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2011年6月1日(水)付

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社会保障改革―首相は使命を果たせ

社会保障と税の一体改革を議論している政府の集中検討会議が大詰めを迎えている。2日には、社会保障改革案の全体像と費用推計が出る予定だ。ところが、菅直人首相の言動を見ると、[記事全文]

君が代判決―司法の務め尽くしたか

最高裁の裁判官は、多数決で決まる法廷意見とは別に、個別意見を表明することができる。結論に反対する内容ではなくても、最大公約数である法廷意見の足りない点を補い、意のあるところを説くことで、判決[記事全文]

社会保障改革―首相は使命を果たせ

 社会保障と税の一体改革を議論している政府の集中検討会議が大詰めを迎えている。2日には、社会保障改革案の全体像と費用推計が出る予定だ。

 ところが、菅直人首相の言動を見ると、まともな内容に仕上がるかどうか、心配になる。

 5月23日の会議では、首相はリーダーシップを見せていた。(1)子育て支援サービスの増強と「幼保一体化」(2)パート労働者の厚生年金・健康保険への加入拡大(3)医療・介護、保育などの自己負担の合計に上限を設定することを「安心3本柱」とし、検討を求めた。「総理指示」は明快で具体的だった。

 「次回は、効率化3本柱とも言える効率化・重点化の優先課題も提示したい」と約束した首相は、G8サミット出席のため欧州に旅立った。

 これまで会議では、すべての患者の窓口負担に少額を上乗せして、重病患者の負担軽減に回すことや、年金の支給開始年齢の引き上げなど、様々な効率化・重点化策が議論されてきた。

 首相は、その中から優先課題を選んで3本柱にまとめ、帰国後の会議で示す。それを受けて、2日に改革の全体像をまとめる段取りだった。

 ところが、30日、首相から効率化の指示はなかった。代わりに示された「支え合い3本柱」は「世代内・世代間の公平な支え合い」などあいまいで、具体策への言及もない。

 確かに今は、野党が与党内の造反を誘いながら、内閣不信任案の提出を探っている状況だ。高齢者や患者の負担増など、痛みを伴う不人気政策を口に出すタイミングではないと判断したのかもしれない。

 しかし、これは社会保障と税の一体改革なのだ。

 30日の会議では、内閣府と財務省が、税率を2〜3%幅ずつ引き上げるといった消費増税の道筋を示している。それなのに、社会保障改革の姿があいまいでは、必要な費用試算も説得力を持ちえないし、負担増への理解も広がるまい。

 思い出すのは、昨年末の年金をめぐる騒動だ。物価が下落すれば年金も減らすルールがあるが、首相は据え置きの検討を指示。最終的に給付減を了承したが、痛みの伴う決断にちゅうちょする姿を印象づけた。

 与謝野馨・経済財政相は、2日の最終案が出れば、厳しい話から首相が逃げたのではないかという「疑念は払拭(ふっしょく)される」と話した。

 ぜひ、そうあって欲しい。給付と負担を正面から問うのが、首相の歴史的使命だろう。

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君が代判決―司法の務め尽くしたか

 最高裁の裁判官は、多数決で決まる法廷意見とは別に、個別意見を表明することができる。結論に反対する内容ではなくても、最大公約数である法廷意見の足りない点を補い、意のあるところを説くことで、判決をめぐる議論と理解は深まる。

 卒業式などの君が代斉唱の際、都立学校の校長が教員に起立斉唱を命じても、思想・良心の自由を保障する憲法に違反しない――。そう述べた判決にも長文の補足意見がついた。

 「不利益処分を伴う強制が、教育現場を疑心暗鬼とさせ萎縮させることがあれば、教育の生命が失われる」「強制や不利益処分は可能な限り謙抑的であるべきだ」(須藤正彦裁判長)、「国旗・国歌が強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが重要だ」(千葉勝美裁判官)。

 いずれも私たちが繰り返し主張してきたことと重なる。法廷意見も、職務命令が思想・良心の自由の間接的な制約になると認めた。そのうえで、長年の慣例や式典の意義、公務員の立場などを考えれば、そうした制約も許され得るとしている。

 手放し、無条件の合憲判断ではないことに留意しよう。教育行政に携わる人、そして起立条例案の採決が迫る大阪府議会の関係者は、判決の趣旨をしっかり理解してほしい。

 一方で、最高裁の姿勢には疑念と失望を禁じ得ない。

 原告の元教員は1度だけ起立を拒み、戒告処分を受けた。その後は現場を混乱させたくないとの思いで命令に従ったが、定年後の再雇用を認められなかった。ところが、別の理由で停職や減給などもっと重い処分を受けた教員は採用された。

 一審の東京地裁は扱いの不均衡を踏まえ、裁量権の乱用があったとしたが、最高裁は職務命令と憲法の関係のみを論じ、不採用の当否は判断しなかった。結果として、原告が逆転敗訴した二審判決が確定した。

 最高裁にその思いがあれば審理できるにもかかわらず、そしてそれに値する重要な問題であるのに、あえて避けたとしか思えない。このようなケースにすら救いの手を伸べず、ただ判決文の中で「慎重な配慮」を求めても説得力に欠けよう。

 多数者の意向や勢いに流されず、少数者を保護する。それが司法の大切な使命だ。とりわけ思想、良心、表現、信教など精神的自由に関する分野では、厳格なチェックが求められる。

 裁判所がその職務を放棄したとき、私たちの社会は多様性を失い、やがて色あせていく。

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