予告兼あらすじ
残暑も去りきった秋半ば。S高校に通う十七歳の少年・佐藤正義(さとうまさよし)は、去年の夏を因縁に、ある役目を公安から任じられる。公安の大目的は、超能力者を主とした構成員とする秘密結社の内情を暴くこと。近くその結社が事件を起こすと目され、その事件のキーパーソンが、S高校一年の少女・光森結衣だという。佐藤の役割は、彼女に接触し情報を引き出すこと。しかし佐藤は彼女の内面を暴き立てるような真似はしがたく、加えて、折りしも学校では幽霊が出るという噂が立っていた。
佐藤と光森の交流の行方は、そして秘密結社の陰謀とは何なのか。
信じられないものが多すぎる。
佐藤正義はリビングのPCを通して、友人に教えられた記事を今しがた読み終えた。記事のソースは個人運営のニュースサイトで、扱う記事の傾向は陰謀が多い。本来そういったものに無縁な事件や現象であっても、運営者の目を通せばたちまちフリーメイソンの仕業になる。
今回友人が「面白いぞ」とよこしたのは、世界の富豪その人もしくはその周辺の不審死を集めた上で解釈が加えられた記事だ。挙げられているのは故人二年前の冬から今年の春までである。佐藤は調べてみたが、死んでいることそのものは確からしい。
共通点は莫大な資産やそれを生み出す権利が動いたか、故人が恨まれていたこと。佐藤はこの推察には価値を見出せなかった。世界で起きる非道徳的なことは、金か愛が理由であるのがほとんどだからだ。続く共通項のほうが、より荒唐無稽であるが、佐藤の心をつかんだ。故人が死ぬ前に幽霊が度々目撃されているというのだ。
情報を見極める力、というのが現代社会で問われている。インターネットは日々広がりを見せ、誰でも情報を発信および取得することができる。だが情報の真偽を確かめることは、現実難しい。何も哲学の領域に踏み込まないまでも、事実とは違う情報が発信されることは少なくない。学術上のことであったり、誰かの情報操作あってのことだったりする。一般人が情報の真偽を確かめるには、能力がまず足りない。何より時間が足りない。だからこそ必要とされる優れた情報発信者であるのだが、語る情報がいつまでもどこまでも正しいとは限らない。情報を集めたといったところで、伝言ゲームをしているにすぎないことだって多々ある。
だから佐藤は時々不安になる。多くの人が気にしていないか仕方ないと諦めていることを、長いこと考え出す。一つ佐藤の性格に由来しない原因があるとすれば、去年、高校一年の夏に、裏社会においては公然の秘密を知ってしまったことだ。その時、頭が殴られたように平衡感覚が揺らいだ。情報の真偽の危うさというものを思い知った気がした。
幽霊が祟り殺した、と見せかけて百人委員会の暗殺だという論調の記事を、佐藤は今一度見返した。普通鼻で笑ってしまうこの記事を、ウソであると信じきれない。
佐藤も通う県内トップクラスの進学校、S高校でもある噂が流れている。まとめれば、S高校には幽霊が出るというのだ。やはり普通は鼻で笑うことも、情報発信者の多さ、そして情報発信者がいつも付き合っているクラスメイトや部の仲間となると、鼻で笑うわけにはいかない。
かつて流行ったという都市伝説がこんなものなのかもしれない。あるいは一部の人が信じてしまう陰謀論がそうかもしれない。ある日見知らぬ異世界の住人と道端で遭遇するかもしれない。特定の場所でというのもいいだろう。はたまた突然セールスマンを装って自宅にくるかもしれない。欲望を皮肉る悪魔のようなアイテムを売りにくるのだ。
現実、チャイムが鳴った。佐藤が玄関先に出るまで三回。
佐藤はさっと来客の予想をしたが、一番可能性の高いある女性は、人が働かない時にこそ働く仕事だ。つまり日曜日の今日もっとも働いているはず。あと二人、妹と友人が来た可能性があるが、ごくごく低いので除外できる。残りは見知らぬ人間しか残されていない。佐藤はやや緊張して顔をこわばらせた。ならば用件は何か。迷い人か、配達か。はたまたセールスマンか。
佐藤は玄関のドアを開けた。すると心ばかりの庭を隔てた門扉の向こう側に、一抱えもあるダンボール箱を持ったパンツスーツの女性が立っていた。そばに見知らぬ小豆色の車が停まっているが、彼女のものだろう。
女性はにこりと笑い、門の向こう側から佐藤に話しかけた。
「お久しぶりですね。お元気でしたか? あ、これは様子を見にきたついでに持ってきた海外旅行のお土産です」
佐藤は玄関先というやや高い位置から、女性のことを見下ろして観察した。女性にしても小柄な体躯に、小さな顔が乗っているようだ。顔の印象からは、特徴というものを読み取れない。あえて言うなら地味だ。言葉を交わしても半年経てば忘れてしまうかもしれない。しかしそのことを差し引いても、
「誰だ……」
と佐藤もいぶかざるを得なかった。それから一拍の間を置いて、女性が言葉をつづけた。
「去年の夏以来でしょうか。あの夏は、大変でしたね。私もいろいろ振り回されてしまいましたよ。高良さんも、ある意味そうだったでしょうね。話を聞いたのですが、どうもはぐらかされてしまって」
女性があははと笑って首を傾げるのに対し、佐藤が黙ったまま女性を見つめていると、女性は笑みを消して冷えた眼差しを佐藤に送った。佐藤は女性について警戒心を解くため、質問を投げかけた。
「去年の夏は、どうでしたか?」
「いいえ。大変でしたが、ごく普通の夏でしたよ。とりあえず中に上げていただきますか? 積もる話もありますしね。もしかして緊張されてます?」
「そうかもしれませんね」
「大丈夫、私は義春さんの後輩ですよ? 緊張する必要はありません。それとも、ご自宅に社の人間でも?」
佐藤はふっと口元をほころばせた。義春は父の名だ。加えて去年の夏のことを知るということは、即座に危険な相手ではない。だが一向に用件が見えないのとダンボールの中身が知れないのとで、決して安心はできない。佐藤は愛想に微笑を浮かべながら、庭先に出て、門扉を開けて女性を招きいれた。女性がふわりと笑う。
「どうぞ。手間をかけさせてしまってすみません」
「いいえ、こちらこそ」
佐藤と女性は挨拶や世間話を交わしながら門から玄関までを歩き、家の中に入った。そして玄関のドアが閉まりきった時、ぱたりと愛想のいい会話は止んだ。
「公安が何の用です。あの夏から、もう一年は経ったというのに」
佐藤はかたわらに立つ女性に、無表情を向けた。内心では、昨夏の公安の態度を思い出して苛立っている。
女性のほうも決して愉快ではないようで、つまらなさそうに目を伏せている。
「夏と同じことが起ころうとしています。……いえ、もう起こっているかもしれません」
「だとしても俺に何の関係が」
女性はすぐには答えず、考えるようにあごに指で触れた後、庭先で見せたような笑顔を出した。
「座って話しましょう。立ったままは少し辛いですから」
女性はダンボール箱を玄関の絨毯の上に置いた。両手をぶらぶらと振る。佐藤は無言のメッセージを受け取って、眉間にしわをつくりつつも、ダンボール箱をさしあたってリビングに運びこんだ。予想したのよりずっと軽かった。
リビングでは、女性は真っ先に三人がけの黒革のソファの真ん中に座った。リビングにはもうひとつ、三人がけのものとかぎ状になるよう一人がけのソファがあり、わきにダンボール箱を置いて、佐藤は一人がけのほうに座った。
「それで? 何の用です?」
「その前にココアをいただけません? 体をあたためたいですし、何よりおいしいとか」
「単刀直入なほうが好感を持てます」
佐藤が険しい顔つきで身をやや乗り出すと、反対に女性は背もたれにもたれかかった。
「わかりました」
そう言うと女性は身にまとう雰囲気を新たに、ほどほどに冷えた目になり、姿勢は如才ないものとなる。利き手である右手で、まず自らに胸の中心に触れ、
「初めまして。車塚夕実といいます。おわかりと思いますが、義春さんの後輩、つまり公安の刑事になります。今回は」
次に佐藤を指し示した。
「あなたに。我々の目となり耳となっていただきたいのです」
「ただの高校生ですよ」
佐藤はそっぽを向いて答えた。車塚がうなずく。
「ええ。S高校の生徒である。そして、管理会社を知り、公安がかの組織を追っていることも知った。昨年の夏の事件のおかげで」
「それで? 俺にも管理会社を追えと? 公安どころか、どこの国でも実態をつかんでいない秘密結社を、ただの高校生が?」
「そうでもありません。ここ数年、明らかに組織としての力が弱まっています。単純な権力や財力並びに暴力のみならず、統率力や情報統制力も。少なくとも、これまでのように世界を席巻することなど、不可能でしょう」
車塚はまるで自分の功績のように得意そうな笑みを浮かべた。
「もっとも、直接管理会社のことを調べてほしいということではありません。彼らが一手に独占している超能力者たち。その中の一人を、調べてもらいたい……というのも、いささか語弊がありますか」
気分を害したようで、見る目にも明らかに佐藤は顔をしかめた。
「話はまとめてからきてほしかったですね」
車塚は子供をいさめるように、両手を伏せた上で上下させた。
「すぐ繋がります。超能力者を独占することで世界を席巻する力を身につけた管理会社。推測は可能なれど推定は未然です。しかし弱体化はしている。ここまでは?」
「理解も記憶もしました」
「はい結構です。弱体化した。統率力も情報統制も甘くなった。ここが重要です。まるで鉄壁どころか絶壁に囲まれていた牙城も、内部からの離反者が現れた。いまだ心は管理会社にありますが、すべてを容認するには至らなかった。そして、管理会社の業の一つを止めるべく、一人の超能力者から情報のリークがなされた。曰く、S市内で超能力者が人を殺す」
「それだけですか?」
「いいえ。情報はもうひとつ。事件におけるキーパーソンが光森結衣というS高校の一年生だと」
光森結衣という名前を呼び水にして、佐藤の記憶が瞬く間に掘り起こされた。つややかな長い黒髪が一番の特徴で、顔立ちも振る舞いも旧家のお嬢様というラベルがふさわしい。無意識下で、交わした言葉や目にした表情と仕草が再生される。
「知っているようですね。それも、ただ顔と名前が一致するに留まらない」
ええ、と佐藤はうなずいて、怒りと不安がないまぜになった目を伏せた。
「ええ。つい一昨日、話をしたばかりです」
* * *
S高校で幽霊が出没する。幽霊の目撃がはじまったのは夏の終わりで、部活動で残っていた陸上部の女子生徒が初めて目撃したという。幽霊の出没数は不明だが目撃は散発しているらしい。しかし誰もが幽霊を見たと喋るはずがないし、掲示板の情報を含むため正確なところは幽霊自身か霊能者でもなければ知らないものと思われる。
まずこの話を聞いて疑うのは、そもそも幽霊が本当に出没しているのかということだ。ただ目撃したと話す生徒がいるにすぎない。集団幻覚ということもありえないわけではない。だが三ヶ月間にも渡って幽霊は目撃されているし、少なくとも幽霊を見たという体験は信じるべきだ。もっともその信じるという良心が、幽霊の出没を信じるという雰囲気を生み出す。
佐藤は半信半疑の姿勢を貫いたが、幽霊の目撃が散発する原因はあるだろうと思っていた。体験は本物である。でなければ科学が尊重されるこの世界に、幽霊を見たなどと言い出すはずがない。その本物の体験が、頻繁でこそなくとも散発しているのだから何かないほうがおかしい。
一方、幽霊は出没するだけに留まらないという。72013という数字を書くと幽霊が願いを聞いてくれることのほか、運動部用のシャワーが勝手に流れ出したり、書庫の本が勝手に動いたり、PCルームのPCが誤動作するなどのポルターガイスト現象起こしているようだ。
しかしあくまで誰かの主観でしかない。普遍的な正しさを持つかどうかは、佐藤には未だ不明である。
金曜日の朝のことだった。
佐藤が校内規則通り、律儀に自転車を押して歩いていると、校舎を見上げる生徒が三人見られた。何事かと佐藤は校舎を見上げるが、どの教室にも外からわかる異常はない。三階の北から二番目にある、三年の教室から、町並みを眺めているのだろう男子生徒が目を引くくらいか。
見ている方向を確かめようとしても、すでに二人は消えていた。佐藤同様何も異常は認められなかったのだろう。残るは、艶やかで長い黒髪を持ち、立ち姿に芯が通っているかのような女子生徒である。背中の半ばまである黒髪と身にまとう凛とした雰囲気となれば、一年の弓道部員・光森結衣に違いない。
佐藤は己でも理由はわからないが、彼女を気に入っている。といっても、何かするわけでないし態度に示すわけでもない。ただ彼女を見ていると感心したり落ち着いたりするので、好ましく思っているだけだ。その彼女に佐藤は背後から近づいた。
「何を見ている?」
光森から反応はない。
「光森君?」
佐藤が背後から側面に回ってみると、光森はどうも校舎の時計を見ているらしい。光森が見つめる西校舎は正面から見ると凸型をしており、上に飛び出した部分に大時計が設けられているのだ。
時計は長いこと止まったままだ。佐藤の入学当初は動いていたはずだが、いつ止まったのかは記憶にない。費用面にせよ方法面にせよ困難なのだろう。
一目、時計に止まっていること以外に異常はない。だがよくよく目を凝らしてみれば、時計の中心、長針と短針を留める要の近くに、光るものがある。光る細い輪があり、輪の下部により強く光を放つものがある。佐藤は勘であれ、何かを言い当てた。
「ペンダント?」
佐藤は薄目で見て確かめる。うなずき、光森に目を戻した。驚いた様子の光森と目があった。
「気づかなかったのか?」
光森は両肩をこわばらせて緊張した後、小さくなった。
「すみません……」
「いや。謝ることはない。ところで」
佐藤は背後を見回す。登校してくる生徒たちの姿があり、時計に目もくれない。時計が止まっているのはおそらく全校生徒が知るところだし、時間は一時間目までに十分余裕がある。
「あれはきみのか?」
光森は視線を斜め上にやって、十秒は沈黙した。佐藤は居心地の悪そうな光森を見て、自らの状況を省みた。光森は顔の造作は整っているし、ほっそりとした体躯は洗練を思わせる。彼女を少しでも知っていれば頭脳や運動の能力が高いことは当然。彼女の心配性や苦労性を知っていれば、好感を持つことだろう。佐藤から見て、彼女は学校で煌く立場を獲得している。
一方で自分はどうだ。学業の成績という明らかなものにはそれなりの自信があるが、人との調和は紛うことなく苦手だ。それに明らかに不健康そうな肌の青白さがあわさって、一年からゾンビ先輩だの幽霊のユーさんだの揶揄されている。
なるほどと、佐藤は結論付けた。同じ弓道部で何度か言葉をかわしたことがあるが、自分はそれこそ幽霊部員で、付き合って外聞がよくなる相手でもない。光森が外聞を気にする人間であるとはいわないが、お互いに有益でなければ付き合う意味はそうない。光森が同情からの優越感を感じ、佐藤が優しさに喜びを感じるというのなら話は別だが、それは成り立たない。だが話しかけた時点で手遅れだし、今までも校内や大会の会場で話したことを考えれば、不快だろうと諦めてもらうほかない。
それに、と佐藤は時計を仰いだ。何が起きたのかは、佐藤にはおおよそ見当がついている。
「遠くてわかりませんが、たぶん。月曜日になくしてしまったので」
「なくしたとは穏当で結構なことだ」
光森の肩が再び緊張する。
「どういう意味でしょうか」
「率直なところ盗まれたな。真面目なきみの唯一の校則違反が、あのペンダントだった。確か可能な限り身につけていたような覚えがある。今は冬で、服の下に身につけるのは簡単だ。だが身につけていたそれを、なくす。想像がつかないな」
「体育の時には、外します」
「つまり更衣室で盗まれたと」
光森は表情を引き締め、内容とは裏腹に強く言い切った。
「それはわかりません」
「なぜ?」
「更衣室に戻ってくるのはいつもみんな一緒です。それにその日は前の授業の終わりが遅れて体育館に向かうのはチャイムぎりぎりでした。そうはいっても遅刻はなくて。誰かに盗めるタイミングはありませんでした」
「クラスメイトや体育では合同クラスである隣のクラスの人間には無理。なくなったと考えられるのは授業中だが、更衣室に入ろうとすれば教室から見られかねない」
意見が一致し、光森はまなじりを和らげた。
「ええ。ですから誰かを疑うなど」
「だから自分自身を疑うのか」
光森は思考に没頭しだして、目の焦点があわなくなった。直感で光森が不安を感じているものと思い、佐藤は判断について一歩引いた。
「きみにその時記憶違いがあったとは思えない。むしろ、記憶違いというのは現状のほうだ。きみの記憶が間違っていると思うことが間違っている。そう、もしかしたら幽霊の仕業かもしれない」
「あはっ」
時に幽霊のユーさんと陰で呼ばれているのと繋がって、愉快な皮肉に思ったのだろう。光森はぎこちなく笑った。素直でなかったのは、頭の片隅で失礼にあたると気づいていたからか。どちらにせよ光森は気まずそうに目をそらした。
「割と本気だ。そのまま幽霊の仕業とは言わないが、幽霊の噂が確かにこの学校に根付いている。きみとて、まったく考え付かなかったというわけじゃないだろう」
「見た、という人がクラスにも部にもいますけど。やっぱり、幽霊なんていませんよ。見間違いか何かだろうって言っていましたし。噂はあっても、実のところ誰も信じていませんよ」
「だが『いない』と信じきれているわけでもない」
「それは、もしかしたらいるんじゃないかって思います。でもそんなのはもともとじゃないでしょうか」
今度はまっすぐ見返してくるのに対し、佐藤は口角を片端だけつりあげる笑みをしてみせた。
「その通りだ。だがきみの言うように表面上は幽霊を否定する。『いてほしい』と言うのは、商売にしているか故人に焦がれる人間だ。これはまだ普通のこと。だが『いる』と思うとなると一瞬だって発言するのは不可思議だ。人数が増えればさらに不思議は増す」
「だから幽霊はいるというのは、それこそわかりません」
「俺もいるとは言っていない。それにありきたりだが、幽霊をまずどう定義するかだ。死者の魂か。死者の残留物か。幻覚であれ妄想であれ見間違いであれ、個人観測されればそれで幽霊か」
「先輩の言葉を借りるなら、『正直言ってどうでもいい』ことではありませんか? やっぱり幽霊はいないんですし」
目線を上げながら、佐藤はあごをなでて、ついでに小首を傾げた。
「引用については明らかに訂正が必要だ。正直言って、『人はどうでもいいことしか言わない』だ」
「今朝も、お変わりなく?」
「その通りだ。どうでもいいことしか言っていない」
光森は溜息をひとつついて、疲労を露にした。
「それならばどうでもよくないことを一つ。いつまでも幽霊部員でいないで、部に顔を出してください。部長の顔を立てるということでもひとつ」
「なぜあれの顔を立てることになる?」
「だってよく部に出てくるよう言っているじゃありませんか。何度も繰言のように言っているのに、無視するというのは面目を潰すことです」
「俺のような人間が不真面目だったところで面目を潰さんよ。面目が大事か、光森君。それでは俺と話していては外聞が気になって仕方ないだろう」
「どういう意味でしょう?」
「おおよそ俺の評判は知っているだろう。評判の悪い人間と付き合っていると類友と思われかねない。恐怖に関して、人は敏感だ」
確信でないにせよ悪意を感じ取って、光森は眉をひそめた。
「次言ったら侮辱と受け取ります。それで、恐怖、ですか?」
光森は表情を不快から困惑にスイッチした。
「別に怖がる人なんて、いないとは言い切れませんがそんな数はいません。自意識過剰だと思います」
「違うな。そういうことじゃない。……ああ、まあ、どうでもいいことだ」
佐藤が中空を見上げて息をついた。冬の寒気に白く染まった息は、風に巻かれて消えていった。光森は息の消えた先を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「別に、悪い評判ばかりというわけでもありませんし。やはり自意識過剰ですよ」
「聞き流そう」
「先輩はどうでもいいことしかしないわけじゃない。そうでしょう?」
「日々学生として勉学にはげんでいるな」
とぼけたのだと受け取って、光森は苦笑した。
「ともかく、部に顔を出してください。まずはそれからです」
佐藤がしかめっ面を光森によこすが、光森のほうは素直な笑みを返す。
「……考えておこう」
「はい。それじゃ先輩、また部活で会いましょう」
一年の昇降口と、三年の駐輪場は方向を異にする。光森は敷地内の南のほうへ足を向けた。佐藤は曖昧な返事をして、北へと向いた。向いたが、質問ともつかない質問をした。
「三年によく知った先輩はいるか?」
確かに耳には届いていたが、佐藤はすでに歩き出していたので、答えるタイミングを失い、光森は答えずじまいに終わった。
* * *
「大変結構。それならば、我々の依頼も容易でしょう」
プレゼンターがよくやるように、車塚は両手を広げてみせた。佐藤はあくまで憮然としたものである。
三秒、リビングではかすかな暖房の稼動音だけが聞こえた。
「依頼というのは、光森結衣の人物、状況、人間関係をできるだけ現在に、そして正確な情報に近づけて知らせてもらいたい、というわけです」
「光森君が狙われている。そういうことでは?」
「そのように見ていますが、それは情報元が明かしたことではなく推測になります。今まで管理会社の構成員、つまり超能力者を捕まえられることはあっても、情報は聞き出せない上管理会社によってすぐに我々の手を離れてしまう。構成員を捕まえられる材料をもらったところで我々の利益にはなかなかつながらず、多くの情報をもらすことは情報元の危険を意味します」
「要は情報元の頼みを聞いて恩を売り、ゆくゆくは管理会社を裏切らせ公安の貴重な情報源にしたいと」
「その通り。さすが義春さんのご子息」
佐藤は機嫌を悪くして、ソファに身を預けきるという不遜な態度を取った。
「……情報元の頼みというのは?」
「人死にを防いでほしい、と」
「無茶だ」
佐藤は中空に毒を吐き出した。
「無茶極まりない。バカバカしすぎる」
「情報元はさらに道をつけてくれています。それが、あなた」
「俺を、指名してきた? バカバカしい」
「そうではありません。ただ、キーパーソンたる光森結衣に近づく……そう、代弁者をつければうまくいくと。あなたであった理由は、義春さんの息子であることと、去年の夏を知っていること、でしょうか」
「相手は予知能力者か何かですか? そもそも、本当に管理会社の人間なのかどうか。なぜ今になって」
「この頃になったから、です。組織の弱体化。これはこうして我々が動けていることから明らか。原因は組織の寿命がきているから。大きいものほど、完成してしまったものほど、壊れやすいものですしね」
佐藤は怒りや疑念を解き、内に張り詰めさせていた警戒心を息と一緒に吐き出した。だが、決してそれは賛同の結果ではない。
「お断りします」
固い氷のような意志決定によって、佐藤はゆるゆると首を振った。
「なぜ?」
「危険だからです。自身の命も、尊厳も」
「話したでしょう? ただあなたは、光森結衣から得られる情報を知らせてくださればいい。義春さんなら容易にこなしたでしょう」
自分の状況認識を伝えるため、佐藤はひとつ、例え話をした。
「車塚さん。去年の春の話ですが、ごく一部で幽霊の噂があったのです。幽霊が出るというのはある化学製品会社の社宅。といっても、すでに廃墟と化した建物です。社宅には幽霊が出て目撃者を祟るというのです。因果関係は不明ですが事故や不幸は起きているのでお祓いをした。調べてみると昔土砂崩れで大量の死人が出たなんて話もありました。慰霊碑もあったとか」
「話が、見えませんね」
「車塚さんのお話よりは早いですよ。……お祓いをした。事故や不幸はなくなったし幽霊も見なくなった。でもかわいそうだからと慰霊碑を建て直した。途端、再び幽霊は現れ始めた」
「理不尽な話、と言えば満足ですか?」
佐藤は神妙な顔でうなずいた。
「半分くらいは。さていったい人々はどうすればよかったのでしょうか」
「お祓いだけして慰霊碑は建てなかったほうがよかった、じゃダメなんでしょうね」
「ええ。高名な霊能者を出すのもダメです。この話の肝は、結局どうすればよいかわからないということ。そして、不思議な力を持っているという点では、幽霊も超能力者も同じです」
そっと、車塚は右手で口元を覆った。目も伏せて、考え込んでいるようである。
「なるほど、理解しました。ですが、こちらも引き下がれません。一番の適格者はあなたなのですから。今更公安の人間が教員や事務員になる、まして光森結衣に近づくなどという真似はそれこそ危険極まりない。かといって事情を知らない一般人では情報漏えいが恐ろしい」
車塚の目つきが剣呑なものになる。が、佐藤も退くつもりはない。
「脅しますか? 脅されたとしたら、きっと言われたことしかやりません。そんな手先に、価値はない」
「脅したらとりあえずやってくれるのですね? それはいい」
車塚が薄い笑みを浮かべるのに対し、佐藤は固く身構えた。相手は大人であり公安の刑事であるのに、佐藤は一介の高校生である。貝のように閉じこもるしか、己を守る術はない。だが佐藤のスタンスは一方向に盾を構えたにすぎない。脇や背後を突かれたり、からめ手を使われれば脆いものだ。
「もっともはっきり脅したくはありません。戦争のようなもので、力で抑え込もうとするのは不毛ですから」
車塚は目を閉じて佐藤の不安を和らげるとともに、さらに話し方にあるパターンの間を設けることで佐藤に思考を許した。だがあくまで、車塚の望む思考の方向性をやらされているにすぎない。
「さっき言ったとおり、光森さんと話をして、光森さんがどんな性格か価値観か、どんな交友関係で、ある出来事や物事にどういう気持ちを示すか。そして彼女の身に何か起こっていないか。それを調べて知らせてくれればいいのです。もちろんそう難しいことは要求しません。ただ、できるだけ長く、多く話す。そうすれば自ずと、彼女のことは見えてきます。……ええ、不安でしょうとも。わかります。ですが今危険な超能力者が光森さんの身に迫っている。そのままではあなたの身に危険が迫るかもしれない。彼ら管理会社の理不尽さはあなたも知るところでしょう。……これは光森さんを助けることにもなります。情報元のお墨付きですからね。優秀な代弁者がいれば、と。……ああ、それに危険に応じた支払いはいたします。知ってのとおり管理会社は世界の敵。……政府からも潤沢な予算をいただいています。血税ですが、得られる情報の価値を思えば安いもので、そうはいっても個人にはそれなりの額を用意しています。妹さんは全寮制の私立に通われていて、あなたは家計が楽になればと思っている。悪い話ではないでしょう。……そう、もちろん命の危険はありません。ただ不慮の事故に気をつけていただいて、もしご自身の命や尊厳の危険があるとわかりましたら、代弁者の役割はやめてくださって結構です」
すぐ考え付く限りの耳に優しい説得を終えて、車塚は慈母を意識した笑みを浮かべた。
「いかがでしょう?」
今、佐藤の頭は提示された材料の検討に奔走している。しかし考えてきたことは多すぎるし提示された材料も彼の性分からいちいち検討せざるを得ない。思考判断は大きく減衰している。明確にそしてすぐに答えを出さなければならないと思ってしまっている時点で、減衰も彼の敗北も明らかだった。
「……わかりました。引き受けましょう」
「ありがとうございます。きっと快く引き受けてくださると思っていました」
車塚が両手を握り合わせてにこにこするのを見て、佐藤は鈍重な頭を振り絞って考えた。誘導され説得されてしまった。自分が未熟なのか相手が熟練しているのかはともかくとして、力の差は歴然としている。佐藤は溜息をつき、せめて気分を紛らわすよりなかった。
「では、明日から。幸い、光森君と接点はあります。それを利用して、話を聞いてみましょう」
佐藤は暗い面持ちで額をこすった。当然のことだが頭がすっきりしないのだ。
「ええ。ですが最後にもうひとつ」
車塚が人差し指を立てるのに、佐藤は言い返しそうになる。が、なんとなく車塚に逆らう心地がしない。
「……なんでしょう」
「それ」と車塚はダンボール箱を指差した。車塚が持ってきたものである。佐藤はすっかり失念していた。車塚自身は土産と言っていたが、それも隣近所を騙すための方便だったはずだ。
「連絡用のパソコンが入っています。OSやソフトのインストールも専用の設定もすでに」
「ああ」
報告に電話を使うと時間がかかる。メールにしておいたほうが報告の時間が短くていいし情報の要点や論点がはっきりしやすい。新たに持ってきたPCというのは情報の秘匿性を意図したのだろう。
「ではリビングにでも」
「いえ」
車塚はお決まりの台詞を言うみたいに、きっぱりと言った。
「義春さんの書斎があったはずです。そちらの回線にします」
「そんなものがあったとはついぞ知りませんでしたが。というより、残っていたとは、ですか」
どこまで予定調和なのか。佐藤は疑いかけたが、諦めることにした。
信じられないものが多すぎる。
序章あとがき:
以上、序章でした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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