「差し当たっての風評被害に該当するもの」。31日に決まった福島原発事故の風評被害の賠償指針はそう記した。出荷制限が指示された地域の食用の農林水産物、福島県内の観光業を賠償範囲に入れ、対象拡大の方向性を示した。文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会では今後、両業種を含め学校、自治体など17業種の専門委員が賠償対象の追加を検討する。だが今回の指針で漏れた業界に不満が残り、風評被害は全国に及ぶ。線引きを巡る難しい対応が続く。
「東電からの避難世帯への仮払いは行われたが、営業損害や風評被害で生活が成り立たないケースがあると思う。風評被害は、一定範囲で対象になるので、東電からの賠償が迅速に進むことを期待したい」
審査会会長の能見善久・学習院大教授は審査会終了後、満足げに語った。
2次指針は風評被害の賠償対象として、「消費者または取引先が、原発事故による放射性物質による汚染の危険性を懸念し、敬遠したくなる心理が、一般的な人を基準に合理性を有していると認められる場合」と規定。現時点でこれに該当すると判断した範囲を盛り込んでいる。
農林漁業では、原発事故発生から今年4月までの間に出荷制限指示が出た地域で、食用の全産品を認めた一方、食用ではない材木や花などは見送った。食品に限定し幅広く認定した理由を、審査会事務局は「食品には消費者が特に敏感に反応する。生活に不可欠で、買い控えは事故以外の要因は考えにくい」と説明した。
食品以外の産品や5月に出荷自粛が広がった茶葉など、今回の対象から外れた農林水産物については「さらに調査が必要」と判断。今後、業種ごとに設けた専門委員が調べ、賠償を認めるかどうかを検討。認められれば、指針に追加していく。
観光業では、福島県内に営業拠点を持つ場合を賠償対象に含めた。しかし隣接県を含め他の地域は「交通網の被害などが影響している可能性がある」として、専門委員の調査を待つ。
福島原発事故による風評被害は広範囲で多岐にわたり、今回の2次指針で示された対象もごく一部に過ぎない。輸出産業を中心に、取引先から放射性物質の検査を求められたり、返品を余儀なくされたケースも全国的に報告されている。留学生が帰国し、学校の経営を危ぶむ声もある。
審査会は「日本全国が対象というのは指針になじまない」(事務局)として、賠償対象地域を福島県かその周辺に限定する考えだが、地域や対象品目の線引きを巡っては難しい決断を迫られることも予想される。納得できない被害者が増えれば、訴訟に発展するケースも増え、円滑な補償ができなくなる恐れもある。
99年の茨城県東海村のJCO臨界事故では約7000件が賠償対象と認められた一方で、11件が訴訟に発展した。東海村の村上達也村長は「対象地域の全農林水産物を賠償範囲に入れた点は評価したいが、観光業を福島県に限定したことは疑問だ。元々が(敬遠される)根拠のはっきりしない風評被害である以上、原子力事故との因果関係を厳密に考えるべきではなく、常識的に見て幅広く認めていかなければ賠償はスムーズに進まない」とみる。【西川拓、藤野基文】
「踏んだり蹴ったり。何の理由もなく、突然客足が途絶えることはありえない」。栃木県日光市の鬼怒川・川治温泉旅館協同組合の作道今朝夫(さくみちけさお)事務長は、同県の観光業が今回の指針の対象外とされたことに怒りをあらわにした。
利用客は4月まで、前年比9割減。大型連休中は持ち直したが、再び客足は遠のき、客室の稼働率は大手でも5割前後。同組合は5月14日に東電へ損害賠償を求めることを決定。加盟のホテル・旅館が額の算定を進めている最中だったといい、作道事務長は「むしろ旗を立てて東電に押しかけたいくらいだ」と憤った。
同じく観光業の被害が対象外とされた茨城県。北部の大子町や北茨城市などで観光客が減っており、今夏の海水浴客の減少も懸念される。県観光物産課の藤原俊之課長は「国としては県単位の線引きが必要なのかもしれないが、茨城の状況も分かってほしかった」。
千葉県は、農林産物の賠償対象が北東部の2市1町に限られた。対象となった多古町のJA関係者は「隣町はどうなるのか」。北隣の茨城県で野菜の出荷制限が始まった時から千葉でも影響が出たといい、「茨城がダメなら千葉もダメ。ホウレンソウがダメなら他の野菜もダメと消費者は考える」と指摘する。実際、JA千葉中央会によると、価格低下は対象地域外にも広がり、ホウレンソウの価格が3~4割下がるなどの影響があった。同会は「国は地域指定の考え方をしっかり示すべきだ」と求めた。
東京湾岸の木更津市の漁協は、主要収入源の潮干狩りで入場者が前年より6割も減った。利用客から「放射能の心配はないのか」との問い合わせがあるという。
ただ、逆の見方もある。一部の農家からは「県全域が対象にされると、消費者のイメージがかえって悪化し、風評被害が一層加速する。対象が2市1町だけでよかった」との声も漏れた。【大久保陽一、浅見茂晴、森有正、西浦久雄】
毎日新聞 2011年6月1日 東京朝刊