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[28040] ラグナロク~ODDMAN~(ラグナロク)
Name: タステン◆2405bffb ID:cc51acf5
Date: 2011/05/28 18:45

この小説は、角川スニーカー文庫より発刊中の安井健太郎先生の作品「ラグナロク」の二次創作です。
ラグナロクオンラインの二次創作ではありませんので、ご注意ください。



序章



「貴様が、あの忌まわしき男の息子か」

 その男が目の前に現れたとき、既に周囲は静寂の闇に染まっていた。
 先ほどまで、五月蠅い位に存在を主張し続けていた蟲の声はなりを潜め、狭い路地を駆け抜ける夜風すら、今はない。
 まるでそれらが皆、この男を刺激するのを恐れているかのようだ。

「高貴な一族の身でありながら汚らわしい人間如きと交わり、あまつさえ、貴様のような忌むべき存在を産み落とすとは」

 月明かりすらない暗闇の中で、男はその紫紺の瞳を赫怒の炎で燃え上がらせていた。
 血に濡れたように赤い唇からは鋭い牙が覗き、漆黒のタキシードに包まれた長身から放出される強大な鬼気は、先ほどから俺の肌をちりちりと刺激している。
 ――≪闇の眷属≫、吸血鬼だ。
 ≪闇の眷属≫という存在を端的に言い表そうとした場合、人類の敵という表現が一番わかり易いだろう。
 その起源は誰も知らず、いつの頃からか歴史の舞台に現れ、≪闇の眷属≫は人類を抹殺していった。
 戦闘力と危険度から、下級、中級、上級と分けられているが、下級眷属ですら一般人とはかけ離れた強さを誇り、訓練を積んだ傭兵でも一人では倒せないこともある。 
 上級ともなれば、殆ど神話に出てくる魔王や鬼神のような存在であり、五千年前の大戦では人類を滅亡寸前にまで追い込んだほどだ。
 吸血鬼はその中でも上級眷属に位置し、≪闇夜の魔人≫として人類に最も恐れられている種族だ。
 その吸血鬼が、このような場所に現れる理由は一つだけだ。

「俺を、殺しにきたか」

 疑念を挟まぬ確信を持った声で、俺はそう言葉を紡いだ。
 瞬間、男の身体が俺の視界から消え去った。
 それに一瞬の間も置かずして、俺は前方へと身を投げ出している。
 ――破裂音。
 後方から襲い来る、強烈な衝撃をその身に感じながら体勢を立て直す。
 腰の刀は、既に抜き放って手の中だ。
 振り返れば、先程まで俺のいた位置に先程の男が悠然と立っていた。
 その首筋に、斬撃を叩き込む。
 脚の筋力を最大限に駆使し、刹那で間合いを潰しきる。
 接近の勢いをそのまま首筋を狙った横薙ぎの斬撃は、しかし文字通り空を斬った。
 男は、既に俺の懐へと潜り込んでいる。
 切り返しの刃では、間に合わない。
 替わりに刀の柄を男の脳天めがけて振り下ろすが、それでもまだ遅かった。
 腹部に当てられた掌から放たれたのは、強烈な衝撃波だ。
 咄嗟に後ろに跳びはしたものの、その威力の三割も下げることはかなわなかった。
 内臓に幾つか損傷を受けたか、喉奥から血流が込み上げる。
 もんどりうって身体を地面に打ち付けられるが、軋む身体を酷使してどうにか起き上がった。
 追撃は――ない。
 男は、口の端を吊り上げて俺を見据えている。

「追撃もなしとは、お優しいことだな」

 俺の言葉に、返答はない。代わりに、男の紫紺の瞳がぎらりと妖しく輝く。
 邪眼(イビル・アイ)だ!
 その強烈な眼光は、精神を侵すなどという生易しいものではなく、直接脳へとダメージを与える。
 喰らえばただでは済むまい。
 俺は咄嗟に、最大限に力を込めた眼光を相手に送り返していた。
 ぶつかり合う、不可視のエネルギー。
 眼前で相殺し合った二つのエネルギーは、音もなく消滅する。

「……我の邪眼を退ける、か。穢れてもなお、我らが血の威力は収まらぬ。そういうことか」

 男は存外に冷静だった。いや、実際はそう見えただけか。
 変わらぬ無表情とは裏腹に、その全身から立ち上る鬼気は更に凄絶なものとなっている。
 吸血鬼はプライドが高い。邪眼を相殺したのが、余程そのプライドに障ったようだ。

「どうだかな。案外、あんたの力が弱すぎるんじゃないのか?」

 だからこそ、それを煽る。冷静さを欠いてくれればそれだけ、この場を切り抜ける公算も上がるというものだ。
 口の中に残る血を吐き出しながら、いつでも対応できるように身体中の筋肉を収縮させていく。
「ふん、穢れた半端者如きが、吠えてくれるな」
 しかし、男は乗ってこない。静かに俺を見据えてくるだけだ。
 逆に、先ほどまで辺りに充満していた肌を刺すような鬼気が、心なしか弱まっているようにすら感じられる。
 いや、これは――俺とは別の方へ意識が向いているのか?

「……邪魔が入ったか。今宵はここまでだ。またいずれ、相見えよう」
「……何?」
「我が名はグラント。この名、覚えておけ」

 いぶかしむ俺をよそに、名乗りを上げた男――グラントはその場から忽然と消え去った。
 来た時と同じ、空間を渡ったのだろう。
 上級眷族、特に空間を操る事を得意とする吸血鬼ならば、その程度は造作もないことだ。
 ともかく男が消え、周囲には音が帰ってきた。
 張り詰めていた緊張が解け、形容しがたい脱力感が押し寄せてくる。
 が、しかし、それも一瞬のことに過ぎなかった。

「静かな、良い夜ね」

 背後に響いたのは、美しい女の声だ。
 突然現れた――訳ではない。ちゃんと、歩いてこの場に現れた。
 どうやら、グラントの言った邪魔とはこの女性の事だったようだ。

「こんな時間に、女の一人歩きは危ないぜ?」

 土に汚れた着物の裾を払いながら、振り返った俺を迎えたのは、優しく笑う美女だった。
 今夜は月は出ていないというのに、この女性を前にすると、辺りに月光が降り注いでいるような錯覚すら覚える。

「優しいのね、でも大丈夫。私、これでも力持ちなのよ?」

 その美女は、どう見ても力があるとは思えない細腕を掲げ、典雅な微笑を湛えた。
 これが普通の女性ならばどう考えても冗談の類なのだが、ことこの女に関しては、それを冗談と一蹴するのは軽率が過ぎるというものだろう。
 月明かりもない闇夜において、そこにいるだけで伝わってくる圧倒的な存在感。
 それに加え、闇が力を与えたかのように妖しく輝く、紫紺の双眸。
 そして何よりも俺の勘が、その女の正体をまるで警鐘のように告げていた。
 ――こいつも吸血鬼だ、と。

「心配しないで。私はあなたの敵じゃないわ」

 反射的に臨戦態勢を取ろうとした俺に、女は優しく笑いかけた。
 敵意の欠片もない、純粋な笑み。
 しかし、上級眷族――特に吸血鬼――に対してそれを全面的に信用するには、俺に流れる血は厄介すぎた。

「だったら、こんな所へ何の用だ? まさかただ散歩していただけ、なんてことはないだろう?」

 鋭く切り込むように、目の前の女に言葉を返す。
 言葉に込めるのは、最大限の警戒だ。
 しかし、女はそんな俺の様子を気にした風もなく、優しげな視線を投げかけてくるだけだ。

「ただの散歩だったのだけど、いけなかったかしら?」

 瞬間、紫紺に濡れた瞳が間近に迫っていた。
 まるでコマ落としのような、急激な接近。至近距離で感じる、強烈な存在感。
 迂闊には動けない。

「……別に、いけなくはないがな」

 辛うじて絞り出した言葉は、我ながら情けないほどに擦れていた。
 今戦って、果たして勝てるか? 望みは薄いと言わざるを得ない。
 闇が支配する路地に、静寂が走った。
 その静寂を壊すことなく、女が口を開いた。依然として、微笑を浮かべたまま。

「……少し、驚かせすぎたかしらね。大丈夫よ。もう一度言うけど、私はあなたの敵ではないわ」

 ゆったりとした足取りで離れていく背中を眼で追いつつ、俺はまだ、答えを出しきれずにいた。
 この女に敵意がないのは、おそらく本当だろう。
 俺に攻撃するチャンスはいくらでもあったにもかかわらず、この女はそれをしなかった。
 だが、それが即ち、この女が敵ではないということにはならない。
 俺を油断させておいて、後からバッサリやるつもりかもしれないのだ。
 ……無論、その必要があるかどうかは別として、だが。

「あの人の子供にしては、少し頑固すぎるわね。用件だけ伝えて、今日はもう帰るわ」

 未だ警戒を解かない俺の様子を察したのか、女は振り向くと、まるで駄々子をあやすような調子で言葉を紡いだ。

「明日、≪アイントラート≫本社に来て。レディ・メーヴェが待っているわ」

 そう言い残すと、次の瞬間には、女はその場から姿を消していた。
 残されたのは、俺一人。
 ようやく戻った静寂なる闇夜に身を沈ませつつ、俺は思わず呟いていた。

「……散歩しに来ただけじゃ、なかったじゃないかよ」


 ――さて、そろそろ自己紹介をしておこう。
 俺の名はジュード。ジュード=イスルギ。
 人間の母と、≪闇の眷属≫の上級眷属、吸血鬼を父に持つ≪半端者≫。
 それが、この俺だ。



[28040] 第一章
Name: タステン◆2405bffb ID:cc51acf5
Date: 2011/05/28 19:44



「ジュード様ですね、承っております。すぐに人が参りますので、あちらの待合室でお待ちください」

 カウンターの向こうに座る受付の若い女性は、丁寧にそう言ってロビーの奥のドアを指した。
 それに対して礼を告げ、待合室へと向かいながら、俺は軽い驚きを覚えていた。
 昨夜の女の言葉に従った――という訳でもなく、夜が明けてすぐに俺は≪アイントラート≫本社ビルを訪れた。
 元々、≪アイントラート≫を訪ねるために俺はこのイグリスに来ていたのだ。
 だが俺が会いに来たのは、その≪アイントラート≫の社長。
 大陸中の大会社が本社を構える商業都市イグリスの中でも、≪アイントラート≫は筆頭と呼べるほどの大企業だ。
 その社長ともなると、よからぬ思惑を持って近づこうとする輩もいるわけであり、アポも無しに会えるような人物ではない。
 無論、そのアポを取ることすら容易なことではない。
 当然、一介の小市民に過ぎない俺がアポを取れているわけもない。コネが無いわけでもないが、どうしたものかと思案していたところで、昨夜だ。
 昨夜の様子からして罠ということはないと思ってはいたが、こうもすんなりいくとは思ってもいなかった。
 受付にも話が通してあったようだし、あの女、ひょっとすると≪アイントラート≫の中でも上の方の人間なのだろうか。
 あの女が吸血鬼であることと、≪アイントラート≫という会社の特殊性を鑑みれば、その推測はあながち間違ってもいないように思えた。

「すまない、待たせたようだ。俺はテーゼ、社長代理を務めている」

 待合室のソファーに座って待つことしばし、どうやら迎えが来たようだ。
 社長代理を名乗ったその男――テーゼは、ソファーに座る俺の横に立ち、手を差し出した。
 ウェーブのかかった銀髪に、紅の瞳。見た感じ、どこかの青年貴族のようにも見える。
 しかし、どうにも顔色が悪い。
 たまたま今日は体調が悪い、ということでもなさそうだが、普段からこんな感じなのだろうか。
 俺は立ち上がり、差し出されたその青白い手を握りつつ、抱いていた疑問を口にした。

「ジュードだ。俺のような客の対応に、態々社長代理が出てきていいのか?」
「良いのさ、なにせレディ・メーヴェの賓客だ。無下に扱う訳にはいかない」

 軽い調子で、笑みを浮かべるテーゼ。
 賓客、ね。
 いくら親父の古い馴染みだからといって、その息子というだけで賓客扱いというのは少し居心地が悪いな。
 だが、気にしていても仕方がない。
 そんな中、ふいにテーゼが口を開いた。

「その、君はいつもそういう服を着ているのか?」

 幾分躊躇いがちに差し出された指は、俺の服装を指している。
 ふむ、やはり珍しいものか、この手の服は。

「ああ、済まない。社長に会うのにこの服装はまずかったか?」

 そう言った俺の服は、遥か東にある国、弥都の民族衣装だ。
 着物と呼ばれる衣装で、上から下まで一枚の布でできている。
 袖口が広く、脚を入れる股の部分もない。
 いや、本来ならばこれに袴というズボンのようなものを穿くのだが、この状態はいわゆる着流しというやつだ。
 このイグリスでも、流石に人と物の集まる街だけはあってそれなりに着物姿は見かけるが、やはり洋服を着てくるべきだったのだろうか。

「いや、そういう訳じゃないんだ。ただ少し、珍しくてね」

 そう言って、苦笑してみせるテーゼ。
 まあ確かに、大陸で暮らしているとそうお目にかかれるモノでもないことは確かだ。

「さて、ここで話していても仕方がないな。付いて来てくれ、レディー・メーヴェが待っている」

 一度話を切り、背を向けて歩き出すテーゼに続いて、俺もソファーを立った。
 そのまま待合室を出て、ロビーの奥に設置されたエレベーターへと乗り込む。
 テーゼが言うにはこのエレベーターは社長室への直通で、社内でもごく限られた者しか使用できないものらしい。
 しかしまあ、上昇を続けるエレベーターの騒音に耳を傾けながら、ただ待つというのも芸が無い。
 さして重要なことでもないが、世間話代わりにと俺はテーゼに話しかけた。

「なあ、お前も≪闇の眷属≫なのか?」

 その俺の問いに対して、テーゼは一瞬、躊躇するように瞳を揺らめかせた。

「――ああ、そうだ」

 しかし、すぐに立て直し、答える。だがその口調には、どこか重たげな響きがあった。
 ≪闇の眷属≫というものに対して何かしらの含みがあるようだが、あまり立ち入ったことを聞くのも悪い。

「いや、すまない、つまらないことを聞いたな」

 俺は取り繕うようにそう言うと、話題を変えようと再び口を開いた。

「そういえば、レディ・メーヴェってどんな人なんだ?」
「ん? 父親からは話を聞いていないのか?」

 テーゼの疑問は尤もだ。
 確かに親父の奴は、レディ・メーヴェについて色々と話をしていた。
 しかし、

「聞いていないこともないんだが、素晴らしいだの可憐だのと、いまいち要領を得なくてな」

 はっきり言って、レディ・メーヴェの人物像など想像もつかない。
 何せ、親父の言ったことを全部総合すると、子供のように純粋でありながら全てを見渡すほどの見識を有し、立ち振る舞いは可憐かつ優雅。
 その上全てを愛する慈愛の心の持ち主であるが、五千年前の大戦では「殺戮の淑女」と呼ばれ、人間たちを恐怖のどん底に陥れた最古参の吸血鬼である、ということになる。
 これでどうやって人物を想像しろと言うのか。

「まあ、会えば分るさ。社長は素晴らしい女性だよ」

 それを聞いたテーゼは、笑みを浮かべてそう告げるに留めた。
 そう勿体ぶることもないだろうとは思うが、確かに会えばわかることだ。
 丁度エレベーターも最上階に着いたところで、俺たちは一旦会話を打ち切って、エレベーターを降りる。
 綺麗に整えられた待合室を通り過ぎ、その奥の通路を行ったその先に、社長室はあった。
 ここに、レディ・メーヴェがいるのだろう。
 部屋の扉を叩きつつ、テーゼが中に声をかける。

「レディ・メーヴェ、お連れしました」
「どうぞ」

 中からの返事は、凛とした、落ち着きのある響きだ。
 ――しかし、ちょっと声が若すぎやしないか?

「失礼します」

 疑問を持ちつつも、ドアを開けて、テーゼと共に中へと入った俺は、咄嗟に言葉が見つからなかった。
 最古参の吸血鬼、殺戮の淑女、巨大企業の社長。
 そういった肩書から想像される姿とはかけ離れて、レディ・メーヴェの姿形は――明らかに少女のものだった。

「はじめまして、メーヴェです。ようこそ≪アイントラート≫へ」

 サテンのドレスのスカートを摘み上げ、優雅に一礼するレディ・メーヴェに対して、俺は一瞬、返礼すらも忘れていた。

「――こちらこそ、はじめまして。ジュードと言います」

 かろうじてそれだけは言えたものの、内心の驚きは隠せない。
 目の前の少女は、どう見ても10代そこそこの年齢にしか見えない。
 年不相応な輝きを宿す紅の双眸が無ければ、この程度の衝撃では済まなかったことだろう。
 ――親父め、これを狙ってあんな曖昧な話ばかりをしやがったな。
 そう考えると、テーゼの先程の返答も理解できるというものだ。
 レディ・メーヴェを知る者からすれば、彼女と初対面の者の反応はさぞ面白いことだろう。
 前評判だけを聞いて会う者からすれば、どうしたって少なからず衝撃を受けざるを得ない。
 思わずテーゼに抗議の眼を送ろうとして目線を横へと動かした俺は、そこで初めて、この部屋に俺たち以外の者がいることに気がついた。

「あんたは――」
「こんにちは。昨夜は驚かせてしまって、ごめんなさいね――ロゼリアよ」

 一人は、昨晩の女――ロゼリアだ。相も変わらず淑やかな立ち振る舞いで、嫣然と微笑んでいる。
 そしてもう一人。ロゼリアの隣に立つ、飄々とした雰囲気を持つ男。

「俺の方は初めましてだな――ネロスだ」

 そう言って、その男――ネロスは、軽く手を挙げて見せた。
 精悍な顔つきのその男からは、しかし何故かロゼリアと奇妙に似た印象を受ける。
 ロゼリアと同じ、紫紺の瞳がその理由、ということはないはずだ。
 この場にいることも含めて察するに、

「あんたも、吸血鬼か?」
「そう、俺も吸血鬼だ」

 答えるネロスには、僅かの躊躇いもない。
 まあ、相手が俺ではそれも当然か。

「自己紹介も済んだようですね。そちらのソファーにどうぞ」

 一通り会話が終わると、レディ・メーヴェがソファーを勧めてきた。
 断る理由もなく、俺はソファーに腰をかける。
 続いてレディ・メーヴェが俺の向かいに座り、ロゼリアとネロスがそれぞれレディ・メーヴェの左右後方に立ち、テーゼは俺の後ろに立った。
 一瞬の間。

「さて――彼のことは、残念でしたね」

 膝の上で、その細く美しい指を組むと、レディ・メーヴェはそう切り出した。
 彼、というのは言うまでもなく、俺の親父である。
 そう、俺の親父はつい先日――死んだのだ。
 俺が今日この≪アイントラート≫へ来た理由の一つが、その報告だった。
 とはいっても、レディ・メーヴェは既にその事実を知っているようだったが。

「俺やロゼリアも、彼にはよくしてもらっていた。今回のことは本当に残念だ」

 ネロスやロゼリアにしても同様であったようで、秀麗な面に悲嘆を滲ませ、親父を悼んでくれているようだった。
 レディ・メーヴェにしても、その紅玉の瞳を哀しげに揺らめかせている。

「彼とは良い友人でした。このようなことになってしまい大変残念ですが、どうか貴方も気を落とさぬよう」
「……お気遣い、ありがとうございます」

 慈愛に満ちた声で気遣ってくれるレディ・メーヴェには、感謝の言葉もない。が、実のところ、俺はそこまで親父の死にショックを受けているという訳でもない。
 親父の死。あれは、結局のところ殆ど自殺のようなものだった。
 親父自ら望んだ死、と言っても良い。
 自殺だろうと他殺だろうと、死は死である。
 当然、その事象は悼まれるべきものであるのだが、それを気に病むかどうかは別の話だ。
 先程は親父の死の報告がここへ来た理由の一つだと言ったが、正確に言うならば、むしろそれはついでだ。
 本題は、もっと別にある。

「親父のことは、どうかお気になさらず。あれで、本望だったのだと思いますから」

 そう述べたうえで、俺は「話は変わりますが」と話題を一度切り、もう一度口を開いた。

「親父が死ぬ前に、自分が死んだらここへ行けと言っていたのですが、何かご存知ですか?」

 これが、本題だった。
 親父の遺言、というには少し大げさすぎる気もするが、実質そのようなものである。
 もっとも、これに関しては死ぬ直前だけではなく、「自分に何かあれば≪アイントラート≫へ行け」と親父は事あるごとに口にしていた。
 しかし、行って何をすれば良いのかは一言も言ったことはなかった。
 そんな状態で、よくも真っ正直に訪ねて来たものだと我ながら思うのだが、今更言っても仕方が無い。
 
「ええ、聞いています。自分に何かあれば、貴方をよろしく頼む、と」
「……そう、ですか」

 レディ・メーヴェも分かっていたのか、深く追求することもせず、あっさりと俺の疑問に答えてくれた。
 しかし、その内容が曖昧すぎて良く分からない。
 何を、どうよろしくして欲しいのか、そこの部分がすっぱりと抜け落ちている。
 あの親父め、ボケていやがったか?

「そんなことはありませんよ、彼の想いは伝わっています」

 まるで俺の心を読んだかのように、小さく笑うレディ・メーヴェ。
 五千年の時を見つめ続けてきたその瞳は、千里を見通す穢れ無き輝きを放っている。
 俺も吸血鬼の息子として数々の吸血鬼と遭遇し、様々な超常的な能力を目の当たりにしてきたが、流石に千里眼とは恐れ入った。
 最古参の吸血鬼は伊達では無いといったところか。
 咄嗟にどう返したものかと口を開けずにいたところ、再び慈愛の笑みでレディ・メーヴェが告げる。

「そこでどうでしょう、ジュードさん。もしよろしければ、この≪アイントラート≫で働いてみませんか?」
「――それは」

 すぐさま、返答できる問いでは無かった。
 レディ・メーヴェの誘いは正直有りがたいし、友人の息子、というだけでここまで言ってくれるレディ・メーヴェの寛大さには言葉もない。
 ≪闇の眷属≫であるレディ・メーヴェが立ち上げた企業、≪アイントラート≫。
 その構成員は、普通の人間もいるにはいるが、大半はやはり≪闇の眷属≫である。
 人間と≪闇の眷属≫の共存を目指して創られたこの企業は、この俺にとっても居心地の悪い場所ではないだろう。
 だが、

「……申し訳ありません。行かなければならない所があるのです」

 俺はその申し出を断った。
 レディ・メーヴェの誘いは素直にありがたいものだ。だが、それでも俺はそれを受けるわけにはいかない。

「わかりました。貴方の都合もあるでしょうし、無理にとは言いません」

 ただ、と、レディ・メーヴェは言葉を続ける。

「何かあったときは、ここを訪ねて下さい。いつでも、私たちは貴方を歓迎いたします」

 穏やかな笑みを浮かべてそう告げるレディ・メーヴェの後ろで、ネロスとロゼリアも小さく頷いていた。
 振り向けばテーゼもまた、肯定の笑みを向けてくれている。

「ありがとうございます」

 そう呟いた言葉に紛れもない感謝を乗せて、俺は深々と頭を下げた。
 本当に、親父は良い友人を持っていたようだ。





 レディ・メーヴェとの会談が終わると、俺は一先ず自分の宿へ戻り、そこを引き払うことにした。
 レディ・メーヴェの提案で、イグリスを発つまでは≪アイントラート≫に世話になることになったのだ。
 流石に、友人の息子というだけでそこまでしてもらうのは気が引けたが、好意を無下にしてしまうのも悪い。
 それに実際のところ、俺の懐はあまり余裕がある状態とは言えない。
 三日後の列車に乗るまでの宿代が浮くというのは、かなり魅力的な話だった。
 宿の部屋に置いてあった荷物をまとめ、ロビーに降りる。
 俺が泊まっていたのは、イグリスの中でも比較的安くで泊まれる宿だ。
 ロビーといっても、そこに何があるわけでもなく、四人掛けのテーブルが二つと、後は狭いカウンターがあるだけ。
 そのテーブルにしても、今は客らしき男が一人、座っているだけである。
 ――まあ、こんな路地裏の隅に位置するような宿では、そんなものだろう。
 俺はカウンターの向こうで新聞を読んでいた親父に声をかけ、部屋を引き払う旨を伝えた。
 すると受付の向こうに座っていた親父は、いかにも不機嫌そうな顔をして、一日分の宿代を俺に告げた。
 いや確かに、四日泊まると言っておいて一日で出ていくというのは申し訳ないのだが、何もそこまで不機嫌になることもないだろうに。
 そこまで経営が苦しいのだろうか、この宿は。
 若干の心苦しさを感じつつ宿代を払い終えると、不意に、背後から声がかかった。

「ふん、下賤な存在らしく、下賤な宿に泊まっているものだ。我が一族の面汚しめ」

 尊大に告げるその声の主は、先ほどのテーブルに座っていた客だった。
 いや、もはやそれがただの客などではないことは明白だ。
 ――昨日の今日でまた襲撃に遭うとは。
 よくよく連中は、俺という存在が気に食わないらしい。

「そいつは――悪かったな!」

 カウンターの上に置いてあったペンを引ったくり、背後のテーブルに座っていた男に投擲すると、俺は一目散に出口へと疾走した。
 宿の親父の怒号が背中に叩きつけられるが、むしろ、宿を戦場にしなかったことに感謝てもらいたいくらいだ。
 視界の端で、投擲したペンが男の目前で消失するのが見えたが、そもそも期待などしていない。
 あんなのは目くらましにもならないような、ただの気休めだ。
 とにかく俺が宿から出るまで、あの男の気が逸らせれば何でも良い。
 その効果があったのかは知らないが、宿から出るまで攻撃はなかった。
 飛び出した先の路地には、幸いにもあまり人気はなかった。
 元々、ここはイグリスの中心からは離れた裏路地だから、それも当然。
 対して、人の行き来の激しい街の中心部はここから東の方角だ。
 俺は迷わず、西へ向かって走り出した。
 とにかく、周辺に被害が出ないような場所まで行かねば。
 昨夜の吸血鬼――グラントではないようだが、あの男も間違いなく吸血鬼だ。
 上級眷属とまともにやりあえば、周囲に大きな被害が出るのは必至だ。
 それは、俺の望むところではない。
 疾走することしばし。漸く人気のない林道まで辿り着いた。
 ここまでくれば、周囲への被害も最小限で済むだろう。
 しかし気になるのは、何故かここへ来るまで敵の攻撃が一度もなかったことだ。
 俺の身体能力は常人のそれを遥かに上回っているため、確かにここまでそう時間はかからなかった。
 だが、それでも奴が攻撃してくる暇など幾らでもあったはずなのだ。なのに何故?

「――気が済んだか?」

 嘲るような問いは、前方から。
 その声に遅れて、まるで最初からそこにいたかのように、男は忽然と姿を現した。

「ああ、お陰様でな。意外に紳士なんだな、ここへ来るまで待ってくれるなんて」
「勘違いしてもらっては困るな」

 男は、嘲笑を湛えて口を開いた。

「貴様の様なものにとる態度など、侮蔑のそれ以外には無い。獲物を狩場に追い込んだ。ただそれだけのことだ」

 明らかに蔑むような眼で、男は俺を見据えていた。言葉の端々から、プライドの高さが滲み出ている。
 何とも目の前の男は、吸血鬼然とした吸血鬼のようだ。

「ここでは邪魔は入らん。グラントの時のように、逃げ果せるなどと思うな」

 邪魔というのはおそらく、昨晩のロゼリアのことを言っているのだろう。
 この周辺に結界でも張ったか。
 成程、先ほどまで仕掛けてこなかったのは、下手に暴れて≪アイントラート≫にそれが知れるのを恐れていたわけだ。
 ――だとすると、俺も随分甘く見られたものだ。

「死に際に覚えておくがいい、我が名はカディーム。その汚れた血、この場で消し去ってくれる!」

 沈黙を、俺が臆したととったのか、その男――カディーム――は早くも勝ち誇ったように高らかに告げた。
 その言葉と同時に、突然周囲の地面が盛り上がる。
 土の下から現れたのは、剥き出しの筋肉をぬるりとした脂質で覆われた、グロテスクな人型の化物。
 ≪闇の眷属≫の下級眷属、ライフスティーラーだ。
 視界に入るだけで、およそ10。
 背後や真横のものも数に入れればおそらく20匹は下らないだろう。
 甘く見られているかと思えば、盛大な歓迎だ。

「≪半端者≫を相手に、随分と数を揃えたものだ。意外と臆病なんだな、純血の吸血鬼様は」
「黙れ! ≪半端者≫などに、正々堂々などと礼を尽くす必要など無い。グラントのように甘くはないのだよ、私は」

 俺の挑発に、カディームは半ば激昂したように声を荒げた。
 瞬間に膨れ上がった殺気が、不可視の塊となって俺に叩きつけられる。
 それに呼応するかのようにして、ライフスティーラー達が一斉に襲いかかってきた。
 正面から迫る一匹を、抜き放ち様の一閃で迎え撃つ。ライフスティーラーの体表を覆う脂質には、攻撃を受け流す性質がある。
 しかし、この俺の刀の前にはそんなものは何の効力も持たない。
 東方の国≪弥都≫でのみ製造される片刃のこの剣は、何よりも敵を斬ることに特化している。
 横薙ぎに放った剣閃は、何の抵抗もなくライフスティーラーの胴体を真っ二つに両断した。
 崩れ落ちる二つの肉塊には眼もくれず、返す刀で左側の敵へと突っ込む。
 手近な一匹の首を一撃で斬り飛ばすと、剣撃の勢いに任せてその場で身を低くして旋回し、さらに背後にいた三匹ほどのライフスティーラーをまとめて斬り捨てる。
 しかし、無数に湧き出るライフスティーラーは、斬られた仲間の死体を踏みつけながら迫ってくる。
 どろりとした脂質を流しつつ腕を伸ばしてくるその様は、まるで幽鬼のようだ。
 小さく舌打ちし、その群れに跳び込もうと脚に力を込めたその瞬間、俺はしかし真横へとその身を投げ出していた。
 瞬間、先ほどまで俺のいた空間が、そこへ迫っていたライフスティーラーごと爆縮する。
 収縮した空間を戻そうとする膨大なエネルギーは、轟音とともに強烈な衝撃波となって俺の全身を激しく打ち据えた。
 全身を痺れるような痛みが駆け抜ける。しかし、寝ている様な場合ではない。
 地面に叩きつけながらも、どうにか立ちあがり上空を睨み付けた。

「上手く避けたものだ。だが、いつまでもつかな?」

 何もない空間。カディームは、まるでそこに足場があるかのように立っていた。
 嘲るように、すべてを見下して。

「そんなところでコソコソと。吸血鬼ってのは腰抜けか?」

 横合いから迫るライフスティーラーを無造作に斬り倒し、上空のカディームを挑発する。
 対して、カディームは何も言わない。ただ嘲笑に口の端を歪めただけだ。
 今すぐあの不愉快な面を殴りつけたい衝動に駆られたが、ライフスティーラーはまだまだ周囲にわんさといる。
 まずはこいつらを片付けなければ。
 正面から伸ばされてきた腕を斬り飛ばし、返す刀でその首も宙を舞わせる。
 更にもう一匹、首筋から腰にかけてを斬り落した。
 しかし、数に任せて四方から迫るライフスティーラーを、流石に全ては捌ききれない。
 無数の腕の間を駆け抜けながら、手当たり次第に敵を斬り倒していく。
 しかし、こうも密集されると間合いが取れず、存分に刀を振りきれない。
 それに、刀に染み込む血や脂は、刀の切れ味を落してしまう。
 正面から腕を伸ばしてきたライフスティーラーの首を斬り飛ばし、そのすぐ横にいるもう一体にも剣撃を打ち込む。
 しかし、首から心臓にかけて刃が食い込んだところで、斬り抜けずに止まってしまった。
 ライフスティーラーの身体を蹴った反動で刀は抜けたが、体表の脂質に足が滑り体勢を崩してしまった。
 咄嗟に足を踏ん張り転倒は免れたが、この隙をカディームが見逃すはずもない。
 崩れた体勢のまま横に薙いだ一撃は、眼前に伸ばされた腕を斬り落としたが、しかし後から後から湧いて出るライフスティーラー共にきりはない。
 無数の腕が、俺の身体を引き裂こうと掴みかかってくる。
 その腕を避け、弾き、斬り捨てているその最中、突如として俺の勘が強烈な危険信号を送ってきた。
 その後の行動に、躊躇はない。
 ライフスティーラーの群れに脇目も振らず突進し、手近な一体を盾にするようにその後ろに身を隠す。
 その瞬間だった。
 爆弾でも爆発したのかと錯覚するような轟音と共に、先ほども受けた強烈な衝撃波に再び襲われる。
 ライフスティーラーの内の一体が、突然膨れ上がり爆発したのだ。
 盾にしたライフスティーラーの正面が、ほとんど原形を留めていないあたりに、その威力の一端が窺える。
 言うまでも無く、それをやったのはカディームだ。
 吸血鬼の空間歪曲能力で、ライフスティーラーを爆弾として使ったのだ。
 ――味な真似をしてくれる。
 先ほどの爆発に巻き込まれ、ライフスティーラーの数はかなり減っていた。
 しかし、まだ十体程度は残っている。爆弾に使用するには、十分な数だ。
 上空のカディームもそれを承知のためか、依然勝ち誇ったような笑みを崩そうとしない。
 このままでは、間違いなくジリ貧になる。
 斬りかかった先でいきなり相手に爆発されたら、そうそう避けきれるものではない。
 どうにかして、カディームを上空から引き摺り下ろさなければ。
 そう考えた瞬間には、既に俺の身体は動いていた。
 手近な一体に最速で刀の切っ先を突き刺し、串刺しにする。
 そして、それを爆破される前に上空のカディームに向けて一気に放り投げた。
 空中に血を撒き散らしながら、カディームへ向けてライフスティーラーが飛んでいく。
 対して、カディームは嘲笑を浮かべながら片手を飛んでくるライフスティーラーに翳した。
 無論、俺とてあんなものでカディームを落とせるなどとは思っていない。
 一瞬でも、こちらから気を逸らせればそれで良かった。
 その隙に、最も近くにいたライフスティーラーの首を斬り飛ばす。
 その切断面には、特有の脂質は無い。
 故に、俺はその切断面を踏み台にして手近な木へと跳び上がり、更にその木の幹を蹴って跳びあがる。
 三角跳びの要領で、俺はカディームの位置まで到達した。
 カディームは、完全に油断していた。
 自分に跳んでくるライフスティーラーなど避ければ良いものを、わざわざ空間歪曲能力によって消そうとした。
 一瞬とは言え、そこには隙ができる。
 それを見逃すほど、俺は甘くはない。
 ライフスティーラーの影に隠れるようにして跳び上がった俺は、そのライフスティーラーが消し去られるのとほぼ同時に、カディームに肉薄する。
 視線と視線が交錯する最中、俺は最大限の力を眼光に込めてカディームに叩き付けた。
 俺が唯一親父から受け継いだ、吸血鬼の異能――邪眼(イビル・アイ)だ。
 咄嗟にカディームはそれを相殺するが、そこに生じる隙は如何ともしがたい。
 瞬間の反応の遅れは、閃いた銀の軌跡を彩る鮮血が証明していた。
 俺とカディームが着地したのは、ほぼ同時。
 それから遅れること数瞬。空中に赤い線を引きながら、地面に転がる物体があった。

「き、貴様この私の……!」

 怒りと屈辱に、その身を打ち震えさせるカディームの眼が捉えたものは、肘先から切断された己の右腕だ。
 荒れ狂う怒気が、周囲に見境なく叩き付けられる。
 その怒気に、着地した俺へと襲い掛かろうとしていたライフスティーラーも、その動きを止める。
 林道を駆け抜ける風にカディームの怒気が混ざり合い、さながら、竜巻が起こっているかのような錯覚すら抱かせた。
 しかし、その程度で慄いてなどいられない。
 吹き付けてくる怒気と殺気をねじ伏せながら、片腕のないカディームに肉薄する。
 ――再び上空に逃げられれば面倒だ。ここで仕留めきる。
 接近の勢いを刀に乗せて、カディームの心臓へ渾身の突きを放つ。
 吸血鬼の生命力と回復力は、《闇の眷属》の上級眷属の中でも屈指だ。
 心臓を潰さない限り、その息の根を止めることはできない。
 齢を重ねた吸血鬼には心臓が二つあるものなどもいるが、それを考慮している余裕もなかった。
 最大、最速にて繰り出した突きは、しかし手応えもなく空を斬る。
 瞬間、俺の顔面に叩き付けられたのはカディームの拳だ。俺の突きを間一髪、身を捌いて避けると無事な方の腕で俺の顔面を打ち抜いたのだ。
 拳の威力に吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。もんどりうって倒れ込みながらも、身体を捻って起き上がった俺の視界に映ったのは、翻る漆黒のマントだ。
 横合いから叩きつけるような一撃を、勘と空を斬る音だけで判断し、捌く。
 返しの一撃はまたしても空を斬ったが、しかし距離をとることはできた。
 空間を渡り、少し離れた位置に現れたカディームの怒気は、未だ陰りを見せる様子はない。

「やはり、貴様は生かしておけぬ。この私の身体に傷を付けた罪、死をもって償うがいい!」

 怒りに震えるカディームの右腕は、既に再生の兆候を見せていた。
 ――わかってはいたが、やはり吸血鬼の再生能力は凄まじい。
 うねうねと蠢くカディームの右腕を眼にして、俺は戦慄にも似た感覚を抱いていた。
 あの調子では、奴の右腕はものの数分も経たずに完全に再生してしまうだろう。
 そうなる前に決着を付けようと、切りかかろうとする俺の出鼻を挫くように、しかしカディームは左腕を俺に向けて掲げていた。
 空間に引っ張られるような感覚に抗い、横に跳ぶ。
 もう何度目かになる破裂音を耳にしながら、全身を打つ衝撃に耐えた。
 地面に倒れこみそうになるのをどうにか堪え、足を踏ん張って顔を上げた先でカディームが迫る。
 どこから取り出したものか、その手の中には幅広の大剣が握られていた。
 周囲の大気を斬り潰しながら、凶悪な斬撃が迫る。
 斬るというより叩き潰すような一撃を、俺は咄嗟に刀を立てて受け流した。
 角度の付けられた刀の腹を、重撃が滑っていく。
 横に流れた大剣は、不運にもその先にいたライフスティーラーの顔面を吹き飛ばした。
 鮮血の中で、僅かに体勢を崩すカディーム。その隙を逃すほど、俺はお人好しではない。
 痺れの残る両腕を酷使して、カディームの首へと剣閃を奔らせる。
 吸い込まれるようにして奔った銀光は、間違いなく首を両断する手応えを伝えてきた。
 しかし、宙を舞う生首はカディームのそれではない。
 少し離れた位置に、首は健在のままカディームが息を切らしている。
 あの一瞬で、手近なライフスティーラーとその位置を入れ替えたのだ。
 流石に、空間を操る吸血鬼を捉えるのは生半可ではない。
 しかし、息を切らせているところを見ると、今のような空間移動はそう何度も使えるものではないはずだ。
 畳み掛けるなら、ここだった。
 進路を阻むライフスティーラーを斬り倒しながら、カディームへと猛進する。
 交差する二条の銀閃。
 鋼と鋼がぶつかり合い、辺りに悲鳴にも似た金属音を撒き散らした。
 袈裟懸けの一撃を受けきったカディームは、力任せに押し返してくる。
 敢えてそれには逆らわずに刀を退いた俺は、その場で深く身体を沈めた。
 瞬間、カディームの剣が俺の頭上を斬り裂く。
 避けられたと見るや否や、カディームはすぐに返しの一撃を放とうと切っ先を翻した。
 ――だが、俺のほうが速い。
 斜め下からから閃く逆袈裟の剣閃は、カディームの肋骨下から心臓付近までを斬り裂いた。
 数瞬置かず、抉るように刀を捻ると鳩尾を蹴り抜く。
 衝撃引き抜けた刀の先で、赤黒い絵の具のような血溜りが地面に塗りたくられた。
 間合いを取り、油断なく刀を構える。

「――――!」

 視線の先で、苦悶と屈辱にその身を震わせるカディーム。
 もはや怒りが声にもならないのか、叫びは音を伴っていない。
 鮮血に濡れ、押さえた腹の隙間から臓物が零れ落ちるその様は、気の弱いものならば見ただけで卒倒してしまうほどに凄絶だ。
 つり上がった紫紺の双眸は瞋恚に燃え上がり、真っ赤に裂けた口の端からは血に濡れた牙が覗いていた。
 しかし、それに怯んでいる暇はない。あれではまだ致命傷とはなっていないはずだ。
 止めを刺そうと力を込めた脚は、しかしカディームへ向かってではなく真横へと飛び退いた。
 破裂音が響き、空間が爆縮する。
 怒りのあまりカディームが手当たり次第に空間を爆縮させ始めたのだ。
 間を置かず、三つ、四つと爆裂音が響き渡る。
 残っていたライフスティーラー達まで巻き込み、身を引き裂くような爆縮が広がっていく。
 だが、正確性を欠いた状態ならばそれを避けるのはさほど難しくはない。
 少しずつ間合いを詰めていき、そして遂に、カディームへと肉薄した。

「空間制御の技術は見事なものだが、剣の腕はイマイチだったな」

 眼前で嘲弄を受けたカディームが、俺の身体を引き裂かんと腕を伸ばす。
 だが、もう遅い。

「終わりだ」

 短く告げた言葉をのせて、カディームの首へ銀閃が奔った。
 首を両断した確かな手応えは、

「――そこまでだ」

 しかし、その場に現れた荘厳なる声によって伝わることはなかった。

「――グラント」

 呟きは、果たして俺とカディームどちらのものであったか。
 突如として現れたグラントは、カディームの首へ到達する寸前で、俺の刀をその手で捕らえていた。
 くそ、油断した。吸血鬼二体を相手にするのに、獲物をこうも簡単に掴まれるなど。
 状況は一気俺が不利となってしまった。この状況、どうやって切り抜ける。

「退け、カディーム。ここまでだ」

 しかし、グラントの発した言葉は俺の予想を外れていた。
 あっさりと俺の刀を手放すと、そのまま俺に背を向ける。

「グラント、貴様この私に退けと、そう言ったのか! あのような下賎な存在から逃げ帰れと!」

 それに食い付いたのはカディームだ。傷口を押さえるのも忘れ、グラントに掴み掛かる。
 まあ、あれ程プライドの高い吸血鬼だ。
 俺のような存在から逃げ帰るなどというのは、恥辱以外の何物でもないだろう。

「そうだ、退け。今回は貴様の負けだ」

 対するグラントは、あくまで冷静だった。激昂するカディームに顔色一つ変えることなく、辛辣な言葉を吐く。

「貴様――!」

 もはやそれ以上は声にならないのか、カディームは今にもグラントに飛び掛りそうな風情だ。
 俺にとっては、そっちの方が都合が良い。潰し合いをしている間に俺は逃げさせてもらうとしよう。

「冷静さを欠いた貴様の失態だ。奴等に勘付かれた」

 しかし、その一言でカディームの激昂はピタリと止んだ。
 グラントに促された視線の先には、一組の男女。ネロスとロゼリアだ。
 そしてその後ろに佇む、小さな影。
 見間違えるはずも無い。
 ≪アイントラート≫の社長にして、≪鮮血の淑女≫として恐れられた吸血鬼。
 ――レディ・メーヴェが、そこにいた。





「わたし達は、あなた方を害するつもりはありません。退きなさい」

 穏やかに紡がれたその言葉には、しかし、この場において誰よりも強い強制力があった。
 その言葉の先で、カディームが畏怖するようにレディ・メーヴェを見据えている。

「貴様にも理解できているだろう、分が悪い。退け」

 その傍らから、グラントが最後通告のように告げた。
 一瞬の逡巡。
 そして、

「……この屈辱、忘れん」

 怨嗟の言葉を残し、カディームはこの場から姿を消した。
 残るは、グラントだ。
 こちらに向き直ったグランとは、カディームとは違い、レディ・メーヴェを前にして尚冷静を保っている。

「久しいな、レディ・ヘル。未だに酔狂を続けているようだな」
「無論です。何と言われようと、わたしは諦めるつもりはありません」

 久闊を叙すような口調のグラントに対し、レディ・メーヴェは毅然として応じた。

「あれ程美しく鮮血にその身を染め上げていた貴様が、今はこうも醜い。残念だよ」
「何と言われようと、私はこの理想を貫きます」

 断固とした口調で告げるレディ・メーヴェの瞳は、あくまで静謐だった。
 その様を哀れむように首を振ると、グラントは再び口を開く。

「その一途さは変わらんか。それで、そこの男をその理想とやらの象徴にでもするつもりか?」

 半ば呆れたように呟き、グラントは俺を指差した。

「人と私達の共存。彼がその希望の光であることは確かです」
「人と我らの共存。ふん、下らぬ妄想に囚われるなど、堕ちたものだ」

 レディ・メーヴェの言葉に落胆したように応じると、グラントの紫紺の双眸が欄と輝いた。

「ならばその希望を叩き潰し、貴様を再び紅の雨の中で舞わせてみせよう――レディ・ヘル!」

 高らかな宣言と共に、グラントの身体から押し潰されんばかりの殺気が放たれた。
 それに反応して、ネロスとロゼリアが前に出る。俺とレディ・メーヴェを守ろうということだ。
 だが、守られてばかりいるのは性に合わない。
 刀の握りを直し、いつでも戦闘に入れるように構える。
 しかし、殺気とは裏腹にグラントは再び身を翻して背を向けた。

「今戦って勝てるなどとは思わん。此度は退こう」

 殺気は未だ収まらないものの、グラントに戦う気は無いようだ。
 こうまで無防備な背中を晒されては、いくらなんでも斬りかかれない。

「だが、いずれ必ずその命貰い受ける。その時まで、束の間の生を謳歌するが良い」

 捨て台詞を吐き、姿を消すグラント。
 不思議と、その捨て台詞は負け惜しみのようには聞こえなかった。
 いつか、決着を付けるときが来るだろう。

「済まない、また助けられたな」

 ともあれ、襲撃者は去った。
 礼を言う俺に、ロゼリアが穏やかな笑みを向ける。

「大事なお客様だもの、何かあってはいけないでしょう?」
「こちらにも下心が無いとは言えない。気にするな」

 冗談めかして言うネロスの下心とは、先ほどグラントの言っていたことだろう。
 人と≪闇の眷属≫と呼ばれる者たちの共存。
 その象徴として、確かに俺という存在は相応しいのかもしれない。

「――あなたに、わたし達の理想の象徴となって欲しいという気持ちは、確かに否定できません」

 ふいに、レディ・メーヴェが言葉を紡いだ。
 その瞳は、真摯な輝きを宿して俺を見据えている。

「ですが、それを強要するつもりもありません。今回のことは、どうかお気になさらず」

 穏やかに告げるレディ・メーヴェに対し、もとより誤解など抱こうはずもない。
 今朝の会話の中でも、こちらの意思を十分尊重してくれることはわかっている。

「ありがとうございます」

 故に、俺はただ感謝の思いを込めて、頭を下げた。

「それでは、帰りましょう。テーゼも待ちくたびれているはずです」

 そんな俺に頭を上げるように言い、レディ・メーヴェは場の雰囲気を変えるように明るい声を出した。
 無論、異論などあるはずもなく、ネロス、ロゼリア、俺がその後に続いて帰路に着いた。

 ――俺の荷物は、殆ど血塗れで使えなくなっていたがな。



[28040] 第二章(前編)
Name: タステン◆2405bffb ID:d0ce7d74
Date: 2011/06/01 00:03



 三日後、俺は予定通りイグリスの駅から列車に乗り、ヴァナード王国の王都ソフィアに来ていた。
 いや、正確には王都ソフィアの郊外にある蒸気機関車のステーションに、だ。
 断ったのだが、テーゼ達からの見送りを受けてイグリスを発ったのが六時間ほど前。
 テーゼだけではなく、ロゼリアまでに見送られて、しかも餞別代わりにと列車代まで払ってくれた。
 正直、ここまで来ると借りの作り過ぎだ。
 いずれ必ず、この恩は返さなければなるまい。
 それにしても、たった六時間でイグリスからヴァナード王国まで来れてしまうのだ。
 文明の利器というのは、本当に便利なものだ。
 しかし、ここから今度は王国第二の都市であるカストリーズへ行くのだが、それには列車は使わない。
 折角世界を旅する機会に恵まれたのだ。
 列車は確かに便利だが、なるだけ自分の足で歩いて、見聞を深めていきたい。
 俺の最終的な目的地は、弥都だ。
 カストリーズへ向かうのも、弥都行きの船に乗るためである。
 弥都へ行く目的は一つ――墓参りだ。
 弥都には、お袋の墓がある。もう二年近く行っていないが、親父は定期的に足を運んでいたらしい。
 親父は死ぬ前に、≪アイントラート≫へ行くことともう一つ、お袋の墓参りに行くことを俺に言いつけていた。
 行った先で何があるのかは知らない。
 だが、何もなかろうとお袋の墓参りというだけで、弥都へ行く理由としては十分だろう。
 故に、俺はレディ・メーヴェの誘いを断ってまでここにいるのだ。
 だが、あまり急いでもしょうがない。
 王都ソフィアは、大陸でも屈指の絢爛な街並みを誇ると聞いている。
 そこを観光する時間くらいは、許される筈だ。
 とりあえず、王都で宿でも取ろうかと思案している俺に、声をかけてくる者がいた。

「――あなた、もしかして弥都の人?」

 声の主は、まだ若い女性だ。見た感じ、二十歳前後といった所だろう。
 俺とそう歳が離れているようには見えない。
 意志の強そうな黒い瞳に、まるで絹のように美しく流れる長い黒髪。
 薄く笑みを浮かべた唇は、ルージュを引いたかのように赤く濡れている。
 有体に言って、美人である。
 俺とて男だ。美人がいれば、それなりに目を惹かれるのは否定できない。
 だが、何よりも俺のの目を惹いたのは、彼女の服装だった。

「そういうあんたこそ――」
「そ、弥都出身よ」

 彼女が着ているのは、紛れもない弥都の民族衣装である着物だった。
 着物の袖で口元を隠し、女性はクスクスと笑う。

「大陸に出るとなかなか同郷が見つからなくて、寂しかったのよね」

 嬉しそうにそう言って、快活な笑みを浮かべる女性。
 ロゼリアの笑みを月光に例えるなら、彼女のそれは太陽の光だ。
 ひまわりのような、と言い換えても良い。
 だが、彼女は若干の勘違いをしている。

「ああ、その悪いんだが、俺は別に弥都の出身ってわけじゃないんだ」
「え、そうなの? じゃあその着物は?」
「俺は違うんだが、お袋が弥都の出でね。これはお袋が拵えてくれたのさ」

 確かに、俺も黒髪黒目で弥都の人と特徴は被っているが、生まれも育ちも大陸だ。
 残念ながら、弥都に行くのもこれが初めてで、今まで一度も弥都の土を踏んだことはない。

「でも別に良いわ。弥都に縁のある人っていうだけでも、十分貴重だもの」

 さして気にした風もなく笑う女性は、本当に嬉しそうだ。
 まあ、弥都という国の特殊性を鑑みれば、特別おかしなことというわけでもない。
 国家レベルでの交流を嫌う弥都は、そもそも国内から大陸へ出る者自体が少数なのだ。
 大陸の人口と弥都の人口を比べたときに、圧倒的に大陸の方が多いことも相まって、実際に大陸で弥都人を見かける機会は非常に少ないのだ。
 砂漠で金貨を探すような――とまではいかないが、それでもやはり低い確率である。
 その上弥都の出身者達は非常に帰属意識が高く、同郷の者同士が強い結束で結ばれているのだ。
 イグリスには比較的弥都出身者も多かったが、このヴァナード王国では滅多にいない。
 俺を見かけたときの彼女の心境は、推して知るべしというものである。

「あなた、これからどこへ行くの? 今の列車で降りてきたってことは、王国内での用事?」
「いや、特にここでは用事はないよ。俺の目的地は弥都でね、カストリーズへ向かうために寄っただけさ」
「――わお」

 喜色満面。そう表現するのが一番適当であろう。
 俺の言葉に、女性は満面の笑みで胸元付近で手を合わせた。
 その、妙に子供っぽい仕草に、思わず俺も顔が綻ぶ。

「私も弥都へ行くの! ねえ、途中まで一緒に行きましょうよ。旅は道連れって言うし、ね?」

 突然の誘いに、俺は思わず返答に窮した。
 一緒に旅をすること自体は構わないのだが、俺は狙われの身だ。
 それも、狙ってくる相手は吸血鬼。いつ襲ってくるかもわからない。
 迂闊な行動で、赤の他人を巻き込むわけにはいかない。
 しかし、あの笑顔を向けられてしまった以上、無碍にも出来ない自分もいる。

「あれ、もしかして訳アリ?」

 ――アリもアリ、大アリだ。
 もし一緒に行動して巻き込んでしまった場合、責任なんて取りきれない。

「別にそんなの平気なのに。自分の身くらい、自分で守れるわよ?」
「いや、しかしな……」

 相手は吸血鬼なのだ。
 並みの腕では自衛どころか、気付いたときには殺されている、などという事態にすらなりかねない。
 だが、正直に吸血鬼に狙われていると言ったとして、信じてなどもらえまい。
 本当に信じさせようと思えば、俺の出自まで説明せざるを得なくなる。
 それだけは、避けたいところだ。
 だが、そんな俺の葛藤などどこ吹く風と、女は極自然に言い放った。。

「それに、私も似たようなものだし、おあいこよ」
「ん? そりゃどういう――!」

 返答は、待つまでもない。
 背後に感じた殺気を頼りに、鞘に収めたまま刀で後方を薙ぐ。
 金属音と共に地面に転がったのは、くないと呼ばれる特殊な短刀だ。
 弥都に本拠地を置く暗殺ギルド≪葉隠≫の暗殺者、その中でも特殊な技能を身に付けた≪忍者≫と呼ばれる者達が、好んで使用する武器である。
 ――こんな所に何で≪忍者≫が!
 だが、その意味するところを理解する暇もなく、接近する殺気が複数。
 視界の端に、今にも襲い掛かろうとする人影を捕らえた。
 数は、視認できるだけで五人。
 ターミナルの人ごみの中から飛び出してきた暗殺者は、素早い動きで俺に接近し、くないを首筋へくないを繰り出してきた。
 真正面から襲ってきたくないを体捌きだけでかわし、抜き放ち様の一閃でその腕を斬り落とした。
 腕を失くし、ショック状態となったの男へ、返しの斬撃。
 閃いた銀光が男の首を両断するのと同時に、俺は腰の鞘を抜き取った。
 横合いから、既に別の暗殺者が迫っていたのだ。
 利き手とは逆方向から来たくないを、しかし冷静に鞘で受け止め、動きの止まった胸板を蹴り抜く。
 追撃は――しかし、背後に感じた別の気配によって妨げられた。
 胸骨を砕いた感触を足に感じつつ、身体をその場で沈める。
 頭上を吹き抜けたくないの一撃は、そのままだったら間違いなく俺の頚動脈を断ち切っていただろう。
 身を沈めた俺に、くないを避けられた男は蹴りを繰り出そうと足を上げたが、遅い。
 俺はその場で旋回すると、その勢いを蹴りに乗せて男の脚を圧し折った。
 膝の辺りの骨を砕かれ、地面に崩れ落ちる男。
 だが、その身体が地面に着く前に、俺の刀が心臓を突き穿っていた。
 力を失い倒れ込む死体から刀を引き抜き、先ほど蹴り飛ばした暗殺者に肉薄する。
 既に男は立ち上がり、くないを投擲しようと腕を振り上げていた。
 だが、振り下ろす動作よりも早く、俺の接近は完了していた。
 振り上げられたままの腕を横薙ぎの一撃で斬り飛ばし、返す刀でその首も両断した。
 自分に襲い掛かってきた暗殺者を仕留めた俺は、先ほどの女性の無事を確認しようと、そちらに目をやる。
 だが、心配の必要もなかったようだ。

「もう、しつこいったら」

 彼女は既に、自分に襲い掛かってきた暗殺者二人をあっさり退けていた。
 傷一つない彼女の足下には、死体が二つ転がっている。
 どちらも、一撃の下に頭部を陥没させられて絶命していた。
 それをなしたのは、彼女の手にした鉄製の扇だ。
 その細腕にどれほどの力があったものか。
 彼女は己の身の丈の半分ほどもある鉄扇を軽々と持ち上げ、血を払うようにバサリと扇を開く。
 あれだけの鉄の塊、重量は相当なものになるはずだが、まるでそれを苦にもしていない。
 そもそも、あれだけの得物をどこに隠し持っていたというのだ。

「さてと。どう、これで大丈夫ってわかったでしょう?」

 唖然とする俺に、女性はあくまでも明るく話しかけてくる。
 しかし、

「どう、と言われてもな……」

 確かに、彼女が自衛に足る実力を持っていることはわかった。
 だが、彼女自身もどうやら面倒事を抱えているようだ。
 ≪葉隠≫といえば、大陸の≪真紅の絶望≫と並んで暗殺ギルドの最大手だ。
 その≪葉隠≫の暗殺者――それも≪忍者≫に襲われるなど、只事ではない。
 正直言って、これ以上面倒事を抱え込むのは御免だ。

「悪いが、一緒には――」
「良いのね! やった、楽しく旅しようね!」
「……もう、好きにしてくれ」

 人の話を聞かない女だ。
 だが、目の前ではしゃぐ様を見ると、どうにも毒気を削がれてしまう。
 まあ、こうなっては仕方がない。
 旅は道連れ、世は情け。野良犬にでも噛まれたと思って、諦めるとしよう。

「私はナツメ――姓は無くってただのナツメ。よろしくね」
「ジュードだ。ジュード=イスルギ」

 差し出された手を握り、名乗りだけの自己紹介を済ませる。
 だが、この先どんな面倒事に巻き込み巻き込まれるのかと思うと、表情は今一つ冴えない。
 ――取り急ぎ、まず一つ。

「これ、どう説明するかなあ」

 騒ぎを聞きつけ、こちらへ血相を変えて飛んで来る警備員に事態をどう説明するか、頭を抱えるのだった。





「今回は正当防衛ということで不問にしてやろう。だが、次にこの王都を汚すような行為をしたときは、覚悟しておくのだな」

 駅での騒ぎで警備隊に拘束された俺達は、そのまま王都の警官隊に引き渡され、取調べを受けることになった。
 その警官隊が全員女だったのには少々面食らったが、しかし、だからといって取調べは決して生易しいものではなかった。
 俺の取調べに当たった警官は、赤い制服をピシリと着こなした、赤褐色の髪の女だった。
 この女が異様に厳しく、先の言葉もその女のものだ。
 正当防衛ということで罪には問われなかったのだが、≪葉隠≫に襲われたとあって、取調べはその追及が主だった。
 だが、そもそも巻き込まれただけの俺は事情など何も知らないのだ。
 その上ナツメは別室での取調べだったので、聞かれたことには何一つとして答えられず、場の空気はどんどん悪くなっていく。
 必死の説得の末、結局開放されたのは四時間も経ってからのことだった。
 しかも、刀は許可が無ければ携帯することは許されず、その申請も明日にしか通らないと言われて刀を取り上げられる始末。
 踏んだり蹴ったりとは正にこのことだろう。

「あ、ジュードも取調べ終わったんだ。随分長かったね?」

 肩を落とす俺に、ナツメの明るい声がかかる。
 ナツメの方が、どうやら取調べが終わるのが早かったらしい。
 警官隊の詰め所のロビーで、ソファーに座って寛いでいる。
 取調べを受けた後とは思えないほどの、恐るべき気楽さだ。

「何で巻き込まれただけの俺より、お前の方が先に開放されてるんだよ」
「え? 正直に話したらすぐに終わったよ?」

 口調も剣呑になる俺に、ナツメはそれでもあっけらかんと言葉を返す。
 曰く、二時間程度で取調べからは開放されていたらしい。

「俺の半分じゃないか! 不公平だろ、これは」
「まあ良いじゃない。それよりも――」

 思わず語気も荒くなりかけた俺に、ナツメが声を潜めて周囲を見るよう促した。
 取調べが終わって間も置かず、女に向かって詰め所の内部で声を荒げる男。
 周囲の視線は、自然と奇異と警戒のそれになる。

「――ああ、もう、クソ!」

 俺はこの世の理不尽に怨嗟の声を吐き出した。
 それから、ナツメを促して詰め所から出る。
 もう既に、辺りは完全に夜だった。

「冗談じゃない! こんな理不尽があるかよ!」

 昼間ならば通りには人が溢れ、絢爛な街並みが俺の目を楽しませてくれたのだろうが、生憎と夜だ。
 視界は暗く街並みなどは見えないし、人通りも疎らだ。
 人気の少なくなった通りを歩きながら、俺は思わず叫んでいた。
 街に着いた早々騒動で警官隊に連れて行かれ、楽しみにしていた観光もお預けだ。
 流石に夜なので、迷惑にならない程度に声は落としているが、それでもその声に含まれる苛立ちはナツメにも伝わったようだ。

「落ち着いて落ち着いて、ね? とりあえず宿を探しましょうよ」

 宥めるような笑みで俺の怒りを抑えようとしているが、俺を巻き込んだ張本人に言われてもむしろ逆効果だ。
 だが、言ってることは尤もであるし、いつまでも過ぎたことを引きずってもしょうがない。
 ナツメの言う通り、早いところ宿を見つけるのが先決か。
 湧き上がる憤激を一時抑え、俺はナツメと共に、宿を探して夜の王都へと足を向けた。


 ようやく宿を見つけ、部屋を取ったのは深夜を回ってからのことだ。
 表通りに位置するような高級ホテルは、もとより候補には入っていないが、しかし運悪く普通のクラスの宿でもどこも部屋が一杯で、中々泊まれる宿が見つからない。
 最終的に部屋を取ったのは、王都の裏通りに隠されるように建てられた、いかにもみすぼらしい外観の宿だった。
 宿のオーナーは既に休んでいたようで、起こされた不機嫌を隠そうともせず乱暴にキーを二つ取り出すと投げつけるように俺たちに渡し、再び自室に戻っていった。
 あまりにもぞんざいなその態度に俺は憤然としかけたが、ナツメは特に気にした風も無く、宿が決まったことに純粋に喜んでいた。

「今日は色々あって疲れたね。ゆっくり休んで明日に備えよう!」

 ミシミシと音の鳴る階段を上りながら、ナツメが声を上げる。
 その様は全く疲れているようには見えなかったが、もはや言っても仕方ないということは悟っている。
 だが、聞いておかなくてはならないこともあった。

「ナツメ、話がある。寝る前に少し部屋に邪魔していいか?」

 無論、その話とは≪葉隠≫の暗殺者についてだ。
 どうして≪葉隠≫の暗殺者などに狙われているのか。
 これだけは聞いておかないと今後のことにも関わる。
 ナツメは暫し押し黙り、そして徐に口を開いた。

「――ジュード、その、まだ早いと思うの」

 重苦しい口調で、顔を伏せながら話すナツメ。
 その表情に、先ほどまでの明るさは無い。

「私たち、まだ知り合って間もないし。……もっとお互いを知ってからでも良いと思うの」

 つまり、まだ俺は訳を話せるほどには信用されていないということか。
 だが、ここまで巻き込まれておいて理由も聞かずに済ませられるほど、俺は無頓着ではない。
 是が非でも、訳を話してもらう。

「その、ね。私も弥都の女だし、こういうのはやっぱり恥らうっていうか」

 詰め寄る俺に、ますます顔を伏せ、声も控えめになっていくナツメ。
 しかし、弥都の女というのが何の関係があるのだろう。

「いきなりそんな、一緒に寝ようだなんて――」
「違うだろ!」

 深夜にも関わらず、声を張り上げた俺を攻められる者は、この場合誰もいまい。
 どうも話が通じないと思えば、この女とんでもない勘違いをしておられた。
 なんで話があると言っただけでそこまで話が飛躍するのか、もはや人の話を聞いていないというレベルではない。

「え、でも部屋に入れてくれって」
「そういう意味じゃないんだよ。本当にただ聞きたい話があっただけなんだ!」 

 きょとんとしたナツメに、必死に弁明する俺。
 どうも、この女に出会ってからこっち、ペースが乱されっぱなしだ。

「なんだ。もう、紛らわしい言い方しないでよ」
「……ここに至れば言葉もないさ」

 もはや諦観の一念で、俺は力なく首を振る。
 いっそ、話はもう良いから寝てしまおうかな? などという考えすら頭に浮かんだほどだ。
 だが、それで後から困るのは俺である。
 やはり、きちんと話を聞いておかねばなるまい。

「とにかく、部屋に行くから待っててくれ」
「アイアイサー。待ってるよ」

 いたずらっぽく敬礼し、自分の部屋に入るナツメに頭を押さえつつ、俺も自分の部屋へと入った。

「……やっぱり、妥協はするもんじゃないな」

 部屋に入った瞬間、足元で舞い上がった埃に顔を顰めながら、俺は一人ごちる。
 小さな部屋にベッドが一つ。
 備え付けの窓の桟には、やはり掃除をしていないのか埃が積もっている。
 持っていた荷物をベッドに放り投げると、そのベッドからすら埃が上がった。

「……さて、行くか」

 とりあえず、何も見なかったことにしておくのが、精神の平衡を保つのには一番だろう。
 例え、それが一時のものであったとしても、だ。
 一度も腰を下ろすことすらなく、部屋を出た俺は、ナツメの部屋に向かった。
 もっとも、部屋は隣なので扉を出ればすぐそこだ。
 扉の前に立ち、ノックを二回。
 返事は、待つまでもなかった。

「あら、早かったね。どうぞ、入ってよ」

 ノックとほぼ同時に開いたドアの向こうから、ナツメが顔を出す。
 招き入れられた部屋で、勧められた椅子に座りナツメを正面にする。

「≪葉隠≫のこと、聞きたいんでしょう? 何で襲われたのか」

 先に口火を切ったのは、ナツメの方だった。
 それも、いきなり核心部分から話し始める。

「そう、それだ。一体何故、あんな物騒な連中に狙われるんだ? 心当たりは?」
「心当たりも何もないわ。ただ私が私だから、襲ってくるだけ」

 しかし、ナツメの語った内容では、まるで訳がわからない。
 彼女が彼女であるから狙われる――そんなものが、理由になるものか。

「意味がわからないな。もっと具体的な話をしてくれないか」
「具体的にって言われても、事実は事実だし。強いていうなら、嫌がらせじゃないかしら?」

 嫌がらせ、という表現が気に入ったようで、ナツメは満足げな表情を浮かべたが、こちらにとってはますます意味がわからない。

「嫌がらせで人を襲うほど、≪葉隠≫ってのは暇じゃないだろう。もしかして俺をからかってるのか?」
「そんな! 本当のことを言ってるだけなのに」

 ナツメは心外だとばかりに声を上げた。
 確かに嘘を吐いているようには見えないが、その知りうる全てを語っているようにも、また見えなかった。
 しかし、追求してもこれ以上の話は恐らく聞けまい。

「わかった、とりあえずそこは良いとしよう」

 故に、俺は一旦質問の矛先を変えることにした。

「これまでの話から察するに、連中に襲われたのはこれが初めてじゃないのか?」
「ええ、そうよ。もうあいつらしつこくって」

 そう口にしたナツメは、心底鬱陶しそうに顔を歪める。

「定期的にって訳じゃないんだけど、忘れた頃にちょっかい出してきてね。さっき私が嫌がらせって言ったのもわかるでしょ?」

 まくし立てるように、憤然と吐き捨てるナツメ。
 確かに、≪葉隠≫の暗殺者に頻繁に襲い掛かられては、迷惑などというものではないだろう。
 だが、それを嫌がらせの一言で済ませてしまうのも、また違う気がする。

「もしかして、もうあたしと一緒にいるのが嫌になった? 一緒に旅してくれないの?」
「いや、それは――」

 憤然とした表情から一転。
 唐突に不安げな表情で俺を見つめてくるナツメに、咄嗟には言葉を返せない。
 確かに、頻繁に≪葉隠≫に襲われている彼女と行動を共にするのは危険が伴う。
 だが、昼間のような連中程度ならばどうとでもなる。
 それに、今回はナツメも自分で暗殺者を退けはしたものの、その実力がどれほどのものなのかは未知数だ。
 もしも、今回よりも格上の暗殺者が襲ってきて、彼女が殺されでもすればそれはそれで寝覚めが悪い。
 こうして知り合ったのも何かの縁だし、一緒に旅をするのは実のところ吝かではないのだ。
 しかし、俺にも抱えている問題はある。

「――ナツメ、俺は≪闇の眷属≫に狙われている」

 静かに、声が軋むのを押さえながら、俺は口を開いた。

「それも、俺を狙っているのは吸血鬼だ。だが理由は言えない」

 一つ一つ、ナツメの反応を確かめるように、俺は言葉を紡いでいく。

「それでも、お前は俺と旅がしたいというのか? 襲ってくるのは≪闇の眷属≫、それも吸血鬼だ。それでも――良いのか?」

 俺も、これではナツメを責められないな。
 一番重要な、何故という部分を隠して事実だけを告げる。
 相手に全てを明かそうとはせず、それでも共に行動しようと迫る。
 これに無条件で首を縦に振るような馬鹿は、そうそういはしないだろう。
 だが、俺もナツメも、図らずもお互いにそれを迫っているのだ。
 俺は、咄嗟に答えられなかった。
 ならば、ナツメはどうなのだ?
 彼女は、そうした状態でどう答える?

「私は、それでも構わない。だって、そんなことは私がジュードと一緒に旅がしたいと思うことに、何の関係もないもの」

 ナツメは、迷いもなく言い切った。
 真摯な眼差しで、まっすぐに俺を見つめている。
 ――それにしても、吸血鬼をそんなことと言い切るか。

「結局、お互い馬鹿だったってことか。これは」

 ナツメの回答を受けて、俺も踏ん切りが着いた。
 ≪葉隠≫上等だ。そんなもの、全て返り討ちにすれば良い。

「明日は早くに起きて観光したいからな。今日はゆっくり身体を休めようぜ」
「それじゃあ――!」
「旅は道連れ世は情け。面倒も増えるだろうが、ま、なんとかなるだろうさ」

 喜色を浮かべるナツメに、俺は少しおどけたように告げて立ち上がった。

「つまらない話をさせて悪かったな。今後は、こういうのは無しにするつもりだから安心してくれ」
「良いの良いの、気にしないでよ。それより、ジュードこそ今日はゆっくり休んでね」

 部屋を出るために歩きながら、ナツメと言葉を交わす。
 そして、部屋の出口に立ったとき、

「ふん、人間同士の麗しき友情というものか――虫唾が走る」

 突如紛れ込んだ不吉な声に、部屋の空気が凍りついた。
 知っている、声だ。ごく最近、聞いた声。
 忘れようにも当分、忘れられはしないだろう。

「ここには邪魔者はいない。今日こそ、その存在ごとこの世から消滅させてくれよう!」

 振り返ったその先。
 狭い部屋の真ん中で、妖しく輝く紫紺の瞳。黒い影。

 ――≪闇の眷属≫の吸血鬼、カディームがそこにいた。


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