2010-05-05 創職時代

私の友人には実に様々なタイプがいるものだなーとしみじみ感じ入る今日この頃。
《あぁこれが、成熟社会の幸せの多様化であるのだなぁ〜。》
なんて俳句・短歌的な感慨に耽ってみたりしてみる、あぁいとゆかし。
プチトマトを大切に育てている栽培男子。栽培女子。
アフター5のある人生を!と公言し、ゆとり企業に堂々と?就職し、日夜、漫画・ポップミュージック研究にいそしむ、副業男子。
戦略コンサルで、土曜日曜には今をときめくプロフェッショナルボランティア、略してプロボノ、にいそしむ、プロボノ女子。
発展途上国で一旗揚げるぜいと、ベトナムやインドに旅立っていった、途上国で起業さ男子。
社内で新規事業を立ち上げている、社内ベンチャー男子。
あぁあげればきりがないや、みんな私の誇るべき友人たち。
私は、彼ら、彼女らのことを、こっそり、「創職男子。創職女子。」
と呼ばせてもらってるんだ。
会社に属していようが、属してなかろうが、そんなこっちゃ関係ねー。みんないろいろ違うことをやってるんだけど、全員に共通するのが、自分で自分の強みをいかして、仕事を創り出しているってこと。そんな彼ら、彼女らを、私は尊敬の念を込めて、
「君たち、創職人間だよーーーー!!」と最近語りかけては、うざがられてるんだ。でも私はどんなに君たちにうざがられても、今後も、創職男子、創職女子って言葉世の中に普及させてみたいなぁって思ってるんだよ!だって君たちのスタイルってすごく21世紀的だなぁって私は思うからなんだ。
さて、前座が長くなってしまったが、本題に入ろうではないか。
私は当ブログにおいて、「創職」という概念を披露してみたい。
創職とは、ズバリ!自ら人を巻き込み仕事を創り出すことをいう。
今後社会は、逃げの果てから創る時代に突入していくだろう。
逃げることを提唱したのはかの有名な思想家浅田彰氏であった。
「男たちが逃げだした。家庭から、あるいは女から。どっちにしたってステキじゃないか。女たちや子供たちも、ヘタなひきとめ工作なんかしてる暇があったら、とり残されるより先に逃げたほうがいい。行先なんて知ったことか。とにかく、逃げろや逃げろ、どこまでも、だ。」
彼の著著「逃走論」に納められた冒頭の文章はあまりにも有名である。
しかし、私が2010年以降の社会において、提唱したいと思うのは、
「逃げたよ逃げた、逃げました。そしたら天国が待ってると思いきや!あれまぁ何にもそこにはなかったよー。ほんならしょーがねーから、創るぜ創る!遊んでやるぜ。」
このような世界観なのである。
創ることはあぁなんと楽しいことなのだろうか?
創ることや冒険すること遊ぶこと、それは子供だけの特権じゃない。大人だって創って冒険して遊んで、泥まみれになって何が悪い?その先に何もなくたって、スタート地点に戻るだけだよ。だって、逃げた先には何もなかったんだからさ♪
さて、私は今後の社会は、組織社会からネットワーク型社会へ移行していくと考えている。
かの有名なドラッカーは、「組織のマネイジメント」を提唱したが、今後の社会に必要なのは、間違いなく、「ネットワークのオーガナイズ」である。
なぜ私はそう思うのか?
日本の代表する思想家吉本隆明氏は次のようなことを言っていた。
「インターネットの真の革命的な事態は、次元連結にある。」と。
どういうことかというと、インターネットの登場により、SNSとかが誕生し、今まで以上に友人とつながり続けることができるようになったとか、海外の人々とつながれるようになったとかいうことは本質的な変化ではない。
それよりも本質的な変化というのは、ある個人が、大組織の社長に直接つながってしまったり、国家の元首に直接つながってしまうことにある。それこそが、真に革命的である、ということなのだ。
思えば、サイバーエージェントの代表取締役の藤田晋氏は、ツイッターが普及する以前より、アメブロにおいて、個人ユーザーと友人関係を構築していた。
最近ではツイッター上でのソフトバンク代表取締役社長の孫正義氏の活躍ぶりはみなさんもご存じの通り。
また日本の総理大臣をもツイッターアカウントを取得している。
これが一体何を意味するのか?考えたことがあるだろうか?
私は、この現象は究極において、マックスウェーバーにはじまり様々な学者たちが考察してきた「組織、そう官僚的組織」が今後崩壊していくということの萌芽のあらわれであると捉えている。
そして、今後社会は、組織中心型からネットワーク中心型社会へ移行していくのだ。その時、非常に重要になる概念が、「創職」なのである。
創職とは起業とイコールの概念ではない。
創職とはもっと広い概念なのだ。
社内での新規事業の立ち上げ、フリーランス、コミュニティビジネス、社会起業、ベンチャー起業、・・・そのそれぞれすべてを包含した概念が創職なのだ。
何も、全財産なげうって起業し、上場することだけが創職じゃない。自分のちょっとした強みとネットワークをいかして、人々を巻き込み小さな仕事を生んでいく。社内でも社外でもどこでもいい。それも立派な創職のあり方なのだ。
組織中心型社会は、排除型社会だった。少しでもバランスを欠いた人々は組織から排除された。妊娠した女性。障害者。非コミュ。
でも安心してください。ネットワーク中心型社会は、包摂型社会だ。バランスをたとえ欠いたとしても、それはそれでぜんぜんOK。各自の尖がった部分をうまくネットワークにより利用することが可能なのだ。
今後そのような領域に様々な職が生まれてくると私は確信している。
まさに、いままで排除され、周縁に追いやられていた人々や、物事において、創職の余地が生まれるのだ。
どうでしょうか?組織中心型社会から、ネットワーク中心型社会への移行。それはまさに、創職全盛期の時代の到来なのではないでしょうか?
私。創職女子。
俺。創職男子。
創職って楽しいなぁ、1億総創職時代ってか?ムフフフ。
PS
今、私は「創職時代」と題し、様々な創職男子。創職女子。を取材しています。まだまだこの連載は続きそうです!
そういう私自身も創職女子。続きはツイッターで→@sayuritamaki
記事、拝読いたしました。上記内容に超共感!です。
現状をネガティブに捉える方法はいくつもあるのでしょうが、
「創職」を手がかりに、よい時代に生まれ、よい時代に社会にでたものだと考え、また実行していこうという気になりました!
pro bono publicoというラテン語で公共の為にの略です。
私の周りにも、与えられた権限を最大限活用しながら、どんどん新しいことを始める人が結構います。
与えられた仕事以外のことをして、勝手に仕事を作り出して忙しがっている、と揶揄されることも多く、これまでそのことをやや後ろめたく感じていましたが、ちょっと勇気が出てきました☆
コンピュータの黎明期、コンピュータは非常に巨大であり、お世辞にも高効率とは言い難い集中処理的システムであり、それがベストエフォートであるだろうと考えられていました。
IBMの創業者Thomas Watsonは「コンピュータの需要は全米で5台ぐらいだろう」と推定していたようです。
参考:http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51416711.html
それが半導体技術の進歩に伴い、"個々"の端末の情報処理能力があがり、各々の端末が相互に通信する情報ネットワークが実現可能になった帰結として、現在のWebができあがりました。その可能性は今でもとどまることを知りません。
計算機の分野では既に"組織の時代"から"個の時代"へ移行して久しいですが、これからは人間社会においてもそのような時代になるだろうことを示唆する良いエントリーだと感じました。
これからも楽しく拝読させて頂きます。
流行の「草食」にかけて意味のある言葉を産み出すあたりさすがの発想だなぁ、と変なところに感心してますw
最近の若者はリスク回避志向が目立つってよく言いますよね。生活がかかってるとは言え、今の日本はいくら失敗したって最低限生きて行ける土壌があるわけだし、それこそもう少し創職してみたら?とは思いますね。
人を巻き込むってところが自分のできないとこなので、見習って頑張ろうと思います!
ちなみにtwitterアカウントはmhiro216でございます☆
おもしろいブログ書かれていますね。
非常にためになりますし、考えさせられます。
またいろいろ読ませていただきますね。
ありがとうございます。