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[27970] 約束の代理人(仮題)
Name: しじま◆4c851af5 ID:1d8f7faa
Date: 2011/05/24 21:15

 予告兼あらすじ


 残暑も去りきった秋半ば。S高校に通う十七歳の少年・佐藤正義(さとうまさよし)は、去年の夏を因縁に、ある役目を公安から任じられる。公安の大目的は、超能力者を主とした構成員とする秘密結社の内情を暴くこと。近くその結社が事件を起こすと目され、その事件のキーパーソンが、S高校一年の少女・光森結衣だという。佐藤の役割は、彼女に接触し情報を引き出すこと。しかし佐藤は彼女の内面を暴き立てるような真似はしがたく、加えて、折りしも学校では幽霊が出るという噂が立っていた。
 佐藤と光森の交流の行方は、そして秘密結社の陰謀とは何なのか。






 信じられないものが多すぎる。

 佐藤正義はリビングのPCを通して、友人に教えられた記事を今しがた読み終えた。記事のソースは個人運営のニュースサイトで、扱う記事の傾向は陰謀が多い。本来そういったものに無縁な事件や現象であっても、運営者の目を通せばたちまちフリーメイソンの仕業になる。
 今回友人が「面白いぞ」とよこしたのは、世界の富豪その人もしくはその周辺の不審死を集めた上で解釈が加えられた記事だ。挙げられているのは故人二年前の冬から今年の春までである。佐藤は調べてみたが、死んでいることそのものは確からしい。
 共通点は莫大な資産やそれを生み出す権利が動いたか、故人が恨まれていたこと。佐藤はこの推察には価値を見出せなかった。世界で起きる非道徳的なことは、金か愛が理由であるのがほとんどだからだ。続く共通項のほうが、より荒唐無稽であるが、佐藤の心をつかんだ。故人が死ぬ前に幽霊が度々目撃されているというのだ。
 情報を見極める力、というのが現代社会で問われている。インターネットは日々広がりを見せ、誰でも情報を発信および取得することができる。だが情報の真偽を確かめることは、現実難しい。何も哲学の領域に踏み込まないまでも、事実とは違う情報が発信されることは少なくない。学術上のことであったり、誰かの情報操作あってのことだったりする。一般人が情報の真偽を確かめるには、能力がまず足りない。何より時間が足りない。だからこそ必要とされる優れた情報発信者であるのだが、語る情報がいつまでもどこまでも正しいとは限らない。情報を集めたといったところで、伝言ゲームをしているにすぎないことだって多々ある。
 だから佐藤は時々不安になる。多くの人が気にしていないか仕方ないと諦めていることを、長いこと考え出す。一つ佐藤の性格に由来しない原因があるとすれば、去年、高校一年の夏に、裏社会においては公然の秘密を知ってしまったことだ。その時、頭が殴られたように平衡感覚が揺らいだ。情報の真偽の危うさというものを思い知った気がした。
 幽霊が祟り殺した、と見せかけて百人委員会の暗殺だという論調の記事を、佐藤は今一度見返した。普通鼻で笑ってしまうこの記事を、ウソであると信じきれない。

 佐藤も通う県内トップクラスの進学校、S高校でもある噂が流れている。まとめれば、S高校には幽霊が出るというのだ。やはり普通は鼻で笑うことも、情報発信者の多さ、そして情報発信者がいつも付き合っているクラスメイトや部の仲間となると、鼻で笑うわけにはいかない。
 かつて流行ったという都市伝説がこんなものなのかもしれない。あるいは一部の人が信じてしまう陰謀論がそうかもしれない。ある日見知らぬ異世界の住人と道端で遭遇するかもしれない。特定の場所でというのもいいだろう。はたまた突然セールスマンを装って自宅にくるかもしれない。欲望を皮肉る悪魔のようなアイテムを売りにくるのだ。

 現実、チャイムが鳴った。佐藤が玄関先に出るまで三回。

 佐藤はさっと来客の予想をしたが、一番可能性の高いある女性は、人が働かない時にこそ働く仕事だ。つまり日曜日の今日もっとも働いているはず。あと二人、妹と友人が来た可能性があるが、ごくごく低いので除外できる。残りは見知らぬ人間しか残されていない。佐藤はやや緊張して顔をこわばらせた。ならば用件は何か。迷い人か、配達か。はたまたセールスマンか。

 佐藤は玄関のドアを開けた。すると心ばかりの庭を隔てた門扉の向こう側に、一抱えもあるダンボール箱を持ったパンツスーツの女性が立っていた。そばに見知らぬ小豆色の車が停まっているが、彼女のものだろう。
 女性はにこりと笑い、門の向こう側から佐藤に話しかけた。

「お久しぶりですね。お元気でしたか? あ、これは様子を見にきたついでに持ってきた海外旅行のお土産です」

 佐藤は玄関先というやや高い位置から、女性のことを見下ろして観察した。女性にしても小柄な体躯に、小さな顔が乗っているようだ。顔の印象からは、特徴というものを読み取れない。あえて言うなら地味だ。言葉を交わしても半年経てば忘れてしまうかもしれない。しかしそのことを差し引いても、

「誰だ……」
 と佐藤もいぶかざるを得なかった。それから一拍の間を置いて、女性が言葉をつづけた。

「去年の夏以来でしょうか。あの夏は、大変でしたね。私もいろいろ振り回されてしまいましたよ。高良さんも、ある意味そうだったでしょうね。話を聞いたのですが、どうもはぐらかされてしまって」

 女性があははと笑って首を傾げるのに対し、佐藤が黙ったまま女性を見つめていると、女性は笑みを消して冷えた眼差しを佐藤に送った。佐藤は女性について警戒心を解くため、質問を投げかけた。

「去年の夏は、どうでしたか?」
「いいえ。大変でしたが、ごく普通の夏でしたよ。とりあえず中に上げていただきますか? 積もる話もありますしね。もしかして緊張されてます?」
「そうかもしれませんね」
「大丈夫、私は義春さんの後輩ですよ? 緊張する必要はありません。それとも、ご自宅に社の人間でも?」

 佐藤はふっと口元をほころばせた。義春は父の名だ。加えて去年の夏のことを知るということは、即座に危険な相手ではない。だが一向に用件が見えないのとダンボールの中身が知れないのとで、決して安心はできない。佐藤は愛想に微笑を浮かべながら、庭先に出て、門扉を開けて女性を招きいれた。女性がふわりと笑う。

「どうぞ。手間をかけさせてしまってすみません」
「いいえ、こちらこそ」

 佐藤と女性は挨拶や世間話を交わしながら門から玄関までを歩き、家の中に入った。そして玄関のドアが閉まりきった時、ぱたりと愛想のいい会話は止んだ。

「公安が何の用です。あの夏から、もう一年は経ったというのに」

 佐藤はかたわらに立つ女性に、無表情を向けた。内心では、昨夏の公安の態度を思い出して苛立っている。
 女性のほうも決して愉快ではないようで、つまらなさそうに目を伏せている。

「夏と同じことが起ころうとしています。……いえ、もう起こっているかもしれません」
「だとしても俺に何の関係が」

 女性はすぐには答えず、考えるようにあごに指で触れた後、庭先で見せたような笑顔を出した。

「座って話しましょう。立ったままは少し辛いですから」

 女性はダンボール箱を玄関の絨毯の上に置いた。両手をぶらぶらと振る。佐藤は無言のメッセージを受け取って、眉間にしわをつくりつつも、ダンボール箱をさしあたってリビングに運びこんだ。予想したのよりずっと軽かった。
 リビングでは、女性は真っ先に三人がけの黒革のソファの真ん中に座った。リビングにはもうひとつ、三人がけのものとかぎ状になるよう一人がけのソファがあり、わきにダンボール箱を置いて、佐藤は一人がけのほうに座った。

「それで? 何の用です?」
「その前にココアをいただけません? 体をあたためたいですし、何よりおいしいとか」
「単刀直入なほうが好感を持てます」

 佐藤が険しい顔つきで身をやや乗り出すと、反対に女性は背もたれにもたれかかった。

「わかりました」

 そう言うと女性は身にまとう雰囲気を新たに、ほどほどに冷えた目になり、姿勢は如才ないものとなる。利き手である右手で、まず自らに胸の中心に触れ、

「初めまして。車塚夕実といいます。おわかりと思いますが、義春さんの後輩、つまり公安の刑事になります。今回は」
 次に佐藤を指し示した。

「あなたに。我々の目となり耳となっていただきたいのです」
「ただの高校生ですよ」

 佐藤はそっぽを向いて答えた。車塚がうなずく。

「ええ。S高校の生徒である。そして、管理会社を知り、公安がかの組織を追っていることも知った。昨年の夏の事件のおかげで」
「それで? 俺にも管理会社を追えと? 公安どころか、どこの国でも実態をつかんでいない秘密結社を、ただの高校生が?」
「そうでもありません。ここ数年、明らかに組織としての力が弱まっています。単純な権力や財力並びに暴力のみならず、統率力や情報統制力も。少なくとも、これまでのように世界を席巻することなど、不可能でしょう」

 車塚はまるで自分の功績のように得意そうな笑みを浮かべた。

「もっとも、直接管理会社のことを調べてほしいということではありません。彼らが一手に独占している超能力者たち。その中の一人を、調べてもらいたい……というのも、いささか語弊がありますか」

 気分を害したようで、見る目にも明らかに佐藤は顔をしかめた。

「話はまとめてからきてほしかったですね」

 車塚は子供をいさめるように、両手を伏せた上で上下させた。

「すぐ繋がります。超能力者を独占することで世界を席巻する力を身につけた管理会社。推測は可能なれど推定は未然です。しかし弱体化はしている。ここまでは?」
「理解も記憶もしました」
「はい結構です。弱体化した。統率力も情報統制も甘くなった。ここが重要です。まるで鉄壁どころか絶壁に囲まれていた牙城も、内部からの離反者が現れた。いまだ心は管理会社にありますが、すべてを容認するには至らなかった。そして、管理会社の業の一つを止めるべく、一人の超能力者から情報のリークがなされた。曰く、S市内で超能力者が人を殺す」
「それだけですか?」
「いいえ。情報はもうひとつ。事件におけるキーパーソンが光森結衣というS高校の一年生だと」
 光森結衣という名前を呼び水にして、佐藤の記憶が瞬く間に掘り起こされた。つややかな長い黒髪が一番の特徴で、顔立ちも振る舞いも旧家のお嬢様というラベルがふさわしい。無意識下で、交わした言葉や目にした表情と仕草が再生される。
「知っているようですね。それも、ただ顔と名前が一致するに留まらない」

 ええ、と佐藤はうなずいて、怒りと不安がないまぜになった目を伏せた。

「ええ。つい一昨日、話をしたばかりです」


 * * *


 S高校で幽霊が出没する。幽霊の目撃がはじまったのは夏の終わりで、部活動で残っていた陸上部の女子生徒が初めて目撃したという。幽霊の出没数は不明だが目撃は散発しているらしい。しかし誰もが幽霊を見たと喋るはずがないし、掲示板の情報を含むため正確なところは幽霊自身か霊能者でもなければ知らないものと思われる。
 まずこの話を聞いて疑うのは、そもそも幽霊が本当に出没しているのかということだ。ただ目撃したと話す生徒がいるにすぎない。集団幻覚ということもありえないわけではない。だが三ヶ月間にも渡って幽霊は目撃されているし、少なくとも幽霊を見たという体験は信じるべきだ。もっともその信じるという良心が、幽霊の出没を信じるという雰囲気を生み出す。
 佐藤は半信半疑の姿勢を貫いたが、幽霊の目撃が散発する原因はあるだろうと思っていた。体験は本物である。でなければ科学が尊重されるこの世界に、幽霊を見たなどと言い出すはずがない。その本物の体験が、頻繁でこそなくとも散発しているのだから何かないほうがおかしい。

 一方、幽霊は出没するだけに留まらないという。72013という数字を書くと幽霊が願いを聞いてくれることのほか、運動部用のシャワーが勝手に流れ出したり、書庫の本が勝手に動いたり、PCルームのPCが誤動作するなどのポルターガイスト現象起こしているようだ。
 しかしあくまで誰かの主観でしかない。普遍的な正しさを持つかどうかは、佐藤には未だ不明である。

 金曜日の朝のことだった。
 佐藤が校内規則通り、律儀に自転車を押して歩いていると、校舎を見上げる生徒が三人見られた。何事かと佐藤は校舎を見上げるが、どの教室にも外からわかる異常はない。三階の北から二番目にある、三年の教室から、町並みを眺めているのだろう男子生徒が目を引くくらいか。

 見ている方向を確かめようとしても、すでに二人は消えていた。佐藤同様何も異常は認められなかったのだろう。残るは、艶やかで長い黒髪を持ち、立ち姿に芯が通っているかのような女子生徒である。背中の半ばまである黒髪と身にまとう凛とした雰囲気となれば、一年の弓道部員・光森結衣に違いない。
 佐藤は己でも理由はわからないが、彼女を気に入っている。といっても、何かするわけでないし態度に示すわけでもない。ただ彼女を見ていると感心したり落ち着いたりするので、好ましく思っているだけだ。その彼女に佐藤は背後から近づいた。

「何を見ている?」

 光森から反応はない。

「光森君?」

 佐藤が背後から側面に回ってみると、光森はどうも校舎の時計を見ているらしい。光森が見つめる西校舎は正面から見ると凸型をしており、上に飛び出した部分に大時計が設けられているのだ。
 時計は長いこと止まったままだ。佐藤の入学当初は動いていたはずだが、いつ止まったのかは記憶にない。費用面にせよ方法面にせよ困難なのだろう。
 一目、時計に止まっていること以外に異常はない。だがよくよく目を凝らしてみれば、時計の中心、長針と短針を留める要の近くに、光るものがある。光る細い輪があり、輪の下部により強く光を放つものがある。佐藤は勘であれ、何かを言い当てた。

「ペンダント?」

 佐藤は薄目で見て確かめる。うなずき、光森に目を戻した。驚いた様子の光森と目があった。

「気づかなかったのか?」

 光森は両肩をこわばらせて緊張した後、小さくなった。

「すみません……」
「いや。謝ることはない。ところで」

 佐藤は背後を見回す。登校してくる生徒たちの姿があり、時計に目もくれない。時計が止まっているのはおそらく全校生徒が知るところだし、時間は一時間目までに十分余裕がある。

「あれはきみのか?」

 光森は視線を斜め上にやって、十秒は沈黙した。佐藤は居心地の悪そうな光森を見て、自らの状況を省みた。光森は顔の造作は整っているし、ほっそりとした体躯は洗練を思わせる。彼女を少しでも知っていれば頭脳や運動の能力が高いことは当然。彼女の心配性や苦労性を知っていれば、好感を持つことだろう。佐藤から見て、彼女は学校で煌く立場を獲得している。
 一方で自分はどうだ。学業の成績という明らかなものにはそれなりの自信があるが、人との調和は紛うことなく苦手だ。それに明らかに不健康そうな肌の青白さがあわさって、一年からゾンビ先輩だの幽霊のユーさんだの揶揄されている。
 なるほどと、佐藤は結論付けた。同じ弓道部で何度か言葉をかわしたことがあるが、自分はそれこそ幽霊部員で、付き合って外聞がよくなる相手でもない。光森が外聞を気にする人間であるとはいわないが、お互いに有益でなければ付き合う意味はそうない。光森が同情からの優越感を感じ、佐藤が優しさに喜びを感じるというのなら話は別だが、それは成り立たない。だが話しかけた時点で手遅れだし、今までも校内や大会の会場で話したことを考えれば、不快だろうと諦めてもらうほかない。

 それに、と佐藤は時計を仰いだ。何が起きたのかは、佐藤にはおおよそ見当がついている。

「遠くてわかりませんが、たぶん。月曜日になくしてしまったので」
「なくしたとは穏当で結構なことだ」

 光森の肩が再び緊張する。

「どういう意味でしょうか」
「率直なところ盗まれたな。真面目なきみの唯一の校則違反が、あのペンダントだった。確か可能な限り身につけていたような覚えがある。今は冬で、服の下に身につけるのは簡単だ。だが身につけていたそれを、なくす。想像がつかないな」
「体育の時には、外します」
「つまり更衣室で盗まれたと」

 光森は表情を引き締め、内容とは裏腹に強く言い切った。

「それはわかりません」
「なぜ?」
「更衣室に戻ってくるのはいつもみんな一緒です。それにその日は前の授業の終わりが遅れて体育館に向かうのはチャイムぎりぎりでした。そうはいっても遅刻はなくて。誰かに盗めるタイミングはありませんでした」
「クラスメイトや体育では合同クラスである隣のクラスの人間には無理。なくなったと考えられるのは授業中だが、更衣室に入ろうとすれば教室から見られかねない」

 意見が一致し、光森はまなじりを和らげた。

「ええ。ですから誰かを疑うなど」
「だから自分自身を疑うのか」

 光森は思考に没頭しだして、目の焦点があわなくなった。直感で光森が不安を感じているものと思い、佐藤は判断について一歩引いた。

「きみにその時記憶違いがあったとは思えない。むしろ、記憶違いというのは現状のほうだ。きみの記憶が間違っていると思うことが間違っている。そう、もしかしたら幽霊の仕業かもしれない」
「あはっ」

 時に幽霊のユーさんと陰で呼ばれているのと繋がって、愉快な皮肉に思ったのだろう。光森はぎこちなく笑った。素直でなかったのは、頭の片隅で失礼にあたると気づいていたからか。どちらにせよ光森は気まずそうに目をそらした。

「割と本気だ。そのまま幽霊の仕業とは言わないが、幽霊の噂が確かにこの学校に根付いている。きみとて、まったく考え付かなかったというわけじゃないだろう」
「見た、という人がクラスにも部にもいますけど。やっぱり、幽霊なんていませんよ。見間違いか何かだろうって言っていましたし。噂はあっても、実のところ誰も信じていませんよ」
「だが『いない』と信じきれているわけでもない」
「それは、もしかしたらいるんじゃないかって思います。でもそんなのはもともとじゃないでしょうか」

 今度はまっすぐ見返してくるのに対し、佐藤は口角を片端だけつりあげる笑みをしてみせた。

「その通りだ。だがきみの言うように表面上は幽霊を否定する。『いてほしい』と言うのは、商売にしているか故人に焦がれる人間だ。これはまだ普通のこと。だが『いる』と思うとなると一瞬だって発言するのは不可思議だ。人数が増えればさらに不思議は増す」
「だから幽霊はいるというのは、それこそわかりません」
「俺もいるとは言っていない。それにありきたりだが、幽霊をまずどう定義するかだ。死者の魂か。死者の残留物か。幻覚であれ妄想であれ見間違いであれ、個人観測されればそれで幽霊か」
「先輩の言葉を借りるなら、『正直言ってどうでもいい』ことではありませんか? やっぱり幽霊はいないんですし」

 目線を上げながら、佐藤はあごをなでて、ついでに小首を傾げた。

「引用については明らかに訂正が必要だ。正直言って、『人はどうでもいいことしか言わない』だ」
「今朝も、お変わりなく?」
「その通りだ。どうでもいいことしか言っていない」

 光森は溜息をひとつついて、疲労を露にした。

「それならばどうでもよくないことを一つ。いつまでも幽霊部員でいないで、部に顔を出してください。部長の顔を立てるということでもひとつ」
「なぜあれの顔を立てることになる?」
「だってよく部に出てくるよう言っているじゃありませんか。何度も繰言のように言っているのに、無視するというのは面目を潰すことです」
「俺のような人間が不真面目だったところで面目を潰さんよ。面目が大事か、光森君。それでは俺と話していては外聞が気になって仕方ないだろう」
「どういう意味でしょう?」
「おおよそ俺の評判は知っているだろう。評判の悪い人間と付き合っていると類友と思われかねない。恐怖に関して、人は敏感だ」

 確信でないにせよ悪意を感じ取って、光森は眉をひそめた。

「次言ったら侮辱と受け取ります。それで、恐怖、ですか?」

 光森は表情を不快から困惑にスイッチした。

「別に怖がる人なんて、いないとは言い切れませんがそんな数はいません。自意識過剰だと思います」
「違うな。そういうことじゃない。……ああ、まあ、どうでもいいことだ」

 佐藤が中空を見上げて息をついた。冬の寒気に白く染まった息は、風に巻かれて消えていった。光森は息の消えた先を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。

「別に、悪い評判ばかりというわけでもありませんし。やはり自意識過剰ですよ」
「聞き流そう」
「先輩はどうでもいいことしかしないわけじゃない。そうでしょう?」
「日々学生として勉学にはげんでいるな」

 とぼけたのだと受け取って、光森は苦笑した。

「ともかく、部に顔を出してください。まずはそれからです」

 佐藤がしかめっ面を光森によこすが、光森のほうは素直な笑みを返す。

「……考えておこう」
「はい。それじゃ先輩、また部活で会いましょう」

 一年の昇降口と、三年の駐輪場は方向を異にする。光森は敷地内の南のほうへ足を向けた。佐藤は曖昧な返事をして、北へと向いた。向いたが、質問ともつかない質問をした。

「三年によく知った先輩はいるか?」

 確かに耳には届いていたが、佐藤はすでに歩き出していたので、答えるタイミングを失い、光森は答えずじまいに終わった。

 * * *


「大変結構。それならば、我々の依頼も容易でしょう」

 プレゼンターがよくやるように、車塚は両手を広げてみせた。佐藤はあくまで憮然としたものである。

 三秒、リビングではかすかな暖房の稼動音だけが聞こえた。

「依頼というのは、光森結衣の人物、状況、人間関係をできるだけ現在に、そして正確な情報に近づけて知らせてもらいたい、というわけです」
「光森君が狙われている。そういうことでは?」
「そのように見ていますが、それは情報元が明かしたことではなく推測になります。今まで管理会社の構成員、つまり超能力者を捕まえられることはあっても、情報は聞き出せない上管理会社によってすぐに我々の手を離れてしまう。構成員を捕まえられる材料をもらったところで我々の利益にはなかなかつながらず、多くの情報をもらすことは情報元の危険を意味します」
「要は情報元の頼みを聞いて恩を売り、ゆくゆくは管理会社を裏切らせ公安の貴重な情報源にしたいと」
「その通り。さすが義春さんのご子息」

 佐藤は機嫌を悪くして、ソファに身を預けきるという不遜な態度を取った。

「……情報元の頼みというのは?」
「人死にを防いでほしい、と」
「無茶だ」

 佐藤は中空に毒を吐き出した。

「無茶極まりない。バカバカしすぎる」
「情報元はさらに道をつけてくれています。それが、あなた」
「俺を、指名してきた? バカバカしい」
「そうではありません。ただ、キーパーソンたる光森結衣に近づく……そう、代弁者をつければうまくいくと。あなたであった理由は、義春さんの息子であることと、去年の夏を知っていること、でしょうか」
「相手は予知能力者か何かですか? そもそも、本当に管理会社の人間なのかどうか。なぜ今になって」
「この頃になったから、です。組織の弱体化。これはこうして我々が動けていることから明らか。原因は組織の寿命がきているから。大きいものほど、完成してしまったものほど、壊れやすいものですしね」

 佐藤は怒りや疑念を解き、内に張り詰めさせていた警戒心を息と一緒に吐き出した。だが、決してそれは賛同の結果ではない。

「お断りします」

 固い氷のような意志決定によって、佐藤はゆるゆると首を振った。

「なぜ?」
「危険だからです。自身の命も、尊厳も」
「話したでしょう? ただあなたは、光森結衣から得られる情報を知らせてくださればいい。義春さんなら容易にこなしたでしょう」

 自分の状況認識を伝えるため、佐藤はひとつ、例え話をした。

「車塚さん。去年の春の話ですが、ごく一部で幽霊の噂があったのです。幽霊が出るというのはある化学製品会社の社宅。といっても、すでに廃墟と化した建物です。社宅には幽霊が出て目撃者を祟るというのです。因果関係は不明ですが事故や不幸は起きているのでお祓いをした。調べてみると昔土砂崩れで大量の死人が出たなんて話もありました。慰霊碑もあったとか」
「話が、見えませんね」
「車塚さんのお話よりは早いですよ。……お祓いをした。事故や不幸はなくなったし幽霊も見なくなった。でもかわいそうだからと慰霊碑を建て直した。途端、再び幽霊は現れ始めた」
「理不尽な話、と言えば満足ですか?」

 佐藤は神妙な顔でうなずいた。

「半分くらいは。さていったい人々はどうすればよかったのでしょうか」
「お祓いだけして慰霊碑は建てなかったほうがよかった、じゃダメなんでしょうね」
「ええ。高名な霊能者を出すのもダメです。この話の肝は、結局どうすればよいかわからないということ。そして、不思議な力を持っているという点では、幽霊も超能力者も同じです」

 そっと、車塚は右手で口元を覆った。目も伏せて、考え込んでいるようである。

「なるほど、理解しました。ですが、こちらも引き下がれません。一番の適格者はあなたなのですから。今更公安の人間が教員や事務員になる、まして光森結衣に近づくなどという真似はそれこそ危険極まりない。かといって事情を知らない一般人では情報漏えいが恐ろしい」

 車塚の目つきが剣呑なものになる。が、佐藤も退くつもりはない。

「脅しますか? 脅されたとしたら、きっと言われたことしかやりません。そんな手先に、価値はない」
「脅したらとりあえずやってくれるのですね? それはいい」

 車塚が薄い笑みを浮かべるのに対し、佐藤は固く身構えた。相手は大人であり公安の刑事であるのに、佐藤は一介の高校生である。貝のように閉じこもるしか、己を守る術はない。だが佐藤のスタンスは一方向に盾を構えたにすぎない。脇や背後を突かれたり、からめ手を使われれば脆いものだ。

「もっともはっきり脅したくはありません。戦争のようなもので、力で抑え込もうとするのは不毛ですから」

 車塚は目を閉じて佐藤の不安を和らげるとともに、さらに話し方にあるパターンの間を設けることで佐藤に思考を許した。だがあくまで、車塚の望む思考の方向性をやらされているにすぎない。

「さっき言ったとおり、光森さんと話をして、光森さんがどんな性格か価値観か、どんな交友関係で、ある出来事や物事にどういう気持ちを示すか。そして彼女の身に何か起こっていないか。それを調べて知らせてくれればいいのです。もちろんそう難しいことは要求しません。ただ、できるだけ長く、多く話す。そうすれば自ずと、彼女のことは見えてきます。……ええ、不安でしょうとも。わかります。ですが今危険な超能力者が光森さんの身に迫っている。そのままではあなたの身に危険が迫るかもしれない。彼ら管理会社の理不尽さはあなたも知るところでしょう。……これは光森さんを助けることにもなります。情報元のお墨付きですからね。優秀な代弁者がいれば、と。……ああ、それに危険に応じた支払いはいたします。知ってのとおり管理会社は世界の敵。……政府からも潤沢な予算をいただいています。血税ですが、得られる情報の価値を思えば安いもので、そうはいっても個人にはそれなりの額を用意しています。妹さんは全寮制の私立に通われていて、あなたは家計が楽になればと思っている。悪い話ではないでしょう。……そう、もちろん命の危険はありません。ただ不慮の事故に気をつけていただいて、もしご自身の命や尊厳の危険があるとわかりましたら、代弁者の役割はやめてくださって結構です」

 すぐ考え付く限りの耳に優しい説得を終えて、車塚は慈母を意識した笑みを浮かべた。

「いかがでしょう?」

 今、佐藤の頭は提示された材料の検討に奔走している。しかし考えてきたことは多すぎるし提示された材料も彼の性分からいちいち検討せざるを得ない。思考判断は大きく減衰している。明確にそしてすぐに答えを出さなければならないと思ってしまっている時点で、減衰も彼の敗北も明らかだった。

「……わかりました。引き受けましょう」
「ありがとうございます。きっと快く引き受けてくださると思っていました」

 車塚が両手を握り合わせてにこにこするのを見て、佐藤は鈍重な頭を振り絞って考えた。誘導され説得されてしまった。自分が未熟なのか相手が熟練しているのかはともかくとして、力の差は歴然としている。佐藤は溜息をつき、せめて気分を紛らわすよりなかった。

「では、明日から。幸い、光森君と接点はあります。それを利用して、話を聞いてみましょう」

 佐藤は暗い面持ちで額をこすった。当然のことだが頭がすっきりしないのだ。

「ええ。ですが最後にもうひとつ」

 車塚が人差し指を立てるのに、佐藤は言い返しそうになる。が、なんとなく車塚に逆らう心地がしない。

「……なんでしょう」

「それ」と車塚はダンボール箱を指差した。車塚が持ってきたものである。佐藤はすっかり失念していた。車塚自身は土産と言っていたが、それも隣近所を騙すための方便だったはずだ。

「連絡用のパソコンが入っています。OSやソフトのインストールも専用の設定もすでに」
「ああ」

 報告に電話を使うと時間がかかる。メールにしておいたほうが報告の時間が短くていいし情報の要点や論点がはっきりしやすい。新たに持ってきたPCというのは情報の秘匿性を意図したのだろう。

「ではリビングにでも」
「いえ」

 車塚はお決まりの台詞を言うみたいに、きっぱりと言った。

「義春さんの書斎があったはずです。そちらの回線にします」
「そんなものがあったとはついぞ知りませんでしたが。というより、残っていたとは、ですか」

 どこまで予定調和なのか。佐藤は疑いかけたが、諦めることにした。

 信じられないものが多すぎる。








序章あとがき:
 以上、序章でした。
 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
 いかがでしたでしょうか。もしよろしければ感想をお願いします。
 モチベが上がれば(たぶん)更新速度も上がります。





[27970] 弓道部
Name: しじま◆4c851af5 ID:1d8f7faa
Date: 2011/05/28 19:46
 月曜日。暖かい日だった。

 佐藤は校内の北東隅にある自転車置き場にいた。南にある化学製品会社の社宅を見ていた。全国展開しているのと二駅離れたところに工場があるのとで団地かというほど大きなものだ。高さだけなら校舎の二倍ある。
 だが今はさびれたもので、一人も住んでいない。入り口には板が立て付けられ、窓も同様である。塀はところどころ崩れているし、鉄の門扉は塗装が完全に剥がれ落ちて赤錆が浮いている。草は地面が見えないほど生い茂っている。人類のいなくなった世界、というものを連想させられる。
 行く末には何もない。灰色、という言葉が頭に浮かんでは消える。佐藤は頭をかきそうになって、手を止めた。よくない癖だ。

「さて……」

 帰りのホームルームが終わるまでは、佐藤は公安からの、ひいては管理会社の裏切り予備軍からの依頼をまるで考えずにいた。いまいちどうすればいいかわからないし、あまり気分のいいものではない。単に可能な限り光森のことを調べるだけならためらわない。それを報告するというのが、他人の秘密を暴いてさらしているようで気分がよくない。まして相手は光森だ。よくも悪くも知りすぎている。
 今の自分がやっていることは一言で言って逃避。だが過ぎた逃避は身を滅ぼす。車塚ははっきりとは脅してこなかった。まだ逃げ場は残されている。が、逃げ道は用意されていない。多少のお目こぼしがあったところで、佐藤に行動の選択権はあまり許されてないというわけだ。
 佐藤は気分で行動することはないと自分では思っている。あくまで論理的にだ。だが気分の悪いことは確かで、その気分の悪さを解消するために、車塚には秘密で、一つ別の指針を立てることにした。あくまで部の先輩としての枠組みを出ない。友人以上のものには決してならず、深い情報をもらいも与えもしない。あくまで表面の観察者に徹するのだ。するとずいぶん気が楽になった。

「行くか」

 鞄をかけ直し、佐藤は弓道場へと向かった。
 S高校の弓道場は、少なくとも大会で使用されるものよりずっと狭い。幅は六メートルほど、奥行きは的や的までの芝生をのぞけば二メートル半だろうか。建物、と呼べるのはその狭い空間のみで、屋内と呼べるのも当然その空間のみである。北側と東側は山にさえぎられ、南側は格技場がそびえている。少々窮屈さを感じる場だ。
 佐藤はなんとか光森だけと接触を持とうと、格子窓から射場を覗いた。
 中には五名の人間がいる。二人は二年の男子生徒と一年の女子生徒。この二人に関心を寄せる必要はない。
 一人は弓道衣姿の光森結衣。佐藤から見て右端から弓を射ていて、入り口からは一番遠い。
 もう一人は全身白のスーツを着た木島悠一。入り口に一番近いのがこの男で、腕組みして、練習風景をながめているだけの様子だ。S高校に新たにやってきた教師のはずだが、全校集会で紹介されていないため二年である佐藤は知らない。ただ常に白スーツという出で立ちは目だって仕方ないので、顔だけは記憶している。
 最後の一人をやりすごすことが、光森と話して情報を得ることよりもずっと厄介である。強制力は決してないのだが、要は佐藤は苦手としている。部長であり、名を真行寺詠奈という。
 真行寺は女子でありながら身長が百七十を越す。当然それに比して手足が長く、平たく言ってモデル体型。赤みがかった黒髪と、少々きつくも整った顔立ちが、普段の彼女に威圧感を持たせている。よく彼女を知らなかった時佐藤は彼女を典型的な不良であるものとばかり思っていた。が、実態はむしろ生真面目である。今はポニーテールに弓道衣で印象が和らいでいるともいえなくもない。部長としてなのか、それとも全国出場者としてなのか、部員の射を後ろから見つめている。

 ちなみに佐藤と今最も物理的な距離が近い。

 息遣いか足音か気配かはともかく、佐藤に最も早く気づいた。真行寺ははじめ怪訝そうな目で見てきていた。が、徐々に怒りを膨らましていくのが、体のこわばりから推定できる。

 佐藤は踵を返して、自転車置き場のほうへそ知らぬ顔で歩き出した。

 二秒と経たずに荒々しく地面を蹴る音が佐藤の耳にも届いた。佐藤のところまでやってくるのに一秒といらない。そうして佐藤の学生服の襟首をつかんだ後、両腕で佐藤の首をホールドした。

「逃・げ・る・な、っての! このバカが」

 言葉とともに真行寺は佐藤の首を締め上げる。佐藤はホールドされたところで平然と、むしろふてぶてしくしていた。が、締め上げられるとなると平静ではいられない。何度も真行寺の腕をタップした。

「一ヶ月。一ヶ月もサボって、きたと思ったら目が合った途端逃亡とか! なめてんの? あん?」」

 佐藤の耳元で真行寺はすごんだが、佐藤は力づくで真行寺の腕を外すことで忙しい。一分ほど締めようとする真行寺と外そうとする佐藤のやり取りがあった後、佐藤は無事解放された。

「殺す気か、バカ」

 命の危機こそなかったのものの、そう言わずにはいられなかった。佐藤は喉に異常を感じて咳き込んだ。

「で、弁明はあんの?」

 仁王立ちして訊く真行寺。佐藤の皮肉は一顧だにしない。

「むしろ俺のほうが求めたいね。部活は自由意志。そうだろう?」
「うわウザい。正論くらいでいばんなバカ」

 真行寺は蔑みの目で佐藤を見る。が、すぐに純粋な笑顔へとスイッチする。

「でもよくきた。これも何? あたしのありがたいお言葉のおかげ?」
「誰がお前の説得程度でくるものか。光森君が理由だ」

 目を白黒させて、真行寺は首を傾げた。

「結衣ちゃんが、どうしたって?」
「なんでもない」

 事情は二つあるが、どちらも佐藤の口から言えたものではない。仏頂面をすることで、苦しまぎれのごまかしをした。
 ふうん、と真行寺はつぶやくと、「ま、とりあえず」と親指で方向を指した。そちらにはるのは、体育館、プール、部活棟、そしてグラウンドだ。しかしいずれも正解ではなかった。

「グランドの外周りを百周ランニングな」
「はあ!?」

 全身で抗議する佐藤を、真行寺は一言で突っぱねた。

「うっさい。いいから着替えて走ってこい」

 佐藤は嫌悪感も露に顔をそらした。

「お前、俺を殺す気か?」
「ウチの弟じゃないんだから加減わかるでしょ。別に今日だけで走れってんじゃないし。あ、あと筋トレもね。トレーニングルームでとにかくなまった体を鍛えなおすこと。そもそも丈夫な体でなかったし。てーかあんたちゃんと食べてんの?」
「ふん。お前は何様のつもりだ?」

 佐藤がはっきり拒絶すると、真行寺は目を伏せ、声のトーンを落とした。

「仮にも部長だし。きた以上、このくらいの口出しはさせてもらう」

 佐藤は沈黙した。そして体育館の軒下に入り、おもむろに体操服を鞄から取り出して着替えだす。男子の更衣室などないし、どこか端によって着替えるのが慣例だ。
 真行寺はゆるく腕組みしつつ、遠慮なく佐藤の背中に語りかける。

「……そういえば、ガッコに幽霊が出るってね」
「ああ不思議な話だな。お前は見たのか?」

 佐藤と真行寺は淡々と言葉を交し合う。

「見たといえば見たけど。人の形した光ったもの、というのが近いかなあ」
「その幽霊がいろいろやっているらしいな。おまじないをすると願いをかなえてくれるとか、学校でイタズラをして回っていてポルターガイスト状態だとか」
「詳しいこと」

 そう言った声は気取ったもので、真行寺にはおよそ似つかわしくない。

「別にこれくらい、普通だ」

 佐藤は着替えを終えて、真行寺を振り返った。真行寺が小首を傾げるので、彼女例の赤みがかった黒髪が垂れる。

「……何かおかしなことでもしてんの?」
「何の話かわからんな」
「ふうん」

 真行寺の目が細められ、疑念がうかがえる。佐藤はこめかみに中指を当てて、訊ねた。

「咎めるか?」

 真行寺は腕組みを深くして、やや上体を後ろへそらした。

「なんで? あたしに関係あんの? もしかして構ってもらえるとか思った? バカじゃない?」

 微苦笑を残して佐藤は校外に出ようと右を向いた。が、二歩でぴたりと足を止めた。顔だけを真行寺に向ける。

「真行寺。弓道場にいたあの白スーツは、誰だ?」
「木島先生。下の名前は悠一。一年の英語担当。臨時の先生で、暇だからって顧問を買って出た、らしい」
「前の英語の担当に不幸でも?」
「さあ。細かいことは知らない。聞いたかもしれないけど、忘れた」
「なんで全身白のスーツなんだ?」
「ひとのファッションなんてどうでもいいでしょ? 見苦しくなければ」
「それもそうだ」

 佐藤は再び歩き出し、徐々に歩調を速め、体育館の角を回り校門を正面にとらえたところで、ジョギングを始めた。
 時刻は午後四時半を少し回ったところ。弓道部の活動が終わるまで二時間ある。
 佐藤は足が鈍りそうになるしサボタージュも考えたが、暇や退屈がいかんともしがたい。阿呆のように同じところをぐるぐる走り回るのも、別段悪いわけではない。適宜休憩を取ればいいし、疲労だけが問題だ。ろくに考えてこなかった光森との話の段取りを考える時間にもなる。佐藤は従順に真行寺の指示に従った。
 陽は沈みかけ、辺りは冷え込み始めていた。


あとがき:
 禁止ワードのあぶり出しに手間取って予定の半分だけです。
 お楽しみいただけたなら、感想をください。活力になります。



[27970] 宣戦布告
Name: しじま◆4c851af5 ID:1d8f7faa
Date: 2011/05/30 06:56

 並列思考などコンピュータのやることであって人間のやることではない。
 佐藤は結局走っている最中考えがまとまらず、休憩の最中だって疲労と息切れで深く考える余裕がない。加えて真行寺の野生的勘か、それとももともと監視をする予定だったのがよく働いたのか、やってきた真行寺によって休憩以上の停滞は許されなかった。
 そうして午後六時三十分、弓道部の活動終了時刻がやってくる。
 佐藤は真行寺から顔面に投げつけられたタオルで汗を拭いた。着替えも済ませ、久しぶりに同じ部活の同級生と言葉を交わした。真行寺からは無視されるか辛く当たられるかの二択で、疲れるよりない。タオルのことを持ち出せば暴力にさえ訴えられたのである。
 光森も、もう一人の弓道部の一年もまだ部室から出てきていない。
 格技場の外壁によりかかっていた佐藤に、すっと近づいた白い人影があった。木島悠一である。全身白のスーツの彼は、一目に神経質そうな男だった。細い顎に細い目、そして薄い唇をしている。髪は整髪料で固められているようで、山上から冬の風が吹きつけているにも関わらず、一向に乱れる様子はない。

「佐藤くんですね。木島といいます」

 木島が笑顔で握手を求めてきた。佐藤はためらいがちに応じると、忌憚ない視線を浴びせかけた。

「いつから顧問に?」
「十月の頭くらいからでしょうか。顧問には赴任早々名を連ねていたのですが、正直面倒で。……と、ああ、いけませんね。まだ教師になりきれていないようです。そのへんも含めて、どうぞよろしく」
「俺は二年で、幽霊部員ですからね。あまりよろしくできませんが」

 はっ、と木島は笑った。佐藤のいぶかしげな視線を受けて、木島は目を伏せた。

「ああ失礼。いや、いい。実にいい。わかりやすくて」

 佐藤は眉をひそめた。初対面の人間に理解された気になられるのは不愉快だ。

「もういいですか?」

 早々に話を打ち切ろうと、佐藤は顔までそむけた。木島は少しも気分を害したふうがなく、笑顔を維持しつづけている。

「部活というのはきみにはさぞ面倒でしょうね。私も部活なんて早々に辞めてしまった経験があります。周りがバカばかりに見えてならなかった」

 佐藤は木島のざっくばらんな物言いに、隣の同級生と目配せすることで確認を取る。いつもどおりらしい。

「しかし、妙ですね」

 木島が自らの顎を手のひらでなでた。顔は上げたまま、目がじろりと佐藤を見る。

「なぜ今になって? 真行寺さんから話を聞くとずいぶん長いこと幽霊部員をやっていたとか。何がきっかけなのでしょう」

 佐藤は内心溜息をつきながら、平然とウソをついた。

「真行寺――部長にさんざ小言を言われていましたからね。その結果です。もっとも早くもへこたれそうですが」

 木島がまたも快活に笑った。

「そうですか。まあ、自分の好きに生きるのが一番です。あとは自ずと摩擦が生じて磨かれていく。そういうものです」

 弓道部の部室のドアが開き、光森ともう一人の一年が出てきた。木島はそちらに微笑みかけ、それからその場にいる全員に一言挨拶を述べると、校舎のほうへ戻っていった。

「妙な教師だ」

 佐藤がつぶやくと、耳ざとく真行寺が反応した。冷めた目を佐藤によこして言う。

「あんたが人のこと言えるのか?」

 佐藤はにやりと笑った。

「わかっていないな。人のことだから言えるんだ」
「何言ってんの?」

 真行寺は処置なしとばかりに片手を上げた。呆れたようで、徐々に笑顔へとシフトしていく。
 光森と、もう一人の一年生がそばまでやってきた。

「佐藤先輩。おひさー。暗闇で見ると昼間よりカッコよく見えますね」

 と毒を吐くのはもう一人のほうで、光森は礼儀正しいものである。

「どうも、佐藤先輩。お疲れ様でした」

 佐藤はそれぞれに、しかし同じ反応を返した。「ああ」とそっけないものである。

「それじゃ、帰ろっか」

 真行寺が軽い調子で号令をかけ、それぞれ駐輪場へ向かって歩き出す。光森は電車通学で駐輪場に用はないが、平時のように付き添った。

 佐藤は光森に声をかけそうになるが、まだ早いと改めた。道中の話にも参加したが、個人的な話はなかった。駅の前で真行寺とも別れ、弓道部の中で駅まで道をともにしたのは佐藤のみだった。「駅の本屋に用がある」と言ったのだ。
 佐藤と光森は、自転車を挟んで並び、駅前の交差点の信号を待つ。目の前では何台もの車が瞬く間に行き交っている。車体が空気を切る音は鋭く、テールライトが短い線となって見えては別の車の陰に消える。何人、何十人という人が通り過ぎていく。佐藤は心が冷えていく気がした。街中では誰も留まらず、どこかへ消える。しかしどこかにはいられない。

「私も、こんなに早く部に顔を出されるとは思いませんでした」

 光森が感心したように言うのに、佐藤は妙に心がうずいた。光森が悪意を持っていないのはわかっているが、考えてしまう己がいる。言い方に棘があると早々に気づいたようで、光森は慌てた。

「あ、えっとその、違います。ただ先輩、あまり誰かに頓着することはないんじゃないかって。それで、そう、少しうれしかったです」

 光森は少しうつむいてはにかんだ。佐藤が黙っているのがよくなかったか、光森ははっと顔を上げた。

「別に私とか関係ありませんよね。というより、部長の努力の賜物で。ええ」

 きみは、と佐藤はつぶやいた。うまく声が出なかった結果で、咳払いをしてから言いなおした。

「きみは、前々から思っていたが、苦労性というか心配性というか」
「え? そんなことありませんよ? 普通です、普通」

 信号が青に変わり、二人そろって歩き出す。佐藤は横目で光森を盗み見た。佐藤より身長が頭ひとつ低く、動くたびに流れる髪というのが観察できる。髪の下にはビルの明かりを映す瞳や、寒さに当てられてほのかに赤い頬も見られる。だが心なし、佐藤には血の気が悪いように見えた。彼本人にこそ適用されることだが、他人事だから思うし、言うことができるのだ。
 ただし婉曲な言い方となって、それは表された。

「時計のペンダントはそのままだったようだな」

 信号を渡りきり、駅の敷地内を歩き出す。右手にはバスのロータリー、左手と正面には駅ビルがある。駅そのものは、正面から駅ビル内を過ぎたところにある。午後七時を前にした冬の駅前は、誰もが背中が丸くなったり足が速くなったりしやすい。佐藤は忙しないものだ、と呆れ気味で見つめることが多い。

「あんなところにあるものですから。時計を直すのは来年度で、ペンダントを返してもらえるのもたぶんその時になるらしいです」

 そうか、と言ってから、佐藤が話を誘導しようとした時、「あ」と光森が少々間の抜けた声を上げた。

「三年によく知った先輩がいるか、ということでしたけど。確かにいますよ。体育祭で同じ組になった三年の先輩となら、よく話しました。三年三組の中で、行進やダンスの教育係りになった方とは必ず話をするものですし。でも、どういうことです?」

 佐藤は曖昧に答えて、とりあえず自転車を違法駐輪の列の中に停めた。一週間放置しておくならともかく、長くても三十分の予定だ。罪悪感はみんなで渡る赤信号の精神であまりない。佐藤は鍵をかけ、再び光森と歩き出した時まともな返事をした。

「そもそも光森君。きみはどうして、ペンダントが時計にひっかけられていることを知ったんだろうか」
「それは、時計を見上げている人がいて。光るものを見つけて、なんとなくわかりました。ああ、あれは私のだ、って」

 改札口を目指す階段に差しかかり、上る。上りきれば駅ビルへ行く人間と電車に乗る人間とに別れる。それまでに、聞きたい話を聞かなければならない。

「ではなぜきみのペンダントだったのだろうか。なくした経緯、それにどんなトリックにせよ時計にペンダントを引っ掛ける手間、そしてその効果。三つすべてを考えた時、噛み合うのはひとつだけだ。きみを狙った」
「それはそうかもしれませんけど、でも、三年生である理由も、私もよく知っているという理由にはなりません」
「ペンダントは校則違反だ。当然きみもそれを隠していた。なのにそのことを知る機会があるとすれば、きみをよく知っていたり観察したりする必要がある。その人物は、自然、きみに近づき、きみもその接近に気がついた」

 光森は声の調子を落とした。

「それは、考えませんでした……」
「そうだな。考えたくなかったんだろう」

 光森が目を丸くするが、佐藤に苦い顔をするのも早かった。

「そういうことをするのは、人付き合いで好ましくないと思いますけど」

 佐藤の態度は飄々としたものである。

「光森君。理解ではなく学ぶといい。俺はどうでもいいことしか言っていない」

 鞄を持つ手を強く握るとともに、光森ははっきり言った。

「いいえ。佐藤先輩は十分に、強い言葉を口にされています。茶化すのはよくありません」

 佐藤はつかの間言葉をなくし、けれど元のように不遜な口調を取る。

「そうか。そうかもしれないな」

 会話しながらで歩調が遅れていたとはいえ、階段を上る時間など短い。階段を上りきり、改札口と駅ビル内を目指す入り口との分岐が訪れた。佐藤は結局聞きたいことを聞けなかったことを悔いた。しかし別の手段も思いついた。

「それじゃ、また部活で」

 光森は先ほどまでのやり取りを少しも引きずらず、微笑を浮かべて佐藤に挨拶した。佐藤は空ろを感じながら、

「光森君。一つ問題を出そう。きみのペンダントを手の届かない場所、校舎の時計に引っかけた方法だ。答えは用意してある。そして、ひとつヒントを出そう。木曜日の放課後のことだ。三年三組で、放課後受験シーズンにも関わらず教室が空になる時間帯が生じた。理由は考えなくていい。問題は、それがどう利用されたかだ」

 光森が見るからにきょとん、とした。
 佐藤は小気味よい気持ちで踵を返し、階段を引き返した。だがふと気づく。要は光森から二人きりで話を聞ければいいので、話す機会をつくればいい。問題はその作り方で、弓道部に顔を出すのはいいが毎度本屋に用があるなどと言ってられない。弓道部の活動中二人きりで話そうなどと言うのはもってのほかだし、どれも使えるのは一度きりでいちいち方便を考えるのも用いるのも面倒だ。そこで話を度々終えるのではなく、話を中断して次につなげる。佐藤の話術のなさがうまく働いた。だがここで得意になっていてはいけない。
 本屋に用事があるといってここまでついてきたのではないか。すぐさま一階から駅ビル内に入ったなら問題はなかろう。あるいはここまで光森とできるだけ長く会話するのもまたいい。できるだけ早く話を終わらせたいなどとはかけらも思わせない効果となる。だがどちらもはダメだ。
 やあ話に夢中になっていて本屋への用事を忘れていたと光森に弁解するか。あるいは顔をうつむけて足早に駅ビルに入ってそのように行動で主張するか。後者を選ぼうとしたが、光森は改札口へとすでに歩き出している。
 佐藤は、敏感に光森の不審を悟った。光森は顔をうつむかせていて、歩調が離しながら歩いていた時と変わらない。首をひねる仕草がいかにもだ。

「光森君」

 と佐藤は動揺を押し殺して呼びかけた。光森が振り返る。金曜日とやり方が被るので、中身は変えなければならないし、本屋に用がなかった理由をごまかさなければならない。

「何か、疲れていないか」
「え?」

 光森は半身だけ振り返っていたのが、完全に佐藤のほうへと向き直る。口角のつりあがり具合がアンバランスで、顔に浮かんだのは愛想笑いのようだ。

「なんのことでしょう。……あ、そう、月曜日ですからね。休みで体がなまけてしまっていたのかもしれません」

 妙な話だ、と佐藤は直感した。自身も経験があるし、真行寺など周囲の人間を見ていればわかる。月曜日の学校や勉強が気だるく、体もまた重いことがある。けれどいざ学校に着いたり教室に入ったり、少なくとも授業が始まったりすれば、そのような疲労感は消し飛んでしまうものだ。

「そんなにあれは大事なものだったのか?」

 あれ、とはもちろん光森のペンダントのことである。佐藤は一度はっきり見たことがあるが、確か十字架にすがりつく天使、という意匠だったはずだ。全体が銀色で、素材は知らないがまさか純銀ではあるまい。
 光森が言いにくそうに目線を下げた。

「……いえ。わかりません」

 校則違反までして身につけるものである。さぞ思いいれがあってしかるべきだ。佐藤は疑問に思うも、あまり引き止めても悪い。光森の家は学校の最寄の駅から電車で四十分強かかるというのだ。

「そうか。話しにくいならいい。電車の時間もあるだろう。だがもし話す気になったらいつでも……、そう、電話やメールでもいい。確か大会での連絡用に、一応交換してあったな?」
「電話……」

 復唱する光森はなんだかうわのそらだ。
 人は場によっていろいろな役割を負うし、いろいろな顔をする。一度別れの挨拶をした以上、光森は帰宅で気がゆるむ、やや無防備な状態にシフトしはじめていたことだろう。
 そのことで、光森の隠していることが、ひとつ、ふたつとちらつきはじめている。
 佐藤は仕事の予期せぬ展望に、素直には喜べない。もし光森の身に何か起きているなら公安に知らせるべきだ。だが光森のパーソナルな部分を知ることとも結びついてきて、知ることは正直辛い。何も彼女の汚いところや黒いところを知りたくないのではなく、深い部分を知ることそのものが怖いのだ。光森のことは好ましく思っているが、責任を進んで追うほどではない。ましてそもそも、社宅の幽霊の話と同じだ。どんな行動がどんな結果を生み出すか、まるでわからない状態にある。なのに、重要そうな行動は取れないし知識も得たくない。知れば、自然行動に影響してしまう。
 自らが薄情ではないかとはもちろん思う。だが佐藤は、死にたくない。こんな卑小な存在に確定されて人生を終えたくない。知らなければ何も起こらなかったことにはならないという考えは、浮かばない。彼の意識がそう望んでいる。
 光森が考え込んでいる隙に、佐藤は知ることから逃げ出した。

「いや悪かった。たぶん、きみにとってとても大事で、言葉に表せない複雑なことなのだろう。踏み込んで悪かった。無理に言葉にしなくていい。まして俺に伝えなくていい。しまっておくのが賢明だろう」

 佐藤は滔々と述べて、「それじゃまた明日」と光森の顔を見ずに踵を返した。これでいい。車塚から依頼されなければ弓道部に顔を出さなかったろうし、まして光森が苦難に巻き込まれるなんてまったく気づかなかったろう。
 だが、と佐藤の中で何かが逆らう。自分は知った。自分は気づいている。そして今までの人生、そうなれば知らないふりも気づかないふりもしなかった。頭を振り絞って解決を考えた。何度ためらえばいいのか。いつまで迷うのか。佐藤は一度奥歯を食いしばると、苦悶の表情は見せずに光森に告げた。

「だが、光森君。知っているかどうか知らないが、隙を見せれば俺は気づいてしまうぞ。なぜならばこちらは知ってのとおり、愚直な人間だからな俺は。隠されていると落ち着かない。ペンダントのことも、携帯電話のことも、きみが隠しているであろうことすべてだ」

 佐藤はここで初めて笑うことができた。自分でもさぞ悪役っぽい、皮肉で不敵な笑みをしているのがわかる。だから振り返る。

「きみが一人で悩み、その悩むことが不毛であるなら、必ず」

 午後七時の、改札口へと至る階段。人通りは当然多い。だが幸いというべきか、人々は佐藤や光森を障害物としてしかとらえていない。

 光森が、ゆっくりと、頬をゆるめる。それは穏やかな微笑となって、佐藤の心をとらえた。雑踏の中そこだけが映えて見えるような錯覚がする。バカバカしい、と佐藤は己を嘲るが、目は釘で打たれたように動かせない。

「もし。もしそうであるというのなら、待っています。でも、私の意地とプライドにかけて、そんなことはけしてないと言っておきましょう」

 光森は十六歳らしからぬ艶めいた流し目を残し、階段の先へと消えていった。
 佐藤は今度こそ、階段を下りて、自分の自転車のもとに戻る。その途中、車塚、ひいては公安のことを思う。人に役割を与えればその役割に沿うようになる、というのは有名な話だ。だからとりあえず据えておいたに違いない。そして管理会社の裏切り者が代弁者の用意を命じたのは、要は光森の深い部分と関わらせたかったのだろう。代弁者とは何も対象の言葉をそのまま伝える役目のことではない。複雑にからみあい茫洋とした意思を、対象以外の人間に伝える役目のことだ。

「小さい……」

 佐藤は自転車のそばで一人ごちる。きっと自分は駒の一つでしかない。公安という優秀な大人たちが主役だ。敵役はさしずめ管理会社。
 単なる高校生である佐藤には何の力もない。童話のさえずるだけの小鳥。いいや仇名と同じく訴えることしか能のない亡霊か。
 仮に幽霊がいるとして、幽霊はどんな心地だろう。何もできず、ただ見守るのが大半と聞く。呪ったり音を鳴らしたりと現実世界に干渉できるのは全体の〇・一パーセントにも満たないとか、佐藤は例の富豪連続不審死の記事を書いたサイトで読んだ覚えもある。
 佐藤はともすると暗い湖の底に沈みそうになるが、黒い水面の向こうに輝く光は見えている。そちらにもがく気概はあった。
 さしあたり、今日の車塚への報告を無難に済ませなければならない。伝えられるだけの情報を伝えるのが依頼であり、何がつながるかわからないためそうするのが賢明である。だが他人の大事な情報を伝えるのはやはり気が引けるし、伝えたところで公安もほとんど何もできない。弱体化しているとはいえ世界を席巻している管理会社である。下手にはむかえば手痛い仕返しをくらう。
 されど、情報を秘匿したところで佐藤に何ができるとも思えないし、そもそも佐藤の手元にある情報は光森がすでに苦難にあることくらいしか導き出せない。

 佐藤の体は、まだまだ湖の深い場所にある。


あとがき:
 ずいぶん奇妙なものが禁止ワードになっていて苦労しました。
 なぜ、なぜなのと首をひねりつつも、なんとか更新。
 更新しつづけていれば、いずれ反応あるのでしょうか。



[27970] 歪曲
Name: しじま◆4c851af5 ID:1d8f7faa
Date: 2011/05/30 06:56
 公安の依頼を受けて光森に関する調査を始めて二日目。

 昨日の晩にメールで報告文書を送ったが、簡潔なものである。『光森に弓道部の縁を伝って接触するも成果なし』が要訣だった。光森に関して事前に知っているおおまかな情報――例えば知る限りの性格、価値観、能力、交友関係だ――はすでに日曜日の時点で伝えてある。

 先方からのアクションは特になかった。『了解』。ただそれだけである。

 要は管理会社の裏切り者未満が公安に恩を感じればよく、代弁者という役割をすでに配し、動いている事実があればそれは可能なのである。驚く成果を出せば上々、出せなくても相手は世界の管理会社と言い訳が立つ。
 佐藤は相も変わらず光森に関してノープランで、ただ話をつづけることにしか余念がない。隠していようと単純な接触を繰り返せばぼろは出るのだから。佐藤は外の曇天を見て心の中で苦笑する。事情を知らなければ、光森に焦がれているようだ。
 四時限目の終了を知らせるチャイムが鳴り、佐藤は一度学士の徒の顔を外す。そうして光森の代弁者となるべく、ひとつだけ特別に考えていた行動を起こした。まずは教室を出て、三年三組に向かわなければならない。

 佐藤が教室から出て、格段に冷えた廊下に出ると、左隣の教室から出てきた長身の女子生徒を目にする。昼食休憩を含む昼休みにも関わらず、彼女は一人である。
 赤みがかった黒髪と端正ながら鋭い目つきは、間違えようがない、真行寺詠奈である。
 彼女の目は誘引されるように佐藤を見つけて、顔には得意そうな笑みが浮かぶ。

「ちょうどいい」
「こっちは最悪だ」

 佐藤は何か吐き捨てるようにそっぽを向いた。真行寺がずんずん近づいてきて、一方的に肩を組む。

「そう邪険にすんなって。な? 体の調子はどう?」

 真行寺の笑顔は極めて朗らかである。対照的に佐藤は表情が険悪だ。

「……不本意ながら、体は軽い」
「だろ? まあでも昨日のはちょっと辛かったろうと、あたしも反省したんだ。今日はちょいとゆるめる」
「ごめんだ。光森君のために昨日は行っただけだ。きつかろうとゆるかろうと、そんなのはどうだっていい」

 真行寺は笑みをロウソクの火のように消すと、真顔で佐藤の耳元にささやいた。

「あたし、あんたのそういうところは嫌いで、イヤだ」

 佐藤から真行寺は離れて、佐藤とまっすぐ向き合う。

「別に理由はどうだっていいよ。小難しい理屈なんてしち面倒くさい」
「……ああ、知ってる」
「だからって否定しようとも、強制しようとも思わない。親父みたいだし、あんたのいいところの一面でもあるんだから。ああ、いや理屈はどうだっていいんだ。ただ、どうこうするのは、なんだか悲しい気がする。って、これも何度話したっけ」

 佐藤はひどくいたたまれなくなって、ポケットに入れていた左手が緊張する。真行寺のせいではないと頭で否定しつつも、言葉は口から出ていた。

「部活には出よう。内容に関しては従う。いや」

 佐藤は『従う』ではなく別の言葉を探した。『喜んで』とつけるのではまるで奴隷だ。『言うとおりにする』では幼い気がする。結局簡潔な言葉は見つからなくて、言葉を尽くす羽目になる。

「なんというか、こういうことに関しては、お前のほうが正しいんだろうなと思う。ただ、能力も気持ちも、俺には足りない。そんな気がする」

 佐藤はたどたどしくも懸命に伝えた。その照れくさくて真行寺から目を離していた隙に、うつむいた真行寺が佐藤の側面に回りこんでいた。佐藤が気がついた時には、羽交い絞めを逃れる術は失われていた。

「ほんっとめんどくさい! ああめんどくさい男だ!」
「悪かったな、めんどくさくて」

 佐藤は首にかかる真行寺の腕に手をかけながら、ふてぶてしい態度を取った。

 五秒経って、羽交い絞めがゆるんだ。佐藤がいぶかしむと、真行寺が優しげな声音で言うのだ。

「ああ、でも、いいよ。ちゃんと考えてくれるなら、それでいいんだ。なんでもかんでも考え込むのも、まあこういう時悪くない」

 そうして佐藤が真行寺のことを好ましく思った瞬間である。

「だが結衣ちゃんのためってのが腹立つ!」

 ぐぉ、と佐藤がうめいても真行寺は微塵も気にせず羽交い絞めをつづけた。

「そりゃ結衣ちゃんはかわいいさな! それにいい子! あんた自身は別にひいきとか恋愛感情とかないとは思う……」

 なら、とうめき声ともつかぬ言葉を発する佐藤。その右頬に、真行寺は佐藤の顎下を介して左手を触れさせた。

「だが腹立つんだこれが」

 真行寺はこれまでにない猫なで声を出すと、羽交い絞めを解いた。佐藤が解放されて恨みがましい目を肩越しに浴びせると、すでに真行寺は自らのクラスが所属する教室へと戻ろうとしている。右手を上げてひらつかせながら、彼女は言った。

「部活にくるんならそれでいい。基本、他の余計なことには口出さないよ」

 佐藤は喉を押さえて咳き込みながら、真行寺が教室の中へ消えていくのを見送った。真行寺に対する込み入った感情の分析もそこそこに切り上げて、廊下の天井に一定間隔で配されている時計を見上げた。すでにチャイムから三分間経過している。佐藤は三年三組の教室へ向かった。

 食堂か購買にでも向かう三年女子のグループと入れ替わりに、佐藤は三年三組に顔を覗かせた。三年でもない佐藤に、少なくない注目が集まる。教室の話し声が明らかに減って空気が変質する。

 その中で席を立ち、佐藤に向かってきたのは一人。前年度の生徒会長だった。彼は笑いながら佐藤に近づいてきて、背中を二度三度と叩いた。

「おー、どうした佐藤! 相変わらず死にそうだな! 何の用だ? 実は噂の幽霊は俺でしたってか!?」

 前生徒会長は天然とも毒舌ともつかぬ言葉を発しつつ、佐藤を廊下に連れ出した。
 佐藤はおとなしく従ったが、佐藤の目的は前会長ではない。
 廊下の端、ほとんど使われていない歴史編纂室の前で、前会長は本題を求めた。

「で、何? 俺に用? 俺はもう隠居の身であり受験生だからさ、お悩み相談はできれば檜山のところに持っていってほしいんだけど。特に幽霊騒ぎのこととかさ」
「できるだけ恨みを買いたくないので、仲介してもらいたいんです。その点、あなたが五十嵐先輩と同じクラスでよかった」
「五十嵐? あー、あー、五十嵐か。なるほどね。……つーかさ、そうすると五十嵐の恨み俺が買わね? な、佐藤君よ。それに使い走りというのも気に食わん」

 前会長がその長身で佐藤を見下ろしにらむ。佐藤は淡々と交渉を行った。

「協力が得られないのでしたら、直接俺が呼び出します。手間をかけさせました」

 佐藤が軽く頭を下げるのに、前会長は苦い顔をする。

「空気悪くなるのわかってて言ってんだろ。細工はしてやる。でも俺は関わらん。面白くなさそうだしな」
「できればこの昼休みに話したいんです。いつ手遅れになるかもわからないので」
「なんで俺がそこまで気を回さにゃならんの? 受験シーズンだしさ。誰かが孤独を感じちまうのは、よくあることでもあるし」

 佐藤はさも困ったふうに、口を半開きにして目線をそらした。そうして「あ」とわざとらしく閃いてみせる。

「実は光森君が困っているんです」
「なにぃ?」

 前会長は佐藤の両肩を力強くつかむと、これまでにない真剣な顔つきになった。

「それはいかん。大問題だ。隠居だの受験生だの言ってられんな。よしここはユイユイの目の前で五十嵐を糾弾してくれよう」

 止まれバカヤロウ、とすんでのところで言いそうになって、佐藤は咳き込んだ。前会長がいぶかしんでくるが、風邪気味でと言い訳した。

「体育祭では同じブロックだったそうで」
「確かに。そもそも入学式から見ていた。壇上から探すと、綺麗な子やかわいい子というのがよく見える」

 前会長が腕組みして背をそらす。目を閉じるのは感慨にふけるためのようだ。体格ががっしりしているため言動を考えなければ迫力だが、中身を知ればやはり何のことはない。佐藤が苦笑いしていると、前会長が片目を開けてじろりと佐藤を見た。

「んむ? ということはだ。貴様、俺の役割を奪う気だったのか!?」

 前会長が身構えて戦闘態勢を取る。佐藤は勘弁してほしいと、嘆息した。

「五十嵐先輩の糾弾は任せますよ。光森君の前でかっこつけるのもどうぞご自由に」
「ああどんと任せろ。やはり救世主は英傑でなければな。ユイユイも筋肉もりもりの男性がタイプだというし、貴様のような怖くもないゾンビには務まらん、務まるわけがない」

 あるいは別の人間にこんなふうに言われたなら、佐藤は見下げ果てて関わることさえやめただろう。だが今話しているこの男は、人徳というべきか、戯言として聞き流せる。
 それでも、佐藤にとってこの男を罵らずにいることは難しい。怒り云々でなく、とりあえず指摘せねばならないだろう。それを押さえ込んで、前会長をいい気にさせておくのが肝だ。

「ただ、ご存知のとおり、考え出したら止まらないタチで。五十嵐先輩に聞いておきたいことがあるのです。光森君の救世主の役目は先輩にお任せします。どうぞ今日の放課後にでも駆けつけてやってください」

 佐藤は話していてふと、内省にとらわれた。この得意になっている男に対して、絶対的な優越感を自分は抱いている。それは公安から依頼されていることもあるし、管理会社という存在の認知、そして管理会社の工作の既知もある。結局光森を助けるのは自分だと、そんなことを考えているのではないだろうか。

「どうした、佐藤」

 佐藤はうつむけていた顔を上げ、真面目くさった。

「いえ、会長がすべてわかっているのかと思いまして。ろくに説明もしていないのに」

 前会長は重々しくうなずいた。

「大丈夫だ。手品にもならん姑息な手を用いているんだろう? 幽霊騒ぎか、受験勉強のストレス、ああ恋煩いで頭がうまく働いていなかったと見える。……しかしそうか、あれはユイユイのペンダントだったのか。しかし、いや、何だ?」

 前会長はその太い首を回した。右を向いたかと思えば左を向き、さらに上を向いた。

「ふうむ……」

 前会長は気づいているのだろう。五十嵐には光森のペンダントは盗めない。そんなことは明らかだ。
 佐藤は盗んだ方法を超能力によるものと考える。五十嵐が超能力者であるとは思わない。動機は確定していないが、話してみればわかるだろうと思っている。もし思うとおりの動機であり、かつ超能力を持つとなれば、もっと違った現象が観測されたはずだ。一方で、ペンダントを盗んだ人間の目的が杳として知れないのも確かである。

「まあいいか。自白なんかたやすい」

 前会長は胸の前でこぶしを握る。佐藤は冷めた目で見ていたが、目を伏せて心を隠した。

「それで、五十嵐先輩との話し合いのセッティングについてですが」
「ああ、適当にウソついてやる。図書館の裏のベンチで待ってろ。少しばかり恨まれるだろうが、なに、ユイユイのためだ」
「……ずっと気になっていたんですが、『ユイユイ』というのは」
「要はあだ名だが。結衣だからユイユイ」

 佐藤は何かおかしいと指摘しようとしたが、やめておいた。寝ている虎を起こすことはない。佐藤は頭を下げた。

「それでは、よろしくお願いします」
「おう。あと、これはついでだがな、佐藤」
「はい?」
「ケガすんなよ。おもしろくねえから」

 佐藤は微笑み、会釈した。

「ええ。大丈夫です」

 けっ、と毒づいて前会長は廊下を歩き去る。
 佐藤は早々に廊下から階段に下り、一旦一階に下りる。渡り廊下から、学校図書館を目指すのだ。
 S高校は図書室ではなく図書館だ。なぜならば教室と同じように校舎の一画にあるのではなく、別棟として一つの建物が用意されているからだ。敷地面積はざっと四百平方メートルあり、一階と地下という構造をしている。
 図書館の裏側は塀を挟んで道路に面しており、塀と図書館の間にも植林がなされている。その植林と図書館の間、というか図書館の軒下の一箇所にベンチが設けられ、生徒も半数以上知らないであろう休憩所がある。前会長が言ったのはそこである。
 佐藤はペンキで白く塗られた木製ベンチに座って、五十嵐を待った。ブラインドのせいで見づらいが、図書館の中を見ることができて、時計もなんとか視認できる。待ちわびて昼食を取り損ねるということは避けるつもりだ。
 はたして佐藤が休憩所に到着してから二分後、五十嵐拓也は現れた。短く刈った頭に銀縁のメガネ、強い意志をたたえた目などが印象的だ。五歩ほどの距離まで近づいてきたので、佐藤がすっと会釈してみせると、途端に蔑んだ目になった。一体前会長は五十嵐に何と言ってここに訪れさせたのか。

「佐藤君、だっけ」

 五十嵐の声は低く凄味がある。佐藤は五十嵐の視線を伏し目で受け流しながら、答えた。

「ええそうです」
「木曜の、告白騒ぎのことで話があるって? すれ違いの事情を説明したいって」

 佐藤は前会長にほんの少し感謝した。性格からしてもっと波乱を起こしそうなウソで五十嵐を呼び寄せた可能性は十分にあった。感謝しそうになるものだが、しょせん蜘蛛を助けて何になる。

「ええ、そのとおりですよ五十嵐先輩」
「不愉快だ」

 五十嵐は前会長のウソを一刀の下に切り捨てた。彼からすれば、指摘したのは佐藤のウソだろう。

「何を考えてるゾンビ野郎。用件をはっきり言え。俺は、お前なんかと申し合わせたことなんざ一度もない」

 五十嵐は怒りを隠しもせず、佐藤のことを罵った。佐藤は淡々と受け答える。

「ええそのとおりだと思います。今回会長には結果的にウソをつかせてしまいました。そして先輩を呼んでいただいた。用件は簡潔です。が、こちらで考えていた段取りもありますので」
「ウザい。何様のつもりだ。思い上がりもはなはだしい。年上呼びつけて段取りだ?」
「はい。そうしなければ先輩に答えてもらえないかと」
「何だ? 俺の好きな食べ物か? それとも俺の嫌いな人間とかか? そもそも底辺のバカが俺に何喋ってんだ。お前みたいなのは毒電波でも受信してんだろ? 頼むからお前なんかのおとぎ世界に俺を巻き込むな」

 佐藤はかっとうなじのあたりが熱くなるが、じっと耐えた。

「光森さんにも姑息な手で近づいたんだろ? 僕電波ちゃんだから構ってかばって愛してってな。あぁキモい。失せろ、てめえみたいなのは誰も知らないところで泣きながら鼻水垂らして死――」
「その光森君のことで話があるんです、先輩」

 佐藤は五十嵐の目を見据えた。うなじの熱は耳まで伝わったが、いま冷えて引き始めている。顔に少しでも伝わっていないことを佐藤は祈った。自分の青白さは毎朝鏡で承知している。羞恥は顔に出やすい。

「光森君? 男女平等にって精神か? 下らん平等主義だな。そうやってる自分がかっこいいとか思ってるんだろ? 残念、きたねえゾンビに褒め言葉なんてもってのほか、言葉をかけてもらえるだけでありがたいと思え」
「言葉をかけてもらえるだけでありがたかった」

 五十嵐が目を見張り、口は何か言おうとしたまま固まった。佐藤は五十嵐に冷笑を浴びせかけた。

「ああ、先輩のことなんかすぐにわかりましたよ。何せ痕跡を残しすぎている上に、動機も明らかときた。いまはっきりわかりました。先輩、あなた、とんだバカですね」
「ああ!? 死にぞこないが何言ってやがる!?」
「ただ攻撃することしか能がない。隙だらけだ、あんた」

 佐藤はベンチに座った。ベンチに背中を預け、肘掛に頬杖をつく。

「なんだそれ? 霊と交信中か? 一人でやってろ」

 五十嵐が肩をこわばらせて立ち去ろうとする。が、佐藤はそれを許さない。

「あんたのやった、なんですかあれ? 効果は薄い上にやり方も鈍くさい。頭の中だけの友達に聞きましたか? 小学生、いや幼稚園児?」

 五十嵐の足が止まる。佐藤からは、彼がどんな顔をしているかは不明だ。

「理由も小学生並み。なぜやってしまったか、ちゃんと考えたことはあるのか? ましてシラを切れば万事何も起こらなかったことになるなんて、バカバカしいことこの上ない。割った皿を隠そうとする子供か? 目に見える破片を隠したところでバレてしまうというのに」
「……黙れよ、ゾンビ野郎」

 極めて押し殺した様子の声だったが、佐藤は追撃の手を止めなかった。

「なんならお望みどおり光森君に俺の受信しているという電波を言語化して伝えましょうか。きみが体育祭の練習の際知り合った五十嵐という先輩はまったく幼く気持ち悪い男で――」

 五十嵐が弾かれるように佐藤に至近し、胸倉を渾身の力でねじ上げた。声にもそれは表れ、打ち震えていた。

「黙れ……」

 佐藤はだらりと手を下げたまま、五十嵐に軽蔑の眼差しを送る。

「先輩。あなたが勝手に光森君を好きになろうとこれまた勝手に嫌いになろうと、それは本当にあなたの勝手にすればいい。けれど光森君に実際に危害を加えるのは、話がまるで違う。自分で自分の首を絞めているに等しい。今この行為もそうだ」

 胸をつかれたように、五十嵐は顔を青ざめさせた。そして一歩、二歩と後ずさる。佐藤は冷静に襟元を直しながら、

「ただ好きだった。けれどフラれてしまった。それでいいと思いますが。何もあなた自身が、自らの気持ちを貶めることはない」

 五十嵐はくっ、とあごを引き、歯を食いしばっている様子だった。
 彼に見切りをつけて、佐藤はベンチから立ち上がる。これで質問には素直に答えてくれるはずだ。十秒五十嵐に考える猶予を与えた後、訊ねた。

「聞きたいことは一つです。時計におけるトリック、それはわかります。ですが光森君から話を聞いたところ、どうしてもわからないことがひとつ。先輩、あなた、どうやってあのペンダントを手に入れたんです?」
「俺は……」

 逡巡したようだったが、五十嵐は果たして答えてくれた。

「あれが光森さんのものだとは知っていた。だが直接手に入れたのは俺じゃない。誰かが、そう、盗んだんだろう。俺じゃない」
「経緯を聞いても?」
「……別に、何のことはなかった。机の中に光森さんのペンダントと手紙があったんだ。『望むままに』って、コピー用紙に印刷してある程度のものだったが」
「そうですか」

 佐藤は五十嵐に会釈した。

「教えてくださりありがとうございました。失礼します」
「待てよ」

 五十嵐の声は、怒りとは別の理由で震えていた。彼自身も当然気づいたようで、生唾を飲み込んでから言葉を継いだ。

「どうする気だ? いや、何する気だ、か?」
「別に。はじめから告げ口のつもりはありません。誰も得をしない。俺も含めて。ただ、そう、会長が糾弾して光森君にかっこつけるのだと騒いでいました。俺は五十嵐先輩の告白騒ぎで用があると頼んだだけですが」
「お前……っ」

 五十嵐が怯えたかと思えば、激昂しかける。ぴしゃりと佐藤ははねのけた。

「俺のせいではありません。会長も本気ではないでしょうし。ただご自分のしたことを、かみ締めてください。俺から、これ以上先輩に何かするつもりはありません」

 佐藤はあえてゆっくりと歩いて、その場かた立ち去った。五十嵐に背を向ける行為は危険を伴うが、警戒するほうが暴力行為を助長すると考えた。結果的には、五十嵐は殴りかかってこなかったので、成功を収めた。

 しかし、と佐藤は図書館から西校舎への渡り廊下を歩きながら考える。やはり五十嵐がペンダントを盗んだ犯人ではなかった。犯人は超能力者だろう。だが誰か、なぜかは依然不明だ。他の誰でもなく五十嵐にペンダントを渡した意味があるとするならどうだろう。五十嵐は光森にペンダントを介して何ができて、実際には何が起きたのか。いささか幅が広すぎて、佐藤はいくつも候補を挙げたものの、特定はできずにいた。特定するべく、佐藤は一つの方向性を見出す。けれど実際の行動には放課後まで待つべきだと思った。

 佐藤は代弁者の顔を外し、学生の顔を身につける。そして西校舎の中に姿を消した。

 * * *


 SHRが終わり、放課後がやってくる。

 佐藤は挨拶の後、部室棟に向かった。部室棟そのものに用があるわけではない。部室棟にあるのは、女子の部活用の更衣室と、文芸部や手品研究部など文化部の部室だけだ。佐藤はいずれにも属さない。だからというわけではないが、部室棟と格技場の建物の間で、ひっそりと光森を待った。
 勉学の時間から放課後になってから、十分が経過して、光森が部室棟の前から格技場の前へと通り過ぎていく。すでに弓道衣に着替えており、髪も一つにまとめている。
 佐藤は反応鋭く、建物の隙間の目をすぐに通り過ぎていく光森に声をかけた。注目を浴びないよう、あくまでボリュームは必要最低限だった。

「光森君」

 光森は戸惑ったようだったが、部室棟と格技場の隙間に隠れていた佐藤を見つけた。見つけるや否や驚きの目に変わり、そして佐藤に向かって呆れてみせた。

「佐藤先輩。何です? 正直不気味です」
「ああ、まあそうだろうがとりあえずこっちに」

 佐藤は光森を隙間の通路へ招く。人が一人通るだけで塞がる隙間は、山の斜面と建物の隙間に通じていた。敷地に余裕がないためやはり人一人が通れるくらいの空間しかない。山の斜面はコンクリートで土砂崩れがないよう補強されていて、そこに佐藤は背中を預けた。
 光森は右手に左手を重ね合わせて、行儀よく立っている。

「佐藤先輩。意図がわかりません」
「きみと話をしようと思ってな」
「それはわかります。私が言っているのは、部活の後でもよくて、ましてこんなところで隠れるように話す意味はないということです」

 光森は憤然として、佐藤に異議を申し立てた。佐藤は何でもないことのように、そして彼にとって何でもないことだったので実際そのように言った。

「俺が積極的に部の後輩と話す。そんなのはいらん外聞をもたらす。ましてきみは相当な美人であるわけで」
「……ごまかされませんからね」

 言われなれている。あるいは自覚している。そのはずなのに、光森は怒りと照れの間で揺れているようだ。佐藤は不思議に思いつつ、やるべきことをつづけた。

「詮索されるのは、ともするときみの事情に触れられるかもしれない、というわけだ」
「やっぱりそれは部活の後でもいいじゃありませんか」

 光森の意見は極めて正しい。佐藤はうなずいた。

「あと一つ理由がある。正直部活には出ないまま、きみと話しておきたい」

 すると光森が目線をさまよわせたり、何度も佐藤に聞き返したりしだす。佐藤が眉を寄せていると、光森は口元に軽くこぶしをやった後、はっきりと言った。

「どういう意味でしょう」
「部活に行きたくない」

 光森が嘆息するとともに、肩から力を抜いた。微苦笑する。

「ええ、そうでしょうね。でも、部活には出られておいたほうがいいと思います」
「真行寺と同じことを言う」

 佐藤は疲労感たっぷりに息をついてみせた。指先で片方の眉の上を少しかき、悩んでいる顔をした。

「ま、部活には出よう」

 光森をごまかすため佐藤は部に出るのを渋ったが、もともと部には出るつもりだった。真行寺を気遣いやすいのは予想していたがついさっき確定した。佐藤はまた一つうなずくと、まじめぶった顔を、微笑んでいる光森に向ける。

「それより本題だ。昨日した話と関連することだが、光森君、きみにとってあのペンダントは何なのか。どういう経緯で、誰からもらったのか。素材は、デザインした人間は。すべて教えてほしい」
「ごめんです」

 光森は満面の笑みできっぱり拒否した。佐藤はうむう、とうなる。

「先輩、昨日は暴くといっておいてなんですその低姿勢。正直がっかりしました」
「そうは言うが光森君。俺に果たしてきみのすべてがわかると思うか?」
「開き直るのはもっとひどいです先輩」

 光森は依然洗ったままだが眉がぴくりと痙攣し、怒りが差したのがわかる。

「ではほんの少しだけ。俺が知っているのはデザインだけだ。もう少し情報がほしい」

 佐藤がやや頭を下げて頼み込むと、光森は腰にこぶしを当てて顎を上げ、息をつく。わたりました、と言うと、斜め上を見上げて考えるふうだった。

「……そうですね、あのペンダントは特別なものではありません。確かお城の観光地にいた露天商から買ったものだったと思います」
「自分で買ったのか?」
「いいえ。叔父から……父の弟に買ってもらったものです」

 そうか、と佐藤が目を細める。先ほどまでの情けなさが消え、雰囲気に鋭利なものが混じる。光森は暴かれることを察知してか、腰から手を離し声を少々張った。

「これ以上は何も教えませんからね、絶対!」

 佐藤は口元を手で覆い視線を足元に集中させていたが、光森の言葉で現実に返る。

「いやもう少し教えてくれ。光森君、きみアクセサリは嫌いか? それともその観光地で何かあったか?」
「お・し・え・ま・せ・ん! プライベートに関わることですので。でも、アクセサリが嫌いなわけではありませんから。あまりゴテゴテするのは嫌いですが、ワンポイントならむしろ好きです。プレゼントならオススメかもしれませんね」

 光森がにやりと片方の口角を吊り上げる笑みをする。佐藤は眉根を下げたが、本心では別に何のことはない、計算どおりである。基本的な情報源は光森のみだ。それが公安から与えられた仕事だと佐藤は思っている。情報は集めてもすべての情報を伝える気はないが、管理会社の裏切り者を信じるなら役目を演じていれば人殺しを防げるかもしれない。キーパーソンであり、渦中の人物であろう光森を助けることにも繋がるかもしれない。だからこそ光森を主眼においての行動だが、話を繰り返し、一見関係のない情報を喋ってもらうことで核心に繋がる情報も増えやすい。こうして直接訊ねるのは下策に思えるが、始めだけだ。長期的に見ればよい。
 懸念もないわけではない。佐藤が気づくまでと事件が始まり終わるまでが一致してくれる保障はどこにもない。ましてすでに公安の依頼から少々外れているのだ。管理会社の裏切り者の計算の中に公安もあるなら、あまり情報を秘匿しつづけるのも上策ではない。
 佐藤は上下の唇を数ミリ離し、微笑にもならない表情を浮かべた。

「プレゼントね。それじゃ将来のために、デザインの好みを聞いても?」
「ペンダントで、鎖の色はやっぱり銀色。石をはめこんだようなのが割りと好きです。主張しすぎず、かといって地味でなく」
「難しいな」

 佐藤が口の端を後ろへと引き絞った。すると光森は人差し指を立て、その指を佐藤に見せつけるようにした。

「プレゼントで気を惹くのは簡単なことではありません。せいぜい悩んでもらいましょう」

 光森は後ろ手を組むとその場でくるりと回転し、一度顔だけ振り返った。

「話はこれくらいにして、部活に行きましょう先輩。部長も待っていることでしょう」
「ああ、いや」

 佐藤は記憶が鮮明なうちに、光森の言動から情報を抽出したかったのだが、光森に手を取られて考えるどころではなくなった。なにしろ経験が少ない。まして相手は光森である。

「部長にしかってもらえば諦めもつきますか?」

 光森はイタズラっぽい、はにかみと目を喜悦に彩った笑みを後ろにいる佐藤に投げかけて、佐藤を弓道場へと引っ張っていく。
 佐藤は苦笑しつつも光森に従っていた。だが狭い通路の途中ではっと気づき、光森の手を振り払った。光森が振り返り、呆然とした顔をする。そして唇を噛み、頭を下げた。

「すみません、でした……」
「いや、違うんだ」

 佐藤は頭を下げる光森に向かって手を伸ばすも、触れるなどとんでもない。何かできるわけでもない。空気をつかむことでその手は引っ込めた。

「手を引っ張られて連れていかれては、弓道場までの間でいらぬ誤解を生む。同じようなことはすでに言ったろう? ここまでにしよう。わざわざお互いに心労を増やす必要はない」

 光森は頭を上げて、その表情を佐藤に見せつけた。光森本人には自覚はないだろうが、その端正な顔を悲しみで歪ませているのは、見せつけているに等しい。佐藤は罪悪感をかきたてられ、頬の内肉をひそかに噛んだ。

「私、あまりそういうのは、よくないと思います。誰が優れているとか、誰が劣っているとか」
「他の誰か、俺以外の誰かならそれでいい。きっとそれは褒められるべき心がけだ」
「褒められたくてやっているわけではありませんっ」

 光森はこぶしを胸に、佐藤へと上半身を乗り出した。佐藤はそんな光森から目をすがめて顔をそらした。

「光森君。やはりきみは苦労性だ」
「私は、私にとって、これが一番だと思っています。ですが佐藤先輩の場合、それが一番だとはとても思えません」
「見解の相違だな」
「そうやって……!」

 光森は大きく口を開けて何か大声を出そうとしたようだったが、次に出た声は日常会話のボリュームだ。

「部長の気持ちは、どうなります」
「真行寺はわかっている。線引きをきちんと行っている」
「ええ私はバカでしょうね」
「そうは言っていないだろう」

 佐藤は苛立ちを露にうなるように声を発した。光森はますます佐藤に噛み付いた。

「私もバカですが、先輩もバカです。そうやって劣等感に苛まれて。本当バカ。頭を低くしてれば楽ですか? 諦めていれば幸せですか? 臆病者で、小心者で、情けないっ」

 不思議と、佐藤は腹が立たなかった。単に光森が怒るのが珍しいということもある。それに五十嵐との違いは、彼女を好ましく思っているという点だろう。ひどい悪口という点には変わりない。代わりにこうしている間にも光森の内面について分析していた。たとえばこう思う。言葉は変えて、本質そっくりそのまま光森に伝えたならどうなるだろう、と。

「なんとか言われたらどうです。呆れて無視ですか。それとも怒りのあまり言葉もありませんか」
「いや……」

 佐藤は首をひねり、もうひとつ、光森と五十嵐の違いに気がつき、何の気なしに口にしていた。

「きみは俺に、何を期待している」

 佐藤は期待するなと言いたかったのではなく、純粋な疑問からきた言葉だった。だが十分に誤解を生む言い方だし、誤解するのが当然の言い方だった。

「なに、を……」

 光森の周囲の空気が膨張した、ような気が佐藤はした。それはひとえにプレッシャーゆえだろう。光森はわなわなと瞳を揺らし、口を魚のように開閉させている。

「――バカッ!」

 光森の口をついたのは、小学生レベルの語彙であった。人間怒りも度を超すと退行してしまうのか、と佐藤は冷静な判断を下していた。それが正しいかはともかくとして。

 光森は暗がりでもわかるほど顔を真っ赤にして、部室棟と格技場の隙間の通路を出て行った。佐藤は追う選択肢もあったが、光森の手を振り払った以上本末転倒であることに気づいた。暗がりの中で、光森と自分の関連性が消えるのはどれくらいの時間を要するかを考えるに努めた。


あとがき:
 以上、浮遊現象の一つの顛末と、佐藤と光森のあり方のひとつでした。
 まだまだ半分も執筆できていないというのに、次の作品について考えてしまうのはアマチュアの業でしょうか。
 ともあれ、更新速度を保てるよう、執筆していきたいと思います。





[27970] 貧弱ヒーロー
Name: しじま◆4c851af5 ID:1d8f7faa
Date: 2011/05/31 20:33


 結論は七分である。佐藤は鞄の中の携帯電話で時間を計測し、光森が陽の当たる場所へ出て行ってから七分間をその場で待ち、それから広い空間へとその身をさらした。あたりはいつもの放課後、そこそこ部活にいそしむ生徒がいて、そこそこ放課後を交友に費やす生徒がいる。
 佐藤は昨日と同じように着替えて、弓道場に顔を出した。光森と顔を合わせることに何のためらいもなく、入り口から弓道場へ足を踏み入れた。
 弓道場の中には、昨日と同じ面子がいた。顧問である木島に、弓道部の正当な部員であるところの四人だ。昨日とは違いそれぞれに軽い挨拶を交わした。そうして佐藤の近くにやってくるのは、真行寺だ。
 真行寺は頬が引きつったような笑みをしていて、やはりグランドのほうを指差した。佐藤はうなずき、昨日と同じくグランドの外周を走りに行く。残りは何周だったか、半端に考え事をしていたせいで覚えていない。とりあえず部の雰囲気を乱さないならそのほうがいいと思った。しょせん幽霊部員であり、部外者ではないというわけだ。S市内で起きるという管理会社の事件が終われば、顔を出すこともなくなる。そういう意味で、佐藤の心持は冷め切っていた。

 佐藤が五周目を回りきった頃のことである。グランドと校舎のある敷地は細い公道にさえぎられていて、グランドへの入り口と校門が向かい合っている。ゆえに一周回りきるごとに校門を目にしやすいのだが、校門の門柱のそばに女子生徒が二人、佐藤が五周目を回っている間に現れたようだ。

 片方の女子を佐藤は知らないが、もう一人なら知っていた。髪をサイドで結び、垂らした髪は軽やかに巻いている。佐藤が記憶している彼女はもう少しまぶたが重たげで、憂いを帯びているように見えやすかった。話し出せばよく笑う少女だったが。

 彼女、御堂梢は、先ほどまで話していた女子生徒と二言三言言葉を交わすと、自らはその場に残り女子生徒と別れた。佐藤が横目に通り過ぎようとすると、鈴の鳴るような声がかかる。

「佐藤君っ」

 佐藤は足を止め、校門の正面から三メートルほど行き過ぎたところで振り返った。佐藤がいるのは仮にも公道である。御堂が手招きし、門柱のまで佐藤を呼んだ。

「お久しぶりー」

 敬礼でもするように御堂が手を額につける。佐藤は朴訥じみた、景色を見るのと変わらない目で御堂の顔を見つめる。

「何の用だ?」
「おいおい、元クラスメイトにそれはないんじゃない? 共に青春を語らった仲ではありませんか、佐藤殿」
「それしか話していないし、ほとんど一方通行だったろう。主にお前から俺への」
「いや、佐藤君無口だから。沈黙は辛かったんス」

 御堂は小さく両手を上げて、目尻と眉根を下げた。四秒もすると御堂は普段の少しまぶたの重そうな、憂いを帯びた顔になる。

「でもま、用件があるといえば確かにそうなんだけどね。光森さんのことで」

 佐藤が片眉を吊り上げた。佐藤からしてみれば光森のことで佐藤に話がある、つまり光森と自分に関連性が持たされていることが意外だったのだ。御堂もそ意を汲み取ったようで、佐藤の顔を愉快げに笑いながら覗き込んだ。

「噂話なんて気にしてない、他人の目なんか気にしてないとうそぶくきみだからね。驚くのもまあ無理はないけど。意外と人は見ているし、バカじゃないよ? 今日なんかも部室棟の裏に連れ込んで。いやらしいっ」
「お前の思考回路のほうがいやらしいよ」

 佐藤は嘆息した。単に人に見られたくなかっただけと話そうとした。が、考えてみればそれも妙な話である。うまいウソが見つからない。

「そうかな? 確かに私は佐藤君のこと知ってるからいいけど、他の人はどうかな。それに佐藤君を知っているからこそ、光森さんに何かあったんじゃないかって思うよ。きみが一見似合わない行動を取るのは、結局似つかわしい行動を、理由も明かさずやっているだけだからね」

 御堂が歩き出し、佐藤の側面、背後というふうに、佐藤の周囲を回りだす。カイゼルヒゲを整えるような仕草を添えて、目を閉じたままうなずきもする。

「加えて今この高校で起きている幽霊騒ぎの噂。この二つが組み合わされば――」

 ずびし、と御堂が佐藤に人差し指を突きつける。

「――光森さんの身に何か起きている!」
「かもな」
「かもなじゃないよ。私はもう、情報通だからね。ペンダントのことも知ってるし、落書きのことも、光森さんのおかしな行動についても知っている」
「何?」

 佐藤が興味を惹かれて目を細めた。

「落書きは数字の羅列だろうが、おかしな行動?」
「そうだよ」

 御堂が佐藤の眼前に人差し指を突きつけて回しだす。明らかにからかっている。

「でも教えたげない。それより大事な、もっと根元に関わる話を私はしにきたのだよ」

 御堂は目を閉じあごをそらして、いずこかを向いた。

「話が、見えないな」

 佐藤があごに手をやり目をすがめた。すると御堂は片目を開けて、その片目で佐藤を挑発する。

「佐藤君さ。光森さんに何ができるっていうの? そもそも、今回のことに何ができるっていうの?」
「さあ」
「さあ、じゃないでしょ。佐藤君。だからきみはダメなのだ」

 御堂はカイゼルヒゲを整えるような仕草を再びする。灰色の脳細胞を持つ探偵を佐藤は連想しないでもない。

「よく言うよね。ひとは外見より中身だって。もちろん正しいけど、そこにやっかみや開き直りが見られるのも確か。そこで佐藤君、きみはどう? 真実、誇るべき中身があるの? 正直きみはちょっと成績のいい、人付き合いが苦手で自意識過剰気味で劣等感抱えてる高校生だよ」
「なんとひどい」

 佐藤はほんの少し上体をそらし、衝撃を表現する。御堂に当てられたようだ。ただ本当に演技で、傷つきはしたが、軽口の範疇である。その証拠に、佐藤は素直に微笑する。

「だが、そうだよ。間違っていない」

 つまらなそうに、御堂は唇をとがらせるしまぶたを半ばまで下ろす。

「それじゃさ、何なの? 傷だらけのヒーロー?」
「それも違う。ただ、あることを知ったし気づいた。だから動いてる」
「佐藤君。違う、違うよ。私は偽善、嫌いだよ」
「そうか。俺も嫌いだが加えて、色恋というのも嫌いだ」

 御堂の恋愛幻想は相当なものだと、佐藤は知っている。かつて付き合って三日で別れた割りには、一日挟めば誰がいかにかっこいいかを話し、わかりやすくかっこいいと語った異性に近づいた。またこんな話もされた。御堂曰く中学生の頃、雪の降りしきった冬のある日、彼女は当時それまでと同じように荒れていた。だが教育実習生の一人が、彼女をその闇から引き上げたというのだ。もちろんその実習生は見目がよく頭がよかったらしい。

 佐藤はふははと、御堂はうふふと笑いあう。実に三十秒にらみあった後、またお互いに息をつくのだ。

「……確かに何もできない公算が大きい」

 佐藤は世界を席巻するという管理会社を思う。そして超能力者だ。例えるなら誰かが丸腰である佐藤に対して常に拳銃を突きつけている。何も、誰も『彼』を止めない

「それに可能性はあるといってごく小さな可能性に賭けるのは、ギャンブル狂か意地汚いだけだ」
「ま、きみはそうだろうね」

 御堂の物言いはそっけなく、声も沈んでいる。佐藤はきちんと認識したが押し殺した。彼の中では気にしていないなどと処理される。

「偽善でもできることをやるって、善であることを放棄しているに過ぎないとも思う」

 佐藤は虚空をにらむ。まるでそこに、かつて見た偽善が映っているかのように。

「正しくとも、善良ではない」
「ふんふん。それで?」

 佐藤の意気に反して、御堂の調子は軽かった。砂糖は懸命に概念を伝えることを諦め、簡単に頭の中でまとめた。

「つまり、特に善をやっているつもりはない。ただ好き勝手にやっているだけだよ。今まで、何かおかしいことに気づいた以上、行動しなかったことはなかった。いま、この状況はおかしい」
「そう、尋常じゃなくおかしい。去年の夏、この街にだけ雪が降ったようにね」

 御堂の暗いトーンに、佐藤は去年の夏を思い出す。その夏、佐藤は特に何ができたわけでもない。何かできる可能性もごく低かった。佐藤は、ふと思う。あの夏をやり直したいと思っている自分は、光森を助けることを望んでいる。そして、願望が歪みできるのが当然と思い始めている。その可能性は、ないだろうか。

「佐藤君、幽霊はいるよ」

 圧倒的な暴力のように、御堂の声が佐藤を現実に引き戻した。佐藤は視線をさまよわせた後、御堂をとらえた。

「きみには幽霊をどうすることもできない。何も成すことはできないんだよ」
「御堂。お前が信じているのは、伝言ゲームの結果か、周囲がそう言っているからじゃないか? それにもともと幽霊を否定しきれないこととが合わさって」

 御堂が幼い子供を見るような笑みを浮かべる。佐藤は喋る口を止めないわけにはいかなかった。喋った先に用意されているのはたぶん、進めば進むほど傷つく茨の道だ。

「私が望んでるのはさ、光森さんの心の支えになる人なんだよ」

 佐藤の頭の中で、不思議と管理会社の裏切り者が御堂に重なった。御堂が管理会社の構成員であり、そして超能力者なのだろうか。そうだとして彼女の立場は裏切り者よりのように思える。だが、御堂が超能力者だということに確証はない。ただ光森のことを気遣っただけに過ぎない。

 御堂がいかにも暗い顔をして、頭を振る。

「でも、佐藤君。きみじゃダメなんだ」

 佐藤は御堂に貶められることに、無表情ではいられなくなった。眉間にしわをつくり、不快を露にする。だがそれも、御堂の淡く光るような微笑を見て驚きに変わった。

「お願い。光森さんに、余計な心労かけないで。そうすれば、きっと大丈夫だから」

 佐藤は警戒に眉をひそめながら、御堂を凝視した。

「御堂。お前、何を知っているんだ」

「それを知って、きみに何かできるの?」

 佐藤は答えられない。公安の手先であり、管理会社の裏切り者の指示で動いているようなものである。とはいえ佐藤自身に、何か大した力はない。都合よく超能力でも目覚めればいいのだろうが、そんなことは今まで起きていない。これから起きる可能性はごくごく低い。

 そういえば、と佐藤は思い出す。超能力がどのようにして身につくのか。それもまた、明らかになっていないという。ゆえに管理会社の構成員予備軍の推測もできないとか。

「わかってよ、佐藤君。お願い」

 御堂は深々と頭を下げた。佐藤はその様に、少しだけ光森を見た。手を伸ばすことに拒否感を覚える。

 俺は、とかすれた声で佐藤は言う。咳払いし、言い直した。

「俺は、どうも何かを信じるということには抵抗がある。騙されているんじゃないか、踊らされているんじゃないか、利用されているんじゃないか、バカにされているんじゃないか」

 御堂は頭を下げたままだ。佐藤は御堂が頭を下げる様を正視しつづける。

「それでも御堂。俺の目には懸命に映ったし思っていることは本当だろう。だが受け入れることはできない。やはりどうせ、俺が勝手にやっていることなんだ」

 御堂は勢いよく頭を上げる。

「それじゃ死ぬよ、佐藤君」

 佐藤は御堂に向かって、手のひらを差し出した。

「ほんの少しでいいから、教えてほしい。何が起こっているか見えてくれば、まだ俺も止まりやすくなる」

 御堂は目を細めて沈黙したが、やがて「いいよ」と言った。

「幽霊は本物と思ったほうがいい。特異性を疑うなら、風の少ない日、夕闇時に歩き回ってればいずれ佐藤君も見られるよ。それに光森さんから離れればそれだけ死ぬ危険が減るし、何が起きているかかぎまわらないほうを強く勧める。あとは、質問のような情報をひとつ」

 御堂がもったいぶって、一拍間を空けた。

「復讐を止める方法があるの?」

 佐藤は、復讐に思うところがある。侮辱された経験は何度もある。主に同級生からが多かった。どんな侮辱をされたかは重要でない。ただ、復讐がどんなものかを検討した。答えによっては復讐する気でいた。そして結局復讐はしなかった。が、それがいま何の役に立つのだろう。

「善良な人でもさ、力がなければそれまでだよ。それで、止められるの? 答えはもう、わかってるよね」
「ああ。ありがとう」

 佐藤は御堂から離れ、再び外周を走るコースに戻った。そんな佐藤を御堂が引き止める。

「ちょっと、本当にわかってるの?」
「うん?」

 ああ、と佐藤はうなずいた。相槌で、肯定ではない。

「教えてくれてありがとう。だがやっぱり、俺は自己満足をつづけることにするよ。いや残念に思っている。遺憾というのかな。ともあれ、俺は真行寺に鍛えなおしを命じられている。あまりサボっていては、蹴り回されかねない。ああ、本当に貴重な話をありがとう」

 ではな、と佐藤は手のひらを肩の前あたりで立て、御堂に挨拶した。それから再び走り出す。

 御堂がうつむきこぶしを下げて震わせはじめた。佐藤がジョギングにおける速度を上げきった時、罵声が届いた。

 * * *


 正しくとも善良ではない。一面からの正しさでしかないこともある。それに御堂の言うとおり力がなければ何もできず、結局思うだけで行動できず善良たりえないこともある。佐藤の心持は下降ぎみといっていい。どれだけの情報を得ても、やはり何もできない。御堂から改めてそれをつきつけられた。それに特別な行動を取ることそのものの危険性も。

 超能力があれば、と思わないでもない。だが魔法や奇跡を願うことと同じで、佐藤は自らをおかしく思った。

 おかしいといえば、復讐を止める方法はあるかと御堂は問うた。あの問いは、面白いではなく『奇妙』だ。まさかそのまま今回のことが復讐であるはずがない。世界を席巻する管理会社。それがたかが一女子学生に復讐というのはとてもそぐわない。それに復讐の方法が幼稚に過ぎる。佐藤の目にはそこらの幽霊を演出して脅かしているにすぎないのだ。御堂の質問にもっと別の意味があったと佐藤は考える。しかしそこで袋小路だった。
 御堂がどのような立場にあるのか、ということも考えた。単純に考えれば管理会社に関わる人間だが、その立ち位置は裏切り者に近い。しかしそれなら佐藤のやっていることを知っているはずだし、光森が耐えればそれでいいという言い方は奇妙だと直感した。
 おおむね、分析によって得た佐藤の推論は以上のようなものだった。

 佐藤が休憩のため一度鞄を置いた体育館の軒下まで戻ってくると、真行寺が弓道場を出て待っていた。ゆるく腕組みしながら足を肩幅より少し広く足を開いた姿は、やはり仁王立ちと呼ぶにふさわしい。髪型はポニーテールではなく髪留めでアップにしてある。何より怖いのは真行寺が佐藤を送り出した時の笑みを維持していたことだったろう。

 真行寺は袴からの回し蹴りで佐藤の首の辺りを狙った。佐藤は特に表情も変えずそれを避ける。真行寺も完全に当てるつもりではなかったようで悔しがってはいないようだ。が、怒るとも笑うともつかない引きつった笑みは維持されているし、ステップワークが恐ろしい。

「ご挨拶だな、真行寺。どこぞの不良国家式の挨拶でも覚えたか」
「黙れ貧弱野郎。死にかけのところを叩きにきてやったぞ」

 真行寺の目じりが下がる。そのままの表情で再び佐藤めがけて蹴りをくりだした。鳩尾を狙った直蹴りであるが、佐藤はこれも避ける。

「別にさぁ」

 言いつつ、真行寺はカポエイラばりに蹴ることを忘れない。

「あんたが何してようと別にいんだ。よかないけど、やっぱいい。そっちのほうがいい気がしてるから。でもさ」

 鞭のような回し蹴りが佐藤の胴を薙ごうと襲いかかる。佐藤は体育館の壁までの距離がわからず、左腕を上げる。だが寸前、真行寺の足が止まった。彼女はにらみを利かせながら問いかける。

「部にあれこれ持ち込むのはどうなの?」

 真行寺は足を下ろし、それ以上蹴たぐるような真似はやめた。怒りもすでにどこへやら、夕方一人公園に残された子供のような顔をしている。

「いたし方ない。光森君は、今回の当事者だ」
「ああ、そうかいっ」

 真行寺が歯を食いしばったかと思うと、佐藤の頬を平手で殴った。快音が鳴る。佐藤は焼けるような痛みを頬に覚えながら、眉ひとつ動かさない。強制的に右を向かされた顔を正面に戻し、無表情を見せる。

「ああ気分悪いっ、どうにもならないのが一番腹立つ!」

 そう言い捨てて、真行寺が弓道場に戻っていく際、外に出てきた木島の姿が見えた。彼は話すには遠い距離、佐藤からおよそ十歩ほどの距離で、真行寺に向かって拍手を送っていた。実に楽しげに笑い声を添えて。

「あっはっはっは、……なんですこれ」

 笑顔もどこへやら、理解できないと頭を振った。

「幽霊部員への制裁ですよ」
「はぁ、ははぁ、なるほど。で、きみは帰らないんですか?」

 木島は相変わらずの白スーツ姿で、後ろ手に手を組み、佐藤に歩み寄ってくる。佐藤の顔をまじまじと見ると、身をのけぞらせて驚いて見せた。

「これはひどい。真っ赤です」

 佐藤の頬をそのように評する割には、木島の顔にはすぐ笑みが貼り付けられた。

「残る理由は何です? 仕返しやイヤガラセですか?」
「そんなつもりはまったく。残る理由、は」

 佐藤は言葉に詰まる。誰かにまともに弓道部へくる理由を語ったことはなかった。まさか公安に依頼されて云々、と正直には言えない。

「……残らない理由がないからでしょうか。これでも籍は置いているわけですしね」
「ですが制裁だとあなたは言いました。制裁があるようなバカバカしい部活、くる理由が? まして新参者の私から見てもあなたははみ出し者。そうでしょう?」
「だからこそ、ここにいられるんです」

 木島は顔をしかめた。

「……わかりませんね」
「ええ。そうでしょうね」

 佐藤は踵を返し、軽めに走り出した。背中に木島の声がかかる。

「どちらへ?」
「外周を走りに」

 佐藤は止まることなく走り去り、残された木島は嘆息した。

あとがき:
 一日で3600PV。誰より驚いたのは僕だと胸を張っていえます。もちろん一番誰が喜んだのかは言うまでもありません。
 一方でこれは誰かの陰謀だという夢を見ました。そんな小心者のしじまです。

 調子に乗って連続更新です。が、ストックが心もとなくなってきていることを、正直に告白せねばなりません。畳み掛けられればいいのですが。

 次回『十字架の道筋』




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