策かと思いますが?」

「……成程、樹の言い分も最もだ。ではこういうのは如何かな? 樹殿、貴殿はあの娘を『家畜』で『無価値』だと言った。餌付けをするだけの存在なら、すでに鈴原家には不要。なら、儂があの娘の体躯と命の全てを貰い受けるとしよう。貴殿には不必要、儂には必要。どちらにとっても不利益な話ではないと思うのだが、どうかね?」

「貴様!! こちらが下手に出ればべらべらと都合の良いことを!! 鈴原の名に泥を塗るあの愚かな物の怪をあまつさえ放置するか!! 災厄しか生まないあの忌み子はこの世から消え去るべきだ!! 先生……今やあなたは鈴原よりも格下の存在。私があの存在をどのように扱おうが私の自由。貴様に指図されるいわれはない!!」

 余程十三の言葉が癇に障ったのか、それまで余裕だった笑みを崩し、激昂して机をバン! と叩きつける。ただの余所者に口出しをした挙句、今度は取引を持ちかけてきた。樹はそれが気に食わない。

「そうだ。儂はすでに鈴原に物言いできる立場でなくなった。だからあの娘をこの世から消し、『物の怪』に仕立て上げるのだよ」

「……なっ!?」

 樹が思わず絶句する。自分では意識していなかった言葉だったが、十三の言い放った今の言葉に心臓を鷲掴みにされた気分になった。『物の怪に仕立て上げる』、なんとおぞましい言葉か。樹は一度も妖のことを名前で呼んだことはない。『物の怪』『忌み子』『家畜』など貶める言葉は散々吐いてきたが、『仕立て上げる』と言われてゾッっとした。妖怪、怪異などの話はごまんとあるが、そんな恐ろしいものを自分達で作る、と言ったのだ。目の前の男は。

「貴殿はあの娘を『人』として見ていない。故にあの娘には愛情がない。愛情をなくし、心をなくした人はただの人形。こちらの命令をただ実行するだけの傀儡(くぐつ)。儂はそれが欲しい。人が心を無くすためにはいくつかの条件が必要だ。一つ、環境。二つ、孤独。そして三つ――裏切り。すでに樹殿はあの娘に孤独を強いる環境を与えている。歳月がたてばいずれあやつの心は砕ける。だが儂は、あやつの心がある一線で止まっているとしか思えない。それは『人』である為の一線。傀儡になる寸前であの娘はひたすら耐えている。それが儂には面白くない。故に儂はこの御前試合を利用して、最後の一線を越えさせてあやつの心を『獣』へと堕とす。同じ読み方でもあちらは『妖』と書くそうだな? ならば儂らで仕立て上げようではないか……本物の『あやかし』を。己の手足となる人形がいれば、汚れ仕事は全て『妖』の名を持つ物の怪が背負ってくれる。そして、物の怪は人を殺めても罪に問われない。物の怪に殺されたものはこぞってこう言うのだよ――『神隠し』とな」

「――『神隠し』。成程、あの娘を傀儡にし、都合の悪い人間を『神隠し』させる。諸国は『神隠し』されることを恐れ、我々の外交条件に都合の良い言い分を突きつけてくる。結果、白木の国は栄え、ますます門下生が増える。貴様の老後も安心、そして己の技術も継承させようというわけか……喰えぬ『狸』め」

 『信楽焼きの狸』は伝統工芸品として有名だ。本人も小さい頃それで散々からかわれてきたからよく知っている。だが、からかった相手は皆、自分よりも格下の存在だ。弱者の言うことになど耳を貸すつもりもない。……目の前の人間を除いては。

「『狸』――成程、上手いことを言う。だが、『家畜』とて存在価値はある。儂は己の手を汚す真似はしたくない。儂は前々から己の手足となって動く人形が欲しかった。だから鈴原家に双子が生まれたとき、儂はこうなるのを承知で貴殿に進言した。そこで権力が落ちようと儂にとっては瑣末なこと。大事なのは、どうやって今の環境を維持するかだ。『常在戦場』、常にこの世は戦だ。その為には綺麗事だけでは片付かない。戦場に出れば謀反や寝返り、暗殺など常に疑心暗鬼だ。その点において、信頼とは何よりも変えがたいもの。それは時として戦局すら覆すことを儂はよく知っている。兵が陣を敷くにあたって信頼できない武将に誰が命を好き好んで預ける? 『信頼』できるからこそ、兵は命を託すのだ。……それはそちらとて同じだろう、樹。貴殿は暗殺という汚れ仕事を引き受けるかわりに大名から全幅の信頼を受けている。それは儂にも断ち切ることは出来まい……だが、誰も好き好んで汚れ役を演じる必要はない。いつだってそういう役は誰かが裏で“糸を引き”、傀儡として利用する。利用価値がなくなれば舞台から引き摺り下ろし、人知れず消えてゆく。――いや、既に人ではないから『神隠し』にあった、といえばそれだけの事よ」

「……そこまで仰るのなら、既に『策』はあるんでしょうねぇ、先生?」

 樹は十三の考えにみるみる引き込まれていった。それぐらい残酷で、妖しく、魅力的な提案。『家畜』としての存在価値など無くとも『傀儡』として捉えるならばそれは『駒』。己の判断で動かず、こちらの命令のみ従う人形は実に都合がいい。用が無くなれば闇に葬るのは鈴原家の十八番だ。まるで甘露のように愉快で、滑稽な話だった。大名の前では少々刺激的なことだが、鈴原の掟を知らない人間には今の話の真意を汲み取ることなど不可能だろう。よって、十三がこの場で提案したことも実に賢い――いや、狡猾というべきか。

「勿論。言われるまでもないわ。儂を誰だと思うておる? 儂は『鬼』ぞ。人を殺めるのに情けなど不要。だが、この策には『信頼』が必要だ。信頼を培うには『時間』がいる。その為にはどうしても欠かせない人物がおる」

 ――だから、気づかなかった。十三の『策』の巧妙さは、自分が思っていたよりも遥かに複雑で、慎重で、綿密だったことに。既に十三の策は始まっていたのだ。

「それは、一体……?」

「お主の可愛い娘にして儂の愛弟子――鈴原彩だ。そして、この『策』は今より五年後、鈴原彩の継承の儀とともに完成する。それまで精々、『妖』に生を謳歌させておけ。『彩』が何をしようと、今までのように軽く牽制するだけでいい――大事なのは、悟られないことだ。儂が言うのもなんだが、小娘といっても既に鉄弦すら扱える技量に達しておる。だがそれよりも恐ろしいのは『直感力』。愛弟子の勘の鋭さを甘く見ないことだ。あやつは常に『姉』に気を配っている。僅かでも樹がその態度を変えようものなら必ず疑うぞ? 鈴原家の家訓、『風林火山』の意味を完璧に理解している。言葉では分かってないが、直感的に理解しているのだ。あの娘の恐ろしいところはそこにある。【風】のように近づき、【林】のように静かに伺い、【火】のごとく攻め、一旦疑ったら【山】のように動かない。必ず貴様がボロを出すまであやつは【山】となって待ち続けるぞ? それがどれほど恐ろしいか、分からぬ貴殿ではなかろう?」

「…………!!」

 十三の警告に寒気すら覚える。鈴原家の家訓を『完璧』に理解したというその事実、今の言い回し――間違いない。それは奴の眼が何よりの証明だ。鷹のように鋭く獰猛な瞳。間違いなく、本気だ。本気で私に警告している。母だからこそ油断が生じる――その甘さが命取りだ、といいたいのだ。この男は。修羅場の経験なら樹も決して負けはしない。だが、『常在戦場』として堂々と敵を倒してきた『鬼の十三』の一言はその重みが違う。

 (……『鬼の十三』にここまで言わせるか……我が子ながら大したものだわ)

 双子のあずかり知らぬところで『御前試合』の名とともに様々な思惑が渦巻く。

 ――大名はその試合を利用して近隣諸国との外交関係の取引に使う。
 ――樹は存在価値の無い『家畜』を排除するために自ら我が子を泳がせる。
 ――十三は彩を指導する傍ら、策の完成の為に時を待つ。

 三者三様の想いが交差し――螺旋の如く絡み合い、廻る。くるくる、くるくると――



[28115] 序ノ弐 ~御前試合~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/05/31 18:06

《五年後――》


 大天守での密談、あれから五年――白木の国は発展の一途を辿っていた。大名が座興で提案した『鬼の十三』との手合わせが強い者と戦う武士道精神に火をつけ、毎年開催される御前試合が急激に賑わったためだ。白木の国の象徴である白木城も正式に『白姫城』と名を改め、御前試合は一年においてもっとも盛り上がる祭典となった。

 ――ある者は、己の強さを図るため。
 ――またある者は、己の国の強さを諸国に見せ付けるため。
 ――またある者は、『鬼の十三』と仕合うため。 
 ――またある者は、自ら育て上げた刺客を放ち、この騒ぎに乗じて邪魔者を排除するため。

 武士としては己の力量を測る絶好の機会であり、大名としてはこの祭典を通じて他国に強さを見せ、より都合のいい条件で外交を行いたいという思惑。 表向きは明るくとも、その中身は狡猾な大人たちが繰り広げる腹の探りあい――心理戦だ。武で語るか、口で語るか。どちらにしても、『仕合』には変わりない。

 この五年は白木の国が常に優勝をおさめている。『鈴原彩 対 信楽十三』はもはや恒例行事となりつつあるくらいにだ。だが、そんなことが近隣諸国にとって面白いはずがない。白木の国は諸国に比べてはるかに小さい。だが、白木の国には『あの』鈴原家が常に控えている。弁舌で相手をやり込めることはできても、力では勝てない。我らが主君である大名の命を護るのは選りすぐりの親衛隊によって身を固めているのだ。

 だが、鈴原の暗殺技巧は親衛隊と呼ばれる選りすぐりの武を持つ親衛隊でも通用しない。闇夜に紛れた鉄弦は闇と同化し、音も無く相手を容赦なく死に至らしめる。たとえ日中であろうが、影のあるところさえあれば鉄弦は仕掛けられるのだ。ある年の御前試合では廊下を歩いていた大名の親衛隊が廊下の影を通るたび、一人、また一人と消されていった。またある年では、一夜にして近隣諸国の大名とその親衛隊が全員斬殺されていた。一度その思惑が分かった瞬間、『鉄弦』という名の制裁が彼らを襲う。どれほど闇夜を警戒しようがまるで意味を成さない。時には蜘蛛の巣のように張り巡らせ、時には首に巻きつけて。時には鞭のように引き裂く。まるで命をあざ笑うかのように対象者の命を無差別に、無慈悲に刈り取るのだ。この五年で鈴原家の恐ろしさは近隣諸国に瞬く間に広がった。街中では『鈴原に刃向かうものは殺される』という噂がまことしやかに流れていた。




 
『序ノ弐』 ~御前試合~




 『アヤ』がまた御前試合で優勝した。これで四連覇だ。今年優勝すれば五連覇となる。彼女は強い。体力ならそれなりに自信はあるが、私には技術もなければ師匠もいない。しかし、私はこの五年で大きく変わったことがある。それは外見だ。相変わらず私の髪の毛は腰まであり、前髪も垂らしているが、五年前まではろくに手入れもせず、ボサボサだった髪は今、烏の濡れ羽色のような美しい黒髪になっていた。服装も以前の襤褸切れではなく『アヤ』が新調してくれた和服によって随分と外見が良くなった。

 髪の毛が長くなると『アヤ』が髪の毛を定期的に揃えてくれるだけでなく、近くの小川で手入れまでしてくれるようになったからだ。私は刃物を持つことを禁じられているので、こういった身の回りの世話、特に身だしなみに関してはとても助かっている。最近、『染色草』なる草が発見され、反物屋が大いに賑わったのは記憶に新しい。今まで染物は草木をすりつぶして作った色から染め上げたもので、それほど鮮やかな色を出すことができなかったのだが、この草は自身が持つ色に反物を染め上げてくれる。赤い染色草なら赤く、青い染色草なら青く染まるのだ。今私が羽織っているのは、草木のような緑が映える簡素な衣服に紺の帯を巻きつけたものだ。選んだ人間は言うまでもないだろう。さして目立つこともなく、地味でもない。『アヤ』は私のことをよく気にかけてくれている。

 そして今日も私は『常世の森』で大きな幹にもたれながらゆっくりと平和な時間をすごしていた。ここには誰の邪魔も入らない。

 正確には『常夜とこよの森』といい、白姫城を中心に西に一一〇間(約200m)離れたところにある巨大な森だ。日中も殆ど日が差し込まないことからこの名がついたそうだが、縁起が悪いということで『常世の森』と名前を変えられた。それでも、地元の人間は近づきたがらない。なんでも『常世の森には妖怪が棲んでいて、入ると神隠しにあう』という変な噂が流れているからだ。私にはそんな俗世間の噂など興味もない。そういうわけで人間が立ち入らないこの場所は人間が吐き出す穢れた空気がなく、とても落ち着く。日中の時間を潰すときはよくここを訪れ、お気に入りの幹にもたれかかってゆっくりするのが習慣になっていた。眼を閉じ、ゆっくりとあたりの音を聞く。葉が擦れ、サワサワと心地よい音を立てる。風の吹き抜ける音がする。この森も、大地も、全ての生命が息づいているのを『感じる』のだ。この風に吹かれていると、三年前のあの時を思い出す。


《三年前――常世の森》


 御前試合が行われたその日、私は『アヤ』から教えられた『常世の森』に行き、あらかじめ教えられた場所へと向かっていた。私は人間が嫌いだ――だからあれほど多くの人間が集まる御前試合などには行きたくなかったのだが、「誰にも邪魔されない秘密の場所が『常世の森』にあるんですよ」という『アヤ』の言葉を聞いて興味が湧いた。なんでもその場所は白木の国を良く見下ろせる場所であり、特に御前試合の会場は全体がしっかり把握できるらしい。ただ、それなりの距離があるので人の姿を完全には把握できないのが問題だが、「姉さまなら大丈夫」というよく分からない根拠(多分本人も分かっていない)で私にその場所を教えてくれた。

 『アヤ』から教えられた場所は私のお気に入りの場所から五分ほど歩いた先にあった。そこだけなぜか木々もなく開けた場所になっており、本人の言うように会場全体がよく見渡せる。……だが、肝心の人の姿が豆粒程度しか見えない。相変わらず肝心なところで抜けている――

「ワァァァアアアアァアアアア!!!!!」

「!!!!」

 突然、大歓声が聞こえた。あわてて辺りを見渡すが、もちろん誰もいない。誰かいれば『直感』ですぐに分かる。ここにいるのは私だけ。落ち着いて目を閉じ、ゆっくりと辺りの音を聞く。

「…………」

 (草木の揺れる音、葉の揺れる音、木々の臭い……風の吹き抜ける音――ただ、何かが違う。風が強い。他の音がかき消されるようだ…………『風』…………そうか)

「『アヤ』……貴女って抜けているようで、その本質はしっかり分かっているのね。多分自覚はないんでしょうけど」

 思わず独り言が飛び出る。『アヤ』は「姉さまなら大丈夫」と言っていた。確かにそうだ。私は昔からあまり視覚に頼っていない。常に直感で行動している。成程、この場所は向かい風がふいている。音は風に乗り、遠くまで届く。そして私はその『音』と『気配』で状況を判断する――確かに私が昔からやっていることだ。彼女は知ってか知らずか、私が何に頼って生活をおくっているのか無意識的に理解している――私には到底真似できない芸当だ。これなら会場が見れようが見れまいが関係ない。木にもたれかかり、風に乗ってくる音や気配を『感じる』だけである程度は状況が把握できる。眼をつぶり、風が運んでくる音を聞き逃さないように集中する。

 ――観客の声援。
 ――武器同士のぶつかる音。
 ――叫び声。
 ――鬨を上げる声。悔し涙に嗚咽を流す声。
 ――人間離れした剣術が繰り出されたことによる驚嘆の声。

 声の大きさ、声量、気配。人々の声が私に様々な情報を与えてくれる。これが思いのほか楽しい。人間の中に入るのは嫌いだが、確かに試合は気になっていた。『アヤ』の帰りを待つ間、十三が毎日のように『常在戦場』と叫んでいたことで私も自然にその言葉や意味を覚えていた。『この世は常に戦場だ』と彼は教え子に説いていた。確かにその通りだ。だが、それを私に当てはめるならば、その言葉を誰よりも理解し、痛感しているのは他の誰でもない、私自身だ。何より生れ落ちた瞬間から『常在戦場』。他の人間とは年季が違う。一日一日を生きる為、死に物狂いで駆け抜けてきた人生なのだ。なぜ諦めなかったのかは私にも良くわからない。ただ、死にたくないという原始的な欲求に従ったのだけかもしれないし、もっと他の理由があったのかもしれない。

「ウウウウォオオオオォオオオォオオオオ!!!!!」

 ……突然、人間の歓声の雰囲気が変わった。まるで怒号のような、大地を震わせるような、そんな気配。何かを待っているのか、こちらまで血がふつふつと滾っていくような、そんな歓声。もし私があの輪の中にいたら、興奮のあまり我も忘れてただ叫んでいそうな――それほど異様に満ちた歓声だった。閉じていた眼を開け、垂らしていた前髪を左手で丸め、袖に隠していたかんざしで髪留めをする。(簪も立派な暗器なのだが、女性の身だしなみとしてこっそり『アヤ』から手渡されていた。相変わらず自分が何をしているのか解っているのかと疑いたくなるが、私も前々から欲しかったので黙っていた)もたれかかっていた木を支えにして立ち上がり、会場を見下ろす。そこには二つの影が居た。勿論、この位置からでは誰だかわからない。だが、私ならある程度の人間は『気配』で分かる。聴覚に加え、普段使わない視覚に神経を集中させ、注意深く気配を探る。

 ――片方は大きな、鋭い気配。もう片方は――

「!!!!!」

 背中に突然寒気が走り、思考を中断する。今の感覚は何だ? あれは人ではないまるで物の怪のような、おぞましい感覚。気がつけば、呼吸が荒くなっていた。鳥肌が立ち、寒気が止まらない。片方の気配はおそらく、今年の優勝者。『アヤ』とは気配の雰囲気が違う。大人特有のドロドロした気配がある。だが、もう片方の気配は一体なんだ? 物の怪? いや、もっと凄い。そう……例えるならば……『鬼』のような。

「鬼……『鬼の十三』……信楽十三か!!!」

 この気配は強烈だ。成程、『アヤ』が二連敗するわけだ。大人でも敵わないというではないか。なんでも、優勝者は十三と試合をする権利がもらえるらしい。腕に自信のあるものが食いつきそうな話だ。塀ごしではあるが、毎日道場の稽古の声を聞いていれば一際大きい十三の気配は嫌でもわかる。(なぜ毎日かというと『アヤ』が迎えに来てくれとせがむからだ。私は嫌なのだが本人はとても嬉しがっているので仕方がなく付き合っている)だが、今感じている気配は道場のそれとは気配の質がまるで違う。『鬼』の異名もまんざらではない。木刀と木刀が打ち合う音がこちらまで伝わってくる。だが、途中で音がピタリと止んだ。

「オオオオォオオオォオオオオ!!!!!」

 興奮の坩堝と化した観衆の声援、まるで合戦のようだ。その怒号に満ちた歓声の中で明らかに私は今までとは違う異質な『音』を確かに聞いた。それは気づかなければ歓声にかき消されてしまうような小さい音だったが、集中して聞き取るうちにその『音』が明確に聞こえてくる。

 ――ガキィン!! ――ガチィン!! ――チィィィィン!!

 (嘘!? 今のは――金属音!?)

 御前試合は模擬刀である木刀で行うのが慣例だ。だが、今の音は間違いなく本物の刀――真剣を使っている。白木の国はまだまだ小さい国だ。日中は活気があふれているが、夜になり、あたりが闇に包まれれば暗殺と謀略が支配する戦場へとその姿を変える。たとえ物置にいたとしても、時折風に乗って金属音があちらこちらから響いてくる。一歩間違えば自分も相手も死ぬかもしれないのだ。私は真剣を持ったことはないが、金属音の音はその環境から聞き慣れている。観客が興奮するわけだ。文字通りの“真剣勝負”。勝者は生き残り、負けたものは屍をさらすことになる。(だが、試合中の棄権も認められるし、武器が破壊されればその時点で戦闘不能となるので敗者は必ず死ぬとは限らないそうだが)

 その時、ふと私は一つの疑問を抱いた。今戦っているのは今年の優勝者だ。『アヤ』の話によれば、『大人の部』と『子供の部』の両方の優勝者が十三と試合をする権利が与えられる。そして『大人の部』の決着がつき次第、『子供の部』の優勝者と試合をするのだ。『アヤ』は子供の部において毎回優勝しているが、十三には一度も勝ったことがない。大事なのはその時、一体『アヤ』は何を持っていたのかということだ。子供だからと模擬刀を持たせるのか、それとも今のように真剣を使うのか。もし、後者なら――

「――――!! 『アヤ』!! 貴女、まさか――!!」

 その考えにたどり着いたとき、私は自分の考えに恐怖した。自分の妹が■ぬかもしれない――そう思った瞬間、突然目の前が真っ暗になり、思わず大地にへたり込んだ。集中しすぎて『アヤ』が■ぬ場面を頭の中に描いてしまった、腰が抜けている。呼吸が荒い。鳥肌が立っている。冷や汗が止まらない。今まで気づかなかったが、いつの間にか『アヤ』はこんなにも大きい存在になっていたのだ。私を唯一人間として認めてくれた人間は『アヤ』。身の回りを世話していたのも『アヤ』。そんな彼女がもし、■んでしまったら――私は……

「…………そうか」

 乱れた呼吸を整え、無意識の内に閉じられた眼を開き、膝についた砂を手の平でパンパンと叩き落として立ち上がる。なぜ私が彼女のお願いを断れなかったのか、今になってようやく理解した。そうか、だから私は道場に毎日通っていたのか。彼女の笑顔が、存在が、私を『獣』に墜ちる寸前でつなぎとめていてくれたのだ。嬉しかったのは『アヤ』よりもむしろ私だったのかもしれない。いつもなら死んだ魚のように濁った目をしていた私の双眸はこの時、日の光が差しこむほど澄み切っているような感覚だった。

「……彩」

 妹の名前を意識的に呟いたのは久しぶりだ。一人でにでたその言葉は誰にも聞こえることなく風に乗り、何処へと吸い込まれ、消えていった。
 なぜだろう――私と同じ音をもつ双子の妹だが、その響きは全く違うように聞こえた。

 ――これが『鬼』との初めての出逢いであり、『アヤ』の存在の大切さを知った瞬間だった。


 そして再び、時は廻りだす。くるくる、くるくると――



 ***   ***   ***



 今年も大名のもと、御前試合が行われる。彼女の目的は師である十三と仕合うこと。そして、十三には『四連敗』を喫している。三年前のあの時から、私の心は少しずつ変化していった。自分から『アヤ』との接点を作ろうとしたのだ。道場には率先して通い、『アヤ』の姿をこの目でみるまでじっと道場の声を『聞いて』いた。他の誰でもない、『アヤ』の声を。あれほど人間を嫌っていた私が、『アヤ』だけは失いたくないと本気で考えていた。あの娘がいてくれたから今の私がいることを今更ながらに知った。今年で『アヤ』は一五。元服を迎える年である。元服の儀を済ませば正式に大人の仲間入りだ。それは御前仕合の後に行われるという。その瞬間から鈴原家の名の下、自ら他者の命を奪う暗殺者となるのだ。そう考えると、なんだか『アヤ』がとても遠くに行ってしまうような感覚を覚えた。だから今年だけは、大嫌いな人間の輪の中に埋もれてでも『アヤ』の姿をこの眼で見ておきたかった。


《御前試合――三週間前》

 他の門下生が出て行ってもその中に『アヤ』の姿は無い。道場の中では十三の裂帛とした声と『アヤ』の鋭い声、木刀の打ち合う音が響いている。「どうした彩!! お前の力はこの程度か!! 常在戦場、殺す気でかかってこなければお前が死ぬぞ!!」「くっ……まだ……まだまだぁ!!!」『アヤ』の声と共にガーン、ガーンと木刀がぶつかる音が再開される。空も暗くなり、辺りを闇が支配し始めても、その音は止むことはない。私も眼を瞑り、二人の『気配』を集中して感じ取る。小さいが、刃のように鋭い彩の気配とまるで仁王のように巨大な十三の気配。互いの気配がいつにも増して鋭く、大きくなっている。今日は遅くまで練習するのだろう。私には待つことしか出来ない。

《御前試合――二週間前》

 いつものように二人だけになったあとの練習。だが、今日は一味違った。鼓膜を震わしたのは金属音――真剣で戦っていたのだ。本物の刃を使った模擬戦。その気配には殺気すら感じ取れる。そこまでやらなければ勝てないというのか。いや、『アヤ』がこれから辿る道はもっと過酷な茨の道だ。毎日が命のやり取りの繰り返しになる。時折、衣と肉の裂ける音がする。血が飛び散る音がする。その音を聞くたび、私は不安になってしまう。

《御前試合――一週間前》

 ついに一週間前となった。真剣を使った模擬戦を行うようになってから、私は『アヤ』の姿が道場から見えるまでどんなに遅くなろうと待っていた。『アヤ』の姿を見るまでは帰らない、と勝手に自分に言い聞かせた。そしていつものように物置で始まる夕飯……その前に思い切って切り出した。

 「こ……今年は『アヤ』の姿を間近で見たいのよ」

 言葉が途切れ途切れだが、なんとか言いきった。凄まじく恥ずかしかった。自分でも分かる……今、私の顔は果てしなく赤いだろう。穴があったら入りたいくらいだ。こんな恥ずかしいことは二度と言いたくない。だが、一五の元服の前にどうしても見ておきたかった。元服を過ぎたら、もう逢えないような、そんな気がしたからだ。だから私は恥をしのんで、なけなしの勇気を振り絞って頑張った。自分から他人にお願いするのはこれが生まれて初めてだ。これから先、私が他人にお願い事をすることなど、無いだろうから。

 『アヤ』はその言葉を聞いてぽかーん、と間の抜けた顔をしていたが、その言葉の真意がだんだん分かってくると同時に笑顔になり、最後にはきゃいきゃいと私の手をとって子供のように飛び跳ねて喜んだ。「私、今年はいつもより頑張っちゃいます!! 姉さまの前で、今度こそ先生を打ち倒します!! 姉さまがいれば百人力です!!」と元気な声で袖から招待券を取り出し、シュビッ! と両手で手渡してくれた。こんなに活き活きとした彼女は初めて見た。招待券を出すときもまるで刀を抜き放つが如く、無駄な動作が一切無かった。そんなに嬉しいことなのだろうか? ただその前に、一つ確認しなくてはならないことがある。

「『アヤ』、分かってはいるとは思うけど、父と母にこのことが知れたら冗談で済まなくなるから、なるべく人影に隠れるような場所がいいのだけど……当然、大丈夫よね?」

「………………………………………………あ。」

 その顔を見た瞬間、私は自分の意思よりも早く、半ば反射的に言葉を紡いでいた。

「気が変わった。やっぱり今年も常世の森から見ることにするわ」

 言うが早いか、いつものように彼女に背を向け、ゴザの上にごろんと横になる。いや、いつもより動作が数段速かったような気がする。

「わーわーわー!! 駄目!! それは駄目ですっ!! ちょ、ちょちょっとまって下さい!! いいいい、位置確認しますから!! えーと……ここがこーで……あそこがあの大名様で……」

「…………」

 恥ずかしいのを必死にこらえて一世一代の台詞を口にしたにもかかわらずこの有様。ちらり、と首だけをそちらに向けると「う~~~あ~~~」と変な声を出しながら地べたに座り、必死に招待状とにらめっこする御前試合の優勝者がそこにいた。首を元に戻し、眼を瞑って眠りの体勢に入る。「あ゛~~~~」と声にならない声で叫びながら髪の毛をわっしゃわっしゃする音が聞こえる。よほど混乱しているらしい。誰かに聞けばいいのに、と思ったがとりあえず放置しておくことにした。

 ――やはり聞いておいて正解だった。フゥ、と思わず安堵のため息が漏れる。本当にこの娘に任せて大丈夫なのだろうか。……慣れない事をしたせいか、妙に眠い――



《御前試合――当日》

 白木の国は多くの人間で賑わっていた。黒山の人だかりとはこういうことを言うのだろう。近隣諸国からも観戦に訪れる年に一度の武士の祭典。噂には聞いていたが、ここまでとは思わなかった。ギャーギャーやかましいが、私が此処にいることが知られたらもっと不味い。どうもこの五年、父と母の様子がおかしい。相変わらずぞんざいな扱いは変わらないが、『アヤ』の行動を見てみぬふりをしている場面が多々ある。髪の手入れも、簪も、五年前までは許されなかったことだ。『アヤ』は「女性の身だしなみを覚えさせるためです」と気にしてはいなかったようだが、私はどうも嫌な予感がしてならない。しかし、嫌な予感といっても小骨が引っかかる程度の些細なものだ。私が過剰すぎるのかもしれない。

 私が言うのもなんだが、『アヤ』はこの五年間、背丈は少し伸びたが見た目はほとんど変わっていない。ぱっと見れば童女と見られてもおかしくない。相変わらず肝心なところで抜けているこの娘が本当に御前試合という大舞台で優勝することが不思議でならない。だが、私は知っている。道場にいる時の『アヤ』は今とはまるで別人だ。その声も、気配も、もう一人前の侍だ。直感でなんとなく分かるが、実際にこの眼で見るのもいいかもしれない。今の私は五年前と違ってボサボサの髪ではない。風に吹かれればさらさらと舞うくらい、手入れが行き届いている。そのせいかわからないが、髪の毛の手入れをし始め、服装を変えてから『物の怪』と影口を叩かれることがほとんど無くなった。(それでも、周囲の冷たい眼は相変わらずだが、今更言うまでもない)お蔭で私はこの中にいることができる。私もこの五年でそれなりに背丈は伸びたが、周りの大人に比べれば小さいほうだ。これなら両親がいても気づくまい。

 私が此処に来た目的は『アヤ』の観戦だ。それ以外の試合は特に興味がない。今日一日の日程は既に『アヤ』から確認した。午前中が子供の部、午後が大人の部、そして優勝者と十三の試合の三部構成になっている。試合は胴着を着て木を使った模造武器で行われる。武器の種類は三種類、二尺三寸(約70cm)の木刀、ニ尺(約60cm)の短い木刀(小太刀)、そして三尺五寸(約100cm)の長い木刀(野太刀)の中から好きなものを選ぶことが出来る。子供の部はその中の一つだけだが、大人の部は二つまで選ぶことが出来る。流派によっては二刀流もあるからだ。形式は一対一の勝ち抜き戦で行われ、武器の破壊、相手を気絶、もしくは戦闘不能にさせたものが勝者となる。ただし、相手を殺すのはご法度である。試合中の降参も認められる。

 子供の部といってもその勝負は真剣そのものだ。やはり注目は現在四連覇中の優勝者、鈴原彩である。これまでの四年間、他を寄せ付けない圧倒的な強さで優勝をさらってきた。それを知ってか、今回は近隣諸国からかなりの腕利きが集まっているらしい。それは子供とて例外ではない。子供の部だというのに観客が山ほどいるのはどの人間も鈴原彩の武を見たいのだろう。なにせ、『鬼の十三』と謳われ、その名を轟かせた信楽十三の一番弟子。そして、裏の世界では最強の暗殺技巧を持つ鈴原家の一族。鉄弦を使ったその暗殺術は母である樹すら驚くほどの腕前だそうだ。(もっとも、噂話なのでどこまでが真実なのか知らないし、本人に直接聞くのも気まずい)

 今回、『アヤ』はいきなり一回戦から戦うこととなった。おかげで観客は総立ち、怒号のような声援が飛び交っている。とてもウルサイが興奮するのも無理はない。『アヤ』の背丈は四尺五寸(約135cm)に対し、相手は五尺二寸(約160cm)の大男である。これで『アヤ』と同じ十五というのだから驚きだ。しかし、武器はその体格に似合わず小太刀を用いている。とても不恰好かと思いきやそうではない。無駄に太ってないので小太刀を構えている様も実に見事だ。『アヤ』は木刀を構えている。相手も中々の腕前を持つらしいが……勝負はあっけないほど簡単に終わった。

 小太刀をもった大男が構えた瞬間、アヤの攻撃が相手の胴に深く突き刺さり、胃液をぶちまけて崩れ落ちた。背丈の小ささを利用して懐に一気に飛び込んだのだ。 なんのことはない、ただの「突き」である。だがその速度が異常に早かっただけだ。

 あの童顔で可愛らしい妹の姿はそこにはなかった。崩れ落ち、動かなくなった相手をただ冷酷に見下ろし、木刀に付着した汚物をヒュッと振り払うと、そのまま踵を返して帰っていった。その気配は例えるならそう……触れれば切れそうなほど研ぎ澄まされたような冷たい刃のようだ。これが武士としての『アヤ』の姿。生まれて始めてみる彼女の姿に開いた口がふさがらない。どうもそれは他の人間も同じだったようで、あれほど興奮に沸きかえっていた会場が水を打ったようにシーン、と静まりかえる。

 『動揺する気配』があちこちから伝わってくるのを感じる。私は周りの人間の表情から一つの簡単な推測をした。どうも今年は『アヤ』の戦い方が今までと異なるらしい。私はこの四年、常世の森の遠くから『気配』のみで試合を楽しんでいたにすぎない。『アヤ』が今までどのように相手を倒してきたのかも知らない。だが今の攻撃で私は一つだけ確信した。『アヤ』は本気だ。それも最初から全力。

 ――私、今年はいつもより頑張っちゃいます!!

 一週間前のあの言葉は嘘ではなかった。かつて教えてもらった鈴原家の家訓、【風林火山】……今の一撃はそう、例えるなら一陣の【風】だった。


 『アヤ』は順調に勝ち進んで行った。“怖いくらい”順調だった。そのどれもが一撃必殺。ある者は手首ごと武器を叩き落され、またある者は肋骨を砕かれ、またある者は鍔迫り合いからの裏拳で顔面の鼻がへし折れた。降参しようとしたものもいるだろう。だが、『アヤ』はそれすら許さない。ただただ、勝利だけを収めていった。観客の間から動揺が強くなっていくのを感じる。よほど今年の彼女の戦い方がおかしいのか。それとも、この試合の裏に何か意図があるのか。垂れ下がっていた前髪を横にどけ、『アヤ』の顔をみて気配を読み取る。こうすることで、さらに深く相手の気配を読むことが出来る。普段、私は人の眼を見ない。『目は口ほどにものを言う』からだ。大人も子供もみんな、私を見下したような眼でしか見ない。あえて視覚を使わないのだ。

 試合を勝ち進んだ『アヤ』の目をみて愕然とした。その目には何も映し出されていない。気配が読めない。いや、読んではいるのだ。だが、気配が深すぎて何も見えない……このまま飲み込まれそうなくらいに。深い深い井戸の中を覗き込んでいるように、今の『アヤ』には底がない。底なしの闇だ。

 ――オカシイ。

 私の直感がそう告げている。この三年、私は一日も欠かさず道場で彼女の気配を塀の外からずっと感じてきた。だが、一度たりともこんな気配を感じたことはない。

 いくら武士の気配とはいえ、こんな気配を『アヤ』がもっている訳がない。どれだけ追い詰められても、彩の本質はその明るい性格だ。気配はその人の心を鏡のように映し出すものだと私は考えている。もって生まれた素質は一日二日で変えられるものではない。だからこそおかしいのだ……まるで、何かに“憑かれている”ようかのように。その考えに行き着いた瞬間、絡まりあっていた思考が解きほぐされ、一つの線につながった。

 アレハ、ワタシダ。

 昔、水たまりに移った自分の顔を一度だけ見たことがある。『物の怪』と疎まれ、『化け物』と蔑まれ、ひとりぼっちだったかつての私が見たあの底なしの瞳。何者も映さない瞳。今の『アヤ』の顔は、まさにそれだ。何故そうなったかは分からない。

 これは私の推測だが、『アヤ』は試合直前か、その前日に何者かの手によってこうなるように“させられた”。この異様な状況を説明するには少々話が飛躍しているが、そう考えるのが一番自然だと感じた。さっきから、胸がざわざわする。幼い頃、雷雨に見舞われた時もこんな気分だった。晴天だったのに、妙に胸がざわついたあの日のことを思い出す。あれは嵐の前触れだった。

 『波乱』――そう、波乱だ。何かとてつもなく大きなことが動き出そうとしている。

 今年の御前試合は、何かが起こる。




[28115] 序ノ参 ~謀略~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/01 13:25

《御前試合――最終演目・特別試合》

 全ての演目は私の心配をよそに滞りなく進んでいた。子供の部での優勝者は今回も『アヤ』が勝ち取った。大人の部の優勝者も先ほど決まったところだ。普段ならこれで終わりなのだが、この御前試合の真の演目はここから始まる。今より五年前から新たに追加された試合――『鬼の十三』との特別試合だ。

 大人の部で優勝した相手と『鬼の十三』が中央に進む。相手は五尺二寸(約160cm)の男で、野太刀を構えて歩いてくる。だが、それは木刀で作られた模造品ではない。刃のある本物の太刀だ。そして十三は……

「……『鬼薙刀』だ!!」 「『鬼薙刀』よ!!!」 「あれが『鬼』の伝家の宝刀か……」

 観客がざわめき、あちこちで『鬼薙刀』という単語が聞こえる。十三が持っていたのは薙刀だ。それもかなり大きい。柄の長さは五尺(約150cm)、刀身は二尺(約60cm)、全長七尺(約210cm)はあろうかという薙刀だ。刀身も身幅が大きく反りもある。相手を突くのではなく、斬りつけるためにこうなったのだ。……そういえば、『アヤ』が言っていた。

 ――先生の道場には、かつて鬼を打ち倒したという言い伝えがある宝刀『鬼薙刀』がお守りとして道場に飾ってあるんですよ――

 宝刀、宝剣といった類のものは装飾が派手だったり、刃が潰れていたりと実際に武器として使用せず、祭典などの演舞などで使われることが多い。だが、ここに持ち出してきたということは本物の薙刀だ。私も噂くらいは聞いたことがある。百戦の戦に出て不敗。その強さから『鬼の十三』の異名で呼ばれていたことを。十三は元々一般男性よりも背が大きい。五尺六寸(約170cm)の大男である。四十にして今だこの筋肉、この風格。かつて主君を守るために矢を全身に浴びながらも倒れることなく死んでいった伝説の薙刀使い、武蔵坊弁慶の再来とすら呼ばれたことがある。

 その両者が試合会場の端から登場すると、観客の声援が怒号のように溢れ出す。興奮の坩堝と化した観客の声援に私はただ驚くばかりであった。ウルサイなどという世界ではない。耳をふさいでいなければ鼓膜が破れてしまいそうだ。熱狂している。血が滾り、もはや我を忘れて叫んでいる観客。常世の森で聞いたときのあの衝撃を忘れたわけではないが、実際の会場はもっと凄かった。

 どちらも本物の刃が入っている。文字通りの真剣勝負だ。ピンと張り詰めた空気に私も思わず袖から簪を取り出し、垂れ下がっていた前髪を留め、試合を『見る』ことにした。両者が中央で対峙する。その距離、およそ十尺(約3m)。審判の「始め!」という合図で大人の部の優勝者、野太刀をもった男が先手必勝とばかりに刀を繰り出す。それをみて十三は薙刀を下段に構え、薄く笑っているだけであった。

 一合。相手の刀を薙刀の刃が交差する。
 二合。もう一度打ち込んできた刃を薙刀が受け止め、そのまま切羽(刃の終端に丸く保護された金属状の部分)まで導くように受け流し、その力を円運動によって逆に己のものとしてひねりを加えて相手の剣を弾き飛ばす。
 三合。がら空きになった胴に鬼薙刀の刃が食い込んだ。

 裂かれる肉、飛び散る鮮血。たった三合の打ち合いで相手は地面に倒れ落ち、観客はさらに熱狂する。今の一撃で右わき腹を切り裂かれた。衣服に血がしみ込み、赤い模様を作ってゆく。十三は崩れ落ちてゆく対戦相手を片手で引っつかみ、そのままつかつかと会場の端へ歩いていくと外へ無造作に投げだした。

 「たった三合でやられるとはそれでも武士か!! この小童がっ!! 話にならんわ!! 大名様のお膝元で行われるこの神聖たる会場に貴様のような穢れた血がつくことすら儂は許さぬ!!まだまだ青いわ!! 出直してくるがいいっ!!」

 十三の怒号に満ちた声が辺りを包む。相手が弱いわけではない。十三が強すぎるのだ。これが合戦を実際に経験した武士の力だというのか。常在戦場と毎日のように叫んでいたのは自分が平和の中にいても腐らないための言葉だったというのか――こんなバケモノのような男に『アヤ』が太刀打ちできるのか??

 「次ィッ!!」

 檄を飛ばすような十三の声に応えるように小さな影が会場の端から出てきた。『アヤ』だ……だが、さっきまでとは様子が違う。あの底なしの瞳ではない。光が宿っている。いつもの『アヤ』の表情に私は少しだけ安心した。だが、『アヤ』の服装を見て私の目が思わず点になる。真っ黒な布に包まれ、無駄な鎧もつけないその姿――忍装束だ。口元は灰色で染め抜かれた布で隠されており、髪も布で一まとめにしている。そして、両手には紫の布で覆われた物体を抱えていた。その姿に、観客は再び熱狂する。今年の大一番、『鈴原彩 対 信楽十三』の試合だ。見渡せば、諸国の大名ですら視線が一点に集中している。それだけこの試合を期待していたものが多いということだ。

 「来たか、我が弟子……鈴原彩よ」

 まるで待ち焦がれていたかのような声を出す十三。だが、『アヤ』の発した言葉は意外なものだった。

 「先生……今回『だけ』は負けるわけには行きません。この試合、私が勝ったらあの約束……守ってくださると誓いますか?」

 「当然だ。男に二言は無い。だが、『力』を使わずに儂と死合おうとするのか??」

 ……何だ? 今の会話は? 二人は一体何を言っている? だが、お互い意味は理解しているようだ。 力? 約束? 一体何のことだ? それに今回だけというのはどういうことだ? 分からない。二人の言っていることが全く分からない。ただ、私の知らないところで『何か』が動いている。『アヤ』はその『何か』の為に戦っている。一週間前、『アヤ』は先生を倒す、と言っていた。今の言い方からすると倒すというよりは倒さなければならない、という言い方のほうがしっくりくる。『アヤ』の眼を見ればなんとなく分かる。何かを覚悟した眼だ。

 「『私』は『私』です。誰の『力』も借りません。己の力で貴方に立ち向かい、そして――勝つ!!!」
 
 そう高らかに宣言すると、もっていた紫の布を空高く放り投げる。オオッ、と観客からどよめきの声が上がる。中から出てきたのは……二振りの刀。片方は紅く、もう片方は青緑のような色をしている。紅い刀は野太刀のように大きく、『アヤ』の身の丈よりわずかに小さい程度。青緑はそれより一回り小さく、今まで扱ってきた木刀より僅かに長い程度だ。だが、この二振りの刀は異質だ。

 一つ、刀身が大きすぎること。
 二つ、鞘がないこと。
 三つ、鍔が無いこと。
 四つ、鉄の色をしていないこと。

 どれをとっても刀に当てはまる要素がない。当然、こんな剣が暗殺に向く筈がない。ただ無骨で、大きいだけの物体だ。儀礼用の剣だとしても刀身自体に色のある刀など見たことがない。なぜこんなものが我が家の家宝なのか? 此処に持ってきたということは当然、この刀も相手を殺すために鍛たれたものであることだ。出なければ、こんな大事な試合に持ってくる訳がない。

 観客が動揺している。あれは何だ、とか、あんな刀は見たことが無い、とか、あれは大きすぎる、とか。分からない。『アヤ』の意図がわからない。相手の動揺を誘うようなものなのか? だが相手はその異質な刀を見ても動揺するそぶりさえ見せない。『アヤ』もそれを気にしている様子は無い。狙いはそこではないのか。だとしたら、何故……?

 「我が鈴原家に代々伝わる宝剣……『蒼紅一対剣』。この刀で、貴方をたおす!!」

 紅い刀を背中に担ぎ、青……というより緑色のような刀をした剣を両手で構える。

 「その気や良し!! さぁかかって参れ!! 我が名は信楽十三!! 『鬼の十三』とは儂のことよ!!」

 そう宣言すると、十三は腰につけていたお面をかぶる。『鬼』をかたどった面だ。まさしく、『鬼の十三』。その面で、表情が隠れる。鈴原家は代々暗殺を生業としてきた一族だ。感情を表に出さない訓練は当たり前のようにやっている。その対応策なのだろうか。私には細かいことは分からない。正当継承者でない私に情報など伝えられることは――ない。

 「第七代鈴原家正当後継者、鈴原彩!!」

 彩もそれに呼応するように名乗りを上げる。正真正銘、本気の一騎打ちだ。

 「「いざ、尋常に……勝負ッ!!!」」

 審判の『始め!』という合図と共に、両者が同時に飛び出し、互いの獲物をぶつけ合った。




『序ノ参』 ~謀略~



 十三と『アヤ』の試合は苛烈を極めた。十三の間合いを熟知しているかのように薙刀の先端で攻撃を打ち払い、薙刀が大きく振り払われたところで一気に接近する。薙刀が『アヤ』をとらえた瞬間、目にも止まらぬ速さでまた元の位置へと戻り、防御する。力と力では『アヤ』はどう考えても不利だ。だから正面から戦うことはせず、一撃離脱の戦法を取っている。だが、それをただ黙って見過ごす十三ではない。長い間合いを利用した突きで『アヤ』の動きをとめ、すかさず斬りあげる。それを刀で弾き、さらに後ろに下がるがその瞬間、大きな影が出来ていた。十三がそれを見越してさらに前進していたのだ。薙刀が上段から振り下ろされる。だが『アヤ』は冷静にその軌道を見定め、刀をそっと触れさせて切っ先をそらし、その反動で十三の首を狙う。しかし、一足早く十三の持っていた薙刀の柄がそれを阻止した。

 まさに一進一退の攻防。緑色の刀と十三の薙刀が再び激突する。十三はその長い間合いを駆使して柄で『アヤ』の手を薙ぎ払うとそのまま彼女のわき腹に柄を叩き付けた。刃の部分がないとは言え、しなりが加わった柄の破壊力は軽量な『アヤ』の体を飛ばすには十分な隙といえた。「隙あり!!」と十三が叫び、薙刀を袈裟懸けに切り上げる。薙刀が触れる瞬間、『アヤ』は急に後ろを振り向いた。そこにあったのは――担いでいたもう一振りの刀。

 ――ガキイイイィィィィィン!!!!

 十三の薙刀が背中にある刀に激突する。その衝撃を利用して『アヤ』は体を転換させ、素早く十三の懐にもぐりこむ。それがくることをあらかじめ予測していたような動き。狙いは一つ、完全にがら空きになった十三の――首。

「はぁぁぁあああああ!!!!」

 裂帛の気合と共に打ち出される緑の斬撃。『アヤ』は体が小さい。大きな刀では今の『アヤ』では刀に振り回されるのが関の山だ。だからあえて――防御に回したのだ。自分が決定的な隙を作ったときの防御策。確実に油断した相手を仕留めるために彼女なりに考えた結果なのだろう。その発想の柔軟さに改めて驚かされる。刀の重さはそのまま遠心力となって破壊力に転化する。例え体は小さくとも、今の衝撃で生み出された遠心力と彼女の腕力、そして刀自身の重さが加わり、緑の刀は風のように十三の首を確実に狙っていた。今から防御に回ってもおそらく間に合わない。よしんば間に合っても、致命傷は避けられない。勝負あった――とその場にいる誰もが思った。

 ――だが、現実は私たちの予想を遥かに超えていた。

 刀が当たる瞬間、十三の姿がまるで霞のように消えたのだ。

「……とらえた、と思ったか? 彩」

 大人の男が出す独特の低い声。信楽十三だ。彼は斬撃が繰り出された一歩後ろに居た。いつからそこにいたというのか、薙刀の柄を地面にトン、と置いている。

「だが、今の一撃は良かった。普通の男であれば確実に仕留めているだろう。……儂を相手取るにあたって『後の先』を狙う奴がいるとは思わなんだ。いやはや、驚いたぞ……彩。その剣にそんな使い道があるとはな」

「私も驚きました。どうやって今の一撃を避けたかを見る暇はありませんでしたが……」

「そうか……それは……『残念だ』」

「何が、残念なのですか? 先生……」

 あくまで真剣に『アヤ』は言葉を紡ぐ。だが、十三の発した言葉は『アヤ』すら想像だにしない言葉だった。

「貴様では、儂に勝つことなどできん。彩、お前はこの二振りの剣の、“本当の使い方”を知らない。この剣の真の力を引き出さずに負けるほど、儂の腕は錆びてはいない」

「……!? 知った風な口を叩くな!! この型も、この刀を使った攻撃方法も一度たりとも見たものは居ない!! ましてや、先生に見せるのはこれが初めての筈だ!! なぜそんなことが言える!?」

「なんだ、そんなこともわからんのか……愛弟子にしては随分と思考が短絡だな。簡単なことだ。儂はこの剣……“見るのは初めてではない”からの」

「えっ……」

 『アヤ』の思考が止まる。鈴原家にとって家宝は命にも匹敵する価値のある代物だ。それを『見た』の一言で済ませられてしまうほど、簡単な世界ではない。私ですらこの目で初めて見るのだ。いくら愛弟子とはいえ、そんなことはしない。それでは母か? それも考えられない。母は鈴原家の頭首だ。見せられる危険があるというのならその秘密ごと闇に葬るだろう。だが、十三は『アヤ』の動揺した姿などは気にもとめず、構えを崩さない。

「今回は特別だ。お前に敗北を刻む前に、この薙刀の『本当の力』を見せてやろう。大名様の御前でもあるこの試合、諸国の馬鹿共に鬼の怖さを知らしめるいい機会だからな……」

 十三が薙刀に何か力のようなものを篭めた。すると――それに呼応するように鬼薙刀の刀身の周りに紅いもやのようなものが出来てゆく。

 バチ。バチバチバチバチ…………

 刀身を中心にバチバチと火花のようなものが飛んでいる。その異様な光景に沸き立った観客が静まり返る。鬼の気配に飲み込まれているのか、不可思議な現象を見ているせいか、誰もがあの不思議な刀身に目を奪われていた。

「教えてやろう。この刀は東方で生まれたものではない。別の国で作られたものだ。儂の『氣』に反応し、刀身から雷光が迸るのだ。雷は体内を駆け巡るが、この柄は雷を通さない。だが、この刀身で斬られたものはまるで落雷にあったかのように全身が痺れ、傷跡が焼け焦げる。この力を引き出すのは十年ぶりだ……さぁ、死にたくなかったら『覚悟』を決めることだな」

 一歩、二歩。これまでとは違う気配が十三を包んでいる。赤い気配が全身を覆っている。本当に鬼のようだ。気配が彼の後ろに巨大な鬼をかたどってゆく。ただでさえ大きい十三の体が倍近く大きく見える。あれほどの殺気を目の当たりにして、動ける人間など居るのだろうか……ゴクリ、と誰かが喉を鳴らした音が聞こえる。まずい、このままでは……

「あ……あああ……」

 『アヤ』の剣を持つ手が震えている。動揺している。目から光が消えてゆく。秘密を見られたというその事実。そして十三の巨大すぎる威圧感。怯え、恐怖、動揺、絶望。様々な感情が『アヤ』から感じ取れる。『アヤ』はなんとか構えようとするものの、震えた手では防御することすら出来ない。いや、すでに刀の意味を成さない。十三の殺気に完全に気圧されている。このままでは本当に『アヤ』は死ぬ。こんなところで『アヤ』を死なせてたまるものか。とにかく、何か外的な刺激を与えて、なんとか『アヤ』の意識をつなぎ止めなければ――!!

「さぁ、どうした。かかってこなければ、こちらからいくぞッ!!!」

 十三が駆け出す。いけない――このままでは……『アヤ』が……妹が……斬り殺される!!! そう思った瞬間、私は叫んでいた。

「『アヤ』!! 駄目!! 構えて!!!!!!」

 
 静まった会場に私の声だけが届く。その声を聞いた瞬間……十三の動きが止まった。ゆらり、とゆっくりこちらを向き、私と十三の眼が……合った。


「……そこにいたか、薄汚い『あやかし』め」

「え……」

 なんだと? どういうことだ? 『そこにいたか』とは一体……なんのことだ!!!!

「彩が儂に打ち勝てば見逃してやる心算だったが……勝負あったな。しかも自分からその位置をばらしてしまうとは……物の怪風情が情に流されたか??」

 そうか、そういうことか……そういう、ことだったのか……だから『アヤ』は家宝まで持ち出して十三に勝とうとしたのだ。他の誰でもない、私の為に……だがなんだ、このおぞましい十三の声は。底冷えするような、ドロドロした声。本当にさっきの人物なのか?? まるで別の生き物に見える。鬼の面に隠れて表情が見えないことが、余計十三の怖さを増幅させる。

「いけない!! 姉さま!!! 逃げてぇぇ!!!」

 『アヤ』の悲痛に満ちた声が聞こえる。瞬間、はじき出したように私は飛び出した。さっきからする胸のざわつきはこれだったのだ。十三の狙いは『アヤ』と仕合うことではなかった。本当の狙いは……この……私!!

「捕えろ」

 十三の冷たい声が響く。すでに刺客が放たれていたのか、私が逃げるよりも先に押さえつけられ、拳と手刀を腹と首に叩き込まれて私の意識が暗転した。

「姉さまぁぁぁぁあああ!!!!」

 意識が途切れる寸前――私は『アヤ』の泣き声と十三の不気味な声を確かに聞いた――



《鈴原家隠し部屋――生贄拷問室》


「う……ううん……なッ!!!」

 眼が覚めたとき、私は縄で両手両足を後ろ手に縛られ、地面に転がされていた。コツン、コツン、と誰かがくる音がする。扉から入ってきたのは、蝋燭を食器に一本だけ持った『アヤ』の姿だった。それを棚の上に立てかけると、顔を近づけて私に話しかける。

「あら、ようやくお目覚めですか? お姉様」

「『アヤ』!? これは一体……!!!!」

 『アヤ』だ。黒い装束を着ているが、確かにこの声、この姿。まさしく『アヤ』だ。だが、なにかが違う。寒気がするようなこの感覚。なんなんだ……この底なしの瞳は!? 本当に私の知っている『アヤ』なのか!?

「お姉様があそこで叫ばなければ、私は先生の隙をついて勝っていたかもしれないと言うのに……私の仕合を邪魔して……一体何様のつもり!? 人の皮をかぶった物の怪のクセに」

「…………ッッ!!」

 『物の怪』。私が物心ついていたときから言われてきた悪口だ。だが、『アヤ』に心を開き、信頼を寄せていた彼女の言葉はどんな鋭利な刃物よりも私の心に深く深く突き刺さる。あまりの衝撃に声すら出ない。胸が痛い。傷口が抉られるようだ。

「なによその眼? そんなに私の態度がおかしい? ふふ……そうよねぇ……可愛い妹が実は先生と共謀していたなんて、驚いた?? ねぇ……『お姉様』? 私の“芝居”、上手だった??」

「…………!!」

 共謀、だと!? 芝居、だと!? じゃぁ、あの態度はすべて、嘘だったというのか? 私の髪を手入れしてくれたことも、夕飯を持ってきてくれたことも、衣服を新調したことも、簪を持ってきてくれたことも全部……全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部!!! 芝居だったというのか!! じゃぁ共謀というのは……あの試合も既に……仕組まれていた試合だと、そう言いたいのかっ!!! 

「あらあら、物の怪にしては、随分と反抗的な眼をするのね? あなたは犬畜生と同じ、獣以下の存在よ? この汚らわしい『家畜』が。とっとと死ねばいいのに――ここはね、鈴原家の隠し部屋、通称『生贄拷問室』。鈴原の名に泥を塗った人間を殺すために作られ、世間の闇に葬るためだけに存在する部屋。この部屋では何をしようが関係ない。ここから逃げ出すことも不可能。あたり一面、鉄弦を張り巡らせておいたわ。迂闊に動けばあんたの体はあっという間に細切れよ??」

 人なんて、信頼するんじゃなかった。目からなにか液体のようなものを伝わっていく感触がする。畜生……畜生ッ……!!!!

「…………ッ……グズ……」

「あらら、泣いてるの?? やっぱ物の怪でも泣くんだ? でもそれも私と同じ芝居なんでしょ? 相手を油断するための……。 私は以前こんな話を聞いたわ。『物の怪には赤い血が通っていない』って。あなたもそうだったのね。でもよくできた芝居よね。思わず同情しちゃうわ……あ、でもあなたはもう『人間』ではなかったわね……なんて呼ぼうかしら? 『妖しい』の妖だから、『あやかし』っていうのはどうかしら?? 素敵じゃない? 生まれたときから既に貴方は人間ではなかったということよ、『妖』さん。人間は殺すと罰則があるけど、妖怪を殺したところで罪は無いわ。むしろ災害からこの国を救ったことで鈴原の名はさらに知れ渡る。あなたはそのための生贄となるのよ」

 心が、砕けていく。……私の信じてきたものは、一体なんだったのか。最愛の妹だと信じてきたというのに、それも全て芝居。私はただ、手の平の上で踊らされていたただの人形だったのか。私の目から光が消えていく。力が、抜けていく。もう……何も無い。私は人ですらなかった。ただの獣。いや、それ以下か。『あやかし』。妖と名づけられたときから、私の運命はすでに決まっていたのか。生きることも、死ぬことも、何もかも自由ではなくなった。手足の縄が切り裂かれ、自由になっても私は逃げることすら考えなかった。

「お父様とお母様から『元服の差し入れ』を頂いてきたわ。お鍋だそうよ。お姉さまにも分けてあげる。はい、どうぞ。『お姉様』」

 そういって取り出したのはお椀に入った一杯の鍋。一掬いして持ってきたのだろう。怪しすぎる。私に差し入れだと? 『家畜』扱いする実の両親が私に差し入れすることのほうがよっぽどおかしい。

「どうしたのです? 食べないのですか? 食べないなら……私は食べきるまでこの場を『動かない』わ」

「!!!」

 そうだ、『アヤ』はこういう性格なのだ。何があっても自分の意志を貫くのがこの娘の本質。たとえ性格は変わっても、その本質を変えることは出来ない。

「それでも食べないというのなら……その体躯、鉄弦でばらばらになるわよ?」

 首に、足に、手に、腕に。四肢を鉄弦で絡め取られていた。私に選択肢などない。例え罠だと解っていても、私にある選択は『食べる』ということだけだ。お椀を持ち、流し込むように食べる。箸なんて物はない。獣らしく、手で喰らえということか。癪な話だが、意外とおいしかった。『分けてあげる』といった意味がなんとなく解る。『アヤ』ならこのおいしい鍋を私にも食べさせようとするだろう。だが、目の前のこいつは……ナンダ? 何が目的だ??

 最初はなにも感じなかったが、次の瞬間――全身の血液が逆流する錯覚を覚えた。口から、鼻から、耳から。穴という穴からボタボタと何かが垂れ落ちる。この錆び付いた独特の臭い……血!!

「へぇ……その症状……常世の森に自生する毒性の茸、『毒天狗茸』ね。私が食べたときにはなんともなかったんだけど……まさかお父様とお母様がここまでするなんてねぇ……」

「ウ……ウォァ……ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」

 口からボタリボタリと流れ落ちる。体に毒を流し込まれた。しかも口からだ。消化器系を通って全身に毒が行き渡るのを感じる。このままでは『アヤ』が手を下さなくても死ぬだろう。『アヤ』の声が耳元で聞こえる。もうナニモキキタクナイ。だが、私の耳は無関係に音を拾ってしマう。もう……何もかもがどうデモよくなった。体中の力が入ラナイ。生きる気力も無くナッタ。コノママ……闇ノ中デ消エテイク……

「それじゃぁ、サヨナラ」

 鉄弦が無慈悲に唸る。私の命を刈り取る、死神の鎌が。






 





 だが、一向に私の死は訪れなかった。

「……ニゲテ」

「??」

「……ニゲテ、オネエサマ……ニ……ゲテ……」

 たった一つの蝋燭の明かりに『アヤ』の顔が照らし出される。そこには何も映さない底なしの瞳から一筋の涙がこぼれていた。

「……カラダ……ウゴケナイ……テツゲンデ……ニゲミチ……ツクッタ。モウ……ジカンガナイ……」

「『アヤ』? いったい……これは……ウグッ!!」

「ハヤク!!! 私ガ、ワタシをオサエテいるウチニ!!!」

 『アヤ』の声が重なって聞こえる。見れば、『アヤ』は鉄弦の糸を引っ張らないようにプルプルと震えている左手を右手で懸命に固定している。あれが私の四肢に巻きつけていた糸の終端なのだろう。あれが動いたら最後、私は本当にこの世から消える。『アヤ』は必死に私を守ってくれようとしたのだ。緩くなった鉄弦から四肢を外し、自由になった手足で首に巻きつけられた鉄弦を外す。鉄弦に触れたからといって切れるわけではない。弦を引く圧力で相手を切り裂くのだ。弦さえ動かければそれはただの糸と変わらない。

 辺りを見渡すと、この部屋よりもさらに暗い闇が見えた。人一人がかがんでやっと通れるくらいの道。もともとその部分が腐っていたのか、鉄弦で切り裂いたことによって穴が空いていた。

「モリ……ネエサマのスキなモリ……オオキナ木……皮ヲハギトッテ噛ミツク……毒ガ中和サレル。」

 何故だか知らないが、彩は私が常世の森のお気に入りの場所を知っていた。あの大きな幹の表皮に、そんな作用があったとは。

「ア゛……ヤ゛……」

「イッテ……生きて……おねえさま……」

 壁を潜り抜ける寸前に一度だけ、一度だけ彩の顔を見る。底なしの瞳、感情を何も移してはいないが、確かに笑っていた。涙に濡れて、笑っていた。その姿を見た瞬間、私は覚悟を決めた。

 彩をこんな目にあわせた奴は誰だ。私を『あやかし』にするのは構わない。だが、私の大事な妹にこのような事をさせた奴を、私を最後まで人間として接してくれた妹を貶めることだけは、絶対に許さない。こんなひどいことをした奴は誰だ。その手がかりを探すのは、今しかない。一瞬、一瞬だけでいい。私は毒に全身を犯されながらも今ある全ての気力を振り絞り、彩に取り付いている気配を極限の速さで探る。脳が高速で思考を開始し、鼻血がボタボタと流れ落ちる。そんなのに構っている暇はない。とにかく時間がない。一瞬で彼女の深奥まで感じ取るくらいの勢いでなければ、今度こそ『アヤ』に殺される。だが、そんな危険は百も承知だ。それでもやらなければならない。生きて、と確かに言ってくれたのだ。

 だが、私はそれ以上に『アヤ』を苦しめた黒幕が許せない。彼女はただ利用されただけだ。それも、『アヤ』が最も嫌う方法でそれを実行させた。『アヤ』が私を殺してしまったら、彼女は一生をかけて罪を償おうとするだろう。そんなことは断じてさせはしない。私は『アヤ』の姉だ。ただ逃げるだけではない。必ず何か手がかりを掴んでやる。

 私が出来るたった一つの抵抗――気配を読む直感力を限界まで高め、一瞬で彼女の深淵まで到達する。『アヤ』をこんな目にあわせた奴の手がかりを探すには、これが最短なのだ。だが、そこは底なしの闇だ。闇に食われそうな恐怖を必死で追い払う。息が荒い。まだだ。まだ奥がある。この底なしの深淵のさらに奥、『アヤ』ではない誰か別の気配を感じる。私には解る。感じる。ナニカガイル。取り憑いている奴がいる。さらに深淵に潜り、そいつの気配を探し出す!!

「――ミヅゲダ。」

 彩の後ろに確かにその姿を『見た』。口の中が血だらけで上手に発音できないが、『アヤ』に一言だけでも伝えたかった。伝わったかどうかなんて考えている時間はない。すぐさま壁をくぐり抜け、脱兎の如く駆ける。血のように紅い瞳。二本の角。口を閉じてもまだ見える巨大な牙。あれはまさしく『鬼』。この世界に『鬼』と呼ばれる人物は一人しかいない。

「…………奴……カ……ゴホッ!! 『鬼の十三』……信楽、十三……!! ムグ……ムグググググ……ッッッ!!!」

 嗚咽と涙をこぼし、血反吐を壁に一度吐き捨ててから駆け出す。血の跡から探索されないように着物の袖に噛み付き、地面に落とさないように懸命にこらえる。

「ウウウウウウウ……」

 今の私に出来ることは、ただこの場から一刻も早く逃げること、そして、体中の毒を消すことしか出来なかった。少しでも気を抜けば、毒に犯されたこの体は容易く私の命を奪う。それを精神力だけで支え、懸命に駆け抜ける。『アヤ』の作ってくれた千載一遇の機会を無駄にしないために。幸か不幸か、子供の頃から毎日追い掛け回されていたせいで、走ることには自信があった。暗闇も関係ない。もともと気配だけで探って生きてきた。ここがどこだか分からないが、そんなことは関係ない。森の『気配』は体が覚えている。その気配のする方向に全力で駆け出せばいいだけだ。一分でも早く、一秒でも早く。あらん限りの力を振り絞って私は駆けた。



 ***   ***  ***  



「――始末したのか??」

「……はい」

「それにしては、妖の姿が見えないではないか」

「……予想外に反抗的な態度をとったので、毒を盛りました」

「ほお、自分の姉でありながら、そこまでするか」

「あれは姉ではありません、先生。あれは人の皮をかぶった『バケモノ』――そういったではありませんか」

「……で、肝心の『妖』はどこに??」

「…………毒を盛ってなお、私が妹だと信じていたようです。結局、あと一歩のところで心は砕けませんでした。失敗です。念のため、手足の縄を切断したと同時に鉄弦を四肢と首に巻きつけました。毒で血反吐を吐きながらも私に触ろうとしたので、つい『殺して』しまいました。死体はそこの板の隙間から落としました。板を外せば縦穴につながっています。底は見えませんが、永遠に発見されることはないでしょう」

「そうか……それは残念だった。せっかく、私の作品が手に入るかと思ったのに、あと一歩及ばずだったか。しかし、つい『殺す』とは彩、お前は母である樹よりも性質たちが悪いな」

「血にまみれた手で私に触ろうとしたのです。反射的に鉄弦を動かしてしまったのも仕方の無いこと」

「ふむ……それは一理あるな。たしかに、血が板の隙間に吸い込まれているな。なんと穢らわしいことか。だが、これで全ての計画は滞りなく終了した。彩よ、礼を言うぞ」

「礼などいりません。私は先生の勝負を邪魔された。その報復に過ぎません」

「ならあとで道場に来い。今度は本気で死合おうではないか」

 そう言い残すと、十三は踵を返して部屋を出て行った。一刻も早くこの部屋から出たいのか、やや足早な音がする。一人だけ取り残された彩はただ、姉が抜け出した隙間を一人、ジッっと眺めていた。



「――ゴメンナサイ」



 それは、誰に対しての、謝罪だったのか――



《――常世の森》

「ごろじてだる!! がならず……ごろじでだる……!! わたじをあやがじにじたぞのぜぎきん、びをぼってじれ!!!」
(殺してやる!! 必ず……殺してやる!! 私を『妖』にしたその責任、身をもって知れ!!)

 大粒の涙がこぼれる。いつも腰掛けていた大きな幹の樹木から表皮を剥ぎ取り、それに噛み付いた。体に循環している毒が徐々に薄れていくのを感じる。血反吐を吐きながらなんとかここまでたどり着いた。その目に宿るのは、憎しみの炎。涙など一度たりとも流したことのない私が、涙を流している。裏切られた。完璧に嵌められた。何の関係もない、妹まで巻き込んだ。私を『妖』にするための策として、彼女すら利用した。絶対に許せない。もう誰も信じない。誰も認めない。ここから先は本当の『常在戦場』だ。強きものだけが生き、弱きものは死ぬ。私は『アヤ』に命を救われた。でも、何もしてあげられなかった。彼女を救うことも、運命から解き放つことも、何も出来なかった。無力な自分が情けない。悔しい。悔しすぎる。こんな命、いつだって捨てても良かった。だが、今からは違う。『アヤ』が文字通り命がけで救ってくれた命、決して無駄にはしない。

(必ず……復讐してやる……父、母、そして――全ての黒幕、信楽十三。貴様を殺すため、私は『妖』として生きる。それまで……何があっても生きてやる!!! 生き残って、お前らに復讐してやる!!!)


 その夜、鈴原妖の姿が、この国から――忽然と消えた。



[28115] 第一幕 ~七詩~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/01 15:37


     ――人生は選択の連続である――

     ――たとえそこで間違ったとしても、それが糧となり、新たな選択肢を生み出す――

     ――失敗は決して後悔するものではない――

     ――マイナスからスタートするのだからこそ、助走をつけてより遠くへ飛べるのだ――

     ――必要なのは、それをする『覚悟』だ――






「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……」

 私は闇の中を走っていた。ただ、走っていた。私は独りで生き抜いてきた。そして運が良かったのは、ここが常世の森だったということだ。常世の森はいわば私の庭のようなもの。人間の冷徹な視線から逃れるために毎日のように足に運んだことが功を奏した。何を食べ、何が毒か。水の位置はどこか。この森についての知識が私に生き抜くための力を与えてくれた。そして、追っ手から逃れるために血の痕跡を残さないように走り、血がついた部分は川にある水を使って洗い流した。

 だが、常夜の森をあてもなく彷徨っていたのではない。目的があるのだ。目的があるからこそ、迷わず真っ直ぐに走っていた。西方へ。昼も夜も、ひたすら、ただ真っ直ぐに。とにかく西方へ向かって走っていた。太陽の位置を確認しながら、ただひたすら、真っ直ぐに。



 ***  ***  ***



 東方の世界にはちょっとした噂がある。

 ――常世の森のさらに西に、妖怪たちが大量に棲んでいる――

 という噂だ。私にとってそれはとるに足らない世迷言だったが、彩から聞いた話はそれとは少し違ったのだ。

「姉さま、知ってますか? 『常世の森のさらに西に、妖怪たちが大量に棲んでいる』っていう話がここ最近、噂になっているそうですよ」

「そんなの世迷言よ。それに、妖怪なんて私は信じないわ。私は毎日のようにあそこにいるけど、なんの気配も感じない」

「そうですね……あそこの森は姉さまが一番詳しいですものね。でも、先生から聞いたんですが――あの話にはまだ続きがあるんだそうです」

「続き?」

「はい。『常世の森のはるか西には、魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが跋扈(ばっこ)する世界がある。それらの化け物を倒すことを生業としている人達がいる』という話です。私はどうして東方の国が他の国と交流を持たないかずっと不思議に思ってました。それに……これは偶然耳に挟んだ話なんですが……」

 彩の声が急に真剣みを帯び、声が小さくなる。よほど聞かれてはまずいことなのか。

「あれは道場で私が帰り支度をしているときのことでした。何か話があるのか、母様が道場を訪ねてきたのです。理由はわかりませんが、なにか先生に内密な話が合ったのかもしれません――私にはその内容がよく解りませんでした。そのとき、偶然にも薙刀の話題に触れたのです」

「……以前言っていた『鬼薙刀』の事?」

「そうです。母様も薙刀の真相を知りたかったのか、この薙刀をどこで入手したのか気になっていたようです。噂どおり、どこからの大名からのお礼の品だと言っていました。ただ、先生は最後に一言、こう付け加えたんです。」



 ***  ***  ***



 ――あの薙刀はな、この国で生まれたものではない。別の国で化け物を斬る為に打たれたものだ――


 あの時言った彩の言葉がもし本当なら、この常世の森のはるか西に、まだ見ぬ国が存在するということだ。確信はない。だが、試してみる価値はある。しかも、十三は御前仕合の時も同じ事を言っていた。


 ――教えてやろう。この刀は東方で生まれたものではない。別の国で作られたものだ。儂の『氣』に反応し、刀身から雷光が迸るのだ――


 どちらも『ココで生まれたものではない』という点において共通している。こと武士道という点においてあいつは嘘をつく人間ではない。彩の話と十三自ら口にした薙刀の真実――それが何かの鍵となることは間違いない。そしてその答えは……きっとこの先にある!!

 私はその真実を知るため、そして十三の目的を知るために私はあえて『妖』となり、故郷を捨てた。もう私を縛るものは何もない。衣服が破けようが、素足になろうが、棘で皮膚が裂けようがが関係ない。あがいてあがいて、生きることにしがみつくことをひたすらに考えた。三日三晩、昼も夜もひたすら走り続けた。常世の森は『常夜』の名の通り、昼でも日の光が差し込みにくく、鬱蒼とした森だ。ときおり太陽の位置や折れた幹から覗く年輪の方向を確認し、西へと突き進んだ。そして四日目となったある日……いつものように森の中を駆け抜けていたら突然目の前を光が覆った。

 森を抜けた――と気づいたのは自分の体が宙に投げ出されたあとだった。暗闇に目が慣れていたせいで、森から抜け出した瞬間日の光をもろに浴びてしまったのだ。

 着地に失敗し、地面をごろごろと転がりながらようやく私の動きが止まる。その時、聞きなれない『気配』と『声』が聞こえた。

「ストーーーップ!! アプノーートス、ストーーップ!!!」

 まだ目がチカチカする。視力が回復していない。獣の声と、男性の声。どうやらなにか馬のようなものの前に飛び出してしまったようだ。びっくりするのも無理はない。だが、「すとっぷ」とはなんだ? 聞いたことがない。

 誰かが『降りて、近づいてくる』気配がする。私の衣服はぼろぼろだ。武器もない。視力はだんだん回復してきたが、まだ立てるような状況ではない。

「おいおいなんだぁこりゃ? 突然森から見慣れないカッコしたレイディーちゃんが飛んできたぜ?? ん~~~??」

「…………」

 とにかく不味い。一刻も早く、この場を去らなければ。ふらふらとしながらもなんとか動こうとする。だが、私の体は自分の意志とは反してなかなか動いてくれなかった。そういえば三日三晩ろくに飯も食っていない。ひたすら走り続けていた。日の光を浴びて緊張が解けたのか、意識が遠のいてゆく。

「ヘイヘイ、そんなフラフラしてどこ行こうってんだ? そっちは立ち切り禁止区域だぜ? それによ、着てるものもボロボロじゃん……ん~~、でもやっぱ、見慣れネェな……ランポスーツボディの色違いか?……でもちょっと違うしな……本人に聞いてみるか。HEY!! ハニー、あんたどっから来たんだ??」

「……と……」

 駄目だ……意識が……とお……のいて……

「と??」

「とう……ほう……」

「トーホー? なんだそりゃ? どっかの村か?? ……って気絶してるし!! まったく、今日はいったいなんなんだ?? ん~~、でも髪が邪魔で顔がよく見えないな。ちょっと素顔をば拝見……と……お? おおお??? おおおおおお!!! やべぇぇぇぇ!! 超可愛いじゃん!! マジ俺の好みど真ん中直球ストライクなんですけど!!」

 突然、男が妖の素顔を見た途端、暴走した。どうも彼女が気絶したその素顔が彼のハートを見事に直撃したようだ。よほど嬉しかったのか、マシンガンのごとく言葉が彼の口から吐き出される。

「何!? なんなのこの展開!? 独り寂しくハンターを営む俺の悲しい祈りが届いたのか!? うぉぉ、毎日歌姫様に祈っておいて良かった~~!! なんか俺、テンション上がってきたんですけどー!! これは春!? 春の到来!? うぉぉおお!!! 見える、見えるぞぉ~~!! 春の到来が見えるぞぉ~~!! おし決めた!! この子を介抱して、俺のいいところをバッチリ見てもらおう!! はい、そうと決まれば即実行、ってか!! いくぜ、アプノートス!!!」

「ヴォフ」

 彼の気合の声が届いたのか、アプノートスと呼ばれる獣もそれに応えるように声を返す。

 かくして、気絶した妖は妙な男に抱きかかえられ、アプノートスと呼ばれる獣の後ろにある荷車に乗せられるのであった。
 これも何かの運命なのか、はたまた神の悪戯か。理由はどうであれ、幸運にも妖はこの妙な男に命を救われることとなった。


 運命の車輪は、再び時を刻み、新たな歴史を紡いでゆく。くるくる、くるくると――





『第一幕』 ~七詩~




 ここはハンターが集う大きな街、ドンドルマに向かう田舎道のあぜ道ど真ん中。運がいいのか悪いのか、往来に行きかう人は誰もいない。今居るのは男女が一人ずつ、それに彼が引き連れる竜車(アプトノスと呼ばれる草食種のモンスターに荷車をつけたもの)だけだ。

「うう……ううん……あれ、私……」

 ガタゴトガタゴト。まず私の耳を震わしたのは、今までに聞いたことのない不思議な音だった。 

「そうだ……森を抜け出して、往来に飛び出して……気絶して……はっ!?」

 慌てて髪の毛を下ろし、気配を探る。『大人』が一人、『獣』が一匹。そしてこの音。どうやら私は『何か』に乗せられているらしい。地面からガタゴトと音がするのは、どうも車輪の音のようだ。フゥ、とため息一つ。とりあえず命は助かったらしい。その安堵から、荷車の背にもたれかかり、空を仰ぐ。日の光がまぶしいが、髪の毛を通してなら慣れている。そういえば、日の光を浴びたのは一体、いつ以来だろうか……

「おっ、ハニー……気づいたようだな。怪我はねぇか??」

「!!!!」

 結論から言おう。気づいたら、男がいた。しかも、意外と近い。考えてみれば当たり前だ。荷車の中に人間二人。荷物の間に互いがいるのだ。私は足を折り曲げて座っていたが、男は私の正面にあぐらをかいて座っていた。『つば』のついた不思議な茶色の帽子をかぶっており、その奥から金色の髪を覗かせている。口元には手入れを怠っているのかそれともわざとなのか、無精髭が生えている。全身も茶色を基調とした服装をしているが、東方の国とはその服装は明らかに違う。

「…………」 

 さて困った。私は彩以外の人間と会話したことがない。その前に、どう話せばいいのか? とにかく、このまま故郷へ戻されるのだけは避けなければならない。必要最低限の言葉で何とか乗り切ることにしよう。

「おやおや、ハニーは喋れねーのか?? ん~~……」

「…………そんなことはない」

「なーんだ、ちゃんと話せんじゃん。……よかったよかった。おおそうだ。名を名乗とかなきゃな。コレ大事。とーっても大事だ。俺の名はディム。ハニーは??」

 はにー? なんだそれは? よく解らないが、私のことを言いたいらしい。

「名など、無い」

 即答した。私はもう名前を捨てたのだ。アヤ、と名乗ることは許されないし、これからもその名前を名乗るつもりも無い。だから、私に名前は……無い。

「おお!! そーかそーか!! 『ナナ・ド・ナイ』というんだな!? まるで炎妃龍『ナナ・テスカトリ』みてぇだな!! じゃぁ、略して『ナイ』って呼ぶな。それでいいか??」

「…………」

「な……なんだよその眼は……俺何か変な事いったか? そんなにネーミングセンスは悪くはないと思うんだが……」

「…………貴様は何か勘違いをしている」

「ハァ?? だっておめー、さっき『ナナ・ド・ナイ』って名乗ったじゃん」

「…………」

 断言しよう。こいつは馬鹿だ。それも筋金入りの。大人はみんなこうなのか。それとも、私の言い方が悪かったのか。そういえば、先ほども『ナナなんとか』と妙な単語を口走っていたが、私には何のことだかさっぱり分からない。だが、こんな名前では少々不便だ。とりあえず淡白に切り返すことにする。

「…………そうではない。名前が、“無い”。だから、『名など無い』と、そう、言った」

「名前、ねーのか?? なんで?」

「捨てた」

「どーして?」

「貴様には関係ない」

「おいおいおいおい……そりゃぁねーだろーよ。ハニーを介抱したのは俺だぜ?? 多少は何か教えてくれてもいいじゃんかよ」

 くっ……確かにそうだ。形はどうであれ、この馬鹿に命を助けられたことには変わりは無い。だが、私もこのまま引き下がるわけにはいかない。髪の毛を垂らしているからこちらの表情は分からないだろう。

「…………私を故郷に返さないというのなら、少しだけ教える。それが条件だ」

「(うわー……なかなかヒドイこというなぁ……でも、俺はめげねーぞ!! ここで無理に突き放して印象を悪くさせるのはダメだ。ここは我慢、我慢だ俺!! 素直に紳士らしくハニーの言い分を聞いて、好感度をあげるんだ!!)ん~~~……クールだねぇ……そういうトコもイカスなぁ……まぁ、本来なら条件を突きつけるのは助けた俺のほーなんだが、ここは紳士らしく、レディ・ファーストってことで譲るぜ。さ、とりあえず故郷には返さねぇ。だから教えてくれ」

 おかしい。なんだコイツは。私は明らかに相手が不利となる条件を突きつけたのに、それを意にも介さない。それどころか、こちらの条件を飲むとまで言った。こうくるとは予想外だ。意外と曲者なのかもしれない。奴の気配を探ってみたが、いまいち掴みどころが無い。悪気はなさそうだが……ここは話をあわせておいたほうがいいだろう。それと、先ほどのひどい言いがかりも謝罪せねばなるまい。

「……先ほどの非礼、お詫びする。私は、東方の出身だ。理由は話せないが、家を飛び出した。その時に私を狙う者がいないように名前を捨てた。だから、今考えている……そうだな。私のことは『七詩(ななし)』と呼んで欲しい。」

「『ななし』ちゃんね。オーケーオーケー。んじゃ、可愛く『ナナ』ちゃんって呼ぶことにするわ。」

「……助かる」

 可愛いは余計だ、と一言言いたかったが、なんとかこらえた。

「つーかさ、家を飛び出した!? 見かけによらず、随分と思い切ったことをするんだなー。ところで、東方出身といったか? なーるほど、道理でナナちゃんにはところどころで言葉が通じないわけだ」

「私の国を……知っているのか??」

「ああ、名前だけはな。東方の人間は『こっち』には少ないからな。ナナちゃん以外にも何人か東方の人間と出会ったが、今のよーに俺の言葉を不思議そうな顔で眺めてたぜ。しかしアレだな、家を飛び出したってことは、やっぱハンターになるためなのか?」

「??……『はんたぁ』とは、なんなのだ??」

「あちゃー……そこからか。えーと、なんて言ったらいいのかな。モンスター……って言っても分からないよな、うん」

 よほど私の質問が初歩的だったのか、男が顔を手で覆い、上を向く仕草をした。……もんすたー? なんだそれは?? 駄目だ、さっきからちっとも話が分からない。

「東方の言葉でなんつったっけな……えーと…………おお!! そうだ、思い出した。『化け物』だ、『化け物』。人間じゃぁ到底かなわないような化け物を倒してその見返りとしてお金を稼ぐ職業って言えばわかるか?(ナイスだ俺!! いいぞ俺!! 我ながらパーフェクトな説明だ!!)」

「…………!!」

 ――莫迦な。

 その言葉に思わず目が丸くなる。化け物を、倒す、だと?? 十三と彩の話を考えても一応、辻褄が合う。『でぃむ』といったか……ちょっと頭のネジが緩んでいそうな奴だが、嘘をついているようには思えない。

「あれ?? そんなに驚くことか?? ハンターになるために家を飛びだしたんじゃねーのか? ハンターになりたい理由としちゃぁ、よくある話なんだがなぁ……」

 う~ん、と男がおでこのあたりをポリポリと掻きながら唸っている。どうも『家出=ハンター』というのが『この世界』では定説となっているらしい。確かにそれから考えれば私が家を飛び出した理由としてはおかしいと考えるのが普通だろう。誰が考えたって『身内から殺されそうになったので家を飛び出した』という理由は変だ。私が逆の立場なら絶対に疑う。だが、もし目の前の人間がその『ハンター』ならば……

「一つ、訊いてもいいか??」

「おっ!! なんだなんだ!? 俺様の腕前か? 俺の腕前はスゲーんだぜ? こーみえてもなぁ……」

 彼が喋りだしたが、私には関係ない。兎に角、真実を確かめねば。もし、こいつの言うことが真実なら『アレ』を知っているかもしれない。そもそも素性の知れない人間を匿っているのだ。そして私は丸腰。もし実力行使に訴えられたら私には勝てる術が無い。

 ――これは、賭けだ。さぁ、どう出る??

「…………『鬼薙刀』という武器を、聞いたことはあるか?」

 その言葉を聴いた瞬間、スラスラと流れていた彼の口がピタリ、と止まる。今までヘラヘラとしていた口が引き締まり、急に真剣な表情になった。空気が張り詰めていくのが分かる。まずい、単刀直入すぎたか!? 私は会話するのに慣れていない。くそ、迂闊だったか……



「――あるぜ」

「………………え?」



[28115] 第ニ幕 ~さすらいの狩人(ハンター)~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/01 15:40

 今、この男はなんと言った??

「――『鬼薙刀』、だろ? 太刀の一種だなありゃ。金獅子ラージャンの武器を使った『太刀』だ。雷属性が付与されている太刀だが、はっきりいって弱い。強化しなければ実践では使い物になんねー武器だ。ただ、『鬼』と呼ばれるラージャンを倒した証として一振りは作る人が多いから、そんなには強くないが名前だけは知られているぜ。俺様はガンナーだから全然関係ねーけど……って、ナナちゃんどうした!? 顔が真っ青だぞ!? 大丈夫かオイ!?」

「…………そ…………ん……な……」

 そんな――莫迦な。

 こんな、偶然が、あるというのか――しかも、この男。東方では伝家の宝刀すら言われる鬼薙刀を“そんなに強くない”と言った。ということは……この世界にはあれを超えるような武器がいくつもあるということだ。 『鬼』、そして『化け物』、それを倒す為の『武器』。そして、『鬼』の異名をとる人間は東方の世界でただ一人!!

 私の中で、全ての糸が、一本の線に繋がった。これが、私の捜し求めていた『真実こたえ』!!

 十三は、あいつは……『この世界』のことを、知っている!!! あの『鬼薙刀』こそが何よりの証拠!! あの武器は此処、西方の世界で作られた!! そして、何らかの方法でその武器を持ち帰り、今の地位まで上り詰めた!! ならば、私のやるべきことは一つ!!


「……れるのか?」

「はい??」

「なれるのか??」

「いや、何にさ? ちょ……ナナちゃん……さっきからどーしたよ?? 変だぞ? 顔青くしたり、考え込んだり……何をそんなに焦っ――」


 ――ウルサイ黙ってろ、この下衆野郎がっ!!!


「私も、その『ハンター』とやらに、なれるのかと、訊いているんだ!!!」


 肩で息をしているのが分かる。さっきから余計なことをペラペラと。ウルサイったらありゃしない。『立て板に水』というのはまさにお前の為にあるような言葉だ。イライラがついに限界点を突破したせいで、つい大声を出してしまった。今までの不満や怒りをぶちまけたせいか、多少は心が落ち着いた。相手は私の剣幕にびっくりしているようだが、そんなのはお構いなしだ。

「(つーかなんで俺、怒られてんの? な……なんか俺、気に障ることでもしたか? 特別心当たりは無いんだが…… ん~~~、女心ってのはわかんねーもんだなぁ……)あ、ああ……なれるぜ。ただし、年齢制限がある。十五歳にならなければ、ハンターとして登録が出来ないぜ?」

「十五……だと? 十五……大丈夫だ。私は今年で十五になる。」

 よかった。これで十三に近づく第一歩を踏み出せる。だがもし……あと一年。あと一年ずれていたら……そう思うとぞっとする。まさに首の皮一枚、ギリギリの綱渡りだ。再び荷車にもたれかかるが、突然男がこっちに近づいてきた。だが、眼がさっきよりもさらに真剣になっている。なにがあったというのか?

「しっ……ハニー……ちょっと伏せて口を閉じてろ。『クック』がきやがった。あそこをみろ……あの草原から走ってくるモンスターが見えないか?」

 そう言って、小声で呟くと、荷車の陰に隠れてそっと指を指す。私もそれに習って体を伏せる。『気配』が一つ、近づいてくる。それも、かなり速い。そして、荷車から顔半分覗かせた私の眼には、トンデモナイものが映っていた。

「な……何!? 化け物!?」

 巨大な『鳥』のようなものが、こっちに向かって全力で駆けていた。しかも、訳の分からない雄たけびを上げながら、何か炎のようなものを撒き散らして走ってくる。巨大な翼。全身を覆う桃色の体躯。巨大なくちばし。ギョロリとした眼。そして頭には扇のような謎の物体がついている。よくあの細い首であれだけのデカイ頭を支えていられるものだ。足も妙に細い。しかし、先端にはしっかりと獲物を引き裂くための鉤爪がついている。 

「そう、化け物。こっちの世界じゃ『モンスター』って言うんだぜ。ありゃー『イャンクック』、またの名を『怪鳥』。まぁモンスターの中では下級だが、油断するとあっという間に殺されるぜ。ま、俺様強いからなーんも心配ねーけどな。あいつは顔の上にある大きな耳で音を探知するんだ。どうやら俺たちを獲物と勘違いして襲ってきたらしい。しかし妙だな……この辺じゃ普通は見かけないんだが……ま、そんなことはどうでもいいか」

「……だから私に『黙ってろ』といったのか??」

「イエース……さすが、ハニーは物分りがいいねぇ♪」

 男もかなりの小声でしゃべっている。襲われているのはこちらだというのに一切緊張を見せないこの男。よほど己の強さに自信があるのか。それとも単なる阿呆か。私は後者だと思う。だが、あの耳が音を集音する為の器官だとしたら厄介だ。ということは、かなり小さな音でもあの耳で探知できるということ。私の息遣いも探知されているのか? どこまで精度があるか分からないが、可能性はある。一応呼吸を最小限にとどめ、とにかく男の出方を伺う。どう対処するつもりだ??

「……お前の言いたいことはよく分かった。だが、その前に一つ質問だ。……さっきから連呼しているその『ハニー』とは一体なんだ?」

 そう、さっきから『ハニー』『ハニー』ととても親愛の篭った言葉をぶつけてくる。私にはそれがたまらなく不愉快だ。見ず知らずの女になぜそんな言葉を投げかける? その言葉の意味は一体なんなんだ? 貴様の真意はなんだ? 色恋沙汰に疎い私でも、さすがにこれだけ身近に気配を探っていれば、イヤでも分かってしまう。

「ん~……知りたい??」

「早く答えろ」

「んもう、イケズだなぁ……せっかちな女は嫌われるぜ?」

「そんなことはどうでもいい」

「あぁ……心のこもったアドバイスを何事も無くバッサリ切り捨てるそのクールさがたまらないぜハニー」

「……」

 とりあえず殺気をこめて睨みつけてみる。すると、ワタシの気配が変わったことが分かったのか、男がため息をつく。
 そして、口を開いた。



「『愛しのお姫様』だって意味だよ、ハ・ニ・ィ♪」

「……」




 …………………………聞くんじゃなかった。




「俺様のハートはな……すでにアンタに撃ち抜かれているんだぜ……そう――」

 そして取り出したのは――見慣れない形の鉄の筒。おそらく『種子島』のような銃だろう。だが、その砲身は異常なまでに大きい。

「――こんな、風にナァ!!!」




『第ニ幕』 ~さすらいの狩人(ハンター)~




「おい貴様!! 私には黙ってろと言ったではないか!!」

 私は小声で注意するが、全く耳を貸そうとしない。男は目の前の化け物にまるで宣戦布告をするがごとく大声で叫ぶ。化け物との距離は肉眼でそれなりに確認できるようだったが、今の叫び声で完全にこちらの音を探知した。クルリと振り向くと、雄たけびを上げて走り出す。巨体に見えるが、意外と速い――!!

「ああ、抑え切れない……この想い!! まさにハートブレイク!! 美しさとは罪!! ああ、なんという罪!! 抑え切れない激情が俺を熱く、熱く包むぜっ!! 盛り上がってきたぜぇぇぇぇ!!!!  『デンデデッデデレデンデデッデデレデンデデッデデレデンデデッデデレ……』」

  突然、狂ったように歌いだす莫迦一名。……先刻、こいつは私に向かって『口を閉じてろ』と言ったな? じゃぁ、今の貴様はなんなんだ? 目の前の化け物に食われるぞ?

「『ララララ ラァーアーアーアー♪ ララララ ラァーアーアーアー♪ ルルルルルゥルルゥー♪』」

 一つ問いたい。奇声を上げて叫んでいる今の貴様は何だ? 

 あれは歌か?
 こいつは莫迦か?
 莫迦なのかこいつは。

 やはり大人は腐っている。歌も止まらないが、相手の動きも止まらない。少なくとも、このままでは激突は免れない。

「『ヘェーラロロォールノォーノナーァオオォー♪ アノノアイノノォオオオォーヤ♪ ラロラロラロリィラロロー♪ ラロラロラロリィラロローォ♪ ヒィーィジヤロラルリーロロローォォォ----♪』イィ~~~ヤッハァ!!!!」

「ヴォォ!!」

 莫迦の勢いは止まらない。それに連動して、歌の早さも何かに突き動かされるように加速していく。

「さぁーて皆さんお立会い!! イャンクックは自分が生きるために小さな音でも探知するほど感度が高い大きな耳を持っているんだな~♪ ではここで問題です!! そんな感度のたかーいセンスァーを持っているクックちゅわんに、至近距離でドデカイ音をかましたら一体どーなるでしょうかっ!! 正解は~~……」

 そういいながら投げつけたのは、灰色をした不思議な玉。それが化け物の顔面に当たった瞬間――破裂してキィィンと不思議な音を立てた。


 ――AAAAOOOOOOOOOOO!!!?!?!?!?!?!!??


「『その大音量に鼓膜が破壊され、クックはその動きを一定時間停止する』でーしたッ!! さぁ、遊びは終わりだ……楽しい狩りの時間パーティの始まりだぜッ!!! HOOOOO!!!」

 私たちにはそれほどウルサイ音ではなかったが、目の前の化け物は相当効いたのだろう。眼の焦点がはずれ、ふらりふらりとその場に立ち尽くしている。動けるまでにはかなりの時間がかかりそうだ。こいつは化け物の習性を知っていて、わざと近くに化け物をおびき寄せたというのか。

 だとしたら……こいつは……この『ディム』という男は……化け物モンスターを狩る為の技術を持った『狩人ハンター』!!!


「いっくぜベイベー!! 喰らえ俺の魂のリビドー!! カモォォン!! 【バール=ダオラ】ッ!! 装ッ!! 填ンンッ!!」

 ――ジャコッ、と音を立てて男が棒のようなものを引いた。おそらくあれで弾丸を装填するのだろう。


「ハッハァ~……いつ見てもイカスゼ相棒……解説しよう!!

――この【バール=ダオラ】は新たに発見された従来のモンスターよりもさらに凶悪な剛種モンスターから採取された素材を元に開発され今まで手動で装填せざるを得なかった弾丸の装填部分を改良し常に新しい弾丸が自動的に装填されてしまうというまさにドンドルマの歴史を変える一丁でありこの32mm口径から吐き出される弾丸はなんと秒間5発のスピードを延々と保ち続けそれは手持ちの弾丸がなくなるまでエンドレスに打ち続けることが出来それはまさにめくるめくロンド(輪舞曲)の世界を髣髴とさせ見るもの全てを魅了して止まない一丁であり発射されたが最後もはや誰にも取れられない暴れ馬のように弾丸を吐き続けるこの素晴らしい武器はドンドルマ工房長の手により生まれ変わった機構であり速射という従来の機構を極限まで昇華した臨界限界究極到達点!! その名もぉ~~~~♪  

超・速・射!!!

さぁ……そこで見ていてくれ、麗しのハニー……今からアイツを、俺のこの爽やかなハニカミ顔のような笑顔で倒してくるぜ……オオ……イェェェス……」

 ……よくあれだけの説明を一呼吸で言い切れるものだ。しかも一度も噛んでない。無駄にすごいが、やっぱり莫迦だ。才能の無駄遣いとはこういうことをいうのか。

「用意はいいか? いいぜ? いいぜ? 俺はいいぜ?? いつでもいいぜ? Do you 覚悟完了? さぁいくぞッ!!」

 一人で勝手に盛り上がる莫迦一名。
 ……もう勝手にしてくれ。


「この! 俺の! 爽やかな笑顔に相応しい! 最高の技! その名も……


ハ・ニ・カ・ミ!!!(きらん☆)


ファイアッ!!!


 ――ドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドス!!!

「――!!」

 まるで驟雨しゅううの如く、途切れることなく撒き散らされる銃弾の嵐。その光景に、思わず目を見開く。

 あれだけ巨大な『的』ならどこを狙っても致命傷だろう。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、ではないが……目の前の男は確実に化け物の顔面を中心に狙っている。銃口から吐き出される弾は化け物の嘴を、大きな耳を、眼を抉り、貫き、化け物に風穴をあちこちに開けていく。穴という穴から飛び散る鮮血。それは見るものを恐怖させるほど凄惨な光景だった。だが、私はそれよりも別のことに驚いていた。

 ――自分よりはるかに大きい相手に一歩も怯むことなく、その武器で化け物を容赦なく蹂躙していくその姿。

 それはまるで『鉄弦』のようだった。噂に聞いたことがある……かつて諸国の大名と裏取引をする際、交渉を有利に進めるためにたった一人で大名に仕える三十名の親衛隊を一夜にして惨殺せしめたという。技も武器も違うが、自分よりはるかに巨大な相手をこうも簡単に倒してしまえるその事実に私はただ、呆然と見ていることしか出来なかった。

「HAHAHAHA!! 超速射【バール=ダオラ】が誇る必殺技、その名も『Honeycomb fireハニカムファイア』。いい感じで『蜂の巣』になったみたいだな……ククク……さーて、トドメといきますかぁ~~!! うっしゃ!! 徹甲榴弾!! 装ッ!! 填ンンッ!!」

 さっきとは別の弾を装填する。鉤爪のついた不思議な弾丸。さっきまでとは少し違う形だ。それをジャコッ、という音とともに装填し、ズドンという音と共に銃口から吐き出す。その弾丸は今までのように突き抜けるかと思いきや、化け物の顔面に突き刺さってその動きを止めた。それを見た瞬間、男の顔が愉悦に染まる。

 クィッと男が帽子のつばを下げ、表情を隠して一言。

「das ende♪」(はい、サヨナラだぜ♪)

 ――ドカァァァァァァン!!!!

 刺さってから数秒したあと、弾丸が目の前で大爆発を起こす。その爆風に思わず顔を背ける。だが弾丸が突き刺さった化け物は爆風が顔面に直撃し、悲鳴を上げてその場に崩れ落ちる。最後に少し翼をばたつかせて身じろぎしたかと思うと、やがて地面にその体を横たえてその動きを止める。翼も羽ばたく様子も無い。それはまさしく絶命……殺したのだ。

 時間にしてわずか数十秒の出来事。たったそれだけの時間で、自分より数倍は大きい化け物をあっという間に倒してしまった。これが、ハンター。私の目指すべき、道。 

「んんん~~、クールに決まったぜ……ベイベ~~~♪ ああ、愛しのハニ~~、この俺様の勇姿、見ていてくれたかい……?? なぁ??」

 男がこちらを向く前に素早く顔を背ける。私が呆けていた顔など、絶対に見せてやるもんか。

「……ってみてねーのかよっ!!! んん~~でもその長髪に隠れたクールな横顔もステキだぜ……あれか?? ク~ルビュ~ティ~ってヤツ?? んん~~♪ それもまた、いいかもねぇ~~♪」

 訂正しよう。こいつはどうしようもない莫迦だ。ただし、戦闘のときだけは別人のように真剣になり、相手を容赦なくその銃で撃ち殺す。悔しいが、十三が毎日のように言っていた言葉が脳裏をよぎる。『常在戦場』。この世は既に戦場だ。その為には、如何なる手段も厭わない。戦いを終え、荷車が再び動き出す。ガタゴトガタゴト、音を立てて進む。

 ――目的地はハンターが一同に集う街、ドンドルマ。



 ***  ***  ***



 ドンドルマについた後、私はあの帽子をかぶった莫迦男にハンターになるための登録場所を教えてもらい、別れることにした。あいつは最後の最後まで別れを惜しんでいたようだが私には関係ない。とにかくハンターになり、一刻も早く、強くならなくてはいけないのだ。今いる場所はハンターたちが集会場や待合い場所として使うミナガルデ広場、というところにいる。人々のにぎわう声、立て板を見て唸る人々、屋台のようなものを出して商売する人々。まるでお祭りのようだ。だが、違うのはその服装と武器だ。皆、体中に防具を身にまとい、見慣れない武器を背負っている。そして様々な人間が集っている。驚いたのは褐色の人間や髪の色が赤や黄色などの人間がいることだ。

 東方の国は全員が全員、黒髪黒眼、そして肌の色は白と決まっている。私は見慣れない人々にしばし呆然とその光景を眺めていたが、一つだけ私の興味を引くものがあった。

「――ここにも、野太刀があるのか……」

 そう、それは東方でも見かける武器、身の丈ほどもある『野太刀』だ。東方では太刀、というと二尺三寸(約70cm)の刀のことを指す。それ以上大きいものは『野太刀』あるいは『大太刀』と分類されている。それがこの異国の地でも見ることができたのは少し嬉しかった。だが、その形状は明らかに東方のそれとは違う。刃が鉤状になっていたり、刀身が真っ赤だったり、両刃の太刀を背負っていたり……中には薙刀を背負っているものもいた。金色に光る太刀もあった。実に多種多様。刀といえば鋼のような美しい鉄色が特徴だが、ここではそういった概念はそれほど重要視されてないらしい。

 そして、このミナガルデ広場はとにかく広い。下手をすれば迷子になるくらいだ。だが、その心配は無用だった。広場のあちこちに受付嬢がおり、目的地の場所を親切丁寧に案内してくれるのだ。私もそのお陰で迷うことなく登録所に着くことができた。

 受付は思いのほか早く済んだ。しかし、『ぎるどますたー』とよばれるあの老人はあきらかに人間ではない。そもそも首と顔が一体化しているし、手足も短い。東方の国であんな物体がいたら間違いなく妖怪扱いされて、問答無用で斬り捨て御免である。そして、『ぎるどますたー』に連れられるまま私は一軒の家と最初の所持金として5000z(ここではこのゼニーというのがお金の単位らしい)を手渡された。その待遇に思わずびっくりしたが、「ハンターは己の力で道を切り開くもの。それはとても険しく困難だ。だからこれは我々からの餞別だ」と言われた。やはり年の功なのか、その返答は真に迫るものがあった。

 家に入るとそこには布団があり、机があった。蔵書もいくつか置いてある。料理はアイルーという名の『二足歩行する猫』がかわりばんこで作ってくれるらしいが、食材は買うか、自前で調達するかしなければならないと言われた。いままでご飯もまともに食べていたことの無い私にとってこれはなによりも嬉しかった。何しろ食材を手に入れれば勝手に作ってくれるのだ。まさに至れり尽くせりである。家の外には庭があり、畑が整備されていた。ここに「ニャカ漬けの壷」なる物を買い、この畑に埋めると中に入っている麹菌が作用して時間とともに入れた中身が変化するという。よく分からないが、理屈は漬物のそれとあまり変わらない。

 私は東方の人間である前に、今までほとんど人間として扱われてきたことがない。一般教養はおろか、ここでは何もかもが初めての経験だ。とにかく今は知識を吸収し、生き抜くための知恵をつけなければならない。まずは武器を取る前にここが一体どういうところなのか、まずはそこから始めることにした。机の上には「ルーキーナイフ」という剣盾一対の武器がおかれている。これも『ぎるどますたー』から頂いたものだ。どのハンターでも、まずはこの『ないふ』から武器の扱いを学ぶのだそうだ。だが、その大きさは打刀とほとんど変わらないが、刃の部分は恐ろしいほどに分厚い。とてもではないが刀と呼べるシロモノではない。片手で剣を持ち、片手で盾を持つ。つまり、両手を使った東方の剣術とはまったく異なる戦い方というわけだ。

 ベッド(ここでは布団、といわないらしい)の上に寝転がりながら私はこれからの日々に思いを馳せる。

 私は国を抜け、名前を捨て、全てが初めてだらけのこの地で私はハンターとして新しい一歩を踏み出すのだ。名は無い。名無しである。故に『七詩』。確かに死と隣り合わせの過酷な道だ。だが、私はこんなところで死ぬわけにはいかない。

 「『常、在、戦、場』、『常、在、戦、場』、『常、在、戦、場』――」

 かつて彩が毎日のように繰り返していた単語。まさにこの場所こそ、私を鍛える環境に相応しい。気がついたら、私は既に眠っていた――


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